15 y ago
name
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港の空気は濃密だった。潮の香りに混じって、干された網や魚の生臭さ、煤けた船底の残り香。日は既に傾きかけており、薄金色の光が埠頭に長く影を落としていた。
nameはロシナンテと並んで、貨物倉庫の裏手を抜けていた。交渉は上々。ややこしい中間の取りまとめも、ロシナンテの沈着な筆談と、nameの柔らかい笑顔で、危なげなく終わっていた。陽に灼かれた肩をゆっくり回しながら、nameは吐息混じりに口を開く。
「……つかれたー。ほんっと、地味な仕事なのに気つかうのよ、ああいうの。ねぇロシー、俺、がんばったよね?今日はなんか甘いのでも買って帰ろうよ」
軽やかな口調と裏腹に、目元にはうっすら疲労の影。けれどそれも、背後のロシナンテが肩のあたりに視線を落として筆を走らせる気配に、すぐに緩んでいく。
【よくやってた。疲れたのは同感】
「でしょー。ほらほら、ちゃんとねぎらって。ね?俺の白いコート、砂だらけになったんだから」
ロシナンテは苦笑ともとれる目元で短く頷き、そのまま視線を倉庫脇の細道へ向ける。けれど、ふたりが角を曲がりかけたそのときだった。
「……待て」
不意にかかった声に、nameはわずかに肩を跳ねさせた。そこには制服に身を包んだ男が三人。制帽の影に沈んだ瞳が、警戒の色を孕んでいる。海軍。タイミング悪いなーとnameは頭の中で舌打ちをひとつ。
「お前ら、そこの黒と白のコート。少し話を聞かせてもらえるか」
任意、と続けて口にはしていたが、取り囲むような配置は明らかにただの確認以上の意図を持っていた。nameは片眉を上げて笑みを浮かべる。
「え〜、なに?聞き込み?俺たち、さっきまでちゃーんと仕事してたけどなぁ」
とぼけたように言いつつも、指先はロシナンテの袖に軽く触れ、そっと合図を送る。ロシナンテも無言で頷き、ゆっくりメモを開く。
【仕事の詳細、記録ある。必要なら確認しろ】
だが、その動きを遮るように、ひとりの若い海兵が、じっとnameを見つめて言葉を発した。
「……白いコート……あんた、もしかして、“白い悪魔”じゃないのか」
風が止まったような瞬間だった。nameの口元の笑みが、一瞬だけ凍る。けれどすぐに、目元をとろけさせるように細め、柔らかな声で答える。
「やだ、なにそれ。俺、そんな怖い名前で呼ばれたことないんだけど?」
腰に手をあて、ゆるく身体をくねらせるようにしながら、一歩近づく。視線を絡め、声を低く艶を帯びさせ、相手の頬を指先でなぞるような仕草で。
「……もしかして、俺のこと……気になっちゃった?」
口先だけの甘い言葉、なぞる様な視線。いつもならばだいたいこれでなんとかなるものだが、今回ばかりは通用しなかった。
バン、と空気を裂く音が響いたのは、その直後だった。緊張の糸が切れたかのように、海兵のひとりが警告なしに銃を抜き、火薬の匂いが辺りに弾ける。
nameはすかさず後方へ跳ね、ロシナンテが手を伸ばしてその腕を引く。弾はすんでのところで肩をかすめ、白いコートの端が裂ける。
「……っ、チッ、すぐ撃つなんて、ほんと馬鹿じゃないの?ねぇロシー、やっちゃっていいよね、こういうのは」
口調は軽くても、その瞳には熱と怒気が宿っていた。ロシナンテは無言で頷き、コートの内側へ手を滑らせる。
空気が、静かに冷えはじめていた。潮風が吹き抜ける中、始まる銃撃戦――それは決して偶発ではなく、“日常”の始まりだった。
銃声が乾いた音を立てて響くたび、港の空気は緊迫と混乱を孕んでいく。漁船の間を縫うように火花が散り、海面に弾が弾けるたびに波紋が拡がる。けれどそんな中でも、nameは口元にまだ余裕を浮かべていた。
