第 3 幕 笑顔のばけもの
朝。あてがわれたベッドの中で眠っていたルクスは、発砲音で目を覚ました。
急なことに一気に覚醒した頭でベッドから出て、大きな窓を覆っている重いカーテンを開く
そこから見えたのは、的を狙い銃の練習をしているマーシャだった。
一発、二発。三発目は外していたが、四発目はまた当てている。
「マーシャちゃんって銃つかうんだ……」
いつまでもこうしている訳にもいかないため、もたもたと寝間着から専用の服に着替える。
これはマーシャがルクスに「貴方にはこれが似合うわ!」と押し付け……プレゼントした
ものだ。少し慣れてきた重いドアを開き廊下に出ると、マウイに出くわした。ルクスの部屋はこの階にあがる階段から4つ進んだところにあり、マウイの部屋は5つ進んだところに
あった。つまりはお隣である。
「ルクスおはよう……っ!いつも早かね?もっとゆっくりしとっても良かばいぞ?」
あくびをしながらマウイはルクスのそばに来ると、手を引いて一緒にダイニングルームへと移動し始める。いつの間にか呼び捨てとなっていたのは、仲間って感じだから……だとか。
朝食はパンと野菜入りの薄いスープ、一切れの林檎だった。ルクスはパンを口に運ぶと
目に見えて表情を明るくする。それを見てマウイも嬉しそうにした。
「ルクス、パン好きなんか?」
「はい!今までオートミールばかりだったので、こうして毎朝パンが食べられるなんて
考えもしませんでした」
オートミールといったら、かなりの貧民の食事だ。格差が激しいウォルテクス内なら
ともかく、外でもその生活だったとしたら、少数派の貧困家庭だったということになる。
(そういや、徒歩で来とーたんやったな……乗り物を乗り継いでいく資産もなかか)
「こんからはいっぱい食べんしゃい!」
「はい……!」
あれから一週間ほどたつが、やっぱりルクスはマウイのさん付けも敬語もやめられて
いない。癖だと言うが、マーシャとマウイはそれをやめてタメ語で喋ってほしくて仕方が
ないようだった。
「おはよう御座います。ルクスくん」
「ロンドさん!おはようございます」
すでに食事を終えていたらしいロンドが、ダイニングルームに入ってくる。
それを見つけたルクスは髪をぴょこんと跳ねさせて笑顔になり、そちらへと駆け寄った。
もうすっかり懐いている。
「ロンドったらもう......!ルクスは私が狙ってたのに!」
「まーしゃ。そのいいかたはごかいをまねくよ」
女子二人も参戦し、一気ににぎやかになった。意外にもこの組織は暖かい。それが一週間、ロンドの手伝いをしていたルクスが感じたことだった。
「そういえば……今日は彼女が帰ってくる日ね」
「彼女?」
ルクスが首を傾げると、あるものは苦い顔をし、あるものは目を輝かせる。
「ここの隊員の一人です。遠いところへ出てもらっていたので、ずっと帰っていなかったんですよ。確か今日戻る予定だったはずです」
そんな会話をしたわずか20分後……
書類を運んでいたルクスの耳に、突然ものすごい音が聞こえ始めた。
(なんだろう……大勢の人が走ってるみたいな……)
「ルクス!!」
「マウイさん!?」
「ドアから離れろ!!」
マウイの叫ぶような警告にルクスが慌てて玄関から距離を取ると、次の瞬間。
「エラ様のお帰りよ〜〜っ!!」
『到着いたしました〜っ!エラ様っ!!』
ドアがバンッと開き、大勢の男性に悠々と運ばれている女性が登場した。
(…………????)
あまりにも異様な光景に、ルクスはその場で立ち尽くす。普段の穏やかな微笑も困惑で揺れていた。
「男ども、なかなかに良い働きだったわ。褒めてあげる」
『はは〜っ』
人を階段のように足場にして、女性はつかつかとこちらへ歩いてくる。そしてルクスの前で立ち止まると、じっと見つめ……ルクスの身体を引き寄せた。
「君は客人……それとも、新入りさんかな……?(低音)」
「!!??」
さっきまでの女王様はもうどこにもいない。どちらかというと貴公子のような雰囲気を
急にまとい出した女性は、周囲に薔薇でも飛ばしそうで……
「お帰りなさい。エラ!」
「マーシャ〜♡会いたかったよぅ、元気にしてた〜?」
二人の間を引き離すようにして、マーシャがエラと呼ばれた女性に抱きつく。
エラもデレデレで抱き返すが、やはり先程のキャラとは変わっていた。
まだ混乱しているルクスに駆け寄り、マウイが耳打ちする。
「エラは相手によって極端にキャラ変えるったい。慣れるが勝ちだぞ」
「おぉマウイ!お前もひっさしぶりだなぁ!たった一週間だろって?それもそうだな!
