夜の帰り道1章
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抱えられたまま、どれだけ時間が経っただろうか。沈黙を破ったのは前田だった。
「なあ、そろそろ落ち着いたか?」
答えたくない。なにも。
ふい、と前田から顔を背けて押し黙る。前田はそれを話せる程度には落ち着いた、と判断してしまったのか話し始める。
「さっき泣いてたのはなんだったんだよ?」
完全に無視、というのは悪い気がするけれど、今はまだ何があったか簡潔に説明できる気がしない。もしできたとしても話したい気分じゃないんだからどうせ話さないけど。
「話せって。何か言ってくんなきゃ分かんねえだろ」
黙りこくっている私にイライラが溜まってきたのか前田は私の肩を揺すり始めた。
一応心配とか遠慮とかもあるのか変にゆったり揺すられるその動きになんだか酔ってしまいそうだ。
このまま黙っていたらこんなことしてても意味ないなってやめてくれるかな。
「だから!話せって!言ってんだろうが!!!」
「うわっ!!!」
予想とは裏腹に前田は乱暴にガンガン私の身体を揺すり始めた。それはもう凄い勢いで頭まで痛くなってくるぐらい。堪らなくなって、私はついに叫び出した。
「やめて!吐く!吐くから!!!」
「やめねえ!今更お前に何されたって気になんねえっての!!!」
前田も叫んで応える。ここまできたらもう私が何か話すまで絶対やめてくれない。前田だって私に負けない頑固者なんだから。とっても傷ついた今の状態でそんなヤツと張り合えるわけない。私は揺らされてる勢いに任せてヤケクソで返した。
「分かったから!言うから!!!もうやめて!!!」
言い終わるのとほぼ同時に前田はぴたりと動きを止めた。突然止まったものだから結局まだ頭の中でぐらぐら揺れてるような余韻がしっかりと残って気持ちが悪いけど。
ぐうっと目を瞑ってそれに耐えていると、大丈夫だ、とでもいうように背中を撫でられる感覚。前田のこの欲しい時に欲しい優しさを与えてくるところ、今はとっても嫌。
背を捩って撫でられるのを拒否すると、私はすっと前田を見上げた。
「話す、とは言ったけどまだ結構ショックで上手に話せない。それでもいい?」
「ああ、それでいい」
応えながらさりげなく私の膝を抱く手に力が込もる。そういうのいいから!なんて今更言えなくてまた流されてやることにする。
私はふう、と息を吐いて話を始めた。
「黒木にね、怒られたの」
ちゃんと落ち着いてから話し始めたのに自分のものとは思いたくない子供っぽくて情けない声が出た。そんな自分がもう本当に嫌になる。
「ああ」
けれど前田は平淡に相槌を打つ。馬鹿にするでもなく過剰に甘やかすでもなくただ平淡に。その様子が私にはなんだか残酷に思えた。
それでも私はもう話すしかない。話すって言ってしまったからというのもあるけれど、レギュラーで私とは立場がまるで違う相手に私の主張で戦ってみたいと愚かにも思ってしまったのが一番大きな理由だった。
「私ね、クラスの劇の主役、お姫様役をやらないといけなくなったの」
前田はなおも神妙に頷く。真意は読めない。
「本当はね、バレー部の活動に集中したいし、脇役ならまだしも主役で劇に出るなんて恥ずかしくて嫌だし、仲良くもない子達のお願いなんて聞きたくもないし、とにかく絶対にやりたくなかった。だから断ったのに…」
ふいに先程の鬼のようだった黒木が思い出される。反射的に溢れそうになる涙をぐっと堪えると、それが逆流して鼻からぼたり、ぼたり、と雫が落ちた。
涙を流さなくて済んだ。私は鼻をすすりながら妙な安心感を感じた。
気を取り直して前田をもう一度見上げる。すすり切れなかった鼻垂れを制服で拭いながら私は何とか話を再開した。
「そのせいで黒木に怒られた。お前はバレー部員である前にクラスの一員だろって。バレー部よりもクラスを優先すべきだって。それが悲しくてムカついて頭にきてね、言い返して…」
「黒木が正しい」
ブツブツとその時の気持ちを連ねているのをぶった切るような前田の一言。それを投げかけて前田はおもむろに私の身体を引き離した。
「…どうして?」
