夜の帰り道1章
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肝試しから帰った後、私はすぐに布団を敷いて部屋の電気を消した。
同じ部屋のナッツやさとちゃんが帰ってくる前に前田のことを考えないとって焦っていたのに、布団に入ってしまったらすぐに答えが出た。
今、前田のことを好きになれないなら、もう前田と一緒にいるのをやめた方がいい。
目を瞑って深い眠りに落ちるまで、私は頭の中で何回もそう唱えた。
朝、目覚まし時計に合わせて目を開けると、私はゆっくり布団から起き上がった。
昨日の肝試しで無理矢理千葉と組んじゃったし、その千葉には前田のことをどう思えばいいかハッキリしないでうじうじしてる情けないところを見せちゃったり、色々あったけど、2人はどのくらいのことまで知っているんだろう。なんだかすごく居心地が悪い。
「お、おはよう」
目が合ったナッツがぎこちなく片手を挙げた。
「おはよう」
いつものように挨拶を返すと、ナッツは顔を綻ばせてもう一度「おはよう」と返してくれた。
でも、ナッツの隣にいるさとちゃんはナッツの方だけちらりと見て「おはようございます」って言ったきり、枕もとのタオルを掴んで洗面所に入って行った。
「待ってよ~!」
後を追ってナッツも自分のタオルを持って洗面所に行ってしまった。
「…洗面所もいっぱいだし私は布団でも畳もうかな」
誰に言うでもない独り言を呟いて、私はゆっくり布団から出た。
お風呂から上がって、1人、粗末な臙脂色の暖簾を抜けたところにあるベンチに腰を下ろすと、ふう、と大きなため息が漏れた。
結論から言うと、合宿3日目の予定は滞りなく終わった。
別に雰囲気がギスギスしていたって、私もナッツもさとちゃんもみんな真面目な方だから練習のサポートもお昼のカレー作りも練習場の掃除だって全部こなせた。ただ、そこにいつもの楽しいおしゃべりが無かったってだけ。
でも、そうやって3人であれやこれやくだらないことを話す時間が無いっていうだけでいつも楽しかった部活が辛いものに感じて、少し、虚しい気持ちになった。
さっきまではずっと目が回りそうなくらい忙しかったけれど、お風呂から出ちゃえば暇になっちゃって、気にしないでいられたことも全部気になってきた。
なんか、嫌だな。
2人が湯船に入ってくるのを見つけて、すれ違うようにお風呂から出てきちゃった手前、ここで2人を待っているのもおかしいような気がして、私は濡れたタオルを抱えて立ち上がった。
部屋へ戻ろうかとも思ったけど、明日も早いし、2人はすぐにお風呂から出てきてしまうだろうから、そんなことをしたら早くお風呂を出た意味が無くなってしまう。
腕から滑り落ちそうになるタオルを抱え直すと、私はこっそり合宿所の裏口へ向かった。
消灯の時間になるまで1人で外の空気に当たって時間を潰すのがいい。
濡れたタオルが押し付けられたTシャツがひやりと水を吸って濁った色が広がった。
「よお小宮!遅かったな」
裏口の扉を開けると、なぜか前田がいた。
部屋着なのかちょっとよれた薄いブルーのTシャツに、人気のスポーツブランドのロゴが入った黒っぽいジャージとハーフパンツ。足元は制服のローファーなのはちぐはぐな感じがするけれど、近所のスーパーとかに行くくらいだったらこれくらいが普通だし、髪だっていつも通りに整えられている。汗と濡れタオルのせいでびちょびちょなパジャマに脱衣所のドライヤーで適当に乾かしただけのボサボサ頭の自分とは大違いだ。
もしかして、今、私が裏口から出ていこうとするって読まれてた!?
ここに行こうって思ったのは今さっきのことだし半信半疑だけど、私は意を決して尋ねた。
「なんで前田がここにいるの?」
そう聞くと前田は一瞬ぽかん、とした顔になったけど、すぐに不機嫌そうに表情を歪ませた。
「何言ってんだ?お前、バスに乗る前に約束したじゃねえか。3日目の自由時間、9時半に裏口集合な!って」
「は?そんな約束なんて…」
言いかけた途端に思い出した。そうだ、荷物の点検の時にそんなこと言ってちょっかいかけてきてたな。行くつもりなかったから忘れてた。
「やっと思い出したか?」
「あー、うん。でも、あれ、私は行くって言ってないじゃん。約束になってないでしょ」
「でも、小宮来ただろ?有効だ有効!」
「だから、今言ったでしょ。その約束は…」
前田が強引にこのまま2人で過ごす流れに持ち込もうとしているのを察してすかさず言い返そうとしたのに、いつものようにすらすら言葉が出てこない。
悔しくって、余計にイライラしているのを悟られたくなくて私は前田から視線を外した。
「なんだよ。言い返してこねえの?」
さっきまでの威勢はどうしたのか、突然こちらを伺うような態度で前田がそう聞いてきた。
チャンスだ!
