15 y ago
name
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午前中の陽が斜めに差し込む静かな屋敷の廊下を、nameは不満げな足取りで歩いていた。艶やかなタイルを踏みしめるヒールの音が、やや強めに響いているのは、いつもの気怠げな態度にほんの少しだけ苛立ちが混じっているからだ。
「……せっかくの休みだったのに……マジでさ、ロシーも止めてくれりゃいいのに……」
ひとりごとのように呟きながら、手持ち無沙汰に髪をかきあげる。装飾のないシンプルなシャツとパンツという、彼にしては珍しくラフな服装のまま、何の用かも知らされずに“あの部屋”へと呼び出されたのだ。部屋の前に立ってもなお、nameはしばらく扉を睨んでいたが、観念したように一歩踏み出す。
「……ハーイ、来ましたよドフィさま。俺の貴重な自由時間、返してね?」
肩をすくめて扉を開けると、そこにはいつものように堂々とした姿で椅子に腰掛けているドフラミンゴがいた。陽を背に受けて、そのシルエットはどこか芝居がかった印象すらある。
「よォ、待ってたぜ。ちゃんと来たじゃねェか、休みなのによ」
「そっちが呼んだんじゃんか。……で、なに?」
近づきながら尋ねるnameに、ドフラミンゴは愉快そうに口角を上げたまま、手元の箱を指先で叩く。
「開けてみろ。約束してた“ご褒美”だ」
「ご褒美……?」
思い出すように目を細めたnameは、そっと箱に手をかけ、ふたを外す。ふわりと広がる純白の布地。内側に滑らかなサテン、外側は微かに光を含むような織地の、見たことのない美しいコートだった。薄手ながら保温性は高そうで、毛足の長いファーが飾られている。ドフラミンゴやロシナンテが好んで着ているものと似ているが、明らかに仕立てが違う――nameの体型に合わせて軽やかに作られている。
「……これ……マジで?俺の?」
指先でそっと撫でながら、nameの声にほんの少し驚きがにじんだ。目を見開いたまま、ためらうようにしてからそっと腕を通す。驚くほどぴったりだった。肩のラインも、袖の長さも、まるで何度も試着したかのように馴染んでいる。
「わあ……ふわふわ……これ……めっちゃいいやつ……」
思わず頬が緩んだのが自分でもわかって、nameは口元を手で隠した。ふだんは何を渡されても素直に喜びなど見せない彼が、今だけは、素で嬉しそうな顔を浮かべていた。
「……ドフィ、これ、……すご……ありがとう、ほんとに……」
珍しく素直に礼を言うnameに、ドフラミンゴは満足げに鼻を鳴らす。
「前に“欲しい”っつってたろ?お前はすっかり忘れてんじゃねェかと思ってたが、俺が忘れるわけねェだろ?」
「うわ、やだ……そういうとこ、ズルい……」
視線を伏せて、nameはファーの襟に頬を寄せた。柔らかい感触が肌に触れるたび、胸の奥にじんわりと温かい何かが広がっていく。感情に名前をつけるのは苦手だ。でも今、自分の心がほんの少し溶けたのは、たしかなことだった。
陽光を浴びて、白いコートがわずかに光を返す。nameはそっと両袖を握りしめ、小さく、くすぐったそうに笑った。白いコートの襟に頬を埋めるようにしていたnameが、ふと顔を上げた。目元には、普段見せることのないやわらかい色が差していた。やや伏せがちにドフラミンゴを見上げ、指先で裾をつまんで軽く揺らす。
「……どう?似合う?」
その問いかけは、どこかいつもより素直だった。普段なら軽口や皮肉にまぎらせて誤魔化すような言い方をするはずが、今日ばかりは、ほんの少しだけ期待を含んだ声色だった。
ドフラミンゴは椅子にふんぞり返ったまま、顎に手を当て、じっとnameの全身を眺める。ゆるく広がる白の輪郭。細身の身体を包む純白は、まるで雪のなかに埋もれる小動物のように繊細で、どこか儚げですらある。
