寂しがり少女
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「もう一度突き放す!」
「決勝点を取る!」
同点になった事に喜んだのも束の間。試合の残り時間はあと僅かということもあって試合再開後、イナズマジャパンとオルフェウスの激しい攻防を繰り返す。
こぼれたボールを兄ちゃんとフィディオさんが同時に蹴り上げようとする。しかし向かい合わせで挟まれたボールはその衝撃を受け止めきれず、勢い余って真上へと高く飛び、選手の二人も弾き飛ばされてしまった。
そしてそのタイミングで、試合終了のホイッスルが鳴ってしまった。
イナズマジャパン対オルフェウス。試合結果は3対3の引き分けだった。
体力の限界まで勝負したこともあって、思わず膝をつくもそれは他の選手も同じだった。さらにイナズマジャパンの選手は自力で決勝トーナメントを突破することができなくなり、疲労と共に悔しさも襲い掛かり、みんな思い思いの気持ちを口にする。
それだけじゃない。
「あいつに勝って……!」
「予選突破を決めたかった……!」
「クッ……!」
私や佐久間さん、そして兄ちゃんは影山に勝てなかった事が何より悔しかった。
あの人との、最後の試合だったのに……勝てなかったんだ……。
私は俯いて歯を食いしばり、拳を握る。
こうなってしまった以上、イナズマジャパンの決勝トーナメント進出はアメリカ代表の試合結果にかかっている。……アメリカ代表が勝てば、私の……イナズマジャパンのサッカーだってこれが最後だ。
そんなの……嫌だ。
「胸を張ろうぜ、皆!」
暗く沈みそうになった気持ちを吹き飛ばす声が聞こえた。
バッと顔を上げてそう快活な声を上げたキャプテンを見れば、彼は堂々とした笑顔を浮かべて立ち上がっていた。
「オレたち、やるべきことは一生懸命やったんだ!」
そんなキャプテンの言葉は、私達の暗かった気持ちをあっと言う間に吹き飛ばしてくれて一人、また一人と立ち上がった。
勝てなかったことは悔しい。だけど……全力のプレーは出来た。そう胸を張れることも本当のことだ。
+++
試合後の挨拶も終えた後、ベンチへと戻ったイナズマジャパン。
決勝トーナメントに進めるかどうかは今後行われるアメリカ代表ユニコーンの試合結果次第だ。
「勝たなければならない試合に勝てなかった……それが今のお前たちの現実だ。
だが、誰に恥じることもない。最良のプレーだったと言えるだろう」
「!」
結局は相手チームの負けを願うしかない事に複雑に思うも、久遠監督からあまり聞くことができない称賛の言葉をもらい、少し驚いく。
「あとは結果を待て」
「「「はい!!!」」」
ここで、不安になっても仕方ない。
監督の言葉を聞いた私達はまっすぐと背筋を伸ばして返事を返した。
それから私はオルフェウスのベンチを見る。イナズマジャパンと引き分けになったことで予選リーグを突破が決定した彼らは嬉しそうにしていた。
そんな彼らの元へ影山が近づき、フィディオさんへと話しかけている姿が見えた。……きっとフィディオさんが影山東吾のプレーを再現しようとした理由を知りたかったのだろう。
「明奈ちゃんは行かないの?」
「うわっ!?」
彼らが何か会話をしている姿を遠目で見ていると、背後からヒロトさんにそんな事を聞かれた。
「私は……別に…………」
試合中に私が影山に感じていた感情だって理解できたし、試合に勝ったならともかく、引き分けなのにわざわざ突っかかるのも変だろう。
ちらりと向こうを見れば、兄ちゃんも話しているような姿が見える。
フィディオさんと、兄ちゃん。
2人のサッカーが影山を変えたんだ。そこにただの他人である私が介入するなんて…………
「家族、なんでしょ?」
「!」
ぐちゃぐちゃと頭の中だけで考え込んでハッキリと答えが出せない自分に嫌気がさしていたけれど、にこりと微笑んだヒロトさんの言葉にハッと私は目を見開く。
ああ、そうだった。ヒロトさんはあの時の自分を知っているんだった。だったら今の自分の表情はきっと……
「今話しておかないと、きっと後悔するよ」
「それ、は…………」
ヒロトさんは何かを思い出すかのように目を細めた。