肩に乗っかったままの手に恐る恐る触れる。前田の手はひどく熱を持っているように感じた。だけど、ふいに触れた自分自身の指が凍えそうに冷たくて前田の熱は錯覚なのだとすぐに気付いてしまった。
「黒木が正しいから」
なおも前田は続ける。全然、ちっとも、私の言葉に応える気なんてなく。
その前田の態度に理不尽にも私は激しく腹が立った。
あんなにいつもうざいくらいに私を好きって言う癖に!なんでこんなにも私が苦しんでいる時、最後まで甘やかしてくれないのよ!!!なんて。
だけど、それでも私は突っぱねるように私の肩口に伸ばされたその腕に縋ってしまう。
誰でもいいから今は誰かに優しくされたい。曲がりなりにもその欲をさっきまで満たしてくれていた人間に縋ってしまうのは情けないけれど仕方のないことだった。
「…小宮」
一瞬私を呼ぶ前田の声が苦しげに掠れた。
どきりと心臓が跳ねる。これは期待だ。
逸る気持ちのまま「だよね!そうでしょう!?」と激しく同意をするための助走をつけ始める心。
前田はついに重たい口を開く。
「お前の気持ちもよく分かるよ」
期待通りの言葉が降って来た。今一番欲しかった言葉が。
だけど…
「前田に私の何が分かるっていうのよ」
黒木の言葉がフラッシュバックする。
「立場を弁えろ」と。
「マネージャーのお前とレギュラーで扱いが違うのは当然だ」と。
悔しくて悔しくて堪らない。
そうだ。目の前のコイツ。コイツはその特別なんだ。
クソっ…!嫌だ。ムカつく。こんなヤツなんか…
思いかけたところで思考が固まる。
あ、そうだ。私、コイツが特別になれるように全力を尽くして頑張っているんだっけ。コイツや選手の皆が日本一の特別になるために。
あれ?じゃあ、マネージャーは?私は?どうしたらバレー部の特別になれるの?
分からない。だけど今は明確に叶えるべき目標が定められていて、そこに走っていく競争で勝ってしまえば特別になれてしまう目の前のコイツがただただ憎かった。
「…はじめっから前田なんかに私の気持ちが分かるわけなかったんだよ。何やってんのよ私。本当に…!!!」
私は叫んだ。そして私を捕らえるその嫌になるくらい逞しく鍛え上げらえた腕から逃れようと必死で藻掻いた。
「おい!小宮!!!」
咄嗟に私の身体を引き留めようと伸ばされた腕。けれど皮肉なことにそれによって私の身体は勢いよく地面に叩きつけられた。
「……」
痛い。だけどそんなこと思ってる場合じゃない。こんなヤツからすぐに離れなきゃ。
「小宮!!!大丈夫か!!!ケガは!?」
前田が地面に転がった私に手を伸ばす。私は勿論それを思いっきり振り払った。
「触らないで!!!1人で立てる」
じん、と痛む身体を押さえて立ち上がる。私よりも前田の方が傷ついた顔をしていて訳が分からなかった。
ただ、それを指摘する程私は優しくない。
私はすぐにその場から走り去った。
なんなのよ。なんなのよ。なんなのよ…!!!
家へ向かって走っている最中もずっとそう思わずにはいられなかった。
誠陵バレー部を日本一にしたい!前田をもっと強い選手にしてやりたい!
そう思って寝るのも友達と遊ぶのも我慢して勉強だって追い付かなきゃって頑張って。身を削ってでもやってやるって頑張ってきたのに。それでも私はバレー部で何者にもなれないの?選手じゃないから?マネージャーだから?
女だから?
ぴた、と足が止まる。目の前にはチカチカ消えたり灯ったりする心許ない街灯。私はその街灯に背を預けた。
そうしてふと空を見上げた。忙しなく点滅する街灯は私には眩しくて目が痛む。
でも、じゃあ私はどうしたいの?
マネージャーをやめてしまいたい?
やめて、女の子でも活躍できる場所で主役になってトップを目指したいの?
でもそうしたらバレー部は?前田は?皆の努力の結果は見届けられないの?それじゃ今までの努力は?バレー部の日本一も前田の成長もちゃんと私の大事な目標なんだよ。
それに私は…
街灯の明かりが一際強く輝く。
ぎゅっと目を瞑って再び開くと明かりはもう点くことはなかった。
明かりのあったところにはぽっかりと夜の闇よりも暗い穴が空いて見える。
私は心から主役になって輝いてみたいのかな?
