夜の帰り道1章
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「莉緒ー!電話よ!部活の子!」
朝10時を回った頃、起きるのも面倒臭くて布団の中で転がっていた私は、お母さんの声に飛び起きた。
電話の相手を待たせちゃいけないって反射的に目が冴えてしまうのも日本人の性かなあ、なんて捻くれたことを考えながら「はーい」と間の抜けた返事をすると、お母さんは急かすようにもう一度名前を叫んだ。
慌てて階段を駆け下りて電話を取ると、電話口から「もしもし」と控えめな声が聞こえてきた。
「もしもし。えっと…」
「あっ!ごめん、名前言ってなかった!私…」
「ああ、ナッツね。ごめん。で、今日はどうしたの?」
電話の隣の小さなイスに腰かけて聞くと、ナッツは「あの、その…」なんてらしくもなく口ごもりながらボソボソと本題に入った。
「今日の夏祭りさ、さとちゃんと3人で行かない?」
「いいよ。待ち合わせは?」
「えっと…校門前に4時半で」
「えっ?神社じゃなくて?」
踏んづけているペタペタになった座布団をいじる手を止めて聞き返す。
「うん。それでいいかな?」
「大丈夫だけど。神社の周りって人すごいし集まるの大変だしさ」
「そういえばそうだね」
「え?何?もしかしてほかにも理由があるの?」
受話器のコードってどこまで指に絡められるんだろう?なんて思いながらなんとなく聞いた。
「うん。話したいことがあるんだ。あと、さとちゃんにも頼むつもりなんだけど、小宮ちゃん、浴衣着てきてくれない?」
「いいよ。夏祭りだし。でも、なんでまた?」
そう聞くと、電話口からガチャンッと何かが落ちる音がした。
「ナッツ?大丈夫?」
「大丈夫~。その…1人で浴衣は恥ずかしいなって、本当にそれだけ!別に深い意味とかは無いから!!!とにかく、詳しいことは後で話すから、4時半に校門でよろしくね!」
「そう?分かった。また後でね」
言い終わる前に切られちゃった電話を元に戻して、私は台所へゆっくり移動した。
「ねえ、お母さん。浴衣ってどこにしまったんだっけ?」
夕方4時過ぎ頃、きっちり締められた帯と、雑誌のモデルさんを真似してやってみた流行りの髪型を気恥ずかしく感じながらも校門まで急いでいると、「せんぱーい!」と後ろから大きな声で呼ばれた。
振り向くと、薄い桃色の桜の花が散りばめられた空色の袖をぶんぶん振って、さとちゃんがこちらに駆けてくるところだった。
「さとちゃんこんばんは。一緒に行こうか」
「はい!」
私の隣までやってくると、さとちゃんはにっこり笑って大きく頷いた。
「莉緒先輩の浴衣、かわいいですね!髪飾りとも合っていて、すごく似合っています!」
「ありがとう。さとちゃんもかわいいよ!髪型も…え?すごい!これ、もしかして、全部自分でやったの!?」
「はい!ここのとこと、ここのとこを編み込んで留めるだけの簡単なヤツなんですけどね!」
「えー、そうなの?」
くるくる回って一生懸命説明してくれるさとちゃんには悪いけど、正直あんまりよく分からない。さとちゃんって器用なんだな。
「小宮ちゃん!さとちゃん!」
曲がり角に差し掛かったところで、頬を真っ赤にしたナッツが急に顔を出した。
「なっちゃん先輩こんばんはー!」
動じることなく、アスファルトをカラカラ鳴らして駆けていくさとちゃんの後に続いて「お待たせ」と声をかけると、ナッツははあ、はあと2つ息を吐いてぷるぷる震え始めた。
「もう!2人とも遅いよ!すんごく待ったんだから!」
そう言うとナッツはへたり込むように私達に抱き着いた。
でも、慌てて巾着袋から取り出した時計はまだ約束の2分前。
2人で顔を見合わせてから、私はナッツをそっと引き剥がした。