その表情はどこか寂しそうで…………瞳子さんと義理の姉弟だということを思い出せば、何となくその表情の理由が分かり思わず顔を伏せる。
「……無視されたら、笑ってくださいね」
「うん、分かったよ」
結局、私は自分の気持ちに正直になることに決めた。……もしものための保険をヒロトさんにかければ、彼は可笑しそうに笑って頷いた。無視なんてする訳ないって言っているみたいな笑顔だった。
試合の時と比べたら情けないやり取りをしている自覚はあったけれど、ヒロトさんは何も言わずに見送ってくれた。
フィディオさんと兄ちゃんを見て笑みを浮かべた影山の近くまで歩いたきた頃、スタジアムの外からパトカーのサイレンの音が聞こえた。
……影山が自分で呼んだんだろう。本当に、終わらせるつもりだったんだ。
「私にとってこれは最後の試合だ……楽しかったよ」
「…………」
本気でぶつかり合ったからこそ、今の影山のサッカーへの愛情が分かったのは兄ちゃんだって同じなんだろう。
穏やかな笑みを浮かべる影山に対して、兄ちゃんはふとゴーグルに手を掛けてゆっくりと外す。
「久しぶりだな。お前の素顔を見るのは……」
久しぶりにゴーグルのない状態で見た兄ちゃんの瞳は力強い意思を宿す紅色で、小さい頃からなにも変わっていない。
「お前には、もう必要ないか」
「いえ、これからも使わせてもらいます。これはオレのトレードマークですから」
「……フッ、そうか」
恩師に対してしっかり目を合わせた兄ちゃん、そして影山の言葉からあのゴーグルはきっと影山から渡されたものだろう。
そして、兄ちゃんはそのゴーグルを使い続けると笑う。
影山の名前を出す度に苦しそうな兄を隣で見てきた自分にとって、そんな穏やかな笑顔が嬉しくて頬が緩む。
その時だった。
「明奈」
「……っ」
一瞬、誰に名前を呼ばれたのか分からなかった。
影山に、名前を呼ばれたことに気づいて、私はまじまじと彼の顔を見てしまう。
「…………名前、覚えていたんだ」
「…………」
無言の肯定を返された私は緊張で力が入っていた肩の力を呼吸と共にゆっくり抜いてから、正面から彼の顔を見ながら胸に手を置いて口を開く。
「貴方がしてきた事は許される事じゃない。だけど……それでも、私は貴方を嫌いになりきれなかった」
―私のお父さんでいてくれた貴方を。
お父さん。久々にそう口にすれば、懐かしい気持ちが襲う。
「…………私は、お前に父親らしいことなど……」
私の顔を見てお父さんは少しだけ戸惑ったように目線を逸らす。あの彼のそんな反応を見られると思わなくて、少しだけおかしく感じて笑ってしまう。
「お母さんの、手紙を読んだんだ」
「手紙、だと?」
イタリア戦前に私を一番混乱に追い込んだものの名前を出せば、お父さんは眉を寄せる。初めて知った、という反応だった。
試合をしていたから今手元にはないけれど、何十回も読んだので内容は覚えているその手紙―明王兄さんが私に届けてくれた不動家の母からの手紙―について説明をした。
「生前の母の手紙には、私を置いていくことへの謝罪と、私を引き取ると言ってくれた貴方に対する感謝が綴られていた」
「!?」
幼い頃の私宛ての手紙は両親がいなくなるその日に私の自室に置いていたらしい。
だけど、誰もいない家にショックを受けた私はリビングから動けなくて……そのままお父さんに引き取られたから、その手紙の存在を気づくことができなかった。
明王兄さんはそれを保管してくれて、イタリア戦で影山と対峙するという事を知って送ってくれたのだろう。
…………今の私なら母の手紙を……真実を知っても大丈夫だって、そう思ってくれたのかな。
「施設に預けようと……遠ざけて守ろうとした両親の意見を聞いた上で貴方は私を引き取ると名乗ったんでしょ。打算はあったのかもしれない。
それでも、ひとりぼっちになりたくない私に、居場所をくれたという事実が……嬉しかった」
我ながら単純だなとは思う。
実際、私がこの感情に辿り着くまでなかなか時間がかかった。
だってそうだろう。私は影山の悪意によってたくさんの人を傷つけ、悲しませてしまったから。しかも実力も足りなくて捨てられるし。