ぎゃはははははっ!!」
やって来たエラに肩に腕を回されて、マウイは顔をしかめた。そしてエラはそのまま顔を動かしてルクスの目をじっと見つめ話し出す。
「おっと……これは失礼。改めて、君は新入りさんかい?もしそうだったら、名前を
教えてほしい……ね?」
先程よりも更に顔を近づけられたルクスは、思わず視線を泳がせながら思う。
(この人、凄く綺麗な顔をしてるな……それにしても、こんなにコロコロ変わって、疲れ
ないのだろうか……)
「ル、ルークス・ロペスです」
「ルークス君か……僕はエラ。エラ・ベイリーだ。どうかエラと呼んでくれ」
いつの間にか一人称も僕となっている。ルクスよりも年上であろうエラは、ロンドとはまた
別の大人っぽさが見え隠れしていた。
「エラさん、帰ってきましたね。それで……どうでしたか」
やってきたロンドがそう問いかけた瞬間、エラの周りの空気が強ばり、ルクスへ視線が
向けられる。
「……っ」
冷たく、感情を読み取れないその瞳に、ルクスは怯みマウイの背に隠れてしまった。
「ルクス?」
「……じゃあ、僕はもう行くよ。マウイお前〜今度はこの子を口説いてんのか?お幸せに
な〜!なあんてっ!」
陽気に去ってゆく彼女を見ていても、先程の視線がルクスの中でいつまでも刺さっていた。
キィ、とドアを開け、大量の書類が積まれた部屋にエラが入り、ロンドに無言で一束の資料を手渡す。
「今回の仕事は失敗。やっぱり、一度完全に姿をくらましたモルスを処刑するのはなかなか
難しいですね」
渡された資料に目を通して、ロンドは絶句しているようだった。しばらくの沈黙のあと、
エラが口を開く。
「その様子では、やはり気づいていなかったようですね」
「まさか……でも、彼は」
「…………」
「ルクスくんは……!」
エラが僅かに戦慄を瞳に浮かべ、震えの交じる息を吐いた。
「まともそうに見えていたけど……ロンド。貴方、相当危ない子を飼っちゃった
みたいですよ」
差し込む光。窓の装飾としてあしらわれた十字架を、ルクスはぼんやりと見つめていた。
「ルクス。何ば見よーったい?」
「……十字架を。母を埋葬したときのことを思い出してました。あんなに深くほったのは
初めてでした。」
それを聞いて、マウイは少し気まずそうに目を逸らす。
「悪か、辛かこと言わしぇちゃったかもな…………。えっ、掘った……?」
「自分で埋めたんです。誰も会いに来なかったので」
「全部一人で頑張ってきたんばい。今は辛うなったらいつでん頼って良かばいぞ?」
元気づけようと明るく笑ったマウイに、ルクスは。
「ありがとうございます。でも大丈夫、母さんはきっと最後幸せでしたから」
幼子のような笑顔でそう言ったのだった。
「だって、笑ってましたもん」
夕刻、エラに呼ばれて全員が広間へと集合した。
「僕が戻ってきたのは、仕事が終わったからじゃない。それを一旦切り上げる必要が
あったからだ」
メンバーの中で緊張が高まる。エラはこの中でも精鋭らしく、それが急遽戻るほどなの
だから、相当まずいのだろうとルクスにも分かった。
「今回出たモルスは “ 恐れ知らず” ウォルテクス奥地で出現したそれは、被害を出し
ながら都市部……こちらへと向かっている」
「!!」
全員が驚きを顔に出す。ルクスも例外ではなく、こちらに化け物が向かっているという
事実に身を震わした。
「攻撃性が高くてな……もう相当の人数が被害にあっている。マーシャとルークス君
以外は僕と一緒に出てもらうからな」
「え!?」
マーシャはその言葉に立ち上がって反応すると、エラに詰め寄る。
「どっ……どうして!!戦えないルクスはともかく、私はどうして待機なの!?」
「お嬢様」
「マーシャ。貴女が頑張っているのはよ〜く分かってるよぅ?……でもね、
こんな危険な仕事に、ピーズアニマを出せない貴女は参加させられない」
それを聞いてルクスは、一人で銃の練習をしていた姿を思い出した。
(彼女が単独で仕事に向かうことが無かったのも……)
「……マーシャ。もし私達が出ている間に、ここにモルスが来たら……貴女が守ってね」
「!!」
エラの真っ直ぐな視線に、マーシャはハッとしたように顔を上げた。
真剣な表情をしているが、嬉しさは隠せていない。エラは其れを確認すると、皆に指示を
始める。
(なんだかんだ皆に信頼されてるんだ……凄い)
一人、また一人と準備を整えて広間へと帰ってくる。皆、気を引き締めていた。
「……いってくるね」
「お嬢様、いたずらしないで下さいね」
「ルクスも、安心して待ってろばい。マーシャのお守り頑張れ〜」
「お守り!?や、やっぱり私もー!!」
「マーシャちゃ〜ん?」
「うぐ……分かってるわよ」
こちらに手を振って外へと出ていく皆に、ルクスは微笑みかける。
「……はい。待っていますね」
きっと大丈夫なんて、確信できてなどいなかったのに。
大丈夫。
だいじょうぶ
だい、じょうぶ……
(どうしよう!すっごく不安だ!!!!)
小さめのテーブルに二人、向き合う形で座ってからもう約一時間。ひたすらゆっくりとお茶しているマーシャは、チラチラとルクスの方を伺うばかりで何も言ってこない。
そんな地味にいたたまれない空間で固まっているルクスは、先程からぐるぐると頭を回転
させていた。
(これは……なにか俺がするべきなのかな?お茶減ってきたしおかわりでも作る?
