夜の帰り道1章
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夏合宿明け、夏休み最後の今日、私は机に向かって夏休みの宿題を終わらせるべく追い込みをかけていた。
部活漬けの毎日で宿題に手を付けるヒマがなかったとはいえ、まあまあ真面目にコツコツ進めてきたおかげであとは休み明けすぐの授業で提出&小テスト範囲の古典プリント集3枚だけ。このまま今日中に終わらせて、ゆっくりクーラーの効いた部屋でプリンでも食べるんだ。
よし!
小さく拳を握ると、私は転がっていたシャーペンを手に取った。
「莉緒―!電話よ!」
せっかくやる気になってきたところでお母さんに呼ばれてしまった。
「ええ!?今出られない!ちょっと今出かけてる、とか言っておいて!」
苛立っているのに任せてドアを勢いよく開けると、私は階下に向かって叫んだ。
あーあ、いいところだったのにな。多分、ヒメちゃんとかさとちゃんとか、誰か友達からのお誘いでしょ。行きたいけど宿題のせいで行けないし、タイミング悪い…
「ダメよ!バレー部の連絡網ですって!すぐに回さなきゃ迷惑でしょ!早く出なさい!」
「うそ!お母さんそれを早く言ってよ!」
手に持っていたシャーペンを机へ投げると、私は階段を駆け下りた。
「もしもし…」
半ばひったくるようにお母さんから受け取った受話器を耳に当てると、受話器の奥からクククッと嫌味な笑い声が聞こえた
「もしもし!」
強い口調で繰り返すと、笑い声の主はごほんっとワザとらしく咳払いをして応えた。
「おかえり、小宮。あー、俺だ俺」
「言わなくても分かる。どうせ前田でしょ」
「お!さすが俺のベストフレンド小宮!大正解!」
神経を逆撫でするような変に間延びした声で応える前田に私は、はあ、と1つため息を吐いた。
「ベストフレンドって…いつ私がそんなこと言ったのよ…あの時は友達だって言っただけじゃない」
「固いこと言うなよ!つれねえなあ~!さっきも電話無視しようとしてたしよ」
「えっ!?うそ、聞こえてたの?」
「最初っから最後までバッチリな!大好きな小宮の声を俺が聞き逃すワケねえだろ!」
うわ…気持ち悪い…
っていつもなら思ったことを言っちゃえるけど、無視しようとしたのは事実だし、キツいことは言えない。
「なあなあ、さっきまでお前何してたんだよ?」
「…で、要件は何?」
「あ、小宮、お前また無視する気かよ!そっちがその気なら俺も小宮が答えてくれるまで話してや~らねえ!」
声を聞いているだけで、前田のあのニヤけた嫌な顔が浮かんでくる。
あー、もう!連絡網じゃなかったらこんな電話とっくに切ってるのに!!!
「分かったよ、答える。宿題してたの、宿題!古典プリント!すごくいいところだったのに前田から電話がかかってきてほんと最悪!」
「げっ!古典!1個分かんねーとこそのまま放置してんだよな…なー、小宮―、明日の放課後そこ教えてくんね?小テストも懸かってるしマジでやべえんだ!頼む…!」
「は?明日?提出日って明日じゃないの?」
「俺のクラスだけ夏休み明け最初の古典は明後日なんだよな~!いいだろ~?」
「あっそ。でも私は明日、部活出るから教えないよ」
強い口調でそう言ったのに電話口の前田から慌てた様子を感じない。なんか気味が悪い。
「それなんだけどよ」
突然自信にあふれたゆっくりとした口調で前田が話し始めた。
「実は体育館の点検と黒木の出張が重なって明日の部活はナシになるらしいぞ」
「は!?」
「よかったな小宮~!明日は何も気にしないで俺に勉強教えられるぜ!」
「いや、私まだ教えるなんて一言も言ってないんだけど」
「おいおい、いいのかよ?」
「なにが?」
「バレー部の裏エース!この前田慶彦が補修で抜けたらマトモな練習できねえぜ」
そう尋ねると、前田は自信満々といった感じでそんなことを言ってきた。
要は宿題できなくて補修食らって練習に出れなくなるかも!助けて!ってことでしょ?どこに誇れる要素があるのよ。バカなの?