「……羊みてェだな」
一拍置いたあとに落ちたその言葉に、nameは絶妙な間で目を細める。
「……それ、褒めてんの?」
「フッフッフ…どっちだと思う?」
「……っ、もー、ほんとそういうとこ、むかつくー……」
ぷいっと横を向きながらも、コートの裾を指先でいじる仕草はどこか楽しげで、嫌がっているというよりは照れ隠しのようだった。
「でも、……これ、なんか……汚したくないな。めっちゃ白いし……」
ぽつりとこぼれたそのひと言は、まるで独り言のように静かだった。けれど、ドフラミンゴはその一言を逃さなかった。
「へェ……お前がそんな殊勝なこと言うなんてなァ?」
にやりと笑って、足を組みかえながらnameを見下ろす。コートを抱くように袖をたぐり寄せたnameは、ちらりとドフラミンゴを睨みつけるような目を向けたが、それ以上言葉を返すことはしなかった。
室内に差し込む光が、nameの髪の隙間を白く縁取っていた。肩から落ちるコートの柔らかな影が、床に小さな輪郭を描いている。
白――それは、彼がかつて好んで纏った色ではなかった。どこか手入れが面倒で、汚れやすくて、慎重を求められる色。けれど今、彼はその色をまとい、ふわふわだと頬を寄せている。
その姿が、妙に新鮮で、そして――面白い。
「いいなァ、その顔」
「……は?」
「“汚すまい”なんて顔、見たの初めてじゃねぇか」
からかうような声色に、nameはむーっと頬を膨らませてみせた。けれどそのまま、ふいに視線を下げると、もう一度だけ、コートの端をそっと撫でた。
それはまるで、自分でも気づかないまま、何かを大切にしたくなったような――そんな無防備な仕草だった。
「ッ……フッフッフ、やっぱり羊だなァ。くるくる巻いた角でもつけてやろうか?」
ドフラミンゴの手が、nameの背中に沿って白いファーを撫でた。擽ったげに肩をすぼめるnameは、笑いながら軽く払いのけようとする。けれどその動作はどこか甘やかで、押し返す力は弱い。
コートの下、薄い服越しに触れる指先が肌の熱を拾い、それに応えるようにnameの体温も微かに上がっていく。
「や、っ……ちょ、せっかく綺麗なコートなのに……」
「汚したくねェんだろ?だから面白ェんじゃねェか」
囁くような声音と、首筋にかかる吐息。緩く屈んだドフラミンゴの唇が、耳元を掠めたその瞬間――。
コン、コン
乾いたノック音が、部屋の空気を一変させた。動きを止めたドフラミンゴが、面倒そうに片眉を上げたまま声を投げる。
「……入れ」
その言葉と同時に扉が開き、入ってきたのは――ロシナンテだった。
彼は一瞬、部屋の光景に足を止める。コートの襟を押さえてドフラミンゴに背中を向ける形で半ば抱かれるようにしていたname。頬にわずかに熱を残したまま振り返った彼と目が合う。
ロシナンテは何も言わず、ため息のような鼻息をもらした。
またか、とでも言いたげな顔で、手にしたメモにペンを走らせる。それを見たnameは一瞬きょとんとしたが、すぐにぱっと表情を明るくしてロシナンテへ駆け寄った。
「ロシー!見て見てこれ、例のやつ!ほら、白いやつ!」
くるりとその場で一回転して、ふわりと広がる白い裾を見せる。柔らかな素材が揺れ、体にそったシルエットを際立たせる。肩口のファーが光を受けてきらきらと輝き、nameの髪色と重なって一層華やかに映った。ロシナンテはしばしその姿を見つめたのち、すうっと息を吐いてからメモを掲げる。
【似合ってる。けど、ドフィの部屋で脱ぐなよ】
それを見たドフラミンゴが、声を上げて笑う。
「フッフッフ、脱がせようとしてたわけじゃねェよ。なあ?お前が勝手に“汚したくない”なんて言うからよ」