「とにかく私はそんな約束をしたつもりはないから。前田は勝手に1人でどっか行けば?」
なんで前田の態度が変わったのかはよく分からないけど、このチャンスを逃して前田に流されるのなんてごめんだから、私はちょっと強い口調でそう言った。
私の言葉が結構効いたのか、前田は面食らった顔をして1つ瞬きをした。すると、一転、憐れむように眉を下げてこちらを見てきた。
「なあ、お前なんか変じゃねえ?俺との約束で来たってんじゃないなら、真面目なお前が合宿所抜け出そうなんて普通考えねえだろうし、何かあったんじゃねえの?」
「何もないよ。たまたま今日は抜け出したい気分だっただけ」
結構当たってる。慌てて話した理由は我ながら全然説得力ないなって思うけど今思っていることが、全部前田に知られるよりはマシなはずだ。
「まあいいや、とにかく行こうぜ。ちょっと行ったとこに自販機とベンチがあっからよ」
「ちょっと待ってよ。私は行かないって言ったじゃ…痛っ!」
さっさと表の通りに出ようとする前田を止めようと声を上げたら突然デコピンを食らわされた。
「バカ!お前大声出してんじゃねえよ!黒木とか辰巳にバレたら俺ら地獄の説教コースだぜ」
周囲を伺うようにきょろきょろ落ち着きなく視線を彷徨わせながら精一杯の小声でそう言うと、前田は私の腕を掴んで強引に引っ張った。
「ちょっと!何すんの?黒木と辰巳の名前叫ぶよ?」
「んなことマジでしねえだろ。合宿所にいずれえから小宮も抜け出そうなんて考えたんだろうからな」
「そう思うなら前田が1人でそこ行けばいいじゃん。私は別のところで時間潰してるから」
「何言ってんだよ。小宮は合宿所にいたくない、俺は小宮といたい。2人で合宿所抜け出したら一石二鳥だろ。絶対そっちのがいいって」
「…それはそうかもしれないけど」
前田の言ってること、なんかちょっと変かもって思ったけど、妙に納得しちゃった瞬間、腕を掴む力がぐっと強くなって、ぐんと歩くスピードが速くなった。
そうされてやっと、私は前田にまんまとのせられたってことに気付いた。それなのに前田の手を振り払えない自分が本当に嫌になる。いっそここで襲われるとかされたら前田のことただ嫌いになれるのに。そんなどうしようもない考えまで浮かんでくる。
「小宮、ほらよ」
投げて寄越された缶をキャッチして顔を上げると、前田がニッといたずらっぽく笑った。
田舎の自販機らしく見慣れない時代遅れなデザインの缶だけど、アメリカかぶれのギョロリとした大きな目のオレンジに手足が生えたみたいなキャラクターがでかでかと印刷されているのだから多分、オレンジジュースなんだろう。
隣に座ってとっくにプルタブを開けてジュースを飲み始めていた前田はじっとミッキ●マウスみたいな顔をしたオレンジを見つめたままの私を見て不思議そうな顔をした。
「飲まねえのか?あ、もしかして自分で缶、開けられねえの?ったく、小宮はお子ちゃまだな」
分かりやすい挑発に乗ってあげるのも面倒でこくんと頷くと、前田は目を丸くしてこちらを2度見してきた。
「なんだよ。お前、意外と甘えたいタイプなのな。貸してみろよ」
ひょい、と私から缶を取り上げると、前田はそれを開けて得意げに私の手に戻した。
なによ、前田だってお子ちゃまじゃない。こんなの開けられただけで得意になっちゃってさ。
なんて言ってやりたくなったけど、やっぱり面倒になって言うのをやめた。
「…ありがとう」
「おう。ほら開けてやったんだから飲め飲め」
返事をする代わりに1口、飲み込んだ。
オレンジ…というかみかんの味が薄っすらするだけの甘ったるい飲み物だ。でも、なんか嫌いじゃない。
「どうだ?」
声を弾ませて聞いてくる前田に私は1つ頷いて答えた。
「なんか、田舎のジュースって感じする」
「そう!そんな感じ!なんか缶も味も全部古臭えよなー。でも俺は結構好きだな」
「私も」って頷いて見せると、前田は嬉しそうに歯を出して笑った。
「これ、意外と当たりだったな。前に家族旅行で行った旅館の自販機で大失敗したことあっから、買う時ひやひやしたんだぜ。あん時飲んだおしるこサイダー、マジでやばくてもう思い出すだけで吐きそう」
おしるこサイダーがいかに不味かったか。ちょっとオーバーに話して私を楽しませようとしてくれる前田に胸が痛んだ。
やめてよ。いつもの私だったらまだしも、今の黙り込んじゃってる私と喋ってたって前田は楽しくないでしょ。時間の無駄だよ。
「前田」
「なんだよ。まさかおしるこサイダー飲んでみたいとか言うんじゃねえだろうな?」
「…肝試しの時はごめん。実は、私、前田とペアになるのが嫌で嘘ついた」
「は?なんだよそれ」
前田の顔からさっきまでの笑顔が一瞬にして抜け落ちた。
「元は私と前田がペアになるようにくじに仕掛けがされてあったんだ。だけど、どうしても前田と2人きりになりたくなくて、わざと前田に聞こえるように「千葉とペアだ」って言ったの」
「…なんで、そんなことしたんだよ?」
どさくさに紛れて肩と肩とが触れそうな距離にまできていたのにそれも自分から体を離したり、らしくなく前田が動揺しているのがはっきり分かった。
「どういうことだよ、急に」
取り繕うようにうっすら笑いを浮かべながら前田が開いてきた。
その表情から私の言葉、仕草、なにもかもが恐いのだと嫌でも伝わってきた。
やっぱりこれ以上は無理だ。もう何も言いたくないし考えたくない。
でも、そうやって逃げたら千葉の言う通り前田をこれからずっと苦しめることになるのも分かっている。
私はそっちの方が嫌だ。
やっぱりまだ嫌いな気持ちもあるし、前田のことは恋の相手としては考えられない。
でも…
でも、私にとって前田は大切な人だから。
