第 7 幕 憎悪の向き先
真っ黒。私は真っ黒だ。どうやっても、純白になれないことくらい知っている。
だから、私は。
あなたに笑っていてほしい。けれど、本当は一緒に笑いあいたい。ねぇ、どうして?
どうしてそれが許されないの?一緒にいたいよ…………
「____お姉さま!」
突然耳に届いた高い声に、マーシャはビクリと身体を震わせる。ベネヌム本家の屋敷、赤い絨毯に、磨かれた木の手すりが光る階段の途中、ふわりと薄い色の髪が揺らめいた。
マーシャがほんの少し首を動かして彼女を見ると、マーシャと同じアンバーの瞳が嬉しそうに輝く。
「……っ、用があるなら早く言って頂戴」
「あっ、お、お姉さま……」
表情を固くして顔をそらした姉に、妹は狼狽える。しばらくわたわたと行き場のない手を
動かした後、意を決したようにマーシャへ駆け寄った。
「その……お時間ありましたら、一緒にお茶を……」
「悪いけど」
きっぱりとしたその声に、少女の口が閉ざされる。
「ここに長居するつもりはないの。”お友達”とすればいいわ」
そう言うと、マーシャは足早にその場を去ってしまう。後に残された少女
___ミュラッカは、手にしたヌイグルミをギュッと抱きしめた
ベネヌム家当主、エリオス・ベネヌムの執務室。父の言葉を聞いた娘は、ぽかんと口を開け
思わずといった様子でこう漏らした。
「社交パーティーが……近い!?」
叫んだあと、ハッとしてマーシャは口を塞ぐ。
(つい驚いて叫んでしまった。おしとやかにおしとやかに……)
小さく咳払いをして平静を取り繕うと、マーシャは令嬢の顔になり父に尋ねた。
「それは……昨年と同じように、ギロティナの者も出席するのですか?」
「あぁ、その予定だ。開催は2週間後を予定している」
(2週間後…………色々と間に合うかしら。でもやらないと)
難しい顔で思案しているマーシャを見て、エリオスは口元に微笑を浮かべる。
ゆっくりとした動作で娘の前に立つと、頭に優しく手を置いた。
「今年も、良い会にしたい。よろしく頼むぞ、マンサナ」
「…………お父様」
笑みを浮かべるマーシャ。その後ろのドアが、キィと開く。
「ミュリー…………」
顔をのぞかせた妹は、ふわふわとしたドレスの裾をつまんでお辞儀をすると、笑顔で父の
もとへ向かった。エリオスもミュリーを抱き寄せると、その頭を撫で始める。
「聞いていたかもしれないが、2週間後パーティーを行う。ドレスは新しく発注する
かい?それとも……」
「わたしは、前回頂いたものが気に入っております」
「そうか。では……」
父と娘。その二人の笑顔に、マーシャは心のなかで、そっと呟いた。
(……絶対に許さない)
「と、いうことで。これからベネヌムの私達は忙しくなるから」
ギロティナ員が集まる中、マーシャはそう言い放った。キョトンとしているルクスの隣で
マウイが頭を抱える。
「もうそげん時期なんか?ダンスなんて覚えとらんばい……」
(ダンス……やったことないな)
ルクスが周りを見れば、他のベネヌムも複雑そうにしている者が多い。ポプリはそっぽを
向いているし、エラは何やら真剣に考え込んでいるようだった。ロンドは、マーシャの
そばに控えていてあまり表情が見えないが、纏う空気は暗いように感じる。
不意に、エラが口を開いた。
「とにかく、まずドレスと燕尾服を用意しよう。僕たちはともかく、マーシャはいいものにしないと上がうるさいだろう?そして同時進行でダンスだ」
マーシャはコクリとうなずくと、ロンドの名を呼ぶ。今度はロンドが頷き、部屋へと
向かっていった。手慣れているのだろう、マーシャはブツブツと、予算はどれくらいか
来る人の名前と顔を確認しなきゃなどと呟いている。すると突然、エラがルクスの前で
立ち止まった。驚いて上を向くルクスに、エラはにっこりと微笑み、手を差し伸べる。
「君はダンスの経験がなさそうだね。僕が教えるよ。仕事が終わり次第、僕のところに
来るといい」
「……………ありがとうございます」
ゆっくりと、思考を追いつかせるようにしてルクスが礼を言う。そのまま各自が仕事へ
