第一章
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伊吹丸『うむ。傷の方は暫く大人しくしておればじき塞がるであろう。熱も引いたようだしな』
伊吹丸の前で浴衣を脱いだ少年が不思議そうに小首を傾げた。
少年「いぶきまる、おいしゃさん?」
伊吹丸『いや、医者ではないよ。少しばかり長く生きていたせいでな、他のものより生き物の生体に詳しいだけよ』
少年「ふーん?れいはなにやさん?」
そう言って少年は零を見つめる。
零「……俺は鬼道衆だ。医者でも、何屋でもねえ。こっち見んな」
部屋の隅で胡座を掻いて肘をつき、顔を逸らしたままの零を見て、少年は裸のまま、四つん這いで近寄る。
少年「きどーしゅー?きどーしゅーってなぁに?ぼくもなれる?」
零「ッ……なれるか!!こっちに来るな!あっちへいけ!」
伊吹丸『これ童。あまり裸で動くものではないぞ。特に主は怪我をしておるのだからな。零、傷に触らぬよう清拭をしてやれ。薬と包帯はそれからだ』
零「するか!!お前がやれ!!」
相変わらず顔を逸らし、少年を見ない零に伊吹丸は若干呆れ顔で口を開く。
伊吹丸『我はお前に憑依せねば実体化は出来ぬ。何、同じ男子だ。恥ずかしがることもあるまい』
零「ッ……誰が恥ずかしがっ」
少年「ねぇ、れい」
零「……何だ」
少年「……ぼくのなまえ、どこにおとしてきたのかな……なんにもないけど、なまえだけ、あったらよかったな」
少年は少し寂しそうに俯いた後、顔を上げてにかっと笑った。
少年「そうしたられいになまえ、よんでもらえたのにな!」
そう言って愛らしい笑顔を見せた少年を、零は目だけで見遣る。
身体中痛々しい傷痕だらけだったが、一度も痛い、辛いと言わず、彼はただ笑う。
記憶がないことも含めて不安で堪らないだろうに、それでも、それはそれは眩しく笑うのだ。
……まるで、本物の太陽のようだ、と思った。
零「ッ……、……もう少しこっちに来い。身体拭いてやる……」
少年「うん!はい!」
零「……ッくっつき過ぎだッ………!」
ぴたりと裸で自分に抱き着くようにしてくっついた少年に、キレそうになりながら米神を震わせる。
少年「えへへー。れいはあったかいね!」
伊吹丸『……仲良きことは美しきかな……』
零「……ぶっ飛ばすぞ」
離れようとしない少年を引き剥がすこともできず、零は思わず片手で顔を覆った。
─────
────
───
零「……ほら、腕上げろ」
少年「はーい」
清拭から薬をつけ、包帯を巻き、ついでにシーツ交換も済ませ、新しい浴衣を着せてやりながら眉間に皺を寄せ、溜息を吐く。
零(……ったく……一体あと何回やってやらなくちゃならないんだ……?)
げっそりする零に、少年はニコニコとご機嫌だ。
零「……終わったぜ」
少年の帯を結んでやり、次いで使用済みの包帯やらをテキパキと集める。
少年「ねえ、いぶきまる。こういうときはなんていうの?」
伊吹丸『ん?そうだな。このような時は"ありがとう"と言うのが常だな』
少年「ありがとう!れい!」
再びにぱっと笑ってみせた少年を、零は仏頂面で一瞥すると、汚れたシーツや包帯を手に立ち上がった。
零「ちょろちょろ動き回るなよ、楓。ちゃんと寝ていろ。いいな?」
零の発した言葉に、少年がきょと、と目を瞬かせる。
少年「……楓……?」
零「……お前の名前だ。あくまで仮だがな。気に入らなきゃ自分で考えろ。俺は知らん」
楓「……ぼく、楓……?」
零「だからそう言って」
楓「うれしい!!ぼくのなまえ!!れいがつけてくれた、ぼくのなまえ!!ありがとう!!れい!!すごくうれしい!!」
首に飛びつくようにして抱き着かれ、零は汚れものを取り落としそうになりながら、珍しく慌てふためいた。
零「馬鹿!!急に動くな!傷が開くだろうが!!離れろ楓〜〜〜!!」
楓「れい!だいすき!!」
零「ッ……!!」
伊吹丸『……おやおや……』
これまた珍しく耳まで真っ赤になっている零を、伊吹丸は相変わらずの涼しい顔と、若干生暖かい目で見守る。
春の日が暖かに地表を炙っている。
満開の八重桜が、雲ひとつなく晴れ上がった空を背景に、時折花びらを散らせていた。
─────
────
───
零「チッ……!楓のやつ、無駄に時間取らせやがって……」
……あれから、離れない楓と零の攻防がしばらく続き、最終的に伊吹丸が楓を宥めて渋々離れたものの、必要以上に体力と精神力を使った零だった。
零「伊吹丸も伊吹丸だ……!何が"これ、楓や。零が困っておるぞ。いい子だからお離し"だ!孫を宥めるじいさんかあいつは!」
汚れ物を抱えながら廊下を歩く零は向ける場所のない怒りの矛先を持て余しながら、足音を立てて進む。
零「やっぱり名前なんてやるんじゃなかっ……」
(うれしい!!ぼくのなまえ!!れいがつけてくれた、ぼくのなまえ!!ありがとう!!れい!!すごくうれしい!!)