「べつに前田がいなくてもエースの辰巳がいるから平気でしょ。心配しなくても大丈夫」
「そ、そんなワケないだろ!例えばアレだ!辰巳と張り合えるヤツは俺以外にいねえから紅白戦をしようものなら試合にもならねえぞ~!」
早口にまくしたてると、前田は電話口でフンッと鼻を鳴らした。
「千葉や工藤もいるから問題ないよ。安心して補修行ってきな」
「いや、それもそうだけどよ!でも、もっとこう、なんか困ることあるだろ!」
さっきよりも早口になっちゃって、言い返されるとは思ってなくって前田がテンパりまくってるのが想像できるな。
まあ、部活が休みだっていうならべつに前田の宿題に付き合ってあげるくらい、いいか。そろそろ折れてあげようかな。前田の頼み方でイライラした分はちゃんと発散できたし。
「そうだね。前田がいなかったら人数変わっちゃってチーム分けが面倒になっちゃうし、しょうがないから宿題見てあげる」
そう言うと、なぜか電話口から笑いを堪えるようなククッて声が聞こえてきた。
「前田?」
嫌な予感がして、強い口調で呼びかけると、前田はわざとらしくフッと息を吐き出した。
「いや、なに。小宮って結構チョロいよな。フツー、あんな無理矢理な理由でOKしねえよ。それともあれか?やっぱりお前、なんだかんだ言って俺のこと好きなんじゃねえの?」
「なっ…!そんなワケないでしょ!この前の合宿の時、ちゃんと言ったじゃない!」
「合宿の後、気が変わったかもしんねえじゃん」
ああ言えばこう言う!もう!電話じゃなかったらあのニヤけ面を張り倒してやるのに!
「ああ!イライラする!やっぱり宿題教えるのナシ!補修食らえばいいよ!」
「とか言って、小宮は真面目で優しいからな。1度した約束は絶対に破らないし、やべえって困ってる俺を放っとけないし、結局教えてくれるんだろ?」
「そんなワケないでしょ!明日は絶対行かないから!」
「じゃあな小宮、また明日~!」
「ちょっと!」
待ってって言う前に前田はさっさと電話を切ってしまった。
なんなのよもう!腹立つなあ!絶対に明日は1人で帰ってやるんだから!!!
って思っていたハズなのに、結局私は帰れないでいた。
前田の言う通りになるのは癪だけど、一度した約束を勝手に破れないし、それに、前田のこと、合宿の時たくさん傷つけちゃったし、前田は友達で、それに、それに…
前田の宿題を手伝う理由を何個も何個も考えている内に、前田の教室の扉が勢いよく開いてドッと廊下に人が溢れた。
しばらしくして人が捌けると、ようやく前田が出てきた。
すぐに私を見つけると、前田はニヤニヤ笑いながら壁に追い詰めるみたいに私の前に立った。
「よお、小宮。やっぱり来たな」
「別に、前田にちゃんと今日は行かないって言えなかったし、前田にはたくさん迷惑をかけたからそのお詫びもしないといけないし、それに…」
「つまり、俺のことが好きだから来たってことだろ?」
「なっ!違うんだけど!」
睨みつける私のおでこを指でぴんと弾くと、前田はしてやったり、と笑いながら勝手に廊下を歩き始めた。
「ちょっと!どこ行くのよ!」
「秘密基地!小宮も早く来いよ。置いてくぞ」
憎たらしいくらい嬉しそうにしちゃって、ヘタクソな鼻歌まで歌いながら前田は廊下をどんどん進んで行った。
ああ、腹立つ!勝手に帰ってやろうかな。いや、でも逃げたと思われるのも癪だな。
ちょっと悩んだ末、結局私は前田の後を追うことにした。
「着いたぞ!」
そう言って前田が立ち止まったのは旧校舎3階の教室のドア…じゃなくて壁だった。
「ねえ、ドア、こっちだけど」
言いながらペンキの剥げかかった引き戸にちらりと目を遣ると、前田はフンッとこちらを小馬鹿にするように笑った。
「バーカ。そこは職員室にある鍵がなきゃ開かねえよ」
「は?じゃあどうやって中に入るっていうのよ?まさか廊下に座り込んで勉強するとか言わないでしょうね?」
私達の足跡がうっすら残ってるくらい埃を被った床を睨みつけるようにして開くと、前田は得意げに顎を持ち上げてみせた。
「まあ、見てろって」
そう言って私を押しのけると、前田は壁と床の間の下窓を思い切り蹴とばした。
すると、酷く錆びついた金属製の窓はあっけなく倒れた。
「ちょっと何してんのよ!そんなことしたら生活指導に何言われるか分かんないじゃない!」