向かっていくなか、ルクスははぁ、と息をついた。
「時間、なくなっちゃったな」
そんな彼を、遠くから見つめる少女が、何やらショックを受けていることにも気づかずに。
ラメティシイのバルコニー。先日は澄んでいた空は、もういつもどおりの灰色を取り戻してしまっている。そこで、何をするでもなく頬を膨らませていたフィーに、高くも低くもない声がかけられた。
「むくれてどうしたの?ブリオッシュみたいになってるよ〜」
「アーニー…………」
くるりと振り向いたフィーだが、またすぐに顔をそむけてしまう。そんなフィーの隣に
アーニーは向かうと、そっとクッキーを差し出した。
「クッキーあるよ?食べてる間だけでもいいから、聞かせて……?」
すると、フィーはクッキーをじっと見つめ……手にとって口へ含む。そして咀嚼の後
飲み込むと、ボソリと言った。
「……ルクス君に、ラメティシイへの誘い、断られた」
「……幸福?それは、ラメティシイじゃ駄目なの?」
「ごめんね。それに……俺はきっとベネヌムのほうが向いてるよ」
「私たちといて、嫌……なのかな」
しゅうぅとしぼむフィーを見て、アーニーは困ったように顎に手を当てる。
「う〜ん、まぁ確かにね。ここだとフレディがよく絡んでいくじゃない?あれはルクス君にとって、楽しいものとは言えないし……」
それを聞いて、フィーはぴょこんと顔を上げ、アーニーの目を見た。急な変化に戸惑う
アーニーに、ぐんと近づいて話し始める。
「そういえばね、フレディがまたアーニーの聖歌隊入隊を推薦したって……アーニー、
どうして入らないの?」
その言葉に、アーニーが一瞬ビクつく。
「……アーニー?」
「あ、いや……ごめんね。でも無理なんだ、ミサへの参加だけは本当に」
目をそらした彼を見て、聞いてはいけないと感じたのか、フィーは小さく「ごめん」と
言って口を噤んだ。
それからしばらくの間、フィーがクッキーを食べる音だけが響いていたが、やがてアーニーが一言、
「……怖いわけじゃないんだでも……やっぱり憎しみが消えないみたいでね」
憎しみ。
その単語に居心地の悪さを感じて、フィーは瞬きをする。アーニーがフィーに困り笑顔を
向けたところで、第三者が現れた。
「お久しぶりですね。フェリシテさん、アーニーさん」
長い黒髪をなびかせて、そこに少女が立っている。薄い蒼の瞳が嬉しそうに細められた。
「エイダ!」
「元気にしてた?……あ、ウィル君への差し入れ?」
二人がそう声をかけると、エイダは口元に手をあてて笑うと、控えめに頷く。
手に持っているバスケットにアーニーは気づき、微笑ましそうに尋ねた。
「はい!といっても、お洋服作ってもらうお代みたいなものですけど」
彼女が纏う美しいワンピースも、コサージュも、全てウィリアムが作ったものであった。
エイダは自分の姿を眺め、嬉しそうに回ってみせる。
「ウィルは凄いね。こんな綺麗なもの作っちゃうんだもの」
「そうしないと落ち着かないんだと思います。ウィルは美しくならないものが憎いみたい
ですので」
少し影を落として笑う彼女は、では、といってウィルの部屋へ向かって行ってしまう。
手をふって見送った二人は、お互いに顔を見合わせた。
「ウィルの友達とは思えないほどいい子だよね〜……」
「びっくり……」
彼女の長袖が、駆けながらふわりふわりと揺れていた。
「…………」
ドアを開け、エイダが部屋の中へと入る。辺りに散らばる布や模型などを危なげなく避け
ながら、作業をしているウィルの前へと歩み寄った。
二人は言葉を発さない。ウィルはそちらを見もしないにもかかわらず、エイダの持つ
バスケットを迷いのない手付きで取ると、中にあるラズベリーパイを口に運んだ。
「やっぱりあの店のパイは美味いな。エイダももう顔覚えられただろうし……サービス
されるの目指そうか」
ウィリアムの言葉に、エイダは何も返さない。ただ穏やかな笑みで虚構を見つめている。
パイを飲み込んでから、ウィリアムは初めてエイダの方を見た。そしてその黒髪に、そっと
