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夏休みに入って一週間とちょっとが経った8月5日の今日、私はお盆休みの三日を除けば片手で数えきれるほどしかない貴重な部活のオフを夏休みの課題を片付けるのに使っていた。せっかくの完全オフということもあって友達からは新しく駅前にできたケーキ食べ放題のお店だとか水族館だとか遊園地だとかいろいろと遊びに誘われたのだけれど、宿題を終わらせないとという謎の使命感に駆られて全部断ってしまった。
だが、宿題を理由にお誘いを断ったんだから真面目に取り組まないとというさっきまでの集中力はどこへ行ったのやら、今は「夏休みの課題」と仰々しく達筆なフォントで印刷された冊子の表紙をただじっと見てるだけだ。
ほんと、なんなのよこの表紙。高校2年生向けのワークだっていうのになんで楽しそうに海で遊ぶ子供の絵なんか描いてあんのよ。こっちは毎日部活と勉強ばっかりなのに。
表紙の中央のひときわ楽しそうに笑って水鉄砲をかまえている男の子をひと睨みして冊子を机の端に追いやり、私は重い足取りで部屋から出た。
喉が渇いてきたしなんか飲むかな、となんとなく台所に入ったところで、宿題をはじめる前に作った麦茶が冷蔵庫の中にあることを思い出した。もう大分長い間宿題頑張ったと思うしきっとキンキンに冷えてるよね。
私は期待感で胸をいっぱいにしながら、わざわざ大げさによっこいしょ、なんて掛け声をあげておいしそうな琥珀色で満たされたポットを取り出し、お気に入りの綺麗なグラスになみなみと注いだ。
自分で作ったものに対して普段はそう言わないんだけど今日はなんだかちゃんと言いたい気分で、しっかりとグラスの前で手まで合わせて「いただきます」と言った。
「うえっ、なにこれ、ぬるい」
予想外の生ぬるさに思わずせき込みながらグラスを机に置くと、少ししてパキッと嫌な音が頭の中で響いたような気がした。まさかとは思いながらさっき置いたグラスを慌てて持ち上げてみると、底に大きなひびが入っていた。
「うそ」
手の中のグラスを今度はそっと机に置き直し、私は声にならない声を上げながら机に突っ伏した。
この前お母さんに買ってもらったばかりのグラスだったのに。
「いや、まって。ひびが入っただけならまだ使えるんじゃない?」
がばっと飛び起きた勢いのまま視線を向けると、やっぱり光を受けて机に色とりどりの影をつくっているグラスがそこにはあった。
よかったと胸をなで下ろして、残ったお茶を飲もうと再びグラスを手にとると、ぽた、ぽた、とお気に入りのスカートに染みができていった。
「うそ、スカートが、底に穴が空いちゃったの?」
私はこれ以上スカートに染みができないように一気にお茶を飲み干した。
グラスの後始末もしたし、スカートを洗濯機の中に放り込んだし、また宿題の続きをしに部屋に戻るべきなんだけど、どうも気分が乗らない。仕方なく私は適当に干してあった部屋着のショートパンツをはいて適当に荷物をまとめ、玄関に転がっているビーサンをつっかけて外に出た。
さっきまでイライラするようなことばっかりだったからか、外の暑さもいつもよりひどい気がする。やっぱり冷房の効いた家でちゃんと宿題やればよかったかな。
額に次々と浮かんでくる汗をこするように拭いながら目的もなくただ歩いていると、後ろから聞きなれた声で「小宮」と名前を呼ばれた。
反射的に振り向くと、そこには今日一番会いたくない人がニヤニヤ嫌な笑顔を浮かべて立っていた。
「よお、こんなとこでなにしてんだよ?」
「べつに、ただ散歩してるだけだよ」
「ふうん、じゃあ小宮は今暇っつうことだな」
「は?なんでそんなことになんのよ?」