結局何も分からない。自分の気持ちなのに。
私はゆっくりと家までの道のりを歩き出した。
でも、とにかく劇には出ないといけないよね。それ以外に私のやるべきことはないんだから。
主役。その言葉には他にはない重圧のようなものがある気がした。でもそれは自分一人だけで背負うはずなのになぜだかマネージャーとしてバレー部を背負うよりもずっと軽く感じた。
次の朝、私はいつも通り日が昇る前に起きてバレー部の朝練に向かう。制服を着て。
目を丸くしてこちらを見るナッツ、さとちゃん、そして選手達。そしてその中心には黒木。
私は皆の間を真っ直ぐに進み、黒木の前に立つ。
「黒木監督。申し訳ありません、全国大会を控えたこの大切な時期ではありますが文化祭が終わるまで部活を休ませていただきます」
「理由は?」
深く下げた頭上に監督の平坦な声が降ってくる。
私はすぐさま頭を上げた。
「クラスの劇に代役として出演する準備のためです」
「そうか。分かった。許可する」
「ありがとうございます」
私はもう一度深く頭を下げた。
「励めよ」
「…はい」
これでもう逃げ場はない。私の中で劇に出て主役を演じる決意がようやく形になった気がした。
昼休み。劇の練習開始5分前。私は体育館裏に走った。この時間、アイツは絶対ここにいるから。
「前田!」
最後の角を曲がりながら叫ぶ。前田は撃ち付けたボールが壁に当たるのを見届け、振り向く。
「あのさ、昨日はごめん。いっぱい迷惑かけて、心配かけてごめん」
「……」
前田は何も言わず足元のボールを拾い上げる。無理もない。だって昨日の私、最低だった。
だけど続ける。たとえ前田が聞きたくなくても、私が前田に筋を通さないで前に進めないから。
「私、劇に出ることにしたから。黒木に言われっぱなしも悔しいし、嫌だし恥ずかしいけどやってやるって思ったから」
「……」
「だから、私から言い出したことで本当に申し訳ないけど自主練も当分休ませてください!」
私は頭を下げた。朝、黒木に頭を下げたよりもずっとずっと深く。
「小宮、頭上げろよ」
低い低い声。相変わらず前田の気持ちは全く分からない。
「……」
恐る恐る前田を見上げる。
目がばっちりと合うと、前田はにっと清々しく笑った。
「分かった。小宮も頑張れよ!お姫様」
「…うん!!!」
私はその言葉に大きく頷いた。前田にそう言って貰えた、ということが泣けてきちゃうくらい嬉しくて嬉しくて堪らなかった。
ああ、いけない。泣いたらまた前田に迷惑だ。
私は涙が零れる前に目を伏せた。
けれどそれでも抑えきれなかったものがポロリと落ちた。それにめざとく気付いたのか前田の身体が一瞬びくっと強張った。
「あ…ごめん」
「…小宮!!!」
私の気遣いも虚しく、前田はすぐさま大事なボールを放り出して私の元にやって来た。
「前田、ごめん大丈夫だから。これは辛いとかそういうのじゃなくて…」
慌てて弁明する私。
「分かってるっつうのそんなの!!!」
そう叫ぶと、前田は突然私を抱き締めた。
「あー、ホント、俺、お前のそういうところが好きだ。なあ、やっぱり付き合おうぜ。小宮以外にこんなに好きになれるヤツなんか絶対いねえよ」
「はあ!?!?!?」
言いながら前田は恥ずかしいのかぐりぐりと頭を私の肩口に押し付けてきた。すんごい痛い。自分が180cm超えてる大男なんだって自覚してよ。それになんで今なの!?そんな雰囲気全然無かったじゃない!!!
その当の本人は私の色んな気持ちなんて完全無視で余計にぎゅっとぐりぐりを強くしながら続ける。
「小宮はさ、ガッツがあってすげえカッコいい。
昨日のだってそうだよ。お前は黒木に正論でボッコボコにされたんだろ?それなのにすぐ黒木の話を受け入れて今日にはもう吹っ切って頑張ろうとしてるだろ。
それ、誰にもできることじゃねえから。
俺の時は黒木に練習でボッコボコにされた時、他の似たようなヤツと一緒になって寮抜け出して逃げようとしてさ。辰巳に体張って止められなかったら今頃どうなってたか分かんねえのに。
お前、すげえよ」
「…それは、そんなんじゃないよ。認めたくないけど私だって前田がいてくれなきゃ今みたいな答えには辿り着いてなかったと思うし」
それに、それを言うなら前田だってカッコいいじゃない。今、それを乗り越えてレギュラー、裏エースなんだからまだ何も成してない私よりもっともっとカッコいい。こんなことは恥ずかしくて前田には言えないけれど本心からそう思う。
それでも前田は「でもやっぱりお前はカッコいいよ」と言う。
「俺が死ぬ気で練習していれば小宮も同じように死ぬ気で支えてくれる!無茶やったら死ぬ気で止めてくれる!」
「それはマネージャーとして当然でしょ。私じゃなくたってきっとそうした」
「それはそうかもしれねえけど俺は小宮にそうしてもらったから嬉しかったし、小宮だから今までやってこれたと思ってる」
「…なによそれ。意味分かんないから」
口ではそんなことを言うけれど、小宮だからというその言葉が私にとっては救いの言葉だった。私は前田にとっては特別な人間でいれているんだ、と安堵した。
「合宿の夜のアレの時もお前カッコよかった。別に態々自分の気持ちなんて明かさないで適当に流しちまえばいいようなことも俺が前に進めるようにってハッキリ言ってくれたヤツ。
俺の気持ちを舐めんなよ!って思わねえわけじゃねえけどそれでも嬉しかった」
「…違うよ。私そんないい人じゃない。ぐちゃぐちゃに悩んだ結果がたまたまそうなっただけだよ」
そう伝える私の声は震えていた。
前田は私の背をとん、とんと優しく叩き、落ち着いた頃、再び私をぎゅうと抱き締め直した。
「それに、お前すげえかわいい。浴衣も水着姿もいつものジャージも制服も全部。
好きなアイス食ってるとこも、試合で勝って嬉しそうな時もな。
あと…あー、やべえ出てこねえ…。そうだ、あとは古文教えてくれる時の自信満々なところ、タカの恋について楽しそうに聞いてたのと、俺の先生モノマネで爆笑してんのも」
「……」
かわいい。私が…?