「ねえ、ギリギリになっちゃったけど、別に私達、待ち合わせに遅れてないよ」
「え!?」
飛びつくように私の腕時計を覗き込んだナッツは、「ごめん」と小さく項垂れた。
「いや、いいよ。そんなに気にしてないから。でも、なんか電話の時からナッツ、ちょっと変じゃない?何かあったの?」
そう聞くと、ナッツはびくっと肩を震わせてバツが悪そうに顔を背けた。
「え?本当にどうしちゃったの?」
ナッツに近づこうとすると、すんでのところでさとちゃんに引き留められた。
「そう急かさないであげてください。莉緒先輩。なっちゃん先輩は今!工藤先輩への熱い想いを口にすることが、恥ずかしくて、恥ずかしくてできないでいるんです!もう少しだけ待っていてあげましょう!」
「ちょ、ちょっと!なんで言っちゃうの!!!それに、なんでそんなこと知ってるのよ!!!」
もの凄い勢いで飛んできたナッツの手をひらりと華麗に躱し、自称、恋の魔術師はペラペラと持論を展開しはじめた。
「そんなの見てたらぜーんぶ分かるに決まってるじゃないですかあ!なっちゃん先輩、洗濯の時とか工藤先輩のユニフォームに一切触れないくせに、他に誰もいないとこでずっとぎゅーっと抱き締めたりしてましたよね!それに3日に1回くらい、工藤先輩に真っ先にタオルもスクイズも渡しに行く日があるし、スコア付けてる時、工藤先輩のことだけちょっと大きく書くじゃないですか!全部見てて、いじらしくってかわいいなあって思ってたんですよね!」
「なっ…!か、かわいいって言うなあ~っ!!!」
「あ、そうですよね!ごめんなさい!「かわいい」は工藤先輩に言ってもらうんですもんねえ~!!!」
「う、うるさい!さとちゃんのバカ~!!!」
「その浴衣もバッチリ決まってます!莉緒先輩と同じ色だなんて、ご利益ありそう!告白も大成功間違いなしですねっ!」
「告白…!?ちょっ…!まだ心の準備が…!!!」
顔を真っ赤にして巾着袋を抱え込むと、ナッツはそのままうずくまってしまった。
「ちょ、ちょっとさとちゃん、ナッツが…」
「え?あ!興奮しちゃってた…なっちゃん先輩、ごめんなさい」
「い、いいのいいの!気にしないで」
しゅん、と頭を下げるさとちゃんにナッツは慌てて立ち上がった。
「あの、大騒ぎしちゃって全然締まらないし、内容も大体ばれちゃったんだけど」
ナッツは持ち上げた鮮やかなちりめんの巾着袋に顔を埋めて、今日のために付けられた大きな花飾りを震わせた。
「小宮ちゃん、さとちゃん。今日、バレー部の2年がみんなでお祭りに来るらしいの。だからこのチャンスに、工藤君に告白したいと思って、だから、その…手伝ってくれませんか?」
「もちろんですよ!なっちゃん先輩!」
ナッツにぎゅっと飛びつくと、さとちゃんはおもいっきり叫んだ。
「ありがとう!あの、小宮ちゃんは?」
おそるおそる、といった様子で顔を上げるナッツに私もぎゅっと抱きついた。
「私も!協力する!頑張ろうね、ナッツ!」
「うん…小宮ちゃんも本当にありがとう」
ポツリ、ポツリと点いていく街灯の中、円陣を組むみたいに私達はしばらく抱き合っていた。
さとちゃんの「作戦会議しますよー!」の合図の元、主にさとちゃんがガンガン意見を出して、歩きながらものの数分でお祭り会場到着から告白までのスムーズな計画が出来上がった。
こんなこともあろうかと…なんてさとちゃんが出してきたバレー部男子お祭り行動予測まとめノートの作り込みもすごかった。あんなの試合漬けでよく作ったな…工藤だけじゃなくて前田とか辰巳とか他の人の項目もすごったんだけど。
提灯の明かりを頼りに参道を進んでいくと、ちらほらと出店が増えてきた。