前田にもわかるように心底嫌そうな態度で私はそう言った。けれど、前田はそんなのお構いなしに「ちょっと付き合えよ」と私を近くの公園まで引っ張って行ってしまった。
「なんのつもり?」
座ってまだ10秒と経ってないのに足がぺったりと張り付いたベンチに苛立ちながらそう尋ねると、前田はニヤニヤ笑いながら「なにムスっとしてんだよ?さては拾い食いでもして腹壊したな?」なんてふざけたことを言ってきた。
「帰る」
「お、おい待てよ」
さっと立ち上がって出口に向かおうとしたのに簡単に前田に腕を取られて引き戻されてしまった。なんでコイツこんなに反射神経いいのよ。
「なによ」と掴まれた腕を乱暴に引き離しざま振り向くと、
「ひっ」
突然何かすごく冷たいものが頬に押し当てられた。
私は何かが当てられている頬におそるおそる指先を近づけた。
「ぶはっ」
突然前田が盛大に吹き出してきた。
「な、なによ。もう」
私がビクッと大きく肩を跳ねさせて前田を見上げると、前田はげらげら笑いながら、
「いや、だってよ、缶ジュースほっぺたに当てただけで小宮が「ひゃあっ」とかマヌケな声出してビビるとか思わねえじゃん。ほんとウケるわ」
なんて言ってきた。
「ちょっと盛ってない?ひゃあっとかそこまで大げさに驚いてないんだけど」
笑いながらほっぺたがへこむくらいぎゅうぎゅう押し当てられた缶をひったくってそう怒鳴ると、前田はさらに「そうだったか?」とニヤニヤしながら聞いてきた。腹立つなあ。
「もう本当に帰るから」
「じゃあね」と手に持った缶を前田に押し付けて、私はまた出口に向かった。
「待てよ」
叫んでるってわけじゃないのによく通る声でそう呼び止められた。
反射的に「なによ」と振り向くと、こちらに向かってさっきの缶ジュースがきれいな弧を描いて降ってきた。
すべって落っことしてしまいそうになりながらもなんとか私がそれをキャッチしたのを見てから、前田は
「それ、さっき自販機で買ったときにおまけで当たったやつ、やるよ」
と、珍しく無邪気な笑顔で言ってきた。
そのせいかなんかもらったら悪いような気がして「私はいいよ」と返そうと近づくと、
「ひっ」
またほっぺたに冷たいジュースを当てられた。
「ちょっと」
「また引っかかってやんの」
そうニヤっと笑って前田は何度も角度を変えてはジュースを押し当ててきた。時折ジュースを押し付けながら吹き出すのを堪えているのが腹立たしくて、私は前田の太ももを思いっきりつねてやった。
「いでっ」とつねられたところを抑えようとする前田からジュースを抜き取り、私はもう一度隣に座り直した。そして、そのままちょっと笑っちゃいそうなのを隠すためにジュースを一気に飲んた。
「おー、いい飲みっぷりだね」
「うるさい。これ、結構好きなやつだししょうがないじゃん」
「ふうん。じゃあ小宮も俺に会えてラッキーだったな」
「別に前田に会ってもそんなに嬉しくないないからそうでもないんだけど。ていうか「も」ってなによ」
そう聞くと、前田は缶ジュースを開ける手を止めることなく、
「今日、俺もすんげえ運いいんだよ。誕生日だし、無くしたと思ってた500円玉は見つかるし、ジュースは当たるし、休みなのに小宮に会えるしな」
「え、前田今日誕生日なの?うそ、ごめん、今日何にもあげられるようなもの持ってないよ」
言いながら慌ててよれよれのショートパンツのポケットやら日焼けして色あせたペラペラのトートバッグやらをひっくり返してみてもやっぱり大したものは入ってなくて、私は「ごめん」と再び力なく謝った。
それに対して前田は「べつにそんなんいいって」と面倒くさそうに言うだけだった。だけど、誕生日だって知ってるのに何もあげたりしないのはなんとなくいけない気がして、私は「でも」と食い下がってみた。けれど、それでも前田は「べつにいらねえって」と続けるだけだった。