それだけじゃない。兄に対してしてきた事とか、デモーニオの事とか到底許せない怒りや恨みの感情も確かにある。
だけど、お父さんに伝えた気持ちもまた本音だった。
こんなに素直にお父さんに対して話せたのは、目の前のお父さんが本気のサッカーを見せてくれたからだ。
「それに……お父さんがサッカーを教えてくれたから、私は日本代表選手になれたと思う」
方法は正しくはなかったかもしれない。その時の私は必死だったから全てがむしゃらに取り組んでいた。
痛くて苦しかったけれど弱音なんて吐いてはいけなかった。捨てられる事に怯えて無心でボールを蹴って、色んな試合のデータを見て戦術の勉強を続けた。
だからこそ、私は女の身でありながら男子と並んでサッカーができる選手になれたと思っている。
もしお父さんに引き取られずに施設に預けられていたとして、いつか兄妹と再会できたとしても、きっとサッカーは続けてはいなかっただろう。
「今、仲間と楽しくサッカーをしているからこその結果論だけど……」
私は一歩お父さんに近づいて……スーツの袖を掴んだ。
「ありがとう。お父さん」
ふと私が思ったのはこんな風に礼を言うのは初めてかもしれないという事だった。
お父さんとのやりとりの中で課された課題に対する返答や、不出来だった事に対する謝罪は何度もした事あったけれど、感謝を伝えるのも、私から手を伸ばすのも初めてだ。
FFIで色んな家族の絆を見てからだと、やっぱり私達を親子と呼ぶにはちぐはぐだ。
本当は少しだけ、手を繋ぐことができたらなとは思ったけれど、今のこの人はきっと触れさせてはくれないだろうとスーツに触れることしかできなかった。
言いたいことを全部言い切った私はスーツから手を話して笑いかける。
お父さんに見せるのは初めてだと思う笑顔だと自分でも分かった。
「そうか……」
お父さんは少ない言葉を返して少しだけ顔を俯かせる。
「……お前はまだ、私を父親として慕ってくれるのか」
サングラスで目が隠れているから表情はしっかりとは分からないけれど、その声は少しだけ震えている……ように感じた。
私がお父さんと呼ぶ事を拒否しなかったのは……今でも私の名前を読んでくれるのは、お父さんも“父親”に対して思うものがあったのかなと影山東吾への複雑な感情を思うとつい考えてしまう。
けれどこれは結局私の想像だし、わざわざ答えを聞き出そうとも思わなかった。
「ミスターK……いや、影山零治。傷害罪及び国外逃亡の容疑で逮捕する」
……時間だってそんなに残されていないし。
お父さんの元へ警察数名が駆け寄った。スタジアムの入場口近くには彼の調査をしていた鬼瓦刑事と夏未さんの姿も見えた。
目の前に来た警察が逮捕状を突き付ければ、お父さんは何も言わず笑みを浮かべて私達から背を向けた。
だけど歩き出す手前のこと。
「……………………すまない」
「えっ……?」
その小さな声は一番近くにいた私にしか聞き取れないものだった。
だけど、急にそんな言葉を告げられて私は呆然としかできない。
「私がこの言葉を口にすることはないと思っていたが……ありがとう。フィディオ、そして鬼道」
次の瞬間にはお父さんは何事もなかったかのように、自分を闇から救ってくれたフィディオさんと兄ちゃんに感謝を告げていた。
「待て、影山!」
そして歩き出すお父さんの背中をただ黙って眺めていると、鬼瓦刑事がお父さんと歩調を合わせて何か話しかけていた。だけど、その話の内容は私達には聞こえなくて…………きっと誰も聞く余裕なんてなかった。
「……お父さんの事、待ってていいかな」
警察に連れられるお父さんの背中を深く頭を下げて見送った兄ちゃんが体を起こしたタイミングで私は話しかけた。
どれだけの時間かかるか、なんて私には見当つかない。だけど、父として言葉を残してくれたあの人と……もっと話したいと思ってしまった。
「なんて……都合良すぎるかな」
「……」
「!」
俯いた私に対して、兄ちゃんは何も言わずに手を握った。
「……一緒に待とう」
思わず顔を上げれば兄ちゃんは私の顔を見て静かに笑みを浮かべる。少しだけ寂しそうな笑み。
「……うん」
私はこくりと頷いて、兄ちゃんの手を握り返した。