私が告白するってわけでもないのに一歩一歩進む度に胸がドキリと跳ねる。
「さあ!作戦開始ですよ!各自屋台でおいしいものをたくさん買いましょう!では、私はあの焼きトウモロコシ行ってきます!」
目をキラキラさせて走り去っていくさとちゃんを呆れ気味に見送っていると、隣にいたナッツも「じゃあ」っていそいそとかき氷の屋台に向かっていった。
さとちゃんの話では「告白前のリラックス&会場にバッチリ馴染もう作戦なのです!」ってことだったけど、本当は半分、いや、完全にお祭りをエンジョイする気なんだろうな。
まあ、私もお祭りのご飯楽しみだったし別にいいんだけどさ。
近くにある屋台を流し見ながら歩いていると、その中の1つの店先がきらっと一瞬光ったような気がした。
カラカラと下駄を鳴らして近づくと、そこには提灯の明かりをぼんやりと映す真っ赤なガラス玉みたいなお菓子。りんご飴が所狭しと並べられていた。
綺麗だな。
私は一等まるくてつやつやとした飴をそうっと取ると、屋台のおばさんに声をかけた。
300円と決して安くはないお金を払って手に入れたりんご飴は、お金のことなんか気にもならないくらい綺麗で、私は思わずかぷり、とかぶりついた。
たっぷりの砂糖をじっくり煮詰めたオレンジ色がパキッと割れると、中から真っ赤なシロップに染まったりんごが覗く。噛むと、サクサクの果肉がパサリと舌の上に残って、甘酸っぱい蜜をほんの少し感じた。
夢中でもぐもぐと口を動かしていると、突然ぐいっとりんご飴を持った手を持ち上げられた。
ガリッと嫌な音のした方を向くと、アイツが私のりんご飴に噛り付いていた。
「ちょっと!なに勝手に食べてるの!?前田!」
庇うようにりんご飴を引くと、前田はいつもより濃く色付いた下をべろりと出して笑った。
「小宮がおいしそうに食べてるからつい、な。久しぶりに食べるとやっぱうめえな、りんご飴」
「は?食べたくなったんだったら自分で買えばいいじゃない。300円。別に買えない値段じゃないでしょ」
「バッカ!それ高えよ!やきそばだろ、イカ焼きだろ、じゃがバタだろ、ラムネだろ?そんだけ買ったら300円も残んねえよ」
「だったらどれか誰かと割り勘して分ければいいじゃん。どうせバレー部2年で来てるんでしょ」
ごっそりえぐられた薄黄色の跡を睨んでいると、前田がボソボソ「そうだけどさ。お前、本当にケチだよな」とかなんとか言い始めた。
は?そっちが悪いでしょ。
ぐうの音も出ないくらい言い負かしてやろうと私は前田に向き直った。
唇に乗った紅を乱暴に拭った親指をちろりと出した舌で舐めとる。少し苛立っているのか、かすかに染まったままの指を見てちっと舌打ちすると、彼はそれを周りの明かりも吸い込んでしまいそうなほど濃い浴衣に擦り付けた。
それだけのことが妙に目に付く。
ただ前田が不貞腐れてるだけなのに。
あぐっとめいいっぱい口を開けてりんご飴にかぶりつくと、なんだか苦しくなって、ちょっとだけ目の前がぐらりと揺れた。
ああ、もう最悪。なんか他のもの食べに行こう。
「前田」
「なんだよ?」
「私、別の物買いに行くから。じゃあね」
先端にくっきり紅を吸った跡を残した割り箸を屋台横のゴミ箱に放り込むと、私はまたカラカラと下駄を鳴らして立ち去った。
たこ焼きを買って、待ち合わせの木の前に来ると、たくさんのビニール袋を抱えたさとちゃんが大きなソースせんべいを頬張って待っていた。
「莉緒先輩!お祭り、楽しんでますか?」
「ごっくんと大きく飲み込むと、さとちゃんは目をキラキラさせて駆け寄ってきた。
「うん。楽しんでるよ。さとちゃんには負けるけどね」
「えへへー。ん?先輩!唇!」
「え?」
蜜が熱を持ってとろけるように色付いたあの唇を思い出して、一瞬、時が止まったかのように目の前が真っ白になった。
