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朝、ピカピカに磨かれた自動ドアが私を感知して静かに開いた。
とあるメーカーの本社ビル、私はここで働いている。
規模はわりと大きい会社で、社員全員の顔なんてとてもじゃないけど覚えられない。そんな中、私は役職が上なわけでもなく、下から数えた方が早いけど一番下の立ち位置でも無い、中途半端なポジション。業務内容といえば、毎日パソコンのモニター、山積みの書類と向き合ってキーボードをひたすらかちゃかちゃ叩く事、頼まれたらお茶を入れてお客様や上司に持っていくこと。(今時こんな会社あるのかと思った)
あとは…コピーを取ったり、備品管理とか、そういう細々した仕事をひたすら毎日こなしている。いわゆる普通のOLだ。
何の張り合いもないただ繰り返しの毎日だけど、私にとってはそれが心地いい。定時で帰れるし、給料も高くはないけど暮らしていける金額はもらっている。人間関係も悪くない。
今日もまたいつもの一日が始まる。そう思って会社のロビーに足を進めたところで、予想外の出来事が起こった。
「きゃっ!」
私のものではない悲鳴と、背中に衝撃。そして二の腕のあたりにジワジワ広がる熱感。
何事かと思って後ろを振り返ると「ごめんなさい!」と慌てる女の人。片手にはスマートフォン、片手には某珈琲店のカップが握られていた。私の腕を見ると、濃い色のジャケットなのでわかりづらいけどしっかりとコーヒーの染みが広がっていた。あ、熱い…痛い…!この人、スマホいじりながら歩いてて私に気付かずにぶつかったってところだな…ツイてない〜!!
「大丈夫ですか!?」
「あ、ああ〜…大丈夫です…これからはちゃんと前見て歩いてくださいね…」
「す、すみませんでした…!」
私がそう返すと、早足でエレベーターに向かっていくその女の人。…あー私のバカ!なんで簡単に許しちゃうんだ!まぁあそこで無駄に怒ってもコーヒーぶっかけられたっていう現実は変わらないし…。はぁ、とため息をついて熱いコーヒーの染み込んだシャツが腕に張り付かないようにつまんで引っ張る。トイレの手洗い場でジャブジャブ洗うしかないよなぁ…。朝礼、間に合うかなぁ。モヤモヤした気持ちでトイレに向かおうとしていると、「あのぉ〜」と背後から声がする。今度は誰!?ややイライラしながら「はい?」と返事をして振り返ると、緩くパーマのかかった髪で目元を隠した男の人。…誰だろう。
「大丈夫っスか?さっきコーヒーかけられてたみたいッスけど…」
「あ、ああ〜まぁ大丈夫かと言われれば大丈夫じゃないかも…でもこれから洗いに行くんで、大丈夫です。」
「それなら、お手伝いさせてください。」
腕、熱いでしょうし。そう言って彼はスタスタと歩き出した。え、これついていかなきゃいけない感じ?初対面のくせに意外と強引だなこの人…
「自分はジャケット洗うんで、あなたはシャツ洗ってきてください。」
男性用トイレと女性用トイレの中間にある多目的トイレの前で、ジャケットを貸せと手を出す彼。
「あの…あなたも遅刻しちゃうんじゃ…」
「大丈夫ッス!自分こういうの結構得意なんで!あなたも早く洗わないとどんどん染みが落ちにくくなるんで手早くパパッと洗っちゃってください〜」
「なんか、手伝わせてしまってすみません…お願いします。」
「了解ッス〜」
ジャケットを脱いで渡すと、彼は微笑んでスタスタと手洗い場に向かった。
私もすぐに多目的トイレに入り、シャツを脱いで手洗いで袖の部分に水をぶっかける。なるべく洗面台にシャツが触れないように、さらに濡れた部分が多くなりすぎないようにつまんで擦り合わせながら洗うと、茶色のシミはすんなり落ちてくれた。よかった…!二の腕をチラリとみると、火傷まではいかないけど赤くなってジンジンする。…まぁ、そのうち治るかな。
濡れた部分を絞ってハンカチで水気をとる。着てれば乾くかな…?腕時計を確認すると、朝礼まではまだ間に合いそう。そこまで時間もかからずに洗えてよかったとホッとしながらシャツを着てハンカチをポンポンと当てながらトイレを出ると、すでに目隠しの彼はすでにトイレの前の通路で待っていてくれた。は、早っ!
「あ、早かったッスね」
「そちらこそ…!朝から見ず知らずの女のジャケットなんか洗わせてすみません…。」
「いやいや、お互い様ッスから。ジャケット返しますね。あ、洗面台には触れさせてないのでそこのところはご安心を!」
ジャケットに袖を通すと、少し湿った感じはあるけどビショビショなわけではなく、コーヒーの色はほぼわからなくなっている。…どうやって水気飛ばしたんだ…。
「あの、本当にありがとうございました。お礼は後日改めてさせてください。」
「いやー、そんな大層なことしてないッスから!気にしないでください〜」
「あ、じゃあお名前と部署だけでも…!」
「名乗る程の者では無いッスよ。自分ただのモブなので〜」
この時間なら朝礼間に合うッスね!それじゃ!と、彼は頑なに自分の情報を隠した挙句にスタスタと去っていってしまった。
…なんだったんだ。何であんなに頑なに名乗ろうとしないんだ。
されっぱなしじゃ性に合わない、絶対いつか名前も部署も把握してお礼おしつけてやる。
湿った二の腕に触れながら、自分の部署へ足を進めた。
ひとつ 髪の毛で目元を隠した親切な人
2021.01.23
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