警鐘
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(宮田視点)
夏特有の強い日差しが視界を眩ませる、煩わしい、その一言に限る、村内に鳴り響く蝉の鳴き声も、ジリジリとした熱を送り込んでくる太陽も、全てが煩わしい
自然と眉間に皺が寄っていく、すれ違う人はそんな俺を見て肩を竦めて道の端に身を隠すように動く、それすらも煩わしい
こんな暑さの中、なぜ俺はわざわざ涼しい院内を抜け出して外を歩いているのか、理由は実に簡単だ
「ナマエ」
「あ、先生」
名前を呼ばれてニコニコと浮かれた表情で返事をするのはナマエ、宮田医院御用達の薬剤師なのだが、調剤事務などの仕事を終えると何が楽しいのかこうして羽生蛇村内を歩いて村人と交流を深めている
だから薬が足りなくなった時こうして迎えに行かないと行けないのが非常に面倒だ
「薬がない、早く用意しろ」
「えぇ……今回結構多めに調剤したんですけどね……」
「知らん、足りないものは足りないんだ」
暑さとナマエの呑気さに苛立ちながら少し荒々しくナマエの手を掴み宮田医院に戻そうとした、いつもなら素直に着いて来るのに何故か今は大きな声を上げて足に力を入れ始めた
「なんだ」
「ちょ、ちょっと待ってください」
「患者の予約があるんだ、行くぞ」
「あ、ああー!!待って!!待ってくださいって!!」
もうすぐ次の診察時間が始まると言うのにナマエは一向に歩こうとしない、しかしナマエ一人の力なんて他愛のないもので、地面に砂埃が立ちナマエの身体がズリズリ……と引き摺られ始めた時
「お待たせナマエさん」
なんの前触れも無く鼓膜を揺らしたのは、自分と全く同じ声をしているのにその声が孕む声色は気持ちの悪い程正反対の男の声だった、その声を聞いた瞬間ほとんど反射的に鳥肌が立ち暑さから出たものとは異なる冷や汗が背中を伝った
ゆっくりと声のした方へ顔を動かすとそこには自分と同じ顔が驚いた様な表情でこちらを見ていた、同じ顔なのに、同じDNAを持った人間なのに、俺は、"宮田司郎"は"牧野慶"が関係する"教会"と"神代"には逆らえない、その事実がどれ程俺の精神を蝕んでいるのかこの"牧野慶"には分かるのだろうか、分かるはずもないだろう
「牧野さぁん、すみません先生が言う事聞かなくて……」
「あ、いや……私も持ってくるの遅くなってしまって…………あの、宮田さん……良かったら宮田さんも貰ってくれませんか?」
ナマエの言葉に色々と茶々を入れたい所だが、それよりも牧野さんに言われた事が気になった、貰うとは一体なんの事を言っているのだろう、流石に顔に出ていたらしく困惑する俺に牧野さんは慌てた口調で詳細を話し出した
「今年は豊作だったようで教会に村の皆さんが作ったお野菜が沢山届いて……特にスイカが五玉もあって……流石に私と八尾さんでは食べきれないのでどうしようかと思っていたらナマエさんが通り掛かって……まだ沢山あるので宮田さんもどうですか?」
あわあわと忙しなく手を動かしながら話している牧野さん曰く、処理に困っている貰い物を貰って欲しいと言う事らしい、スイカなら水で冷やして食べれば少しはこの煩わしい熱気から逃れられるかもしれない
それに教会と神代は絶対だ、返事は決まっている
「……良いですね、折角なので……」
「ッ!!早速持ってきますね!!あ、これナマエさんの分です」
「ありがとうございます牧野さん」
俺の返事が珍しく肯定的な物だったのが嬉しかったのか牧野さんはパアッと顔を綻ばせて手に持っていたビニール袋をナマエに渡すと足早に教会へと戻って行った
ナマエはなるべく音を立てないようにビニール袋の中を覗き込んだ、そして嬉しそうに笑うのだ
「大きいですね……半分石田さん達にでもあげようかな……牧野さん優しいなぁ」
クスクスと笑いながらそう言うナマエの声は不思議と今まで煩わしく感じていた蝉の声などは聞こえず真っ直ぐに俺の耳に届いた、嬉しそうに笑うその笑顔を作り出したのがあの牧野さんだと思うと憎悪や羨望の気持ちがぐちゃぐちゃになって俺の感情を黒く染め上げていく