今後の展開の都合でちょっぴり時系列変えてます……
「決勝点を取る!」
同点になった事に喜んだのも束の間。試合の残り時間はあと僅かということもあって試合再開後、イナズマジャパンとオルフェウスの激しい攻防を繰り返す。
こぼれたボールを兄ちゃんとフィディオさんが同時に蹴り上げようとする。しかし向かい合わせで挟まれたボールはその衝撃を受け止めきれず、勢い余って真上へと高く飛び、選手の二人も弾き飛ばされてしまった。
そしてそのタイミングで、試合終了のホイッスルが鳴ってしまった。
イナズマジャパン対オルフェウス。試合結果は3対3の引き分けだった。
体力の限界まで勝負したこともあって、思わず膝をつくもそれは他の選手も同じだった。さらにイナズマジャパンの選手は自力で決勝トーナメントを突破することができなくなり、疲労と共に悔しさも襲い掛かり、みんな思い思いの気持ちを口にする。
それだけじゃない。
「あいつに勝って……!」
「予選突破を決めたかった……!」
「クッ……!」
私や佐久間さん、そして兄ちゃんは影山に勝てなかった事が何より悔しかった。
あの人との、最後の試合だったのに……勝てなかったんだ……。
私は俯いて歯を食いしばり、拳を握る。
こうなってしまった以上、イナズマジャパンの決勝トーナメント進出はアメリカ代表の試合結果にかかっている。……アメリカ代表が勝てば、私の……イナズマジャパンのサッカーだってこれが最後だ。
そんなの……嫌だ。
「胸を張ろうぜ、皆!」
暗く沈みそうになった気持ちを吹き飛ばす声が聞こえた。
バッと顔を上げてそう快活な声を上げたキャプテンを見れば、彼は堂々とした笑顔を浮かべて立ち上がっていた。
「オレたち、やるべきことは一生懸命やったんだ!」
そんなキャプテンの言葉は、私達の暗かった気持ちをあっと言う間に吹き飛ばしてくれて一人、また一人と立ち上がった。
勝てなかったことは悔しい。だけど……全力のプレーは出来た。そう胸を張れることも本当のことだ。
+++
試合後の挨拶も終えた後、ベンチへと戻ったイナズマジャパン。
決勝トーナメントに進めるかどうかは今後行われるアメリカ代表ユニコーンの試合結果次第だ。
「勝たなければならない試合に勝てなかった……それが今のお前たちの現実だ。
だが、誰に恥じることもない。最良のプレーだったと言えるだろう」
「!」
結局は相手チームの負けを願うしかない事に複雑に思うも、久遠監督からあまり聞くことができない称賛の言葉をもらい、少し驚いく。
「あとは結果を待て」
「「「はい!!!」」」
ここで、不安になっても仕方ない。
監督の言葉を聞いた私達はまっすぐと背筋を伸ばして返事を返した。
それから私はオルフェウスのベンチを見る。イナズマジャパンと引き分けになったことで予選リーグを突破が決定した彼らは嬉しそうにしていた。
そんな彼らの元へ影山が近づき、フィディオさんへと話しかけている姿が見えた。……きっとフィディオさんが影山東吾のプレーを再現しようとした理由を知りたかったのだろう。
「明奈ちゃんは行かないの?」
「うわっ!?」
彼らが何か会話をしている姿を遠目で見ていると、背後からヒロトさんにそんな事を聞かれた。
「私は……別に…………」
試合中に私が影山に感じていた感情だって理解できたし、試合に勝ったならともかく、引き分けなのにわざわざ突っかかるのも変だろう。
ちらりと向こうを見れば、兄ちゃんも話しているような姿が見える。
フィディオさんと、兄ちゃん。
2人のサッカーが影山を変えたんだ。そこにただの他人である私が介入するなんて…………
「家族、なんでしょ?」
「!」
ぐちゃぐちゃと頭の中だけで考え込んでハッキリと答えが出せない自分に嫌気がさしていたけれど、にこりと微笑んだヒロトさんの言葉にハッと私は目を見開く。
ああ、そうだった。ヒロトさんはあの時の自分を知っているんだった。だったら今の自分の表情はきっと……
「今話しておかないと、きっと後悔するよ」
「それ、は…………」
ヒロトさんは何かを思い出すかのように目を細めた。
