第 7 幕 憎悪の向き先
「……はぁ」
屋敷の前、心底嫌そうにロンドはため息をつく。ベネヌム家ではないここは、彼にとって
ただただ吐き気のする場所であった。
目を閉じ、深呼吸をしてから足を踏み入れる。思いドアを開けた先には、久々に目にする
父と、”外”の人間たちがいた。今にも嫌悪に歪みそうな表情筋を抑えつけ、父と同じように
作り笑顔を浮かべる。
「皆様、ご機嫌麗しゅうお過ごしでしょうか」
恭しくお辞儀をしてみれば、外の奴らは見下したように笑う。大嫌いなその顔を見たら粗相をしてしまいそうで、しばらくそのまま頭を下げていた。
「モンストルムのたかりの割には快適だよ。よく頑張ったようだな」
「……勿体なきお言葉」
ふざけるな。
口をついて出そうになった毒を感謝の言葉に化かして、できるだけ自分を下げて接する。
それがモンストルムの”タダシイ”姿だそうだ。
人間の手が、ロンドの頭にそっと触れる。ニヤニヤと笑いながら撫でるようにするその動作は、完全に下に見ている行動だった。
「あんなちっこかったのが、今はこんなにでかくなって……立場もよくわきまえるようになった」
ロンドの頭を撫でながら、人間はロンドの父親に言う。気分良さそうに笑う父親を、ロンドは横目で睨みつけるが、気づかれた様子はない。
「今回のパーティでは、前回同様ウォルテクスで活動している者たちを集める予定にあり
ます。”ご覧頂く皆様”のもてなしには、我々も精一杯ご尽力させていただきます」
「ふむ……そうだな。前回、こちらの提案をのまなかったぶんも満足させて貰わんとなぁ」
品定めするかのような視線が、ロンドたちに向けられる。父親は一筋の汗を流しながら、焦ったように頭を低くすると、緊張をはらんだ声で喋り始める。
「も、申し訳ありません。こちらも、皆様方の慈悲によってここまで発展してきました。
非常に感謝しております。この先も皆様に卑しい我々ができる奉仕は何もかも行うつもり
です。しかし、”英雄ルーメン”の信仰は、モンストルムごときには難しいかと……っ」
英雄ルーメン。ロンドにとっては聞き慣れた単語だ。なんでも人間たちが信仰している
太古の英雄で、世界に突如現れた”黒い怪物”を退治し、封印したという伝説が残っている。
(ただ、あきらかにこれは……)
黒い怪物がモンストルムを表すことくらい、誰でも分かる。それをウォルテクス内で布教
するとなると、狙いはモンストルムを人間に従属させることだろうかとロンドは考える。
(でも、流石に無理がある。独自の技術を生み出し、すでに発展し始めているモンスト
ルムが、今更人間サマの元につくわけがない。暴動ものだな)
父親もソレくらいは分かっているのか、頭を下げながら断り続けている。
人間はしばらくロンドたちをじっと見つめていたが、やがて嘲るように鼻で笑うと、ロンドの方を向いて言った。
「まぁ、良いだろう。では……ロンド・ヤップ」
「……はい」
顔を上げて、ロンドが人間の目を見つめる。冷たいその瞳に、人間は面白そうにニヤつくと
勢いよくロンドの腕を引き寄せた。ロンドの表情が、僅かにひきつる。
「礼儀作法もだいぶマシになっただろう。また、誠意を見せてくれるな?」
「…………」
「ロンド」
初めて、ロンドの名前を父が呼んだ。反射的にそちらを向いたロンドに、何も映さない
虚ろな瞳が向けられる。そしてそれが、ゆっくりと笑みを作った。
「頼むぞ」
「……わかりました」
「あとで話すことがある。用意をしておくように」
「了解しました」
営業用の笑顔を貼り付け、父にもなにか用事を言いつけた人間と共に部屋へと向かう。
(あぁそうだ、忘れていた)
暗い部屋にも電気は付けず、魔法で火の弾を浮かばせて明かりとする人間を、ロンドは
少しの温度も感じない瞳で見つめていた。
(これが、私の仕事だった)
「おかえりなさい、ロンド!」
「お嬢様……」
夜。仕事を終えてギロティナに戻ったロンドを、一番にマーシャが出迎えた。
驚いたように目を丸くするロンドに、マーシャは嬉しそうにあるものを見せる。
「これを見て!エラがくれたのよ!」
「これは……チョーカーですか?」
真ん中に宝石が吊り下げられたその短い装飾品を、ロンドはじっと見つめる。得意そうに
