短編
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学校の中には独特の雰囲気を持つ場所がたくさんあると思う。
どこか近寄り難いけれど、慣れて仕舞えばとても快適になる自分のちょっとした居場所。
朝の誰もいない教室とか、鍵が開けっぱなしの音楽室とか、校庭の時計塔の下とか。
名前の中でそれは間違いなく、放課後の図書室だった。
少しかげった日の光が、部屋に差し込む夕暮れ時。
名前は頬杖をつきながら、ぼんやりと周りを眺めていた。
本に囲まれたこの場所が好きで、図書委員に名乗りを上げてからというものの、ほとんど毎日通い続けている。
本は借り放題だし、自習室代わりに使えるし、静かで、涼しいし、落ち着いて本の世界に夢中になれてしまうし、と名前にとっては喜ばしいことばかりだった。
図書委員として本の貸し出しや返却も仕事の一環で、特にこれがまた、密かな楽しみなのだ。
「すみません。」
気が抜けていたからだろうか、名前の座っているカウンターの前に一人の学生が現れて声をかけてきた。
慌てて「すみません」と呟きながら、差し出された本を手に取り、慣れた手つきでバーコードをかざす。
「お借りいただく本は3冊でよろしかったですか?」
「はい。」
「貸し出し期間は2週間となります。延長されたい場合は一度返却してから再びお借りください。」
ほぼ定型文となった言葉を口先で話しながら、名前は彼の顔を仰ぎ見た。
顔の整った端正で温厚な顔つき。確か同じA組の…。
名前の訝しげな視線に構うことなく、彼は軽く会釈して背を向ける。
図書室を出て行くその背中を目で追いながら、それにしても珍しい本のチョイスだったなあと名前は首を傾げる。
というのも、表紙の題名ではわからないようになっているけれど、どれも「妖怪」に関する本だったからだ。
人の偏見や固定概念を逆手に取ったミステリー小説や、有名な民俗学者が記した妖怪に関する解釈本、そして、日本古来の妖怪を記した事典。
高校生にもなると、基本的に図書館に来ること自体が疎遠になるから、借りるにしても、参考書とか、課題図書とかが多い。それで勿論、哲学書とか、心理学書を借りる生徒は一定数いるけれど、ここまで本格的な妖怪の本を一度に3冊も借りるのは珍しい方だと思うのだ。
でもまあ、一時の探究心にでも生かすんだろうな、と、だから長続きしないだろうなと、名前は勝手に予想を立てた。
けれど、名前は意外にも、彼と頻繁に顔を合わせるようになる。
「お借りいただく本は3冊でよろしかったですか?」
いつも通りの定型分を声に出しながら、いつも通りに本のバーコードをかざす。
けれど、今日も、彼の借りるものには妖怪に関する本が含まれていて、名前は嬉しい気持ちになった。
それだけではなく、足繁く通うようになった彼は時々、妖怪関連の本の以外にも、「人の上に立つためには」、とか、「子供を育てる3つの心得」、とか、よくわからない啓発本にも手を出すのだから、正直ちょっと可笑しい。
彼の探究心が長続きしたことは何よりだけれど、教室では爽やかな好青年の彼が、アンバランスな本を借りるのが不思議でならないのだ。
今日も、妖怪関連書と、「有能な経営者を育てた母」、とかいう見たこともないような本を借りてきたから、名前は思わず笑ってしまった。
「…なんですか。」
頬が緩んだのがバレてしまったのか、彼に、比較的冷めたような声で問われてしまう。
だから慌てて誤魔化すように、いえ、ちょっと嬉しくて、と笑みを滲ませながら名前は呟いた。
「妖怪、好きなんですか?」
「え、?」
続けて呟いた名前の問いに、けれど彼は驚いたように目を見開く。
「あの、最近妖怪に関する本ばかりお借りになるから、気になっちゃって。」
名前が照れたように頬をかくと、彼は意外そうな顔をして、よくわかりましたね、と呟いた。
「妖怪、に興味があるというか、妖怪の成り立ちとか、考え方とかが気になったんです。まあ、概念には変わりないんでしょうけど。」
嘆息するように呟く彼に、わかります、と名前は前のめりに答える。