「大丈夫だって!ここ、ただ外れやすくなってるだけだからすぐ嵌め直せんだよ。そんなことより、ほら、入口できたぞ、早く入れよ」
そう言うと、前田はバツが悪そうに倒した窓を足でいじり始めた。
たしかに窓が1個なくなって屈めば前田でもでも通り抜けられそうな隙間はできた。
でも…
「いやだ」
「なんでだよ!!!」
「いや、だって…前田、信用できないし」
意味もなく後ろ手でスカートを押さえると、夏服の心許ない生地がザラリと太ももに触れて背中がぞわりとした。
それを見て前田は面倒くさそうに顔を歪めると、「分あったよ」と屈んで隙間に頭を突っ込んだ。
「なんだよ。この前のほぼ裸みたいな水着は見られてもよくて、スカートの中はなしとか、女子って意味分かんねえ」
「聞こえてるんだけど?」
隙間を通り抜けながらぶつぶつ言ってる前田の尻を蹴とばすと、私も下窓をくぐった。
ひとしきり水着とパンツのアリなしなんてしょうもないことで言い合ってから机を向かい合わせると、私達はどかりと椅子に座り込んだ。
「で?分かんないのどこ?」
どうせ言い合いに決着なんてつかないんだから、と無理矢理本題に入ると、前田は納得のいかないむくれ顔で古典ワークを広げた。
「ここ。この読解問題が意味分かんねえ」
シャーペンでぐるぐる囲われた問題文をちょん、と1度指すと、前田はふんぞり返って椅子をグラグラさせ始めた。
教えてって頼んできたのは前田の方なのに何様のつもりなのよ!
そっぽ向いて欠伸までしてる前田をじろりと睨みつけると、私は問題に向き直った。
「えっと…?「Aの和歌を書いた姫君の気持ちを選択肢から選べ」?ああ、これ?簡単じゃん。姫君の和歌の意味が分かればすぐできる。これは姫君が初めて中将から貰った恋文へのお返事で、意味は…」
「「貴方が私を想う気持ちが白く美しいこの雪のように募っていくのならば、貴方の想いはいつか儚く消えてしまうということなのでしょうね」だろ?」
「なんだ、ちゃんと分かってるじゃん。じゃあ、答え分かるでしょ」
サラリと正しい訳を言ってのける前田に拍子抜けしちゃって顔を上げると、前田はなぜかすごく険しい顔をしてこちらを見ていた。
「なによ、その顔?」
「こっからが分かんねえ」
「はあ!?」
「これ、答え見たらアの「中将からの恋文を嬉しく思い、中将との仲を深めたいと望む気持ち」ってヤツが正解って書いてあんだけどなんでそうなるんだよ?どう見てもこの女、和歌で「お前のこと信用できねえ」つってんじゃん!」
そうやってイラついて前のめりになる前田とは対照的に、私は呆れるあまり身体の力が抜けてしまった。
なんだ、そういうことか…
「あのさあ、前田、この時代のお姫様って、好きな人に手紙を貰っても最初は軽い女に見られないように1回お誘いを断るものなの」
「な、なにィ!?」
ガタッと机を叩いて驚く前田に姿勢を正して向き直ると、私は今友達の間で流行っている平安時代が舞台の恋愛漫画で知った知識を得意になって話し始めた。
「2回目、3回目くらいまではお誘いを受けないでおいて、それからやっと姫君は好きな相手なら私も好きですって言うのが平安貴族の常識なの。
この問題文の最後でさ、中将と姫君が2人で月を見るところで終わっているでしょ?ということは、最終的に結ばれたんだから、この姫君は中将のことが好きだったはずなのね。それで、Aの和歌の後の文に姫君が中将を好きになったきっかけとかは書かれていないんだから、1回目の和歌を送った時点で中将のことが好きだったってことになるってワケ!分かった?」
「なるほどな…なんとなく分かったわ」
シャーペンを取り出して問題のところに書き込みをしようとする手を途中で止めると、おもむろに前田は私を見上げた。
「なに?忘れない内に早く書いちゃいないよ」
「ああ、悪い」
すぐにまたワークに向き直ると、前田は何事も無かったかのように書き込みをし始めた。
それなのに私は、ふとこちらを見上げた前田と目が合ったことがなぜだかすごく引っかかって落ち着かなかった。
部活漬けの毎日で宿題に手を付けるヒマがなかったとはいえ、まあまあ真面目にコツコツ進めてきたおかげであとは休み明けすぐの授業で提出&小テスト範囲の古典プリント集3枚だけ。このまま今日中に終わらせて、ゆっくりクーラーの効いた部屋でプリンでも食べるんだ。
よし!