「じゃあ、なんか私にしてほしいこととかある?」
今からでも用意できるプレゼントは浮かばないし、前田も特に欲しいものとか言ってこないし半ばヤケクソでそう言うと前田は、
「マジ?それって何でもいいのか?」
とジュースを飲むのも止めて食いついてきた。
ニヤニヤ笑っている前田に嫌な予感を感じつつ、「私ができる範囲ならね」と釘を刺してみたけれど、「わかってるって」と少し弾んだ声で応えてきたのを聞くに、あんまり効果は無さそうだ。
少しして、前田が「決めたぜ」と肩を軽く叩いてきた。おそるおそる前田の方を向くと、前田はさっきよりもニヤニヤと笑っていた。
「せっかくだし、キスでもしてくれよ、小宮。もちろんここにな」
そう言って前田は真っ赤に色づいた舌でなぞるように唇を湿らせ、それを指でゆっくりと拭い取ってみせた。
その動作が同じ年の男子、それも前田なのになぜかドラマに出てる俳優さんみたいにやけに様になっていて、つい見入ってしまった。
コイツがそんなかっこよく見えるわけないじゃないと自分に言い聞かせてみるけど、妙にさっきの動作が鮮やかに頭に残されて消えてくれない。
そうこうしているうちに、前田は固まっている私にぐっと顔を寄せ、鼻先に息を吹きかけるように「いいんだな?」と言ってきた。
「なにすんのよ。ばか」
突然のことに頭が真っ白になった私は、咄嗟に前田の顔面を思いっきりひっぱたいた。
「ってえー、舌噛んだ」
べえっとだらしなく舌を出してぷっくりと赤い血が浮いているのを確かめながら前田はそう呟いた。
「ごめん、前田」
前田の声でやっと落ち着きを取り戻せた私は、ひっぱたいてしまった頬が腫れてないか確認しながら急いで謝った。
でも、ムスッとした顔で前田に「べつにいいけどよ」なんて言われたものだからカチンときて「前田の方が悪いからね」って言ってやった。
前田は一瞬言葉を詰まらせたけどすぐに「あれは冗談で」と大慌てで言い訳を並べ始めた。
私がその長ったらしい言い訳を「そういうのいいから」と遮ると、前田はビクッと肩を震わせてからボソッと「悪かった」と謝ってきた。
大分おとなしくなっちゃってそんな風に謝ってくる前田がちょっとおかしくて吹き出しそうになるのを堪えながら、
「まあ、そんなに気にしてないからいいけどね。私もぶっちゃったし」
と言ってあげると、疑いのこもった目で「ほんとか?お前って意外と根に持つタイプだからな」なんて言われてしまった。
「それよりさ、他になんかしてほしいことないなら私もう帰るけど」
慌ててそう言い足すと、前田は「あー」と少しの間考えてから、
「小宮、今日これから暇だよな?」
なんて聞いてきた。
たしかに暇だけど他人に暇って決めつけられるのは腹立たしくて「そうだけどだからなに?」と素っ気なく答えてやったのに、前田はぱっと目を輝かせて「マジで?」とやたら大きな声で聞いてきた。前田の勢いに気圧されながらもなんとか「うん」と頷くと、前田はニッと本当に嬉しそうに笑った。
「じゃあ、今日一日付き合えよ。これから飯でも食いに行って、カラオケ行って、ボウリング行って、それから、」
「いいね、それ。すっごい楽しそう」
「だろ?準備ができたらここに集合な」
前田は私がそれに「うん」と応えるや否や、待ちきれないといった様子で「じゃあ、後でな」とベンチから立ち上がった。
私もそれに対して「じゃあね」と手を振ったのだけれど、走り去ろうとする前田の背中を見て、大事なことを言い忘れていることに気づいた。
そうだ、まだ言ってなかった。私は勢いよく立ち上がって前田を呼んだ。
「待って、前田」
「なんだよ、小宮」
「誕生日おめでとう、前田。いつもありがとう」
「おう、ありがとな。小宮」
前田と別れて、家までの道のりを急いでいると、ふと冷蔵庫の中で今度こそキンキンに冷えていであろう麦茶のことを思い出した。
