夜の帰り道1章
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前田にお腹が痛くなるくらいたくさん笑わされて、午前中にテストが終わったはずなのにどっと疲れてしまった。それになにより、テストが終わって少ししたら夏休みに入るというだけあって今日はすごく暑い。さっきまで散々大きな声でゲラゲラ笑い続けていたせいか、朝の天気予報で言っていた気温よりもずっと暑いように感じる。
隣でのろのろと歩く前田も、最後の落書きの先生のモノマネを披露してノートを返してきてから徐々に口数が減っていった。今は「暑い」とうわ言のように呟きながら、いつの間にかきっちりと結んでいたネクタイをズボンのポケットに丸めてつっこんで、第二ボタンまで外したシャツの襟もとを動かして弱々しい風をあごの先に送りはじめた。
この暑さの中、ちゃんと家までたどり着けるかななんてぼんやりと考えていたら、「おい小宮」と私のことを呼ぶ前田の声がかすかに聞こえた気がしてゆっくりと隣を向くと、あごを伝ってぽたぽたと大粒の汗を垂らしながら前田がズボンのポケットをまさぐっていた。
「どうしたの?なんか落とした?」
「いんや、違えよ。っと、あったあった」
「なんだかよくわからないけど見つかったんだ。よかったね」
なにかを見つけられて嬉しそうに声を弾ませている前田とは裏腹に、感情のこもっていない声で一応そう言ってからまたゆっくりと前に向きなおろうとしたその瞬間、がしっと、力強く前田に腕を掴まれた。
「ちょっと待てよ、小宮。これ見ろよ」
さっきまで「暑い、暑い」って死にかけていたのがウソみたいに、前田はまるで小さな子供のようなキラキラした目をこちらに向けてくる。なんだかそんな前田に無性に腹が立って、「なに」と素っ気なく返事をしてみた。ところが、前田は私が律義にも反応したからか、今度はいつものように「いひひ」といたずらっぽく笑い出した。
「ちゃんと見てろよ。じゃん」
ニヤニヤ得意げに笑いながらわざわざ効果音までつけて、ポケットから前田が取り出したそれは、割りばしにしては短いし串にしては太すぎるただの木の棒だった。
前田のことだし別になにかものすごいものが出てくるとか期待なんて全然していなかったけれど、それでも今どき小学生、いや、幼稚園とか保育園に通っているような子供でも喜ばなさそうなゴミをもったいぶって見せられたんだ。きっと誰でも腹が立つと思う。
「なにこれ」
「あ?なにって、あ、やべっ、間違えた。おい小宮、ちょっと向こう向いてろ」
「は?前田がそういうこと言うときってろくなことないじゃん。嫌だよ」
「んなことねえだろ、いいから向こう向けっての」
何回も落っことしそうになりながら、なんとかさっきの棒きれをポケットに突っ込んだ前田は、そう言って私の両肩を掴んでぐるっと体の向きを変えようとしてきた。
うちのバレー部の「対角」エースなだけあって前田が私の肩を押す力はかなり強くて、これではただのマネージャーの私が抵抗しても無駄な気がする。
仕方がない。今回は前田に従ってあげることにしよう。
前田にかなり強引に体の向きを変えられてから5秒も経たないうちに、親切に待ってあげているのがばからしくなって、ついに私はイラついているのを隠そうともせずに「まだ?」と聞いた。すると、前田は食い気味に「まだだよ」と結構大きな声で答えてきた。
この暑い中汗をだらだら流しながら前田のことを待ちたくなんてないのだけれど、一応お礼として前田と一緒に帰るという約束になっているから無視して一人で帰るわけにもいかない。しょうがないので、もう少しだけ待ってあげることにした。もちろん「早くしてよね」と文句は言ってやったけれど。
「おし、いいぞ。おい、小宮、こっち向け」
散々、といってもせいぜい十秒くらいだろうけれども、暑い中人のことを待たせておいて偉そうにそう言ってくる前田が腹立たしくて、わざと、もったいぶってものすごくゆっくり前田の方に向き直ってやった。