「ごめん。私は前田のこと恋愛対象として見れない。だから、これからはちゃんとそれを態度で示さなきゃだめだって思ったんだ」
言いながら目元がじん、と痛んだ。大切だ、とは思ったけどまさかこんなに前田の存在が自分の中で大きくなっていたなんて知らなかった。
だからってこれ以上前田に甘えるわけにはいかないから、私はぎゅっと1回瞬きをして立ち上がった。
「ごめん。私、もう帰るね。ジュース驕ってくれてありがとう」
「待てよ!!!」
走り出そうとした瞬間、突然強く腕を引かれて立ち止まった。
振り返ると真っ直ぐにこちらを見つめる前田と目が合った。
突然のことに呆気に取られて動けなくなってる私を向き直らせると、前田はおもむろに私の腕から手を離した。
「小宮、こっち向け」
地面に目を遣ろうとした瞬間だった。
おそるおそる前田と目を合わせると、前田はさっきと同じように真剣な表情のままこちらを見据えていた。
「好きだ。小宮。俺と付き合ってほしい」
「…え?」
一瞬、意味が分からなかった。
なんで今?さっき私、前田のことどう思ってるか言ったよね?もしかしてちゃんと伝えられてなかった?やばい。どうしよう何か言わなきゃ。ああ、でも、だからって、これ以上何を言えばいいの?いい言葉が思いつかない。
「返事は?」
ぎゅう、とTシャツのすそを掴んで俯く私に前田が冷ややかに言い放った。
「あの…その…」
洗い古した固い生地にせわしくなく指を擦り付けながらぼそぼそ曖昧な返事だけを返す。
そうしたら擦り傷だらけの黒いローファーが一歩こちらに近付いた。
早く言わなきゃ。
「だから…その…さっきも言ったと思うんだけど…私の気持ち…」
「いいからもう1回言えよ」
淡々とした低い声で間髪入れずにそう言われて、私は思わず弾かれたように顔を上げた。
てっきり前田は、はっきりしない私に怒っているのかと思っていたけれど、意外にも表情は穏やかだった。
ああ、千葉の言っていた「振ってやれ」ってこういうことだったんだ。
もうとっくに答えが分かっていても、それを真正面から受け止めてからじゃなきゃ前には進めない。前田には今の私の言葉が必要なんだ。
「ごめんなさい。私は前田とは付き合えません。前田のことは恋愛対象として好きにはなれなかった。はっきりしなくて前田に期待させるようなことしてたらごめんなさい。あと、こんな私のこと好きになってくれてありがとう」
言いながら泣いちゃいそうになって、私は慌てて頭を下げて隠した。
振る側の私が泣いてどうするのよ。振られるのが分かってて告白する前田の方がずっとずっと辛いのに。
目線の先にある震える両の拳がじわりと滲んだ。
「小宮」
「な、なに?」
大きく瞬きをしてから、慌てて顔を上げた。
前田はなぜかニッと得意げに歯を見せて笑っていた。
「…え?前田、大丈夫?」
思わず手を伸ばすと、前田はさりげなくその手を避けてから口を開いた。
「よし!これで小宮と俺はただの友達な!」
「…は?!」
「なに驚いてんだよ。だってそうだろ?告白してフラれたんだから元の友達関係に戻ったんだよ」
告白してフラれたから友達!?それはそうかもしいれないけどそれはある程度時間を置いてからそうなるって話じゃないの!?もっとこう…気まずい…とかないの!?
「なんか、これってそんな簡単な話じゃないんじゃない?」
なんて言えばいいのか分からなくて、どもりながらそう言うと、前田は目に見えて面倒臭そうな顔になった。
「小宮さあ、お前考えすぎ。俺が友達だっつってんだからそれでいいだろ。それともなんだ?お前は俺と友達すんのは嫌だってのかよ?」
「そんなことない。前田は…友達だと思ってる」
「なら友達でいいんだよ。大体話が急すぎるんだよ。そもそも俺と小宮の間で何かあったわけでもないのに、こんな話する必要あったのか?」
「それは…前田は部活の仲間だし、友達だし、そういうのはちゃんとしなきゃなって思ったから…」
言いながらどんどん申し訳ない気持ちになってきて俯きかけた私の頭を軽くはたくと、前田は呆れたように1つ息を吐いた。
「小宮、お前真面目すぎだろ。まあ、そういうところ、嫌いじゃねえけどな」
そう言って目を細めると、前田はおもむろに背を向けて空き缶をゴミ箱に放った。
その背中を目で追いながら、さっきの前田の言葉をぼんやりと思い浮かべる。
嫌いじゃない…嫌いじゃない、か。
頭の中でさっきの言葉を繰り返すと胸の内があったかくなるような不思議な感じがした。
「おい!」
「え?なに?」
突然呼ばれて顔を上げると、前田が不機嫌そうな顔をしてゴミ箱の横に立っていた。
どうやら、ちゃんと入らなかったらしい。
「なに固まってんだよ?あ、もしかしてさっきの俺の言葉にドキッとしたのか?これって脈アリってヤツじゃねえの?」
前言撤回。やっぱり胸があったかくなる…とか気のせい!ただ前田が珍しいこと言うから気になっただけ!
「脈ナシ。あんなのでドキッとするわけないでしょ」
「じゃあなんで、んなとこで固まってたんだよ?」
「ゴミ箱の周りで前田がうろちょろして邪魔だったから。ほら、早くどいて」
言いながら缶をゴミ箱に向かって全力投球すると、前田は「おわっ!」って変な声上げてよろけた。
もちろん、私の缶はばっちりゴミ箱に入った。前田と違ってね。
「よし、じゃあ帰ろうか、前田」
「おー」
私に敗けて悔しいのか前田は不貞腐れた様子で私の隣に並んだ。
それがおかしくってニヤニヤしながら見てると、前田にすごい顔で睨まれた。
「ごめんって前田」
形だけ謝ってみせたけどまだニヤニヤ笑ってる私にムカついたのか「なんだよ」って捨て台詞を吐いて前田はそっぽ向いてしまった。
…言うなら今しかないかな。
「前田、ありがとう」
「おう」