小さく拳を握ると、私は転がっていたシャーペンを手に取った。
「莉緒―!電話よ!」
せっかくやる気になってきたところでお母さんに呼ばれてしまった。
「ええ!?今出られない!ちょっと今出かけてる、とか言っておいて!」
苛立っているのに任せてドアを勢いよく開けると、私は階下に向かって叫んだ。
あーあ、いいところだったのにな。多分、ヒメちゃんとかさとちゃんとか、誰か友達からのお誘いでしょ。行きたいけど宿題のせいで行けないし、タイミング悪い…
「ダメよ!バレー部の連絡網ですって!すぐに回さなきゃ迷惑でしょ!早く出なさい!」
「うそ!お母さんそれを早く言ってよ!」
手に持っていたシャーペンを机へ投げると、私は階段を駆け下りた。
「もしもし…」
半ばひったくるようにお母さんから受け取った受話器を耳に当てると、受話器の奥からクククッと嫌味な笑い声が聞こえた
「もしもし!」
強い口調で繰り返すと、笑い声の主はごほんっとワザとらしく咳払いをして応えた。
「おかえり、小宮。あー、俺だ俺」
「言わなくても分かる。どうせ前田でしょ」
「お!さすが俺のベストフレンド小宮!大正解!」
神経を逆撫でするような変に間延びした声で応える前田に私は、はあ、と1つため息を吐いた。
「ベストフレンドって…いつ私がそんなこと言ったのよ…あの時は友達だって言っただけじゃない」
「固いこと言うなよ!つれねえなあ~!さっきも電話無視しようとしてたしよ」
「えっ!?うそ、聞こえてたの?」
「最初っから最後までバッチリな!大好きな小宮の声を俺が聞き逃すワケねえだろ!」
うわ…気持ち悪い…
っていつもなら思ったことを言っちゃえるけど、無視しようとしたのは事実だし、キツいことは言えない。
「なあなあ、さっきまでお前何してたんだよ?」
「…で、要件は何?」
「あ、小宮、お前また無視する気かよ!そっちがその気なら俺も小宮が答えてくれるまで話してや~らねえ!」
声を聞いているだけで、前田のあのニヤけた嫌な顔が浮かんでくる。
あー、もう!連絡網じゃなかったらこんな電話とっくに切ってるのに!!!
「分かったよ、答える。宿題してたの、宿題!古典プリント!すごくいいところだったのに前田から電話がかかってきてほんと最悪!」
「げっ!古典!1個分かんねーとこそのまま放置してんだよな…なー、小宮―、明日の放課後そこ教えてくんね?小テストも懸かってるしマジでやべえんだ!頼む…!」
「は?明日?提出日って明日じゃないの?」
「俺のクラスだけ夏休み明け最初の古典は明後日なんだよな~!いいだろ~?」
「あっそ。でも私は明日、部活出るから教えないよ」
強い口調でそう言ったのに電話口の前田から慌てた様子を感じない。なんか気味が悪い。
「それなんだけどよ」
突然自信にあふれたゆっくりとした口調で前田が話し始めた。
「実は体育館の点検と黒木の出張が重なって明日の部活はナシになるらしいぞ」
「は!?」
「よかったな小宮~!明日は何も気にしないで俺に勉強教えられるぜ!」
「いや、私まだ教えるなんて一言も言ってないんだけど」
「おいおい、いいのかよ?」
「なにが?」
「バレー部の裏エース!この前田慶彦が補修で抜けたらマトモな練習できねえぜ」
そう尋ねると、前田は自信満々といった感じでそんなことを言ってきた。
要は宿題できなくて補修食らって練習に出れなくなるかも!助けて!ってことでしょ?どこに誇れる要素があるのよ。バカなの?
