警鐘
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※とある曲をイメージし作成した物です
※原曲様とは一切関わりはありません
沖田二曹が亡くなった
八月の物資輸送訓練の事故の被害者として私が慕っていた沖田二曹は遺体も見つからないまま、自室の荷物をそのまま残した状態で、この世の中から居なくなってしまった、事故で亡くなった人達の葬式を執り行い焼香をあげてる最中でも、私は沖田二曹がフラッと帰って来る場面を想像してしまって、まるで夢の中にでもいるかの様な感覚が拭い切れなかった、あの笑顔が忘れられない、あの優しい声が忘れられない、いや……忘れたくないと言った方が正しいだろう
私は沖田二曹の事が好きだった
その好意はただの一方通行の物だと言う事は重々承知だ、私みたいな人間が沖田二曹の目に留まる事はない、それでも良かった、沖田二曹の近くに居れるだけで私は満足だった、自分のこの気持ちは伝えないと随分前に決めたはずなのに、私は自分の気持ちを伝えなかった事を後悔している
空の棺桶が荼毘に付される煙を眺める、遺体がないのならわざわざ棺桶を用意しなくても良いのではないかと否定の声が上がったが、遺族の気持ちの整理には必要だった、私の気持ちもこの煙を見れば整理できると思っていたが現実感が全くない
自分が思っている以上に私が沖田二曹に抱く感情は複雑なのかもしれない
「あったあった……」
沖田二曹の葬式が終わり何日か経ったある日、私は自室の押し入れに上半身を入れてある物を探していた、記憶通りの場所にあった"それ"を手に取ると表面に薄ら積もった埃を指で払い落とす、懐かしさから思わず笑みが溢れてしまう
「全然触ってないけど、大丈夫かな?」
色んな方向から"それ"を眺め壊れている箇所がないかなど確認をする、一通り確認したところ問題なさそうだ、ボディにあたる部分を手で包み込みテーブルの上に飾っていた花に"それ"を向けた、人差し指で上部のボタンを押すとカシャッと乾いた音と共に眩しいフラッシュが焚かれた
「うわっと……フラッシュ機能はオフにしておこう……」
フラッシュの事を全く気にしていなかったので思わず驚いてしまうがボディ部分にある液晶画面には先程撮った写真が綺麗に表示されている、そう、私が探していたのはカメラだ、以前普段目にする風景や旅行先での綺麗な景色を綺麗に残して置きたくて衝動買いした物だが一、二年だけ触って満足してタンスの肥しにしていた、全く手入れなどしていないのだが特に問題はなさそうで安堵する
思い返せばこのカメラに夢中になっていた時、沖田二曹と他愛のない話をした思い出がある、どんな事を話していたのかは、あまりにも穏やかな日常過ぎて忘れてしまった、沖田二曹が亡くなってしまうなんて、この世から居なくなってしまうなんて考えた事もなかったので沖田二曹と他愛のない話なんていつでもできると思っていたから忘れないようにしようとも思わなかった
今となっては好意を抱いていた人との会話を忘れてしまうなんて、なんて馬鹿なのだろうと思わず自嘲的な笑みを浮かべてしまうが、だからこそ、私はこのカメラを探したのだ、今自分が覚えている沖田二曹との思い出をこれ以上忘れないように、いつまでも覚えていられるように、私は沖田二曹との思い出の場所を写真に収める事にした
「……とは言っても、ほとんどがこの駐屯地の写真になりそうだけど……」
思わずそう苦笑いしてしまうのも仕方ないだろう、私と沖田二曹は特別な関係だったわけではないのだ、二人っきりでどこかへ旅行に行ったりなどは当然していないし、何度か食事はしたが全て宴会だったり班全体の飲み会だったりと当たり障りのない理由の物な上、わざわざ写真に残そうとは思わない景色ばかりだ