山の涼しい風が私と前田の間を通り過ぎるのが心地よくて、この時間がもっと続けばいいな、と思った。
部屋に戻ると、すでに明かりは消されていて、ナッツもさとちゃんも静かに寝息を立てていた。
時間は夜の12時過ぎ。早く寝ないと明日の朝練に響く。
私はすぐに2人が敷いてくれていた布団に潜り込んだ。
「おやすみなさい」
朝、目覚まし時計の音に合わせて起き上がると、2人はとっくにジャージに着替えて練習に行く準備をしていた。
「お、おはよう!」
2人の背中に声をかけた。
「おはよう!」
びくっと肩を跳ねさせて振り向いてくれたナッツに近付くと、隣にいたさとちゃんはあからさまに嫌な顔をした。
「あのさ、2人に話したいことがあって。聞いてくれないかな?」
「なんです?先輩。私、今忙しいので手短にお願いします」
とげとげしい口調で返事をするさとちゃんに真正面から向き合うと、私は肝試しで千葉と話したこと、昨日前田と話したこと、私の気持ち…全部ありのままに話した。
話しを終えると、ナッツもさとちゃんも俯いてしまって、しばらく黙り込んでいた。
「そういうことだから、その、いろいろ心配かけたりとか、嫌な思いさせてごめん」
「あ、あの!」
そう言って洗面所に向かおうとしたところでさとちゃんが声を上げた。
「なに?」
立ち止まって振り向くと、さとちゃんは私に向かって深く頭を下げた。
「ごめんなさい。莉緒先輩。肝試しの後ずっと嫌な態度取ってて」
「うん」
返事を1つ返すと、さとちゃんはバツが悪そうに顔を上げた。
「莉緒先輩は前田先輩のことが大好きなんだって思い込んでたけど、それも違うんですよね?」
「うん、多分そう。ごめん曖昧なこと言って」
「それは本当にそうですよ!前田先輩とラブラブ作戦の時も嫌なら嫌ってハッキリ言ってくれればよかったのに…!」
真剣な表情でこちらを見つめるさとちゃんに気圧されて目を逸らしてしまいそうになるけれど、しっかり正面を向いて、私は大きく頷いた。
「ごめん。これからはちゃんと言うよ」
「はい。それでお願いします」
最後に再び頭を下げてくれたさとちゃんに私も「ありがとう」って返事をした。
「莉緒先輩~!!!」
「うわっ!」
立ち上がろうとしたところでいきなりさとちゃんが抱き着いてきた。
「え!?なに!?」
「なんか昨日からずっとずっと莉緒先輩と気まずくって寂しかったんですー!!!これからもギスギスしたまんまなのかなって思ったら本当に本当に悲しくて…だから今、すごく嬉しいんです!!!」
「…そうだったんだ」
私の胸にぐりぐり頭を押し付けて、子供みたいにわんわん泣いているさとちゃんにちょっぴり困惑しながら背中にそっと手を回すと、ナッツが嬉しそうに微笑んで正面にしゃがみ込んだ。
「ナッツ…?」
「私もくっついていい?」
「…うん!」
それから、さとちゃんがひとしきり泣いて落ち着くと、朝練の時間ギリギリまでに3人で昨日話せなかった分、たっぷりくだらない話をした。
黒木監督が部屋まで呼びに来た時はびっくりしてすごく怖かったけど、それもちょっとしたらすぐに3人の笑い話になってた。
「やばっ!早く準備しよー!」
ナッツの言葉に「はーい」って笑いを堪えながら返事をすると、3人でものすごいスピードで身支度を整えて部屋を飛び出した。
「うわっ!」
練習中、こちらに飛んできたボールをしゃがんで避けると、目の前のコートから1年生の子がこちらに慌てて走ってきた。
「ごめんなさい先輩!どっかぶつかったりとかしなかったですか?」
「ああ、大丈夫。ちゃんと避けたから。はい、ボール」
ボールを差し出すとその子は「あわわ…!」ってどもって手を上げたり下げたりしてすごく慌てていた。
「あ、えっとごめんなさい!ありがとうございますっ!」
そう早口に言うと、その子はやっとボールを受け取って自分のコートに戻っていった。
あんまり話したことない子でちょっと緊張してたから、なんだかホッとした。
「おーい!小宮ー!」
さっきの子の後ろ姿見送っていたら、後ろから肩をがっしり掴まれた。
「なに?」
振り向くと前田がぐっと顔を近づけてきた。
「おい、お前大丈夫か?ボール当たってケガとかしてねえよな?」
「大丈夫だよ。バッチリ避けてたの見えなかったの?」
しつこく顔をのぞきこんでくる前田を引き剥がしてそう言うと、私はすぐに中断してた仕事を再開した。
「どこがバッチリだよ。フラフラ逃げやがって、あの1年のサーブがヘッロヘロだったから避けれただけだろうが」
「は?私、そんなにどん臭くないし。前田のへなちょこスパイクも完璧に避けられるけど?」
「へなちょこスパイクだと!?この野郎小宮お前、もう1回言ってみろよ!」
「ちょっとお前ら落ち着け!」
前田が大声を上げたところで千葉が私達の間に割って入ってきた。
「お前ら」って言い方が気になるけど助かった。
「うるせえ!邪魔すんなよ!小宮に1言、言ってやんだよ!」
「あのなあ、そういうのは練習の後にしてくれよ。黒木監督も怒ってんぞ」
「いや、でもよ!」
黒木監督の名前が出てあからさまに前田の言葉から勢いがなくなった。
「そうですよ!」
千葉の後ろを追いかけてきてた1年の子もここぞとばかりに声を上げた。
「彼女さんが心配なのは分かりますけど勝手に練習抜けるのはよくないっすよ!」
「あ、おいお前!」
千葉が1年生の子の肩を叩いて止めようとしたその時、前田がおもむろに口を開いた。
「彼女じゃねえよ。小宮は友達だ」
友達…
前田の言葉を聞いて胸の奥がじんわりと熱を帯びた。
「え!?えええ!?そうなんすか!?絶対付き合ってると思ってたのになあ…!」
「ま、そのうち本当に付き合うことになるかもしんないけどな!」
いや、何言ってんのコイツ!