イラついて「早くしろ」とかぶつぶつ言っている前田を想像しながら振り向いたのだけど、予想に反して前田はニヤニヤと得意げに笑っていて、なんだか余計に腹が立った。
「よく見てろよ」
そう念押ししてから、前田が「じゃん」とわざわざ大げさな効果音までつけて私の顔の前に突き出してきたのは、やっぱりさっきの木の棒のようだった。けれど、先ほどとはちょっと違って、今度は短い棒にぎゅうぎゅうに字が詰まっていた。そこで、私は前田の差し出す木の棒いっぱいに書かれた細かな字を読むために顔を少しだけ近づけてみた。
「えっと、「当たり、ジョリジョリ君一本と交換」。えっ、ジョリジョリ君って本当に当たりあるんだ。すごいじゃん。前田」
「ぶはっ、小宮、はしゃぎすぎ。アイスの当たりで喜ぶとか、小宮も意外とガキっぽいとこあんだな」
太ももをバンバン叩きながら前田はこれでもかというくらい、そう大笑いしてきた。
しょうがないじゃない。ジョリジョリ君の当たりなんてはじめて見るし、そもそも宣伝のために当たりがあるって言ってるだけで実際は無いものだと思っていたし。
そうぶつぶつと反論を重ねてみたけれど、やっぱりジョリジョリ君の当たりがすごく気になって仕方がなくて、ちゃんと興味がなさそうに見えるように気を付けながらだけど、「いつ当たったの?」とか「何味で当たったの?」みたいな質問をたくさんしてみた。
すると、前田はまるで私が興味津々なのはお見通しだとでも言いたそうに、得意げに笑って「昨日お前を送ってった後」とか「コーラ味」とかちゃんと全部の質問に答えてくれた。
そして、それから、前田は手に持った当たり棒を、ぐい、と私に近づけてきた。
何も言ってこないでただニヤニヤして当たり棒を差し出してくる前田が少し不気味に感じて、私は一歩だけ前田から離れた。
「え、なに?」
「お前にやるよ。今から駄菓子屋寄ってこれ食おうぜ」
「本当?」
ニヤニヤと笑いながら前田が差し出してくるものを簡単に受け取ってしまうのは少し癪だけれど、まさか、あのジョリジョリ君の当たり棒を貰えるなんて。
私は、早くも何味のジョリジョリ君を食べようかなんて迷いながら、前田の差し出す当たり棒に両手を伸ばした。
受け取った当たり棒はただの棒に「当たり」という派手なポップ体の文字と店舗で交換する際の方法を簡単に説明する堅苦しい文章が焼かれているだけのものなのに、とても特別なものみたいに感じる。
太陽の光に透かしてみたり、ちょっと振ってみたり、久しぶりに子供みたいにはしゃいで手の中の当たり棒を隅々まで観察してみる。すると、棒の中心から少し下のあたりに太く、まっすぐ棒の木の色が濃くなっているところがあることに気が付いた。
なんでこんなところだけ色が濃くなっているのかなんてどうでもいいことなんだけれど、なんだか引っかかって、当たり棒を裏返してみたり、ゆっくりと回転させて見たりして考えているうちに、アイスがついていた跡だということが分かった。けれど、引っかかっていたことがわかったはずなのに、なんだか、こう、モヤモヤする。
気を紛らわせるために。夢中で弄んでいたアイスの棒から、一度目を逸らして、前田の方を見上げてみると、なぜだか無意識に前田の顔ではなく口元に目がいってしまった。なんでこんなとこに視線がいったんだろうとぼうっと考えながら見上げたままでいると、「どうした?」と動く前田の口がなんだかいつもよりゆっくり、はっきりと見えた。
でも、やっぱりよくわからなくて、私はまた当たり棒に目線を戻した。そうしたら、突然、頭の中のもやがさあっと晴れたような気がした。
自分が握っている当たり棒の色が濃い部分から上のあたりのはちょうどアイスがついていたところで、アイスを食べて当たりを当てたのが前田なら、ちゃんとこの棒は洗っていないだろう。なら、もしかしなくても、この当たり棒は実はめちゃくちゃ汚いんじゃないか。
それに、前田のことだ、自分が口を付けたものをわざと渡して私のことをからかおうと思っているんじゃないか。
そんな結論にたどりついた時にはすでに、私は濃い茶色のボーダーラインから下へと棒を握る手をずらしていた。
「なんだよ、小宮。黙り込んでよ。具合でも悪いのか?」