「……ちがっ……っ、あー、もー、ロシー、なんか言ってやって!」
nameがじたばたと抗議の声を上げるも、ロシナンテはふっと肩をすくめて、それきり何も言わなかった。ただ一歩近づき、コートの裾に軽く指を添えて、しわを伸ばすような仕草をする。そしてそのまま、もう一度メモを差し出した。
【大事にするのはいい。ついでに、それを着てるときくらいは、もっと自分を大事にしろ】
静かな文字だった。だが、それはnameの胸にじんわりと染み込んでいくような言葉だった。
「……ん」
珍しく素直に、nameは頷いた。
ドフラミンゴはそれを見て、面白くなさそうに肩を揺らしながら、窓辺に寄って煙草に火をつけた。吐き出された煙が、白い陽光に揺らいで消えていった。部屋には、三者三様の気配が静かに混じり合っていた。けれど、その中心には確かに、白いコートを纏ったnameの姿があった。まるで彼自身が、これから少しずつ変わっていく、その兆しのように。
廊下には、ほんの少し冷たい風が流れていた。高い天井と重厚な壁に囲まれたその空間は、歩く足音すら吸い込むように静かで、まるで心の声が聞こえてしまいそうなほどだった。
ロシナンテの歩幅に合わせて並んで歩くnameは、ふわりと揺れる白い裾を視界の端に感じながら、どこか気恥ずかしげに肩をすくめる。
ロシナンテは横目でちらりとnameを見た。その目線だけで何を問いたいのかは、nameにはわかっていた。少し間を置いてから、ロシナンテはようやくペンを走らせる。
【なんで、白にしたんだ?】
問いかけは、淡々としていた。詮索ではない。ただの好奇心。けれどそれがかえって、心の内をじわりと浮き上がらせるようだった。nameはふっと笑って、視線を前に戻す。軽く足を跳ねさせてコートの裾をなびかせながら、明るい声で返す。
「……可愛いでしょ、俺。羊みたいって言われたし。似合ってたって、ロシーも言ってくれたし」
笑顔はどこまでも軽く、無邪気に見せかけている。けれどその実、声の奥に微かな緊張があった。冗談めいた口調で、誤魔化すように。ロシナンテはしばし黙ったまま、隣を歩き続けた。彼はその笑顔の下に隠されたものに、気づいているのかもしれない。それでもあえて、問い詰めるようなことはしなかった。
廊下を渡る風が、白い裾を揺らす。nameの内心には、言葉にできない“諦めのつかなさ”が、まだ燻っていた。なにかを失ってもなお、綺麗でいたいと思ってしまう自分がいる。汚されて、踏みにじられて、それでも“美しく在りたい”という欲。それはただの虚栄じゃない。けれど、その理由を口にしてしまえば、たぶん脆くなってしまう。壊れてしまう気がして。
「……白って、汚れ目立つんだよね」
ふと、独り言のように漏らしたその言葉は、どこか遠くの誰かに語りかけるようだった。ロシナンテはそれには何も言わず、ただ隣を歩き続ける。nameがその沈黙に甘えていいときと、そうでないときの違いを、彼は正確にわかっている。
やがて、彼らはロシナンテの部屋の前にたどり着いた。
ノブに手をかけたロシナンテが振り返る。その目に浮かぶのは、無言の優しさと、少しの確認。大丈夫か、とも。入るのか、とも。すべてを一度に含んだ視線。nameは、そのまま一歩、白いコートの裾を揺らして、ロシナンテの部屋へと足を踏み入れた。
言葉はない。けれど、今はそれでよかった。ほんの少しでも、何も言わずに隣にいられる時間が――nameにとっての、救いだった。
ゆるやかに風が通り抜ける、高層階のバルコニー。
陽の光は既に西へ傾き、斜めから差し込むオレンジの光が、テーブルの上に置かれたグラスを透かして、長く伸びた影をつくっていた。その静けさの中、煙草の香りだけが微かに漂う。ドフラミンゴは椅子にもたれ、長い足を組んだまま空を仰いでいた。陽射しを受けて揺れる金の髪、その横で、ロシナンテが沈黙のままメモをめくっていた。やがて、ペンがさらりと走る。