ニヤニヤしながらこちらを見て言う前田に頭を抱えたくなったけど、「とにかく友達だから」って付け足すと、後輩の子は勝手に納得してコートに戻って行った。
「ハッキリしろ!」って言われたのに結局前田に甘えて何も変わってないけど、千葉にはちゃんと説明しないと。
黙ったままの千葉に向き直ると、千葉は私と前田を交互に見て深いため息を吐いた。
「友達ねえ、まあ、前田も小宮も納得してんならそれでいいんだけどさ」
「千葉…」
「おい前田!早く戻るぞ!黒木にこれ以上キレられたらたまんねえよ。小宮も仕事に戻れ!邪魔して悪かったな!」
「うん。ありがとうね千葉」
ニヤニヤ笑って上機嫌な前田を連れてコートに走っていく千葉の後ろ姿を見送って私もすぐに仕事に戻った。
同じ部屋のナッツやさとちゃんが帰ってくる前に前田のことを考えないとって焦っていたのに、布団に入ってしまったらすぐに答えが出た。
今、前田のことを好きになれないなら、もう前田と一緒にいるのをやめた方がいい。
目を瞑って深い眠りに落ちるまで、私は頭の中で何回もそう唱えた。
朝、目覚まし時計に合わせて目を開けると、私はゆっくり布団から起き上がった。
昨日の肝試しで無理矢理千葉と組んじゃったし、その千葉には前田のことをどう思えばいいかハッキリしないでうじうじしてる情けないところを見せちゃったり、色々あったけど、2人はどのくらいのことまで知っているんだろう。なんだかすごく居心地が悪い。
「お、おはよう」
目が合ったナッツがぎこちなく片手を挙げた。
「おはよう」
いつものように挨拶を返すと、ナッツは顔を綻ばせてもう一度「おはよう」と返してくれた。
でも、ナッツの隣にいるさとちゃんはナッツの方だけちらりと見て「おはようございます」って言ったきり、枕もとのタオルを掴んで洗面所に入って行った。
「待ってよ~!」
後を追ってナッツも自分のタオルを持って洗面所に行ってしまった。
「…洗面所もいっぱいだし私は布団でも畳もうかな」
誰に言うでもない独り言を呟いて、私はゆっくり布団から出た。
お風呂から上がって、1人、粗末な臙脂色の暖簾を抜けたところにあるベンチに腰を下ろすと、ふう、と大きなため息が漏れた。
結論から言うと、合宿3日目の予定は滞りなく終わった。
別に雰囲気がギスギスしていたって、私もナッツもさとちゃんもみんな真面目な方だから練習のサポートもお昼のカレー作りも練習場の掃除だって全部こなせた。ただ、そこにいつもの楽しいおしゃべりが無かったってだけ。
でも、そうやって3人であれやこれやくだらないことを話す時間が無いっていうだけでいつも楽しかった部活が辛いものに感じて、少し、虚しい気持ちになった。
さっきまではずっと目が回りそうなくらい忙しかったけれど、お風呂から出ちゃえば暇になっちゃって、気にしないでいられたことも全部気になってきた。
なんか、嫌だな。
2人が湯船に入ってくるのを見つけて、すれ違うようにお風呂から出てきちゃった手前、ここで2人を待っているのもおかしいような気がして、私は濡れたタオルを抱えて立ち上がった。
部屋へ戻ろうかとも思ったけど、明日も早いし、2人はすぐにお風呂から出てきてしまうだろうから、そんなことをしたら早くお風呂を出た意味が無くなってしまう。
腕から滑り落ちそうになるタオルを抱え直すと、私はこっそり合宿所の裏口へ向かった。
消灯の時間になるまで1人で外の空気に当たって時間を潰すのがいい。
濡れたタオルが押し付けられたTシャツがひやりと水を吸って濁った色が広がった。
「よお小宮!遅かったな」
裏口の扉を開けると、なぜか前田がいた。
部屋着なのかちょっとよれた薄いブルーのTシャツに、人気のスポーツブランドのロゴが入った黒っぽいジャージとハーフパンツ。足元は制服のローファーなのはちぐはぐな感じがするけれど、近所のスーパーとかに行くくらいだったらこれくらいが普通だし、髪だっていつも通りに整えられている。汗と濡れタオルのせいでびちょびちょなパジャマに脱衣所のドライヤーで適当に乾かしただけのボサボサ頭の自分とは大違いだ。
もしかして、今、私が裏口から出ていこうとするって読まれてた!?
ここに行こうって思ったのは今さっきのことだし半信半疑だけど、私は意を決して尋ねた。
「なんで前田がここにいるの?」
そう聞くと前田は一瞬ぽかん、とした顔になったけど、すぐに不機嫌そうに表情を歪ませた。
「何言ってんだ?お前、バスに乗る前に約束したじゃねえか。3日目の自由時間、9時半に裏口集合な!って」
「は?そんな約束なんて…」
言いかけた途端に思い出した。そうだ、荷物の点検の時にそんなこと言ってちょっかいかけてきてたな。行くつもりなかったから忘れてた。
「やっと思い出したか?」
「あー、うん。でも、あれ、私は行くって言ってないじゃん。約束になってないでしょ」
「でも、小宮来ただろ?有効だ有効!」
「だから、今言ったでしょ。その約束は…」
前田が強引にこのまま2人で過ごす流れに持ち込もうとしているのを察してすかさず言い返そうとしたのに、いつものようにすらすら言葉が出てこない。
悔しくって、余計にイライラしているのを悟られたくなくて私は前田から視線を外した。
「なんだよ。言い返してこねえの?」
さっきまでの威勢はどうしたのか、突然こちらを伺うような態度で前田がそう聞いてきた。
チャンスだ!