そうだ、ジュースのお礼に前田に麦茶を持って行ってあげよう。
私は私の持ってきた麦茶に驚く前田を想像してクスっと小さく笑みをこぼしながら家までの道をさらに急いだ。
だが、宿題を理由にお誘いを断ったんだから真面目に取り組まないとというさっきまでの集中力はどこへ行ったのやら、今は「夏休みの課題」と仰々しく達筆なフォントで印刷された冊子の表紙をただじっと見てるだけだ。
ほんと、なんなのよこの表紙。高校2年生向けのワークだっていうのになんで楽しそうに海で遊ぶ子供の絵なんか描いてあんのよ。こっちは毎日部活と勉強ばっかりなのに。
表紙の中央のひときわ楽しそうに笑って水鉄砲をかまえている男の子をひと睨みして冊子を机の端に追いやり、私は重い足取りで部屋から出た。
喉が渇いてきたしなんか飲むかな、となんとなく台所に入ったところで、宿題をはじめる前に作った麦茶が冷蔵庫の中にあることを思い出した。もう大分長い間宿題頑張ったと思うしきっとキンキンに冷えてるよね。
私は期待感で胸をいっぱいにしながら、わざわざ大げさによっこいしょ、なんて掛け声をあげておいしそうな琥珀色で満たされたポットを取り出し、お気に入りの綺麗なグラスになみなみと注いだ。
自分で作ったものに対して普段はそう言わないんだけど今日はなんだかちゃんと言いたい気分で、しっかりとグラスの前で手まで合わせて「いただきます」と言った。
「うえっ、なにこれ、ぬるい」
予想外の生ぬるさに思わずせき込みながらグラスを机に置くと、少ししてパキッと嫌な音が頭の中で響いたような気がした。まさかとは思いながらさっき置いたグラスを慌てて持ち上げてみると、底に大きなひびが入っていた。
「うそ」
手の中のグラスを今度はそっと机に置き直し、私は声にならない声を上げながら机に突っ伏した。
この前お母さんに買ってもらったばかりのグラスだったのに。
「いや、まって。ひびが入っただけならまだ使えるんじゃない?」
がばっと飛び起きた勢いのまま視線を向けると、やっぱり光を受けて机に色とりどりの影をつくっているグラスがそこにはあった。
よかったと胸をなで下ろして、残ったお茶を飲もうと再びグラスを手にとると、ぽた、ぽた、とお気に入りのスカートに染みができていった。
「うそ、スカートが、底に穴が空いちゃったの?」
私はこれ以上スカートに染みができないように一気にお茶を飲み干した。
グラスの後始末もしたし、スカートを洗濯機の中に放り込んだし、また宿題の続きをしに部屋に戻るべきなんだけど、どうも気分が乗らない。仕方なく私は適当に干してあった部屋着のショートパンツをはいて適当に荷物をまとめ、玄関に転がっているビーサンをつっかけて外に出た。
さっきまでイライラするようなことばっかりだったからか、外の暑さもいつもよりひどい気がする。やっぱり冷房の効いた家でちゃんと宿題やればよかったかな。
額に次々と浮かんでくる汗をこするように拭いながら目的もなくただ歩いていると、後ろから聞きなれた声で「小宮」と名前を呼ばれた。
反射的に振り向くと、そこには今日一番会いたくない人がニヤニヤ嫌な笑顔を浮かべて立っていた。
「よお、こんなとこでなにしてんだよ?」
「べつに、ただ散歩してるだけだよ」
「ふうん、じゃあ小宮は今暇っつうことだな」
「は?なんでそんなことになんのよ?」
前田にもわかるように心底嫌そうな態度で私はそう言った。けれど、前田はそんなのお構いなしに「ちょっと付き合えよ」と私を近くの公園まで引っ張って行ってしまった。
「なんのつもり?」
座ってまだ10秒と経ってないのに足がぺったりと張り付いたベンチに苛立ちながらそう尋ねると、前田はニヤニヤ笑いながら「なにムスっとしてんだよ?さては拾い食いでもして腹壊したな?」なんてふざけたことを言ってきた。
