センチメンタルジャーニー
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やられた。
俺は煙草に火を付けて、彼女が降りていったらしい窓を眺めた。物音ひとつしなくなったから妙だとは思ってたんだけど。
……見かけによらず意外と大胆で突拍子もないんだよな、ナマエちゃん…。
相当怒ってるんだろうなとは思ってたし、多分あんまり信用されてない(彼女は、未だに俺の事を名前で呼んでくれない。なんだかすげぇへこむ)んだろうとも思ってたけど。
まさかシーツ使って窓から脱出なんて、今時映画でも見ない手口を、ってそれは今はどうでも良いか。この3日間でなんとなくわかってきたナマエちゃんの性格から、次に取りそうな行動を考える。
多分大丈夫だろ、まだそんなに遠くには行ってないはずだから。
煙草を消してジャケットを羽織る。
とりあえず、行くとしたらカフェとかバーとかホテルとかかな。この時間だとタクシーも捕まらないから、空港はないだろ。言葉も通じないし。
なるべく冷静に。そう自分に言い聞かせながら、裏通りを走る。冷静に、冷静に、冷静に…って、何で俺はこんなに焦ってるんだ?
*
「…………何語?あ、イタリア語だっけ…」
カフェでメニューを見て、しばらく固まった。ギャルソン(って言うのか?)がにこにこと話しかけてくれるけど、何を言ってるのかさっぱりわからない、ので、とりあえず私もにこにこしながら頷く。ボンジュール。あ、これはフランス語か。
ずっと眠らされてたから全然実感がなかったけど、ここは本当にイタリアなんだ。ずり落ちそうになる伊達メガネ(なけなしの変装)を直しながら、またメニューと格闘する。
え、えーと、多分最初のメニューが前菜だから、……
「失礼。ここ、座っても?」
「えっ?」
今の、私に話しかけたのかな?30分ぶり位に聞いた英語にぱっと顔を上げる。
「あ、ああ、どうぞどうぞ、」
まじまじと見ちゃ失礼だ、そう思いながらも一瞬呆気にとられた顔をしてしまった。いくら何でも、髭…長すぎでしょ。ナマズみたいじゃん…。私の視線に気づいたのか、男の人はにっこりとほほえんでくれる。
「あぁ、私はジャブラと申します。どうぞよろしく、お嬢さん。」
「あ、ナマエ・ミョウジです。こちらこそどうぞよろし、」
店に面した道路を、さっきまで一瞬だったMr.サイコパスが歩いているのが目に入って、とっさにテーブルに潜る。
「お嬢さん?どうかしました?」
「…えーと、イヤリング落としちゃって…」
テーブルクロスから顔を覗かせて店の外を確認する。…よし、行ったかな…?テーブルの下から顔を上げて、誤魔化すように笑いかける私を怪訝そうに見てから、ジャブラさんはまたメニューに目を落とす。
「すみませんね、なにしろ席がどこも空いてなかったもんで」
「あ、いいえ。…むしろ助かりました、実は私、イタリア語が全然だめで。メニューも読めなくて困ってたんです。」
「ははは、それでは丁度良かった。私が代わりに注文しますよ。…あなたのような美しい方のお役にたてるなんて光栄です、ミス・ミョウジ。」
「あは、それはどうも、」
…ナマズみたいな髭してるけど、良い人じゃん。英語が通じる。それだけの事にすごく安心してしまって、少し涙がでそうになる。ジャブラさんは流暢なイタリア語で料理を注文してくれて、それから私に向き直って英語で話しはじめる。
「ミス・ミョウジ、あなたはどうしてローマに?」
「ああ、観光で来たんですけど…ガイドと喧嘩しちゃって、」
「…ほう、それでこんな時間にお一人でカフェに座っていらしたわけですね。」
「ええ、いざ一人になってみたら参りました、ローマって英語が通じないんですね。」
「ええ、連中は例え理解できてもイタリア語しか喋りませんよ。プライドが高いから。」
「へー、そういう物ですかね…ところでジャブラさんはローマで、」
言いかけた所で料理が運ばれてきて会話を中断した。次々と運ばれてくる料理を眺めているうちに、自分が腹ぺこな事に気がついた。まともにご飯食べるの、久しぶりだな。ウェイターがグラスにワインを注いでくれる。
「では、ローマに。」
「…ローマに…」
気障ったらしくグラスを傾けて乾杯をする。まるで、どこかのぐるぐる眉毛のサイコパスみたい…って、私は何を考えているんだろう。あんな男のことなんか、もう思い出したくもないのに。
*
何だっけ…ここは、一体、どこ?
ぼんやりしたあたまで辺りを見回す。
どうやら私は大きなベッドの上で寝ているらしい。なんで?さっきまでレストランで、誰かと一緒に食事をしていたはずなのに。
『さぁ、深く息をすいこんで…』
『30秒したら、君はもっと素直になれる…』
…何のことだろう?
見知らぬ人の声、が、段々変化して、よく知ってる人の声に変わっていく。少しクセのある、甘くて低い声。
「さぁ、全部はなして、ナマエ。」
見上げると、さっき喧嘩別れしたはずのサイコパスがほほえんでいる。反射的に、助けに来てくれたんだと思った。
あれ、なんで?彼の事なんか信頼できないはずなのに。
サイコパスが、また私に微笑みかける。
「答えるんだ。君は、一体、誰なんだ?」
「『ランブル』を、どこにやった?」
「さぁ、」
*
頭ががんがんした。私に話しかけているのは、一体誰?
「さぁ、早く。」
優しかった声がに段々苛立ったような調子に変わる。だから、あなたは一体だれなの。辺りを見回す。広いベッド。真っ白な部屋。
「あーあ、駄目だこの女。ちっとも暗示にかかろうとしねぇ。」
うんざりしているような誰かの声がする。
……暗示…?