【最近、nameの“手際”が異常に良すぎる気がする】
それを見たドフラミンゴは、口角をわずかに上げた。笑っている、というよりも、興味深いという顔。
「“白い悪魔”だとさ。下の連中が勝手に言ってる。」
言いながら、グラスに残った琥珀の液体をひと口含む。ロシナンテはさらに追記を重ねた。
【あのコート、汚さないように、無駄のない動きになった】
――ただの気遣いが、無意識に“最適化”に繋がってる。ドフラミンゴは煙草に火を点け、煙をくゆらせながら肩を竦める。
「……もともと器用だしなァ。ああ見えて、根が真面目なんだよ、あいつも」
それが“俺のため”に磨かれてると思うと、悪くない、と彼は続ける。ロシナンテの目がわずかに細められる。グラスの底を見つめながら、さらに数行、ペンが走った。
【その“真面目”さが、もう少し自分自身のためになればいいのに】
それを読んだドフラミンゴは、無言で笑った。乾いた、けれどどこか優越の滲んだ笑み。何かを知っていて、なお放っている者の顔。
「自分のために生きてる奴なんざ、そういねェよ。誰だって、誰かの顔を思い浮かべてんだろ。……それが、たとえ“幻”でもな。」
ロシナンテの手が止まった。白い紙に置かれたままのペン先が、ひときわ重たく、沈黙の意味を語る。
「……それに、アイツは綺麗でいたいんだろ。自分じゃ言わねェけどな。」
指先で煙草を弾くと、灰が静かに落ちた。太陽がゆっくりと沈み、影は濃く、冷たく伸びていく。ロシナンテはメモの端に、短くひとことだけ記した。
【それは、どこまで“自分の意志”なんだろうな】
風がそのページを揺らす。けれどドフラミンゴは答えず、ただ薄く笑みを浮かべたまま、静かにまた煙を吐き出した。その紫煙の向こう、遠くで誰かが歩いていく気配がした。白い裾が、柔らかく風に舞った。それは、誰のための“白”だったのか――答えは、まだ霧の中だった。
「……せっかくの休みだったのに……マジでさ、ロシーも止めてくれりゃいいのに……」
ひとりごとのように呟きながら、手持ち無沙汰に髪をかきあげる。装飾のないシンプルなシャツとパンツという、彼にしては珍しくラフな服装のまま、何の用かも知らされずに“あの部屋”へと呼び出されたのだ。部屋の前に立ってもなお、nameはしばらく扉を睨んでいたが、観念したように一歩踏み出す。
「……ハーイ、来ましたよドフィさま。俺の貴重な自由時間、返してね?」
肩をすくめて扉を開けると、そこにはいつものように堂々とした姿で椅子に腰掛けているドフラミンゴがいた。陽を背に受けて、そのシルエットはどこか芝居がかった印象すらある。
「よォ、待ってたぜ。ちゃんと来たじゃねェか、休みなのによ」
「そっちが呼んだんじゃんか。……で、なに?」
近づきながら尋ねるnameに、ドフラミンゴは愉快そうに口角を上げたまま、手元の箱を指先で叩く。
「開けてみろ。約束してた“ご褒美”だ」
「ご褒美……?」
思い出すように目を細めたnameは、そっと箱に手をかけ、ふたを外す。ふわりと広がる純白の布地。内側に滑らかなサテン、外側は微かに光を含むような織地の、見たことのない美しいコートだった。薄手ながら保温性は高そうで、毛足の長いファーが飾られている。ドフラミンゴやロシナンテが好んで着ているものと似ているが、明らかに仕立てが違う――nameの体型に合わせて軽やかに作られている。
「……これ……マジで?俺の?」
指先でそっと撫でながら、nameの声にほんの少し驚きがにじんだ。目を見開いたまま、ためらうようにしてからそっと腕を通す。驚くほどぴったりだった。肩のラインも、袖の長さも、まるで何度も試着したかのように馴染んでいる。