新作の髪飾りをつけていく。彼女の蒼い瞳によく映える、黄色のガーベラがあしらわれて
いるものだ。エイダも若干首を動かし、ほうけているような、憂いているような。彼女の
美しさを際立たせる、今のウィリアムと同じ表情を浮かべていた。
「…………いいね、この表情。エイダによく合う」
そっと、よく手入れされた艶やかな黒髪を撫でる。ウィリアムとは対照的なそれが、美しく輝いた。もっと細かい部分まで見ようとするように、ウィリアムの顔がエイダに近づく。
「ウィル君、今いい〜?」
「っ!!」
突然響いたノックの音と女性の声に、二人は同じ動作で反応すると、ゆっくりと離れた。
エイダは近くの椅子に腰掛け、ウィリアムは不機嫌そうに「どうぞ」と扉の向こうへと
声をかける。するとドアが開き、エラが笑顔で顔を見せた。
「やぁ♬聞きたいことがあって来ちゃった!」
「なんだよ、さっさと済ませろ」
ルークス達と居るときよりも若干高いトーンで話すエラに、ウィリアムはうんざりと首を
もたげる。エラは散らかった部屋を見てうおと小さく声を上げるが、ものを踏まないように
入ってきた。
「おい、入ってくることないだろ」
「まぁまぁ、聞きたいことなんだけどね?ルークス君の仕事……モルスを食べなきゃなんだけど、あのモルス、倒すときに君がなにか埋めこんだじゃない?アレってなんか害とか…」
「ねぇよ」
とがったウィリアムの声が、エラの話を遮った。鋭い瞳をさらに攻撃的にして、エラを睨む。
「……気づいたのか」
「まぁ、少しだけね」
しばらく睨み合いが続く。永久に続いていてもおかしくないそれは、少女の声で中断された。
「あ、あのっ!」
椅子の上、背筋をピンッと伸ばし、エイダは叫ぶ。エラとウィリアムがそちらを向くと、
少し顔を赤くして服の裾をつかんだ。
「私……席を外したほうがよろしいでしょうか?」
「……いや、大丈夫だ。あんたさぁ、こっちには客が居るんだぞ?いつまで邪魔するんだ」
エイダには申し訳無さそうに、ウィリアムには嫌そうに見つめられたエラは小さくため息を
つくと、くるりと踵を返してドアノブに手をかける。
「ごめんね長居しちゃって。それじゃ、仲良くね〜」
笑顔で手を振り、エラは出ていく
かと思ったが。
「あ、そうだウィル君」
最後に振り向き、不敵な笑みで言い残した。
「私も、綺麗なもの以外は大嫌いなんだ。ちょっと似てるかもね、私達」
バタンと閉じたドアを、二人はじっと見つめていた。
部屋から出たエラは、コツコツと廊下を進み、その先に待っていたルクスに声をかける。
「待たせてごめんよ。確認がとれたから、モルスのもとへ向かおう」
「はい」
モルスの遺体安置所は地下にあるため、二人で長い階段を下っていく。ろうそくの明かりが
暗闇をかすかに照らす中、ルクスがエラの方を伺うようにして尋ねた。
「あの……ロンドさん、先程どちらへ向かったのですか?」
「どこか仕事でわからないところでもあったのかい?」
「いえ……そうではないんですけど……」
マーシャとしばらく相談をしていたロンドは、簡単な荷物のみを持って出かけていって
しまった。それが今、ルクスがエラとともに仕事へ向かっている理由なのだ。
「なんだか、気分が優れないように見えたので」
出ていくときの彼の表情は、とても喜んでいるようには見えなかった。そのことが気がかりで、ルクスは不安そうにする。そんなルクスに、エラは困ったように笑って答えた。
「僕から勝手に言うわけにはいかないし、ロンドも聞かれたくはないだろうからね……
ただ、本人にとって嫌な仕事だということは確かだ。でも、そうだな。彼は君のことを気に入っているようだし、帰ってきたら労ってやってくれ。きっと喜ぶ」
その言葉にルクスは大きくうなずくと、ロンドのことを考えているのか、どこか嬉しそうな
空気を纏って前を向く。
(こういうところを見ると、かわいい忠犬にしか見えないんだけどねぇ……)
ルクスを見てエラは心中ひそかにそう思ったのであった。
だから、私は。
あなたに笑っていてほしい。けれど、本当は一緒に笑いあいたい。ねぇ、どうして?