「べつに前田がいなくてもエースの辰巳がいるから平気でしょ。心配しなくても大丈夫」
「そ、そんなワケないだろ!例えばアレだ!辰巳と張り合えるヤツは俺以外にいねえから紅白戦をしようものなら試合にもならねえぞ~!」
早口にまくしたてると、前田は電話口でフンッと鼻を鳴らした。
「千葉や工藤もいるから問題ないよ。安心して補修行ってきな」
「いや、それもそうだけどよ!でも、もっとこう、なんか困ることあるだろ!」
さっきよりも早口になっちゃって、言い返されるとは思ってなくって前田がテンパりまくってるのが想像できるな。
まあ、部活が休みだっていうならべつに前田の宿題に付き合ってあげるくらい、いいか。そろそろ折れてあげようかな。前田の頼み方でイライラした分はちゃんと発散できたし。
「そうだね。前田がいなかったら人数変わっちゃってチーム分けが面倒になっちゃうし、しょうがないから宿題見てあげる」
そう言うと、なぜか電話口から笑いを堪えるようなククッて声が聞こえてきた。
「前田?」
嫌な予感がして、強い口調で呼びかけると、前田はわざとらしくフッと息を吐き出した。
「いや、なに。小宮って結構チョロいよな。フツー、あんな無理矢理な理由でOKしねえよ。それともあれか?やっぱりお前、なんだかんだ言って俺のこと好きなんじゃねえの?」
「なっ…!そんなワケないでしょ!この前の合宿の時、ちゃんと言ったじゃない!」
「合宿の後、気が変わったかもしんねえじゃん」
ああ言えばこう言う!もう!電話じゃなかったらあのニヤけ面を張り倒してやるのに!
「ああ!イライラする!やっぱり宿題教えるのナシ!補修食らえばいいよ!」
「とか言って、小宮は真面目で優しいからな。1度した約束は絶対に破らないし、やべえって困ってる俺を放っとけないし、結局教えてくれるんだろ?」
「そんなワケないでしょ!明日は絶対行かないから!」
「じゃあな小宮、また明日~!」
「ちょっと!」
待ってって言う前に前田はさっさと電話を切ってしまった。
なんなのよもう!腹立つなあ!絶対に明日は1人で帰ってやるんだから!!!
って思っていたハズなのに、結局私は帰れないでいた。
前田の言う通りになるのは癪だけど、一度した約束を勝手に破れないし、それに、前田のこと、合宿の時たくさん傷つけちゃったし、前田は友達で、それに、それに…
前田の宿題を手伝う理由を何個も何個も考えている内に、前田の教室の扉が勢いよく開いてドッと廊下に人が溢れた。
しばらしくして人が捌けると、ようやく前田が出てきた。
すぐに私を見つけると、前田はニヤニヤ笑いながら壁に追い詰めるみたいに私の前に立った。
「よお、小宮。やっぱり来たな」
「別に、前田にちゃんと今日は行かないって言えなかったし、前田にはたくさん迷惑をかけたからそのお詫びもしないといけないし、それに…」
「つまり、俺のことが好きだから来たってことだろ?」
「なっ!違うんだけど!」
睨みつける私のおでこを指でぴんと弾くと、前田はしてやったり、と笑いながら勝手に廊下を歩き始めた。
「ちょっと!どこ行くのよ!」
「秘密基地!小宮も早く来いよ。置いてくぞ」
憎たらしいくらい嬉しそうにしちゃって、ヘタクソな鼻歌まで歌いながら前田は廊下をどんどん進んで行った。
ああ、腹立つ!勝手に帰ってやろうかな。いや、でも逃げたと思われるのも癪だな。
ちょっと悩んだ末、結局私は前田の後を追うことにした。
「着いたぞ!」
そう言って前田が立ち止まったのは旧校舎3階の教室のドア…じゃなくて壁だった。
「ねえ、ドア、こっちだけど」
言いながらペンキの剥げかかった引き戸にちらりと目を遣ると、前田はフンッとこちらを小馬鹿にするように笑った。
「バーカ。そこは職員室にある鍵がなきゃ開かねえよ」
「は?じゃあどうやって中に入るっていうのよ?まさか廊下に座り込んで勉強するとか言わないでしょうね?」
私達の足跡がうっすら残ってるくらい埃を被った床を睨みつけるようにして開くと、前田は得意げに顎を持ち上げてみせた。
「まあ、見てろって」
そう言って私を押しのけると、前田は壁と床の間の下窓を思い切り蹴とばした。
