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第一章

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主人公の名前

暁の爽やかな薄明が東の空に星々のまどろみを消し去っていく。

暗い部屋の中に、明るい光が平たい板のような形に射し込んできている。障子窓の隙間から射す朝の光だ。

少年「ん………」

少年が身動ぐ気配に、側に膝を立て座っていた零が目を開ける。

少年「………ここ、どこ………」

焦点合わさらぬ少年の空色の瞳が零を捉える。

零の手が少年の額に触れた。

零「気がついたのか。……熱は、引いたな。ここは更木村の民宿だ」

少年「さらぎ……むら………?みんしゅく……?」

零「お前、森で怪我をして倒れていただろう。あの蛇にやられたのか?」

零の問いに少年は困惑したような表情で眉を下げ、分からない……と小さく応えた。

零「……俺は石動零。昨日お前をここへ運んできた」

少年「いするぎ、れい……」

零「……お前の名前は?」

少年「……な、まえ……僕の、なまえは………」

……瞬間、ズキリ、と少年の頭に割れるような痛みが走る。

少年「っ……わ、からない……なにも、おもいだせない………っ……あたま、いたい………っ………」

零「お前……まさか記憶がないのか……?」

伊吹丸『ふむ。所謂記憶喪失というものか』

突然姿を現した伊吹丸に、少年がびくり、と身を竦ませ、怯えたような瞳で伊吹丸を見遣る。

少年「っ……だれ……?」

零「心配ない。こいつは伊吹丸。俺の連れだ」

少年「……」

伊吹丸の角をじっと見ている少年。

そんな彼に、伊吹丸は優しく微笑む。


伊吹丸『……この角が気になるか?我は鬼だ。ヒトではない。だが安心するがいい童よ。主に危害は加えん。勿論、ここにいる零もな。今は、無理をせず緩りと休め。然らば傷も良くなろう』

そう言って伊吹丸は少年の目を覆うようにして優しく彼の顔に手を翳した。

少年は心地良い眠気に目を閉じる。

眠りに落ちる瞬間、少年の手が零の服の裾をきゅっと掴んだ。

零「───、」

しかし、すぐに聴こえてきた規則正しい寝息と同時にその手は力を失い、ぱたり、と落ちる。


伊吹丸『眠ったか……。……さて、零よ。この童の正体だが、お前には分かったか?』

零「……いや、半妖怪だってことは分かるが、それ以外は視えねえ」

零は少年の手をそっと取り、冷えぬよう布団に戻してやる。

伊吹丸『……うむ。どうやら半妖怪といえど人間の血の方が濃いらしい。そのせいもあるやもしれぬが、今一つ腑に落ちぬ……霧がかかったようとでも言おうか……まるで何か見えぬ壁に邪魔をされているようだ』

零「……お前でも分からねえ事があるんだな……そういや、こいつ、半妖怪って自覚はあるのか……?」

伊吹丸『……己の名すら覚えが無いようでは恐らく自覚も無いのかもしれぬな』

零「………」

零は眠っている少年の顔を暫し見つめた。

零(悪い夢は見てねえみたいだな……)

少年の安らかな寝顔を見てどこか安堵した自分に、僅かながら内心で困惑し、葛藤する。

(亡骸を弔いながら俺は誓った。必ず復讐し皆の無念を晴らすと、その誓いを果たすまで俺は絶対に止まらない。歯向かう妖怪は容赦なく倒す一片の慈悲もなく一瞬のためらいもなく─────!!)

鬼太郎にそう言い放ったかつての自分は「妖怪は殲滅すべき悪だ」という己の価値観へ痛ましいまでに齧り付いていた妄執の化身と言っても過言ではない。

それがなぜ、他人に頭を下げてまでなんの関わりもない、しかも半妖怪である子供を助けようと思ったのか。
玉藻の前を斃したからか……?