「わかります。注目してみると、案外、色んなところに根付いている気がしますよね。潜在化してるというんでしょうか、それを見つけるのも想像以上に楽しくて。」
ふふ、と笑うと、彼は、訝しげに眉を顰めた。
「…楽しい、ですか?」
不思議そうに尋ねる彼に、名前はあれ?と疑問に思う。
「ええ、、あれ?…楽しくないんですか?」
こんなにも関連本を読んでるのに?と名前は首を捻る。てっきり仲間が見つかったと思ったのに。とちょっと不服そうだ。
名前の訝しげな視線を感じたからか、いやあ、と彼は言葉を濁した。
それから焦ったように、でもまあ、と続ける。
「妖怪なんて、いるわけないですし、想像上だけなら、楽しいのかもしれません。」
諦めたように呟く彼に、名前は驚いて、え?と聞き返す。
「いますよ?」
はっきりとそういうと、彼は目を瞬いた。
「妖怪は、います。私たちが疎いだけなんですよ。」
だってそっちの方が面白いじゃないですか、と名前は無邪気に笑いかける。
名前のその笑顔を、彼は珍しいものを見るみたいに、目を見開いて瞠目した。
それから、彼と顔を合わせるたびに、二言三言、声をかけるくらいの関係になるのに時間はかからなかった。
よく考えれば、彼と同じクラスなのだから、滅多に会わないというわけでもないのだ。
もっぱら話題はおすすめの本の話で、どの本が意外と読み応えがあっただの、面白くなかっただの、それぞれの見解を話しては、一緒に唸ったりもした。
名前としてはその時間がとても楽しくて、自分の好きな趣味を話せる友人ができたことが、何より嬉しかった。
「ねえ、だから、おねがい!」
だから自分では意識したことがなかったけれど、どうやら彼はモテるらしい、と気づいたのはしばらく経ってからのことだった。
「ええ、なんで私が。」
精一杯の不満を表した顔で、眉を寄せて友人に向き合う。
世間話から、図らずも恋バナへと発展した話題は、友人の頼み込みの時間になりつつある。
「なんでって、私じゃ相手にしてもらえないからだよ、、」
わかるでしょ?と身を乗り出して、同意を求められるも、名前にとっては首を傾げるばかりだ。
「そんなことないよ、自分で直接渡した方が絶対いいよ。周りくどい真似する必要ないよ。」
名前が冷静に答えると、そんなの理想論だよ、と彼女は泣きまねをしながら呟いた。
「周りくどい真似しないと伝わらない想いだってあるのよ。聞いたでしょ、バレンタインの虐殺事件」
彼女の気迫に押されながら、何それ、と名前は曖昧に答える。
なんだその物騒な名前は。
「1年の時ね、全吉くんのことを好きな女子生徒がそりゃあもういっぱいいたんだって。それで、告白するならバレンタインでしょ?だから、ロッカーで待ち伏せして、みんながチョコ渡したらしいよ、でも…。」
彼女はここで一呼吸置くと、焦らすように口先で笑った。
「ぜーんぶ、断ったんだって。しかも、そんなチョコよりうどんがいいです、だって。」
意味わかる?と彼女は少し興奮気味だ。
「だから、月並みな告白じゃダメなんだって。断る言い訳が、うどんだよ?数多の女学生の本命チョコがうどんと比べられたわけよ。わかる?だから一筋縄じゃいかない相手なんだって。」
ねえ!?と、またも同意を求める彼女に、そうかなあ、と名前は呟く。
「うどん、美味しいけどなあ。」
「そういうことじゃないのよ。」
名前の内心の呟きを、バッサリ切り捨てた彼女は、はあ、と一人嘆息した。
「名前は全吉くんのこと好きなの?」
「え?」
急カーブして自分に振られた質問に、名前は驚いて、まさか、と呟く。
確かに綺麗な顔だと思うけれど、彼とはそんな関係じゃないし、と自分自身に言い聞かせるように続ける。
「全吉くんは趣味仲間だよ。」
「ふーん。でもまあ、好きならちゃんと言ってね、別に恋のライバルでも構わないから。」
とりあえず、一歩前進したいだけなの。
何か考えがあるかのように呟く彼女はどこか明瞭な声で言う。
年齢特有の浮き足だった片時の想いならと否定していたけれど、彼女の話を聞く限り、もしかしたらそれだけじゃないのかもしれない。
方法はどうであれ、滅多に頼み事をしない友人がそんなことをいうなんて何か意図があるのだろうか。
