センチメンタルジャーニー
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「うわっ、すごい…!」
三段重ねのアイスクリームに目を輝かせるナマエちゃんを眺めていた。神妙な表情で石段にすわって、慎重にアイスクリームを掬う。
幸せそうな表情で俺に向かって微笑んで。ローマに来たら、スペイン広場の石段に座ってアイスクリームを食べるのが夢だったらしい。
「ふふ、これで、ローマで叶えたい夢はあと二つ」
「二つ?」
「スクーターでローマの道を疾走するのと、」
「…べただね、ナマエちゃん。あとは?」
「テヴェレ川の遊覧船の上でダンスするの。」
「……べた…」
ベタでロマンチックな展開に憧れていたらしい。何が好きかって、自分の人生にはドラマなんて絶対起こりえないから、だそうで。
「はは、べたですよね……だからほんと、信じらんない。」
「ローマにいるのが?」
「んー…それもだけど、今の自分の状況が、ですよ。虫嫌いの女たらしのサイコパスのスパイと、こうやってローマのスペイン広場でアイス食べてるなんて。」
「ナマエちゅわん、なんか今さらっと傷つくこと言った、」
「なんか、下手な小説みたいな状況。」
ナマエちゃんは、これからも幸せで退屈な日常を繰り返して生きてくんだろう。物騒な事件や危ない出来事は、みんなテレビの画面の向こう。俺が巻き込まなかったら、今だってきっとそうやって過ごしてたはず。
一心不乱にアイスクリームと格闘するナマエちゃんの横顔を見つめる。そう、俺が巻き込んでなかったら、今だってナマエちゃんは幸せで退屈な日常の中にいられたのに。ボストンの親友の結婚式なんか行って、そのあと一人でセンチメンタルジャーニーなんて洒落てみたりして。
あの時、俺が巻き込まなかったら、一生出会うこともなかった、平凡で少しずれてて幸せな彼女。
じっと見つめていた俺の視線に気付いて、ふんわりとほほえむ。
「どうか、しました?」
「…ナマエちゃん、ついてる。」
ナマエちゃんの口元に付いたアイスを指先で拭って舐める。甘ったるいバニラ味。
数日間一緒に過ごして分かったが、この子は甘党だ。昨日出したデザートのクリーム山盛りのアップルパイに、寝る前にはマシュマロを浮かべたココア、朝食のパンには大量のラズベリージャム。鞄の中にはチョコレートに、クッキーに、チュパチャップス。
そういえばキスした唇も甘かったな。
横顔、綺麗な髪の毛。抱きしめたら案の定甘い香りがした、ような、気がする。相変わらずぼんやりと彼女を見つめていたら、いきなり目の前にアイスクリームを差し出された。
「そんなに食べたいんなら、半分こします?スプーン一個しかないですけど」
「……あァ、そうだねありがとう、マドモアゼル…」
…今のは別に、アイスクリームがほしくて君を見てた訳じゃ……じゃあ俺は何でナマエちゃんから目が離せなかったんだっけ?……まぁいいか。
*
綺麗な指先が口元に付いたアイスクリームを拭ってくれて、彼が当たり前みたいにそれを口に運ぶから。一瞬熱くなった顔をごまかすようにアイスを食べる。甘さ控えめのバニラ味。これにチョコクリームでもかかってたら完璧なんだけど。
顔を上げたらサンジさんはまだ私の事を見ていて、すごく優しい目をしてたりして、それでまた私はどうしていいかわからなくなったりして。
本当に、信じられない。私がなぜかローマにいて、小さい頃から夢見たシチュエーションでアイスクリームを食べていて、そんな時に隣に居るのは大好きだった彼ではなくて気障でぐるぐる眉毛のスパイの癖に虫が嫌いなサイコパスのサンジさんで。
きっと私が、あの飛行機に乗らなかったら一生会う事なんてなかったんだろう。この人と会って、飛行機に乗ってしまって。なんだかよくわからない事態に巻き込まれているんだから、今こうしてアイスを食べているのもきっと、私の人生最大の不運なドラマの一部。