家族とか女の子の友達に言われるならまだしも男子にそう思われてるのはちょっぴり信じられない気持ちがある。
なんだか自惚れちゃっている人みたいで恥ずかしいけど私は勇気を出して聞いてみた。
「……たまにやたらかわいいって言ってくるの、あれ、冗談とかじゃなかったの?」
前田は分かりやすくムッとした顔になるとまだOKも出してないのにぐっと顔を近付けてきた。
「なんとも思ってねえヤツにかわいいとか言うわけねえだろ。バカじゃねえのお前」
「ごめん。そうだよね。失礼なこと聞いた。ちゃんと前田の言ってること、伝わってる」
そう。今ので本当に伝わった。前田の気持ち。前田は私のことを中身も含めて全部好きだってこと。それと、もう初めて告白してきた時の前田じゃないってこと。私を本当に大事にしてくれる人だってことも。
その事実にきゅうと胸が苦しくなる。だって私はそれでも前田が好きじゃない。いや、ちょっと違う。前田のこと、ちゃんと少しは好きだよ。恋にまでなっているかは分からないけど普通の友達以上に想ってる。ただ、前田が私を好きでいてくれる程私は前田のことが好きじゃない。
そんな状態で私は前田と付き合おうなんて中途半端なことはしちゃだめだよね。絶対。
私はとん、と前田の肩を押した。
「ありがとう。前田。私にとって確かに前田は大切な人だよ。でもね、前田が私を好きでいてくれる分をまだ私は返すことができないから。だから、ごめんなさい」
そのままそっと前田の腕を潜り抜ける。前田はそれをただ静かに見送った。
「なあ、小宮」
それでも前田の瞳は真っ直ぐに私を射抜く。その顔は落ち込むでも悔しがるでもなく至って冷静だ。
「…なに?」
振り向くと、前田は少し戸惑いがちに目線を泳がせた。
「今の答えだけどよ、あれは、完全に俺は脈ナシってわけじゃねえ、って解釈してもいいか?」
「あ…」
失敗した、と思った。
前田の気持ちには真っ直ぐ応えたいから、と前田を傷つけたくないから、と私は包み隠さず本当のことを言った。だけど、そうすべきじゃなかった。大切な人、だなんて言わなきゃよかった。
「小宮」
「……」
前田の声に焦りが滲んだ。
ああ、もうだめだ。私のために前田を立ち止まらせちゃいけないよ。
「…脈ナシ。多分」
「そうか。分かった。ありがとうな小宮」
前田はにっと無理矢理に口角を上げた不格好な笑顔を作った。
それを見ていると私は胸が張り裂けそうだった。
「いいよ。別にそのくらい当然でしょ。友達なんだから」
振ったのは自分のクセに。私は情けないことに前田との関係を終わらせるのはどうしても嫌みたいだ。
前田ははっと目を見張る。そうして、ぽり、と気まずそうに頬を一つ掻いた。
「…これまで通りにしていいのかよ?」
「…うん」
前田の質問に小さく頷く。私はずるい人間だ。
「ありがとう。小宮。もう付き合えとか言わねえから、また友達としてよろしくな」
「うん」
差し出された大きな手に私の手を重ねる。
私はずるい人間だ。だから前田の気持ちからも自分の気持ちからも逃げることを選んでしまった。
もう気持ちを切り替えてしまったのか清々しく笑う前田に募る罪悪感。落ち着かない気持ちを抱えたまま劇の練習開始が刻々と近付いていた。
「なあ、そろそろ落ち着いたか?」
答えたくない。なにも。
ふい、と前田から顔を背けて押し黙る。前田はそれを話せる程度には落ち着いた、と判断してしまったのか話し始める。
「さっき泣いてたのはなんだったんだよ?」
完全に無視、というのは悪い気がするけれど、今はまだ何があったか簡潔に説明できる気がしない。もしできたとしても話したい気分じゃないんだからどうせ話さないけど。
「話せって。何か言ってくんなきゃ分かんねえだろ」
黙りこくっている私にイライラが溜まってきたのか前田は私の肩を揺すり始めた。
