短編
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「思うんだけどさ」
彼女は独り言のように、呟いた。
「人の行動原理はなんなんだろうね。」
そこは昼間なのにほとんど光の入らない湿った場所で、薄暗く、陰鬱としている。
死臭に似た薬品の香りが、ほのかにただようその場所で、真っ黒なドレスを見に纏った女が、何かを煮込みながらそう尋ねた。
「幻想、じゃないですか?」
静かな店内から、女とは別の、細い、けれど確かな侮蔑を含んだ声が答える。
彼もまた、黒いスーツに黒いネクタイと、死装束のような格好をしていた。
そうして彼は、吐き捨てるように続けて答える。
「人は行動する時、同時にその後のこと、例えば何かの目標や夢を抱きながら行います。自分の歩むであろう『素敵な』未来を、想像、です。でもそんな想像、あくまで妄想で、幻想でしかないんですよ。」
そして彼ははっと馬鹿にしたように口角を上げた。
「叶わなければ、それで終わりだ。」
その答えに女は納得したように頷いて、それから悦に浸ったように微笑んだ。
「ものすごく素敵な答えだね。そしてその答えを、私は酷く渇望する。」
だって私達に未来はないからね、と彼女は楽しそうに微笑んだ。
「もしかして、そこまで計算に入れてたの?」
彼女の気を良くするために、商談を更に進めるために、仮にも商人を名乗る彼は、彼女の欲しい答えを導き出したのだろうか。
流石、商人の目利きは違うねえ、と彼女は感嘆したように呟いた。
「ところでさ、」
彼女は慣れたように何かの赤黒い物を切り取って細かく刻んで鍋に丁寧に入れていく。
その素早さが、奇妙さを通り越して一種の清々しさを感じるなと、彼がぼんやりと思っていた時だった。
「君はどうしてこの仕事をしているの?」
彼女が背中越しにしたその問いに、彼は少しの訝しさを覚えた。
「それは、答えなきゃいけませんか?」
彼が少し思案してからそう伝えると、彼女はつまらなそうに口を尖らせて、別に、と呟いた。
「別に、他意はないよ。ただ、『死の商人』なんて言われる君がどんな気持ちでその仕事をしてるのか気になっただけだ。」
それと、後は暇つぶし。
彼女はぐつぐつと先程のものを煮込みながらふふっと笑う。
そうして、私の話相手は君ぐらいしかいないんだから勘弁してよ、とごねるように言った。
ーーーそうじゃないと君まで食べてしまいそうだ。
「貴方に食べられるなら、本望かなとも思いますよ」
彼女の虚言のような脅しも、彼は笑う事なくすんなりと受け入れた。
「でも、そしたら貴方は悲しむでしょ?」
彼の確信したようなその言い方に、彼女は一瞬瞠目して、それから弾けるように笑った。
「私はね?」
うふふと、彼女は笑いを堪えきれないかのように壊れた笑みを零す。
「私は、美味しいものを一身に求めてきたんだよ。そのためなら何の肉であろうと食べてみたし、その美食のために非道な事だってやってきた。」
いいかい?と彼女は念を押すようにそう告げる。
「地竜の肉はタンパク質やビタミンなどの栄養分は沢山だけれど、煮込む順番を間違えるととても固くて食べられないし、虫や蛇の肉はビタミンなどの栄養分が豊富だけれど、色のつき具合を誤魔化すのが大変だ。一番手っ取り早くて美味しいのが、」
彼女は俯いて、にやりと笑った。
「人の肉だよ。人は捌き方や殺し方によってその後の味の染み込み方が全然違ってくる。そして中でも、」
なかでも、
「未来を渇望する人の血肉が、なにより美味しい。」
何もかも一身に自分の歩んできた道をささげて、自分の生きる意味を一度も疑わなかっただろうその人の、希望を目の前で捨てられた時の絶望を、必死に生きてきたその報いが、悲しみが、悔しさが、一度に凝縮されて美味しくなる。
そんな素敵な悲しみを私は沢山食べてきたんだ。
だから、
「私は、愛しい君が死んでも悲しまない。」
それがもらった命に対する、私なりのけじめかなと、彼女は笑った。
言っていることは支離滅裂なのに、最後の言葉に、彼は、彼女の確かな意思を感じて息を飲んだ。
それは逆に、何かの痛みを懸命に堪えているようでもあり、どこかで自分を諦めているようでもあった。
きっと彼女も、今更救われようなんて、考えていないんだろう。
「そう考えると、君は本当に素敵な商売をしてるよね、」
君の持ってくる死体はどれも、とてつもなく美味だよ。
どこか特別な仕入れ先でもあるの?
「それ以上は言わない方が身の為ですよ」
彼は吐き捨てるように、遮るようにそう伝えて、目を逸らした。
これ以上は深入りをしすぎだと。
すると彼女はつまらなそうに、なあんだと不貞腐れるように呟いてから、承諾の意味を込めて渋々頷いた。
「もう行くの?」
注文のものを彼に渡した彼女は、なんだか名残惜しそうにそう尋ねる。
登場人物は男と女で、男の旅立ちに女が悲しむという、恋愛小説ありきたりの素敵な場面であるにもかかわらず、彼女のそれに、そんな甘さは皆無だった。
「実はね、あの質問を君にするの、本当は二度目なんだ。」
彼が身支度をするのをぼんやりとみつめながら、彼女は言い訳をするかのように呟いた。
「その時、君は、『奴隷に理由なんて必要ありませんよ。』って威勢よく言ったんだ。」
彼女は一瞬何かを思い出すかのように切なそうに俯いた。
「思うんだけどさ、」
彼女はまた、ぽつりと独りごちる。
「君は、この仕事に自分の希望さえも見出してしまったんじゃないかい?」
彼女は何故か酷く悲しそうに目を細める。
「例えば、その男「ーー名前さん」」
はじめて彼女の名前を読んだ彼は、けれど、何か苦痛を噛みしめるように、何かの叫びを耐えるかのように唇を噛んだ。
「深入りは、ごめんですよ。」
そうして彼は、酷く悲しそうに、酷く苦しそうにそう告げると、じゃあ、と扉に手をかける。
彼女もまた涙を堪えたようなひどい顔で、そうだね、と呟いた。
「私は、君の事が好きだよ。」
だから、いつでもここに来ると良い。
最後の言葉は空に溶けるかのようにこだまして、
ーーーー彼はその言葉から背を向けた。
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