15 y ago
name
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重々しい扉が軋む音を立てて開かれる。広間に繋がる回廊には夕方の光が射し込み、橙色の残光が長い影を床に伸ばしていた。報告を終えたばかりのロシナンテは、淡く疲労を滲ませた眼差しを向けながら、黙ってその広間の奥へと足を踏み入れる。いつもなら静まり返った空間。
けれど今日は、どこか騒がしいざわめきが混じっていた。
「……んふふふ……おほほ……これはもう……あなた、本当に大丈夫なのぉ?」
「ちっ……く、そ……次は絶対勝つから……っ」
「フォッフォッフォ、若造、これも経験じゃ……!がんばれのG〜!」
聞こえてきたのは、ジョーラの鼻にかかった笑い声、ラオGの咳混じりの咆哮、そして、ひときわ情けないトーンの――
「……っ、は……!?まっ……また!?嘘でしょ、俺のチップ……あっ……!」
そして、視線の先に広がった光景は――
パンツ一丁で座卓に突っ伏している、nameの姿だった。上半身裸、髪は軽く乱れ、手元には崩れたチップの山。横たえた腕の先には、今にも泣き出しそうな顔があった。
向かい合っているのは、ラオGとジョーラ。それぞれ、やたらと勝ち誇った顔で手札を伏せ、既に次のゲームの準備に入っている。カードは古びていたが丁寧に使い込まれており、間に挟まれた酒瓶と数枚の空のグラスが、長丁場を物語っていた。
nameはというと、ほとんど素寒貧の状態で、床に敷かれたクッションに片脚を投げ出し、みっともなく項垂れていた。
そして、ようやくロシナンテの姿に気づくと――
「……っ、ロシーッ!!助けてぇ〜〜〜っ!」
半泣きの声で、まるで溺れた子どもが救いを求めるように手を伸ばしてくる。ロシナンテはしばし黙ってその情けない姿を見下ろし、深い、実に深いため息をついた。
肩を落とすでもなく、声を出すでもなく。代わりに懐から取り出したメモ帳に、さらさらとペンを走らせる。
【どうしてこうなった?】
無言で掲げられたその一文に、nameは顔をしかめる。
「だ、だってさ……ジョーラがさ、“少し遊びましょ〜”って言うからさ……んで、ラオGも混ざってきて……でも最初は俺のが勝ってたんだって!本当だって!」
目を逸らしつつの言い訳は、明らかに苦しい。ロシナンテはまた、ひとつページをめくる。
【どうして上半身裸なのか、詳しく】
「……それは……あの……チップが、尽きて……“じゃあそのシャツ賭ける?”って……」
「おほほ、若いって素敵よねぇ〜〜〜♡」
「“青春”は全裸にこそ映える!」
「黙っててよっ!」
自らの膝に突っ伏したまま、nameは頭を抱える。赤くなった耳は隠せず、羞恥に焼かれたその背中が小刻みに震えていた。ロシナンテは静かに息を吐き、またペンを走らせる。
【後で風邪引いたとか言っても看病しないからな】
「うぐっ……っ……!ロシー冷たい……!」
涙目になりながらも、どこか甘えるような響きを帯びた声。ロシナンテはそれには応えず、ただそっとメモを一枚破ってnameの額に貼りつける。白い紙には、こう書かれていた。
【バカ】
しばらくそのまま、広間には情けない呻きと、年配二人の愉しげな笑いが満ちていた。橙色の夕陽がゆっくりと傾くなか、ロシナンテはやれやれと肩をすくめ、nameのシャツを床から拾い上げて静かに渡す。服を受け取りながら、nameはぽつりと小さく呟く。
「……次は……絶対勝つ……っ」
その負けず嫌いな決意に、ロシナンテは何も書かず、静かに眉を上げた。まるで「まだやるのか」と言いたげな、その視線だけで、十分すぎる会話だった。ラオGの高笑いが、重々しい広間に木霊していた。
「フォッフォッフォ!すべて失った男の背中よ……見る者に人生の儚さを教えるのぅ……!」
「おほほほほ……素敵よぉ、nameちゃん。そんなに綺麗に巻き上げられる人、久しぶりに見たわぁ♡」
ジョーラはすでに酒のグラスを傾けながら、上機嫌にカードをシャッフルしている。その視線の先で、うなだれていたのは――
