短編
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街灯の光が心許なく夜の静けさを照らしている。
頭がぼんやりとしているせいか、足元がおぼつかない。
けれど同時に、火照った体が夜風にさらされて気分が良い。
ただ、体はこんなに暑いのに、どうしてだか、心の奥底は軋むように酷く寒くて。
脳裏にはただ、こびりついて離れないただ一人の面影で。
心の奥底から、疼いて仕方ない渇望が、彼女を酷く不安にさせた。
それはただ、彼に会いたいだけなのに。
ふと、緑色の光が目についた
引き寄せられるようにそちらに歩く。
ドトール?スタバ?でもそれらとは違ってたぬきの絵が描いた看板だった。
ああ、前にも来たことがあると思い出す。
今日みたいに酔った日だった。
あの時も、いつのまにか、たぬき柄の看板に辿り着いたのだ。
誘われるように扉を開くと、彼が中から出てきたのを思い出す。
垂れ目がちの、優しい瞳をしたあの人だった。
どこか呆れたような口振りで、けれど、どこか喜んでいるような声色で。
あの日みたいに、この扉を開ければ、彼に会えるのだろうか、
恋焦がれたあの人に。
別れ方は最悪で、いまだに会いに来てはくれないけれど。
待っていると大胆に宣言した私が、待つのに痺れを切らすのは反則なのだろうか。
私が迎えに行ってしまうことは、間違いなのだろうか。
「何か用か?」
突然、自分の真後ろから声をかけられて、名前は飛び上がるほどに驚いた。
足音はしなかったはずなのに、と慌てて後ろを振り向くと、光っているみたいに美しい白髪。
「貴様、何用だ?」
男性だろうか女性だろうか、中性的に整った顔立ちに、鋭く光った赤い瞳。
浮世離れした美しさに、名前は動揺しながら慌てて後退りをする。
彼(彼女?)は、品定めをするかのようにジロジロと名前を見渡した後、何か思いついたように、まあ入れと促した。
取り乱している名前をよそに、彼は悠々としていて、やけに落ち着き払っていた。
中は、あの日と同じ景色だった。
どこの国旗かわからない乱雑に飾られた旗と、目を見張るくらい沢山のお酒が並べてある棚。
隠れ家のような雰囲気の、落ち着いたバー。
違うのは、やはり彼が居ないことくらいなだけだ、と名前の気持ちはまた沈みそうになる。
「何を飲む」
彼はカウンターの奥、私はカウンターの席へと促される。
店内はガラッとしていて、いるのは彼と私の二人きりだった。
そういえば前回も、彼と私の2人きりだった。
バーなら夜中くらいやっているかと思ったのに、毎回人が少ない、と言っても数えるほどしか来てないけれど。
いつもやっていないのだろうか、それとも偶々定休日ばかりなのだろうか。
「ええと、」
何を飲むかと聞かれてもパッとカクテルの名前が思いつかなくて、慌ててカウンターの机を見渡す。
「ええっ、と、、、」
メニュー表らしきものは見つからなくて
どうしようとちらりと彼を見ると、およそバーテンダーとは思えない服装をしていた。
外で話しかけられた時は全然気が付かなかったけれど、よく見るとグレーのジャージ上下である。
バーテンダーとは思えない彼に何を頼めばいいのだろうか…
困っていると彼が蔑むように、名前を見下げて堂々と言った。
「何を困っている、なんでも作れるぞ、」
どんっと胸を張って彼は言った。
「じゃあ、ビール…?」
「は?お前、これだけの銘柄があってそんなものを頼むのか。なんて生意気なやつなんだ。仕方がない、しばし待て。」
怒るというか忠告というか、なんだか蔑まれたような気がするが、彼は颯爽とカウンターの奥へと消えていった。
そうして、沢山の氷を持って出てくると、今度は数ある棚の中から、さっと何かの銘柄のお酒を取り出し、順序よくシェイカーにお酒やジュースやを入れていく。
その手際の良さに、見惚れるほどだった。
服装とその手際が、奇妙なほどにアンバランスで、人は見かけで判断してはいけないと教訓になったくらいだ。
「マティーニだ。」
音もなくカウンターに置かれたグラスは逆三角形の足の長いカクテルグラスに、透明感のある液体が入ったものだった。
「カクテルだ、といっても、安心しろ、度数は低めにしている。」
酔い潰れてしまっては面白い話もしたくてもできないであろう?と彼は好戦的に言い放つ。
「意味は、棘のある美しさ、知的な愛。」
まるで私にピッタリだ。と彼は得意げに頷いた。
彼のその高慢な態度が逆に板についていて名前はただただ唖然とする。