「とにかく私はそんな約束をしたつもりはないから。前田は勝手に1人でどっか行けば?」
なんで前田の態度が変わったのかはよく分からないけど、このチャンスを逃して前田に流されるのなんてごめんだから、私はちょっと強い口調でそう言った。
私の言葉が結構効いたのか、前田は面食らった顔をして1つ瞬きをした。すると、一転、憐れむように眉を下げてこちらを見てきた。
「なあ、お前なんか変じゃねえ?俺との約束で来たってんじゃないなら、真面目なお前が合宿所抜け出そうなんて普通考えねえだろうし、何かあったんじゃねえの?」
「何もないよ。たまたま今日は抜け出したい気分だっただけ」
結構当たってる。慌てて話した理由は我ながら全然説得力ないなって思うけど今思っていることが、全部前田に知られるよりはマシなはずだ。
「まあいいや、とにかく行こうぜ。ちょっと行ったとこに自販機とベンチがあっからよ」
「ちょっと待ってよ。私は行かないって言ったじゃ…痛っ!」
さっさと表の通りに出ようとする前田を止めようと声を上げたら突然デコピンを食らわされた。
「バカ!お前大声出してんじゃねえよ!黒木とか辰巳にバレたら俺ら地獄の説教コースだぜ」
周囲を伺うようにきょろきょろ落ち着きなく視線を彷徨わせながら精一杯の小声でそう言うと、前田は私の腕を掴んで強引に引っ張った。
「ちょっと!何すんの?黒木と辰巳の名前叫ぶよ?」
「んなことマジでしねえだろ。合宿所にいずれえから小宮も抜け出そうなんて考えたんだろうからな」
「そう思うなら前田が1人でそこ行けばいいじゃん。私は別のところで時間潰してるから」
「何言ってんだよ。小宮は合宿所にいたくない、俺は小宮といたい。2人で合宿所抜け出したら一石二鳥だろ。絶対そっちのがいいって」
「…それはそうかもしれないけど」
前田の言ってること、なんかちょっと変かもって思ったけど、妙に納得しちゃった瞬間、腕を掴む力がぐっと強くなって、ぐんと歩くスピードが速くなった。
そうされてやっと、私は前田にまんまとのせられたってことに気付いた。それなのに前田の手を振り払えない自分が本当に嫌になる。いっそここで襲われるとかされたら前田のことただ嫌いになれるのに。そんなどうしようもない考えまで浮かんでくる。
「小宮、ほらよ」
投げて寄越された缶をキャッチして顔を上げると、前田がニッといたずらっぽく笑った。
田舎の自販機らしく見慣れない時代遅れなデザインの缶だけど、アメリカかぶれのギョロリとした大きな目のオレンジに手足が生えたみたいなキャラクターがでかでかと印刷されているのだから多分、オレンジジュースなんだろう。
隣に座ってとっくにプルタブを開けてジュースを飲み始めていた前田はじっとミッキ●マウスみたいな顔をしたオレンジを見つめたままの私を見て不思議そうな顔をした。
「飲まねえのか?あ、もしかして自分で缶、開けられねえの?ったく、小宮はお子ちゃまだな」
分かりやすい挑発に乗ってあげるのも面倒でこくんと頷くと、前田は目を丸くしてこちらを2度見してきた。
「なんだよ。お前、意外と甘えたいタイプなのな。貸してみろよ」
ひょい、と私から缶を取り上げると、前田はそれを開けて得意げに私の手に戻した。
なによ、前田だってお子ちゃまじゃない。こんなの開けられただけで得意になっちゃってさ。
なんて言ってやりたくなったけど、やっぱり面倒になって言うのをやめた。
「…ありがとう」
「おう。ほら開けてやったんだから飲め飲め」
返事をする代わりに1口、飲み込んだ。
オレンジ…というかみかんの味が薄っすらするだけの甘ったるい飲み物だ。でも、なんか嫌いじゃない。
「どうだ?」
声を弾ませて聞いてくる前田に私は1つ頷いて答えた。
「なんか、田舎のジュースって感じする」
「そう!そんな感じ!なんか缶も味も全部古臭えよなー。でも俺は結構好きだな」
「私も」って頷いて見せると、前田は嬉しそうに歯を出して笑った。
「これ、意外と当たりだったな。前に家族旅行で行った旅館の自販機で大失敗したことあっから、買う時ひやひやしたんだぜ。あん時飲んだおしるこサイダー、マジでやばくてもう思い出すだけで吐きそう」
おしるこサイダーがいかに不味かったか。ちょっとオーバーに話して私を楽しませようとしてくれる前田に胸が痛んだ。
やめてよ。いつもの私だったらまだしも、今の黙り込んじゃってる私と喋ってたって前田は楽しくないでしょ。時間の無駄だよ。
「前田」
「なんだよ。まさかおしるこサイダー飲んでみたいとか言うんじゃねえだろうな?」
「…肝試しの時はごめん。実は、私、前田とペアになるのが嫌で嘘ついた」
「は?なんだよそれ」
前田の顔からさっきまでの笑顔が一瞬にして抜け落ちた。
「元は私と前田がペアになるようにくじに仕掛けがされてあったんだ。だけど、どうしても前田と2人きりになりたくなくて、わざと前田に聞こえるように「千葉とペアだ」って言ったの」
「…なんで、そんなことしたんだよ?」
どさくさに紛れて肩と肩とが触れそうな距離にまできていたのにそれも自分から体を離したり、らしくなく前田が動揺しているのがはっきり分かった。
「どういうことだよ、急に」
取り繕うようにうっすら笑いを浮かべながら前田が開いてきた。
その表情から私の言葉、仕草、なにもかもが恐いのだと嫌でも伝わってきた。
やっぱりこれ以上は無理だ。もう何も言いたくないし考えたくない。
でも、そうやって逃げたら千葉の言う通り前田をこれからずっと苦しめることになるのも分かっている。
私はそっちの方が嫌だ。
やっぱりまだ嫌いな気持ちもあるし、前田のことは恋の相手としては考えられない。
でも…
でも、私にとって前田は大切な人だから。
「ごめん。私は前田のこと恋愛対象として見れない。だから、これからはちゃんとそれを態度で示さなきゃだめだって思ったんだ」
言いながら目元がじん、と痛んだ。大切だ、とは思ったけどまさかこんなに前田の存在が自分の中で大きくなっていたなんて知らなかった。
