15 y ago
name
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夜風が、街の角を抜けるたび、昼間の熱気をさらっていくようだった。空はすっかり暮れ落ち、行き交う人もまばらになった路地を、ふたりの足音だけが規則正しく響いている。ロシナンテの能力――ナギナギの“沈黙”が周囲を包んでいた。外の物音も、自分たちの声も届かない。この静寂は、ふたりだけのような空間を作り出していた。
「は~~……頑張った、俺……今日すっごい頑張った……ロシー、なんかご褒美くれない?」
nameがだらりとロシナンテの腕にしなだれかかりながら、気の抜けた声で言った。その口調は甘えと冗談が半々で、いつもの気怠げなトーン。けれどその眉の隅には、少しだけ疲れが滲んでいた。
「ほんとさぁ、あの取引先の代理人……無駄に警戒心強くてめんどかった。しかも目線がいやらしいし……俺、けっこー気使ったんだよ?」
「……色仕掛けが“気遣い”扱いなの、お前くらいだ」
ロシナンテが低く言うと、nameはくくっと笑った。まるで褒め言葉にでも聞こえたかのように。
「うん。俺ってそういうとこ特殊でしょ?才能だよね、才能」
「……お前のやり方、どこまでが本気で、どこまでが冗談か……未だによくわからない」
ふと、真面目な口調でロシナンテが言う。目線は前を向いたまま、歩調も変えず。
しばらく、返事はなかった。nameは腕を組み、少しだけ目を細めて夜空を仰いでいた。
そしてぽつりと、笑みの気配を混ぜた声が返る。
「……ロシーだってそうじゃん。どこまで“ドジで口きけないおっちょこちょい”が演技で、どこからが“海軍のスパイでコラソン”なのか……俺だって、未だにわかんないもん」
ロシナンテは歩を止めなかったが、その目線がわずかに横を向いた。
「“沈黙”ってさ、便利だよね。……嘘もほんとも、言葉にしなけりゃ存在しない。だから、あいまいなままいられる」
nameの声は、どこまでも軽やかだった。けれどその響きの中にあったのは、奇妙な“諦め”にも似た透けるような温度だった。
「ねぇロシー、俺たちって似てるよね。嘘ばっかり吐いてさ、本音だけ隠すの上手い」
「……俺は、別に……」
「そういうとこも、似てるって話」
またくすりと笑って、nameは肩を揺らす。そのままロシナンテの前に回り込み、歩く道を遮るように立ちはだかる。
「でもね、ロシーが黙って見てくれてるから……俺はたぶん、いままでよりちょっとだけ、嘘が上手になったんだと思うよ」
「……それ、褒めてんのか?」
「んー……?どうだろ、どう受け取るかはロシー次第ってことで」
nameは片目を閉じて、ひらりと手を振ってみせる。その仕草の裏にある本音を、誰も探ろうとはしない。
――ロシナンテ以外には。
けれど、今夜の彼はただ静かにその仕草を見届け、もう何も言わなかった。そしてまた、ふたりは並んで歩き出す。静けさが、再びふたりを包む。言葉の代わりに、呼吸と足音だけが、微かに重なっていた。
夜もすっかり深まり、ドン・キホーテファミリーのアジトには薄暗い照明と、遠くの階下でくぐもった声が混ざり合っていた。昼の喧騒と違い、今はすでに多くの構成員たちが自室に引き上げ、残っているのは警戒と警備、それから一部の幹部たちだけ。
その静けさの中を、ふたりの足音がゆっくりと響いていく。
ロシナンテとname。仕事を終えて戻ってきたばかりのふたりは、並んで廊下を進んでいた。その姿からは、先ほどまでの張りつめた交渉の余韻はすでに抜けている。
けれど――その代わりに、疲労と、甘い緩みが滲んでいた。nameは長い欠伸を噛み殺しながら、ダボついたシャツの袖口を無造作に引きずっていた。脚取りはどこかふらついていて、ロシナンテの肩にときどき小さく寄りかかってくる。