しばらく当たり棒を見つめていたら上からそう前田の声が聞こえてきた。手に持った当たり棒を見ているため俯いている姿勢になっているから前田が今どんな表情をしているのかはよくわからないけれど、珍しく慌てた声でそう尋ねられたように感じた。
絶対にからかってくると思っていたのに、心配してくれているかのような態度を取られて、一瞬おかしいと思った。けれど、もしかしたら前田は私のことを心配しているふりをして油断させようとしているだけなのかもしれないと思い直して、私は前田を無視することにした。
しかし、なおも「大丈夫か?」と心配そうに何度も何度も尋ねてくれる前田の声を聞いているうちに、もし私のことをからかうつもりなら、いくら前田でもこんなに何回も心配そうな演技をつけて声をかけ続けたりはしないんじゃないかと思いはじめた。
そう思ったら、だんだん、からかうつもりなんかじゃなくて、ただ好意でくれた当たり棒を汚いなんて思って、その上、本当に自分のことを心配してくれているのにからかうつもりだなんて疑ってしまった自分が恥ずかしくなってきた。
「おい、小宮、本当に大丈夫かよ。今日はアイスやめて、やっぱ帰るか?」
なんだか真剣にそう聞いてくる前田の顔をまともに見ていられなくて、私が何の反応も返せないでいたら、本当に私の体調が悪いんだと思ったのか、前田は立ち止って私の両肩を強引につかんで自分の方に振り向かせた。そして、私の顔色を確認するように顔をぐっと近づけてきた。
私はそんな風に心配そうに近づいてくる前田に今の自分の顔を見られるわけにはいかないと本能的に感じて、手に力を込めて伸ばした。
しかし、少し離れさせようとしただけのつもりだったのに、私の手はバシッと大きな音をたてた。その痛々しい音に、自分が前田を強くはねのけてしまったんだとすぐに気づいて、私はほんのり赤くなって痺れの残る手を慌てて引っ込めた。
そして、手を引っ込めた勢いのままに、少し離れたところで赤みを帯びたほおをおさえて唖然としてこちらを見ている前田に「ご、ごめん」と大きな声で謝った。
前田は一瞬、私の大きな声ではっとしたような顔になって、それから、眉をぎゅっと寄せて私のことを睨みつけてきた。
今まで前田が怒ったところはほとんど見たことがなくて、アイスを食べたいと思うくらい暑かったのに、背中を伝う汗が異様に冷たく感じた。
「なんだよ。元気じゃん。なら最初っから大丈夫っつえよな」
普段はあまり聞かないような強い口調で前田にそう言われて、びくりと体は大きく震えるのに、手足は凍り付いてしまったかのように動かないし、いつもは思ったことを何でも言っている口もはくはくと頼りなく動くだけで言葉が出てこない。
動けなくなってしまった私を一瞥してから、前田はふんと大きく息を吐いて、「本当に具合が悪いんだったら困るから家までは送ってってやる」と冷たく言い放った。
そして、縮こまった私の肩からカバンをスルリと抜き取って、前田はゆっくりと歩きだした。
もう何もさっきみたいに声をかけてくれなくなった前田を私のカバンを挟んで横から小さく呼ぶと、「あ?」と面倒くさそうではあるけれども、こちらを振り向いてくれた。
びくりと反射的に震えそうになるのを堪えて、私は、勇気を出して口を開いた。
「あの、やっぱり家まで送ってくれなくて大丈夫だから。心配してくれてありがとう」
「は?」
「それと、これもやっぱり悪いから返すよ」
不機嫌そうに顔をしかめた前田はなんだか知らない人みたいで、当たり棒を差し出す手に余計な力がこもる。
「べつに返さなくていいだろ。一人で駄菓子屋にでも行ったときに使えばいいんだからよ」
「ちっ」と大きく舌打ちをしてからそう吐き捨てた前田は私の差し出した当たり棒をひったくるように取って、無造作にポケットにつっこんだ。
そんな前田の様子を見て、やっぱりちゃんと何も言えなくなった理由を言って、当たり棒が汚いって思ってしまったことに対しても謝らないと、とどんどん気持ちが逸っていくのに、うまく言葉が見つからない。
