夜の帰り道1章
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「待って、前田」
数歩先を歩く前田を背中越しに何度も呼びながら追いかけているのだけれど、前田は返事すら返してくれない。それどころか、前田の背中はどんどん小さくなっていく。
「前田」
遠ざかっていく前田をどうにか引き止めたくて、私は子供が駄々をこねるみたいに大きな声をどんどん小さくなっていく背中にぶつけてしまった。
いつもの自分なら絶対に出さないようなみっともない大きな声に、私は両手で素早く、頬ごと口を塞いだ。
それからしばらく口をしっかりと塞いだまま、数メートル先の前田の様子を伺っていると、はあ、と大きなため息の後、ようやく気怠そうに頭を掻きながら「なんだよ」とこちらを振り向いてくれた。
しかし、まさか子供みたいにみっともなく大声を出して呼びつけた私に前田が応えてくれるなんて思ってもみなくて、自分が呼んだというのに言葉がうまく出てこない。
けれど、このまま何も言わないで立ち止ったままでいたら、また前田は私に背を向けて歩きだしてしまう気がする。
私は、手のひらにじんわりと滲んできた汗を押しつぶすようにぎゅっと握り締めた。そして、ただ黙ったままこちらをこちらをじっと睨みつけている前田の目をしっかりと見据えて、いまだ頼りなく震えている口を開いた。
「あの、さっきくれた当たり棒のことなんだけど、いらないから前田に返したわけじゃないの。私、ジョリジョリ君好きだし、もらった時普通に嬉しかったし」
息継ぎをするタイミングを逃してしまい、一息でそう言ってしまったからか、言い終わるのとほぼ同時に「はあはあ」と荒い息が漏れ出た。
ちゃんと黙り込んでしまった理由を説明して謝ろうと焦っていたはずなのに、いざ言おうとしたら、苦手なはずの少女漫画のぶりっ子なライバルキャラみたいなことばっかり口からするすると出てきて、結局肝心なことは何も言えなかった。
自分の意思とは関係なく吐き出される不規則な呼吸はまるで「私は必死なんだよ」と前田にアピールしているみたいで、気持ちが悪い。
目の前の前田もわけがわからないとでも言いたげに顔を歪ませていて、思わず目を逸らしてしまいそうになる。
「じゃあよォ、なんで返してきたんだよ。これ」
少しして、不機嫌そうに目を細めて、前田はそう聞いてきた。
そう聞いてくるいつになく低い声と、ポケットから取り出した当たり棒をコマみたいにくるくると手の中で転がす動作がアンバランスで少し恐怖を感じる。
また、まとまりかけていたはずの言葉が喉の奥につっかえてしまって出てこない。
早く言わないとという焦りと、情けない姿を見せてしまっていることへの恥ずかしさとで、私の顔にはみるみる熱が集まってくる。
そんな今の自分をどうしても前田に見られたくなくて私は反射的に顔を逸らした。
そのまま、あれを言わなきゃ、これを謝らなきゃ、と頭の中が埋め尽くされて顔を上げられないでいたら、「ちっ」と大きな舌打ちが降ってきた。そして、またひどく重々しい足音が響き始めた。
私は慌てて大股で歩きはじめた前田の背中を追いかけた。
けれど、数歩歩いた先で突然前田はピタリと止った。前田に倣って私も立ち止ると、前田は当たり棒をくるくると弄びながらゆっくりとこちらを振り返った。
「ははーん。わかったぜ小宮。そういうことかよ」
そう言いながら前田は私を追い詰めるようにじわじわとこちらに歩み寄ってきた。そして、あと一歩でつま先とつま先がぶつかるという距離にまで来て、また不意に立ち止まった。
おそるおそる目の前に迫ってきた前田を見上げると、なぜだかニヤリといやらしく笑っていた。
そして、そのまま前田は手の中で弄んでいた当たり棒を私に見せつけるように持ち上げて、木の感触を愉しむようにゆっくりと人差し指で撫で上げた。