しかし、この行為は私の中で"沖田二曹の死"を受け入れるために必要な事なのだと私は考えていた
「ここはいつも沖田二曹にジュースを奢ってもらっていた場所でぇす」
ビデオ機能が付いているわけでもないのにそう言いながら誰も居ない休憩室の写真を撮った、中心に写したのは紙パックのジュースや缶コーヒーなどの種類が豊富な自動販売機、沖田二曹はこの自動販売機で私の分の飲み物を買ってくれた事が何度かあった、数枚の硬貨で買えてしまう安価な物だが、私にとってそれはどんな高価な飲み物よりも大切に思えた、ピンぼけなどせず思っていた通りの構図で撮れた自動販売機の頭部よりも少し低めの位置に思わず目をやる
沖田二曹の背丈を思い浮かべながら私は気付いたらシャッターボタンを押していた、軽い音と共に保存された写真には当然沖田二曹の姿はない、しかしいつも沖田二曹と話している時に見上げていた角度で撮る事ができたその写真を眺めていると不思議と落ち着く気持ちになれた
いつも人当たりの良い笑顔を向けて飲み物を奢ってくれた優しい先輩、頼りになる上司、そして私の好きな人……
「こんな事なら……やっぱり気持ちを伝えておくんだった」
写真を眺めながら思わずそう呟くが休憩室には誰も居ない、物資輸送訓練での事故が影響して駐屯地全体が喪に服している状態なのが主な理由でもあるだろう
いつもなら上官の愚痴や仕事の愚痴、世間話などで活気溢れている休憩室は今は見る影もない、静まり返っている休憩室を背に私は次の場所に向かって歩き出した
次に撮したのは沖田二曹が乗っていたバイクだ、沖田二曹は事故が起こる当日もこのバイクに乗って駐屯地に来ていた、その関係で沖田二曹の相棒の一つであるこのバイクは駐屯地の駐車場にポツンと置かれたままだ、遺族が引き取りに来るのかは分からないが私は静かにカメラを向けてシャッターを押す
持ち主を待ち続けているバイクからは哀愁にも似た雰囲気を纏っていて、どこか寂しそうな写真となった
「沖田二曹っていつからバイクに乗ってたんだろう」
バイクの写真を眺めながら次の場所を考える、沖田二曹の影を追っているので当然の事だが場所を決めるのには沖田二曹を思い出さないといけない、故人を思い浮かべると心の奥底がズンッと重くなる感覚に陥る、それは私がいまだに心の整理を終えていないからもあるだろうが、いくら思い出してももう二度と会えないと言う事実の重さから来る物もあるだろう
人が死ぬと言うものは簡単な事に見えて実は複雑な事のように思える、今までその人のためにあった物が一瞬にして意味のない物に変わり、遺品のほとんどはその人の意思とは無関係に遺族によって処理されていく
沖田二曹の遺品も同じように処理されるのだと思っていた
「おーい、ナマエ」
「?どうしました?」
次の被写体を探していると上官がこちらに向かって手を振って呼んできた、今日は非番なので上官に呼ばれるような事は緊急事態以外にはあまりないと思うが上官の表情はそういったものではなく首を傾げてしまう
「悪いな非番なのに、この間の事故の……沖田二曹の事なんだが」
「いえ……沖田二曹ですか?」
申し訳なさそうにこちらを見る上官の目元には薄らとクマがあった、この人は墜落事故の被害者の一人である三沢三佐と仲が良かったと聞いた事がある、きっと私と同じように心の整理がまだできていないのだろう
そんな上官の口から発せられた沖田二曹の名前に私はますます首を傾げてしまう、少なくとも私は自分の気持ちについて周りの人に話した事や相談した事は無い、なんならこのまま墓場まで持って行くつもりだった、なのになぜこの上官は私に対して沖田二曹の事を話すのだろうか