「ん~~……ロシー、ねえ……もう、報告とかいらなくない……?」
ロシナンテは何も言わず、歩き続ける。けれどnameはなおもめげずに、今度は両手で袖口を引っ張って、より一層ぐずった声で言った。
「ロシーだけで行ってきてよ……俺、寝て待ってるから……枕あればすぐ寝る……」
しかしその言葉が終わらないうちに、ごつん、と小さな音が響いた。
ロシナンテの大きな手が、何の迷いもなくnameの額をこづく。控えめながらも的確な一撃だった。
「っ……いっ……ロシィ……!」
nameが眉をひそめて頭を押さえると、すかさずロシナンテは胸元から手帳を取り出し、さらさらとペンを走らせた。
【報告までが仕事。お前の役割はまだ終わってない。】
「……正論……ぐうの音も出ないやつ……」
ぶつぶつと文句を漏らしながらも、nameはその場に崩れずにちゃんと歩き続ける。それだけで、ロシナンテは十分に理解していた。
――この男は、文句を言いつつも、やることはやる。
「……でもさ、ご褒美……ご褒美あるんでしょ、俺……」
nameが不意にぽそりと呟く。それは、夢と現実の狭間をふらふらと歩くような声だった。
「なにがいいかなぁ……ドフィ、けっこーなんでもくれそうな顔してたよね……。高い酒?金?それとも……えっちなやつ……ふふ……」
上気した頬を指でなぞりながら、ふらふらと空気に言葉を溶かすようなその姿に、ロシナンテはもう何も言わなかった。
手帳を閉じ、ただ、隣を歩くnameの背がふわふわと揺れているのを見守る。彼は、いまだ“何を欲しいのか”決めきれていなかった。いつも通り、適当で、投げやりで、けれど――そんな“曖昧さ”にこそ、本音が滲んでいた。ご褒美が何かではなく、“ご褒美をくれる相手”が誰か――それが大事なのだと、ロシナンテはわかっていた。
静かな廊下の先、ドフラミンゴが待つ部屋の扉が見えてくる。その先に踏み込む前に、ロシナンテはふと、歩みを緩めた。その横でnameもまた、一瞬だけ立ち止まる。
「……ねぇ、ロシー。もしさ、ドフィが“なんでもやる”って言ったら……」
「……」
「……なんて言えばいいと思う?」
ロシナンテは少し考え、そして手帳を開いて一言だけ記した。
【ちゃんと、自分で選べ。欲しいもんくらい。】
nameはその言葉を読んで、ぱちぱちと瞬きを数度。そして小さく笑い、コートの裾を握り直した。
「……ロシーって、やさしさの出し方、意地悪いよね」
そう呟いて、ふたりは再び歩き出した。静けさのなかに、ごく微かに笑い声が残る。やがてそれも消え、足音だけが、夜のアジトに静かに響いていた。
ドフラミンゴの執務室は、夜でも照明が落とされることなく、淡い灯りに包まれていた。
壁際の大きな窓には夜の街灯りがうっすらと映り込み、部屋に漂う空気に、どこか官能的な濃さを与えている。その中心に腰かけていたのは、変わらぬ姿の男――ドン・キホーテ・ドフラミンゴ。
nameとロシナンテが扉を開けると、彼は脚を組み、指に挟んだグラスを傾けながら視線だけで迎える。音もなく入ってきたふたりを眺めるその眼差しは、どこか探るようでもあり、愉しげでもあった。nameは先に進み、ゆるく笑みを浮かべたままぺこりと軽く頭を下げる。
「ただいま戻りました。例の取引先、つつがなく。ロシーのおかげでね」
後ろで立つロシナンテは筆談用のノートをすでに開き、手早くページをめくってから、さらりと報告事項を綴っていく。
【問題なし。契約書の写しは回収済み。数日中に資材が届く予定。信用度は及第。】
ドフラミンゴはそれをちらと確認すると、ふ、と薄く唇を緩めた。
「……ああ、上出来だ。で――」
彼の視線が、すぐさまnameに向かう。その口元には笑みがあるが、瞳の奥では一瞬、別の色がきらりと光った。
「……お前の“ご褒美”とやらは、決まったのか?」