すると、その人は名前のそんな態度に構うことなく「それで?」と名前を促した。
「それで、何用だ?」
自信たっぷりの表情で、私が喋るのがさも当然という雰囲気に名前は圧倒される。
「それで、というのは、?」
どういうことですか、と恐る恐る彼(彼女)を仰ぐと、ハッと鼻を鳴らされた。
それからまっすぐにこちらを見つめてくる。
細く冷たくて、それでいて、重い空気。
私が口を開くのを、蛇のように鋭い瞳で促しているようだった。
重厚な空気にたまらず名前は息を吸う、
けれど、初めて会った人にどう言ったらいいかわからない。
「ええと、」
ちらりと彼を見るも、全然瞳は変わらない。
蛇に見つめられたカエルみたいだ…。
「え、いや、何も用は、なくて、ただお酒を飲めたらなあ、なんて」
しどろもどろにそう言うと、彼は目を細めた。
「ほう?酒を飲んで?それから?」
「それから………」
狼狽える私を彼は見据え、カウンターに頬杖をついた。
「酒を飲むほど忘れたいことでもあるのか?」
うっと息が詰まる。
図星だと思った。
名前のその顔に気付いたのだろう、彼の瞳がめざとく、鋭く光った。
言いたまえ。
真っ直ぐに瞳を向けられて、名前は息を呑む。
射抜くような視線で、けれど否定的な印象はない。
その人は何を言っても動じないかのような安心感。
初めて会った人だけれど、話してもいいかな、と名前が判断するには充分だった。
「好きな人が、いるんです、」
言葉が口からぽろりと漏れた。
「その人は臆病で、沢山抱え込むんです。」
一言漏れてしまうと、後から後から言葉が溢れ出ていく。
「臆病なくせに寂しがりやで、ほっとけないんです。」
彼の時節見せる寂しそうな笑顔がいつも忘れられなかった。
「冷静に、物事を俯瞰的に眺めるふりをしていて、でもそれは、自分を隠しているんだと思うです。」
いつも、のらりくらりとかわしながら、決定的なことは何にも言わない。
「そのくせ、人には優しくて。」
自分がどうなるかなんて、微塵も考えないで、すぐさま優しさを振りまくから
「私はずっと勘違いしちゃうんです。」
隠神さんが、柔らかに微笑むのを思い出して心がぎゅっと締め付けられる。
「やさしい、ひと「馬鹿か」」
突然、鋭い声でかき消された。
驚いて顔を上げると、銀髪の彼は、口を思いっきりへの字に曲げて、眉を寄せていた。
なんというか、、おもいっきり嫌悪感剥き出しの顔だ。
さっきまであんなに無表情で綺麗な顔をしていたというのに。
「やさしい、だと?
何馬鹿なこと言ってる、これはもう重症だな」
手をつけられん、と彼は大きくため息をついた。
それから、急に、カウンターに置いてあったコースターやグラスを片付け始める
「えっ、いや、」
態度の急な変化に、少し追いつけなくて、名前は焦った声を出した。
もしかして怒らせてしまったのだろうか、そもそも。
「…そもそも、私の相手が誰かなんて、そんなの一言もいって」
「隠神だろ。」
びっくりして彼を見つめると、彼は心底呆れたみたいに鼻を鳴らした。
「この私がわからないとでも思ったのか。」
逆に驚きだなと、彼は肩をすくめる。
「でも、なんで、そんなの」
「匂いだ。」
ピシャリと、その人は言った。
「ケモノは、マーキングと言ってな、匂いをつけて回るのだ。動物と同じようにな。奴もたぬきだからそこらへんは同じ習性なのだろう。」
匂いは随分薄いがな、とその人は呟く。
「まあ、私にかかれば造作もない。」
ふん、となぜかその人は威張った。
けれど、その内容には一部、耳慣れない言葉が混じっていて、名前は首をかしげる。
「ケモノ、、?」
聞きなれない単語を繰り返すと、うん?と彼は片眉を不自然にあげた。
なんといった?と彼は訝しげに名前に問う。
「ケモノって、なんでしょうか…?」
たぬきもしばらく見ていないですし、なんのことなのか…。
すると、その人は驚いたように目を見開いて
それから、
「ケモノを知らない?」
ニンマリと笑った。
「隠神の、正体もか?」
その人の美しく鋭い瞳に光がささる。
キラリと、なにか面白いものを見つけるみたいだった。
「正体…、」
「そう。奴がお前におそらく隠したがっているだろう奴の本音だ」
お前はそれが欲しいに違いないのだろう?と、その人は笑みを濃くした。
「お前は奴を優しい、と言ったな。臆病を優しさで覆い隠していると。けれど、隠しているのはそれだけか?」
もちろんお前の読みは間違っていない。
臆病であることも勿論そうだ。
けれど本当にそれだけか?