「……っ、し……知ってたし、途中からもう勝てないの分かってたし……あれは流れが悪かっただけで……」
ぐずぐずと愚痴をこぼしながら、パンツすらも脱がされ、座卓の脇で丸くなっていたnameだった。手で下半身を隠し、顔は真っ赤。肌にはうっすらと鳥肌が立ち、言い訳を並べる声も震えている。その隣で、長身の男――ロシナンテは、無言でずっとその光景を見守っていた。
最初こそ呆れ顔だったが、終盤には完全に“またか”という諦めが滲み、今は眉間に深い皺を寄せたまま、懐からメモ帳を取り出していた。
【もう一回勝負して巻き返すって言ってたやつ、誰だったっけ】
「う、うるさいっ……!ロシーは見てただけじゃんっ、助けてくれてもよかったんだよ……!」
【俺のコート貸してる時点で十分助けてる】
そう書かれた紙をひらりと掲げられ、nameは呻くように顔を伏せた。ロシナンテの長いコートは、今やnameの全裸をどうにか包み込む最後の砦となっていた。ボタンすら止められていないため、少し動けば肩から滑り落ちそうで、気が気じゃない。
「……くそ、年寄り二人に完全にカモられた……こんなん、絶対グルだろ……詐欺だ……訴える……」
ブツブツと呟きながら、nameはコートの裾を必死に引き寄せて立ち上がる。視線を合わせるのも辛いらしく、横目でロシナンテを見ながら、小さく毒を吐いた。
「……見てたくせに……っ」
ロシナンテは答えず、ただ静かにドアの方を指差す。部屋へ戻るぞ、という意思表示だった。
「……わかってるよ、帰るよ……もぉ、寒いし、コートの下、すーすーするし……最悪……」
ドアを開けて外に出れば、廊下には既に夜の気配が漂っていた。微かな風が吹き抜けるたび、ロシナンテのコートの裾がひらりと踊り、その中でnameはくしゃみをこらえるように小さく丸くなって歩いていく。
「……ロシーの部屋、遠くないよね……?頼むから途中で誰にも会いませんよーに……」
そう呟く声に、ロシナンテは懐からまたメモを取り出し、くすりと笑いながら一筆。
【これも経験じゃなかったっけ?】
「……ああもう……言ったな……!」
悔しげに睨みつけながらも、歩みを止めることはできない。裸にコート一枚の滑稽な姿。肌に残る悔しさと熱と羞恥をまといながら、nameはただ、ロシナンテの背にぴたりとついて歩く。暖かさではなく、安心を求めて。何も言わず、それでも隣にいてくれるその背中だけが、今は唯一の救いだった。
そして、静かに閉じられたロシナンテの部屋の扉の向こう――nameはやっと、張り詰めた息を吐いた。
「……次は勝つもん……絶対、ぜったい……!」
呟きは震え、コートの隙間から覗いた肌はまだ微かに赤かった。
部屋の扉が静かに閉まると、外の冷たい空気はすっかり遮断された。けれど――nameの肌はまだ、あちこちがひやりとしたままだった。ロシナンテの長いコートだけが頼りの格好で、身を寄せるように部屋の奥へと進む。
「……ねぇ、ロシー……なんか、着るもん貸して」
くしゃみが出そうになるのを堪えながら、振り返ってnameは頼む。
ロシナンテは一瞬だけ目を細めたが、黙って頷き、無造作に畳んでいたシャツとズボンを渡してくれた。
「ありがと……っ、あー……あったかぁ……」
受け取った瞬間に、ほっとした声が漏れた。急いでロシナンテのコートを脱ぎ、肌を覆うようにシャツを羽織る。けれどそれは――
「……ぶっ、ぶかぶかすぎ……?」
袖は指先どころか手首すら見えず、裾は太腿の半分近くまで隠れる。ズボンも、ベルトなしではずり落ちてしまいそうだった。あまりのサイズ差に、nameは思わず苦笑いする。
「ロシー、これほんとに……デカすぎて、俺、ちょっと女の子みたいになってない……?」
ぽそりと呟きながら、わざとシャツの裾を摘まんで持ち上げ、下着がちらっと覗く程度に脚を組んで見せる。照れも反省も微塵もない、わかりやすい“挑発”の仕草だった。
「ねぇ……ロシー、こんな姿で誘惑されたら……その気になったり、しちゃうんじゃない?」
悪戯な笑みを浮かべながら、ソファの縁に腰をかけ、脚を軽く組み替える。