「あぁ、遺族の方が遺品整理をしているみたいなんだが、その中にお前宛の物があったんだ」
上官の言葉に私は思わず目を見開いてしまった、沖田二曹の遺品整理が既に行われている事は知っていたが、まさかその中に私に宛てた物があるとは思わなかった、それどころか沖田二曹が私の事を気にかけていたなんて思ってもみなかった
「どう言う事ですか……?」
「……これなんだが」
驚いている私に上官は封筒を手渡した、真っ白な封筒の裏面には"ナマエへ"と確かに私の名前が書かれていた、ご遺族が開けたのだろう一度剥がされた小さな花の形をしたシールを再び剥がし中身を確認する
「……ッ!!」
中身は美術館で行われている展覧会のチケットだった
ただの展覧会ではない、私が以前沖田二曹と他愛の無い話をした時に話題に出た展覧会だ、涙で揺れる視界と共に当時の記憶が鮮明に思い出される
「沖田二曹、お疲れ様です」
「お、ナマエかお疲れ様」
その日はいつもと同じようななんて事は無い日で、たまたま休憩室で沖田二曹を見かけて強く脈打つ心臓を抑えながら声をかけた、沖田二曹は休憩室で珍しくタバコを吸っていて、私を見るとすぐにタバコの火を消した、沖田二曹はそう言う人だった
「あ……タバコすみません……」
「ん?いや良いよ、久しぶりに吸ってたけどやっぱり肺に悪いし、服に匂いが付くしな」
タバコの事を謝ると沖田二曹は柔らかく笑ってそう言った、私が気を遣わないようにそう言ったのは分かっているが、私はそんな沖田二曹の優しい気遣いにいつも救われていた
タバコのお詫びとして自動販売機で普段買わないココアを買い沖田二曹に渡すとお礼を言いながらそれを受け取った、自然な流れで沖田二曹の隣に立ち私も一口お茶を飲んだが緊張からあまり味がしなかった
「ナマエは今休憩?」
「はい、沖田二曹は……もしかしてお休みですか?」
「うん、そうだよ、久しぶりに何も無い日」
「八月の物資輸送訓練に備えて最近忙しそうでしたからね……ゆっくり休んでください」
普段あまり見ないラフな格好をしている沖田二曹はヘラリと力なく笑う、物資輸送訓練に備えて普段よりもバタついているのを知っていたので労いの言葉を送ると沖田二曹はココアを飲みながら頷く
この時はまさかこの物資輸送訓練が原因で沖田二曹と二度と会えなくなるなんて思わなかった、知っていたら私はヘリを壊してでも止めただろう、だが過ぎ去った時間は帰ってこない、現実は非情だ
「ゆっくりしたいけどなぁ……俺は休みの日でもなんだかんだ色々やっちゃうタイプだからなぁ……」
困ったように笑う沖田二曹のこの言葉が私を動かしたのを覚えている
「じゃ……じゃあ今度、一緒にこの展覧会行きませんか?」
緊張から少し声が裏返っていたが沖田二曹にはしっかりと届いていた、驚いた様に目を見開いて私を見つめている沖田二曹の視線に耐えきれず、ポケットに入れていた携帯を取り出して駐屯地の近くにある美術館のホームページを開く
「い、今こんな展覧会やってて……美術館って結構ゆっくりするのにオススメなんです!!……私いつも一人で行く事が多いので、沖田二曹が良ければ一緒に…………その……」
画面を見せながら早口でそう伝える、あくまでも沖田二曹には自分の気持ちを悟られないように今思い返せば苦しい言い訳をしていたと思う
しかし途中で恥ずかしさが勝ってしまって言葉を詰まらせてしまった、きっと顔が真っ赤だっただろう、そんな情けない私に沖田二曹はいつものような柔らかい笑みを浮かべていた
「じゃあ今度休みが合ったら一緒に行こうか」
そうだ、沖田二曹が亡くなってしまった衝撃から忘れてしまっていたが確かに沖田二曹は私にそう言ってくれていた、折角あの沖田二曹が私と"一緒に"行こうと言ってくれたのに