こっそり見つめる私の視線にも気づかないで、ぼけっとしているサンジさんは、やっぱりスパイだかエージェントだかそんな物騒な人には思えない。私もサンジさんと一緒にぼんやりしながら、昨日の事を思い出した。
抱きしめられて息を吸ったら煙草の香りがして、あと、微かに男物のコロンの香りもして。優しい仕草で涙を拭ってくれた指先、やっぱり煙草の味のしたキス。大袈裟にクモを恐がったり、私の言った言葉にあからさまにショックって顔をしたり。
もしこの人とこんな風に出会ったんじゃなかったら、
「そんなに食べたいんなら、半分こします?スプーン一個しかないですけど」
「……あァ、そうだねありがとう、マドモアゼル…」
…私は、何を考えてるんだろう。
このままだととんでもないことを考えてしまいそうな思考を振り切るように、ぼけっとしているサンジさんに声を掛けた。
あと3日たったら、この声だって二度と聞くことはないな、とか。さっきみたいな優しい目も、私の事をずれてるね、とか言いながらからかうときの顔も。あと3日たったら、二度と。
もし、こんな風に出会ったんじゃなかったら。ずっと一緒にいられたのにね、なんちゃって。本当に私はセンチメンタルで、やってらんない。
*
「あ、食われちまった。」
「まったまたぁ…。サンジさんも十分ベタじゃないですか…」
「…いや、まじで。」
「またまた…」
「……」
「…まじでか…手袋ごと食べたけど消化できないんじゃ…」
「…やっぱりずれてんなぁ…」
あの映画と同じ、お決まりのベタな観光コース。あの映画みたいに、口に手首を食いちぎられた真似をして。まぁでもスパイは嘘をつくのが仕事なんだから、食いちぎられても文句はいえないですよね。そう言ったらサンジさんは眉を下げて笑った。
「…ナマエちゅわん、辛辣…どうせなら悲鳴上げりゃいいのに。あの映画みたいにさ、」
「私じゃ王女様には役不足ですよ。」
映画じゃないんだから、流石に悲鳴をあげたりしないし、第一私じゃ何もかも平凡すぎて王女様役には役不足だ。
「昔っから学校の演劇だといつも村人Aの役でしたしね、」
平凡な分、当たり前だけど目立たないものですから。確か、今までで一番の大役はお姫様の継母の役だったような気がするけど。……あれは何歳の時だっけ?確かくじ引きではずれがでて……そんな事を考えながら歩いてたら、石段を踏み外しそうになる。ああ、やっぱりこの靴少し歩きづらいな。
「あっ…ぶな。びっくりした」
「ナマエちゃん、意外とそそっかしいよね」
「……そうですかね…」
少し慌てる私をからかうみたいな声色。クスクスと笑いながら、サンジさんはまるで本物のお姫様にするみたいに、恭しく手を差しだす。
「お手をどうぞ、プリンセス」
「…気障…」
だから、プリンセスじゃないってば。
ちらりとあの映画のストーリーが浮かんだので、慌てて取り消す。王女様と、新聞記者。お互いの気持ちを告げることもしないで、たった1日だけの恋をして、
でも、今の状況は映画とは違う。私とサンジさんが後三日で別れるとしても、あの映画みたいにロマンチックな関係は生まれるべくもない。だから、このセンチメンタルはきっと、そんなロマンチックな感情とは関係ないんだ。
*
「祈りの壁だっけ」
「…ああ確かにそんな感じの名前だったような…」
あーあー、転びそうだな。
この間ボストンで新しく買ったらしい黒いハイヒール。本人は歩きづらいとも思ってないのかもしれないけど、傍目から見ると高いヒールでふらふらと歩くナマエちゃんは危なっかしい。
「うわ、凄い。これ全部願い事なんだ、映画と一緒だ。」
リューマチが治りますようにだの、息子が早く結婚しますようにだの、好き勝手に観光客が書いて吊していった願い事のメモを、何が楽しいんだか熱心に観察する。いきなり俺の方に振り向いて、心底嬉しそうな顔で言うことには。
「あっ、ほらサンジさん、てんとう虫。」
「…てんとう虫って…」
