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どうしてこうなった。
狭くて薄暗く埃っぽいこの部屋で、あの人と私の2人きり。しかもなぜか壁ドンの体勢。いや、ほんとに。
漫画じゃないんだからさぁ…!
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「山田さーん、あの伝票ないんだけど、どこだっけ?ホラあの、赤いやつ。」
遠くから同じフロアで働くお姉様(と言っておこう)が声をかけてくる。赤い伝票…?ああ、あのたまにしか使わないやつ。
「そこにないですか?」
「無いから聞いてんのよ!」
「あっ、すみません。探しとくんで見つけたらまた声かけますね。」
「ん、おねがーい」
別に『そこにないですか』、くらいでそんなイラッとしなくてもいいじゃん、クソばばあ。おねがーいじゃねえよ。頭の中でひどい悪態をつきながら伝票ストックの棚を漁る。…赤い伝票はここにも無いみたい。はあ、面倒臭いけど倉庫行くかあ。打ちかけのデータを保存してから椅子に引っ掛けてたカーディガンを羽織り、わたしはのそのそと部署を出た。
書庫は本棚が沢山並べてあるくせにとにかくスペースが狭く、棚と棚の間は人一人通るのでやっとのスペースしかない。棚の中は重要書類やら伝票やらがごちゃごちゃと乱雑に棚に突っ込まれていて、小さな窓には常にブラインドがかかっていて部屋の中は常に薄暗く、誰も掃除なんかしないので埃っぽい。さらに足元は段ボールがあちこちに乱雑に積み上げてあるので5歩歩いたら1回は躓きそう。この通り全く整理されてないので備品を探すのはとても大変で、ここに備品を取り来るのは大体上の人に命令された部署内の下っ端だ。私、1番下っ端ではないんだけどなあ…、まぁいいけど。
ふう、と息を吐いて伝票がありそうなところを片っ端から漁っていく。…ない、ない、ここにもない。ぐちゃぐちゃの棚を掻き分けながら目を凝らすけど、やっぱりあの伝票は見つからない。あーもう!今日の分の仕事まだ終わってないからこんなことしてる場合じゃないのに!
「何探してるッスか?」
「わああああああ!?」
急に声をかけられて内臓全部口から飛び出すかと思った…!!バクバクと鳴る心臓を押さえながら振り返ると、目隠しの彼が困ったように笑っていた。薄暗い部屋の中で目元を前髪で隠している彼はなんだか幽霊みたいだ。「またびっくりさせちゃったっスね、すみません」とあんまり反省してないようにへらりと笑う彼に若干イラっとした。若干。胸元をチラリと見たけど、社員証は見当たらなかった。ちゃんとつけなよ!?
「なんであなたがここにいるんですか…。」
「今丁度仕事が空いてて、それだったらこの部屋の整理でもしようかなーと思って覗いてみたらあなたがいたって感じッスね。」
「はあ…誰かに頼まれたんですか?」
「いえいえ、自分が勝手にやりに来ただけッスね。」
「正気ですか!?この部屋を!?率先して整理!?」
「アッハハ〜、自分整理整頓とか備品管理とか結構得意なんで、モブなりに会社の役に立つことしようと思っただけッスよ〜!」
彼はカラカラと笑ってから 探し物なら手伝うッスよ、と言う。この人は本当、底無しにいい人だな。見ず知らずの女のジャケット洗ってくれたり、こんなひどい部屋の整理を率先してやろうとしたり…逆に大丈夫かな?怪しい壺とか買わされてないかな?
「事務課で使う伝票なんですけど…。このくらいのサイズで、赤い色の。」
「あー、アレっすね。たまーに使う奴。」
「よくわかりましたね!?」
「自分わりと何でもやらされてきたんで…。そこら辺無かったッスか?」
「うーん、なさそうなんですよねぇ」
「なるほど…じゃあこっちッスかね…?」
探そうと思っていた隣の棚を彼がゴソゴソとあさり始めたので、さっき探した棚を念の為にもう一度探そうと体の向きを変えると、足元にあった段ボールに躓いて棚に体当たりしてしまった。思わず いてっ! と声を上げてしまうと、頭上からズルリと音がした。上を見ると、不安定に積み上げられていたファイルの束が大量に降ってきていた。まるで1秒が5分にも10分にも感じられるくらいゆっくりと降ってきているように「見える」ソレは、確実に避けられない距離まで迫っていた。
あ、終わった。
衝撃に備えて身を固くして目を瞑ると、時が進む。ドサドサ!と大きな音がした。…でも、上からやってくるであろう衝撃はいつまで経ってもやってこない。落ちる位置がたまたまズレた…のか?おそるおそる目を開くと、硬く歯を食いしばっている前髪を隠した彼の顔が目の前にあった。
そして、冒頭に至る。
「あたたた…山田さん大丈夫ッスか!?」
「あ、は、はい…おかげさまで…」
「どこも怪我してないッスか?」
「多分…」
彼がゆっくり動くと、乱れた髪の隙間からチラリと瞳が見えた、気がした。今の体勢も相まって心臓がばくんと跳ねる。
「あ!壁ドンなんかしちゃってましたね!?スミマセン!」
彼は今のお互いの体勢に気がつき、セクハラで訴えないで欲しいッス!なんて言いながらバッと後ずさる。
「訴えるわけないじゃないですか!あの、すみません本当に何度も何度も助けて頂いて…。」
「あーいえいえ、どれもたまたまでしたし、自分は全然大したことしてないッスよ。」
「いやいや!なんなら2回くらい大怪我するところだったんですが…!?頭とか背中、痛くないですか?大丈夫ですか?」
「全然平気ッスから気にしないでください!山田さんが無事ならそれでOKッスよ。」
彼はそう言うと、散乱したファイルを拾い集める。私も屈んでファイルを集めるけど、不思議と私の視線は吸い寄せられるように彼の方に向く。
骨張った手、太い手首、シャープな輪郭、薄めの唇、隠された目…。何度も私を助けてくれた、名前も知らないこの人のことがもっと知りたい。
久しく感じていなかった暖かいような、むず痒いようなこの気持ちをひとまず胸の奥底に押し込んで、私は伝票探しを再開した。
いつつ
なんだか気になってしょうがない
21.03.17