どうしてそれが許されないの?一緒にいたいよ…………
「____お姉さま!」
突然耳に届いた高い声に、マーシャはビクリと身体を震わせる。ベネヌム本家の屋敷、赤い絨毯に、磨かれた木の手すりが光る階段の途中、ふわりと薄い色の髪が揺らめいた。
マーシャがほんの少し首を動かして彼女を見ると、マーシャと同じアンバーの瞳が嬉しそうに輝く。
「……っ、用があるなら早く言って頂戴」
「あっ、お、お姉さま……」
表情を固くして顔をそらした姉に、妹は狼狽える。しばらくわたわたと行き場のない手を
動かした後、意を決したようにマーシャへ駆け寄った。
「その……お時間ありましたら、一緒にお茶を……」
「悪いけど」
きっぱりとしたその声に、少女の口が閉ざされる。
「ここに長居するつもりはないの。”お友達”とすればいいわ」
そう言うと、マーシャは足早にその場を去ってしまう。後に残された少女
___ミュラッカは、手にしたヌイグルミをギュッと抱きしめた
ベネヌム家当主、エリオス・ベネヌムの執務室。父の言葉を聞いた娘は、ぽかんと口を開け
思わずといった様子でこう漏らした。
「社交パーティーが……近い!?」
叫んだあと、ハッとしてマーシャは口を塞ぐ。
(つい驚いて叫んでしまった。おしとやかにおしとやかに……)
小さく咳払いをして平静を取り繕うと、マーシャは令嬢の顔になり父に尋ねた。
「それは……昨年と同じように、ギロティナの者も出席するのですか?」
「あぁ、その予定だ。開催は2週間後を予定している」
(2週間後…………色々と間に合うかしら。でもやらないと)
難しい顔で思案しているマーシャを見て、エリオスは口元に微笑を浮かべる。
ゆっくりとした動作で娘の前に立つと、頭に優しく手を置いた。
「今年も、良い会にしたい。よろしく頼むぞ、マンサナ」
「…………お父様」
笑みを浮かべるマーシャ。その後ろのドアが、キィと開く。
「ミュリー…………」
顔をのぞかせた妹は、ふわふわとしたドレスの裾をつまんでお辞儀をすると、笑顔で父の
もとへ向かった。エリオスもミュリーを抱き寄せると、その頭を撫で始める。
「聞いていたかもしれないが、2週間後パーティーを行う。ドレスは新しく発注する
かい?それとも……」
「わたしは、前回頂いたものが気に入っております」
「そうか。では……」
父と娘。その二人の笑顔に、マーシャは心のなかで、そっと呟いた。
(……絶対に許さない)
「と、いうことで。これからベネヌムの私達は忙しくなるから」
ギロティナ員が集まる中、マーシャはそう言い放った。キョトンとしているルクスの隣で
マウイが頭を抱える。
「もうそげん時期なんか?ダンスなんて覚えとらんばい……」
(ダンス……やったことないな)
ルクスが周りを見れば、他のベネヌムも複雑そうにしている者が多い。ポプリはそっぽを
向いているし、エラは何やら真剣に考え込んでいるようだった。ロンドは、マーシャの
そばに控えていてあまり表情が見えないが、纏う空気は暗いように感じる。
不意に、エラが口を開いた。
「とにかく、まずドレスと燕尾服を用意しよう。僕たちはともかく、マーシャはいいものにしないと上がうるさいだろう?そして同時進行でダンスだ」
マーシャはコクリとうなずくと、ロンドの名を呼ぶ。今度はロンドが頷き、部屋へと
向かっていった。手慣れているのだろう、マーシャはブツブツと、予算はどれくらいか
来る人の名前と顔を確認しなきゃなどと呟いている。すると突然、エラがルクスの前で
立ち止まった。驚いて上を向くルクスに、エラはにっこりと微笑み、手を差し伸べる。
「君はダンスの経験がなさそうだね。僕が教えるよ。仕事が終わり次第、僕のところに
来るといい」
「……………ありがとうございます」
ゆっくりと、思考を追いつかせるようにしてルクスが礼を言う。そのまま各自が仕事へ
向かっていくなか、ルクスははぁ、と息をついた。
「時間、なくなっちゃったな」