否。

自分は全てを認めた訳ではない。

妖怪と人間、双方に抱く思い、いつか見つけると決めたその答えすら、まだ見つかってはいないのだから。

ならば、なぜ、自分は───────、


伊吹丸『零。どうした。……お前、昨夜はこの童に付き切りで寝ていないのだろう』

零「……別に、一晩寝なくても問題は……」

伊吹丸『ならぬ。休める時には休んでおかねば、いざという時に動けぬぞ。ここは我が引き受けた。お前は疾く休むがいい』

威厳のある声と圧のある瞳で、否応なしに言い切られ、零は一瞬、言葉に詰まる。

零「分かった……了解だ。こいつの薬と新しい包帯を貰って来たら休む」

伊吹丸『まことだな?』

零「ああ。本当だ。嘘はつかねえよ。……行ってくる」

そう言って立ち上がり、出入り口まで歩いた零が扉を開け、部屋を退室する。


伊吹丸『……変わることを恐れるのは今までの己を否定し、自分が自分ではなくなる恐怖からに他ならん……さて、それらを完全に拒絶してしまうか、抗うか………世は移ろい行くもの……我も変わらねばならないのだろうな……のう、ちはや………』

呟かれた言葉は誰にも聞かれることはなく、周囲の静けさに吸い込まれて消えた。

零は、長い廊下を歩きながら眉間に皺を寄せ、考え込む。
零(……何考えてるんだ……俺は………あんな半妖怪のガキなんかどうでもいい筈なのに……それに、あいつがもし悪だったなら…………)

零は立ち止まり、自分の掌を見つめる。

零(……悪……悪とはなんだ……それはどうやって決める……何をもって決め付ければいい……)

苦悶に満ちた表情で広げた掌を握り締める。

零(ちくしょう……こんなことで悩むなんてどうかしてる……!おかしくなっちまったのか俺は……!)



ああ……でも、それでも、あいつの手は、確かに─────、


仲居「あら、石動様。こんな所でどうされたんですか?何か御用でしょうか?」

声をかけられ、はっと我にかえる。

零「……あんたは……」

仲居「妖怪を退治してくださってありがとうございます。これでまた安心して仕事ができるってもんですよ」

そう言って、初日、零に妖怪の噂を教えてくれた中居、木城あやめはからからと笑った。

零「……悪いが新しい包帯と薬を頼みたい。それから新しい浴衣とタオルも頼む」

あやめ「ああ、昨日お連れになったあの方のですね。分かりました。お具合、いかがですか?」

嫌な顔一つすることなく笑顔で了解し、こちらの心配までしているあやめに、昨日の村人達の態度から、良い反応など期待していなかった零は若干面食らう。
しかし彼女の表情や瞳に嘘偽りはない。

零「……ああ、昨晩は熱があったが今はもう大丈夫だ」

あやめ「よかった……!ひどい怪我だったから心配していましたけど、安心しました……!」

安堵の表情を見せるあやめに、零が尋ねる。

零「……あんたは他の村人とは違うんだな。妖怪が憎くないのか?」

あやめ「あたしは外から働きに来てる人間ですから、この村の人じゃないんですよ。大きな声じゃ言えませんが、妖怪に対してそこまで特別憎む感情はないんです」

零「……そうなのか。噂や事実を聞いて怖いとは思わないのか……?」

あやめは一時考え込み、ややあって、再び快活な笑顔を見せた。

あやめ「そりゃあ、そんなのがほんとにいたんだーってゾッとはしましたけど、石動様が退治してくださったんですからもう怖さも吹き飛びました!」

そう言ったあやめは暫しの後、笑顔を少しだけ引っ込めると、薄化粧の顔に同じく少しだけ寂しさを滲ませた。

あやめ「……でもね、石動様、あたし、この村が好きでした。都会でやってけなかったあたしを受け入れて、擦れたあたしに笑顔をくれた人達………そんな人達が生き延びるためとはいえ、あんなことをしていたのが事実だったなんて、少しだけ、いや、ちょっと……うん、かなり悲しい……かな」

零「……。……この村が嫌いになったか……?」

零の問いにあやめは泣きそうな顔で笑い、やがて静かに首を横に振った。

あやめ「いいえ……あれから一晩寝ずに考えました。だけど、あたしはどうしても、この村を完全には嫌いになれなかった……何が悪くて、何が正しいかなんて、きっと一筋縄ではいかなくて、正直、まだはっきり分からない事の方が多いです」

零「………」

あやめ「……あたし、もう少ししたらこの村に移住しようと思ってるんです。余所者のあたしには大した力なんてないかもしれませんが、自分を含めて少しでも何かを変えていけるなら頑張ってみようって。ここで私なりの答えを見つけていく為に」