「…まさか、てんとう虫も怖いんですか、Mr.サイコパス。」
「………」
いや、怖くはねェ。決して怖くはねェんだけど。…苦手なだけで。してやったり、みたいな感じでにやりと笑うナマエちゃんから目を逸らして、誤魔化すみたいにして煙草を吸う。そういえば、すっげぇ小さい頃に近所に住んでた女の子に、よく虫を退治してもらってたな。…あんま覚えてねェけど、男の癖に虫嫌いなのをよくからかわれたっけ。
風が吹いてなびく髪の毛を指に絡めながら、相変わらずてんとう虫を嬉しそうに眺める。細くて白い指。嬉しそうに微笑む唇は赤く色づいていて、昨日の事を思い出したらなぜか後ろめたい気持ちになった。何か知らないけど甘かったなぁ、唇………って何考えてんだ。
てんとう虫って捕まえようとすると臭い汁出すんですよね、とか何とか言いながらふらふら歩くナマエちゃんはやっぱり危なっかしい。…転ぶと危ないから、さっきみたいに手、つないどこう。
「そういえば小さいころ、っう、わっ…」
言わんこっちゃない。手を差しだそうとした矢先に彼女は段差を踏み外して、俺の方に倒れ込んでくる。ふわりと髪の毛が靡いて、甘い香りがして。俺の家のシャンプーなんだから、甘い香りのはずはないんだけど。
「ほんと、そそっかしいねナマエちゃん」
「あ、た、たびたびすみません…」
「危なっかしいから手繋ごう。ほら、」
お手をどうぞお姫様、なんていえばこの子は気障だとか言いながら何だかんだ少し嬉しそうにして俺の手を取る。
白くて細くて小さい手。拳銃だとかマシンガンだとか、そんな物騒な物ばかりに慣れてる俺の手の中で、それは少しばかり華奢すぎるように映った。いままで、女の子といるときにそんな事は考えもしなかったのに。でも、だから、それがどうしたって言うんだろう。
「そろそろ行きます?サンジさん」
「願い事しねェの?」
「んー…いいや、思いつかないし。」
「無事にボストンに帰れますように、とかさ」
「いーんです、きっと願わなくたって無事に帰れます。」
あなたが、無事に帰してくれるんでしょう?なんて言って俺に笑う。
この子にしてみたら、俺は会ったばかりの訳わかんねぇサイコパス野郎で。巻き込まれた彼女はただの不運な被害者なはずなのになぜか俺の余計な心配までして、いまだってこんなサイコパス野郎の事を信用しきった顔で笑ったりして。
あーあ、本当に君はずれてるよ。言おうとした言葉は煙草の煙と一緒に飲み込んだ。平和で、平凡で、幸せで、少しずれてる彼女。君といると調子狂うんだとか何とかそういう言葉の代わりにいつもみたいな軽口を、
「ナマエちゅわん…じゃあ逆にさ、このまま、」
叩こう、として、また言葉につまる。このまま俺と一緒にいれますように、なんてどう?いつもみたいな冗談だ。きっとこの子だって、本気にしない。
…あーもう、さっきから俺は、何考えてるんだ。
このまま俺と一緒に、なんて。どう考えたって冗談、俺にとっても、この子にとっても現実味のない冗談だろうが。
「…サンジさん、何ぼけっとしてるんですか、お腹減ったからさっさと行きましょう」
「…そうだねプリンセス。」
屋台でジェラートを買って、食べながら歩く。さっきだって三段重ねのアイスクリームを食べたのに、別腹ですよ、とか言いながらやっぱりナマエちゃんは幸せそうにそれを舐める。
ただでさえ甘いいちご味のジェラートに、目一杯チョコレートをトッピングして。この子は甘党だ。鞄の中にはクッキーに、チョコレートに、チュパチャップス。俺の視線に気づいて、さっきと味かぶっちゃった、とかまたずれたこと言って。
風に靡く髪の毛。ナマエちゃんの目はもう俺の事なんか見てなくて、白くて細い手の中のジェラートに夢中で。
…後三日か。ナマエちゃんに聞かれないように呟いた俺の声は思ったよりもひどく感傷的で。
「え?何かいいました?」
「ん、何でもないから気にしないでナマエちゅわん」
…俺まで、この子のセンチメンタルにあてられちまったみたいだ。