「ったく、いらねえならいらねえっつえばいいだろ。ずっと黙り込んでよ、意味わかんねえ」
そう独り言のように呟いた前田に、ただ一言「ごめん」とだけ小さく謝ろうとしたが、ちゃんと言い終わらないうちに、前田はまた私を置いてゆっくりと歩きだしてしまった。
隣でのろのろと歩く前田も、最後の落書きの先生のモノマネを披露してノートを返してきてから徐々に口数が減っていった。今は「暑い」とうわ言のように呟きながら、いつの間にかきっちりと結んでいたネクタイをズボンのポケットに丸めてつっこんで、第二ボタンまで外したシャツの襟もとを動かして弱々しい風をあごの先に送りはじめた。
この暑さの中、ちゃんと家までたどり着けるかななんてぼんやりと考えていたら、「おい小宮」と私のことを呼ぶ前田の声がかすかに聞こえた気がしてゆっくりと隣を向くと、あごを伝ってぽたぽたと大粒の汗を垂らしながら前田がズボンのポケットをまさぐっていた。
「どうしたの?なんか落とした?」
「いんや、違えよ。っと、あったあった」
「なんだかよくわからないけど見つかったんだ。よかったね」
なにかを見つけられて嬉しそうに声を弾ませている前田とは裏腹に、感情のこもっていない声で一応そう言ってからまたゆっくりと前に向きなおろうとしたその瞬間、がしっと、力強く前田に腕を掴まれた。
「ちょっと待てよ、小宮。これ見ろよ」
さっきまで「暑い、暑い」って死にかけていたのがウソみたいに、前田はまるで小さな子供のようなキラキラした目をこちらに向けてくる。なんだかそんな前田に無性に腹が立って、「なに」と素っ気なく返事をしてみた。ところが、前田は私が律義にも反応したからか、今度はいつものように「いひひ」といたずらっぽく笑い出した。
「ちゃんと見てろよ。じゃん」
ニヤニヤ得意げに笑いながらわざわざ効果音までつけて、ポケットから前田が取り出したそれは、割りばしにしては短いし串にしては太すぎるただの木の棒だった。
前田のことだし別になにかものすごいものが出てくるとか期待なんて全然していなかったけれど、それでも今どき小学生、いや、幼稚園とか保育園に通っているような子供でも喜ばなさそうなゴミをもったいぶって見せられたんだ。きっと誰でも腹が立つと思う。
「なにこれ」
「あ?なにって、あ、やべっ、間違えた。おい小宮、ちょっと向こう向いてろ」
「は?前田がそういうこと言うときってろくなことないじゃん。嫌だよ」
「んなことねえだろ、いいから向こう向けっての」
何回も落っことしそうになりながら、なんとかさっきの棒きれをポケットに突っ込んだ前田は、そう言って私の両肩を掴んでぐるっと体の向きを変えようとしてきた。
うちのバレー部の「対角」エースなだけあって前田が私の肩を押す力はかなり強くて、これではただのマネージャーの私が抵抗しても無駄な気がする。
仕方がない。今回は前田に従ってあげることにしよう。
前田にかなり強引に体の向きを変えられてから5秒も経たないうちに、親切に待ってあげているのがばからしくなって、ついに私はイラついているのを隠そうともせずに「まだ?」と聞いた。すると、前田は食い気味に「まだだよ」と結構大きな声で答えてきた。
この暑い中汗をだらだら流しながら前田のことを待ちたくなんてないのだけれど、一応お礼として前田と一緒に帰るという約束になっているから無視して一人で帰るわけにもいかない。しょうがないので、もう少しだけ待ってあげることにした。もちろん「早くしてよね」と文句は言ってやったけれど。
「おし、いいぞ。おい、小宮、こっち向け」
散々、といってもせいぜい十秒くらいだろうけれども、暑い中人のことを待たせておいて偉そうにそう言ってくる前田が腹立たしくて、わざと、もったいぶってものすごくゆっくり前田の方に向き直ってやった。
イラついて「早くしろ」とかぶつぶつ言っている前田を想像しながら振り向いたのだけど、予想に反して前田はニヤニヤと得意げに笑っていて、なんだか余計に腹が立った。
「よく見てろよ」