「わあ……ふわふわ……これ……めっちゃいいやつ……」
思わず頬が緩んだのが自分でもわかって、nameは口元を手で隠した。ふだんは何を渡されても素直に喜びなど見せない彼が、今だけは、素で嬉しそうな顔を浮かべていた。
「……ドフィ、これ、……すご……ありがとう、ほんとに……」
珍しく素直に礼を言うnameに、ドフラミンゴは満足げに鼻を鳴らす。
「前に“欲しい”っつってたろ?お前はすっかり忘れてんじゃねェかと思ってたが、俺が忘れるわけねェだろ?」
「うわ、やだ……そういうとこ、ズルい……」
視線を伏せて、nameはファーの襟に頬を寄せた。柔らかい感触が肌に触れるたび、胸の奥にじんわりと温かい何かが広がっていく。感情に名前をつけるのは苦手だ。でも今、自分の心がほんの少し溶けたのは、たしかなことだった。
陽光を浴びて、白いコートがわずかに光を返す。nameはそっと両袖を握りしめ、小さく、くすぐったそうに笑った。白いコートの襟に頬を埋めるようにしていたnameが、ふと顔を上げた。目元には、普段見せることのないやわらかい色が差していた。やや伏せがちにドフラミンゴを見上げ、指先で裾をつまんで軽く揺らす。
「……どう?似合う?」
その問いかけは、どこかいつもより素直だった。普段なら軽口や皮肉にまぎらせて誤魔化すような言い方をするはずが、今日ばかりは、ほんの少しだけ期待を含んだ声色だった。
ドフラミンゴは椅子にふんぞり返ったまま、顎に手を当て、じっとnameの全身を眺める。ゆるく広がる白の輪郭。細身の身体を包む純白は、まるで雪のなかに埋もれる小動物のように繊細で、どこか儚げですらある。
「……羊みてェだな」
一拍置いたあとに落ちたその言葉に、nameは絶妙な間で目を細める。
「……それ、褒めてんの?」
「フッフッフ…どっちだと思う?」
「……っ、もー、ほんとそういうとこ、むかつくー……」
ぷいっと横を向きながらも、コートの裾を指先でいじる仕草はどこか楽しげで、嫌がっているというよりは照れ隠しのようだった。
「でも、……これ、なんか……汚したくないな。めっちゃ白いし……」
ぽつりとこぼれたそのひと言は、まるで独り言のように静かだった。けれど、ドフラミンゴはその一言を逃さなかった。
「へェ……お前がそんな殊勝なこと言うなんてなァ?」
にやりと笑って、足を組みかえながらnameを見下ろす。コートを抱くように袖をたぐり寄せたnameは、ちらりとドフラミンゴを睨みつけるような目を向けたが、それ以上言葉を返すことはしなかった。
室内に差し込む光が、nameの髪の隙間を白く縁取っていた。肩から落ちるコートの柔らかな影が、床に小さな輪郭を描いている。
白――それは、彼がかつて好んで纏った色ではなかった。どこか手入れが面倒で、汚れやすくて、慎重を求められる色。けれど今、彼はその色をまとい、ふわふわだと頬を寄せている。
その姿が、妙に新鮮で、そして――面白い。
「いいなァ、その顔」
「……は?」
「“汚すまい”なんて顔、見たの初めてじゃねぇか」
からかうような声色に、nameはむーっと頬を膨らませてみせた。けれどそのまま、ふいに視線を下げると、もう一度だけ、コートの端をそっと撫でた。
それはまるで、自分でも気づかないまま、何かを大切にしたくなったような――そんな無防備な仕草だった。
「ッ……フッフッフ、やっぱり羊だなァ。くるくる巻いた角でもつけてやろうか?」
ドフラミンゴの手が、nameの背中に沿って白いファーを撫でた。擽ったげに肩をすぼめるnameは、笑いながら軽く払いのけようとする。けれどその動作はどこか甘やかで、押し返す力は弱い。