りんご味を含んで艶やかに提灯明かりを受けるあの唇だけが頭の真ん中に鮮やかに居座っている。
「ねえ、先輩ったら!」
ほっぺたをぐにーっと引っ張られてようやく我に返った。
「ごめんさとちゃん。ぼーっとしてた。なんだったっけ?」
「先輩の唇の周り、赤いの付いてますよって言ったんです!もう!こんな眉間にシワ寄せて…大丈夫なんですか?」
「大丈夫だよ。ありがとう。今拭くね」
私の眉間をつんつん突いてくるさとちゃんの手をそっと払うと、私はハンカチを口元に当てた。
ペタペタとくっつくだけでこびり付いた飴はどうしても落ちてくれない。
「ごめんさとちゃん。ちょっと水飲み場で落としてくる」
「はい。気を付けてー」
水で拭ったってもう手遅れかもしれないけど、居ても立っても居られなくて、私はハンカチを握りしめて水飲み場へ駆けた。
こんなことならりんご飴なんて買うんじゃなかった。
「ごめん。お待たせ」
ごしごしと拭って少しひりついた口元を気にしてもごもごと話しかけると、さとちゃんがぎゅっと私に飛びついてきた。
「え!?どうしたの!?」
「なっちゃん先輩が、なっちゃん先輩が…」
そう言ってさとちゃんが見せてきたのは、土埃で汚れてぐちゃぐちゃにひしゃげたあの花飾りだった。
「うそ、なんで…?」
さとちゃんからそれをそっと受け取ると、千切れた花びらがひらりと落ちた。
「なっちゃん先輩、屋台の暖簾に引っかけて髪飾りを落っことしてしまったみたいで、なんとか見つけられたみたいなんですけど、人混みのせいで壊れちゃってたって…それで、さっき向こうのトイレに籠っちゃって…莉緒先輩、どうしましょう…!!!」
「大丈夫だよ、さとちゃん」
丁寧に編み込まれた頭をゆっくり撫でると、さとちゃんは涙で濡れた顔をゆっくり上げた。
「とにかくナッツのところに行こう」
「はい」
さとちゃんの手を取ると、私はトイレへ急いだ。
朝10時を回った頃、起きるのも面倒臭くて布団の中で転がっていた私は、お母さんの声に飛び起きた。
電話の相手を待たせちゃいけないって反射的に目が冴えてしまうのも日本人の性かなあ、なんて捻くれたことを考えながら「はーい」と間の抜けた返事をすると、お母さんは急かすようにもう一度名前を叫んだ。
慌てて階段を駆け下りて電話を取ると、電話口から「もしもし」と控えめな声が聞こえてきた。
「もしもし。えっと…」
「あっ!ごめん、名前言ってなかった!私…」
「ああ、ナッツね。ごめん。で、今日はどうしたの?」
電話の隣の小さなイスに腰かけて聞くと、ナッツは「あの、その…」なんてらしくもなく口ごもりながらボソボソと本題に入った。
「今日の夏祭りさ、さとちゃんと3人で行かない?」
「いいよ。待ち合わせは?」
「えっと…校門前に4時半で」
「えっ?神社じゃなくて?」
踏んづけているペタペタになった座布団をいじる手を止めて聞き返す。
「うん。それでいいかな?」
「大丈夫だけど。神社の周りって人すごいし集まるの大変だしさ」
「そういえばそうだね」
「え?何?もしかしてほかにも理由があるの?」
受話器のコードってどこまで指に絡められるんだろう?なんて思いながらなんとなく聞いた。
「うん。話したいことがあるんだ。あと、さとちゃんにも頼むつもりなんだけど、小宮ちゃん、浴衣着てきてくれない?」
「いいよ。夏祭りだし。でも、なんでまた?」
そう聞くと、電話口からガチャンッと何かが落ちる音がした。
「ナッツ?大丈夫?」
「大丈夫~。その…1人で浴衣は恥ずかしいなって、本当にそれだけ!別に深い意味とかは無いから!!!とにかく、詳しいことは後で話すから、4時半に校門でよろしくね!」