だが――ロシナンテは、一歩も動かず、ただ重いまぶたの奥で、じろりと視線だけを向けた。
「……お前なァ……さっきまで、泣きそうな顔してコートに包まってた奴が、よくそんな口きけるな……」
ぼやくような声音。けれど、その言葉の奥にあるのは呆れよりも、どこか楽しげな響きだった。静かに足を踏み出す。ソファに座るnameの前まで来て、その背の高さを活かし、覆いかぶさるように覗き込む。nameの顔がぐっと見上げる形になる。その唇のすぐ上まで、ロシナンテの顔が近づいてくる。
「……ん、な、に……」
喉が鳴った。さっきまでの余裕が、一瞬で崩れる。吐息が触れ合いそうな距離。ロシナンテの目元は変わらず静かなままで――だけど、熱を帯びた体温が、肌の上をじわりと滲ませてくる。
「……懲りないのな、お前ってやつは」
その言葉を落としたあと、ロシナンテはわざと、nameの唇すれすれで止まり、微かに口角を上げる。
触れない。けれど、触れそうで。焦れるほどの間合いで、空気ごと抱きすくめられるような圧。
「……っ、ず、る……っ……キス、しないの……?」
思わず漏れた声に、ロシナンテは答えないまま、ふっと口元だけを離した。
そして、ようやく腕を組み、少しだけ離れて立ち上がる。
「……今夜、仕事あるんだからな。……これ以上、煽るなら……“後で”覚悟しとけよ」
呆れと余裕の、低く静かな声。その言葉に、nameはぎゅっとシャツの裾を握りしめたまま、肩をすくめる。
「……ぐぅ……ロシー、そういうの、ほんと、ズルい……」
息を整えながらぼやく声は、情けないようで、けれどどこか甘く滲んでいた。ソファの背に身体を預け、しばし天井を見上げる。外はもう夜の帳が降りていて、しんとした静寂が部屋を包んでいた。
――二人きりの時間。
けれどそれも、もうすぐ終わる。任務が始まれば、また別の顔に切り替わる時間がくる。だからこそ、今だけは。
「……“後で”って言ったよな」
呟くように、nameはもう一度、ロシナンテを見上げた。いたずらな目と、拗ねた声と、熱っぽい呼吸が入り混じったまま。そして、ロシナンテは何も言わず、その視線を受け止めていた。静かな夜のなか、まだ嵐の前の温もりが、そこには確かにあった。
シャワー室から流れてくる湯気と、微かに水音の混じった鼻歌。それを背にして、ロシナンテは静かに部屋を出た。廊下には夜の気配が満ちていた。灯りの光もどこか控えめで、靴音ひとつがやけに響く。
nameの部屋まで――彼の服を取りに行くだけ。ただそれだけのこと。けれど、その“ただ”のために歩く廊下は、不思議と長く感じられた。nameの部屋は、やや奥まった棟にある。一応、個室は全員に割り振られているが、実際にそれを活用している者は少ない。nameもまた、滞在するのは主にロシナンテの部屋か、広間での仮眠程度だった。
鍵は渡されていた。本人が忘れっぽいからと、念のためにと。無言でドアを開けると、そこには――以前と変わらない、ほとんど何もない部屋が広がっていた。
壁際に置かれた簡素なラック。折りたたまれたままの布団。机の上には紙もペンもなく、装飾らしきものは皆無。まるで「一時的な宿泊者」のような、薄い居場所。ロシナンテは一歩踏み入り、部屋の空気を静かに吸った。湿気も匂いもなく、寒さだけが張り詰めていた。
ラックを開けると、数枚だけ畳まれたシャツと、ボトムスが目に入る。色味も形もバラバラで、使い込まれたものと新品のままのものが混在していた。選び慣れていない手つきで、彼はそれらの中から比較的整って見えるものを数点選び取った。
下着。シャツ。パンツ。そして――棚の奥、無造作に押し込まれていたそれを見つけたとき、ロシナンテの手は自然と止まった。
白のコート。よくnameが着ている、軽い素材のそれ。着古されて少しくたびれているが、洗濯の匂いが仄かに残っていた。袖口に小さなほつれ、左の内ポケットの裏地には破れかけた糸。彼が日常の中でまとっていた、“いつもの顔”の象徴。ロシナンテは黙ってそれを掬い上げると、腕に抱えて部屋を出た。扉を閉めるとき、部屋に残された冷たい空気が、背に流れるように抜けていく。