だからってこれ以上前田に甘えるわけにはいかないから、私はぎゅっと1回瞬きをして立ち上がった。
「ごめん。私、もう帰るね。ジュース驕ってくれてありがとう」
「待てよ!!!」
走り出そうとした瞬間、突然強く腕を引かれて立ち止まった。
振り返ると真っ直ぐにこちらを見つめる前田と目が合った。
突然のことに呆気に取られて動けなくなってる私を向き直らせると、前田はおもむろに私の腕から手を離した。
「小宮、こっち向け」
地面に目を遣ろうとした瞬間だった。
おそるおそる前田と目を合わせると、前田はさっきと同じように真剣な表情のままこちらを見据えていた。
「好きだ。小宮。俺と付き合ってほしい」
「…え?」
一瞬、意味が分からなかった。
なんで今?さっき私、前田のことどう思ってるか言ったよね?もしかしてちゃんと伝えられてなかった?やばい。どうしよう何か言わなきゃ。ああ、でも、だからって、これ以上何を言えばいいの?いい言葉が思いつかない。
「返事は?」
ぎゅう、とTシャツのすそを掴んで俯く私に前田が冷ややかに言い放った。
「あの…その…」
洗い古した固い生地にせわしくなく指を擦り付けながらぼそぼそ曖昧な返事だけを返す。
そうしたら擦り傷だらけの黒いローファーが一歩こちらに近付いた。
早く言わなきゃ。
「だから…その…さっきも言ったと思うんだけど…私の気持ち…」
「いいからもう1回言えよ」
淡々とした低い声で間髪入れずにそう言われて、私は思わず弾かれたように顔を上げた。
てっきり前田は、はっきりしない私に怒っているのかと思っていたけれど、意外にも表情は穏やかだった。
ああ、千葉の言っていた「振ってやれ」ってこういうことだったんだ。
もうとっくに答えが分かっていても、それを真正面から受け止めてからじゃなきゃ前には進めない。前田には今の私の言葉が必要なんだ。
「ごめんなさい。私は前田とは付き合えません。前田のことは恋愛対象として好きにはなれなかった。はっきりしなくて前田に期待させるようなことしてたらごめんなさい。あと、こんな私のこと好きになってくれてありがとう」
言いながら泣いちゃいそうになって、私は慌てて頭を下げて隠した。
振る側の私が泣いてどうするのよ。振られるのが分かってて告白する前田の方がずっとずっと辛いのに。
目線の先にある震える両の拳がじわりと滲んだ。
「小宮」
「な、なに?」
大きく瞬きをしてから、慌てて顔を上げた。
前田はなぜかニッと得意げに歯を見せて笑っていた。
「…え?前田、大丈夫?」
思わず手を伸ばすと、前田はさりげなくその手を避けてから口を開いた。
「よし!これで小宮と俺はただの友達な!」
「…は?!」
「なに驚いてんだよ。だってそうだろ?告白してフラれたんだから元の友達関係に戻ったんだよ」
告白してフラれたから友達!?それはそうかもしいれないけどそれはある程度時間を置いてからそうなるって話じゃないの!?もっとこう…気まずい…とかないの!?
「なんか、これってそんな簡単な話じゃないんじゃない?」
なんて言えばいいのか分からなくて、どもりながらそう言うと、前田は目に見えて面倒臭そうな顔になった。
「小宮さあ、お前考えすぎ。俺が友達だっつってんだからそれでいいだろ。それともなんだ?お前は俺と友達すんのは嫌だってのかよ?」
「そんなことない。前田は…友達だと思ってる」
「なら友達でいいんだよ。大体話が急すぎるんだよ。そもそも俺と小宮の間で何かあったわけでもないのに、こんな話する必要あったのか?」
「それは…前田は部活の仲間だし、友達だし、そういうのはちゃんとしなきゃなって思ったから…」
言いながらどんどん申し訳ない気持ちになってきて俯きかけた私の頭を軽くはたくと、前田は呆れたように1つ息を吐いた。
「小宮、お前真面目すぎだろ。まあ、そういうところ、嫌いじゃねえけどな」
そう言って目を細めると、前田はおもむろに背を向けて空き缶をゴミ箱に放った。
その背中を目で追いながら、さっきの前田の言葉をぼんやりと思い浮かべる。
嫌いじゃない…嫌いじゃない、か。
頭の中でさっきの言葉を繰り返すと胸の内があったかくなるような不思議な感じがした。
「おい!」
「え?なに?」
突然呼ばれて顔を上げると、前田が不機嫌そうな顔をしてゴミ箱の横に立っていた。
どうやら、ちゃんと入らなかったらしい。
「なに固まってんだよ?あ、もしかしてさっきの俺の言葉にドキッとしたのか?これって脈アリってヤツじゃねえの?」
前言撤回。やっぱり胸があったかくなる…とか気のせい!ただ前田が珍しいこと言うから気になっただけ!
「脈ナシ。あんなのでドキッとするわけないでしょ」
「じゃあなんで、んなとこで固まってたんだよ?」
「ゴミ箱の周りで前田がうろちょろして邪魔だったから。ほら、早くどいて」
言いながら缶をゴミ箱に向かって全力投球すると、前田は「おわっ!」って変な声上げてよろけた。
もちろん、私の缶はばっちりゴミ箱に入った。前田と違ってね。
「よし、じゃあ帰ろうか、前田」
「おー」
私に敗けて悔しいのか前田は不貞腐れた様子で私の隣に並んだ。
それがおかしくってニヤニヤしながら見てると、前田にすごい顔で睨まれた。
「ごめんって前田」
形だけ謝ってみせたけどまだニヤニヤ笑ってる私にムカついたのか「なんだよ」って捨て台詞を吐いて前田はそっぽ向いてしまった。
…言うなら今しかないかな。
「前田、ありがとう」
「おう」
山の涼しい風が私と前田の間を通り過ぎるのが心地よくて、この時間がもっと続けばいいな、と思った。
部屋に戻ると、すでに明かりは消されていて、ナッツもさとちゃんも静かに寝息を立てていた。
時間は夜の12時過ぎ。早く寝ないと明日の朝練に響く。
私はすぐに2人が敷いてくれていた布団に潜り込んだ。
「おやすみなさい」
朝、目覚まし時計の音に合わせて起き上がると、2人はとっくにジャージに着替えて練習に行く準備をしていた。
「お、おはよう!」