でも俺紅茶入れたことなんかないし……)
「ねぇ」
「は、はいっ」
急にマーシャがルクスに話しかける。どこか緊張した声に、ルクスの肩も跳ね上がった。
「貴方……自分の死命痣をあれから確認した?」
真っ直ぐな視線。彼女のアンバーの瞳が、ルクスの大きな緑の瞳に映り込む。
「……いや」
「そう……ねぇ、怖いかもしれないけど今ちょっと」
その時、凄い音とともに壁が崩れ去った。
「ポプリ!!」
「まうい……」
「待ってろ、今どかすけんな!」
崩れた民家の壁で孤立したポプリと合流しようとマウイが手をかけるが、重量がありすぎて
移動させられない。ポプリ側には倒壊寸前の建物が多く、いつ潰されてもおかしくない状況だった。ガラリとまた支柱が傾く。
(エラとロンドがこっちに来れたなら……つまらん間に合わん。やったらもう……)
マウイが決意を決めたように瞳を鋭くした。じわじわと足元から影が侵食する。
「聞こえるか!?今から憑依する!」
「まうい!?ちょっとまって……!」
次の瞬間、瓦礫が粉々に砕かれてマウイがポプリを引っ張り出した。
その姿は、髪の所々が赤く染まり手足は黒で覆われている。猛々しい姿だが、表情はどこか
気弱だった。
「遅うなってほんなこつごめん……こげん僕、しゃっしゃと裏方に回ったほうが良か
とかも……本当、後でお詫びに何でんするかr」
「憑依といて」
「あ、うん」
するといつものマウイに戻り、表情も勝ち気なものへと変わる。ポプリは呆れ顔だった。
「ひょういしたまうい、よわきになっちゃうからやだ」
「仕方なかやろ、憑依で性格変わるっちゃばい」
そう言い合ってからお互い小さく微笑むと、真剣な表情で崩壊した家屋を見つめる。
「取り逃がしちまったばい……まさか、あげん再生能力が高かなんて」
「うん、しかもあの もるす わかってるのかこうげきよけようともしなかった」
二人がモルスの、恐れ知らずの姿を思い浮かべる。
其れは、ずっと笑っていた。
マーシャが、ルクスの手を引いて走る。後ろから近づいてくる轟音に顔をしかめながら
彼女は時折後ろを振り返って銃撃した。
「もうっ!全然当たらない!ルクス、もう少し行けば避難通路につくからそこから
出るわ!立て直しはそれから!」
「はいっ……!」
いくつものドアを開けては閉め、破壊されていく。そのうちにマーシャが言う避難通路が
見え始めた。しかし、突然視界に巨大な黒が割り込み、衝撃で二人は床に倒れ込む。
「……っ!」
マーシャの上に、かぶさるようにして其れは覗き込んでくる。全身がぐちゃりと溶けた
ようなその男は、真っ赤な口を裂けそうなほど開いて笑っていた。
何発弾を打ち込んでも直ぐに再生して押し出され、マーシャにはもう攻撃の手立てが
なくなってしまう。
『オマエも……ナんだぁ……変ナ顔しカしないノナァ』
いつしかマーシャの顔には怯えが浮かび始めていた。
(どうすれば、どうすればいい、このままじゃ殺されちゃう、まだ、終わりたくないのに)
『モウ、いい。オマエハ恐いジャない』
モルスがマーシャの頭に腕を振り下ろした瞬間、ルクスがマーシャを突き飛ばした。
「!!」
殺されることは無かったが、地面に身体を打ち付けたマーシャは気を失ってしまった
ようだった。動かないマーシャに興味を失ったモルスは、ゆらりとルクスの方を向く。
「……っく、こ、こっちだ!」
マーシャが倒れている方向とは反対方向に向かってルクスは走り出す。
(俺にはなんの力もない……だったら今できることは、マーシャちゃんを死なせないこと)
ここまで派手に屋敷が壊れているのなら、わざわざ助けを呼びにいく必要はない。
そう考えたルクスは、屋敷の中にあるまだ無事な個室を目指した。
走る走る走る。
飛んできた破片が頭をかすめて血が流れる、追いついてきたモルスの攻撃をよろけながらも
回避してなんとか巻く、その繰り返し。
ボロボロになりながら、とうとう個室へとたどり着いた。
モルスを中に入れてからドアの鍵をかける。これで部屋はモルスとルクスのみとなった。
(なんとか時間を稼げないだろうか……ここでモルスが俺に集中してゆっくり殺して
くれると助かるかも……怖いけど、でも……)
自分の出来ることはやりきった。そう考えてルクスは笑顔を作る。
しかし、その笑顔を見てモルスの様子がおかしくなった。
『オマえ……笑っテるのカ……?』
「えっ」
『そンなに痛メつけて笑ッテたのはオ前だけダ……なァ、オ前が恐がるコトなら、オレも
恐イと思うかナァ……??』
やっぱりモルスは笑っている。爪がルクスの頬に当てられ、一筋の傷ができた。
(俺が……恐いこと……?)
声。
「ルクス!どうしたのその怪我……!!誰がこんなこと……」
声。
「あいつのせいよあいつのせいよあいつのせいよあいつのせいよ」
声。
「なんでもお母さんに相談してね。私はルクスの味方だから」
声。
「あんたなんかが居るから……っ!!」
声。
「ごめんなさいっ……ルクス......!絶対、絶対もうああならないようにするから、だから」
声。
「この私が本物よ!あんたを殺したくてしょうがないのが本音なのよ!!」
「違う、違うのよ……!あれは私じゃないの!」
声。声。声。声。声。声……
大丈夫。
「だいじょうぶだよ!もう分かるもん!」
分からないときはたまらなく恐かったけど。
「……そうだ」
そう、ぼそりと呟いたルクスが黒に飲み込まれた。
流石に驚いたモルスが離れるが、一瞬で間を詰められ身体を引き裂かれる。
『!?』
「よーいしょっと」
そのままモルスに馬乗りになったルクスは、自身の頭から流れる血をぺろりと舐め取ると
モルスの四肢を封じてじっと観察し始めた。
「あ〜さすがは恐れ知らず。自由を奪われても笑顔は絶やしてないね!感心感心!」
恐れ知らずに負けない笑顔で、瞳を赤く染めたルクスはモルスへ喋りかける。
「笑顔は人を幸せにするよね〜。それで、なんだっけ?恐いの知りたいの?
残念だけど無理かなぁ、だって俺君のこと大好きだし?」
モルスの瞳に、僅かに困惑が浮かび始める。
「だ〜からっ!」
そう明るく言った瞬間、ルクスはモルスを包んでいた黒い皮を勢いよく剥ぎ取った。
『づッ!?ズあ゛あ゛っ!!』
「あ、やっぱりこの皮がなくなると痛い?これで身体を覆ってたんだね。だからあんなに
大きかったんだ〜」
笑顔を歪ませながら痛みに喘ぐモルスを前にして、ルクスはコロコロと笑う。
「ねぇねぇ、ちょっとゲームしない?君っていつも笑ってるんだよねぇ。俺と君、どっち が先に笑顔をやめるか……ね?」
恐れ知らずの瞳に、恐怖が浮かびつつあった。
四角い密室。そこで笑顔を浮かべることもできなくなった恐れ知らずと、上機嫌にしっぽを振っているルクスだけが動いていた。
ルクスは痙攣しているモルスの傷口を手で弄びながら笑う。
「ふ、ふふ。俺の勝ちだね〜……でも、これって痛いだけで恐くは無かったよね?