そんな前田の仕草を見ていたら、そんなわけないのに、まるで当たり棒なんかではなくて私の背中に前田の人差し指が滑っていったかのような気がして、自分の意思とは関係なく背筋が伸ばされていくような震えを感じた。
「小宮」
普段と同じトーンとテンポで呼ばれたはずなのに、体の芯にさっきの震えがまだ残っていて思わず肩が跳ねてしまう。
いつも通り前田の目をしっかりと見て「なに?」と答えると、前田はニヤリとさらにいやらしく口元を歪ませた。
「ほんと、お前ってやらしいよな。俺が咥えたり舐めたりしただけのこんな棒きれでえろい妄想しちまって、動揺して赤くなっちまうんだもんな」
「え?」
真夏の太陽が後ろから照り付ける中、私に顔を寄せながら、前田は丁寧にそう言い聞かせてきた。前田の口から零された言葉たちは私にはとてもじゃないけど聞くだけで恥ずかしくなるようなものばかりで、悔しいけれど、本当に前田の言う通り動揺してしまった。
そのまま私の顔に影を落としている前田の顔すら振り払えないで、ただ下を向くことしかできないでいると、何を思ったのか、前田は当たり棒の文字の書いていない方の先を、私の顎の下に触れるか触れないかくらいの位置でゆるゆると動かしはじめた。
顎の下を擽るように揺れる当たり棒を上を向いてなんとか避けると、今度はしたり顔で笑う前田と目が合った。
「お、こっち向いた」
そう笑い声混じりに鼻先に吐き出された生温かい湿った声が気持ち悪くて、私はそれを振り払おうと首を大きく振った。けれど、前田は余裕の笑みを崩さずに、冷静に私の頬に片手を添えて、暑苦しいくらい近くで顔を眺めまわしてくる。
顔をしっかり押さえられてしまい、逃げられなくなってしまった私は、今度はおでことおでこがくっつきそうな距離にあるニヤケ面をきっと睨みつけてやって、なおも顎の下を当たり棒で擽り続けるもう片方の手を振り払った。
すると、前田は「おー、怖え、怖え」と笑いながら両手を上げて一歩下がり、そして、かつんと意外にも大きな音を立ててアスファルトの上にはたき落された当たり棒を「よっこいせ」とわざとらしい掛け声を付けて拾って、またくるくると片手で器用に弄び始めた。
「うわ、小宮、顔真っ赤」
不意に手の中で弄んでいる当たり棒から視線を外して私の方を見た前田はそう言って腕を伸ばして、今度は文字の書いてある方で私の頬をとんとんと何度か指してきた。
「ちょっと、やめてよ」
私は首を大きく振って当たり棒を振り払ってから、力いっぱい前田を突き飛ばした。
結構強く突き飛ばしたはずのに、前田は「おっと」なんて一応驚いた演技をして見せただけだったけれど。
そんな余裕の笑みを浮かべている前田へのせめてもの抵抗として、私はしっかりと前田のことを睨みつけながら、手の甲で当たり棒が触れたところを力いっぱい拭った。
「いい加減にしてよ、前田。変な勘違いしないで。私がさっき何も言えなくなっちゃったのは前田がせっかくくれた当たり棒を汚いって思ったのが悪いなって思ったからだから。そんなことで無視した上に心配までかけてごめんね」
それから、頬を強く拭った勢いのまま途中から半ば怒鳴るように私はそう捲し立てた。
すると、一瞬前田は目を丸くして、びくっと肩を震わせた。
そんな前田に、さあっと顔から血の気が抜けていくのを感じる。
やっちゃった。
ちゃんと謝り直さないと、と慌てて「ごめん」と何度か謝ると、前田はなぜかすぐにいつもの嫌味な笑顔になって「くっくっく」と笑い始めた。
「え?なんで前田笑ってるの?」
さっきの自分の行動に怒るところはあっても笑うところなんてなかったはずなのに、目の前にいる前田が腹を抱えて笑っているのが不思議で仕方がなくて、私は謝るのも忘れて反射的にそう聞いてしまった。