2人の背中に声をかけた。
「おはよう!」
びくっと肩を跳ねさせて振り向いてくれたナッツに近付くと、隣にいたさとちゃんはあからさまに嫌な顔をした。
「あのさ、2人に話したいことがあって。聞いてくれないかな?」
「なんです?先輩。私、今忙しいので手短にお願いします」
とげとげしい口調で返事をするさとちゃんに真正面から向き合うと、私は肝試しで千葉と話したこと、昨日前田と話したこと、私の気持ち…全部ありのままに話した。
話しを終えると、ナッツもさとちゃんも俯いてしまって、しばらく黙り込んでいた。
「そういうことだから、その、いろいろ心配かけたりとか、嫌な思いさせてごめん」
「あ、あの!」
そう言って洗面所に向かおうとしたところでさとちゃんが声を上げた。
「なに?」
立ち止まって振り向くと、さとちゃんは私に向かって深く頭を下げた。
「ごめんなさい。莉緒先輩。肝試しの後ずっと嫌な態度取ってて」
「うん」
返事を1つ返すと、さとちゃんはバツが悪そうに顔を上げた。
「莉緒先輩は前田先輩のことが大好きなんだって思い込んでたけど、それも違うんですよね?」
「うん、多分そう。ごめん曖昧なこと言って」
「それは本当にそうですよ!前田先輩とラブラブ作戦の時も嫌なら嫌ってハッキリ言ってくれればよかったのに…!」
真剣な表情でこちらを見つめるさとちゃんに気圧されて目を逸らしてしまいそうになるけれど、しっかり正面を向いて、私は大きく頷いた。
「ごめん。これからはちゃんと言うよ」
「はい。それでお願いします」
最後に再び頭を下げてくれたさとちゃんに私も「ありがとう」って返事をした。
「莉緒先輩~!!!」
「うわっ!」
立ち上がろうとしたところでいきなりさとちゃんが抱き着いてきた。
「え!?なに!?」
「なんか昨日からずっとずっと莉緒先輩と気まずくって寂しかったんですー!!!これからもギスギスしたまんまなのかなって思ったら本当に本当に悲しくて…だから今、すごく嬉しいんです!!!」
「…そうだったんだ」
私の胸にぐりぐり頭を押し付けて、子供みたいにわんわん泣いているさとちゃんにちょっぴり困惑しながら背中にそっと手を回すと、ナッツが嬉しそうに微笑んで正面にしゃがみ込んだ。
「ナッツ…?」
「私もくっついていい?」
「…うん!」
それから、さとちゃんがひとしきり泣いて落ち着くと、朝練の時間ギリギリまでに3人で昨日話せなかった分、たっぷりくだらない話をした。
黒木監督が部屋まで呼びに来た時はびっくりしてすごく怖かったけど、それもちょっとしたらすぐに3人の笑い話になってた。
「やばっ!早く準備しよー!」
ナッツの言葉に「はーい」って笑いを堪えながら返事をすると、3人でものすごいスピードで身支度を整えて部屋を飛び出した。
「うわっ!」
練習中、こちらに飛んできたボールをしゃがんで避けると、目の前のコートから1年生の子がこちらに慌てて走ってきた。
「ごめんなさい先輩!どっかぶつかったりとかしなかったですか?」
「ああ、大丈夫。ちゃんと避けたから。はい、ボール」
ボールを差し出すとその子は「あわわ…!」ってどもって手を上げたり下げたりしてすごく慌てていた。
「あ、えっとごめんなさい!ありがとうございますっ!」
そう早口に言うと、その子はやっとボールを受け取って自分のコートに戻っていった。
あんまり話したことない子でちょっと緊張してたから、なんだかホッとした。
「おーい!小宮ー!」
さっきの子の後ろ姿見送っていたら、後ろから肩をがっしり掴まれた。
「なに?」
振り向くと前田がぐっと顔を近づけてきた。
「おい、お前大丈夫か?ボール当たってケガとかしてねえよな?」
「大丈夫だよ。バッチリ避けてたの見えなかったの?」
しつこく顔をのぞきこんでくる前田を引き剥がしてそう言うと、私はすぐに中断してた仕事を再開した。
「どこがバッチリだよ。フラフラ逃げやがって、あの1年のサーブがヘッロヘロだったから避けれただけだろうが」
「は?私、そんなにどん臭くないし。前田のへなちょこスパイクも完璧に避けられるけど?」
「へなちょこスパイクだと!?この野郎小宮お前、もう1回言ってみろよ!」
「ちょっとお前ら落ち着け!」
前田が大声を上げたところで千葉が私達の間に割って入ってきた。
「お前ら」って言い方が気になるけど助かった。
「うるせえ!邪魔すんなよ!小宮に1言、言ってやんだよ!」
「あのなあ、そういうのは練習の後にしてくれよ。黒木監督も怒ってんぞ」
「いや、でもよ!」
黒木監督の名前が出てあからさまに前田の言葉から勢いがなくなった。
「そうですよ!」
千葉の後ろを追いかけてきてた1年の子もここぞとばかりに声を上げた。
「彼女さんが心配なのは分かりますけど勝手に練習抜けるのはよくないっすよ!」
「あ、おいお前!」
千葉が1年生の子の肩を叩いて止めようとしたその時、前田がおもむろに口を開いた。
「彼女じゃねえよ。小宮は友達だ」
友達…
前田の言葉を聞いて胸の奥がじんわりと熱を帯びた。
「え!?えええ!?そうなんすか!?絶対付き合ってると思ってたのになあ…!」
「ま、そのうち本当に付き合うことになるかもしんないけどな!」
いや、何言ってんのコイツ!
ニヤニヤしながらこちらを見て言う前田に頭を抱えたくなったけど、「とにかく友達だから」って付け足すと、後輩の子は勝手に納得してコートに戻って行った。
「ハッキリしろ!」って言われたのに結局前田に甘えて何も変わってないけど、千葉にはちゃんと説明しないと。
黙ったままの千葉に向き直ると、千葉は私と前田を交互に見て深いため息を吐いた。
「友達ねえ、まあ、前田も小宮も納得してんならそれでいいんだけどさ」
「千葉…」
「おい前田!早く戻るぞ!黒木にこれ以上キレられたらたまんねえよ。小宮も仕事に戻れ!邪魔して悪かったな!」
「うん。ありがとうね千葉」
ニヤニヤ笑って上機嫌な前田を連れてコートに走っていく千葉の後ろ姿を見送って私もすぐに仕事に戻った。