警鐘
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(石田視点)
羽生蛇村へ配属になって三年、始めは田舎の暮らしに上手く馴染む事ができるのか不安だったが、今は村民から頼られる事も多くなり自分の中で自信という物が根付き始めた、だが羽生蛇村の特殊な信仰は今でも時々戸惑ってしまう事もある、正直な所上司の手助けがなければ折角獲得し始めた村民からの信頼が壊れてしまう様な場面がいくつかあった
いつか、そう遠く無い未来に都会や地方の駐在所に異動しても良いとは思うが、今はまだこの羽生蛇村の、のんびりとした雰囲気を楽しみたいと思っている、それに村の事だけでは無い、俺がこの羽生蛇村に居続けたいと思う理由は
「ナマエさん‼︎こんにちは」
「あ、石田さん、こんにちはぁ、今日は暑いですね」
ナマエさん、この人が居るからだ、星の綺麗な夜空を連想させる様な黒く、それでいて艶やかな髪の毛に、この強い日差しを感じさせない真っ白な肌、整った顔立ち、俺とは違う綺麗な瞳……暑さで顔を歪ませているのにも関わらずナマエさんの美しさに目が奪われてしまう、この人が居るから俺はこの羽生蛇村に居続ける事ができるのだと言っても過言では無い
俺はこの人が好きだ
「もう八月になりますからねぇ、熱中症には十分気を付けてくださいね」
「あっと言う間に夏ですね、ちょっとビックリしています……熱中症、石田さんも気を付けてくださいね」
「俺もビックリしてます、ナマエさん、今からどちらへ行くんですか?」
ドキドキと早鐘の様に脈打つ心臓を必死に隠しながらいつもの様に平静を装って他愛のない話をする、なんて事ない普通の会話だが、俺にとってはとても大切な時間になっている、きっと今の事を俺は駐在所に戻っても、帰宅しても思い出してはニヤニヤと口角を上げてしまうのだろう
叶う事ならこんな穏やかな時間が永遠に続いて欲しい、しかし幸せな時間はそう長く続かない事を俺は知っている
「今から求導師様の所へ……ちょっと相談事が……」
ほら、今だって、あんなに穏やかな気持ちになっていた俺の心は、ナマエさんが発したその一言で簡単にドス黒い感情に満たされてしまった、ナマエさんの口から発せられた"求導師様"と言う単語に俺は惨めにも過剰に反応して、まだ自分の気持ちすら伝えていないのに勝手に嫉妬心で心を汚している、いっその事自分の気持ちを伝える事ができたらなんて良いのだろう
しかし、返事が分かり切っている事を聞くのは流石に耐えれない、俺はナマエさんが好きだ、好きだからこそ彼女が自分の好きな物を前にした時どんな反応をするのか知っている、それが例え言葉や単語だけだったとしても……
ナマエさんは"相談事"と言っていたがそれが嘘だという事は既に分かり切っている、ナマエさんは求導師様の事が好きなのだ、おそらく相談なんてただの建前で、本当はただただ求導師様に会いに行く為の口実だ
「そうですか、暑いので気を付けてくださいね」
「はい、失礼します」
ドロドロとした薄暗い感情を押し隠しながら、俺はナマエさんに貼り付けた笑顔を向ける、しかしナマエさんは貼り付けた笑顔の違和感に気付く事はなくいつもの様にニコッと微笑み俺に会釈して歩き出した、自身の想い人、求導師様の元へ向かう為……
「……ナマエさん」
気が付けば咄嗟にナマエさんを呼び止めていた、そんな行動に驚いているのは自分自身だ、呼び止めるつもりなんてなかった、ただ、ここから離れて欲しくない、俺から離れて欲しくない、そんな幼稚な独占欲が引き起こした行動だ
「はい?どうしました?」
まさか俺がこのタイミングで引き止めると思っていなかったのだろう、キョトンとした表情でこちらを見つめるナマエさんの無垢な表情に思わず心臓が高鳴ってしまう
だが、咄嗟に出た言葉に対してすぐに違和感のない言い訳が思い浮かぶ訳もなく、俺は静かに口を噤んでしまった