すると、前田はひいひい言いながらも、笑いをなんとか堪えて口を開いた。
「いや、小宮ってほんとからかいがいがあると思ってよ。」
「からかいがいがあるってなによ」
ついむっとして、ほんの少し睨みながらそう聞くと、前田は、
「小宮ってからかうと、すーぐ動揺して顔真っ赤にするからおもしれえんだよ。あと、今日の小宮は言いたいこと全然言わねえしムカついたけどよ、俺が怒ったらガキみたいに取り乱したのは意外で面白かったわ」
と、ニヤニヤ笑いながら悪びれるでもなくそう言ってのけた。
一応さっき怒鳴ったのは謝ったんだからもういつも通りに言い返してもいいよね。
「私はおもしろくないんだけど。それに、こんな暑い中ずっと大声だしてたんだから顔が赤くなるのは普通でしょ。前田だって待ち合わせの時より赤くなってるから」
いつも通り声を張り上げてそう捲し立ててやると、前田はなぜかびくっと肩を震わせてから「マジかよ」なんて小さく呟いて、自分の顔を触りはじめた。
よく分からないけれど、その様子をいい気味だなんて思いながら見ていたら、顔中をべたべたと触りつくした前田は勢いよくこちらを振り向いてきた。そして、いたずらっぽく笑って、
「なあ、やっぱコレ、食いに行こうぜ」
と、またさっきの当たり棒を私の目の前につき出してきた。
嬉しそうにそう差し出してくれた前田には悪いけれど、まさか「汚い」と思ってしまって受け取れなかったと告白したはずの当たり棒をまたつき出されるなんて思ってもみなくて、私は再び固まってしまった。
「ありがとう」
しばらくして、なんとかそうお礼を絞り出せたけれど、やはりつき出された当たり棒になかなか手を伸ばすことはできない。その上、前田の顔も申し訳なくて見れない。
汚い、というのもあるけど、この当たり棒で散々迷惑をかけたくせに今さらもらえない。だけど好意でくれるものを受け取らないのも失礼だよね。
しばらく散々迷った後、やっぱりせっかく私にあげようと用意してくれたものを受け取らない方が前田に悪いんじゃないかと思って、やっぱり当たり棒を受け取ることにした。
しかし、差し出された当たり棒にぎこちなく片手を伸ばしはじめた私に、なぜだか前田が一瞬困ったように顔を顰めたように見えた。
「前田?」
当たり棒に伸ばしかけた手を一旦引っ込めて、ちらりと控えめに前田の様子を伺うと、前田はちゃんといつも通りニヤっと笑っていて、そして「辰巳が汚ねえってうるせえからちゃんと洗ったぜ」と得意げに言ってきた。
そんな「汚いって言われたから洗った」なんて、それこそ小学生みたいな情けない話を胸を張って堂々と自慢してくる前田に、失礼だとは思うけれど、思わず吹き出してしまった。
そのまま私は吹き出した勢いで「じゃあ、それなら」と差し出された当たり棒に手を伸ばした。
やはり、前田が困ったような顔をしていたように見えたのはただの見間違えだったのかもしれない。
けれどその瞬間、「これを素直に受け取ったら、前田にノリノリでからかわれるんじゃない?」なんて失礼な考えが脳裏をよぎった。
でも一応可能性はある気がして、慌てて再び手を引っ込めて、当たり棒から前田に視線を移すと、「なんだよ、いらねえのか?」といやらしく笑う前田としっかり目が合った。
やっぱりか。
思わずはあ、と大きなため息が漏れ出る。
「いや、別に当たり棒じゃなくて、前田が交換してもらったジョリジョリ君をもらえばいいかなって思って」
「なんでそうなんだよ」
「なんでって、これ、今貰ったら絶対にからかってくるでしょ?」
これ、と問題の当たり棒を指さしながらそう聞くと、前田はまたわかりやすくびくっと肩を震わせて「んなわけねえだろ」なんてぶつぶつあんまり信用できない反論を並べてきた。