言外に含まれるニュアンス――それに、nameもロシナンテも慣れ切っている。それでもnameは臆することなく、どこか挑発的な口調で応じた。
「うん、今考えてたとこ。なんでもいいんだよね?ドフィがくれるって言ったし」
「なんでも、だ」
ドフラミンゴはグラスを揺らしながら、にやりと口角を上げる。横目でロシナンテが呆れ顔を見せるのも視界の端に映ったが、nameは意に介さない。くすくすと笑ってから、ゆっくりと口を開いた。
「じゃあ……ロシー」
その瞬間、部屋の空気がほんの少しだけ、軋んだ。揺れたグラスの中で、氷がかちゃりと音を立てる。ロシナンテのペンが一瞬止まり、ドフラミンゴの視線がやや細くなる。
わかっている。この空気の変化は、ほんの一瞬。
けれど、そこにははっきりとした“圧”が宿る。nameはその刹那、言葉を滑らかに繋ぎ直した。
「……と、同じコートが欲しいなぁ。ロシーとドフィの。あのふわふわの。色違いの、白いやつ」
空気が、緩む。
ロシナンテは安堵と呆れの混ざったような息をひとつだけ吐き、ペンを再び動かし始める。ドフラミンゴもまた、笑みを深めた。
「ほう。白だと……?随分と目立つ趣味だな」
「目立ってもいいじゃん。だってロシーとドフィとお揃いでしょ?ふわふわで、あったかそうで、抱きしめてもらえるくらい……」
声のトーンが、すこしだけ甘くなる。自分でもわかっているのだ。ふざけているようで、寂しさを誤魔化していること。あの交渉の夜、媚びて、笑って、揺さぶられて。言葉では取り繕えても、芯の体力を削られていたことを。
ドフラミンゴはグラスをテーブルに置き、立ち上がった。長身の影がゆっくりと近づいてくる。
ロシナンテはそれを止めようとしない。ただ、目だけが注意深く動いていた。
「……いいだろう。手配させる。お前に似合うものを、な」
その声は低く、どこか艶めいていた。まるで、言葉そのものが上等な絹のように耳を撫でる。
「白の、ふわふわ。ロシーとお揃い。……お前に着せたら、どうなるか――想像はついてる」
くすり、とnameは笑った。一歩だけ引いて、膝を揃え、上目遣いに見上げる。
「……じゃあ楽しみにしてる。ね、ドフィ?」
ドフラミンゴの笑みは深まったが、それ以上は言わず。ロシナンテの方へ目を向けると、わずかに顎をしゃくって“下がっていい”という合図を送る。
ロシナンテは一礼し、nameの肩を軽く叩いてから、部屋を出た。そのまま後に続こうとするnameに、ドフラミンゴの声がひとつだけ追いかける。
「コートが届く前に……少し、寒さに慣れとけよ。白は、汚れが目立つ」
その言葉の意味を、nameは受け取るように振り返らなかった。けれど、背中がふるりと震えたのは、気温のせいではなかった。
まるで、欲しかったものに触れたあとで、自分の手の熱を見失ったような――
そんな不思議な感覚が、じわじわと胸の奥を湿らせていた。部屋の扉が、静かに閉じられた。
ナギナギの力が満ちるその瞬間、世界から音がふっと消える。喧噪も、風のうなりも、遠くの笑い声も、すべて。まるで海の底に沈んだような、密やかで濃密な沈黙。
ロシナンテの私室は簡素ながら整えられており、灯りもどこか温かい色合いを帯びている。
深く腰を沈められる大きめのソファ、壁際の本棚、コート掛け。
あの特徴的なコートも、隅に丁寧にかけられていた。
nameは、その前で立ち止まり、ぽつりと呟く。
「……あれの、白いのが欲しいって言ったら、ドフラミンゴ、くれるって」
壁に背を預けていたロシナンテが、片眉を上げる。
「肝、冷えたけどな。名前が出たときは」
低くて、しっとりした声。nameは、振り返らずに笑った。
「うん、ちょっと、ピリッとしてたよね……でも、続けたし。ちゃんと。お揃いが欲しいだけってことに、できたし」
ソファの縁にゆっくりと腰を下ろす。膝を抱えて、そこに頬を乗せるようにうずめる。