「…………いえ、求導師様によろしく伝えといてください」
「では、石田さん失礼します」
ニッコリといつものような笑顔を浮かべて俺はナマエさんを見送った、呼び止める事はできてもその理由をいつまでも言えない自分はなんて情けないのだろうかと、求導師様の元へと向かうナマエさんの背中を見ながら俺は静かに溜め息をついた
警察帽子のつばをクイッと引き下げ傍に置いていた自転車に跨り交番へと戻る事にした
「はぁ……ナマエさん今日も可愛かったなぁ……」
交番に設置されている簡素なデスクに頬杖をつきながら座り先程の出来事を反芻する、夏特有の青い空と眩しい日差しを物ともせず光り輝くような艶やかな黒髪、まるで白磁のような透き通った真っ白な肌、この世の汚れを知らないような純粋さを持った綺麗な瞳……いくら恋をしていてフィルターがかかっているとしてもナマエさんは本当に素敵な女性だと思う
こんな俺にも分け隔てなく接してくれてこの羽生蛇村でもとっつきやすい性格をしているし、なにより話している時の声が鈴を転がしているかのように可憐で美しい
あんなに素敵で美しい女性、もう他に会えないかもしれないのに俺はいつまでも少し離れた距離から見ることしか出来ない、漫画やドラマのように愛を伝えることも、求導師様の様にナマエさんから特別な感情を向けられる事もない……
「どうして、俺じゃないんだろう」
求導師様の元に行くと言っていたナマエさんの表情がフラッシュバックした、あの白磁の肌が首から耳にかけてほんのりと暑さのせいとはまた違う赤色に染まる瞬間、どこか悩ましげな瞳、行き場をなくしたかの様に忙しなく動く指先……あぁ、どこを切り取ってもナマエさんが恋に落ちている事を決定付けてしまう
その相手があの求導師様だなんて、どうして、俺の方がきっとナマエさんの事をよく見ている、相談事だと言って口実を作らないと会いにいけない程他人行儀な求導師様よりも俺の方がきっとナマエさんの好意に早く気付いて堂々とこの村で関係を作る事ができる、俺の方が幸せにしてあげられる
溢れ出した醜い感情はドロドロとしていて、熱を帯びていた、それがポタポタとデスクの上に落ちる音がどこか遠くに聞こえていた、頭がボーッとする、視界がチカチカと眩しくて目を細めれば天井に天使様の様な光り輝く何かが見えた
「どうして……ど、う……どうして、……」
上手く言葉が出てこない、ただただ嫉妬と言う醜い感情が溢れて止まらない、どうしてどうしてと頭の中がその単語で埋め尽くされる、頭?あぁ、頭が上手く働かない
「ナマエさん……迎えに、行かないと……」
とにかくこの素晴らしい世界の中でナマエさんと一緒に過ごしたいと、俺はそう思って公務を中止して交番を出た、村はいつもよりも真っ暗で、あぁそう言えば神代家が何かやると言っていたなとどこか遠くでそう思った
いつも自転車で行く道を歩いて進む、途中不審な人物を見かけて追いかけたがそこからの記憶が曖昧だ、ただ大きなサイレンの音が聞こえた瞬間に俺は完全に理解した、"この世界をナマエさんと共有すればきっと彼女は振り向いてくれる、そのために彼女の体内から血液を抜かないといけない"と
どのくらい歩いただろうか、もうあまり時間の流れが分からなくて今が夜なのか昼なのかも分からない、ナマエさんと会ってから何日経ったのだろうか、それとも日にちなんて経ってないのだろうか、ただ一つ確かなのはナマエさんがすぐ近くにいて、あの求導師様もナマエさんの傍にいるのだと言う事だ
「ナマエさん、から……離れろ」
手にしていた拳銃を二人に向ける、どちらを撃つべきか迷ったがまずはナマエさんにこの世界を共有しないといけないので、ナマエさんに照準を合わせた
「い、石田さん……?」
「ナマエさん危ないっ‼︎」
驚いた表情のナマエさんが銃の向こうに見えた瞬間、求導師様の劈く様な声が響いた、しかし求導師様は叫ぶだけでナマエさんを庇う様なことはしない、むしろそれは好都合だった、これでナマエさんだけを狙ってこちら側に引き込める