そんな彼を、遠くから見つめる少女が、何やらショックを受けていることにも気づかずに。
ラメティシイのバルコニー。先日は澄んでいた空は、もういつもどおりの灰色を取り戻してしまっている。そこで、何をするでもなく頬を膨らませていたフィーに、高くも低くもない声がかけられた。
「むくれてどうしたの?ブリオッシュみたいになってるよ〜」
「アーニー…………」
くるりと振り向いたフィーだが、またすぐに顔をそむけてしまう。そんなフィーの隣に
アーニーは向かうと、そっとクッキーを差し出した。
「クッキーあるよ?食べてる間だけでもいいから、聞かせて……?」
すると、フィーはクッキーをじっと見つめ……手にとって口へ含む。そして咀嚼の後
飲み込むと、ボソリと言った。
「……ルクス君に、ラメティシイへの誘い、断られた」
「……幸福?それは、ラメティシイじゃ駄目なの?」
「ごめんね。それに……俺はきっとベネヌムのほうが向いてるよ」
「私たちといて、嫌……なのかな」
しゅうぅとしぼむフィーを見て、アーニーは困ったように顎に手を当てる。
「う〜ん、まぁ確かにね。ここだとフレディがよく絡んでいくじゃない?あれはルクス君にとって、楽しいものとは言えないし……」
それを聞いて、フィーはぴょこんと顔を上げ、アーニーの目を見た。急な変化に戸惑う
アーニーに、ぐんと近づいて話し始める。
「そういえばね、フレディがまたアーニーの聖歌隊入隊を推薦したって……アーニー、
どうして入らないの?」
その言葉に、アーニーが一瞬ビクつく。
「……アーニー?」
「あ、いや……ごめんね。でも無理なんだ、ミサへの参加だけは本当に」
目をそらした彼を見て、聞いてはいけないと感じたのか、フィーは小さく「ごめん」と
言って口を噤んだ。
それからしばらくの間、フィーがクッキーを食べる音だけが響いていたが、やがてアーニーが一言、
「……怖いわけじゃないんだでも……やっぱり憎しみが消えないみたいでね」
憎しみ。
その単語に居心地の悪さを感じて、フィーは瞬きをする。アーニーがフィーに困り笑顔を
向けたところで、第三者が現れた。
「お久しぶりですね。フェリシテさん、アーニーさん」
長い黒髪をなびかせて、そこに少女が立っている。薄い蒼の瞳が嬉しそうに細められた。
「エイダ!」
「元気にしてた?……あ、ウィル君への差し入れ?」
二人がそう声をかけると、エイダは口元に手をあてて笑うと、控えめに頷く。
手に持っているバスケットにアーニーは気づき、微笑ましそうに尋ねた。
「はい!といっても、お洋服作ってもらうお代みたいなものですけど」
彼女が纏う美しいワンピースも、コサージュも、全てウィリアムが作ったものであった。
エイダは自分の姿を眺め、嬉しそうに回ってみせる。
「ウィルは凄いね。こんな綺麗なもの作っちゃうんだもの」
「そうしないと落ち着かないんだと思います。ウィルは美しくならないものが憎いみたい
ですので」
少し影を落として笑う彼女は、では、といってウィルの部屋へ向かって行ってしまう。
手をふって見送った二人は、お互いに顔を見合わせた。
「ウィルの友達とは思えないほどいい子だよね〜……」
「びっくり……」
彼女の長袖が、駆けながらふわりふわりと揺れていた。
「…………」
ドアを開け、エイダが部屋の中へと入る。辺りに散らばる布や模型などを危なげなく避け
ながら、作業をしているウィルの前へと歩み寄った。
二人は言葉を発さない。ウィルはそちらを見もしないにもかかわらず、エイダの持つ
バスケットを迷いのない手付きで取ると、中にあるラズベリーパイを口に運んだ。
「やっぱりあの店のパイは美味いな。エイダももう顔覚えられただろうし……サービス
されるの目指そうか」
ウィリアムの言葉に、エイダは何も返さない。ただ穏やかな笑みで虚構を見つめている。
パイを飲み込んでから、ウィリアムは初めてエイダの方を見た。そしてその黒髪に、そっと