一応心配とか遠慮とかもあるのか変にゆったり揺すられるその動きになんだか酔ってしまいそうだ。
このまま黙っていたらこんなことしてても意味ないなってやめてくれるかな。
「だから!話せって!言ってんだろうが!!!」
「うわっ!!!」
予想とは裏腹に前田は乱暴にガンガン私の身体を揺すり始めた。それはもう凄い勢いで頭まで痛くなってくるぐらい。堪らなくなって、私はついに叫び出した。
「やめて!吐く!吐くから!!!」
「やめねえ!今更お前に何されたって気になんねえっての!!!」
前田も叫んで応える。ここまできたらもう私が何か話すまで絶対やめてくれない。前田だって私に負けない頑固者なんだから。とっても傷ついた今の状態でそんなヤツと張り合えるわけない。私は揺らされてる勢いに任せてヤケクソで返した。
「分かったから!言うから!!!もうやめて!!!」
言い終わるのとほぼ同時に前田はぴたりと動きを止めた。突然止まったものだから結局まだ頭の中でぐらぐら揺れてるような余韻がしっかりと残って気持ちが悪いけど。
ぐうっと目を瞑ってそれに耐えていると、大丈夫だ、とでもいうように背中を撫でられる感覚。前田のこの欲しい時に欲しい優しさを与えてくるところ、今はとっても嫌。
背を捩って撫でられるのを拒否すると、私はすっと前田を見上げた。
「話す、とは言ったけどまだ結構ショックで上手に話せない。それでもいい?」
「ああ、それでいい」
応えながらさりげなく私の膝を抱く手に力が込もる。そういうのいいから!なんて今更言えなくてまた流されてやることにする。
私はふう、と息を吐いて話を始めた。
「黒木にね、怒られたの」
ちゃんと落ち着いてから話し始めたのに自分のものとは思いたくない子供っぽくて情けない声が出た。そんな自分がもう本当に嫌になる。
「ああ」
けれど前田は平淡に相槌を打つ。馬鹿にするでもなく過剰に甘やかすでもなくただ平淡に。その様子が私にはなんだか残酷に思えた。
それでも私はもう話すしかない。話すって言ってしまったからというのもあるけれど、レギュラーで私とは立場がまるで違う相手に私の主張で戦ってみたいと愚かにも思ってしまったのが一番大きな理由だった。
「私ね、クラスの劇の主役、お姫様役をやらないといけなくなったの」
前田はなおも神妙に頷く。真意は読めない。
「本当はね、バレー部の活動に集中したいし、脇役ならまだしも主役で劇に出るなんて恥ずかしくて嫌だし、仲良くもない子達のお願いなんて聞きたくもないし、とにかく絶対にやりたくなかった。だから断ったのに…」
ふいに先程の鬼のようだった黒木が思い出される。反射的に溢れそうになる涙をぐっと堪えると、それが逆流して鼻からぼたり、ぼたり、と雫が落ちた。
涙を流さなくて済んだ。私は鼻をすすりながら妙な安心感を感じた。
気を取り直して前田をもう一度見上げる。すすり切れなかった鼻垂れを制服で拭いながら私は何とか話を再開した。
「そのせいで黒木に怒られた。お前はバレー部員である前にクラスの一員だろって。バレー部よりもクラスを優先すべきだって。それが悲しくてムカついて頭にきてね、言い返して…」
「黒木が正しい」
ブツブツとその時の気持ちを連ねているのをぶった切るような前田の一言。それを投げかけて前田はおもむろに私の身体を引き離した。
「…どうして?」
肩に乗っかったままの手に恐る恐る触れる。前田の手はひどく熱を持っているように感じた。だけど、ふいに触れた自分自身の指が凍えそうに冷たくて前田の熱は錯覚なのだとすぐに気付いてしまった。
「黒木が正しいから」
なおも前田は続ける。全然、ちっとも、私の言葉に応える気なんてなく。
その前田の態度に理不尽にも私は激しく腹が立った。