その表情はどこか寂しそうで…………瞳子さんと義理の姉弟だということを思い出せば、何となくその表情の理由が分かり思わず顔を伏せる。
「……無視されたら、笑ってくださいね」
「うん、分かったよ」
結局、私は自分の気持ちに正直になることに決めた。……もしものための保険をヒロトさんにかければ、彼は可笑しそうに笑って頷いた。無視なんてする訳ないって言っているみたいな笑顔だった。
試合の時と比べたら情けないやり取りをしている自覚はあったけれど、ヒロトさんは何も言わずに見送ってくれた。
フィディオさんと兄ちゃんを見て笑みを浮かべた影山の近くまで歩いたきた頃、スタジアムの外からパトカーのサイレンの音が聞こえた。
……影山が自分で呼んだんだろう。本当に、終わらせるつもりだったんだ。
「私にとってこれは最後の試合だ……楽しかったよ」
「…………」
本気でぶつかり合ったからこそ、今の影山のサッカーへの愛情が分かったのは兄ちゃんだって同じなんだろう。
穏やかな笑みを浮かべる影山に対して、兄ちゃんはふとゴーグルに手を掛けてゆっくりと外す。
「久しぶりだな。お前の素顔を見るのは……」
久しぶりにゴーグルのない状態で見た兄ちゃんの瞳は力強い意思を宿す紅色で、小さい頃からなにも変わっていない。
「お前には、もう必要ないか」
「いえ、これからも使わせてもらいます。これはオレのトレードマークですから」
「……フッ、そうか」
恩師に対してしっかり目を合わせた兄ちゃん、そして影山の言葉からあのゴーグルはきっと影山から渡されたものだろう。
そして、兄ちゃんはそのゴーグルを使い続けると笑う。
影山の名前を出す度に苦しそうな兄を隣で見てきた自分にとって、そんな穏やかな笑顔が嬉しくて頬が緩む。
その時だった。
「明奈」
「……っ」
一瞬、誰に名前を呼ばれたのか分からなかった。
影山に、名前を呼ばれたことに気づいて、私はまじまじと彼の顔を見てしまう。
「…………名前、覚えていたんだ」
「…………」
無言の肯定を返された私は緊張で力が入っていた肩の力を呼吸と共にゆっくり抜いてから、正面から彼の顔を見ながら胸に手を置いて口を開く。
「貴方がしてきた事は許される事じゃない。だけど……それでも、私は貴方を嫌いになりきれなかった」
―私のお父さんでいてくれた貴方を。
お父さん。久々にそう口にすれば、懐かしい気持ちが襲う。
「…………私は、お前に父親らしいことなど……」
私の顔を見てお父さんは少しだけ戸惑ったように目線を逸らす。あの彼のそんな反応を見られると思わなくて、少しだけおかしく感じて笑ってしまう。
「お母さんの、手紙を読んだんだ」
「手紙、だと?」
イタリア戦前に私を一番混乱に追い込んだものの名前を出せば、お父さんは眉を寄せる。初めて知った、という反応だった。
試合をしていたから今手元にはないけれど、何十回も読んだので内容は覚えているその手紙―明王兄さんが私に届けてくれた不動家の母からの手紙―について説明をした。
「生前の母の手紙には、私を置いていくことへの謝罪と、私を引き取ると言ってくれた貴方に対する感謝が綴られていた」
「!?」
幼い頃の私宛ての手紙は両親がいなくなるその日に私の自室に置いていたらしい。
だけど、誰もいない家にショックを受けた私はリビングから動けなくて……そのままお父さんに引き取られたから、その手紙の存在を気づくことができなかった。
明王兄さんはそれを保管してくれて、イタリア戦で影山と対峙するという事を知って送ってくれたのだろう。
…………今の私なら母の手紙を……真実を知っても大丈夫だって、そう思ってくれたのかな。
「施設に預けようと……遠ざけて守ろうとした両親の意見を聞いた上で貴方は私を引き取ると名乗ったんでしょ。打算はあったのかもしれない。
それでも、ひとりぼっちになりたくない私に、居場所をくれたという事実が……嬉しかった」
我ながら単純だなとは思う。
実際、私がこの感情に辿り着くまでなかなか時間がかかった。
だってそうだろう。私は影山の悪意によってたくさんの人を傷つけ、悲しませてしまったから。しかも実力も足りなくて捨てられるし。
それだけじゃない。兄に対してしてきた事とか、デモーニオの事とか到底許せない怒りや恨みの感情も確かにある。