「……っはぁ、なんで俺だけ狙われるかなァ……白いコートなんて他にもいるでしょーが……っ!」
身を屈め、弾丸を躱しながら文句を吐く。胸元で翻るコートの裾、頬をかすめた風圧に舌打ちをひとつ。数歩先を走るロシナンテの背に目をやりながら、また一発、撃ち返す。
「……もしかして手配書とか、出回ってんの?やだなぁ、俺、あんま顔売れてない方が嬉しいんだけど……」
軽口の調子は変わらずとも、指先は正確で、動きは淀みない。瞬きの間に一発を正確に狙い、牽制するように海兵の足元を撃ち抜いた。
「ったく、仕事終わりにまたお仕事とか、ほんとにありえな〜……ロシー、そっちはどう?」
軽口混じりに問いかけるように振り返った、その瞬間だった。
パン、という鋭い音。次いで、ふ、とロシナンテの身体が大きく揺れる。
「……っ、ロシー……?」
時間が、少し遅れて流れたように感じた。ロシナンテの肩口から、深紅の色がぱっと広がった。コートの内側に滲む血が、海風に乗って微かに金属臭を運ぶ。そのまま片膝をついた彼の姿に、nameの表情が一瞬で変わった。
「……っ、は?」
目の奥で、何かが弾ける。
「ちょ、なに撃たれてんの…ロシー、バカじゃないの?ドジにもほどがあるってば!」
駆け寄りながら怒鳴る声は、明らかに怒気を孕んでいた。けれど、それは恐れの裏返し。浮かべていた余裕の笑顔がひび割れ、濡れた瞳で血の色を見つめる。ロシナンテは手にしたメモを震える手でめくり、慣れた動きで文字を書く。
【大丈夫だ。肩を掠めただけ。落ち着け、name】
「……おちついてるけど?めっちゃ冷静だよ???」
落ち着いているのは声色のみ。完全に冷静さを欠いた表情で周囲を睨みつける。まるでロシナンテに傷をつけたすべてを許さないとでもいうように、目つきが変わっていた。
「撃った奴、どいつ……どの顔?逃げないでよ?潰すからな、マジで」
その声の端は笑っていたが、瞳は笑っていなかった。冗談めかした口ぶりの奥に潜むものは、明確な怒り。潮風が再び吹いたとき、そこにいたのは軽口を叩くnameではなかった。肩越しにロシナンテを庇い、視線の先の海兵に冷ややかな銃口を向ける彼は、まぎれもなく“白い悪魔”と呼ばれたその男――その本性だった。
潮の香りが焦げた金属と血の匂いに塗り替えられていく。港を吹き抜ける風は、すでにただの風ではなかった。緊張と殺意を孕んで鋭く皮膚を裂くように吹きつけ、海面に浮かぶ陽光すら鈍く濁って見えた。
足音もなく滑るように動いたnameの姿は、もはやいつもの陽気で軽口ばかり叩く男ではなかった。怒気に滲んだ笑みを唇に浮かべながら、銃口を構える手には微塵の迷いもない。
「……だから言ったじゃん、逃げんなって……」
声は静かだった。なのに、背筋が凍るような温度をしていた。次の瞬間、撃たれた海兵が呻く間もなく膝を折る。その隙間を縫うように、nameの身体は低く沈み、懐へ滑り込む。抜きざまのナイフが閃いた。鋭い光を帯びた刃は、海兵の肩口から胸元へと深く引き裂いた。悲鳴と同時に血が弧を描き、石畳に黒く濃い痕を残す。
ロシナンテが何か言いたげに口を開くが、咄嗟にメモを取る時間すらない。彼の視線が射抜くようにnameを追いながら、眉間に皺が寄る。
(……やばいな、これは……)
怒らせてしまった。nameを。そう理解するには十分だった。
ふだんはいくら弄られても、笑って受け流すことすらできる男だ。粗雑で、面倒臭がりで、どこか飄々としていて――だけど、その裏にある“本質”に触れてしまえば、もう止まらない。自分に向けられた“痛み”が引き金になるなど、きっと本人ですら気づいていない。
けれど、今この場でロシナンテが無防備に傷つけられたこと――それは、彼の中にある何かを確実に穿った。
「数が多いとめんどくさいねー、でもさ……まとめて死ぬ?」