ごめんねぇ、やっぱり俺には無理だった……」
突然、ルクスが脱力して倒れ込む。それに身体を震わせて反応するモルスだったが、ズル
ズルと身体を引きずって逃げ始めた。
が、
「あれれ?どこ行くの?」
何事も無かったかのように立ち上がっていたルクスに阻まれる。
そしてルクスはモルスを見て不思議そうに首を傾げると、少しの邪気も感じない表情で
「その怪我、どうしたの?」
恐れ知らずの身体が跳ね……本物の恐怖で震え始めた。
その様子を見たルクスはニコニコと笑う。
「どう?恐かったでしょう?理解不能なのって恐いよねぇ、さっきまで自分をなぶってた
相手が急に優しくなったり、それを覚えてなかったり……理由が分かるまでが一番
恐いんだよね〜。あれあれ?この人とあの人は本当に同じ人?ってね!」
語尾を少し荒げながらそう言い切り、無抵抗なモルスを蹴飛ばす。
「でももう分かったでしょう?恐いものなんてそこら中にあるんだよ。だからさ、もう… 眠ったら?」
鋭い爪で、モルスの心臓を突くと、そのまま引き抜いた。
……ス
……クス……
ル……ス……
「ルクス!!」
「!!」
マウイの呼びかけに、ルクスが勢いよく目を開ける。眩しさのなか、少しずつ落ち着いて
きた視界には、こちらを心配そうに取り囲む皆の姿があった。
「みなさん……?」
「良かった、気がついた!」
ロンドがゆっくりと状況を説明する。
「すみません……私達、モルスを取り逃がしてしまって……ここが襲われたことは覚えていますか?」
「はい……たしかモルスが、恐れ知らずが入ってきて……マーシャちゃんと逃げて……」
そこまで言ってルクスはバッと起き上がり、辺りを見渡した。
「そうだ!マーシャちゃんは……!頭を打っていた様に見えました!」
「落ち着いて。しばらく気を失っていたけれど、もう大丈夫。少なくとも、君よりかは
無事だよ」
そう言いながら、エラはルクスの頭に包帯を巻いてくれる。見ればマウイたちも
ところどころ怪我をしていた。
「それで聞きたいのですが……あのモルス。恐れ知らずを討伐したのは貴方しか考えられ
ないのです。密室となっていましたし、貴方の身体にモルスの血が付着していました
ので……あの」
「覚えてます……」
気遣うようにそっと尋ねたロンドの声を、ルクスが遮る。皆が息を呑むのがルクスには
分かった。そのまま、絞り出すように続ける。
「……あのモルスを倒したのは、俺……です。記憶もあるし、確かに自分の意思で動き
ました……でも」
「でも?」
「きっと、アレはピーズアニマを使ったんだと思うんですが……自分なのに自分では
ないような、その、まるっきり自分の考え方とかが変わってて……同じ記憶と身体を
持った別人を動かしている気分でした」
それを聞いて、エラは顎に手を当ててしばらくの間考えると、マウイを引っ張ってルクスの
眼前へ突き出した。
「ふぁっ!?」
「ルークス君、君が体験したことはきっと “憑依” だ」
ゆっくりとルクスの瞳が見開かれる。
「憑依……?」
「そう。僕たちモンストルムは、ピーズアニマを使うとき2つ方法があるんだ。一つは
”生成 ” 、この間のマウイやポプリ、ロンドみたいにピーズアニマを物体化させて表に
出す方法だ。出せるものは様々だが、身体への負荷も少ないためよく使われる。そして
もう一つが “ 憑依 “ 、ピーズアニマを自らの肉体に干渉させる方法で、ものによっては
途轍もなく強い力を持つようになると見られている」
エラが文句を言っているマウイを指差すと、少し意地悪そうに笑って言った。
「憑依にはいくつか特殊性があってね……その中でも奇妙なものが、性格の変化だ。
自分の隠れた一面が引っ張り出されるとも言われている。そしてマウイは憑依すると
めためた気弱なヘタレに……」
「いっ、言わんでよか!!」
「隠れた、一面…………」
エラに遊ばれるマウイを気にもとめず、ルクスは考え込む。額には一滴の汗が流れていた。
(あれが、俺の一面……?あれが、本当に……)
恐れ知らずを甚振り、最後は無慈悲に突き殺した自分を鮮明に思い出す。
(あのとき俺はどんな気持ちだったっけ……なんだか、ぐちゃぐちゃしていて分からない)
「ルクス君、少し失礼します」
「!?」
そんな思考を中断させるように、やってきたロンドに突然口を開かさせられた。
苦笑いする皆を気にすることもなく、真剣な顔でロンドはルクスの口内を調べている。
「……色々終わったら、貴方のピーズアニマを調べましょう」
やっと口を開放されたルクスは、プルプルと頭を振ると、少し顔を赤らめてそらした。
「はずかしかった……」
そんな皆を遠くからみつめる少女がひとり。
銀の髪を揺らして一歩、踏み出した。
○恐れ知らず 原作:こわがることをおぼえるために旅へ出た男 グリム童話