彼女はそう言うと照れたようにポニーテールの頭を掻いた。

あやめ「な、なぁんて……やっぱり無理ですよね。あたしなんかが……」

零「……いや、あんたならきっといつか、この閉め切った村に風穴を開ける新しい風になれるだろうよ。……まぁ、精々頑張るこったな」

あやめ「はい!ありがとうございます!石動様!」

零「それと、様はいらねぇ。あんたにまでそう呼ばれると痒くて仕方ねえんだよ」

零はそう言ってそっぽを向いた。

あやめ「ありがとうございます!石動……さん!包帯やお薬、すぐに持ってきますね!」

あやめは嬉しそうに礼を言って頭を下げると、廊下を足早に歩いていった。

そんな彼女の背中を見つめ、零は一人呟く。

零「……自分なりの答え……か………」

縁側から空を眺め、眩しさに目を細めた。

春の紺碧を斑にしている白い雲が明るく、まばゆく、うごいている。

清冽な風が、どこからかかすかに吹いているのを感じた。


─────
───
──

……ちゃん………

……兄ちゃん………

………零兄ちゃん─────、


サヤ「零兄ちゃんってば!!」

零「うわあ!!」

耳元で叫ばれ、零は慌てて飛び起きる。

サヤ「もう、零兄ちゃんったら何度呼んでも起きないんだもん。休憩時間、もう終わるよ」

零「……なんだよサヤ……もう少し優しく起こしてくれよ……」

緩慢な動作で起き上がり、ぶすくれる零に、サヤは半眼で腰に手を当てる。

サヤ「一人前の鬼道衆になるんでしょー。甘えは許しません」

零「……ちぇ……師匠みたいなこと言いやがって……」

サヤ「ほら、早く行かないと師匠に怒られるよ!」

零「……分かったよ。今行くって」

サヤ「先に行ってるねー!」

走り出したサヤの背をぼうっと見送りながら、零は真上に茂る大樹の葉を見上げた。

梢の網の目をくぐって、陽射しがキラキラと目を射る。

零(なんだ……全部夢だったんだ……)