何もない。けれど、それがnameという男の“選び方”なのかもしれないと、ふと思った。――どこにも縛られず、どこにも寄りかからず。それでも、確かにそこにいる。誰かのそばで。
けれど今日は、どこか騒がしいざわめきが混じっていた。
「……んふふふ……おほほ……これはもう……あなた、本当に大丈夫なのぉ?」
「ちっ……く、そ……次は絶対勝つから……っ」
「フォッフォッフォ、若造、これも経験じゃ……!がんばれのG〜!」
聞こえてきたのは、ジョーラの鼻にかかった笑い声、ラオGの咳混じりの咆哮、そして、ひときわ情けないトーンの――
「……っ、は……!?まっ……また!?嘘でしょ、俺のチップ……あっ……!」
そして、視線の先に広がった光景は――
パンツ一丁で座卓に突っ伏している、nameの姿だった。上半身裸、髪は軽く乱れ、手元には崩れたチップの山。横たえた腕の先には、今にも泣き出しそうな顔があった。
向かい合っているのは、ラオGとジョーラ。それぞれ、やたらと勝ち誇った顔で手札を伏せ、既に次のゲームの準備に入っている。カードは古びていたが丁寧に使い込まれており、間に挟まれた酒瓶と数枚の空のグラスが、長丁場を物語っていた。
nameはというと、ほとんど素寒貧の状態で、床に敷かれたクッションに片脚を投げ出し、みっともなく項垂れていた。
そして、ようやくロシナンテの姿に気づくと――
「……っ、ロシーッ!!助けてぇ〜〜〜っ!」
半泣きの声で、まるで溺れた子どもが救いを求めるように手を伸ばしてくる。ロシナンテはしばし黙ってその情けない姿を見下ろし、深い、実に深いため息をついた。
肩を落とすでもなく、声を出すでもなく。代わりに懐から取り出したメモ帳に、さらさらとペンを走らせる。
【どうしてこうなった?】
無言で掲げられたその一文に、nameは顔をしかめる。
「だ、だってさ……ジョーラがさ、“少し遊びましょ〜”って言うからさ……んで、ラオGも混ざってきて……でも最初は俺のが勝ってたんだって!本当だって!」
目を逸らしつつの言い訳は、明らかに苦しい。ロシナンテはまた、ひとつページをめくる。
【どうして上半身裸なのか、詳しく】
「……それは……あの……チップが、尽きて……“じゃあそのシャツ賭ける?”って……」
「おほほ、若いって素敵よねぇ〜〜〜♡」
「“青春”は全裸にこそ映える!」
「黙っててよっ!」
自らの膝に突っ伏したまま、nameは頭を抱える。赤くなった耳は隠せず、羞恥に焼かれたその背中が小刻みに震えていた。ロシナンテは静かに息を吐き、またペンを走らせる。
【後で風邪引いたとか言っても看病しないからな】
「うぐっ……っ……!ロシー冷たい……!」
涙目になりながらも、どこか甘えるような響きを帯びた声。ロシナンテはそれには応えず、ただそっとメモを一枚破ってnameの額に貼りつける。白い紙には、こう書かれていた。
【バカ】
しばらくそのまま、広間には情けない呻きと、年配二人の愉しげな笑いが満ちていた。橙色の夕陽がゆっくりと傾くなか、ロシナンテはやれやれと肩をすくめ、nameのシャツを床から拾い上げて静かに渡す。服を受け取りながら、nameはぽつりと小さく呟く。
「……次は……絶対勝つ……っ」
その負けず嫌いな決意に、ロシナンテは何も書かず、静かに眉を上げた。まるで「まだやるのか」と言いたげな、その視線だけで、十分すぎる会話だった。ラオGの高笑いが、重々しい広間に木霊していた。
「フォッフォッフォ!すべて失った男の背中よ……見る者に人生の儚さを教えるのぅ……!」
「おほほほほ……素敵よぉ、nameちゃん。そんなに綺麗に巻き上げられる人、久しぶりに見たわぁ♡」
ジョーラはすでに酒のグラスを傾けながら、上機嫌にカードをシャッフルしている。その視線の先で、うなだれていたのは――
「……っ、し……知ってたし、途中からもう勝てないの分かってたし……あれは流れが悪かっただけで……」