「帰る」
「お、おい待てよ」
さっと立ち上がって出口に向かおうとしたのに簡単に前田に腕を取られて引き戻されてしまった。なんでコイツこんなに反射神経いいのよ。
「なによ」と掴まれた腕を乱暴に引き離しざま振り向くと、
「ひっ」
突然何かすごく冷たいものが頬に押し当てられた。
私は何かが当てられている頬におそるおそる指先を近づけた。
「ぶはっ」
突然前田が盛大に吹き出してきた。
「な、なによ。もう」
私がビクッと大きく肩を跳ねさせて前田を見上げると、前田はげらげら笑いながら、
「いや、だってよ、缶ジュースほっぺたに当てただけで小宮が「ひゃあっ」とかマヌケな声出してビビるとか思わねえじゃん。ほんとウケるわ」
なんて言ってきた。
「ちょっと盛ってない?ひゃあっとかそこまで大げさに驚いてないんだけど」
笑いながらほっぺたがへこむくらいぎゅうぎゅう押し当てられた缶をひったくってそう怒鳴ると、前田はさらに「そうだったか?」とニヤニヤしながら聞いてきた。腹立つなあ。
「もう本当に帰るから」
「じゃあね」と手に持った缶を前田に押し付けて、私はまた出口に向かった。
「待てよ」
叫んでるってわけじゃないのによく通る声でそう呼び止められた。
反射的に「なによ」と振り向くと、こちらに向かってさっきの缶ジュースがきれいな弧を描いて降ってきた。
すべって落っことしてしまいそうになりながらもなんとか私がそれをキャッチしたのを見てから、前田は
「それ、さっき自販機で買ったときにおまけで当たったやつ、やるよ」
と、珍しく無邪気な笑顔で言ってきた。
そのせいかなんかもらったら悪いような気がして「私はいいよ」と返そうと近づくと、
「ひっ」
またほっぺたに冷たいジュースを当てられた。
「ちょっと」
「また引っかかってやんの」
そうニヤっと笑って前田は何度も角度を変えてはジュースを押し当ててきた。時折ジュースを押し付けながら吹き出すのを堪えているのが腹立たしくて、私は前田の太ももを思いっきりつねてやった。
「いでっ」とつねられたところを抑えようとする前田からジュースを抜き取り、私はもう一度隣に座り直した。そして、そのままちょっと笑っちゃいそうなのを隠すためにジュースを一気に飲んた。
「おー、いい飲みっぷりだね」
「うるさい。これ、結構好きなやつだししょうがないじゃん」
「ふうん。じゃあ小宮も俺に会えてラッキーだったな」
「別に前田に会ってもそんなに嬉しくないないからそうでもないんだけど。ていうか「も」ってなによ」
そう聞くと、前田は缶ジュースを開ける手を止めることなく、
「今日、俺もすんげえ運いいんだよ。誕生日だし、無くしたと思ってた500円玉は見つかるし、ジュースは当たるし、休みなのに小宮に会えるしな」
「え、前田今日誕生日なの?うそ、ごめん、今日何にもあげられるようなもの持ってないよ」
言いながら慌ててよれよれのショートパンツのポケットやら日焼けして色あせたペラペラのトートバッグやらをひっくり返してみてもやっぱり大したものは入ってなくて、私は「ごめん」と再び力なく謝った。
それに対して前田は「べつにそんなんいいって」と面倒くさそうに言うだけだった。だけど、誕生日だって知ってるのに何もあげたりしないのはなんとなくいけない気がして、私は「でも」と食い下がってみた。けれど、それでも前田は「べつにいらねえって」と続けるだけだった。
「じゃあ、なんか私にしてほしいこととかある?」
今からでも用意できるプレゼントは浮かばないし、前田も特に欲しいものとか言ってこないし半ばヤケクソでそう言うと前田は、
「マジ?それって何でもいいのか?」
とジュースを飲むのも止めて食いついてきた。