弾倉を一度抜き、素早く装填し直すと、nameはにこりと笑ってみせる。その笑顔があまりにも綺麗で、だからこそ残酷だった。
そして次の瞬間には、またひとりの海兵が、何が起きたのかも分からぬまま膝を折った。銃声は聞こえなかった。ただ、ナイフの切っ先が服を裂き、肉を割る音が微かに空気を震わせただけ。ロシナンテがようやくメモを取り、ぶっきらぼうに文字を走らせる。
【やめとけ。やりすぎるとバレる】
その文字をちらりと見たnameは、ふっと目を細めた。
「……わかってるってば。俺がドフラミンゴに叱られるの、ロシーが一番イヤでしょ?」
それでも、足元にはもう数人が倒れていた。血の臭いが潮風と溶け合って、どこか甘い。冷静さとは程遠い“淡々さ”。自分でも自覚している。だが、それでも止まらなかった。“ロシナンテを傷つけた”というただ一点が、彼の正気を脇に押しやっていく。そうして最後の一人が後退り、叫びを上げて逃げ出したところで、ようやくナイフが下ろされた。
「……はー、疲れた。やっぱ白いの、目立つよなぁ……」
振り返るnameの笑顔は、まるで何もなかったかのように、陽だまりのようだった。けれどロシナンテは、その足取りがわずかに重たいことも、手の震えが微かに残っていることも、見逃さなかった。
静まり返った港の一角。ついさっきまで銃声が飛び交い、怒号と悲鳴が混ざり合っていた場所には、潮風と、乾ききらない血の臭いだけが残されていた。海兵たちはすでに姿を消し、倒れた者たちも引きずられるように引き上げられていく。濁った海面に浮かぶのは、弾薬の薬莢と、ひとしずくの赤。
その中心には二人の男。
nameは深く呼吸を吐き、ようやく肩の力を抜いた。左手には未だ微かにぬるついたナイフ。右手には、もう弾の残っていない銃。戦いの余熱は確かに身体に残っていたが、目の奥にはそれを楽しむでもなく、ただ静かな疲労があった。
「……で、ロシー」
返り血を浴びぬように構えていたコートの裾をふわりと振りながら、視線をロシナンテに向ける。傍らで肩を押さえている男の姿がようやく目に映る。
「撃たれたって、どこ?見せて」
ロシナンテは顔をしかめたまま、苦笑のような表情を作り、ゆっくりと外套の一部をめくってみせる。厚手の布に血がじわりと滲んでいたが、銃弾は浅くかすった程度のようだった。
【かすり傷。大げさにするな】
そう書かれたメモを掲げる仕草に、nameは鼻を鳴らす。
「……それ、撃たれた人が言うセリフ?でもさ、痛いのは痛いでしょ?ま、いい子にしてたらあとで包帯でも巻いたげるから。俺が」
そう言って、ひと呼吸。
怒りの余韻はすでに引いていた。あの瞬間、あの感情は――確かにそこにあったのに、今はまるで熱が過ぎ去ったあとの傷跡だけが残っているようだった。一歩、二歩と近づいて、ロシナンテの肩を軽く叩いた。
「大丈夫そ、なら、よし。……あ、コート、汚れてないかな……」
nameは自分の身なりに意識を移すと、指先で白い外套の裾をつまみ上げた。念入りに確認し、汚れがついていないことに胸を撫で下ろす。
「はー……やれやれ。撃たれるのはロシーで、追っ払うのは俺って、なんか割に合わなくない?ああ、疲れたー……」
空へ向かって手を伸ばす。あいかわらず、何も答えない。nameの身体からはすでに“獣”の気配は失せていた。ただの男に戻ったその姿は、どこか頼りなく見えたかもしれない。けれどロシナンテは、知っている。この男が“守る”と決めたとき、どれだけの激情と破壊をその内に秘めているのかを。
そして――それを、本人があまりに無自覚でいることも。ロシナンテは、口元にわずかな微笑を浮かべる。nameの背を叩き、メモを掲げる。
【帰るか。アイスでも食う?】
「……賛成〜。ロシーが奢りね、今日ちょっとがんばったでしょ、俺」
nameは笑った。