「……眠いな、なんか。さっきの緊張、抜けたのかな」
ロシナンテは黙って近づき、座ったnameの前に屈む。無言のまま、少しはだけかけていた前髪を指先で梳いてやると、nameはくすぐったそうに目を細めた。
「でも……ほんとはロシーのが欲しかったよ、なんて」
くすくすと、わざと悪びれた風に笑ってみせる。
「ねぇ、ロシーはくれないの?ご褒美……えっちなやつ、とか」
挑発的な声音で口にするその言葉も、瞳の奥は濁っていない。ふざけている。けれど、本気で求めているわけではない。
どちらでもあり、どちらでもない。ただ、何かで埋めておかないと――その隙間から、冷たいものが流れ込んでしまうから。
ロシナンテは、ふっと短く息を吐いた。怒りも、呆れも、咎める意志もない。その代わりに、手を伸ばして、nameの頬にそっと触れる。
「……」
なにも言わない。それが、かえって重かった。nameはその指に頬を預け、目を閉じる。長いまつげの影が頬に落ちると、静寂の中、吐く息だけがやけに濃く感じられた。
「……わかってるよ、ロシーが言わないの。そういうの、全部。でも、見捨てないでくれてるのも、わかってる」
声は低く、掠れていた。笑っているようで、震えているようで、眠ってしまいそうでもあった。
「……あの人のそばにいれば、誰も触れない。けど、それって……すごく、さびしいね」
ぽつりとこぼれたその言葉に、ロシナンテの眉がかすかに寄る。
だが、言葉にはしない。ただ、指をそっと滑らせ、nameの髪を撫でてやる。その優しさだけが、nameにとって、答えだった。目を閉じたまま、nameはその指の動きを追うように頭を傾ける。撫でる手が、まだここにあること。そのぬくもりが、失われていないこと。
「……ふふ、じゃあ、コートじゃなくて……今夜は、その手を……ちょっとだけ、もらっとこうかな」
囁くような声。本気とも、冗談ともつかない。
けれど、そこにあるのは、“求める”のではなく、“確かめる”ための甘えだった。
ロシナンテは返事をせず、ただ隣に腰を下ろす。背もたれにもたれ、nameの肩を引き寄せる。
そのまま、ゆっくりと時間が流れる。静寂の中で、ふたりの吐息だけが、微かに重なっていた。
「は~~……頑張った、俺……今日すっごい頑張った……ロシー、なんかご褒美くれない?」
nameがだらりとロシナンテの腕にしなだれかかりながら、気の抜けた声で言った。その口調は甘えと冗談が半々で、いつもの気怠げなトーン。けれどその眉の隅には、少しだけ疲れが滲んでいた。
「ほんとさぁ、あの取引先の代理人……無駄に警戒心強くてめんどかった。しかも目線がいやらしいし……俺、けっこー気使ったんだよ?」
「……色仕掛けが“気遣い”扱いなの、お前くらいだ」
ロシナンテが低く言うと、nameはくくっと笑った。まるで褒め言葉にでも聞こえたかのように。
「うん。俺ってそういうとこ特殊でしょ?才能だよね、才能」
「……お前のやり方、どこまでが本気で、どこまでが冗談か……未だによくわからない」
ふと、真面目な口調でロシナンテが言う。目線は前を向いたまま、歩調も変えず。
しばらく、返事はなかった。nameは腕を組み、少しだけ目を細めて夜空を仰いでいた。
そしてぽつりと、笑みの気配を混ぜた声が返る。
「……ロシーだってそうじゃん。どこまで“ドジで口きけないおっちょこちょい”が演技で、どこからが“海軍のスパイでコラソン”なのか……俺だって、未だにわかんないもん」
ロシナンテは歩を止めなかったが、その目線がわずかに横を向いた。
「“沈黙”ってさ、便利だよね。……嘘もほんとも、言葉にしなけりゃ存在しない。だから、あいまいなままいられる」
nameの声は、どこまでも軽やかだった。けれどその響きの中にあったのは、奇妙な“諦め”にも似た透けるような温度だった。
「ねぇロシー、俺たちって似てるよね。嘘ばっかり吐いてさ、本音だけ隠すの上手い」