そう念押ししてから、前田が「じゃん」とわざわざ大げさな効果音までつけて私の顔の前に突き出してきたのは、やっぱりさっきの木の棒のようだった。けれど、先ほどとはちょっと違って、今度は短い棒にぎゅうぎゅうに字が詰まっていた。そこで、私は前田の差し出す木の棒いっぱいに書かれた細かな字を読むために顔を少しだけ近づけてみた。
「えっと、「当たり、ジョリジョリ君一本と交換」。えっ、ジョリジョリ君って本当に当たりあるんだ。すごいじゃん。前田」
「ぶはっ、小宮、はしゃぎすぎ。アイスの当たりで喜ぶとか、小宮も意外とガキっぽいとこあんだな」
太ももをバンバン叩きながら前田はこれでもかというくらい、そう大笑いしてきた。
しょうがないじゃない。ジョリジョリ君の当たりなんてはじめて見るし、そもそも宣伝のために当たりがあるって言ってるだけで実際は無いものだと思っていたし。
そうぶつぶつと反論を重ねてみたけれど、やっぱりジョリジョリ君の当たりがすごく気になって仕方がなくて、ちゃんと興味がなさそうに見えるように気を付けながらだけど、「いつ当たったの?」とか「何味で当たったの?」みたいな質問をたくさんしてみた。
すると、前田はまるで私が興味津々なのはお見通しだとでも言いたそうに、得意げに笑って「昨日お前を送ってった後」とか「コーラ味」とかちゃんと全部の質問に答えてくれた。
そして、それから、前田は手に持った当たり棒を、ぐい、と私に近づけてきた。
何も言ってこないでただニヤニヤして当たり棒を差し出してくる前田が少し不気味に感じて、私は一歩だけ前田から離れた。
「え、なに?」
「お前にやるよ。今から駄菓子屋寄ってこれ食おうぜ」
「本当?」
ニヤニヤと笑いながら前田が差し出してくるものを簡単に受け取ってしまうのは少し癪だけれど、まさか、あのジョリジョリ君の当たり棒を貰えるなんて。
私は、早くも何味のジョリジョリ君を食べようかなんて迷いながら、前田の差し出す当たり棒に両手を伸ばした。
受け取った当たり棒はただの棒に「当たり」という派手なポップ体の文字と店舗で交換する際の方法を簡単に説明する堅苦しい文章が焼かれているだけのものなのに、とても特別なものみたいに感じる。
太陽の光に透かしてみたり、ちょっと振ってみたり、久しぶりに子供みたいにはしゃいで手の中の当たり棒を隅々まで観察してみる。すると、棒の中心から少し下のあたりに太く、まっすぐ棒の木の色が濃くなっているところがあることに気が付いた。
なんでこんなところだけ色が濃くなっているのかなんてどうでもいいことなんだけれど、なんだか引っかかって、当たり棒を裏返してみたり、ゆっくりと回転させて見たりして考えているうちに、アイスがついていた跡だということが分かった。けれど、引っかかっていたことがわかったはずなのに、なんだか、こう、モヤモヤする。
気を紛らわせるために。夢中で弄んでいたアイスの棒から、一度目を逸らして、前田の方を見上げてみると、なぜだか無意識に前田の顔ではなく口元に目がいってしまった。なんでこんなとこに視線がいったんだろうとぼうっと考えながら見上げたままでいると、「どうした?」と動く前田の口がなんだかいつもよりゆっくり、はっきりと見えた。
でも、やっぱりよくわからなくて、私はまた当たり棒に目線を戻した。そうしたら、突然、頭の中のもやがさあっと晴れたような気がした。
自分が握っている当たり棒の色が濃い部分から上のあたりのはちょうどアイスがついていたところで、アイスを食べて当たりを当てたのが前田なら、ちゃんとこの棒は洗っていないだろう。なら、もしかしなくても、この当たり棒は実はめちゃくちゃ汚いんじゃないか。
それに、前田のことだ、自分が口を付けたものをわざと渡して私のことをからかおうと思っているんじゃないか。
そんな結論にたどりついた時にはすでに、私は濃い茶色のボーダーラインから下へと棒を握る手をずらしていた。
「なんだよ、小宮。黙り込んでよ。具合でも悪いのか?」
しばらく当たり棒を見つめていたら上からそう前田の声が聞こえてきた。手に持った当たり棒を見ているため俯いている姿勢になっているから前田が今どんな表情をしているのかはよくわからないけれど、珍しく慌てた声でそう尋ねられたように感じた。