私はそんな前田の反論を「はいはい、はやく駄菓子屋に行こう」と言い終わる前に切り捨てた。
数歩先を歩く前田を背中越しに何度も呼びながら追いかけているのだけれど、前田は返事すら返してくれない。それどころか、前田の背中はどんどん小さくなっていく。
「前田」
遠ざかっていく前田をどうにか引き止めたくて、私は子供が駄々をこねるみたいに大きな声をどんどん小さくなっていく背中にぶつけてしまった。
いつもの自分なら絶対に出さないようなみっともない大きな声に、私は両手で素早く、頬ごと口を塞いだ。
それからしばらく口をしっかりと塞いだまま、数メートル先の前田の様子を伺っていると、はあ、と大きなため息の後、ようやく気怠そうに頭を掻きながら「なんだよ」とこちらを振り向いてくれた。
しかし、まさか子供みたいにみっともなく大声を出して呼びつけた私に前田が応えてくれるなんて思ってもみなくて、自分が呼んだというのに言葉がうまく出てこない。
けれど、このまま何も言わないで立ち止ったままでいたら、また前田は私に背を向けて歩きだしてしまう気がする。
私は、手のひらにじんわりと滲んできた汗を押しつぶすようにぎゅっと握り締めた。そして、ただ黙ったままこちらをこちらをじっと睨みつけている前田の目をしっかりと見据えて、いまだ頼りなく震えている口を開いた。
「あの、さっきくれた当たり棒のことなんだけど、いらないから前田に返したわけじゃないの。私、ジョリジョリ君好きだし、もらった時普通に嬉しかったし」
息継ぎをするタイミングを逃してしまい、一息でそう言ってしまったからか、言い終わるのとほぼ同時に「はあはあ」と荒い息が漏れ出た。
ちゃんと黙り込んでしまった理由を説明して謝ろうと焦っていたはずなのに、いざ言おうとしたら、苦手なはずの少女漫画のぶりっ子なライバルキャラみたいなことばっかり口からするすると出てきて、結局肝心なことは何も言えなかった。
自分の意思とは関係なく吐き出される不規則な呼吸はまるで「私は必死なんだよ」と前田にアピールしているみたいで、気持ちが悪い。
目の前の前田もわけがわからないとでも言いたげに顔を歪ませていて、思わず目を逸らしてしまいそうになる。
「じゃあよォ、なんで返してきたんだよ。これ」
少しして、不機嫌そうに目を細めて、前田はそう聞いてきた。
そう聞いてくるいつになく低い声と、ポケットから取り出した当たり棒をコマみたいにくるくると手の中で転がす動作がアンバランスで少し恐怖を感じる。
また、まとまりかけていたはずの言葉が喉の奥につっかえてしまって出てこない。
早く言わないとという焦りと、情けない姿を見せてしまっていることへの恥ずかしさとで、私の顔にはみるみる熱が集まってくる。
そんな今の自分をどうしても前田に見られたくなくて私は反射的に顔を逸らした。
そのまま、あれを言わなきゃ、これを謝らなきゃ、と頭の中が埋め尽くされて顔を上げられないでいたら、「ちっ」と大きな舌打ちが降ってきた。そして、またひどく重々しい足音が響き始めた。
私は慌てて大股で歩きはじめた前田の背中を追いかけた。
けれど、数歩歩いた先で突然前田はピタリと止った。前田に倣って私も立ち止ると、前田は当たり棒をくるくると弄びながらゆっくりとこちらを振り返った。
「ははーん。わかったぜ小宮。そういうことかよ」
そう言いながら前田は私を追い詰めるようにじわじわとこちらに歩み寄ってきた。そして、あと一歩でつま先とつま先がぶつかるという距離にまで来て、また不意に立ち止まった。
おそるおそる目の前に迫ってきた前田を見上げると、なぜだかニヤリといやらしく笑っていた。
そして、そのまま前田は手の中で弄んでいた当たり棒を私に見せつけるように持ち上げて、木の感触を愉しむようにゆっくりと人差し指で撫で上げた。