「……俺は、別に……」
「そういうとこも、似てるって話」
またくすりと笑って、nameは肩を揺らす。そのままロシナンテの前に回り込み、歩く道を遮るように立ちはだかる。
「でもね、ロシーが黙って見てくれてるから……俺はたぶん、いままでよりちょっとだけ、嘘が上手になったんだと思うよ」
「……それ、褒めてんのか?」
「んー……?どうだろ、どう受け取るかはロシー次第ってことで」
nameは片目を閉じて、ひらりと手を振ってみせる。その仕草の裏にある本音を、誰も探ろうとはしない。
――ロシナンテ以外には。
けれど、今夜の彼はただ静かにその仕草を見届け、もう何も言わなかった。そしてまた、ふたりは並んで歩き出す。静けさが、再びふたりを包む。言葉の代わりに、呼吸と足音だけが、微かに重なっていた。
夜もすっかり深まり、ドン・キホーテファミリーのアジトには薄暗い照明と、遠くの階下でくぐもった声が混ざり合っていた。昼の喧騒と違い、今はすでに多くの構成員たちが自室に引き上げ、残っているのは警戒と警備、それから一部の幹部たちだけ。
その静けさの中を、ふたりの足音がゆっくりと響いていく。
ロシナンテとname。仕事を終えて戻ってきたばかりのふたりは、並んで廊下を進んでいた。その姿からは、先ほどまでの張りつめた交渉の余韻はすでに抜けている。
けれど――その代わりに、疲労と、甘い緩みが滲んでいた。nameは長い欠伸を噛み殺しながら、ダボついたシャツの袖口を無造作に引きずっていた。脚取りはどこかふらついていて、ロシナンテの肩にときどき小さく寄りかかってくる。
「ん~~……ロシー、ねえ……もう、報告とかいらなくない……?」
ロシナンテは何も言わず、歩き続ける。けれどnameはなおもめげずに、今度は両手で袖口を引っ張って、より一層ぐずった声で言った。
「ロシーだけで行ってきてよ……俺、寝て待ってるから……枕あればすぐ寝る……」
しかしその言葉が終わらないうちに、ごつん、と小さな音が響いた。
ロシナンテの大きな手が、何の迷いもなくnameの額をこづく。控えめながらも的確な一撃だった。
「っ……いっ……ロシィ……!」
nameが眉をひそめて頭を押さえると、すかさずロシナンテは胸元から手帳を取り出し、さらさらとペンを走らせた。
【報告までが仕事。お前の役割はまだ終わってない。】
「……正論……ぐうの音も出ないやつ……」
ぶつぶつと文句を漏らしながらも、nameはその場に崩れずにちゃんと歩き続ける。それだけで、ロシナンテは十分に理解していた。
――この男は、文句を言いつつも、やることはやる。
「……でもさ、ご褒美……ご褒美あるんでしょ、俺……」
nameが不意にぽそりと呟く。それは、夢と現実の狭間をふらふらと歩くような声だった。
「なにがいいかなぁ……ドフィ、けっこーなんでもくれそうな顔してたよね……。高い酒?金?それとも……えっちなやつ……ふふ……」
上気した頬を指でなぞりながら、ふらふらと空気に言葉を溶かすようなその姿に、ロシナンテはもう何も言わなかった。
手帳を閉じ、ただ、隣を歩くnameの背がふわふわと揺れているのを見守る。彼は、いまだ“何を欲しいのか”決めきれていなかった。いつも通り、適当で、投げやりで、けれど――そんな“曖昧さ”にこそ、本音が滲んでいた。ご褒美が何かではなく、“ご褒美をくれる相手”が誰か――それが大事なのだと、ロシナンテはわかっていた。
静かな廊下の先、ドフラミンゴが待つ部屋の扉が見えてくる。その先に踏み込む前に、ロシナンテはふと、歩みを緩めた。その横でnameもまた、一瞬だけ立ち止まる。
「……ねぇ、ロシー。もしさ、ドフィが“なんでもやる”って言ったら……」
「……」
「……なんて言えばいいと思う?」
ロシナンテは少し考え、そして手帳を開いて一言だけ記した。