したマーシャは、それを自分の首に当ててみせた。
「似合うかしら?」
「はい、とっても…………」
ロンドはそう言いつつも、少し眉をひそめて自身の首をなぞる。その仕草にマーシャは首をかしげると、チョーカーをおろして微笑んだ。
「...…いつも、ベネヌム家に行ってくれてありがとう。私の代わりに……」
「いえ、私もベネヌム家に行くことは嫌ではありませんから。ただ、今日は別の用事も
あったため、少ししか……」
うって変わってどこか嬉しそうな表情を浮かべるロンドに、今度はマーシャが複雑そうに
する。
「ロンド。本当にいつも感謝してるわ……でも、無理はしないでね」
真っ直ぐにロンドの方を見てそう言うマーシャに、ロンドは一瞬、悲しんでいるような、哀れんでいるような、不思議な顔をした。
「……お嬢様。ミュラッカ様はお変わりありませんでしたよ」
「…………そう」
それだけ返して、マーシャは黙りこくった。しばらく沈黙が続いた後、ロンドがマーシャにお辞儀をし、自身の部屋……今は客間へと足を進める。階段と廊下を渡り、ドアに手をかけたところで一人、呟いた。
「どちらが、無理をしているのでしょうね」
(ミュラッカ様について報告するたび、あんなに愛おしそうにしているのに)
部屋に入ると、ロンドは衣服から小さく可愛らしいフェーブを取り出すと、ベッドの近くに
大事そうに置く。付けたランプの暖かい光に照らされたソレを、頬を緩ませてロンドは見つめていた。
「ミュラッカ様……」
夕方頃、ベネヌムの屋敷でミュラッカがこれをロンドに渡したのだ。
「お姉様には、直接お渡ししたいのです。貴方とわたしとお姉様……おそろいですね」
白い頬を染めてフェーブを手渡すミュラッカを思い出し、ロンドは目を閉じる。
そうすると、昔の思い出が蘇るようだった。
まだマーシャもミュリーも小さく、ロンドもベネヌム家に仕え始めたばかり。姉妹はいつも
仲がよく、ロンドも連れ込まれ、よく遊びに参加させられていた。そんな日々。
アンバーの瞳とその笑顔を、鮮明に思い浮かべる。
「また……あのように笑って欲しいものですね」
そうして思い出に浸っていると、コンコンと扉をノックする音が聞こえた。
「すみません、ロンドさん。戻っていますか?」
ドアを開けてみれば、ルクスがトレイにカップを載せて立っている。カチコチと何やら
緊張した様子の彼に、ロンドは不思議そうに声をかけた。
「ここは君の部屋でもあるのでそんなに気をはらなくてもいいんですよ……そのカップは」
「えっと……ロンドさん、今日忙しそうだったので。エラさんに教えてもらってレモンティーを淹れてみたのですが…………」
ロンドがティーコージーをずらしてみると、紅茶とレモンの爽やかな香りが周辺に漂う。
自分好みの香りに、ロンドはほっと口元を緩めた。
「上手に淹れられましたね。有り難くいただきます」
そのロンドの反応を見てルクスも安心したのか、そっとトレイを手渡すと、お辞儀をして
立ち去っていく。ミニテーブルにカップを置き、鼻先へと近づけた。
「ルクス君には、お茶を淹れる才能があるようですね」
そのままゆっくりと口に含むと、レモンティーの暖かさが、自分のなかの荒んだ、嫌悪や
憎悪といった感情を薄れさせてくれるように感じる。今度ルクスが好きな紅茶も見つけてみようと
ロンドはそう思ったのであった。
てこてこと自分のもとへ帰ってきたルクスに、エラは声をかける。
「ロンドは喜んでくれたかい?」
「はい!たぶん……」
「もっと自信を持っていいよ。じゃあ、ダンスの練習を再開しようか」
少し不安げなルクスにエラが手を差し出すと、彼も数秒の間の後ソレをとった。
「すみません、覚えが遅くって……」
「問題ないよ。もう少し時間はあるからね」
エラの慣れた踊りと、ルクスの少し遅れた動きが重なる。必死についていっているように
見えたが、途中でルクスの視線が横にそれた。
一つの小さなドア。そこから、大量の本を抱えてフレディが出てくる。そしてその僅かに
空いたドアの隙間から見えたものは。
「……!」
ぴたり、とエラとルクスの動きが合う。
「お、上手いじゃないか」
「あ……いえ、たまたまです」
エラはルクスの視線の先に顔を向けたが、もうドアはしまっていた。