何故いつもあの人ばかり人に認められるのか、何故あの人ばかり、何故…………
「お待たせしました宮田さん」
黒い感情が思考を埋めつくし始めた時、牧野さんの声が聞こえて反射的に顔を上げた、そこには呑気に笑っている牧野さんの顔があり嫌悪感を隠しきれず眉間に皺が寄ってしまう
そんな俺の表情を見てか牧野さんは情けなく肩を竦めて小さく悲鳴を上げた、牧野さんの悲鳴を聞いてかナマエが俺と牧野さんの間に割り込む
「先生の分も私が持ちますよ、ありがとうございます牧野さん……ところで、私一人で食べ切るのは難しいと思うので石田さん達にも分けて良いですか?」
「あ……あぁ、うん、その方が良いね……でも、ナマエさんなら一人で食べ切れるかも」
「えぇ?それどう言う意味ですか?」
「あ、いや!!変な意味ではなく!!普通に美味しいスイカだからで……あ、ああ……すみません……」
「ふふっ……牧野さん慌て過ぎですよ、冗談ですから謝らないでください」
俺の視界から牧野さんを隠すためと言うより、俺から牧野さんを守るために牧野さんと談笑し始めるナマエ、ナマエのちょっとしたイタズラに牧野さんはまんまと嵌って動揺し始める、そんな牧野さんを見てまたナマエは笑う
そんな二人の楽しそうな雰囲気に眉間の皺はより一層強くなる、二人の楽しそうな笑い声が耳障りでしかない、なにより牧野さんと楽しそうに笑っているナマエが許せなかった
ナマエはいつもは俺と楽しそうに接しているのに何故牧野さんにもそうやって笑いかけるのだろうか、俺が牧野さんと話す度にどれだけ惨めな気持ちになっているのか知っているだろうに、何故ナマエはそんなにも楽しそうなのか
「では、お言葉に甘えて石田さん達にも渡しますね、本当にありがとうございます」
「いえいえ、えっと……では、ナマエさん、宮田さん……また……」
「はい、また来ますね牧野さん」
「…………失礼します」
思考を巡らせている内にナマエと牧野さんの会話はキリがついたらしく深々と頭を下げるナマエ、それに続いて俺も牧野さんに頭を下げた、ガサガサとナマエの手にある袋が中身の重たさを知らせるように音を立てる
ふと、ナマエの腕に目をやると半袖のシャツから伸びる腕は明らかに華奢で、このままポッキリと折れてしまうのではないだろうかと心配になってくる
「貸せ」
「ぅわ!?……あ……ありがとう、ございます」
半ば奪うようにナマエの手から袋を取った、ナマエは戸惑いながらもお礼を述べる、少々力強くやったので文句の一つくらい言えばいいのにと思いながらも、ナマエが誰かに対してマイナスの感情を向けた事を見た事がない事を思い出し、お人好しを通り過ぎていると小さく溜め息をついた
それからナマエとほとんど会話をする事なく村内を歩き宮田医院へと戻る、宮田医院の建物が見えた時なんの前触れも無く母親から言われ続けていた呪いの言葉を思い出してしまった
"お前は悪い子だ、だから教会の子に成れなかった"
"司郎はずっと、教会と神代に頭を下げ続ける存在だ"
"司郎、貴方は悪い子よ"
宮田医院を継いでもうしばらく経つのにいまだにこの呪いの言葉がフラッシュバックしてくる、ただの記憶が甦っただけだと自分に言い聞かすが情けない事に身体は強ばりカチカチと奥歯が音を立てる
「…………?先生?」
目的地である宮田医院を前に歩みを止めた俺の変化に気付いたナマエが不思議そうに顔を覗き込ませる、薬剤師とは言えナマエも医者の端くれだ、俺のこの状態を見たらパニック障害やストレス障害の気配を察するだろう
ナマエにはそんな姿は見せられない、そんなちっぽけなプライドを守るために俺は咄嗟にナマエから顔を逸らして、震える足を無理矢理動かし宮田医院へと歩みを進めた
午後の診察時間までまだ少し時間があるので院内には誰も居ない、慣れた手つきで部屋の鍵を開けて休憩室兼自分の机に牧野さんから貰ったスイカを置く、その間にナマエは別室で調剤の作業を始める