あんなにいつもうざいくらいに私を好きって言う癖に!なんでこんなにも私が苦しんでいる時、最後まで甘やかしてくれないのよ!!!なんて。
だけど、それでも私は突っぱねるように私の肩口に伸ばされたその腕に縋ってしまう。
誰でもいいから今は誰かに優しくされたい。曲がりなりにもその欲をさっきまで満たしてくれていた人間に縋ってしまうのは情けないけれど仕方のないことだった。
「…小宮」
一瞬私を呼ぶ前田の声が苦しげに掠れた。
どきりと心臓が跳ねる。これは期待だ。
逸る気持ちのまま「だよね!そうでしょう!?」と激しく同意をするための助走をつけ始める心。
前田はついに重たい口を開く。
「お前の気持ちもよく分かるよ」
期待通りの言葉が降って来た。今一番欲しかった言葉が。
だけど…
「前田に私の何が分かるっていうのよ」
黒木の言葉がフラッシュバックする。
「立場を弁えろ」と。
「マネージャーのお前とレギュラーで扱いが違うのは当然だ」と。
悔しくて悔しくて堪らない。
そうだ。目の前のコイツ。コイツはその特別なんだ。
クソっ…!嫌だ。ムカつく。こんなヤツなんか…
思いかけたところで思考が固まる。
あ、そうだ。私、コイツが特別になれるように全力を尽くして頑張っているんだっけ。コイツや選手の皆が日本一の特別になるために。
あれ?じゃあ、マネージャーは?私は?どうしたらバレー部の特別になれるの?
分からない。だけど今は明確に叶えるべき目標が定められていて、そこに走っていく競争で勝ってしまえば特別になれてしまう目の前のコイツがただただ憎かった。
「…はじめっから前田なんかに私の気持ちが分かるわけなかったんだよ。何やってんのよ私。本当に…!!!」
私は叫んだ。そして私を捕らえるその嫌になるくらい逞しく鍛え上げらえた腕から逃れようと必死で藻掻いた。
「おい!小宮!!!」
咄嗟に私の身体を引き留めようと伸ばされた腕。けれど皮肉なことにそれによって私の身体は勢いよく地面に叩きつけられた。
「……」
痛い。だけどそんなこと思ってる場合じゃない。こんなヤツからすぐに離れなきゃ。
「小宮!!!大丈夫か!!!ケガは!?」
前田が地面に転がった私に手を伸ばす。私は勿論それを思いっきり振り払った。
「触らないで!!!1人で立てる」
じん、と痛む身体を押さえて立ち上がる。私よりも前田の方が傷ついた顔をしていて訳が分からなかった。
ただ、それを指摘する程私は優しくない。
私はすぐにその場から走り去った。
なんなのよ。なんなのよ。なんなのよ…!!!
家へ向かって走っている最中もずっとそう思わずにはいられなかった。
誠陵バレー部を日本一にしたい!前田をもっと強い選手にしてやりたい!
そう思って寝るのも友達と遊ぶのも我慢して勉強だって追い付かなきゃって頑張って。身を削ってでもやってやるって頑張ってきたのに。それでも私はバレー部で何者にもなれないの?選手じゃないから?マネージャーだから?
女だから?
ぴた、と足が止まる。目の前にはチカチカ消えたり灯ったりする心許ない街灯。私はその街灯に背を預けた。
そうしてふと空を見上げた。忙しなく点滅する街灯は私には眩しくて目が痛む。
でも、じゃあ私はどうしたいの?
マネージャーをやめてしまいたい?
やめて、女の子でも活躍できる場所で主役になってトップを目指したいの?
でもそうしたらバレー部は?前田は?皆の努力の結果は見届けられないの?それじゃ今までの努力は?バレー部の日本一も前田の成長もちゃんと私の大事な目標なんだよ。
それに私は…
街灯の明かりが一際強く輝く。
ぎゅっと目を瞑って再び開くと明かりはもう点くことはなかった。
明かりのあったところにはぽっかりと夜の闇よりも暗い穴が空いて見える。
私は心から主役になって輝いてみたいのかな?