奴の本音は、本心は?
隠したいのは奴自身のトラウマは?
言葉は、土足で名前の心を踏み躙るようだ。
名前が気づかないふりをしていた、まさにそれを、その人は見透かしているようだった。
「知りたいとは、思わないか?」
我ならそれを教えてやろう。
その言葉は甘い毒みたいに、酷く無遠慮に、酷く魅惑的に名前の心に響いた。
ずっと疑問だった、
ずっと寂しかった、
ずっと突き放されていた、
その理由が、
わかるのだろうか。
本当に?
「隠神は。」
私が言い淀んでいると、その人は、目を細めて真っ直ぐにこちらを見た。
「人間ではない。」
すとん、と言葉は胸の奥に落ちた。
「かといって動物でもない。」
彼は目を細めて、続けた。
「奴は、怪物なのだ。俗に言う、妖怪とか、あやかしとか言う、人間の理解には及ばない生物。」
ただの生物というのが、正しいだろうな。人間と全くの種別だ。と彼は鼻を鳴らした。
「人間みたいな薄っぺらいモノには、理解できないくらいの多くの世界をみているのだ。だから、考え方も、感じ方も、違う。それに。」
彼は、そこで、焦らすように言葉を切ると、彼女を真っ直ぐに見つめて口角を上げた
「寿命だって違う。」
彼の瞳は真っ赤で、深みがかっていた。
深く、暗く、けれど美しい瞳だと思った。
「お前と奴は一緒に生きることはできない。」
真っ直ぐに、真正面から、彼は名前を見る。
その瞳から、名前は目を逸らせなかった。
彼の瞳が真剣で、何かを訴えかけるようで、何かの忠告を名前にしているようだった。
もしかして、と思う。
もしかして、目の前にいる彼も、同じように思い悩んだことがあるのだろうか。
種別が違うというだけで、歯痒くて、やるせない、けれど諦め切れない、この中途半端な感情を持て余したことがあるのだろうか。
名前は、胸が息苦しくなる。
隠神さんも、そして目の前にいる彼も、そうだったのだろうか。
一緒に、生きることができない相手を思って悔しくて、
自分だけの寿命が、誰かよりも長かったら、どんなに寂しいのだろうか、
一緒に老いていくことができない、相手がもし死んでしまったら、長い時間を1人で過ごさなければならなくて。
「それは,」
名前は、考えただけで、不安になった。
自分だけが、取り残されているようだったら?