コートの下、薄い服越しに触れる指先が肌の熱を拾い、それに応えるようにnameの体温も微かに上がっていく。
「や、っ……ちょ、せっかく綺麗なコートなのに……」
「汚したくねェんだろ?だから面白ェんじゃねェか」
囁くような声音と、首筋にかかる吐息。緩く屈んだドフラミンゴの唇が、耳元を掠めたその瞬間――。
コン、コン
乾いたノック音が、部屋の空気を一変させた。動きを止めたドフラミンゴが、面倒そうに片眉を上げたまま声を投げる。
「……入れ」
その言葉と同時に扉が開き、入ってきたのは――ロシナンテだった。
彼は一瞬、部屋の光景に足を止める。コートの襟を押さえてドフラミンゴに背中を向ける形で半ば抱かれるようにしていたname。頬にわずかに熱を残したまま振り返った彼と目が合う。
ロシナンテは何も言わず、ため息のような鼻息をもらした。
またか、とでも言いたげな顔で、手にしたメモにペンを走らせる。それを見たnameは一瞬きょとんとしたが、すぐにぱっと表情を明るくしてロシナンテへ駆け寄った。
「ロシー!見て見てこれ、例のやつ!ほら、白いやつ!」
くるりとその場で一回転して、ふわりと広がる白い裾を見せる。柔らかな素材が揺れ、体にそったシルエットを際立たせる。肩口のファーが光を受けてきらきらと輝き、nameの髪色と重なって一層華やかに映った。ロシナンテはしばしその姿を見つめたのち、すうっと息を吐いてからメモを掲げる。
【似合ってる。けど、ドフィの部屋で脱ぐなよ】
それを見たドフラミンゴが、声を上げて笑う。
「フッフッフ、脱がせようとしてたわけじゃねェよ。なあ?お前が勝手に“汚したくない”なんて言うからよ」
「……ちがっ……っ、あー、もー、ロシー、なんか言ってやって!」
nameがじたばたと抗議の声を上げるも、ロシナンテはふっと肩をすくめて、それきり何も言わなかった。ただ一歩近づき、コートの裾に軽く指を添えて、しわを伸ばすような仕草をする。そしてそのまま、もう一度メモを差し出した。
【大事にするのはいい。ついでに、それを着てるときくらいは、もっと自分を大事にしろ】
静かな文字だった。だが、それはnameの胸にじんわりと染み込んでいくような言葉だった。
「……ん」
珍しく素直に、nameは頷いた。
ドフラミンゴはそれを見て、面白くなさそうに肩を揺らしながら、窓辺に寄って煙草に火をつけた。吐き出された煙が、白い陽光に揺らいで消えていった。部屋には、三者三様の気配が静かに混じり合っていた。けれど、その中心には確かに、白いコートを纏ったnameの姿があった。まるで彼自身が、これから少しずつ変わっていく、その兆しのように。
廊下には、ほんの少し冷たい風が流れていた。高い天井と重厚な壁に囲まれたその空間は、歩く足音すら吸い込むように静かで、まるで心の声が聞こえてしまいそうなほどだった。
ロシナンテの歩幅に合わせて並んで歩くnameは、ふわりと揺れる白い裾を視界の端に感じながら、どこか気恥ずかしげに肩をすくめる。
ロシナンテは横目でちらりとnameを見た。その目線だけで何を問いたいのかは、nameにはわかっていた。少し間を置いてから、ロシナンテはようやくペンを走らせる。
【なんで、白にしたんだ?】
問いかけは、淡々としていた。詮索ではない。ただの好奇心。けれどそれがかえって、心の内をじわりと浮き上がらせるようだった。nameはふっと笑って、視線を前に戻す。軽く足を跳ねさせてコートの裾をなびかせながら、明るい声で返す。
「……可愛いでしょ、俺。羊みたいって言われたし。似合ってたって、ロシーも言ってくれたし」