俺は迷わず拳銃の引き金を引いたが、上手く身体が動かず弾はあらぬ方向へと向かって行ってしまった、だが発砲音は周辺に響き渡りその音を聞いただけで求導師様はビクッと肩を揺らした
俺の正面にいるナマエさんは驚いた表情をこちらに向けたまま動けずにいる様だった、ナマエさんは意外と怖がりなのかもしれない、俺の放った拳銃の発砲音が恐ろしかったのかな、ごめんねでもこれは二人にとって必要な事だから、少し我慢してね
「そんなっ、石田さんが……!」
「ナマエさんすぐにここから離れましょう!」
驚いて動けずにいるナマエさんの手を求導師様が握った、それを見た瞬間自分の喉から出した事ない声が発せられた、あぁ嫉妬で頭がおかしくなりそうだ、ナマエさんの手を求導師様が握って良い筈がない
二人はそのまま俺から離れて行ってしまったが逃げた方向はしっかり分かっている、拳銃を構えたまま二人を追いかけて走る、建物の角を曲がったのが見えてすぐに俺も同じ様に角を曲がった瞬間、全身に強い衝撃を感じた
「い、痛い、っ……ナマエ……さん」
角を曲がった先には求導師様を守る様に立ちはだかりシャベルをこちらに向けて振り下ろすナマエさんの姿があった、思わず声を発するがナマエさんは聞こえていないかの様に何度も何度も振り上げてはそれを俺に向かって振り下ろしていた
何度目かの衝撃で目が眩み、俺は銃を持ったままその場にうずくまった
「ごめんなさい石田さん、ごめんなさいっ……」
泣きそうな声で謝るナマエさんの声がどこか遠くで聞こえた、あぁ泣かないでナマエさん、君には笑顔が一番似合うからずっと笑っていて欲しいんだ
「はー、はぁっ」
「ナマエさんやりましたね!これでもう……」
ナマエさんの荒い息遣いが聞こえた後、求導師様の嬉しそうな声が聞こえた、その瞬間またしても俺の中の醜い感情が溢れて止まらなくなった、俺が今ここで二人を逃したらきっと二人はどこまでも二人一緒にいるだろう、俺がやりたかった事をこの求導師様は何も苦労をせずに享受するのだ、そんな事許せる筈がなかった
気が付けば体の痛みが消えて俺の頭の中は嫉妬でいっぱいになっていた、その衝動に任せて俺は銃を構えて引き金を引いた、何度も何度も、目の前のナマエさんに向けて、数発撃って弾が切れた、だが目の前のナマエさんの腹部や胸から赤い赤い血が流れ落ちるのを俺は確かに見た
「…………えっ」
ナマエさんは驚いた様な呆気に取られた様な声を漏らしてその場に崩れ落ちた、俺はそれを受け止めて彼女が地面に当たらない様にする、ダラリと垂れ下がった腕はやはり白磁の様に真っ白で美しい
「一緒、一緒、……ずっと、一緒に」
思いがけずナマエさんを抱きしめる格好になってしまってほんの少し恥ずかしかったが今はそんなことよりも彼女の中から血を流す事ができて多幸感に満ち溢れていた、時期に俺と同じ赤い水が彼女の体に入るだろう、そうすれば俺達はようやく同じ世界を共有できる
誰にも邪魔されず、二人一緒にいられると言う未来に俺は喜びながらナマエさんの背中に手を回した、俺の手にはベッタリと彼女の血が付いたが今はそんな事どうでも良かった
「う、うわああああああっ‼︎」
求導師様が叫び声を上げてどこかに向かって走って行ってしまった、だが俺にはその叫び声がこの結末を祝福しているかの様に聞こえて心地良かった、目を瞑り彼女の体温を感じてみる、体はまだ暖かいのにトクントクンッと確かに俺の胸に届いていた鼓動がもう聞こえない
「ナマエ、さん……ずっと……一緒」
愛おしくてたまらなくて、俺は彼女を強く抱きしめた、早く、早く俺と同じになって一緒にあの日の続きの様に話をしたい、沢山沢山、永遠じゃ足りないくらいの話を
「大好きですよ」
冷たくなり始めた彼女に向かって俺はそう囁いた
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