新作の髪飾りをつけていく。彼女の蒼い瞳によく映える、黄色のガーベラがあしらわれて
いるものだ。エイダも若干首を動かし、ほうけているような、憂いているような。彼女の
美しさを際立たせる、今のウィリアムと同じ表情を浮かべていた。
「…………いいね、この表情。エイダによく合う」
そっと、よく手入れされた艶やかな黒髪を撫でる。ウィリアムとは対照的なそれが、美しく輝いた。もっと細かい部分まで見ようとするように、ウィリアムの顔がエイダに近づく。
「ウィル君、今いい〜?」
「っ!!」
突然響いたノックの音と女性の声に、二人は同じ動作で反応すると、ゆっくりと離れた。
エイダは近くの椅子に腰掛け、ウィリアムは不機嫌そうに「どうぞ」と扉の向こうへと
声をかける。するとドアが開き、エラが笑顔で顔を見せた。
「やぁ♬聞きたいことがあって来ちゃった!」
「なんだよ、さっさと済ませろ」
ルークス達と居るときよりも若干高いトーンで話すエラに、ウィリアムはうんざりと首を
もたげる。エラは散らかった部屋を見てうおと小さく声を上げるが、ものを踏まないように
入ってきた。
「おい、入ってくることないだろ」
「まぁまぁ、聞きたいことなんだけどね?ルークス君の仕事……モルスを食べなきゃなんだけど、あのモルス、倒すときに君がなにか埋めこんだじゃない?アレってなんか害とか…」
「ねぇよ」
とがったウィリアムの声が、エラの話を遮った。鋭い瞳をさらに攻撃的にして、エラを睨む。
「……気づいたのか」
「まぁ、少しだけね」
しばらく睨み合いが続く。永久に続いていてもおかしくないそれは、少女の声で中断された。
「あ、あのっ!」
椅子の上、背筋をピンッと伸ばし、エイダは叫ぶ。エラとウィリアムがそちらを向くと、
少し顔を赤くして服の裾をつかんだ。
「私……席を外したほうがよろしいでしょうか?」
「……いや、大丈夫だ。あんたさぁ、こっちには客が居るんだぞ?いつまで邪魔するんだ」
エイダには申し訳無さそうに、ウィリアムには嫌そうに見つめられたエラは小さくため息を
つくと、くるりと踵を返してドアノブに手をかける。
「ごめんね長居しちゃって。それじゃ、仲良くね〜」
笑顔で手を振り、エラは出ていく
かと思ったが。
「あ、そうだウィル君」
最後に振り向き、不敵な笑みで言い残した。
「私も、綺麗なもの以外は大嫌いなんだ。ちょっと似てるかもね、私達」
バタンと閉じたドアを、二人はじっと見つめていた。
部屋から出たエラは、コツコツと廊下を進み、その先に待っていたルクスに声をかける。
「待たせてごめんよ。確認がとれたから、モルスのもとへ向かおう」
「はい」
モルスの遺体安置所は地下にあるため、二人で長い階段を下っていく。ろうそくの明かりが
暗闇をかすかに照らす中、ルクスがエラの方を伺うようにして尋ねた。
「あの……ロンドさん、先程どちらへ向かったのですか?」
「どこか仕事でわからないところでもあったのかい?」
「いえ……そうではないんですけど……」
マーシャとしばらく相談をしていたロンドは、簡単な荷物のみを持って出かけていって
しまった。それが今、ルクスがエラとともに仕事へ向かっている理由なのだ。
「なんだか、気分が優れないように見えたので」
出ていくときの彼の表情は、とても喜んでいるようには見えなかった。そのことが気がかりで、ルクスは不安そうにする。そんなルクスに、エラは困ったように笑って答えた。
「僕から勝手に言うわけにはいかないし、ロンドも聞かれたくはないだろうからね……
ただ、本人にとって嫌な仕事だということは確かだ。でも、そうだな。彼は君のことを気に入っているようだし、帰ってきたら労ってやってくれ。きっと喜ぶ」
その言葉にルクスは大きくうなずくと、ロンドのことを考えているのか、どこか嬉しそうな
空気を纏って前を向く。
(こういうところを見ると、かわいい忠犬にしか見えないんだけどねぇ……)
ルクスを見てエラは心中ひそかにそう思ったのであった。