笑顔はどこまでも軽く、無邪気に見せかけている。けれどその実、声の奥に微かな緊張があった。冗談めいた口調で、誤魔化すように。ロシナンテはしばし黙ったまま、隣を歩き続けた。彼はその笑顔の下に隠されたものに、気づいているのかもしれない。それでもあえて、問い詰めるようなことはしなかった。
廊下を渡る風が、白い裾を揺らす。nameの内心には、言葉にできない“諦めのつかなさ”が、まだ燻っていた。なにかを失ってもなお、綺麗でいたいと思ってしまう自分がいる。汚されて、踏みにじられて、それでも“美しく在りたい”という欲。それはただの虚栄じゃない。けれど、その理由を口にしてしまえば、たぶん脆くなってしまう。壊れてしまう気がして。
「……白って、汚れ目立つんだよね」
ふと、独り言のように漏らしたその言葉は、どこか遠くの誰かに語りかけるようだった。ロシナンテはそれには何も言わず、ただ隣を歩き続ける。nameがその沈黙に甘えていいときと、そうでないときの違いを、彼は正確にわかっている。
やがて、彼らはロシナンテの部屋の前にたどり着いた。
ノブに手をかけたロシナンテが振り返る。その目に浮かぶのは、無言の優しさと、少しの確認。大丈夫か、とも。入るのか、とも。すべてを一度に含んだ視線。nameは、そのまま一歩、白いコートの裾を揺らして、ロシナンテの部屋へと足を踏み入れた。
言葉はない。けれど、今はそれでよかった。ほんの少しでも、何も言わずに隣にいられる時間が――nameにとっての、救いだった。
ゆるやかに風が通り抜ける、高層階のバルコニー。
陽の光は既に西へ傾き、斜めから差し込むオレンジの光が、テーブルの上に置かれたグラスを透かして、長く伸びた影をつくっていた。その静けさの中、煙草の香りだけが微かに漂う。ドフラミンゴは椅子にもたれ、長い足を組んだまま空を仰いでいた。陽射しを受けて揺れる金の髪、その横で、ロシナンテが沈黙のままメモをめくっていた。やがて、ペンがさらりと走る。
【最近、nameの“手際”が異常に良すぎる気がする】
それを見たドフラミンゴは、口角をわずかに上げた。笑っている、というよりも、興味深いという顔。
「“白い悪魔”だとさ。下の連中が勝手に言ってる。」
言いながら、グラスに残った琥珀の液体をひと口含む。ロシナンテはさらに追記を重ねた。
【あのコート、汚さないように、無駄のない動きになった】
――ただの気遣いが、無意識に“最適化”に繋がってる。ドフラミンゴは煙草に火を点け、煙をくゆらせながら肩を竦める。
「……もともと器用だしなァ。ああ見えて、根が真面目なんだよ、あいつも」
それが“俺のため”に磨かれてると思うと、悪くない、と彼は続ける。ロシナンテの目がわずかに細められる。グラスの底を見つめながら、さらに数行、ペンが走った。
【その“真面目”さが、もう少し自分自身のためになればいいのに】
それを読んだドフラミンゴは、無言で笑った。乾いた、けれどどこか優越の滲んだ笑み。何かを知っていて、なお放っている者の顔。
「自分のために生きてる奴なんざ、そういねェよ。誰だって、誰かの顔を思い浮かべてんだろ。……それが、たとえ“幻”でもな。」
ロシナンテの手が止まった。白い紙に置かれたままのペン先が、ひときわ重たく、沈黙の意味を語る。
「……それに、アイツは綺麗でいたいんだろ。自分じゃ言わねェけどな。」
指先で煙草を弾くと、灰が静かに落ちた。太陽がゆっくりと沈み、影は濃く、冷たく伸びていく。ロシナンテはメモの端に、短くひとことだけ記した。
【それは、どこまで“自分の意志”なんだろうな】
風がそのページを揺らす。けれどドフラミンゴは答えず、ただ薄く笑みを浮かべたまま、静かにまた煙を吐き出した。その紫煙の向こう、遠くで誰かが歩いていく気配がした。白い裾が、柔らかく風に舞った。それは、誰のための“白”だったのか――答えは、まだ霧の中だった。