「そう?分かった。また後でね」
言い終わる前に切られちゃった電話を元に戻して、私は台所へゆっくり移動した。
「ねえ、お母さん。浴衣ってどこにしまったんだっけ?」
夕方4時過ぎ頃、きっちり締められた帯と、雑誌のモデルさんを真似してやってみた流行りの髪型を気恥ずかしく感じながらも校門まで急いでいると、「せんぱーい!」と後ろから大きな声で呼ばれた。
振り向くと、薄い桃色の桜の花が散りばめられた空色の袖をぶんぶん振って、さとちゃんがこちらに駆けてくるところだった。
「さとちゃんこんばんは。一緒に行こうか」
「はい!」
私の隣までやってくると、さとちゃんはにっこり笑って大きく頷いた。
「莉緒先輩の浴衣、かわいいですね!髪飾りとも合っていて、すごく似合っています!」
「ありがとう。さとちゃんもかわいいよ!髪型も…え?すごい!これ、もしかして、全部自分でやったの!?」
「はい!ここのとこと、ここのとこを編み込んで留めるだけの簡単なヤツなんですけどね!」
「えー、そうなの?」
くるくる回って一生懸命説明してくれるさとちゃんには悪いけど、正直あんまりよく分からない。さとちゃんって器用なんだな。
「小宮ちゃん!さとちゃん!」
曲がり角に差し掛かったところで、頬を真っ赤にしたナッツが急に顔を出した。
「なっちゃん先輩こんばんはー!」
動じることなく、アスファルトをカラカラ鳴らして駆けていくさとちゃんの後に続いて「お待たせ」と声をかけると、ナッツははあ、はあと2つ息を吐いてぷるぷる震え始めた。
「もう!2人とも遅いよ!すんごく待ったんだから!」
そう言うとナッツはへたり込むように私達に抱き着いた。
でも、慌てて巾着袋から取り出した時計はまだ約束の2分前。
2人で顔を見合わせてから、私はナッツをそっと引き剥がした。
「ねえ、ギリギリになっちゃったけど、別に私達、待ち合わせに遅れてないよ」
「え!?」
飛びつくように私の腕時計を覗き込んだナッツは、「ごめん」と小さく項垂れた。
「いや、いいよ。そんなに気にしてないから。でも、なんか電話の時からナッツ、ちょっと変じゃない?何かあったの?」
そう聞くと、ナッツはびくっと肩を震わせてバツが悪そうに顔を背けた。
「え?本当にどうしちゃったの?」
ナッツに近づこうとすると、すんでのところでさとちゃんに引き留められた。
「そう急かさないであげてください。莉緒先輩。なっちゃん先輩は今!工藤先輩への熱い想いを口にすることが、恥ずかしくて、恥ずかしくてできないでいるんです!もう少しだけ待っていてあげましょう!」
「ちょ、ちょっと!なんで言っちゃうの!!!それに、なんでそんなこと知ってるのよ!!!」
もの凄い勢いで飛んできたナッツの手をひらりと華麗に躱し、自称、恋の魔術師はペラペラと持論を展開しはじめた。
「そんなの見てたらぜーんぶ分かるに決まってるじゃないですかあ!なっちゃん先輩、洗濯の時とか工藤先輩のユニフォームに一切触れないくせに、他に誰もいないとこでずっとぎゅーっと抱き締めたりしてましたよね!それに3日に1回くらい、工藤先輩に真っ先にタオルもスクイズも渡しに行く日があるし、スコア付けてる時、工藤先輩のことだけちょっと大きく書くじゃないですか!全部見てて、いじらしくってかわいいなあって思ってたんですよね!」
「なっ…!か、かわいいって言うなあ~っ!!!」
「あ、そうですよね!ごめんなさい!「かわいい」は工藤先輩に言ってもらうんですもんねえ~!!!」
「う、うるさい!さとちゃんのバカ~!!!」
「その浴衣もバッチリ決まってます!莉緒先輩と同じ色だなんて、ご利益ありそう!告白も大成功間違いなしですねっ!」
「告白…!?ちょっ…!まだ心の準備が…!!!」