「それにしても今日は暑いですよねぇ……牧野さんいつもあんな黒ずくめの求導服着て暑くないんでしょうか?」
別室とは言っても半個室のようなもので天井から数cmは壁がない、その部分から通ってナマエの声が聞こえていた、他愛のないいつもの会話だ
調剤の作業をしている時のナマエは作業をしながらこうして世間話を振ってくる、それで薬の調合に不具合でも出れば注意できるのだがそれが出来ないのが現状だ
「本人が大丈夫だから着てるんだろ」
「私なんて半袖でも汗かいちゃって……あ、調剤終わったらスイカ一緒に食べますか?」
「…………冷やしておく」
「やったぁ」
雑談をしながらも作業の手を止めていない証拠に会話の合間合間にカラカラとプラスチックのケースの中を跳ねる薬の音が聞こえてくる
誰かと一緒に食事をするのはあまり得意ではないがこの暑さだ、ナマエの提案に乗ってスイカを冷やすために水を張った桶にスイカを入れた、緑色と黒色の模様に隠された甘い果肉が暑さから解放させてくれるだろう
チャポチャポと水音を立てながら上下に揺れるスイカを椅子に座りながら眺め、隣から聞こえてくるナマエの声に生返事をして作業が終わるのを待つ、そんな時窓の外から微かにあの煩わしい蝉の声が聞こえてきて思わず眉間に皺を寄せた
「……っよしっと……お待たせしました先生」
「ああ」
何分経っただろうか、半ば意識を飛ばしていた時ナマエが数個の薬袋を手に部屋から出てきた、薬棚にそれを置いてトコトコと俺の元へやってくる
「……先生?さっきからちょっとボーッとしてますが大丈夫ですか?熱中症?」
俺の顔を覗き込みながらナマエがそう尋ねてきた、ナマエにそんな事を言われると言う事は自分が思っていた以上にかなりボーッとしていたようだ、しかし理由を話す訳にもいかない
先程の様々な出来事が纏まらずグルグルと頭の中を駆け巡っている、夏の煩わしさ、蝉の声、ナマエ、俺と同じ顔をしているのに立場はまるで違う双子の兄、頭を下げる俺、楽しそうに話している牧野さんとナマエ、宮田司郎、母親……
今までの出来事がまるで巻き戻し機能でも使っているかのように脳内に広がる、その出来事はほとんど嫌な気持ちになる物ばかりで、意味もなく自分の胸に手を当てた
苦しいような、締め付けられるようなこの痛みはきっと心臓が傷んでいるのではない、ここにある筈のない、自分にはすっかり無くなってしまった物だとばかり思っていた"心"が痛んでいるのだ
村の掟とは言え、様々な人間の人生を狂わせてきた、時には道を外れる事もした、そんな人間が心を痛めるだなんて情けない話だ、そう思い思わず自重的な笑みを浮かべた時
「先生、お口失礼しますね」
「むご、ッ」
ナマエの声が聞こえた直後口の中に冷たい何かを入れられた、驚いてしまい普段なら絶対に出さないような声を上げてしまった、意識が久しぶりに現実に戻ってきたような気がする
「スイカ、よく冷えているでしょう?」
「……ああ」
口の中に入れられたのは先程冷やしていたスイカの果肉部分だった、タネのない部分を上手く切ったのかキューブ状に切られた果肉を噛むとジュワリと果汁が溢れ出してきた
暑い外を歩いていたために火照っていた身体がゆっくりと冷やされていく感覚があり、思わず目を細めてしまう
「牧野さんに感謝ですね」
「………………」
キャスター付きの物良い椅子に腰掛け俺の隣に移動してきたナマエの発言に緩んでいた眉間に再び皺が寄った、そんな俺の気持ちなんて知らぬ存ぜぬな表情でナマエは呑気にスイカを口にしていた
「ちゃんと先生の分もありますよ、食べます?」
「……」
「先生?先生ぇ?……?宮田先生?」
「……やめろ」
シャクシャクとスイカを咀嚼しながら俺の分を差し出すナマエ、しかし正直今の精神状態で何かを食べる事は出来なかった、グルグルと様々な思考が頭の中を駆け巡っているこの状況でこれ以上何かを口に含むと戻してしまいそうになる