結局何も分からない。自分の気持ちなのに。
私はゆっくりと家までの道のりを歩き出した。
でも、とにかく劇には出ないといけないよね。それ以外に私のやるべきことはないんだから。
主役。その言葉には他にはない重圧のようなものがある気がした。でもそれは自分一人だけで背負うはずなのになぜだかマネージャーとしてバレー部を背負うよりもずっと軽く感じた。
次の朝、私はいつも通り日が昇る前に起きてバレー部の朝練に向かう。制服を着て。
目を丸くしてこちらを見るナッツ、さとちゃん、そして選手達。そしてその中心には黒木。
私は皆の間を真っ直ぐに進み、黒木の前に立つ。
「黒木監督。申し訳ありません、全国大会を控えたこの大切な時期ではありますが文化祭が終わるまで部活を休ませていただきます」
「理由は?」
深く下げた頭上に監督の平坦な声が降ってくる。
私はすぐさま頭を上げた。
「クラスの劇に代役として出演する準備のためです」
「そうか。分かった。許可する」
「ありがとうございます」
私はもう一度深く頭を下げた。
「励めよ」
「…はい」
これでもう逃げ場はない。私の中で劇に出て主役を演じる決意がようやく形になった気がした。
昼休み。劇の練習開始5分前。私は体育館裏に走った。この時間、アイツは絶対ここにいるから。
「前田!」
最後の角を曲がりながら叫ぶ。前田は撃ち付けたボールが壁に当たるのを見届け、振り向く。
「あのさ、昨日はごめん。いっぱい迷惑かけて、心配かけてごめん」
「……」
前田は何も言わず足元のボールを拾い上げる。無理もない。だって昨日の私、最低だった。
だけど続ける。たとえ前田が聞きたくなくても、私が前田に筋を通さないで前に進めないから。
「私、劇に出ることにしたから。黒木に言われっぱなしも悔しいし、嫌だし恥ずかしいけどやってやるって思ったから」
「……」
「だから、私から言い出したことで本当に申し訳ないけど自主練も当分休ませてください!」
私は頭を下げた。朝、黒木に頭を下げたよりもずっとずっと深く。
「小宮、頭上げろよ」
低い低い声。相変わらず前田の気持ちは全く分からない。
「……」
恐る恐る前田を見上げる。
目がばっちりと合うと、前田はにっと清々しく笑った。
「分かった。小宮も頑張れよ!お姫様」
「…うん!!!」
私はその言葉に大きく頷いた。前田にそう言って貰えた、ということが泣けてきちゃうくらい嬉しくて嬉しくて堪らなかった。
ああ、いけない。泣いたらまた前田に迷惑だ。
私は涙が零れる前に目を伏せた。
けれどそれでも抑えきれなかったものがポロリと落ちた。それにめざとく気付いたのか前田の身体が一瞬びくっと強張った。
「あ…ごめん」
「…小宮!!!」
私の気遣いも虚しく、前田はすぐさま大事なボールを放り出して私の元にやって来た。
「前田、ごめん大丈夫だから。これは辛いとかそういうのじゃなくて…」
慌てて弁明する私。
「分かってるっつうのそんなの!!!」
そう叫ぶと、前田は突然私を抱き締めた。
「あー、ホント、俺、お前のそういうところが好きだ。なあ、やっぱり付き合おうぜ。小宮以外にこんなに好きになれるヤツなんか絶対いねえよ」
「はあ!?!?!?」
言いながら前田は恥ずかしいのかぐりぐりと頭を私の肩口に押し付けてきた。すんごい痛い。自分が180cm超えてる大男なんだって自覚してよ。それになんで今なの!?そんな雰囲気全然無かったじゃない!!!
その当の本人は私の色んな気持ちなんて完全無視で余計にぎゅっとぐりぐりを強くしながら続ける。
「小宮はさ、ガッツがあってすげえカッコいい。
昨日のだってそうだよ。お前は黒木に正論でボッコボコにされたんだろ?それなのにすぐ黒木の話を受け入れて今日にはもう吹っ切って頑張ろうとしてるだろ。
それ、誰にもできることじゃねえから。
俺の時は黒木に練習でボッコボコにされた時、他の似たようなヤツと一緒になって寮抜け出して逃げようとしてさ。辰巳に体張って止められなかったら今頃どうなってたか分かんねえのに。
お前、すげえよ」
「…それは、そんなんじゃないよ。認めたくないけど私だって前田がいてくれなきゃ今みたいな答えには辿り着いてなかったと思うし」
それに、それを言うなら前田だってカッコいいじゃない。今、それを乗り越えてレギュラー、裏エースなんだからまだ何も成してない私よりもっともっとカッコいい。こんなことは恥ずかしくて前田には言えないけれど本心からそう思う。
それでも前田は「でもやっぱりお前はカッコいいよ」と言う。
「俺が死ぬ気で練習していれば小宮も同じように死ぬ気で支えてくれる!無茶やったら死ぬ気で止めてくれる!」
「それはマネージャーとして当然でしょ。私じゃなくたってきっとそうした」
「それはそうかもしれねえけど俺は小宮にそうしてもらったから嬉しかったし、小宮だから今までやってこれたと思ってる」
「…なによそれ。意味分かんないから」
口ではそんなことを言うけれど、小宮だからというその言葉が私にとっては救いの言葉だった。私は前田にとっては特別な人間でいれているんだ、と安堵した。
「合宿の夜のアレの時もお前カッコよかった。別に態々自分の気持ちなんて明かさないで適当に流しちまえばいいようなことも俺が前に進めるようにってハッキリ言ってくれたヤツ。
俺の気持ちを舐めんなよ!って思わねえわけじゃねえけどそれでも嬉しかった」
「…違うよ。私そんないい人じゃない。ぐちゃぐちゃに悩んだ結果がたまたまそうなっただけだよ」
そう伝える私の声は震えていた。
前田は私の背をとん、とんと優しく叩き、落ち着いた頃、再び私をぎゅうと抱き締め直した。
「それに、お前すげえかわいい。浴衣も水着姿もいつものジャージも制服も全部。
好きなアイス食ってるとこも、試合で勝って嬉しそうな時もな。
あと…あー、やべえ出てこねえ…。そうだ、あとは古文教えてくれる時の自信満々なところ、タカの恋について楽しそうに聞いてたのと、俺の先生モノマネで爆笑してんのも」
「……」
かわいい。私が…?