【ちゃんと、自分で選べ。欲しいもんくらい。】
nameはその言葉を読んで、ぱちぱちと瞬きを数度。そして小さく笑い、コートの裾を握り直した。
「……ロシーって、やさしさの出し方、意地悪いよね」
そう呟いて、ふたりは再び歩き出した。静けさのなかに、ごく微かに笑い声が残る。やがてそれも消え、足音だけが、夜のアジトに静かに響いていた。
ドフラミンゴの執務室は、夜でも照明が落とされることなく、淡い灯りに包まれていた。
壁際の大きな窓には夜の街灯りがうっすらと映り込み、部屋に漂う空気に、どこか官能的な濃さを与えている。その中心に腰かけていたのは、変わらぬ姿の男――ドン・キホーテ・ドフラミンゴ。
nameとロシナンテが扉を開けると、彼は脚を組み、指に挟んだグラスを傾けながら視線だけで迎える。音もなく入ってきたふたりを眺めるその眼差しは、どこか探るようでもあり、愉しげでもあった。nameは先に進み、ゆるく笑みを浮かべたままぺこりと軽く頭を下げる。
「ただいま戻りました。例の取引先、つつがなく。ロシーのおかげでね」
後ろで立つロシナンテは筆談用のノートをすでに開き、手早くページをめくってから、さらりと報告事項を綴っていく。
【問題なし。契約書の写しは回収済み。数日中に資材が届く予定。信用度は及第。】
ドフラミンゴはそれをちらと確認すると、ふ、と薄く唇を緩めた。
「……ああ、上出来だ。で――」
彼の視線が、すぐさまnameに向かう。その口元には笑みがあるが、瞳の奥では一瞬、別の色がきらりと光った。
「……お前の“ご褒美”とやらは、決まったのか?」
言外に含まれるニュアンス――それに、nameもロシナンテも慣れ切っている。それでもnameは臆することなく、どこか挑発的な口調で応じた。
「うん、今考えてたとこ。なんでもいいんだよね?ドフィがくれるって言ったし」
「なんでも、だ」
ドフラミンゴはグラスを揺らしながら、にやりと口角を上げる。横目でロシナンテが呆れ顔を見せるのも視界の端に映ったが、nameは意に介さない。くすくすと笑ってから、ゆっくりと口を開いた。
「じゃあ……ロシー」
その瞬間、部屋の空気がほんの少しだけ、軋んだ。揺れたグラスの中で、氷がかちゃりと音を立てる。ロシナンテのペンが一瞬止まり、ドフラミンゴの視線がやや細くなる。
わかっている。この空気の変化は、ほんの一瞬。
けれど、そこにははっきりとした“圧”が宿る。nameはその刹那、言葉を滑らかに繋ぎ直した。
「……と、同じコートが欲しいなぁ。ロシーとドフィの。あのふわふわの。色違いの、白いやつ」
空気が、緩む。
ロシナンテは安堵と呆れの混ざったような息をひとつだけ吐き、ペンを再び動かし始める。ドフラミンゴもまた、笑みを深めた。
「ほう。白だと……?随分と目立つ趣味だな」
「目立ってもいいじゃん。だってロシーとドフィとお揃いでしょ?ふわふわで、あったかそうで、抱きしめてもらえるくらい……」
声のトーンが、すこしだけ甘くなる。自分でもわかっているのだ。ふざけているようで、寂しさを誤魔化していること。あの交渉の夜、媚びて、笑って、揺さぶられて。言葉では取り繕えても、芯の体力を削られていたことを。
ドフラミンゴはグラスをテーブルに置き、立ち上がった。長身の影がゆっくりと近づいてくる。
ロシナンテはそれを止めようとしない。ただ、目だけが注意深く動いていた。
「……いいだろう。手配させる。お前に似合うものを、な」
その声は低く、どこか艶めいていた。まるで、言葉そのものが上等な絹のように耳を撫でる。
「白の、ふわふわ。ロシーとお揃い。……お前に着せたら、どうなるか――想像はついてる」
くすり、とnameは笑った。一歩だけ引いて、膝を揃え、上目遣いに見上げる。
「……じゃあ楽しみにしてる。ね、ドフィ?」