すると、酷く錆びついた金属製の窓はあっけなく倒れた。
「ちょっと何してんのよ!そんなことしたら生活指導に何言われるか分かんないじゃない!」
「大丈夫だって!ここ、ただ外れやすくなってるだけだからすぐ嵌め直せんだよ。そんなことより、ほら、入口できたぞ、早く入れよ」
そう言うと、前田はバツが悪そうに倒した窓を足でいじり始めた。
たしかに窓が1個なくなって屈めば前田でもでも通り抜けられそうな隙間はできた。
でも…
「いやだ」
「なんでだよ!!!」
「いや、だって…前田、信用できないし」
意味もなく後ろ手でスカートを押さえると、夏服の心許ない生地がザラリと太ももに触れて背中がぞわりとした。
それを見て前田は面倒くさそうに顔を歪めると、「分あったよ」と屈んで隙間に頭を突っ込んだ。
「なんだよ。この前のほぼ裸みたいな水着は見られてもよくて、スカートの中はなしとか、女子って意味分かんねえ」
「聞こえてるんだけど?」
隙間を通り抜けながらぶつぶつ言ってる前田の尻を蹴とばすと、私も下窓をくぐった。
ひとしきり水着とパンツのアリなしなんてしょうもないことで言い合ってから机を向かい合わせると、私達はどかりと椅子に座り込んだ。
「で?分かんないのどこ?」
どうせ言い合いに決着なんてつかないんだから、と無理矢理本題に入ると、前田は納得のいかないむくれ顔で古典ワークを広げた。
「ここ。この読解問題が意味分かんねえ」
シャーペンでぐるぐる囲われた問題文をちょん、と1度指すと、前田はふんぞり返って椅子をグラグラさせ始めた。
教えてって頼んできたのは前田の方なのに何様のつもりなのよ!
そっぽ向いて欠伸までしてる前田をじろりと睨みつけると、私は問題に向き直った。
「えっと…?「Aの和歌を書いた姫君の気持ちを選択肢から選べ」?ああ、これ?簡単じゃん。姫君の和歌の意味が分かればすぐできる。これは姫君が初めて中将から貰った恋文へのお返事で、意味は…」
「「貴方が私を想う気持ちが白く美しいこの雪のように募っていくのならば、貴方の想いはいつか儚く消えてしまうということなのでしょうね」だろ?」
「なんだ、ちゃんと分かってるじゃん。じゃあ、答え分かるでしょ」
サラリと正しい訳を言ってのける前田に拍子抜けしちゃって顔を上げると、前田はなぜかすごく険しい顔をしてこちらを見ていた。
「なによ、その顔?」
「こっからが分かんねえ」
「はあ!?」
「これ、答え見たらアの「中将からの恋文を嬉しく思い、中将との仲を深めたいと望む気持ち」ってヤツが正解って書いてあんだけどなんでそうなるんだよ?どう見てもこの女、和歌で「お前のこと信用できねえ」つってんじゃん!」
そうやってイラついて前のめりになる前田とは対照的に、私は呆れるあまり身体の力が抜けてしまった。
なんだ、そういうことか…
「あのさあ、前田、この時代のお姫様って、好きな人に手紙を貰っても最初は軽い女に見られないように1回お誘いを断るものなの」
「な、なにィ!?」
ガタッと机を叩いて驚く前田に姿勢を正して向き直ると、私は今友達の間で流行っている平安時代が舞台の恋愛漫画で知った知識を得意になって話し始めた。
「2回目、3回目くらいまではお誘いを受けないでおいて、それからやっと姫君は好きな相手なら私も好きですって言うのが平安貴族の常識なの。
この問題文の最後でさ、中将と姫君が2人で月を見るところで終わっているでしょ?ということは、最終的に結ばれたんだから、この姫君は中将のことが好きだったはずなのね。それで、Aの和歌の後の文に姫君が中将を好きになったきっかけとかは書かれていないんだから、1回目の和歌を送った時点で中将のことが好きだったってことになるってワケ!分かった?」
「なるほどな…なんとなく分かったわ」
シャーペンを取り出して問題のところに書き込みをしようとする手を途中で止めると、おもむろに前田は私を見上げた。
「なに?忘れない内に早く書いちゃいないよ」
「ああ、悪い」
すぐにまたワークに向き直ると、前田は何事も無かったかのように書き込みをし始めた。
それなのに私は、ふとこちらを見上げた前田と目が合ったことがなぜだかすごく引っかかって落ち着かなかった。