絶対にからかってくると思っていたのに、心配してくれているかのような態度を取られて、一瞬おかしいと思った。けれど、もしかしたら前田は私のことを心配しているふりをして油断させようとしているだけなのかもしれないと思い直して、私は前田を無視することにした。
しかし、なおも「大丈夫か?」と心配そうに何度も何度も尋ねてくれる前田の声を聞いているうちに、もし私のことをからかうつもりなら、いくら前田でもこんなに何回も心配そうな演技をつけて声をかけ続けたりはしないんじゃないかと思いはじめた。
そう思ったら、だんだん、からかうつもりなんかじゃなくて、ただ好意でくれた当たり棒を汚いなんて思って、その上、本当に自分のことを心配してくれているのにからかうつもりだなんて疑ってしまった自分が恥ずかしくなってきた。
「おい、小宮、本当に大丈夫かよ。今日はアイスやめて、やっぱ帰るか?」
なんだか真剣にそう聞いてくる前田の顔をまともに見ていられなくて、私が何の反応も返せないでいたら、本当に私の体調が悪いんだと思ったのか、前田は立ち止って私の両肩を強引につかんで自分の方に振り向かせた。そして、私の顔色を確認するように顔をぐっと近づけてきた。
私はそんな風に心配そうに近づいてくる前田に今の自分の顔を見られるわけにはいかないと本能的に感じて、手に力を込めて伸ばした。
しかし、少し離れさせようとしただけのつもりだったのに、私の手はバシッと大きな音をたてた。その痛々しい音に、自分が前田を強くはねのけてしまったんだとすぐに気づいて、私はほんのり赤くなって痺れの残る手を慌てて引っ込めた。
そして、手を引っ込めた勢いのままに、少し離れたところで赤みを帯びたほおをおさえて唖然としてこちらを見ている前田に「ご、ごめん」と大きな声で謝った。
前田は一瞬、私の大きな声ではっとしたような顔になって、それから、眉をぎゅっと寄せて私のことを睨みつけてきた。
今まで前田が怒ったところはほとんど見たことがなくて、アイスを食べたいと思うくらい暑かったのに、背中を伝う汗が異様に冷たく感じた。
「なんだよ。元気じゃん。なら最初っから大丈夫っつえよな」
普段はあまり聞かないような強い口調で前田にそう言われて、びくりと体は大きく震えるのに、手足は凍り付いてしまったかのように動かないし、いつもは思ったことを何でも言っている口もはくはくと頼りなく動くだけで言葉が出てこない。
動けなくなってしまった私を一瞥してから、前田はふんと大きく息を吐いて、「本当に具合が悪いんだったら困るから家までは送ってってやる」と冷たく言い放った。
そして、縮こまった私の肩からカバンをスルリと抜き取って、前田はゆっくりと歩きだした。
もう何もさっきみたいに声をかけてくれなくなった前田を私のカバンを挟んで横から小さく呼ぶと、「あ?」と面倒くさそうではあるけれども、こちらを振り向いてくれた。
びくりと反射的に震えそうになるのを堪えて、私は、勇気を出して口を開いた。
「あの、やっぱり家まで送ってくれなくて大丈夫だから。心配してくれてありがとう」
「は?」
「それと、これもやっぱり悪いから返すよ」
不機嫌そうに顔をしかめた前田はなんだか知らない人みたいで、当たり棒を差し出す手に余計な力がこもる。
「べつに返さなくていいだろ。一人で駄菓子屋にでも行ったときに使えばいいんだからよ」
「ちっ」と大きく舌打ちをしてからそう吐き捨てた前田は私の差し出した当たり棒をひったくるように取って、無造作にポケットにつっこんだ。
そんな前田の様子を見て、やっぱりちゃんと何も言えなくなった理由を言って、当たり棒が汚いって思ってしまったことに対しても謝らないと、とどんどん気持ちが逸っていくのに、うまく言葉が見つからない。
「ったく、いらねえならいらねえっつえばいいだろ。ずっと黙り込んでよ、意味わかんねえ」
そう独り言のように呟いた前田に、ただ一言「ごめん」とだけ小さく謝ろうとしたが、ちゃんと言い終わらないうちに、前田はまた私を置いてゆっくりと歩きだしてしまった。