その笑顔がある限り、たとえ血にまみれた時間でも、戻る場所は失われない。そんな錯覚すら与えるほどに、あたたかくて――それでいて、危ういほど眩しい笑顔だった。
nameはロシナンテと並んで、貨物倉庫の裏手を抜けていた。交渉は上々。ややこしい中間の取りまとめも、ロシナンテの沈着な筆談と、nameの柔らかい笑顔で、危なげなく終わっていた。陽に灼かれた肩をゆっくり回しながら、nameは吐息混じりに口を開く。
「……つかれたー。ほんっと、地味な仕事なのに気つかうのよ、ああいうの。ねぇロシー、俺、がんばったよね?今日はなんか甘いのでも買って帰ろうよ」
軽やかな口調と裏腹に、目元にはうっすら疲労の影。けれどそれも、背後のロシナンテが肩のあたりに視線を落として筆を走らせる気配に、すぐに緩んでいく。
【よくやってた。疲れたのは同感】
「でしょー。ほらほら、ちゃんとねぎらって。ね?俺の白いコート、砂だらけになったんだから」
ロシナンテは苦笑ともとれる目元で短く頷き、そのまま視線を倉庫脇の細道へ向ける。けれど、ふたりが角を曲がりかけたそのときだった。
「……待て」
不意にかかった声に、nameはわずかに肩を跳ねさせた。そこには制服に身を包んだ男が三人。制帽の影に沈んだ瞳が、警戒の色を孕んでいる。海軍。タイミング悪いなーとnameは頭の中で舌打ちをひとつ。
「お前ら、そこの黒と白のコート。少し話を聞かせてもらえるか」
任意、と続けて口にはしていたが、取り囲むような配置は明らかにただの確認以上の意図を持っていた。nameは片眉を上げて笑みを浮かべる。
「え〜、なに?聞き込み?俺たち、さっきまでちゃーんと仕事してたけどなぁ」
とぼけたように言いつつも、指先はロシナンテの袖に軽く触れ、そっと合図を送る。ロシナンテも無言で頷き、ゆっくりメモを開く。
【仕事の詳細、記録ある。必要なら確認しろ】
だが、その動きを遮るように、ひとりの若い海兵が、じっとnameを見つめて言葉を発した。
「……白いコート……あんた、もしかして、“白い悪魔”じゃないのか」
風が止まったような瞬間だった。nameの口元の笑みが、一瞬だけ凍る。けれどすぐに、目元をとろけさせるように細め、柔らかな声で答える。
「やだ、なにそれ。俺、そんな怖い名前で呼ばれたことないんだけど?」
腰に手をあて、ゆるく身体をくねらせるようにしながら、一歩近づく。視線を絡め、声を低く艶を帯びさせ、相手の頬を指先でなぞるような仕草で。
「……もしかして、俺のこと……気になっちゃった?」
口先だけの甘い言葉、なぞる様な視線。いつもならばだいたいこれでなんとかなるものだが、今回ばかりは通用しなかった。
バン、と空気を裂く音が響いたのは、その直後だった。緊張の糸が切れたかのように、海兵のひとりが警告なしに銃を抜き、火薬の匂いが辺りに弾ける。
nameはすかさず後方へ跳ね、ロシナンテが手を伸ばしてその腕を引く。弾はすんでのところで肩をかすめ、白いコートの端が裂ける。
「……っ、チッ、すぐ撃つなんて、ほんと馬鹿じゃないの?ねぇロシー、やっちゃっていいよね、こういうのは」
口調は軽くても、その瞳には熱と怒気が宿っていた。ロシナンテは無言で頷き、コートの内側へ手を滑らせる。
空気が、静かに冷えはじめていた。潮風が吹き抜ける中、始まる銃撃戦――それは決して偶発ではなく、“日常”の始まりだった。
銃声が乾いた音を立てて響くたび、港の空気は緊迫と混乱を孕んでいく。漁船の間を縫うように火花が散り、海面に弾が弾けるたびに波紋が拡がる。けれどそんな中でも、nameは口元にまだ余裕を浮かべていた。
「……っはぁ、なんで俺だけ狙われるかなァ……白いコートなんて他にもいるでしょーが……っ!」