屋敷の前、心底嫌そうにロンドはため息をつく。ベネヌム家ではないここは、彼にとって
ただただ吐き気のする場所であった。
目を閉じ、深呼吸をしてから足を踏み入れる。思いドアを開けた先には、久々に目にする
父と、”外”の人間たちがいた。今にも嫌悪に歪みそうな表情筋を抑えつけ、父と同じように
作り笑顔を浮かべる。
「皆様、ご機嫌麗しゅうお過ごしでしょうか」
恭しくお辞儀をしてみれば、外の奴らは見下したように笑う。大嫌いなその顔を見たら粗相をしてしまいそうで、しばらくそのまま頭を下げていた。
「モンストルムのたかりの割には快適だよ。よく頑張ったようだな」
「……勿体なきお言葉」
ふざけるな。
口をついて出そうになった毒を感謝の言葉に化かして、できるだけ自分を下げて接する。
それがモンストルムの”タダシイ”姿だそうだ。
人間の手が、ロンドの頭にそっと触れる。ニヤニヤと笑いながら撫でるようにするその動作は、完全に下に見ている行動だった。
「あんなちっこかったのが、今はこんなにでかくなって……立場もよくわきまえるようになった」
ロンドの頭を撫でながら、人間はロンドの父親に言う。気分良さそうに笑う父親を、ロンドは横目で睨みつけるが、気づかれた様子はない。
「今回のパーティでは、前回同様ウォルテクスで活動している者たちを集める予定にあり
ます。”ご覧頂く皆様”のもてなしには、我々も精一杯ご尽力させていただきます」
「ふむ……そうだな。前回、こちらの提案をのまなかったぶんも満足させて貰わんとなぁ」
品定めするかのような視線が、ロンドたちに向けられる。父親は一筋の汗を流しながら、焦ったように頭を低くすると、緊張をはらんだ声で喋り始める。
「も、申し訳ありません。こちらも、皆様方の慈悲によってここまで発展してきました。
非常に感謝しております。この先も皆様に卑しい我々ができる奉仕は何もかも行うつもり
です。しかし、”英雄ルーメン”の信仰は、モンストルムごときには難しいかと……っ」
英雄ルーメン。ロンドにとっては聞き慣れた単語だ。なんでも人間たちが信仰している
太古の英雄で、世界に突如現れた”黒い怪物”を退治し、封印したという伝説が残っている。
(ただ、あきらかにこれは……)
黒い怪物がモンストルムを表すことくらい、誰でも分かる。それをウォルテクス内で布教
するとなると、狙いはモンストルムを人間に従属させることだろうかとロンドは考える。
(でも、流石に無理がある。独自の技術を生み出し、すでに発展し始めているモンスト
ルムが、今更人間サマの元につくわけがない。暴動ものだな)
父親もソレくらいは分かっているのか、頭を下げながら断り続けている。
人間はしばらくロンドたちをじっと見つめていたが、やがて嘲るように鼻で笑うと、ロンドの方を向いて言った。
「まぁ、良いだろう。では……ロンド・ヤップ」
「……はい」
顔を上げて、ロンドが人間の目を見つめる。冷たいその瞳に、人間は面白そうにニヤつくと
勢いよくロンドの腕を引き寄せた。ロンドの表情が、僅かにひきつる。
「礼儀作法もだいぶマシになっただろう。また、誠意を見せてくれるな?」
「…………」
「ロンド」
初めて、ロンドの名前を父が呼んだ。反射的にそちらを向いたロンドに、何も映さない
虚ろな瞳が向けられる。そしてそれが、ゆっくりと笑みを作った。
「頼むぞ」
「……わかりました」
「あとで話すことがある。用意をしておくように」
「了解しました」
営業用の笑顔を貼り付け、父にもなにか用事を言いつけた人間と共に部屋へと向かう。
(あぁそうだ、忘れていた)
暗い部屋にも電気は付けず、魔法で火の弾を浮かばせて明かりとする人間を、ロンドは
少しの温度も感じない瞳で見つめていた。
(これが、私の仕事だった)
「おかえりなさい、ロンド!」
「お嬢様……」
夜。仕事を終えてギロティナに戻ったロンドを、一番にマーシャが出迎えた。
驚いたように目を丸くするロンドに、マーシャは嬉しそうにあるものを見せる。
「これを見て!エラがくれたのよ!」
「これは……チョーカーですか?」
真ん中に宝石が吊り下げられたその短い装飾品を、ロンドはじっと見つめる。得意そうに