家族とか女の子の友達に言われるならまだしも男子にそう思われてるのはちょっぴり信じられない気持ちがある。
なんだか自惚れちゃっている人みたいで恥ずかしいけど私は勇気を出して聞いてみた。
「……たまにやたらかわいいって言ってくるの、あれ、冗談とかじゃなかったの?」
前田は分かりやすくムッとした顔になるとまだOKも出してないのにぐっと顔を近付けてきた。
「なんとも思ってねえヤツにかわいいとか言うわけねえだろ。バカじゃねえのお前」
「ごめん。そうだよね。失礼なこと聞いた。ちゃんと前田の言ってること、伝わってる」
そう。今ので本当に伝わった。前田の気持ち。前田は私のことを中身も含めて全部好きだってこと。それと、もう初めて告白してきた時の前田じゃないってこと。私を本当に大事にしてくれる人だってことも。
その事実にきゅうと胸が苦しくなる。だって私はそれでも前田が好きじゃない。いや、ちょっと違う。前田のこと、ちゃんと少しは好きだよ。恋にまでなっているかは分からないけど普通の友達以上に想ってる。ただ、前田が私を好きでいてくれる程私は前田のことが好きじゃない。
そんな状態で私は前田と付き合おうなんて中途半端なことはしちゃだめだよね。絶対。
私はとん、と前田の肩を押した。
「ありがとう。前田。私にとって確かに前田は大切な人だよ。でもね、前田が私を好きでいてくれる分をまだ私は返すことができないから。だから、ごめんなさい」
そのままそっと前田の腕を潜り抜ける。前田はそれをただ静かに見送った。
「なあ、小宮」
それでも前田の瞳は真っ直ぐに私を射抜く。その顔は落ち込むでも悔しがるでもなく至って冷静だ。
「…なに?」
振り向くと、前田は少し戸惑いがちに目線を泳がせた。
「今の答えだけどよ、あれは、完全に俺は脈ナシってわけじゃねえ、って解釈してもいいか?」
「あ…」
失敗した、と思った。
前田の気持ちには真っ直ぐ応えたいから、と前田を傷つけたくないから、と私は包み隠さず本当のことを言った。だけど、そうすべきじゃなかった。大切な人、だなんて言わなきゃよかった。
「小宮」
「……」
前田の声に焦りが滲んだ。
ああ、もうだめだ。私のために前田を立ち止まらせちゃいけないよ。
「…脈ナシ。多分」
「そうか。分かった。ありがとうな小宮」
前田はにっと無理矢理に口角を上げた不格好な笑顔を作った。
それを見ていると私は胸が張り裂けそうだった。
「いいよ。別にそのくらい当然でしょ。友達なんだから」
振ったのは自分のクセに。私は情けないことに前田との関係を終わらせるのはどうしても嫌みたいだ。
前田ははっと目を見張る。そうして、ぽり、と気まずそうに頬を一つ掻いた。
「…これまで通りにしていいのかよ?」
「…うん」
前田の質問に小さく頷く。私はずるい人間だ。
「ありがとう。小宮。もう付き合えとか言わねえから、また友達としてよろしくな」
「うん」
差し出された大きな手に私の手を重ねる。
私はずるい人間だ。だから前田の気持ちからも自分の気持ちからも逃げることを選んでしまった。
もう気持ちを切り替えてしまったのか清々しく笑う前田に募る罪悪感。落ち着かない気持ちを抱えたまま劇の練習開始が刻々と近付いていた。
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