顔を真っ赤にして巾着袋を抱え込むと、ナッツはそのままうずくまってしまった。
「ちょ、ちょっとさとちゃん、ナッツが…」
「え?あ!興奮しちゃってた…なっちゃん先輩、ごめんなさい」
「い、いいのいいの!気にしないで」
しゅん、と頭を下げるさとちゃんにナッツは慌てて立ち上がった。
「あの、大騒ぎしちゃって全然締まらないし、内容も大体ばれちゃったんだけど」
ナッツは持ち上げた鮮やかなちりめんの巾着袋に顔を埋めて、今日のために付けられた大きな花飾りを震わせた。
「小宮ちゃん、さとちゃん。今日、バレー部の2年がみんなでお祭りに来るらしいの。だからこのチャンスに、工藤君に告白したいと思って、だから、その…手伝ってくれませんか?」
「もちろんですよ!なっちゃん先輩!」
ナッツにぎゅっと飛びつくと、さとちゃんはおもいっきり叫んだ。
「ありがとう!あの、小宮ちゃんは?」
おそるおそる、といった様子で顔を上げるナッツに私もぎゅっと抱きついた。
「私も!協力する!頑張ろうね、ナッツ!」
「うん…小宮ちゃんも本当にありがとう」
ポツリ、ポツリと点いていく街灯の中、円陣を組むみたいに私達はしばらく抱き合っていた。
さとちゃんの「作戦会議しますよー!」の合図の元、主にさとちゃんがガンガン意見を出して、歩きながらものの数分でお祭り会場到着から告白までのスムーズな計画が出来上がった。
こんなこともあろうかと…なんてさとちゃんが出してきたバレー部男子お祭り行動予測まとめノートの作り込みもすごかった。あんなの試合漬けでよく作ったな…工藤だけじゃなくて前田とか辰巳とか他の人の項目もすごったんだけど。
提灯の明かりを頼りに参道を進んでいくと、ちらほらと出店が増えてきた。
私が告白するってわけでもないのに一歩一歩進む度に胸がドキリと跳ねる。
「さあ!作戦開始ですよ!各自屋台でおいしいものをたくさん買いましょう!では、私はあの焼きトウモロコシ行ってきます!」
目をキラキラさせて走り去っていくさとちゃんを呆れ気味に見送っていると、隣にいたナッツも「じゃあ」っていそいそとかき氷の屋台に向かっていった。
さとちゃんの話では「告白前のリラックス&会場にバッチリ馴染もう作戦なのです!」ってことだったけど、本当は半分、いや、完全にお祭りをエンジョイする気なんだろうな。
まあ、私もお祭りのご飯楽しみだったし別にいいんだけどさ。
近くにある屋台を流し見ながら歩いていると、その中の1つの店先がきらっと一瞬光ったような気がした。
カラカラと下駄を鳴らして近づくと、そこには提灯の明かりをぼんやりと映す真っ赤なガラス玉みたいなお菓子。りんご飴が所狭しと並べられていた。
綺麗だな。
私は一等まるくてつやつやとした飴をそうっと取ると、屋台のおばさんに声をかけた。
300円と決して安くはないお金を払って手に入れたりんご飴は、お金のことなんか気にもならないくらい綺麗で、私は思わずかぷり、とかぶりついた。
たっぷりの砂糖をじっくり煮詰めたオレンジ色がパキッと割れると、中から真っ赤なシロップに染まったりんごが覗く。噛むと、サクサクの果肉がパサリと舌の上に残って、甘酸っぱい蜜をほんの少し感じた。
夢中でもぐもぐと口を動かしていると、突然ぐいっとりんご飴を持った手を持ち上げられた。
ガリッと嫌な音のした方を向くと、アイツが私のりんご飴に噛り付いていた。
「ちょっと!なに勝手に食べてるの!?前田!」
庇うようにりんご飴を引くと、前田はいつもより濃く色付いた下をべろりと出して笑った。
「小宮がおいしそうに食べてるからつい、な。久しぶりに食べるとやっぱうめえな、りんご飴」
「は?食べたくなったんだったら自分で買えばいいじゃない。300円。別に買えない値段じゃないでしょ」
