あなたを数える
名前変換
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
あれからしばらくあの人に遭遇することは無かった。私は会社で無意識のうちにキョロキョロしていることが多かったらしく、たまたま居合わせた同期に「何挙動不審になってんの」と怪しむような目で言われた。…もう完全に意識しちゃってる。階段から落ちそうになったり車庫で助けてもらったりしたからただの吊り橋交換的なアレなんじゃないかって自分に言い聞かせてたけど、ふとした時に思い出すのは彼に掴まれた手首の感触や、いつもよりずっと近かったあの距離で。おまけに会社でも通勤の時もこんな風にキョロキョロ探し回っちゃうって…。何年ぶりかもわからない甘酸っぱい感情に戸惑いながら、彼と遭遇しない日々をひたすらに消化していた。
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
今日も無事に定時に仕事が終わった。今日の私が向かうところはただ一つ、最寄りのショッピングモールの中にあるカフェだ。仕事中ずっと甘いものが食べたくて食べたくて仕方がなくて、休憩時間のたびに『カフェスイーツ オススメ』『季節のスイーツ 新作』なんてワードで検索をかけまくっていた。そのおかげで私の口の中と胃袋と脳味噌は完全にスイーツ一色で一刻も早く甘味を欲している。こんなに甘いもの食べたくなったの久しぶりだな〜なんて考えながら会社を出て、駅と反対方向に少し歩くと、遠くにショッピングモールの看板が見える。そこを目指して歩みを早める。
コンビニも服屋も、次の季節を見越したような配色や季節の品物をアピールしたポップやのぼりを出している事に気が付く。一年ってあっという間だなーなんてぼんやり考えながら信号を待っていると、肩のあたりをトントンと叩かれた。深く考えずに反射的に振り向くと、そこにはニコニコと微笑んだ目隠しの彼がいた。
「どーもッス〜」
「……」
「あれ?見えてないッスか!?」
「あ、いえ!なんか久しぶりな気がしてちょっとびっくりしてました…。」
あー、そういえばひと月くらいッスかね?なんて少し思い出すような仕草で応える彼に、当たり前だけどずっとソワソワしてたのは私だけなんだなあ〜と思い知らされる。
歩行者信号が青に変わり、ピヨピヨと小鳥の囀る音が鳴り響くと、信号待ちをしていた人々が一斉に動き出した。私たちも横断歩道の上を歩き始める。
「ところで山田さん、こっちの方面来てるって事はどこかにお出かけッスか?」
「あ、はい。なんか無性に甘いものが食べたくてあそこのモールに行こうと思ってたんですよ。」
「本当ッスか!自分もそこにドーナツ買いに行くんですけど、もし良ければ一緒にどうですか?」
「ドーナツ良いですね、是非!」
嘘でしょ!こんな機会が舞い込んでくるなんて…!心の中でガッツポーズを決めた。本当はドーナツじゃなくて別のスイーツを食べる予定だったけど、今の私に断る理由なんかなかった。
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
「あの、それ全部食べるんですか…?」
ドーナツの有名チェーン店で限定のものが販売されてると教えてもらったのでそれを買いにきたは良いけど、彼のトレイの上にはとてもじゃ無いけど1人では食べきれないであろう量のドーナツが積み上げられていた。ドーナツは飲み物と言い切るくらい好きだと聞いていたけど…これは正直引いた。
「そんなわけ!食べろと言われたら食べられると思いますけど…。でもこれは差し入れの分っスよ〜」
「差し入れですか?」
食べられる という言葉には触れずに、聞き返す。
「実は自分、知人のお店を手伝ってまして…。そこで働いてる人達に時々こうやって差し入れ持っていくんですよ。」
「へえ、そうなんですね。」
「いつもは買ったらまっすぐ店に向かうんですけど…今日は山田さんと一緒なので自分もちょっと食べてから行こうかな〜と。」
二つ目のトレイに自分で食べる分であろう限定のドーナツと定番のドーナツをひょいひょいと乗せて言う彼に心臓がギュンっとなる。私と一緒なのでって…!私と一緒なのでって…!!顔には出さないように心の中でその言葉を何度も噛み締めて1人で盛り上がっていた。口ぶりや雰囲気からそんなつもりは一ミリもなさそうだったけど…。
お会計を済ませて席に座る。彼はコーヒーを、私は紅茶を頼んで2人掛けの席に向かい合わせに座った。
「ん〜美味しそうッスね〜!いただきます!」
「いただきます。」
あーんと大きな一口でドーナツを食べる彼。やっぱり目元は見えないけど、口元から幸せそうな表情をしている事が伺える。…うーん、やっぱり絶対イケメンだよなこの人。
「そんなに見られると恥ずかしいッスよ〜。」
「…そんなに見てました?」
「そりゃもう、穴が開くかと思うほど。」
「…大変失礼いたしました。」
無意識にじっと見つめていたことに気が付かなくてとたんにほっぺたが熱くなってくる。恥ずかしい気持ちを誤魔化すようにわざとらしく敬語で謝ってみてから限定のドーナツを頬張った。うん、甘い。美味しい!
「どうッスか?そのドーナツ。」
「すごく美味しいです!」
「ですよね!自分もこれ結構好きな感じッス!」
「おお、ドーナツエキスパートお墨付きですね。」
「エキスパートって!言う程じゃないッスよ〜」
あはは、と笑う彼はすでに最後のドーナツに口をつけていた。…食べるの早っ!まさか本当に飲んでるのかこの人は…?
「そういえば、手伝いに行ってるお店ってどんなところなんですか?」
「あー…一応レストラン、ッスね。」
「ちなみに会社に副業申請とかは…。」
「してないッス!コレでお願いしますね!」
コレ のところで シー、と人差し指を唇に当てて困ったように笑う彼に、うんうんと頷く。気が付かないうちにドーナツを全て食べてしまった彼に合わせるように、でも急いでることがばれないようにドーナツをパクパク食べ進める。次会えるのがいつなのかわからないし、こんな風に2人で外で会うことなんて二度と無いかもしれない。帰り道も一緒に帰れることを願ってひたすらドーナツを咀嚼した。
むっつ
知り合いのレストランを手伝っているらしい。
彼は本当にドーナツを飲んでいる(ようなスピードで食べる)
2021.04.16