したマーシャは、それを自分の首に当ててみせた。
「似合うかしら?」
「はい、とっても…………」
ロンドはそう言いつつも、少し眉をひそめて自身の首をなぞる。その仕草にマーシャは首をかしげると、チョーカーをおろして微笑んだ。
「...…いつも、ベネヌム家に行ってくれてありがとう。私の代わりに……」
「いえ、私もベネヌム家に行くことは嫌ではありませんから。ただ、今日は別の用事も
あったため、少ししか……」
うって変わってどこか嬉しそうな表情を浮かべるロンドに、今度はマーシャが複雑そうに
する。
「ロンド。本当にいつも感謝してるわ……でも、無理はしないでね」
真っ直ぐにロンドの方を見てそう言うマーシャに、ロンドは一瞬、悲しんでいるような、哀れんでいるような、不思議な顔をした。
「……お嬢様。ミュラッカ様はお変わりありませんでしたよ」
「…………そう」
それだけ返して、マーシャは黙りこくった。しばらく沈黙が続いた後、ロンドがマーシャにお辞儀をし、自身の部屋……今は客間へと足を進める。階段と廊下を渡り、ドアに手をかけたところで一人、呟いた。
「どちらが、無理をしているのでしょうね」
(ミュラッカ様について報告するたび、あんなに愛おしそうにしているのに)
部屋に入ると、ロンドは衣服から小さく可愛らしいフェーブを取り出すと、ベッドの近くに
大事そうに置く。付けたランプの暖かい光に照らされたソレを、頬を緩ませてロンドは見つめていた。
「ミュラッカ様……」
夕方頃、ベネヌムの屋敷でミュラッカがこれをロンドに渡したのだ。
「お姉様には、直接お渡ししたいのです。貴方とわたしとお姉様……おそろいですね」
白い頬を染めてフェーブを手渡すミュラッカを思い出し、ロンドは目を閉じる。
そうすると、昔の思い出が蘇るようだった。
まだマーシャもミュリーも小さく、ロンドもベネヌム家に仕え始めたばかり。姉妹はいつも
仲がよく、ロンドも連れ込まれ、よく遊びに参加させられていた。そんな日々。
アンバーの瞳とその笑顔を、鮮明に思い浮かべる。
「また……あのように笑って欲しいものですね」
そうして思い出に浸っていると、コンコンと扉をノックする音が聞こえた。
「すみません、ロンドさん。戻っていますか?」
ドアを開けてみれば、ルクスがトレイにカップを載せて立っている。カチコチと何やら
緊張した様子の彼に、ロンドは不思議そうに声をかけた。
「ここは君の部屋でもあるのでそんなに気をはらなくてもいいんですよ……そのカップは」
「えっと……ロンドさん、今日忙しそうだったので。エラさんに教えてもらってレモンティーを淹れてみたのですが…………」
ロンドがティーコージーをずらしてみると、紅茶とレモンの爽やかな香りが周辺に漂う。
自分好みの香りに、ロンドはほっと口元を緩めた。
「上手に淹れられましたね。有り難くいただきます」
そのロンドの反応を見てルクスも安心したのか、そっとトレイを手渡すと、お辞儀をして
立ち去っていく。ミニテーブルにカップを置き、鼻先へと近づけた。
「ルクス君には、お茶を淹れる才能があるようですね」
そのままゆっくりと口に含むと、レモンティーの暖かさが、自分のなかの荒んだ、嫌悪や
憎悪といった感情を薄れさせてくれるように感じる。今度ルクスが好きな紅茶も見つけてみようと
ロンドはそう思ったのであった。
てこてこと自分のもとへ帰ってきたルクスに、エラは声をかける。
「ロンドは喜んでくれたかい?」
「はい!たぶん……」
「もっと自信を持っていいよ。じゃあ、ダンスの練習を再開しようか」
少し不安げなルクスにエラが手を差し出すと、彼も数秒の間の後ソレをとった。
「すみません、覚えが遅くって……」
「問題ないよ。もう少し時間はあるからね」
エラの慣れた踊りと、ルクスの少し遅れた動きが重なる。必死についていっているように
見えたが、途中でルクスの視線が横にそれた。
一つの小さなドア。そこから、大量の本を抱えてフレディが出てくる。そしてその僅かに
空いたドアの隙間から見えたものは。
「……!」
ぴたり、とエラとルクスの動きが合う。
「お、上手いじゃないか」
「あ……いえ、たまたまです」
エラはルクスの視線の先に顔を向けたが、もうドアはしまっていた。