そういうところが恨めないんだよなあ、と名前が折れそうになった時だった。
そういえば、と思い出したように名前は声をあげる。
「全吉くん、好きな人いる気がする。」
え!?と驚いて素っ頓狂な声を出す彼女に、名前は慌ててシーっと口の前で人差し指を立てた。
「放課後にね、図書館の窓から外を眺めてた時があったの、その時の視線がすごく優しくて。」
いつの頃だったか、夕暮れ時にふと顔を上げると、彼がぼんやりと窓の外を眺めているのが目に入ったのだ。
いつも冷静で、淡白な彼とは思えない程に、その目尻は酷く優しくて、どこか温かい視線だった。
普段どこか達観したような目つきをしているだけに、その優しげな表情がとても印象的で、今でも鮮明に覚えている。
「相手は、?」
息を潜めて尋ねる彼女に、うーん、と名前は難しい顔で腕を組む。
「確か、校庭で鬼ごっこしてたから、多分その中に。」
鬼ごっこというのは、うちのクラスでなんとなく恒例になっている遊びだ。
高校生が鬼ごっこというのもおかしな話だけれど、ある女の子が声を上げたのがきっかけで結構長く続いている。
やってみると、季節も問わないし、結構爽快な気分になるし、と、案外かなり楽しい。
その女の子には感謝してもし足りないと、名前は個人的に思っているのだ。
名前の曖昧な返答に、彼女は意外にも、あーなるほどね、と納得したように呟いた。
合点がいかない名前を置いてけぼりに、まあそうだろうと思ったよ、と彼女は何度も頷く。
「でも、それでもいいんだ。」
何か意を結したように顔をあげる彼女を名前が驚いて見返すと、実はね、と彼女は静かに続ける。
「本当は、私もバレンタインの事件で振られた一人なの。でもやっぱり踏ん切りがつかなくて。全吉くんと仲の良い名前から渡してもダメなら、そしたらやっと振られた気がするかなって。思ったの。」
意を決して呟く彼女に、名前は心が揺さぶられる気がした。
それなら、尚更、と名前は思う。
「そしたらやっぱり直接渡した方がいいよ。私の友達っていうから。私がその場を作るからさ、だから、一緒にやろう?」
彼女は驚いたように目を見開くと、ありがとう、ととても綺麗に微笑んだ。
正直なところ、結果は散々だった。
むしろ友人の思惑通りに進んだというべきか、名前の方が、自分の至らなさで落ち込んだくらいだった。
「すみませんね。」
振った張本人はというと、素知らぬ顔で変わらずアイスを食べている。
屋上のベンチを占領しながら、なんでもないことのように呟くから、なんだか気分が晴れない。
名前が奢らされたアイスを食べているというところも、なんだかげんなりする。
無意識に、はあ、と深いため息を吐くと、なんですか、と苦虫を潰したような顔をして彼が振り向いた。
「なんで名前さんが落ち込んでるんですか。」
ちょっと引きます、と苦笑いする彼に、なんか考えたらすごいなって思うんですよ、と名前は呟く。
「好きって相手がいること自体すごいのに、そこからわざわざ覚悟を持って振られたわけです私の友人は。」
すごいなあ、と名前が嘆息すると、そんなものですかねえ、と彼はのんびり呟いた。
なんだか時間がゆっくり流れている気がして、名前も、そんなものですよ、とのんびりと呟く。
それがなんだか滑稽で、思わず顔を綻ばせると、彼も、笑ったような気がした。
「名前さんは好きな人いないんですか?」
その問いは意外にもゆっくりと響くように溶けて、名前はぼんやりと空を仰ぐ。
雲がゆっくりと動くみたいに、なんの意図も感じないような声色で。
ちょっと遅れてから、あれ?と思って彼を振り向くも、名前と同様、彼も空をぼんやりと見つめていた。
「どうなんでしょう。できたらいいなとは思うんですけど。」
今のところはいないですねー。
思いのままに、名前もゆっくりと呟くと、彼はそうですか、となんてことのないように呟く。
「名前さんからなら。」
だから、意外にも明瞭な声で発される音に、名前が振り返った時だった。
「あの手紙が名前さんからだったら、考えてました。」
やけに好戦的な瞳と、ニヤリと笑ったその口先が、眼前に広がるその光景に、名前は驚いて息を呑んだ。