短編
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それはふと目に留まったモノでしかなくて。
だからそれは、本当に偶然とか気の迷いとかそういう類のように思う。
その日のオットーは長い旅路を終えて、商談に向かうところだった。
今回の商談は、遥々北国のグステコから運んだ品物を王都で売りさばく予定で、夜通し運んだせいか少しの高揚感を持て余していた。
徹夜明けの尊大な気分を味わいながら、商談場所に向かおうと街を歩いていた時のことだ。
道の傍からキラリと光る何かが目に入る。
ふと目を留めるとそれは、街の一角にあるこじんまりとした店先からだった。
雑貨店なのか化石店なのかよくわからないその店には、首飾りやら鉄鉱石やら様々なものが並んでいる。
いつもなら気にしないはずなのに、いつのまにか、足が出向いていた。
主な客層が思い浮かばない、そのくらい、雑多なものが並んでいる。
やけに幾何学的で整えられたモノもあれば、どこから拾ってきたのかと疑うほど無骨なモノも置いてあった。
価格もバラバラで、単に店主の趣味だけ集めたのかもしれないと疑うほどだ。
いやむしろそう考えると不思議と統一感が見えてくるかもしれない。
もしかして雑多に思われたその錯覚さえも店主の思惑通りなのだろうか。
客層を狭めないことが全年齢層の需要につながると?
客層や価格帯に拘る自分の方が古典的?
そんなことで商人が務まるのか自分?
奇妙な感覚に捉えられたところで、ふと、一際美しい光に目が留まった。
鮮やかに光るサファイヤブルーの石。
光に翳すときらきら反射するその幻想的な燐光から目が離せなくて。
淡くて朗らかな空のような、けれど酷く深くて底が知れない海のような。
見ているだけで心が安まるような、けれどやけに胸の奥が焦げるような。
まるでーーーーーーーー。
脳裏にうつった儚げな双眸を思い出して、オットーは柄にもなく赤面した。
「もう、だめかもしれない、」
新しいことを始める時は、死に目にあった時くらい衝撃的だ、という言葉をご存知だろうか。
オットーは、まさにこの時、その言葉を実感するくらいには疲れていた。
勿論、新しいことを始めることになった所以もかなり衝撃的なものではあった、
けれど、家を飛び出したその日から、自分と地竜のふたりきりで。
何もかも切り盛りするというのは必死なことだったのである。
朝は早くから仕入れ先についていって、先輩商人に罵倒されながらもどうにか商談を繋ぎ止める。
運ぶ品数が少ない自分はそれを足で稼がなければいけないし、夜通し走って足で稼ごうと近道をすれば盗賊に襲われる。
毎日が生きるか死ぬかのギリギリで。
自分の判断に後悔はしていないけれども、世界がどこか理不尽で。
仕事が慣れないことも原因の一つだったのだろう。
とにかくどこかへ逃げ出したかった。
だから、思いも寄らない優しさに縋りつきたくなったのだ、と思う。
「甘いものを食べると幸せな気持ちになるのはね、すべての生物で共通なんだって。」
彼女に出会ったのは、夕飯を探して、偶然入った店だった。
そこはどことなく静かな場所で、客がいなくて閑散としているとか、市街地から遠いとか、一概にそういうわけではない。
むしろ、客はまあまあ居る方だったし、街道沿いの宿場街ではあったと思う。
それでもその店全体が、落ち着いた雰囲気を醸し出している、そういう店だった。
だから突然聞こえたその声に、少し驚いたのだ。
「え、」
顔を上げると優しげな青い瞳が心配そうにこちらを見ていて、だから二の句が継げなかった。
「だからね、おにいさんには、まずこれを。」
彼女は少し微笑みながら、オットーの前のテーブルに皿を置いた。
鮮やかで涼しげなゼリー。
透き通るような淡い色で、その上にはスライスされたリンガが載せてある。
「これは…?」
「ああ、お金はいいよ、サービスね。落ち着いたら料理も頼んでくれたら嬉しいな。」
注文もしてないのに突然出された料理に困惑していると、彼女は優しげな笑顔でその場を去った。
商人の端くれでもタダには気をつけろという教訓を忘れて、その笑顔に縋りたくて、だから言われるがままに一口頬張ると、甘くて酸っぱい涼やかな味がした。