全体的にコメディタッチで書かれたお話……けれど冷静になって読むと主人公がイカれてて怖い。最後は笑い話のように終わった原作だが、うちの恐れ知らずさんは割とまともだった
ので、最後は怖いと思うことができた。
タイトルの「笑顔のばけもの」って、ルクスと恐れ知らずのどちらを
指していたと思いますか……
急なことに一気に覚醒した頭でベッドから出て、大きな窓を覆っている重いカーテンを開く
そこから見えたのは、的を狙い銃の練習をしているマーシャだった。
一発、二発。三発目は外していたが、四発目はまた当てている。
「マーシャちゃんって銃つかうんだ……」
いつまでもこうしている訳にもいかないため、もたもたと寝間着から専用の服に着替える。
これはマーシャがルクスに「貴方にはこれが似合うわ!」と押し付け……プレゼントした
ものだ。少し慣れてきた重いドアを開き廊下に出ると、マウイに出くわした。ルクスの部屋はこの階にあがる階段から4つ進んだところにあり、マウイの部屋は5つ進んだところに
あった。つまりはお隣である。
「ルクスおはよう……っ!いつも早かね?もっとゆっくりしとっても良かばいぞ?」
あくびをしながらマウイはルクスのそばに来ると、手を引いて一緒にダイニングルームへと移動し始める。いつの間にか呼び捨てとなっていたのは、仲間って感じだから……だとか。
朝食はパンと野菜入りの薄いスープ、一切れの林檎だった。ルクスはパンを口に運ぶと
目に見えて表情を明るくする。それを見てマウイも嬉しそうにした。
「ルクス、パン好きなんか?」
「はい!今までオートミールばかりだったので、こうして毎朝パンが食べられるなんて
考えもしませんでした」
オートミールといったら、かなりの貧民の食事だ。格差が激しいウォルテクス内なら
ともかく、外でもその生活だったとしたら、少数派の貧困家庭だったということになる。
(そういや、徒歩で来とーたんやったな……乗り物を乗り継いでいく資産もなかか)
「こんからはいっぱい食べんしゃい!」
「はい……!」
あれから一週間ほどたつが、やっぱりルクスはマウイのさん付けも敬語もやめられて
いない。癖だと言うが、マーシャとマウイはそれをやめてタメ語で喋ってほしくて仕方が
ないようだった。
「おはよう御座います。ルクスくん」
「ロンドさん!おはようございます」
すでに食事を終えていたらしいロンドが、ダイニングルームに入ってくる。
それを見つけたルクスは髪をぴょこんと跳ねさせて笑顔になり、そちらへと駆け寄った。
もうすっかり懐いている。
「ロンドったらもう......!ルクスは私が狙ってたのに!」
「まーしゃ。そのいいかたはごかいをまねくよ」
女子二人も参戦し、一気ににぎやかになった。意外にもこの組織は暖かい。それが一週間、ロンドの手伝いをしていたルクスが感じたことだった。
「そういえば……今日は彼女が帰ってくる日ね」
「彼女?」
ルクスが首を傾げると、あるものは苦い顔をし、あるものは目を輝かせる。
「ここの隊員の一人です。遠いところへ出てもらっていたので、ずっと帰っていなかったんですよ。確か今日戻る予定だったはずです」
そんな会話をしたわずか20分後……
書類を運んでいたルクスの耳に、突然ものすごい音が聞こえ始めた。
(なんだろう……大勢の人が走ってるみたいな……)
「ルクス!!」
「マウイさん!?」
「ドアから離れろ!!」
マウイの叫ぶような警告にルクスが慌てて玄関から距離を取ると、次の瞬間。
「エラ様のお帰りよ〜〜っ!!」
『到着いたしました〜っ!エラ様っ!!』
ドアがバンッと開き、大勢の男性に悠々と運ばれている女性が登場した。
(…………????)
あまりにも異様な光景に、ルクスはその場で立ち尽くす。普段の穏やかな微笑も困惑で揺れていた。
「男ども、なかなかに良い働きだったわ。褒めてあげる」
『はは〜っ』
人を階段のように足場にして、女性はつかつかとこちらへ歩いてくる。そしてルクスの前で立ち止まると、じっと見つめ……ルクスの身体を引き寄せた。
「君は客人……それとも、新入りさんかな……?(低音)」
「!!??」
さっきまでの女王様はもうどこにもいない。どちらかというと貴公子のような雰囲気を
急にまとい出した女性は、周囲に薔薇でも飛ばしそうで……
「お帰りなさい。エラ!」
「マーシャ〜♡会いたかったよぅ、元気にしてた〜?」
二人の間を引き離すようにして、マーシャがエラと呼ばれた女性に抱きつく。
エラもデレデレで抱き返すが、やはり先程のキャラとは変わっていた。
まだ混乱しているルクスに駆け寄り、マウイが耳打ちする。
「エラは相手によって極端にキャラ変えるったい。慣れるが勝ちだぞ」
「おぉマウイ!お前もひっさしぶりだなぁ!たった一週間だろって?それもそうだな!
