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朝、あくびを噛み殺しながらいつもの電車のいつもの車両に乗り込む。また一日が始まってしまった…まだ先なのに早くも週末が恋しい。車両に乗り込むと、一列に並んでいたいつもの乗客たちはいつもの場所に座ったり立ったりする。私は降車駅までほんの数駅だけなので、基本的にはいつも立ったままだ。壁に寄りかかり、鞄からワイヤレスイヤホンを取り出し、耳につけようと顔を少し傾けると、視線の先に見たことのある男の人がいた。ゆるいパーマのかかった髪の毛で目元を隠す、あの男の人。
「…あ。」
思わずボソリと声を出してしまう。彼はその声に気が付いたのか、見つめていたスマートフォンから顔をあげて「あ、おはようございますッス」と軽く頭を下げた。あ、とか言っちゃってなんか気づいて欲しい人みたいじゃん!恥ずかしっ!
別に隣に立ってるとか座ってるとかじゃないし、私たちの間にある距離は世間話ができるものではない。私は軽く頭を下げてイヤホンを耳に突っ込んだ。彼の方には背中を向けて。
「山田さん」
目的の駅についたので人と人の間を縫いながら改札を出ると、イヤホンから流れる音楽の隙間から私を呼ぶ声が聞こえた。目元が見えない彼だ。私の耳の穴に詰め込んであるイヤホンが目に入ってなかったのかこの人は。
「山田さんもこの路線なんですね」
「あ、はい。あなたもなんですね。」
…あ、このまま会社まで一緒な感じ?まぁ別にいいけど…。イヤホンを耳から外してケースにしまう。
「今はお仕事、どんな感じですか?忙しいですか?」
特に共通の話題があるわけでもなく、名前も部署も知らないから当たり障りのない質問をすると、「まぁぼちぼちッスね〜」と返事が返ってくる。
「結構残業あるんですか?」
「自分は結構定時で帰るタイプなんでそこまででもないッスね〜」
「定時までに仕事終わるって事は要領良いんですね。」
「いやいや、自分モブなんで。簡単な仕事しか回ってこないんですよ。山田さんはどうッスか?忙しいッスか?」
「私も全然、大した仕事してないんでいつも定時ですぐ上がってますよ。」
人の流れに乗りながら、ICカードをかざして改札機を抜ける。これから駅から出て少し歩く。トートバッグを肩にかけ直してエスカレーターを降りる。
「私あんまり真面目じゃないから昇進とか昇給とかあんまり興味なくて。暮らせる分だけ稼いで、あとはのんびりできればいいな〜って考えなので、この会社は結構自分に合ってるんですよね。」
「あー、それ分かります。自分もそんな感じッスね」
「そういう人多いですよねーうちの会社。終業後に自分の趣味とか頑張ってる人もかなりいるみたいですしね。私はそういうのは特にないので、本当のんびりしたいだけなんですけど…。」
「確かに、そういう人結構聞きますね〜。副業したりとか。」
「そうそう!みんな凄いですよねえ、私帰ってから仕事しようなんて絶対考えられないから本当に尊敬します…。」
「あはは、まぁそこら辺の価値観は人それぞれッスからねえ」
「あなたは何か趣味とかあるんですか?」
「俺ッスか?うーん…趣味じゃないんですけど、スイーツが好きッス」
「えっ、スイーツですか?なんか意外!」
「ドーナツなんかはもはや飲み物ッスね〜。新作も全部チェックしてるんでそこらへんの情報は自分に任せてくださいッス!」
「あはは!飲み物って!ちなみに最近は食べました?」
「勿論ッス!ミスドとかはド定番なんですけど意外とコンビニのドーナツもあなどれなくてー…」
他愛もない事を話しながら歩いているとあっという間に会社が近づいていた。この人本当にすごいなあ、人に合わせるのが上手くて、名前も部署も何も知らない人なのにお喋りが苦痛じゃない。
「あ、話してたらあっという間に着いてたッスね。」
「本当ですね、いつも一人でだらだら歩いてたのでなんか新鮮でした。」
「自分もッス!あ、じゃ!自分はこっちなんで!」
会社のロビーに入るなり、お喋りの余韻も何もなく彼はペコリと頭を下げてさっさと階段の方に向かって行ってしまった。…階段?エレベーターは目の前にあるのに。そこまでして部署バレしたくないのかあの人は。…変な人。
みっつ 定時で帰る、人に合わせるのが上手い、スイーツ(特にドーナツ)が好き、エレベーターより階段派
21.02.04