「バッカ!それ高えよ!やきそばだろ、イカ焼きだろ、じゃがバタだろ、ラムネだろ?そんだけ買ったら300円も残んねえよ」
「だったらどれか誰かと割り勘して分ければいいじゃん。どうせバレー部2年で来てるんでしょ」
ごっそりえぐられた薄黄色の跡を睨んでいると、前田がボソボソ「そうだけどさ。お前、本当にケチだよな」とかなんとか言い始めた。
は?そっちが悪いでしょ。
ぐうの音も出ないくらい言い負かしてやろうと私は前田に向き直った。
唇に乗った紅を乱暴に拭った親指をちろりと出した舌で舐めとる。少し苛立っているのか、かすかに染まったままの指を見てちっと舌打ちすると、彼はそれを周りの明かりも吸い込んでしまいそうなほど濃い浴衣に擦り付けた。
それだけのことが妙に目に付く。
ただ前田が不貞腐れてるだけなのに。
あぐっとめいいっぱい口を開けてりんご飴にかぶりつくと、なんだか苦しくなって、ちょっとだけ目の前がぐらりと揺れた。
ああ、もう最悪。なんか他のもの食べに行こう。
「前田」
「なんだよ?」
「私、別の物買いに行くから。じゃあね」
先端にくっきり紅を吸った跡を残した割り箸を屋台横のゴミ箱に放り込むと、私はまたカラカラと下駄を鳴らして立ち去った。
たこ焼きを買って、待ち合わせの木の前に来ると、たくさんのビニール袋を抱えたさとちゃんが大きなソースせんべいを頬張って待っていた。
「莉緒先輩!お祭り、楽しんでますか?」
「ごっくんと大きく飲み込むと、さとちゃんは目をキラキラさせて駆け寄ってきた。
「うん。楽しんでるよ。さとちゃんには負けるけどね」
「えへへー。ん?先輩!唇!」
「え?」
蜜が熱を持ってとろけるように色付いたあの唇を思い出して、一瞬、時が止まったかのように目の前が真っ白になった。
りんご味を含んで艶やかに提灯明かりを受けるあの唇だけが頭の真ん中に鮮やかに居座っている。
「ねえ、先輩ったら!」
ほっぺたをぐにーっと引っ張られてようやく我に返った。
「ごめんさとちゃん。ぼーっとしてた。なんだったっけ?」
「先輩の唇の周り、赤いの付いてますよって言ったんです!もう!こんな眉間にシワ寄せて…大丈夫なんですか?」
「大丈夫だよ。ありがとう。今拭くね」
私の眉間をつんつん突いてくるさとちゃんの手をそっと払うと、私はハンカチを口元に当てた。
ペタペタとくっつくだけでこびり付いた飴はどうしても落ちてくれない。
「ごめんさとちゃん。ちょっと水飲み場で落としてくる」
「はい。気を付けてー」
水で拭ったってもう手遅れかもしれないけど、居ても立っても居られなくて、私はハンカチを握りしめて水飲み場へ駆けた。
こんなことならりんご飴なんて買うんじゃなかった。
「ごめん。お待たせ」
ごしごしと拭って少しひりついた口元を気にしてもごもごと話しかけると、さとちゃんがぎゅっと私に飛びついてきた。
「え!?どうしたの!?」
「なっちゃん先輩が、なっちゃん先輩が…」
そう言ってさとちゃんが見せてきたのは、土埃で汚れてぐちゃぐちゃにひしゃげたあの花飾りだった。
「うそ、なんで…?」
さとちゃんからそれをそっと受け取ると、千切れた花びらがひらりと落ちた。
「なっちゃん先輩、屋台の暖簾に引っかけて髪飾りを落っことしてしまったみたいで、なんとか見つけられたみたいなんですけど、人混みのせいで壊れちゃってたって…それで、さっき向こうのトイレに籠っちゃって…莉緒先輩、どうしましょう…!!!」
「大丈夫だよ、さとちゃん」
丁寧に編み込まれた頭をゆっくり撫でると、さとちゃんは涙で濡れた顔をゆっくり上げた。
「とにかくナッツのところに行こう」
「はい」
さとちゃんの手を取ると、私はトイレへ急いだ。