身を屈め、弾丸を躱しながら文句を吐く。胸元で翻るコートの裾、頬をかすめた風圧に舌打ちをひとつ。数歩先を走るロシナンテの背に目をやりながら、また一発、撃ち返す。
「……もしかして手配書とか、出回ってんの?やだなぁ、俺、あんま顔売れてない方が嬉しいんだけど……」
軽口の調子は変わらずとも、指先は正確で、動きは淀みない。瞬きの間に一発を正確に狙い、牽制するように海兵の足元を撃ち抜いた。
「ったく、仕事終わりにまたお仕事とか、ほんとにありえな〜……ロシー、そっちはどう?」
軽口混じりに問いかけるように振り返った、その瞬間だった。
パン、という鋭い音。次いで、ふ、とロシナンテの身体が大きく揺れる。
「……っ、ロシー……?」
時間が、少し遅れて流れたように感じた。ロシナンテの肩口から、深紅の色がぱっと広がった。コートの内側に滲む血が、海風に乗って微かに金属臭を運ぶ。そのまま片膝をついた彼の姿に、nameの表情が一瞬で変わった。
「……っ、は?」
目の奥で、何かが弾ける。
「ちょ、なに撃たれてんの…ロシー、バカじゃないの?ドジにもほどがあるってば!」
駆け寄りながら怒鳴る声は、明らかに怒気を孕んでいた。けれど、それは恐れの裏返し。浮かべていた余裕の笑顔がひび割れ、濡れた瞳で血の色を見つめる。ロシナンテは手にしたメモを震える手でめくり、慣れた動きで文字を書く。
【大丈夫だ。肩を掠めただけ。落ち着け、name】
「……おちついてるけど?めっちゃ冷静だよ???」
落ち着いているのは声色のみ。完全に冷静さを欠いた表情で周囲を睨みつける。まるでロシナンテに傷をつけたすべてを許さないとでもいうように、目つきが変わっていた。
「撃った奴、どいつ……どの顔?逃げないでよ?潰すからな、マジで」
その声の端は笑っていたが、瞳は笑っていなかった。冗談めかした口ぶりの奥に潜むものは、明確な怒り。潮風が再び吹いたとき、そこにいたのは軽口を叩くnameではなかった。肩越しにロシナンテを庇い、視線の先の海兵に冷ややかな銃口を向ける彼は、まぎれもなく“白い悪魔”と呼ばれたその男――その本性だった。
潮の香りが焦げた金属と血の匂いに塗り替えられていく。港を吹き抜ける風は、すでにただの風ではなかった。緊張と殺意を孕んで鋭く皮膚を裂くように吹きつけ、海面に浮かぶ陽光すら鈍く濁って見えた。
足音もなく滑るように動いたnameの姿は、もはやいつもの陽気で軽口ばかり叩く男ではなかった。怒気に滲んだ笑みを唇に浮かべながら、銃口を構える手には微塵の迷いもない。
「……だから言ったじゃん、逃げんなって……」
声は静かだった。なのに、背筋が凍るような温度をしていた。次の瞬間、撃たれた海兵が呻く間もなく膝を折る。その隙間を縫うように、nameの身体は低く沈み、懐へ滑り込む。抜きざまのナイフが閃いた。鋭い光を帯びた刃は、海兵の肩口から胸元へと深く引き裂いた。悲鳴と同時に血が弧を描き、石畳に黒く濃い痕を残す。
ロシナンテが何か言いたげに口を開くが、咄嗟にメモを取る時間すらない。彼の視線が射抜くようにnameを追いながら、眉間に皺が寄る。
(……やばいな、これは……)
怒らせてしまった。nameを。そう理解するには十分だった。
ふだんはいくら弄られても、笑って受け流すことすらできる男だ。粗雑で、面倒臭がりで、どこか飄々としていて――だけど、その裏にある“本質”に触れてしまえば、もう止まらない。自分に向けられた“痛み”が引き金になるなど、きっと本人ですら気づいていない。
けれど、今この場でロシナンテが無防備に傷つけられたこと――それは、彼の中にある何かを確実に穿った。
「数が多いとめんどくさいねー、でもさ……まとめて死ぬ?」
弾倉を一度抜き、素早く装填し直すと、nameはにこりと笑ってみせる。その笑顔があまりにも綺麗で、だからこそ残酷だった。