返事をする事すら億劫で、ナマエの言葉をただただ聞き流していると返事がない事を疑問に思ったのかナマエがこちらを覗き込みながら名前を呼んできた
"宮田"と……"宮田"、この羽生蛇村で神代家の秘密を守るためにただただ手を汚すだけの存在である"宮田"の名前を呼ばれた、他の誰でもないナマエに
当然だ、ナマエの中では俺の名前は"宮田司郎"なのだ、その名前が俺自身を指し示している、呪われた名前だと言うのにナマエはそれを知らない、分かっているはずなのにその名前で呼ばれるのが今はとても耐えられなかった
「……どうしたんですか?さっきからなんか変ですよ?」
いつもとは明らかに様子のおかしい俺にナマエは本気で心配しながら顔を覗き込んだ、無機質な病院の床を眺めていただけの視線をゆっくりと上げるとそこには眉を顰めて心配そうにこちらを見ているナマエの顔があった
煩わしい蝉の声が再び鼓膜を揺らす、この声がまるで俺の思考回路を奪っているようだ、夏の時期にしか聞こえないこの声を聞いていると今まで飲み込んできた言葉がせり上がってくる
「……昭」
「え?」
「"克昭"と、……今だけは……呼んでくれ……」
今まで様々な場面で溜め込んできていた俺の願望がゆっくりと声になってナマエの耳に届いた、この名前を誰かに言う日が来るとは思っていなかった、案の定ナマエはポカンとした表情で俺を見ている
それもその筈だろう、ナマエからしたらこの名前はなんの意味も持たないただの文字でしかない、急にこんな事を言われたら戸惑って当然だ
「……いや、気にしないでくれ……」
「…………克昭、さん?」
「ッ!!」
ナマエの戸惑っている表情を見て、困らせてしまっているのだと分かり先程の頼み事を撤回しようとした時、ナマエが戸惑いながらも俺の本当の名前を呼んでくれた
まさか本当に呼んでもらえるとは思っていなかったので柄にもなく目を見開いてしまう、ナマエは少し驚いているようだったがそのうちヘラリと笑い出した
「ふは、なんですかその顔……宮、克昭さんが呼んで欲しいって言ったんですよ?」
「そうだが……本当に呼んでくれるとは思ってなくて…………」
普通は何故"克昭"だなんて名前を呼ばせようとするのか疑問に思うだろう、それを聞かずに素直に呼ぶなんてナマエらしいと言えばそうなのだが
「……良いですよ言わなくて、克昭さんがそうされたいなら、私はそれに従いますから」
「言ったな……?」
穏やかな表情で俺に従うと言ったナマエの言葉についつい口角が上がってしまう、脳内では様々な考えが巡り回っている、そんな俺の表情に気付いたのかナマエが微かに冷や汗をかいているのが見えた
ゆっくりと椅子から立ち上がるとナマエが息を飲んで俺から逃げるように椅子のキャスターを動かした、が、それを俺が許す訳もなく、静かに足を動かしキャスター部分を踏み付ける
「あ、の……宮田先生ッ……」
ナマエの呼び方が元に戻ってしまったが気にせず椅子の背もたれ部分に手を伸ばし、ナマエが逃げられないように退路を絶つ
オロオロとしながらも顔を赤くしているナマエを見下ろしながらゆっくりとナマエに顔を寄せる
「……ッ…………あれ?」
「呼び方、元に戻ってたぞ……」
「あ……ぇ、すみません……克昭さん…………」
顔を寄せたからと言ってナマエと俺はそういう間柄では無い、もちろんそういうつもりも無い、俺はただナマエの肩に額を乗せただけだ
ナマエにとっては俺がこんな行動に出る事自体が予想外だったのだろう、行き場を失ったナマエの両手はオロオロと定位置を探しているようだった、そんなナマエの慌てっぷりに思わずクスリと笑ってしまう、と言うより今この状況が俺の纏まらない感情が穏やかなものに変わっていく事に心底安心してしまった
このまま、ナマエに頭でも撫でてもらって慰めの言葉でも貰ったとしたら、もっと穏やかな気持ちになれるのだろうか、なんて考えが頭をよぎったがそんな事は俺のプライドが許すわけもない
今はただ、ナマエに自分の本名である"克昭"と呼ばれた事への喜びを噛み締めるとしよう