ほっと安堵した表情で笑い、遠ざかるサヤを見遣る。

零「……全部……夢………」
「夢なわけ無いでしょう」

背後から伸びた白い腕が零を抱き寄せ、瞬間、ケヤキの枝先が、警告を与える古老の指のようにひからびた音を立てて震えた。

玉藻の前「忘れないで。貴方の罪を」

零「ッ……お前はッ……!!」

玉藻の前「思い出しなさい」

妖艶に笑んだ玉藻の前が前を指差す。

サヤの背が遠くなる。

零「ッ……行くなッ………行くな!!サヤ!!」

玉藻の前「貴方は守れなかった」

零は手を伸ばし、必死で藻掻くが、玉藻の前の腕は細腕であるのにまるで鉛のように重く、びくともしない。

玉藻の前「……予言するわ。貴方はまた必ず繰り返す……」

零「クソッ……!!離せ!!」

零の目の前で青くたなびいていた草原が炎に包まれ、サヤが見えなくなる。

次いで聴こえたのは、

……断末魔の悲鳴。

零「サヤぁああああ!!」



玉藻の前「貴方の罪は誓いを忘れたことよ」


ばっと目を開ける。

凶夢の名残りに、心臓が波打ち、肩が激しく上下する。

零「ハァッ……!ハッ……クソッ……なんでッ……今更────」
少年「れい、こわいゆめみた?」

近距離から聴こえた声にハッと顔を上げれば、自分の目の前、それこそ唇が触れそうな距離に、少年の顔があった。

零「ッ……!?なんッ……」

慌てて飛び退こうとすれば、柱に寄りかかって寝ていた自分の手の上に少年の手が重なっていることに気づき、次いで柱が邪魔で後退できない事にも気づく。

少年「ねぇ、れい、さみしい?こわい?かなしい?」

溢れ落ちそうなくらい大きな空色の瞳が零をじっと見つめる。

零「ッ……いいから離れろ!!」

零が少年の手を払い除ける。

少年「?……どうして?」

怒鳴る零に、少年が四つん這いのまま、臆することもなくきょとん、と小首を傾げた。
床まで広がった長い水色の髪がさらりと音を立てる。

零「どうしてもこうしてもあるかッ……!!大体なんでお前動いてるんだよ!伊吹丸はどうした!」

少年「いぶきまる、そといった。けっかいはるからおとなしくしてろって」

零「ッ……あいつッ……何が任せろだッ……いや、それよりいい加減離れ────」

次の瞬間、少年の舌が零の頬をぺろりと舐めた。

零「…………」

あまりの事にビシリ、と固まる零。

少年「れい、ないてる。かなしいあじするよ」

零「ッ………」

次いで真っ赤になり、わなわなと震える。

少年「れい、なかないで」

零の頬に手を伸ばした少年の手首を掴む。

零「ッ……泣いてない。……俺に、触るな」

掴んだ手首のあまりの細さに一瞬、はっとするが、そのまま、手を引き、立ち上がる。

零「……来い」

続きの間にある少年の布団の側まで彼の手を引いて歩み、溜息を吐く。

零「……寝ろ。俺は、伊吹丸を呼びに行く。あいつが来たら包帯を取り替えるからそれまで大人しくしてろ。いいか。今度抜け出したら容赦なく布団に転がすからな」

少年「うん。わかった。おとなしくしてる」

少年はこくりと頷くと素直に布団に入った。

それを見届け、零は部屋の扉に手をかける。

少年「れい」

零「……何だ」

振り返った零に、少年は口まで掛け布団を被ったまま、大きな瞳を瞬かせ、小さく言った。

少年「……いってらっしゃい」

零「………」

それに応えることなく扉を閉める。


……古びているが磨かれた廊下を歩く自分の足音がやけに大きく聞こえる。

どうやら他の客はおらず、小さな民宿故か、泊まりは零達だけらしい。

零「ああクソッ……!何だってんだ一体ッ……」

立ち止まり、頬に触れる。

───れい、ないてる。かなしいあじするよ───

零「………」

───予言するわ。貴方はまた必ず繰り返す───

───貴方の罪は誓いを忘れたことよ───

零「……ハッ……馬鹿馬鹿しい……!」

………俺には、もう守るものなんて無い。

………あのガキも、村を出たら放り出せばいいだけの話だ。

後はどうなろうが、知ったことか。


(れい……いってらっしゃい……)


零「……チッ……!」

舌打ちをして再び歩き出す。

なにも、残らなくていい。

そうだ。

そう望んだ。

今までも、これからも。

それでいい。

それで、いいんだ─────。


……ややあって中庭に伊吹丸の後ろ姿を見つけ、縁側に面した廊下から声をかけようとして止まる。

伊吹丸『隠』

伊吹丸の足下の陣から巨大な赤い壁のようなものがせり上がり、民宿全体を覆っていく。

零「……結界か」

零の声に振り返る伊吹丸。

伊吹丸『零か。よく休めたか?』

零「ああ……寝覚めは最悪だったがな。それよりこの結界はあのガキの為……いや、それだけじゃない。村や民宿の人間の為でもある……か」

伊吹丸『……そうだ。あれは物の怪を引き寄せる。放っておけば格好の餌になろう。即ち無関係な人間にも害が及ぶ。それを防ぐ為の結界だ。人間には見えぬし、こうしておけば他の妖怪に気付かれる事も無い』

零「……そういやあいつに近づかれた時に匂いがしたな………」

……匂い。

それも花の蜜のような甘ったるい匂い。

なるほど、あれが妖怪を引き寄せる匂いかと納得した零に、伊吹丸が怪訝な顔をする。

伊吹丸『……はて、人間のお前には余程近くで嗅がぬ限り匂いは分からぬ筈だが……』

零は先程、唇が触れそうな程近距離で接触し、更に頬を舐められたことを思い出し、一瞬カッと赤くなる。

零「ッ……気のせいだ!何でもねえ!ッ……そんな事よりあいつの包帯を取り替える。傷を診てくれ」

伊吹丸『……あい分かった。結界も張り終えた故、すぐに行こう』

縁側から上がる伊吹丸が零を見遣り、すれ違いざまに口を開いた。

伊吹丸『零。あの童の傷だが、傷口からは巴蛇の妖気はどれだけ見ても感じられん』

零「……つまり、巴蛇がシロなら他の妖怪って事か」

伊吹丸『……』

黙り込んだ伊吹丸に、今度は零が怪訝な顔をする。

零「……何だ。何かあるのか?」

伊吹丸『……いや、何もない。それより童が待っているだろう。早くゆくぞ』

ふいっと踵を返し、廊下を進む伊吹丸を若干慌てて追う零。

零「おい、待て。お前絶対何か隠してるだろ!おい!伊吹丸!」


雲の黒い影が幾つも頭上を横切っていく。

それが警告であるかのように。

無風の静けさを破って強い突風が吹き上げ、木々の枝が揺れる。

手にすれば忽ち壊れそうな薄い脆い花の花弁が風に舞い散り、遠く高い空の果てから、生暖かい風の響きが悲しげに燈多き街の方へと走って行った。
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