あんなにも嬉しかった事なのにどうして忘れていたのだろう
「う……ぅ……ッおき…………沖田二曹……ッ」
気が付けば私は大粒の涙を流しながらその場にしゃがみ込んでいた、力を込めると大切なチケットにシワがついてしまうので気を付けながら、私はひたすら涙を流していた、忘れていたのでは無い、思い出したくなかったのだ、沖田二曹はもう居ないのだから
泣いている私の背中におずおずとした手付きで上官が手を当てた、この手が沖田二曹の物だったらどれだけ良かっただろう、そう思うと私はまた涙が溢れ出てきた
沖田二曹は本当はどのような場面で私にこれを渡すつもりだったのだろうか、なんと言って渡してくれたのだろうか、どんな表情で……どんな声で……いくら問いかけても答えは分からない、沖田二曹はこの世に居ないのだから、もう二度と会えないのだから、人が亡くなるというのはそういう事だ
「……沖田二曹、どうでしたか?静かな場所だったでしょう?」
あれから沖田二曹が遺したチケットで約束通り美術館の展覧会に足を踏み入れた、様々な美術品が並び、各々の感性でそれを眺めるこの場所はいつも通り静かな時間が流れていて、ゆったりとした時を過ごせる場所だ、展覧会で静かな時間を過ごした後、近くのベンチに腰掛けて沖田二曹に向けてそう呟いたが当然返事は返ってこない
寂しくなりながらも先程見た美術品の数々を思い浮かべる、どれも感性が刺激されいつもと違う非日常感を味わう事が出来た、とある国の美術館の作品を集めた期間限定の展覧会だがまるで本当に海外旅行した気分になる程見応えもあった
そこでふと、今日の展覧会の目玉でもあるとある絵画の題名を使ったイタリアの愛の言葉を思い出した、"自分にとっての最愛の人"と言う意味を持つ言葉だが、わざわざその絵画を見に行かなくても私は既に最愛の人を知っている
とっくに出会っていた、気付いたら惹かれていた、そして暗闇に沈むようにあの人は、沖田二曹は居なくなってしまった
「……ッ……沖田二曹……どうして居なくなってしまったんですか……」
記憶の中だけに存在する沖田二曹に向かってそう呟いた、きっとこんな無理な問いかけをすると、沖田二曹はいつもみたいに困った様な笑顔をこちらに向けるのだ
なんと答えてくれるのかは分からないが、沖田二曹の事だ、きっとこちらが悲しむような酷い返事はしないだろう
気が付けば私は美術館に向かってカメラを向けていた、ゆっくりとシャッターを押す、今までは沖田二曹の影を追って写真を撮っていたが今は何故かこの美術館を写真に残しておきたくなった、軽い音が響きシャッターが切られる、その直後眩しい光が私の視界にチラついた
「ぅわ……!!」
思わず声を上げて目を瞑ってしまう、どうやらカメラのフラッシュが焚かれてしまったらしい、写真を撮り始めようとした時にフラッシュはオフに設定していた筈だが何故焚かれてしまったのだろうか、戸惑いながらもゆっくりと目を開けた時だった、ほんの一瞬、瞬きをする一瞬、沖田二曹の姿が見えた
「え……ッ!!」
目を大きく見開いて先程まで沖田二曹が見えた場所を凝視したが、目の前には先程と変わらず美術館が見えるだけだ、慌ててカメラの画像を確認するが、フラッシュが焚かれた時の画像は残っていない
一瞬気のせいだったのではと思ったが、網膜に焼き付くように覚えているあの光景は間違いなく沖田二曹の姿があった、きっと私に会いに来てくれたのだろうと思う事にした、勘違いでも見間違いでも良い、沖田二曹に一瞬でもまた会う事が出来て私はただひたすら嬉しかった
「沖田二曹……貴方の事を絶対に忘れませんから……」
そう呟くと私の頭を撫でるように優しい風が吹く