零「………」
楓の笑顔を思い出し、黙り込む零。
───だいすき────
零「ッ……馬鹿かッ……!!」
そう吐き捨て、廊下の角を曲がった所で、誰かと思い切りぶつかる。
「きゃっ!?」
零「ッ!」
あやめ「あいたたた………すみません!!お怪我は────」
尻もちをついたあやめが手を差し伸べる零を見上げ、びっくりしたような顔をする。
零「済まない。あんたこそ怪我はないか?」
あやめ「石動さん……!!」
───────
─────
あやめ「へぇー、そうなんですか!あの方にお名前を……」
零「……その場で思いついた適当な名前だがな」
あやめと零は縁側に座り、会話をしながら庭園を眺めていた。
あやめ「でも、楓さん、喜んでくれたんでしょう?」
零「……まあ、人並みにはな……」
あやめ「そりゃそうですよ!記憶がないなんて自分がないのと同じですもん。きっとすごく不安になってます。そこへ来てこんな素敵な名前、嬉しくないはずがありません!」
目を輝かせるあやめを見遣り、零はどこか複雑そうな顔をした。
零「……言っただろ。その場で考えた、適当な名前だって。あいつだって、理由を知ったら落ち込むだろうし、もっといい名前の方が───」
あやめ「……石動さん。石動さんは、分かってないです。例えその場で考えた名前だったとしても、楓さんにとっては石動さんが楓さんの為に考えてくれた世界でたった一つの大切な名前なんです」
零「……名前なんて、誰でも考えられるだろ。誰から貰っても、あいつはきっと────」
あやめ「いいえ。石動さんから貰った名前だから、楓さんは喜ばれたんだと思います。"貴方"だから、意味があるんですよ」
……あやめの真剣な表情に、零がやや瞠目して彼女を見る。
零「………木城さん……」
あやめ「あ、今初めて名前、呼んでくれましたね。嬉しいなぁ。あたしでこんなに嬉しいんだから、楓さんはもっと嬉しいだろうなぁ」
空を見上げて微笑むあやめを見つめ、零は、ふっ、と微かに口角を上げる。
零「……ありがとうよ。木城さん。あんた、いい女だな」
あやめ「やだぁ!石動さんたら口説いてるんですか?褒めても何も出ませんよ?」
照れ隠しに手をひらひらさせ、いつも通り、快活な笑顔を見せるあやめに小さく笑い、同じように空を見上げる。
あやめ「……楓さんの名前、沢山呼んであげてくださいね」
零「………俺は───────、」
楓「ねえねえ、なにしてるの?」
突然後ろから聴こえた能天気な楓の声に、零は思わず転けそうになった。
あやめ「あら!今丁度貴方のお話をしてたんですよ楓さん。あたしは木城あやめ。ここで仲居をしています。よろしくお願いしますね!」
楓「うん!よろしくあやめー!……?れい?どうしたの?」
零「ッ………せめて、さんをつけろ、さんをッ……」
俯いたままわなわなと身体を震わせている零を不思議そうに見遣る楓。
あやめ「そう言えば楓さん、お身体はもう大丈夫なんですか?」
零「大丈夫じゃねえ……っ………楓、寝てろって言っただろう……なんでここにいるッ……!?」
伊吹丸『すまんな。零、お前の元に行くと言って聞かなんだ』
廊下の向こうから滑るようにして来た伊吹丸に、零の最後の理性が音を立てて切れた。
零「ッ………どいつもこいつもッ………いい加減にッ…………」
仲居「ああ嫌だ嫌だ……穢らわしい妖怪がこんなとこにいるよ!おまけに穢れものまでそんなに沢山ッ……恩人だかなんだか知らないけどさっさと出ていってくれないかね……!」
中年の太った仲居はまるで汚物でも見るような目でこちらを見遣り、廊下を歩いていく。
あやめ「ちょっと!!清美さん……!!」
零「いい。木城さん。あんたまでやっかみを買う必要はない」
伊吹丸『………』