ぎゃはははははっ!!」
やって来たエラに肩に腕を回されて、マウイは顔をしかめた。そしてエラはそのまま顔を動かしてルクスの目をじっと見つめ話し出す。
「おっと……これは失礼。改めて、君は新入りさんかい?もしそうだったら、名前を
教えてほしい……ね?」
先程よりも更に顔を近づけられたルクスは、思わず視線を泳がせながら思う。
(この人、凄く綺麗な顔をしてるな……それにしても、こんなにコロコロ変わって、疲れ
ないのだろうか……)
「ル、ルークス・ロペスです」
「ルークス君か……僕はエラ。エラ・ベイリーだ。どうかエラと呼んでくれ」
いつの間にか一人称も僕となっている。ルクスよりも年上であろうエラは、ロンドとはまた
別の大人っぽさが見え隠れしていた。
「エラさん、帰ってきましたね。それで……どうでしたか」
やってきたロンドがそう問いかけた瞬間、エラの周りの空気が強ばり、ルクスへ視線が
向けられる。
「……っ」
冷たく、感情を読み取れないその瞳に、ルクスは怯みマウイの背に隠れてしまった。
「ルクス?」
「……じゃあ、僕はもう行くよ。マウイお前〜今度はこの子を口説いてんのか?お幸せに
な〜!なあんてっ!」
陽気に去ってゆく彼女を見ていても、先程の視線がルクスの中でいつまでも刺さっていた。
キィ、とドアを開け、大量の書類が積まれた部屋にエラが入り、ロンドに無言で一束の資料を手渡す。
「今回の仕事は失敗。やっぱり、一度完全に姿をくらましたモルスを処刑するのはなかなか
難しいですね」
渡された資料に目を通して、ロンドは絶句しているようだった。しばらくの沈黙のあと、
エラが口を開く。
「その様子では、やはり気づいていなかったようですね」
「まさか……でも、彼は」
「…………」
「ルクスくんは……!」
エラが僅かに戦慄を瞳に浮かべ、震えの交じる息を吐いた。
「まともそうに見えていたけど……ロンド。貴方、相当危ない子を飼っちゃった
みたいですよ」
差し込む光。窓の装飾としてあしらわれた十字架を、ルクスはぼんやりと見つめていた。
「ルクス。何ば見よーったい?」
「……十字架を。母を埋葬したときのことを思い出してました。あんなに深くほったのは
初めてでした。」
それを聞いて、マウイは少し気まずそうに目を逸らす。
「悪か、辛かこと言わしぇちゃったかもな…………。えっ、掘った……?」
「自分で埋めたんです。誰も会いに来なかったので」
「全部一人で頑張ってきたんばい。今は辛うなったらいつでん頼って良かばいぞ?」
元気づけようと明るく笑ったマウイに、ルクスは。
「ありがとうございます。でも大丈夫、母さんはきっと最後幸せでしたから」
幼子のような笑顔でそう言ったのだった。
「だって、笑ってましたもん」
夕刻、エラに呼ばれて全員が広間へと集合した。
「僕が戻ってきたのは、仕事が終わったからじゃない。それを一旦切り上げる必要が
あったからだ」
メンバーの中で緊張が高まる。エラはこの中でも精鋭らしく、それが急遽戻るほどなの
だから、相当まずいのだろうとルクスにも分かった。
「今回出たモルスは “ 恐れ知らず” ウォルテクス奥地で出現したそれは、被害を出し
ながら都市部……こちらへと向かっている」
「!!」
全員が驚きを顔に出す。ルクスも例外ではなく、こちらに化け物が向かっているという
事実に身を震わした。
「攻撃性が高くてな……もう相当の人数が被害にあっている。マーシャとルークス君
以外は僕と一緒に出てもらうからな」
「え!?」
マーシャはその言葉に立ち上がって反応すると、エラに詰め寄る。
「どっ……どうして!!戦えないルクスはともかく、私はどうして待機なの!?」
「お嬢様」
「マーシャ。貴女が頑張っているのはよ〜く分かってるよぅ?……でもね、
こんな危険な仕事に、ピーズアニマを出せない貴女は参加させられない」
それを聞いてルクスは、一人で銃の練習をしていた姿を思い出した。
(彼女が単独で仕事に向かうことが無かったのも……)
「……マーシャ。もし私達が出ている間に、ここにモルスが来たら……貴女が守ってね」
「!!」
エラの真っ直ぐな視線に、マーシャはハッとしたように顔を上げた。
真剣な表情をしているが、嬉しさは隠せていない。エラは其れを確認すると、皆に指示を
始める。
(なんだかんだ皆に信頼されてるんだ……凄い)
一人、また一人と準備を整えて広間へと帰ってくる。皆、気を引き締めていた。
「……いってくるね」
「お嬢様、いたずらしないで下さいね」
「ルクスも、安心して待ってろばい。マーシャのお守り頑張れ〜」
「お守り!?や、やっぱり私もー!!」
「マーシャちゃ〜ん?」
「うぐ……分かってるわよ」
こちらに手を振って外へと出ていく皆に、ルクスは微笑みかける。
「……はい。待っていますね」
きっと大丈夫なんて、確信できてなどいなかったのに。
大丈夫。
だいじょうぶ
だい、じょうぶ……
(どうしよう!すっごく不安だ!!!!)
小さめのテーブルに二人、向き合う形で座ってからもう約一時間。ひたすらゆっくりとお茶しているマーシャは、チラチラとルクスの方を伺うばかりで何も言ってこない。
そんな地味にいたたまれない空間で固まっているルクスは、先程からぐるぐると頭を回転
させていた。
(これは……なにか俺がするべきなのかな?お茶減ってきたしおかわりでも作る?