ドフラミンゴの笑みは深まったが、それ以上は言わず。ロシナンテの方へ目を向けると、わずかに顎をしゃくって“下がっていい”という合図を送る。
ロシナンテは一礼し、nameの肩を軽く叩いてから、部屋を出た。そのまま後に続こうとするnameに、ドフラミンゴの声がひとつだけ追いかける。
「コートが届く前に……少し、寒さに慣れとけよ。白は、汚れが目立つ」
その言葉の意味を、nameは受け取るように振り返らなかった。けれど、背中がふるりと震えたのは、気温のせいではなかった。
まるで、欲しかったものに触れたあとで、自分の手の熱を見失ったような――
そんな不思議な感覚が、じわじわと胸の奥を湿らせていた。部屋の扉が、静かに閉じられた。
ナギナギの力が満ちるその瞬間、世界から音がふっと消える。喧噪も、風のうなりも、遠くの笑い声も、すべて。まるで海の底に沈んだような、密やかで濃密な沈黙。
ロシナンテの私室は簡素ながら整えられており、灯りもどこか温かい色合いを帯びている。
深く腰を沈められる大きめのソファ、壁際の本棚、コート掛け。
あの特徴的なコートも、隅に丁寧にかけられていた。
nameは、その前で立ち止まり、ぽつりと呟く。
「……あれの、白いのが欲しいって言ったら、ドフラミンゴ、くれるって」
壁に背を預けていたロシナンテが、片眉を上げる。
「肝、冷えたけどな。名前が出たときは」
低くて、しっとりした声。nameは、振り返らずに笑った。
「うん、ちょっと、ピリッとしてたよね……でも、続けたし。ちゃんと。お揃いが欲しいだけってことに、できたし」
ソファの縁にゆっくりと腰を下ろす。膝を抱えて、そこに頬を乗せるようにうずめる。
「……眠いな、なんか。さっきの緊張、抜けたのかな」
ロシナンテは黙って近づき、座ったnameの前に屈む。無言のまま、少しはだけかけていた前髪を指先で梳いてやると、nameはくすぐったそうに目を細めた。
「でも……ほんとはロシーのが欲しかったよ、なんて」
くすくすと、わざと悪びれた風に笑ってみせる。
「ねぇ、ロシーはくれないの?ご褒美……えっちなやつ、とか」
挑発的な声音で口にするその言葉も、瞳の奥は濁っていない。ふざけている。けれど、本気で求めているわけではない。
どちらでもあり、どちらでもない。ただ、何かで埋めておかないと――その隙間から、冷たいものが流れ込んでしまうから。
ロシナンテは、ふっと短く息を吐いた。怒りも、呆れも、咎める意志もない。その代わりに、手を伸ばして、nameの頬にそっと触れる。
「……」
なにも言わない。それが、かえって重かった。nameはその指に頬を預け、目を閉じる。長いまつげの影が頬に落ちると、静寂の中、吐く息だけがやけに濃く感じられた。
「……わかってるよ、ロシーが言わないの。そういうの、全部。でも、見捨てないでくれてるのも、わかってる」
声は低く、掠れていた。笑っているようで、震えているようで、眠ってしまいそうでもあった。
「……あの人のそばにいれば、誰も触れない。けど、それって……すごく、さびしいね」
ぽつりとこぼれたその言葉に、ロシナンテの眉がかすかに寄る。
だが、言葉にはしない。ただ、指をそっと滑らせ、nameの髪を撫でてやる。その優しさだけが、nameにとって、答えだった。目を閉じたまま、nameはその指の動きを追うように頭を傾ける。撫でる手が、まだここにあること。そのぬくもりが、失われていないこと。
「……ふふ、じゃあ、コートじゃなくて……今夜は、その手を……ちょっとだけ、もらっとこうかな」
囁くような声。本気とも、冗談ともつかない。
けれど、そこにあるのは、“求める”のではなく、“確かめる”ための甘えだった。
ロシナンテは返事をせず、ただ隣に腰を下ろす。背もたれにもたれ、nameの肩を引き寄せる。
そのまま、ゆっくりと時間が流れる。静寂の中で、ふたりの吐息だけが、微かに重なっていた。