あやめ「っ……けどっ……」
楓「……ねえ、れい。ようかいってなあに?けがらわしいってどういういみ?」
零「……楓……部屋に行っていろ」
楓「……でも……」
零「いいから!!言うことを聞け!!」
零の鋭い声と視線に、楓がびくり、と身を竦ませる。
伊吹丸『楓。我と先に部屋に戻ろうな』
楓「……う、うん……あやめ、またね……」
あやめ「楓さん……っ………」
項垂れて踵を返す楓を見送り、零は、脇に置いていた汚れ物を抱え上げる。
零「……邪魔をして悪かった。仕事に戻ってくれ」
あやめ「そんなっ……!あたしがやりますから石動さんは楓さんの側にいてあげてください」
零「いや、そういう訳には────」
あやめ「……意味は分からなくてもさっきの言葉は……"悪意"は通じている筈です。今楓さんを一人にしないで下さい………側にいてあげて……お願いします………」
泣きそうな顔でそう言うあやめに、零は、ぐっ、と言葉を詰まらせた。
零「っ……済まない……っ………」
零は後をあやめに託し、廊下を足早に歩く。
外は春の嵐のような、あたたかい風がごうごうと吹き始めていた。
桜の花弁が抗うこともできずに散っていく。
不吉な予感が暗い雲のように地平線に姿を見せていた。
伊吹丸の前で浴衣を脱いだ少年が不思議そうに小首を傾げた。
少年「いぶきまる、おいしゃさん?」
伊吹丸『いや、医者ではないよ。少しばかり長く生きていたせいでな、他のものより生き物の生体に詳しいだけよ』
少年「ふーん?れいはなにやさん?」
そう言って少年は零を見つめる。
零「……俺は鬼道衆だ。医者でも、何屋でもねえ。こっち見んな」
部屋の隅で胡座を掻いて肘をつき、顔を逸らしたままの零を見て、少年は裸のまま、四つん這いで近寄る。
少年「きどーしゅー?きどーしゅーってなぁに?ぼくもなれる?」
零「ッ……なれるか!!こっちに来るな!あっちへいけ!」
伊吹丸『これ童。あまり裸で動くものではないぞ。特に主は怪我をしておるのだからな。零、傷に触らぬよう清拭をしてやれ。薬と包帯はそれからだ』
零「するか!!お前がやれ!!」
相変わらず顔を逸らし、少年を見ない零に伊吹丸は若干呆れ顔で口を開く。
伊吹丸『我はお前に憑依せねば実体化は出来ぬ。何、同じ男子だ。恥ずかしがることもあるまい』
零「ッ……誰が恥ずかしがっ」
少年「ねぇ、れい」
零「……何だ」
少年「……ぼくのなまえ、どこにおとしてきたのかな……なんにもないけど、なまえだけ、あったらよかったな」
少年は少し寂しそうに俯いた後、顔を上げてにかっと笑った。
少年「そうしたられいになまえ、よんでもらえたのにな!」
そう言って愛らしい笑顔を見せた少年を、零は目だけで見遣る。
身体中痛々しい傷痕だらけだったが、一度も痛い、辛いと言わず、彼はただ笑う。
記憶がないことも含めて不安で堪らないだろうに、それでも、それはそれは眩しく笑うのだ。
……まるで、本物の太陽のようだ、と思った。
零「ッ……、……もう少しこっちに来い。身体拭いてやる……」
少年「うん!はい!」
零「……ッくっつき過ぎだッ………!」
ぴたりと裸で自分に抱き着くようにしてくっついた少年に、キレそうになりながら米神を震わせる。
少年「えへへー。れいはあったかいね!」
伊吹丸『……仲良きことは美しきかな……』
零「……ぶっ飛ばすぞ」
離れようとしない少年を引き剥がすこともできず、零は思わず片手で顔を覆った。
─────
────
───
零「……ほら、腕上げろ」
少年「はーい」
清拭から薬をつけ、包帯を巻き、ついでにシーツ交換も済ませ、新しい浴衣を着せてやりながら眉間に皺を寄せ、溜息を吐く。
零(……ったく……一体あと何回やってやらなくちゃならないんだ……?)