爽やかで、甘くて、優しくて。
美味しいと、声に出して気を遣うことも忘れて、オットーは黙々と口に頬張った。
コップ一杯分だったそれはすぐに食べ終えてしまう、だからなぜだか口寂しくて、すぐに料理を頼もうとする。
そうして、それを食べたせいで尚更食欲が湧いている自分に気がついて苦笑した。
傷心している自分を気遣うようでいて、其の実、商品を売り出していたということなのかもしれない。
自分に向けられた優しさに裏付けがなされたようでいて、けれどそれが嬉しい気がして。
彼女になら、してやられてもいいと、心の底から笑いが込み上げるのが可笑しかった。
その時から、どこか彼女には特別な思いを抱いていたのかもしれない、とオットーは自身でそう思う。
そう言うと、坊ちゃんにも春が来ましたねと、しみじみとフルフーが呟いて、否定するのは骨が折れたが。
それでもまだその時は、恋慕とか思慕とかそう言う類のものじゃなかった、と思っていた。
むしろ敬慕とか敬畏とか、純粋な尊敬の念を抱いていたのだとそう思っていた。
「ひとりで切り盛りしてるんですか?」
足繁く通うようになったオットーは、彼女と二言、三言、話せるようになっていた。
だからその時は漠然と抱いていた疑問を彼女にぶつけてみたのだ。
すると彼女は一瞬虚を疲れたように瞠目して、それからぽつりと、多分ね、と呟いた。
明らかにおかしい彼女の様子に、やけに大きな焦燥感に駆られて、だから少し前のめりになってしまったように思う。
「多分ね、って誰かいるんですか?」
ミステリアスな彼女を掴む断片を見つけたようで、内心喜んでいると、彼女はそれと正反対に少し悲しそうに目を伏せた。
「いる、気がするの。」
それが誰だか忘れてしまったけれど。
彼女は少し思案するように、青い瞳を曇らせて物憂げな眼差しをした。
どうしてかその人のことが思い出せなくて。
ぽっかり穴が空いたように向け落ちていて。
誰に聞いてもそんな人いないって。
私一人でここまで店を大きくしたんだねって、
でも、
「絶対に誰かいたのよ。」
彼女の目は確信めいた青い瞳をしていて、透き通るような燐光で。
けれど其の実、儚げな双眸が潤んでいて。
其の瞳から目が離せなくて、
酷く、胸が焦げる思いがした。
やけに喉が渇く感触と、全身に響く甘い痺れは、今でも鮮明に覚えている。
彼女にそれを言わせてしまった罪悪感と、彼女の深い一面が見れた高揚感と、
彼女を求める胸に巣作る渇いた感触に、慣れなくて。
居心地が悪い、けれども、やけに幸福で。
どうしたらいいのかわからなかった。
彼女にかける言葉が見つからなくて、そうなんですかとか、知りませんんでしたとか、適当な言葉を吐いた気がする。
とにかく突然押し寄せたこの感情をどう処理したらいいかわからなくて、其の後のことはよく覚えていない。
挨拶もそこそこに店から出てきたオットーを、フルフーが大丈夫ですかと声をかけて、その日はどうにか宿に戻れたのだという。
その後の数日は何処か向け落ちたように仕事をして、
どこにいっても彼女が脳裏から離れなかった。
だから
「恋ですよ、坊ちゃん。」
いい加減認めてください、と呆れたように言うフルフーに、今日何度目かの溜息を吐かれて、それも毎度の如く否定しようとして、静止した。
「恋って、まさかそんな、」
恋はもっと鮮やかで、優しくて、キラキラしてて。
こんな乾いた感情なんて、こんな胸の焦がれ方も、酷く苦しい喉の渇きも、満たされない胸の奥も、ないはずだと、
だから、昔のあの出来事と同じだなんて、そんなこと
「その人のことを思うと、手がつかなくなる、今の坊ちゃんの状況そのものではないですか。」
だからもう認めて仕事してください。
その言葉は、やけにストンと胸に落ちるのを感じたのだ。
あれから数ヶ月が経った。
手の内の無骨な石の感触を確かめながら、オットーは店の前に立つ。
彼女に渡す言い訳は、もう何度反芻したかわからない。
拒絶される怖さに苛まれるより、ただ純粋に彼女の笑顔が見たかった。
そうして願わくば少しだけでも、
彼女に好きだと伝えたかった。