ニヤニヤ笑っている前田に嫌な予感を感じつつ、「私ができる範囲ならね」と釘を刺してみたけれど、「わかってるって」と少し弾んだ声で応えてきたのを聞くに、あんまり効果は無さそうだ。
少しして、前田が「決めたぜ」と肩を軽く叩いてきた。おそるおそる前田の方を向くと、前田はさっきよりもニヤニヤと笑っていた。
「せっかくだし、キスでもしてくれよ、小宮。もちろんここにな」
そう言って前田は真っ赤に色づいた舌でなぞるように唇を湿らせ、それを指でゆっくりと拭い取ってみせた。
その動作が同じ年の男子、それも前田なのになぜかドラマに出てる俳優さんみたいにやけに様になっていて、つい見入ってしまった。
コイツがそんなかっこよく見えるわけないじゃないと自分に言い聞かせてみるけど、妙にさっきの動作が鮮やかに頭に残されて消えてくれない。
そうこうしているうちに、前田は固まっている私にぐっと顔を寄せ、鼻先に息を吹きかけるように「いいんだな?」と言ってきた。
「なにすんのよ。ばか」
突然のことに頭が真っ白になった私は、咄嗟に前田の顔面を思いっきりひっぱたいた。
「ってえー、舌噛んだ」
べえっとだらしなく舌を出してぷっくりと赤い血が浮いているのを確かめながら前田はそう呟いた。
「ごめん、前田」
前田の声でやっと落ち着きを取り戻せた私は、ひっぱたいてしまった頬が腫れてないか確認しながら急いで謝った。
でも、ムスッとした顔で前田に「べつにいいけどよ」なんて言われたものだからカチンときて「前田の方が悪いからね」って言ってやった。
前田は一瞬言葉を詰まらせたけどすぐに「あれは冗談で」と大慌てで言い訳を並べ始めた。
私がその長ったらしい言い訳を「そういうのいいから」と遮ると、前田はビクッと肩を震わせてからボソッと「悪かった」と謝ってきた。
大分おとなしくなっちゃってそんな風に謝ってくる前田がちょっとおかしくて吹き出しそうになるのを堪えながら、
「まあ、そんなに気にしてないからいいけどね。私もぶっちゃったし」
と言ってあげると、疑いのこもった目で「ほんとか?お前って意外と根に持つタイプだからな」なんて言われてしまった。
「それよりさ、他になんかしてほしいことないなら私もう帰るけど」
慌ててそう言い足すと、前田は「あー」と少しの間考えてから、
「小宮、今日これから暇だよな?」
なんて聞いてきた。
たしかに暇だけど他人に暇って決めつけられるのは腹立たしくて「そうだけどだからなに?」と素っ気なく答えてやったのに、前田はぱっと目を輝かせて「マジで?」とやたら大きな声で聞いてきた。前田の勢いに気圧されながらもなんとか「うん」と頷くと、前田はニッと本当に嬉しそうに笑った。
「じゃあ、今日一日付き合えよ。これから飯でも食いに行って、カラオケ行って、ボウリング行って、それから、」
「いいね、それ。すっごい楽しそう」
「だろ?準備ができたらここに集合な」
前田は私がそれに「うん」と応えるや否や、待ちきれないといった様子で「じゃあ、後でな」とベンチから立ち上がった。
私もそれに対して「じゃあね」と手を振ったのだけれど、走り去ろうとする前田の背中を見て、大事なことを言い忘れていることに気づいた。
そうだ、まだ言ってなかった。私は勢いよく立ち上がって前田を呼んだ。
「待って、前田」
「なんだよ、小宮」
「誕生日おめでとう、前田。いつもありがとう」
「おう、ありがとな。小宮」
前田と別れて、家までの道のりを急いでいると、ふと冷蔵庫の中で今度こそキンキンに冷えていであろう麦茶のことを思い出した。
そうだ、ジュースのお礼に前田に麦茶を持って行ってあげよう。
私は私の持ってきた麦茶に驚く前田を想像してクスっと小さく笑みをこぼしながら家までの道をさらに急いだ。
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