げっそりする零に、少年はニコニコとご機嫌だ。
零「……終わったぜ」
少年の帯を結んでやり、次いで使用済みの包帯やらをテキパキと集める。
少年「ねえ、いぶきまる。こういうときはなんていうの?」
伊吹丸『ん?そうだな。このような時は"ありがとう"と言うのが常だな』
少年「ありがとう!れい!」
再びにぱっと笑ってみせた少年を、零は仏頂面で一瞥すると、汚れたシーツや包帯を手に立ち上がった。
零「ちょろちょろ動き回るなよ、楓。ちゃんと寝ていろ。いいな?」
零の発した言葉に、少年がきょと、と目を瞬かせる。
少年「……楓……?」
零「……お前の名前だ。あくまで仮だがな。気に入らなきゃ自分で考えろ。俺は知らん」
楓「……ぼく、楓……?」
零「だからそう言って」
楓「うれしい!!ぼくのなまえ!!れいがつけてくれた、ぼくのなまえ!!ありがとう!!れい!!すごくうれしい!!」
首に飛びつくようにして抱き着かれ、零は汚れものを取り落としそうになりながら、珍しく慌てふためいた。
零「馬鹿!!急に動くな!傷が開くだろうが!!離れろ楓〜〜〜!!」
楓「れい!だいすき!!」
零「ッ……!!」
伊吹丸『……おやおや……』
これまた珍しく耳まで真っ赤になっている零を、伊吹丸は相変わらずの涼しい顔と、若干生暖かい目で見守る。
春の日が暖かに地表を炙っている。
満開の八重桜が、雲ひとつなく晴れ上がった空を背景に、時折花びらを散らせていた。
─────
────
───
零「チッ……!楓のやつ、無駄に時間取らせやがって……」
……あれから、離れない楓と零の攻防がしばらく続き、最終的に伊吹丸が楓を宥めて渋々離れたものの、必要以上に体力と精神力を使った零だった。
零「伊吹丸も伊吹丸だ……!何が"これ、楓や。零が困っておるぞ。いい子だからお離し"だ!孫を宥めるじいさんかあいつは!」
汚れ物を抱えながら廊下を歩く零は向ける場所のない怒りの矛先を持て余しながら、足音を立てて進む。
零「やっぱり名前なんてやるんじゃなかっ……」
(うれしい!!ぼくのなまえ!!れいがつけてくれた、ぼくのなまえ!!ありがとう!!れい!!すごくうれしい!!)