ぐずぐずと愚痴をこぼしながら、パンツすらも脱がされ、座卓の脇で丸くなっていたnameだった。手で下半身を隠し、顔は真っ赤。肌にはうっすらと鳥肌が立ち、言い訳を並べる声も震えている。その隣で、長身の男――ロシナンテは、無言でずっとその光景を見守っていた。
最初こそ呆れ顔だったが、終盤には完全に“またか”という諦めが滲み、今は眉間に深い皺を寄せたまま、懐からメモ帳を取り出していた。
【もう一回勝負して巻き返すって言ってたやつ、誰だったっけ】
「う、うるさいっ……!ロシーは見てただけじゃんっ、助けてくれてもよかったんだよ……!」
【俺のコート貸してる時点で十分助けてる】
そう書かれた紙をひらりと掲げられ、nameは呻くように顔を伏せた。ロシナンテの長いコートは、今やnameの全裸をどうにか包み込む最後の砦となっていた。ボタンすら止められていないため、少し動けば肩から滑り落ちそうで、気が気じゃない。
「……くそ、年寄り二人に完全にカモられた……こんなん、絶対グルだろ……詐欺だ……訴える……」
ブツブツと呟きながら、nameはコートの裾を必死に引き寄せて立ち上がる。視線を合わせるのも辛いらしく、横目でロシナンテを見ながら、小さく毒を吐いた。
「……見てたくせに……っ」
ロシナンテは答えず、ただ静かにドアの方を指差す。部屋へ戻るぞ、という意思表示だった。
「……わかってるよ、帰るよ……もぉ、寒いし、コートの下、すーすーするし……最悪……」
ドアを開けて外に出れば、廊下には既に夜の気配が漂っていた。微かな風が吹き抜けるたび、ロシナンテのコートの裾がひらりと踊り、その中でnameはくしゃみをこらえるように小さく丸くなって歩いていく。
「……ロシーの部屋、遠くないよね……?頼むから途中で誰にも会いませんよーに……」
そう呟く声に、ロシナンテは懐からまたメモを取り出し、くすりと笑いながら一筆。
【これも経験じゃなかったっけ?】
「……ああもう……言ったな……!」
悔しげに睨みつけながらも、歩みを止めることはできない。裸にコート一枚の滑稽な姿。肌に残る悔しさと熱と羞恥をまといながら、nameはただ、ロシナンテの背にぴたりとついて歩く。暖かさではなく、安心を求めて。何も言わず、それでも隣にいてくれるその背中だけが、今は唯一の救いだった。
そして、静かに閉じられたロシナンテの部屋の扉の向こう――nameはやっと、張り詰めた息を吐いた。
「……次は勝つもん……絶対、ぜったい……!」
呟きは震え、コートの隙間から覗いた肌はまだ微かに赤かった。
部屋の扉が静かに閉まると、外の冷たい空気はすっかり遮断された。けれど――nameの肌はまだ、あちこちがひやりとしたままだった。ロシナンテの長いコートだけが頼りの格好で、身を寄せるように部屋の奥へと進む。
「……ねぇ、ロシー……なんか、着るもん貸して」
くしゃみが出そうになるのを堪えながら、振り返ってnameは頼む。
ロシナンテは一瞬だけ目を細めたが、黙って頷き、無造作に畳んでいたシャツとズボンを渡してくれた。
「ありがと……っ、あー……あったかぁ……」
受け取った瞬間に、ほっとした声が漏れた。急いでロシナンテのコートを脱ぎ、肌を覆うようにシャツを羽織る。けれどそれは――
「……ぶっ、ぶかぶかすぎ……?」
袖は指先どころか手首すら見えず、裾は太腿の半分近くまで隠れる。ズボンも、ベルトなしではずり落ちてしまいそうだった。あまりのサイズ差に、nameは思わず苦笑いする。
「ロシー、これほんとに……デカすぎて、俺、ちょっと女の子みたいになってない……?」
ぽそりと呟きながら、わざとシャツの裾を摘まんで持ち上げ、下着がちらっと覗く程度に脚を組んで見せる。照れも反省も微塵もない、わかりやすい“挑発”の仕草だった。
「ねぇ……ロシー、こんな姿で誘惑されたら……その気になったり、しちゃうんじゃない?」
悪戯な笑みを浮かべながら、ソファの縁に腰をかけ、脚を軽く組み替える。
だが――ロシナンテは、一歩も動かず、ただ重いまぶたの奥で、じろりと視線だけを向けた。
「……お前なァ……さっきまで、泣きそうな顔してコートに包まってた奴が、よくそんな口きけるな……」