そんな前田の仕草を見ていたら、そんなわけないのに、まるで当たり棒なんかではなくて私の背中に前田の人差し指が滑っていったかのような気がして、自分の意思とは関係なく背筋が伸ばされていくような震えを感じた。
「小宮」
普段と同じトーンとテンポで呼ばれたはずなのに、体の芯にさっきの震えがまだ残っていて思わず肩が跳ねてしまう。
いつも通り前田の目をしっかりと見て「なに?」と答えると、前田はニヤリとさらにいやらしく口元を歪ませた。
「ほんと、お前ってやらしいよな。俺が咥えたり舐めたりしただけのこんな棒きれでえろい妄想しちまって、動揺して赤くなっちまうんだもんな」
「え?」
真夏の太陽が後ろから照り付ける中、私に顔を寄せながら、前田は丁寧にそう言い聞かせてきた。前田の口から零された言葉たちは私にはとてもじゃないけど聞くだけで恥ずかしくなるようなものばかりで、悔しいけれど、本当に前田の言う通り動揺してしまった。
そのまま私の顔に影を落としている前田の顔すら振り払えないで、ただ下を向くことしかできないでいると、何を思ったのか、前田は当たり棒の文字の書いていない方の先を、私の顎の下に触れるか触れないかくらいの位置でゆるゆると動かしはじめた。
顎の下を擽るように揺れる当たり棒を上を向いてなんとか避けると、今度はしたり顔で笑う前田と目が合った。
「お、こっち向いた」
そう笑い声混じりに鼻先に吐き出された生温かい湿った声が気持ち悪くて、私はそれを振り払おうと首を大きく振った。けれど、前田は余裕の笑みを崩さずに、冷静に私の頬に片手を添えて、暑苦しいくらい近くで顔を眺めまわしてくる。
顔をしっかり押さえられてしまい、逃げられなくなってしまった私は、今度はおでことおでこがくっつきそうな距離にあるニヤケ面をきっと睨みつけてやって、なおも顎の下を当たり棒で擽り続けるもう片方の手を振り払った。
すると、前田は「おー、怖え、怖え」と笑いながら両手を上げて一歩下がり、そして、かつんと意外にも大きな音を立ててアスファルトの上にはたき落された当たり棒を「よっこいせ」とわざとらしい掛け声を付けて拾って、またくるくると片手で器用に弄び始めた。
「うわ、小宮、顔真っ赤」
不意に手の中で弄んでいる当たり棒から視線を外して私の方を見た前田はそう言って腕を伸ばして、今度は文字の書いてある方で私の頬をとんとんと何度か指してきた。
「ちょっと、やめてよ」
私は首を大きく振って当たり棒を振り払ってから、力いっぱい前田を突き飛ばした。
結構強く突き飛ばしたはずのに、前田は「おっと」なんて一応驚いた演技をして見せただけだったけれど。
そんな余裕の笑みを浮かべている前田へのせめてもの抵抗として、私はしっかりと前田のことを睨みつけながら、手の甲で当たり棒が触れたところを力いっぱい拭った。
「いい加減にしてよ、前田。変な勘違いしないで。私がさっき何も言えなくなっちゃったのは前田がせっかくくれた当たり棒を汚いって思ったのが悪いなって思ったからだから。そんなことで無視した上に心配までかけてごめんね」
それから、頬を強く拭った勢いのまま途中から半ば怒鳴るように私はそう捲し立てた。
すると、一瞬前田は目を丸くして、びくっと肩を震わせた。
そんな前田に、さあっと顔から血の気が抜けていくのを感じる。
やっちゃった。
ちゃんと謝り直さないと、と慌てて「ごめん」と何度か謝ると、前田はなぜかすぐにいつもの嫌味な笑顔になって「くっくっく」と笑い始めた。
「え?なんで前田笑ってるの?」
さっきの自分の行動に怒るところはあっても笑うところなんてなかったはずなのに、目の前にいる前田が腹を抱えて笑っているのが不思議で仕方がなくて、私は謝るのも忘れて反射的にそう聞いてしまった。
すると、前田はひいひい言いながらも、笑いをなんとか堪えて口を開いた。