「寂しかったですね」
名前はなぜだかとても悲しかった。
彼の瞳を見つめ返す。
「とても、寂しかったでしょうね」
目の前の銀髪のその人に、まっすぐ目を向けると、彼は瞠目した。
それから、いつの間にか、口元の笑みがゆっくりと消えていく。
目を細めて笑っていたのに、一瞬固まって、そのあとゆっくりと瞬きを繰り返した。
片眉をあげて、それから、あからさまに大きな、ため息を吐く。
「つまらんな。」
拍子抜けだ。
彼は面白くなさそうに、ハッと鼻で笑った。
隠神が気にいるわけだ、と名前に微かに聞こえる声で彼はつぶやいた。
「お前ほんとに隠神でいいのか?」
お前は隠神を過大評価しすぎている、と彼は続けた。
「奴は、そんな綺麗なもんじゃないぞ。むしろ真っ黒で濁っている。」
その人は名前に目を配ることなく、目の前のグラスを傾けてゴクリと飲んだ。
そのまま、グラスに目を落とすと、彼はつぶやいた。
「あいつは死にたがりだ。」
遠い目をしながら、その人は言った。
「人には死ぬなという癖に自分は死んでも良いと思っているのだ。」
鋭い光を放ちながら、彼は咎めるように言った。
「何もかもわかっているような顔をして、測っているようなことをして、その実、自分のことは顧みないのだ。自分以外の誰も死んでほしくないくせに、自分はいつも死場所を探しているのだ。」
怒ったような。吐き捨てるような口ぶりだった
「だから、私はあいつでいいのかと君に問おう」
フンと、その人は鼻を鳴らす
「人生経験がないくせに、責任もないくせに中途半端なことしかしないのだろう?」
「私なら、お前が望むような声も、言葉も、欲しいものをなんでもくれてやろう。
お前が感じている奥底の寂しさも、私なら癒してやれるぞ?」
さあどうだ?と彼は意気揚々とした。
ニヤリと笑った口元から鋭い牙が光る。
彼の甘い言葉は、確かに自分が欲しいものそのままかもしれない、と思った。
確かに自分が渇望していたものかもしれない、と。
けれど。
寂しそうに俯いた隠神さんの横顔がふと脳裏に浮かぶ。
時々ふとした瞬間に、なにかどこかに行ってしまいそうな頼りない姿も。
大きな背中が、所在なさげに立ち尽くし、煙草をふかすその様子も。
けれど、どんなに寂しそうな時でも、声をかけると、安心したように微笑んでくれる、笑ってくれる。
彼のふとした笑顔が可愛くて、彼との時間が大切で。
ゆるやかな時間が過ぎて行くのが、忘れられなかった。
彼の笑顔が、どうしてだか頭に浮かんで、こびりついて離れなかった。
「隠神さんの、」
名前の言葉は透き通るように部屋に響く。
「彼の笑顔が大好きで、」
ただの片想いかもしれなけれど。
「すごく好きで」
何も言わずに踵を返した、あの寂しそうな背中を思い出す。
「私はいつでも待ってるよって」
1人でどこかに行かないように…必ず戻ってきてくれるように。
「約束しましたから」
一方的な約束だったかもしれないけど。
戻ってくる場所はちゃんとここにありますよって。
「だから。」
急に腹の奥からこみ上げるものが湧いてきて、息ができなくなった。
「拒絶の理由がどんなふうでも、」
どんなに私が渇望しても、決して振り向いてくれない彼の背中にいつも落胆していたけれど。
「彼がどんな秘密をかかえているのかなんて私には想像がつかないけれど。」
「それでも」
「私は彼と一緒にいたいんです。」
熱いものがこみ上げて、目頭が熱くなった。
私が必死に言葉を繋いでいるなかで、
その人はずっと黙って聞いていてくれた。
真っ直ぐに私を見つめたままで。
静かに、とても厳かに。
私の話を聞くと、銀髪のその人は、ふと目を逸らして、再び店の酒棚の中を物色し始めた。
それから再び、冷蔵庫の中や棚の中からいくつかの瓶を取り出す。
冷蔵庫から大きな氷を持ってくるとそれを順序よく切り、削って整えていく。
グラスに綺麗な球体になった氷を入れるとそこに、いくつかの液体をいれていた。
できあがると、すっとカウンターにコースターを置く。
「レッドアイだ。
意味は、同情。」
彼の赤い瞳が怪しく光る。
御愁傷様だな、と彼は笑った。
お前は重症だ、とも。
「京都だ。」
それからその人はふと目を落として呟くように言った。
「京都の公安警察、ゲンジ、源頼電」
驚いてその人に目を向けると、あからさまに嫌な顔をした。
「お前に言ったんじゃない、独り言だ」
不貞腐れたように、苦虫を噛み潰したように言う。
京都…?
つまり、それは。
「京都に、いけば、」
隠神さんに会えるんですか、と言いかけた声は、その人の鋭い眼光にかき消された。
「勝手にしろ」
言葉自体は冷たいのに、それはとても、優しさに満ちていた。
彼の優しさが嬉しくて、名前は慌てて席を立つ。それからありがとうございます、と頭を下げてバーをでた。
隠神さんに会いに行こう、
それから、
やっぱり一緒にいたいですって、
待ってても来ないから迎えにきましたって、
そう言ったら良いだろうか。
名前は浮き足立つ胸を押さえて、小さな旅行の計画を立てた。
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