だけど、お父さんに伝えた気持ちもまた本音だった。
こんなに素直にお父さんに対して話せたのは、目の前のお父さんが本気のサッカーを見せてくれたからだ。
「それに……お父さんがサッカーを教えてくれたから、私は日本代表選手になれたと思う」
方法は正しくはなかったかもしれない。その時の私は必死だったから全てがむしゃらに取り組んでいた。
痛くて苦しかったけれど弱音なんて吐いてはいけなかった。捨てられる事に怯えて無心でボールを蹴って、色んな試合のデータを見て戦術の勉強を続けた。
だからこそ、私は女の身でありながら男子と並んでサッカーができる選手になれたと思っている。
もしお父さんに引き取られずに施設に預けられていたとして、いつか兄妹と再会できたとしても、きっとサッカーは続けてはいなかっただろう。
「今、仲間と楽しくサッカーをしているからこその結果論だけど……」
私は一歩お父さんに近づいて……スーツの袖を掴んだ。
「ありがとう。お父さん」
ふと私が思ったのはこんな風に礼を言うのは初めてかもしれないという事だった。
お父さんとのやりとりの中で課された課題に対する返答や、不出来だった事に対する謝罪は何度もした事あったけれど、感謝を伝えるのも、私から手を伸ばすのも初めてだ。
FFIで色んな家族の絆を見てからだと、やっぱり私達を親子と呼ぶにはちぐはぐだ。
本当は少しだけ、手を繋ぐことができたらなとは思ったけれど、今のこの人はきっと触れさせてはくれないだろうとスーツに触れることしかできなかった。
言いたいことを全部言い切った私はスーツから手を話して笑いかける。
お父さんに見せるのは初めてだと思う笑顔だと自分でも分かった。
「そうか……」
お父さんは少ない言葉を返して少しだけ顔を俯かせる。
「……お前はまだ、私を父親として慕ってくれるのか」
サングラスで目が隠れているから表情はしっかりとは分からないけれど、その声は少しだけ震えている……ように感じた。
私がお父さんと呼ぶ事を拒否しなかったのは……今でも私の名前を読んでくれるのは、お父さんも“父親”に対して思うものがあったのかなと影山東吾への複雑な感情を思うとつい考えてしまう。
けれどこれは結局私の想像だし、わざわざ答えを聞き出そうとも思わなかった。
「ミスターK……いや、影山零治。傷害罪及び国外逃亡の容疑で逮捕する」
……時間だってそんなに残されていないし。
お父さんの元へ警察数名が駆け寄った。スタジアムの入場口近くには彼の調査をしていた鬼瓦刑事と夏未さんの姿も見えた。
目の前に来た警察が逮捕状を突き付ければ、お父さんは何も言わず笑みを浮かべて私達から背を向けた。
だけど歩き出す手前のこと。
「……………………すまない」
「えっ……?」
その小さな声は一番近くにいた私にしか聞き取れないものだった。
だけど、急にそんな言葉を告げられて私は呆然としかできない。
「私がこの言葉を口にすることはないと思っていたが……ありがとう。フィディオ、そして鬼道」
次の瞬間にはお父さんは何事もなかったかのように、自分を闇から救ってくれたフィディオさんと兄ちゃんに感謝を告げていた。
「待て、影山!」
そして歩き出すお父さんの背中をただ黙って眺めていると、鬼瓦刑事がお父さんと歩調を合わせて何か話しかけていた。だけど、その話の内容は私達には聞こえなくて…………きっと誰も聞く余裕なんてなかった。
「……お父さんの事、待ってていいかな」
警察に連れられるお父さんの背中を深く頭を下げて見送った兄ちゃんが体を起こしたタイミングで私は話しかけた。
どれだけの時間かかるか、なんて私には見当つかない。だけど、父として言葉を残してくれたあの人と……もっと話したいと思ってしまった。
「なんて……都合良すぎるかな」
「……」
「!」
俯いた私に対して、兄ちゃんは何も言わずに手を握った。
「……一緒に待とう」
思わず顔を上げれば兄ちゃんは私の顔を見て静かに笑みを浮かべる。少しだけ寂しそうな笑み。
「……うん」
私はこくりと頷いて、兄ちゃんの手を握り返した。
今後の展開の都合でちょっぴり時系列変えてます……