ぼやくような声音。けれど、その言葉の奥にあるのは呆れよりも、どこか楽しげな響きだった。静かに足を踏み出す。ソファに座るnameの前まで来て、その背の高さを活かし、覆いかぶさるように覗き込む。nameの顔がぐっと見上げる形になる。その唇のすぐ上まで、ロシナンテの顔が近づいてくる。
「……ん、な、に……」
喉が鳴った。さっきまでの余裕が、一瞬で崩れる。吐息が触れ合いそうな距離。ロシナンテの目元は変わらず静かなままで――だけど、熱を帯びた体温が、肌の上をじわりと滲ませてくる。
「……懲りないのな、お前ってやつは」
その言葉を落としたあと、ロシナンテはわざと、nameの唇すれすれで止まり、微かに口角を上げる。
触れない。けれど、触れそうで。焦れるほどの間合いで、空気ごと抱きすくめられるような圧。
「……っ、ず、る……っ……キス、しないの……?」
思わず漏れた声に、ロシナンテは答えないまま、ふっと口元だけを離した。
そして、ようやく腕を組み、少しだけ離れて立ち上がる。
「……今夜、仕事あるんだからな。……これ以上、煽るなら……“後で”覚悟しとけよ」
呆れと余裕の、低く静かな声。その言葉に、nameはぎゅっとシャツの裾を握りしめたまま、肩をすくめる。
「……ぐぅ……ロシー、そういうの、ほんと、ズルい……」
息を整えながらぼやく声は、情けないようで、けれどどこか甘く滲んでいた。ソファの背に身体を預け、しばし天井を見上げる。外はもう夜の帳が降りていて、しんとした静寂が部屋を包んでいた。
――二人きりの時間。
けれどそれも、もうすぐ終わる。任務が始まれば、また別の顔に切り替わる時間がくる。だからこそ、今だけは。
「……“後で”って言ったよな」
呟くように、nameはもう一度、ロシナンテを見上げた。いたずらな目と、拗ねた声と、熱っぽい呼吸が入り混じったまま。そして、ロシナンテは何も言わず、その視線を受け止めていた。静かな夜のなか、まだ嵐の前の温もりが、そこには確かにあった。
シャワー室から流れてくる湯気と、微かに水音の混じった鼻歌。それを背にして、ロシナンテは静かに部屋を出た。廊下には夜の気配が満ちていた。灯りの光もどこか控えめで、靴音ひとつがやけに響く。
nameの部屋まで――彼の服を取りに行くだけ。ただそれだけのこと。けれど、その“ただ”のために歩く廊下は、不思議と長く感じられた。nameの部屋は、やや奥まった棟にある。一応、個室は全員に割り振られているが、実際にそれを活用している者は少ない。nameもまた、滞在するのは主にロシナンテの部屋か、広間での仮眠程度だった。
鍵は渡されていた。本人が忘れっぽいからと、念のためにと。無言でドアを開けると、そこには――以前と変わらない、ほとんど何もない部屋が広がっていた。
壁際に置かれた簡素なラック。折りたたまれたままの布団。机の上には紙もペンもなく、装飾らしきものは皆無。まるで「一時的な宿泊者」のような、薄い居場所。ロシナンテは一歩踏み入り、部屋の空気を静かに吸った。湿気も匂いもなく、寒さだけが張り詰めていた。
ラックを開けると、数枚だけ畳まれたシャツと、ボトムスが目に入る。色味も形もバラバラで、使い込まれたものと新品のままのものが混在していた。選び慣れていない手つきで、彼はそれらの中から比較的整って見えるものを数点選び取った。
下着。シャツ。パンツ。そして――棚の奥、無造作に押し込まれていたそれを見つけたとき、ロシナンテの手は自然と止まった。
白のコート。よくnameが着ている、軽い素材のそれ。着古されて少しくたびれているが、洗濯の匂いが仄かに残っていた。袖口に小さなほつれ、左の内ポケットの裏地には破れかけた糸。彼が日常の中でまとっていた、“いつもの顔”の象徴。ロシナンテは黙ってそれを掬い上げると、腕に抱えて部屋を出た。扉を閉めるとき、部屋に残された冷たい空気が、背に流れるように抜けていく。
何もない。けれど、それがnameという男の“選び方”なのかもしれないと、ふと思った。――どこにも縛られず、どこにも寄りかからず。それでも、確かにそこにいる。誰かのそばで。