「いや、小宮ってほんとからかいがいがあると思ってよ。」
「からかいがいがあるってなによ」
ついむっとして、ほんの少し睨みながらそう聞くと、前田は、
「小宮ってからかうと、すーぐ動揺して顔真っ赤にするからおもしれえんだよ。あと、今日の小宮は言いたいこと全然言わねえしムカついたけどよ、俺が怒ったらガキみたいに取り乱したのは意外で面白かったわ」
と、ニヤニヤ笑いながら悪びれるでもなくそう言ってのけた。
一応さっき怒鳴ったのは謝ったんだからもういつも通りに言い返してもいいよね。
「私はおもしろくないんだけど。それに、こんな暑い中ずっと大声だしてたんだから顔が赤くなるのは普通でしょ。前田だって待ち合わせの時より赤くなってるから」
いつも通り声を張り上げてそう捲し立ててやると、前田はなぜかびくっと肩を震わせてから「マジかよ」なんて小さく呟いて、自分の顔を触りはじめた。
よく分からないけれど、その様子をいい気味だなんて思いながら見ていたら、顔中をべたべたと触りつくした前田は勢いよくこちらを振り向いてきた。そして、いたずらっぽく笑って、
「なあ、やっぱコレ、食いに行こうぜ」
と、またさっきの当たり棒を私の目の前につき出してきた。
嬉しそうにそう差し出してくれた前田には悪いけれど、まさか「汚い」と思ってしまって受け取れなかったと告白したはずの当たり棒をまたつき出されるなんて思ってもみなくて、私は再び固まってしまった。
「ありがとう」
しばらくして、なんとかそうお礼を絞り出せたけれど、やはりつき出された当たり棒になかなか手を伸ばすことはできない。その上、前田の顔も申し訳なくて見れない。
汚い、というのもあるけど、この当たり棒で散々迷惑をかけたくせに今さらもらえない。だけど好意でくれるものを受け取らないのも失礼だよね。
しばらく散々迷った後、やっぱりせっかく私にあげようと用意してくれたものを受け取らない方が前田に悪いんじゃないかと思って、やっぱり当たり棒を受け取ることにした。
しかし、差し出された当たり棒にぎこちなく片手を伸ばしはじめた私に、なぜだか前田が一瞬困ったように顔を顰めたように見えた。
「前田?」
当たり棒に伸ばしかけた手を一旦引っ込めて、ちらりと控えめに前田の様子を伺うと、前田はちゃんといつも通りニヤっと笑っていて、そして「辰巳が汚ねえってうるせえからちゃんと洗ったぜ」と得意げに言ってきた。
そんな「汚いって言われたから洗った」なんて、それこそ小学生みたいな情けない話を胸を張って堂々と自慢してくる前田に、失礼だとは思うけれど、思わず吹き出してしまった。
そのまま私は吹き出した勢いで「じゃあ、それなら」と差し出された当たり棒に手を伸ばした。
やはり、前田が困ったような顔をしていたように見えたのはただの見間違えだったのかもしれない。
けれどその瞬間、「これを素直に受け取ったら、前田にノリノリでからかわれるんじゃない?」なんて失礼な考えが脳裏をよぎった。
でも一応可能性はある気がして、慌てて再び手を引っ込めて、当たり棒から前田に視線を移すと、「なんだよ、いらねえのか?」といやらしく笑う前田としっかり目が合った。
やっぱりか。
思わずはあ、と大きなため息が漏れ出る。
「いや、別に当たり棒じゃなくて、前田が交換してもらったジョリジョリ君をもらえばいいかなって思って」
「なんでそうなんだよ」
「なんでって、これ、今貰ったら絶対にからかってくるでしょ?」
これ、と問題の当たり棒を指さしながらそう聞くと、前田はまたわかりやすくびくっと肩を震わせて「んなわけねえだろ」なんてぶつぶつあんまり信用できない反論を並べてきた。
私はそんな前田の反論を「はいはい、はやく駄菓子屋に行こう」と言い終わる前に切り捨てた。