でも俺紅茶入れたことなんかないし……)
「ねぇ」
「は、はいっ」
急にマーシャがルクスに話しかける。どこか緊張した声に、ルクスの肩も跳ね上がった。
「貴方……自分の死命痣をあれから確認した?」
真っ直ぐな視線。彼女のアンバーの瞳が、ルクスの大きな緑の瞳に映り込む。
「……いや」
「そう……ねぇ、怖いかもしれないけど今ちょっと」
その時、凄い音とともに壁が崩れ去った。
「ポプリ!!」
「まうい……」
「待ってろ、今どかすけんな!」
崩れた民家の壁で孤立したポプリと合流しようとマウイが手をかけるが、重量がありすぎて
移動させられない。ポプリ側には倒壊寸前の建物が多く、いつ潰されてもおかしくない状況だった。ガラリとまた支柱が傾く。
(エラとロンドがこっちに来れたなら……つまらん間に合わん。やったらもう……)
マウイが決意を決めたように瞳を鋭くした。じわじわと足元から影が侵食する。
「聞こえるか!?今から憑依する!」
「まうい!?ちょっとまって……!」
次の瞬間、瓦礫が粉々に砕かれてマウイがポプリを引っ張り出した。
その姿は、髪の所々が赤く染まり手足は黒で覆われている。猛々しい姿だが、表情はどこか
気弱だった。
「遅うなってほんなこつごめん……こげん僕、しゃっしゃと裏方に回ったほうが良か
とかも……本当、後でお詫びに何でんするかr」
「憑依といて」
「あ、うん」
するといつものマウイに戻り、表情も勝ち気なものへと変わる。ポプリは呆れ顔だった。
「ひょういしたまうい、よわきになっちゃうからやだ」
「仕方なかやろ、憑依で性格変わるっちゃばい」
そう言い合ってからお互い小さく微笑むと、真剣な表情で崩壊した家屋を見つめる。
「取り逃がしちまったばい……まさか、あげん再生能力が高かなんて」
「うん、しかもあの もるす わかってるのかこうげきよけようともしなかった」
二人がモルスの、恐れ知らずの姿を思い浮かべる。
其れは、ずっと笑っていた。
マーシャが、ルクスの手を引いて走る。後ろから近づいてくる轟音に顔をしかめながら
彼女は時折後ろを振り返って銃撃した。
「もうっ!全然当たらない!ルクス、もう少し行けば避難通路につくからそこから
出るわ!立て直しはそれから!」
「はいっ……!」
いくつものドアを開けては閉め、破壊されていく。そのうちにマーシャが言う避難通路が
見え始めた。しかし、突然視界に巨大な黒が割り込み、衝撃で二人は床に倒れ込む。
「……っ!」
マーシャの上に、かぶさるようにして其れは覗き込んでくる。全身がぐちゃりと溶けた
ようなその男は、真っ赤な口を裂けそうなほど開いて笑っていた。
何発弾を打ち込んでも直ぐに再生して押し出され、マーシャにはもう攻撃の手立てが
なくなってしまう。
『オマエも……ナんだぁ……変ナ顔しカしないノナァ』
いつしかマーシャの顔には怯えが浮かび始めていた。
(どうすれば、どうすればいい、このままじゃ殺されちゃう、まだ、終わりたくないのに)
『モウ、いい。オマエハ恐いジャない』
モルスがマーシャの頭に腕を振り下ろした瞬間、ルクスがマーシャを突き飛ばした。
「!!」
殺されることは無かったが、地面に身体を打ち付けたマーシャは気を失ってしまった
ようだった。動かないマーシャに興味を失ったモルスは、ゆらりとルクスの方を向く。
「……っく、こ、こっちだ!」
マーシャが倒れている方向とは反対方向に向かってルクスは走り出す。
(俺にはなんの力もない……だったら今できることは、マーシャちゃんを死なせないこと)
ここまで派手に屋敷が壊れているのなら、わざわざ助けを呼びにいく必要はない。
そう考えたルクスは、屋敷の中にあるまだ無事な個室を目指した。
走る走る走る。
飛んできた破片が頭をかすめて血が流れる、追いついてきたモルスの攻撃をよろけながらも
回避してなんとか巻く、その繰り返し。
ボロボロになりながら、とうとう個室へとたどり着いた。
モルスを中に入れてからドアの鍵をかける。これで部屋はモルスとルクスのみとなった。
(なんとか時間を稼げないだろうか……ここでモルスが俺に集中してゆっくり殺して
くれると助かるかも……怖いけど、でも……)
自分の出来ることはやりきった。そう考えてルクスは笑顔を作る。
しかし、その笑顔を見てモルスの様子がおかしくなった。
『オマえ……笑っテるのカ……?』
「えっ」
『そンなに痛メつけて笑ッテたのはオ前だけダ……なァ、オ前が恐がるコトなら、オレも
恐イと思うかナァ……??』
やっぱりモルスは笑っている。爪がルクスの頬に当てられ、一筋の傷ができた。
(俺が……恐いこと……?)
声。
「ルクス!どうしたのその怪我……!!誰がこんなこと……」
声。
「あいつのせいよあいつのせいよあいつのせいよあいつのせいよ」
声。
「なんでもお母さんに相談してね。私はルクスの味方だから」
声。
「あんたなんかが居るから……っ!!」
声。
「ごめんなさいっ……ルクス......!絶対、絶対もうああならないようにするから、だから」
声。
「この私が本物よ!あんたを殺したくてしょうがないのが本音なのよ!!」
「違う、違うのよ……!あれは私じゃないの!」
声。声。声。声。声。声……
大丈夫。
「だいじょうぶだよ!もう分かるもん!」
分からないときはたまらなく恐かったけど。
「……そうだ」
そう、ぼそりと呟いたルクスが黒に飲み込まれた。
流石に驚いたモルスが離れるが、一瞬で間を詰められ身体を引き裂かれる。
『!?』
「よーいしょっと」
そのままモルスに馬乗りになったルクスは、自身の頭から流れる血をぺろりと舐め取ると
モルスの四肢を封じてじっと観察し始めた。
「あ〜さすがは恐れ知らず。自由を奪われても笑顔は絶やしてないね!感心感心!」
恐れ知らずに負けない笑顔で、瞳を赤く染めたルクスはモルスへ喋りかける。
「笑顔は人を幸せにするよね〜。それで、なんだっけ?恐いの知りたいの?
残念だけど無理かなぁ、だって俺君のこと大好きだし?」
モルスの瞳に、僅かに困惑が浮かび始める。
「だ〜からっ!」
そう明るく言った瞬間、ルクスはモルスを包んでいた黒い皮を勢いよく剥ぎ取った。
『づッ!?ズあ゛あ゛っ!!』
「あ、やっぱりこの皮がなくなると痛い?これで身体を覆ってたんだね。だからあんなに
大きかったんだ〜」
笑顔を歪ませながら痛みに喘ぐモルスを前にして、ルクスはコロコロと笑う。
「ねぇねぇ、ちょっとゲームしない?君っていつも笑ってるんだよねぇ。俺と君、どっち が先に笑顔をやめるか……ね?」
恐れ知らずの瞳に、恐怖が浮かびつつあった。
四角い密室。そこで笑顔を浮かべることもできなくなった恐れ知らずと、上機嫌にしっぽを振っているルクスだけが動いていた。
ルクスは痙攣しているモルスの傷口を手で弄びながら笑う。
「ふ、ふふ。俺の勝ちだね〜……でも、これって痛いだけで恐くは無かったよね?