そして次の瞬間には、またひとりの海兵が、何が起きたのかも分からぬまま膝を折った。銃声は聞こえなかった。ただ、ナイフの切っ先が服を裂き、肉を割る音が微かに空気を震わせただけ。ロシナンテがようやくメモを取り、ぶっきらぼうに文字を走らせる。
【やめとけ。やりすぎるとバレる】
その文字をちらりと見たnameは、ふっと目を細めた。
「……わかってるってば。俺がドフラミンゴに叱られるの、ロシーが一番イヤでしょ?」
それでも、足元にはもう数人が倒れていた。血の臭いが潮風と溶け合って、どこか甘い。冷静さとは程遠い“淡々さ”。自分でも自覚している。だが、それでも止まらなかった。“ロシナンテを傷つけた”というただ一点が、彼の正気を脇に押しやっていく。そうして最後の一人が後退り、叫びを上げて逃げ出したところで、ようやくナイフが下ろされた。
「……はー、疲れた。やっぱ白いの、目立つよなぁ……」
振り返るnameの笑顔は、まるで何もなかったかのように、陽だまりのようだった。けれどロシナンテは、その足取りがわずかに重たいことも、手の震えが微かに残っていることも、見逃さなかった。
静まり返った港の一角。ついさっきまで銃声が飛び交い、怒号と悲鳴が混ざり合っていた場所には、潮風と、乾ききらない血の臭いだけが残されていた。海兵たちはすでに姿を消し、倒れた者たちも引きずられるように引き上げられていく。濁った海面に浮かぶのは、弾薬の薬莢と、ひとしずくの赤。
その中心には二人の男。
nameは深く呼吸を吐き、ようやく肩の力を抜いた。左手には未だ微かにぬるついたナイフ。右手には、もう弾の残っていない銃。戦いの余熱は確かに身体に残っていたが、目の奥にはそれを楽しむでもなく、ただ静かな疲労があった。
「……で、ロシー」
返り血を浴びぬように構えていたコートの裾をふわりと振りながら、視線をロシナンテに向ける。傍らで肩を押さえている男の姿がようやく目に映る。
「撃たれたって、どこ?見せて」
ロシナンテは顔をしかめたまま、苦笑のような表情を作り、ゆっくりと外套の一部をめくってみせる。厚手の布に血がじわりと滲んでいたが、銃弾は浅くかすった程度のようだった。
【かすり傷。大げさにするな】
そう書かれたメモを掲げる仕草に、nameは鼻を鳴らす。
「……それ、撃たれた人が言うセリフ?でもさ、痛いのは痛いでしょ?ま、いい子にしてたらあとで包帯でも巻いたげるから。俺が」
そう言って、ひと呼吸。
怒りの余韻はすでに引いていた。あの瞬間、あの感情は――確かにそこにあったのに、今はまるで熱が過ぎ去ったあとの傷跡だけが残っているようだった。一歩、二歩と近づいて、ロシナンテの肩を軽く叩いた。
「大丈夫そ、なら、よし。……あ、コート、汚れてないかな……」
nameは自分の身なりに意識を移すと、指先で白い外套の裾をつまみ上げた。念入りに確認し、汚れがついていないことに胸を撫で下ろす。
「はー……やれやれ。撃たれるのはロシーで、追っ払うのは俺って、なんか割に合わなくない?ああ、疲れたー……」
空へ向かって手を伸ばす。あいかわらず、何も答えない。nameの身体からはすでに“獣”の気配は失せていた。ただの男に戻ったその姿は、どこか頼りなく見えたかもしれない。けれどロシナンテは、知っている。この男が“守る”と決めたとき、どれだけの激情と破壊をその内に秘めているのかを。
そして――それを、本人があまりに無自覚でいることも。ロシナンテは、口元にわずかな微笑を浮かべる。nameの背を叩き、メモを掲げる。
【帰るか。アイスでも食う?】
「……賛成〜。ロシーが奢りね、今日ちょっとがんばったでしょ、俺」
nameは笑った。
その笑顔がある限り、たとえ血にまみれた時間でも、戻る場所は失われない。そんな錯覚すら与えるほどに、あたたかくて――それでいて、危ういほど眩しい笑顔だった。