ぱっと顔を上げた。私を見下ろしていたのはMr.サイコパス、ではなく、
「残念だ、ミス・ミョウジ。情報を提供してくれていたら生かしておいてやれたのに。」
「……ジャブラ、さん…?あなた、…?」
ずきずきと頭が痛む。私は彼と、レストランでワインで乾杯した、後に。あれ?私はあの後どうしたんだっけ。覚えているのは、いきなり目の前が真っ暗になって…。
「君には、言う必要のないことだ…安心しなさい、ミス・ミョウジ。私は、獲物をいたぶらない主義でね。」
嬉しそうにナイフを取り出す彼を見ているうちに、数分前の記憶がじわじわと蘇ってきた。
…あれ、薬、かな…?
車に乗せられて拳銃を突きつけられて、抵抗したら、殴られて……。
とりあえず、ナイフを舐める彼の様子は、どう見ても『獲物をいたぶらない主義』には見えない。というか、いたぶる主義だろうが、いたぶらない主義だろうが、あまり事態が違っていたとも思えないけど。……つまり、今の発言は、私を殺すって意味。
「でも、どうして…」
「あの男と行動を共にしただけでも、殺す理由には充分なのだよ。」
「……そういう物ですかね…」
ジャブラさんの隣にいる変なサングラスの男が、あのままあいつといれば良かったのにな、と私に声をかける。
もしかしたら、Mr.サイコパスは本当に私を守ろうとしてくれていたのかもしれない。私は彼を、信じるべきだったのかも……でも、とりあえず一つ言えることは。
彼が任務に巻き込んだだけの一般人の私を、わざわざここまで助け出しに来てはくれないって事。
「もう一回だけ聞いてみようか。…『ランブル』をどこへやった?答えてくれないなら、奴共々死んでもらう事になるが」
「…知らないってば…私、『ランブル』どころか、彼が誰かだってよくわからないの。」
「…は?」
「脅されたって無駄。私、本当に何一つ知らないの。彼の素性だって、目的だって、雇い主のことだって、知らないの。」
「じゃあなんで奴は、君と一緒に…」
「さぁね。気まぐれなんじゃない?」
逆ギレするように言いながら、何故か涙がでそうになった。こんな時になって、ナイフを突きつけられながら思い出すのが彼の事だなんて。本当にどうかしてる。
結局、彼は誰だったんだろう。見殺しだってできた私を今まで守ってくれた理由は?今となってはわかりようもないけど。
この間の事を思い出した。頭を撫でてくれた優しい手。困ったみたいに笑った顔。気障ったらしい台詞。超おいしかったオムレツのことも。
ほんと、なんで死ぬかもしれないって時に限って。ああでも、
『ナマエちゃん、』
一回くらい、ちゃんと名前で呼んであげたら良かった。ぐるぐる眉毛とか、サイコパス野郎とか、そんなんじゃなくって。
「つまり、私を囮にして彼をおびき寄せようったって、無駄なの。私は単なる一般人で、彼にとって重要な価値はない。おわかり?」
私は一体、何がそんなに悲しいんだろう。あとちょっとで人生が終わるかもしれないのに、浮かんでくるのは人生の思い出でも、ずっと引きずってた元恋人の事でもない。
しかも、もしかしたら彼が助けに来てくれるんじゃないかってどこかで思っていたりして。
そんなわけないのに、なんだかばかみたいだ。
泣きながら逆ギレする私を怪訝な顔で見下ろしたジャブラさんが独り言のようにつぶやいた。成る程、じゃあ殺そう。
ここ数日間ですっかり殺し会いの現場を見慣れてしまった私も、やけっぱちに答える。やるんなら、なるべく苦しまないようにお願い。
「ああ、そうそう、言い忘れてたんだけど。」
「あ?」
「『Mr.プリンス』によろしく言っといて。」
大丈夫、この人、『獲物をいたぶらない主義』らしいから。ナイフが首筋に当たるので、ぎゅっと目を瞑った。
お父さんお母さんごめんなさい、先立つ不孝をお許し下さい、あと、私の親友に結婚式すっぽかしてごめんって伝えて下さい、できればニューヨークのアパートの片付けもお願いします、あとは、今月分の家賃の支払いと、職場の同僚にかしてた50ドルの回収と、
あとは、
ナイフを当てられたまま、頭の中で思いつく限りの未練(?)を並べ立てる。えーと、あとは、うん。そんなもんかな。所で、いつになったら私を殺すわけ?
いつの間にか首筋に当たるナイフの感触がなくなったので、うっすらと目を開ける。
「あの…やるんならさっさと、」
「でかしたミス・ミョウジ。」
「…は?」
「奴だ。」
「……は?」
ジャブラさんはナイフを放り投げて、部屋にいたスーツ男達になにやらイタリア語で指示をしている。
……は?…………奴?
銃を突きつけられて、動いたら殺す…って、だからさっきから私は殺されるつもりだったんですけど。
「…奴?」
「良かったじゃないか、あの男、お前を助けにわざわざここまで来て、」
ジャブラさんが全部言い切る前に、派手な音を立ててドアが吹っ飛んだ。いや、ドアっていうか。壁が?
「あー、その、…ごめん。俺が悪いよ。」
ドアごと吹き飛んだ壁、の向こう。気まずそうな顔で煙草の煙を吐いてから、言いづらそうな様子で。
「ナマエちゃん、とりあえず早く帰ろうぜ。晩飯が冷めるから。」
問答無用で突きつけられる拳銃を無視して、彼は言った。
ちょっと、嘘でしょ。