ごめんねぇ、やっぱり俺には無理だった……」
突然、ルクスが脱力して倒れ込む。それに身体を震わせて反応するモルスだったが、ズル
ズルと身体を引きずって逃げ始めた。
が、
「あれれ?どこ行くの?」
何事も無かったかのように立ち上がっていたルクスに阻まれる。
そしてルクスはモルスを見て不思議そうに首を傾げると、少しの邪気も感じない表情で
「その怪我、どうしたの?」
恐れ知らずの身体が跳ね……本物の恐怖で震え始めた。
その様子を見たルクスはニコニコと笑う。
「どう?恐かったでしょう?理解不能なのって恐いよねぇ、さっきまで自分をなぶってた
相手が急に優しくなったり、それを覚えてなかったり……理由が分かるまでが一番
恐いんだよね〜。あれあれ?この人とあの人は本当に同じ人?ってね!」
語尾を少し荒げながらそう言い切り、無抵抗なモルスを蹴飛ばす。
「でももう分かったでしょう?恐いものなんてそこら中にあるんだよ。だからさ、もう… 眠ったら?」
鋭い爪で、モルスの心臓を突くと、そのまま引き抜いた。
……ス
……クス……
ル……ス……
「ルクス!!」
「!!」
マウイの呼びかけに、ルクスが勢いよく目を開ける。眩しさのなか、少しずつ落ち着いて
きた視界には、こちらを心配そうに取り囲む皆の姿があった。
「みなさん……?」
「良かった、気がついた!」
ロンドがゆっくりと状況を説明する。
「すみません……私達、モルスを取り逃がしてしまって……ここが襲われたことは覚えていますか?」
「はい……たしかモルスが、恐れ知らずが入ってきて……マーシャちゃんと逃げて……」
そこまで言ってルクスはバッと起き上がり、辺りを見渡した。
「そうだ!マーシャちゃんは……!頭を打っていた様に見えました!」
「落ち着いて。しばらく気を失っていたけれど、もう大丈夫。少なくとも、君よりかは
無事だよ」
そう言いながら、エラはルクスの頭に包帯を巻いてくれる。見ればマウイたちも
ところどころ怪我をしていた。
「それで聞きたいのですが……あのモルス。恐れ知らずを討伐したのは貴方しか考えられ
ないのです。密室となっていましたし、貴方の身体にモルスの血が付着していました
ので……あの」
「覚えてます……」
気遣うようにそっと尋ねたロンドの声を、ルクスが遮る。皆が息を呑むのがルクスには
分かった。そのまま、絞り出すように続ける。
「……あのモルスを倒したのは、俺……です。記憶もあるし、確かに自分の意思で動き
ました……でも」
「でも?」
「きっと、アレはピーズアニマを使ったんだと思うんですが……自分なのに自分では
ないような、その、まるっきり自分の考え方とかが変わってて……同じ記憶と身体を
持った別人を動かしている気分でした」
それを聞いて、エラは顎に手を当ててしばらくの間考えると、マウイを引っ張ってルクスの
眼前へ突き出した。
「ふぁっ!?」
「ルークス君、君が体験したことはきっと “憑依” だ」
ゆっくりとルクスの瞳が見開かれる。
「憑依……?」
「そう。僕たちモンストルムは、ピーズアニマを使うとき2つ方法があるんだ。一つは
”生成 ” 、この間のマウイやポプリ、ロンドみたいにピーズアニマを物体化させて表に
出す方法だ。出せるものは様々だが、身体への負荷も少ないためよく使われる。そして
もう一つが “ 憑依 “ 、ピーズアニマを自らの肉体に干渉させる方法で、ものによっては
途轍もなく強い力を持つようになると見られている」
エラが文句を言っているマウイを指差すと、少し意地悪そうに笑って言った。
「憑依にはいくつか特殊性があってね……その中でも奇妙なものが、性格の変化だ。
自分の隠れた一面が引っ張り出されるとも言われている。そしてマウイは憑依すると
めためた気弱なヘタレに……」
「いっ、言わんでよか!!」
「隠れた、一面…………」
エラに遊ばれるマウイを気にもとめず、ルクスは考え込む。額には一滴の汗が流れていた。
(あれが、俺の一面……?あれが、本当に……)
恐れ知らずを甚振り、最後は無慈悲に突き殺した自分を鮮明に思い出す。
(あのとき俺はどんな気持ちだったっけ……なんだか、ぐちゃぐちゃしていて分からない)
「ルクス君、少し失礼します」
「!?」
そんな思考を中断させるように、やってきたロンドに突然口を開かさせられた。
苦笑いする皆を気にすることもなく、真剣な顔でロンドはルクスの口内を調べている。
「……色々終わったら、貴方のピーズアニマを調べましょう」
やっと口を開放されたルクスは、プルプルと頭を振ると、少し顔を赤らめてそらした。
「はずかしかった……」
そんな皆を遠くからみつめる少女がひとり。
銀の髪を揺らして一歩、踏み出した。
○恐れ知らず 原作:こわがることをおぼえるために旅へ出た男 グリム童話
全体的にコメディタッチで書かれたお話……けれど冷静になって読むと主人公がイカれてて怖い。最後は笑い話のように終わった原作だが、うちの恐れ知らずさんは割とまともだった
ので、最後は怖いと思うことができた。
タイトルの「笑顔のばけもの」って、ルクスと恐れ知らずのどちらを
指していたと思いますか……