零「………」
楓の笑顔を思い出し、黙り込む零。
───だいすき────
零「ッ……馬鹿かッ……!!」
そう吐き捨て、廊下の角を曲がった所で、誰かと思い切りぶつかる。
「きゃっ!?」
零「ッ!」
あやめ「あいたたた………すみません!!お怪我は────」
尻もちをついたあやめが手を差し伸べる零を見上げ、びっくりしたような顔をする。
零「済まない。あんたこそ怪我はないか?」
あやめ「石動さん……!!」
───────
─────
あやめ「へぇー、そうなんですか!あの方にお名前を……」
零「……その場で思いついた適当な名前だがな」
あやめと零は縁側に座り、会話をしながら庭園を眺めていた。
あやめ「でも、楓さん、喜んでくれたんでしょう?」
零「……まあ、人並みにはな……」
あやめ「そりゃそうですよ!記憶がないなんて自分がないのと同じですもん。きっとすごく不安になってます。そこへ来てこんな素敵な名前、嬉しくないはずがありません!」
目を輝かせるあやめを見遣り、零はどこか複雑そうな顔をした。
零「……言っただろ。その場で考えた、適当な名前だって。あいつだって、理由を知ったら落ち込むだろうし、もっといい名前の方が───」
あやめ「……石動さん。石動さんは、分かってないです。例えその場で考えた名前だったとしても、楓さんにとっては石動さんが楓さんの為に考えてくれた世界でたった一つの大切な名前なんです」
零「……名前なんて、誰でも考えられるだろ。誰から貰っても、あいつはきっと────」
あやめ「いいえ。石動さんから貰った名前だから、楓さんは喜ばれたんだと思います。"貴方"だから、意味があるんですよ」
……あやめの真剣な表情に、零がやや瞠目して彼女を見る。
零「………木城さん……」
あやめ「あ、今初めて名前、呼んでくれましたね。嬉しいなぁ。あたしでこんなに嬉しいんだから、楓さんはもっと嬉しいだろうなぁ」
空を見上げて微笑むあやめを見つめ、零は、ふっ、と微かに口角を上げる。
零「……ありがとうよ。木城さん。あんた、いい女だな」
あやめ「やだぁ!石動さんたら口説いてるんですか?褒めても何も出ませんよ?」
照れ隠しに手をひらひらさせ、いつも通り、快活な笑顔を見せるあやめに小さく笑い、同じように空を見上げる。
あやめ「……楓さんの名前、沢山呼んであげてくださいね」
零「………俺は───────、」
楓「ねえねえ、なにしてるの?」
突然後ろから聴こえた能天気な楓の声に、零は思わず転けそうになった。
あやめ「あら!今丁度貴方のお話をしてたんですよ楓さん。あたしは木城あやめ。ここで仲居をしています。よろしくお願いしますね!」
楓「うん!よろしくあやめー!……?れい?どうしたの?」
零「ッ………せめて、さんをつけろ、さんをッ……」
俯いたままわなわなと身体を震わせている零を不思議そうに見遣る楓。
あやめ「そう言えば楓さん、お身体はもう大丈夫なんですか?」
零「大丈夫じゃねえ……っ………楓、寝てろって言っただろう……なんでここにいるッ……!?」
伊吹丸『すまんな。零、お前の元に行くと言って聞かなんだ』
廊下の向こうから滑るようにして来た伊吹丸に、零の最後の理性が音を立てて切れた。
零「ッ………どいつもこいつもッ………いい加減にッ…………」
仲居「ああ嫌だ嫌だ……穢らわしい妖怪がこんなとこにいるよ!おまけに穢れものまでそんなに沢山ッ……恩人だかなんだか知らないけどさっさと出ていってくれないかね……!」
中年の太った仲居はまるで汚物でも見るような目でこちらを見遣り、廊下を歩いていく。
あやめ「ちょっと!!清美さん……!!」
零「いい。木城さん。あんたまでやっかみを買う必要はない」
伊吹丸『………』
あやめ「っ……けどっ……」
楓「……ねえ、れい。ようかいってなあに?けがらわしいってどういういみ?」
零「……楓……部屋に行っていろ」
楓「……でも……」
零「いいから!!言うことを聞け!!」
零の鋭い声と視線に、楓がびくり、と身を竦ませる。
伊吹丸『楓。我と先に部屋に戻ろうな』
楓「……う、うん……あやめ、またね……」
あやめ「楓さん……っ………」
項垂れて踵を返す楓を見送り、零は、脇に置いていた汚れ物を抱え上げる。
零「……邪魔をして悪かった。仕事に戻ってくれ」
あやめ「そんなっ……!あたしがやりますから石動さんは楓さんの側にいてあげてください」
零「いや、そういう訳には────」
あやめ「……意味は分からなくてもさっきの言葉は……"悪意"は通じている筈です。今楓さんを一人にしないで下さい………側にいてあげて……お願いします………」
泣きそうな顔でそう言うあやめに、零は、ぐっ、と言葉を詰まらせた。
零「っ……済まない……っ………」
零は後をあやめに託し、廊下を足早に歩く。
外は春の嵐のような、あたたかい風がごうごうと吹き始めていた。
桜の花弁が抗うこともできずに散っていく。
不吉な予感が暗い雲のように地平線に姿を見せていた。