センチメンタルジャーニー
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ピピピピピピピピピピ………
目覚ましが鳴っている。何だか懐かしい音だ。ボストンにいた頃に使ってたやつってこんな音のだったな………
ピピピピピピピピピピ………
あー、それにしても、眠い。何だってこんなに頭が重いんだろう。昨日、お酒のんだんだっけ?
ピピピピピピピピピピ………
…うるさいな。止めるまで鳴り続けるなんて、本当に実家のやつみたいだ。いいや、止めてからもう一眠り、
………ピピピッ
ばちん。叩きつけるように目覚ましを止めて、やっと周りを見回した。あれ?ここ、どこ?
ボストンの実家の、いささか大きすぎるベッドから飛び降りる。そう、実家だ。なんで。なんで私、実家にいるの。
手に持ったままだった目覚まし時計で、時刻を確認する。朝の十時だ。じゃあ、日付は?今日は一体何月何日?
震える手で、テレビを付ける。
『9月21日、朝のニュースをお伝えします……昨夜未明、WAFTYエアラインズの9月20日15時30発ニューヨーク発ボストン行きが、落雷など何らかの理由で墜落した模様です。ボストン空港近くのライ麦畑には、飛行機の残骸と思しき鉄の固まりが散乱しており………』
………嘘………
『なお、乗客17名の生存は絶望視されており、ボストン警察は、目下墜落の原因を調査中で………』
鮮やかに思い出せるのは、昨日の悪夢だ。正体不明の金髪ぐるぐる眉毛男と死屍累々のエコノミークラス。血の池、ブラッディーマリー。
……墜落事故?違う。私は、その便に乗って、
確か、そう。彼は言った。これは夢で、目が覚めたら私はボストンの実家のベッドにいる。じゃああれはつまり、夢だけど、夢だと思ったけど、
体の力が抜けたみたいになって、ダイニングテーブルに腰掛けた。ふと目覚まし時計に目を落とす。
「こ、れ……」
目覚まし時計の裏側に貼られていたのは、ショッキングピンクのハート型の付箋。書いてあるのは、
"昨日は楽しかった。サイコパス男より"
根に持ってるんだ、昨日、あなたがサイコパスって言えてるって言ったの。って、そうじゃなくって。
「う、嘘でしょ……!」
自分で言いながらわかっている。嘘じゃない。夢だけど、夢じゃなかった、昨日の、悪夢。
テーブルの上に置いてあるオレンジジュースを震える手で飲んだ、所で違和感に気づいた。まぁ、既に違和感だらけなんだけど、それは置いといて。
…よく冷えてて、おいしい。まるでさっき冷蔵庫から出したばっかみたいに、
顔面蒼白で冷蔵庫へ駆け寄る、前に、台所のコンロにフライパンがおいてあるのが目に入った。
蓋をされたフライパン。まだあったかい。蓋の上には、ハート型の付箋。
"本日の朝食メニュー。オムレツ、グリルドベーコン、フルーツサラダ、ガスパチョ、クロワッサン。ボナペティ!"
誰か笑ってる、と思ったら私の笑い声だった。嘘でしょ、信じらんない。冷蔵庫を開けると、綺麗に盛りつけられたサラダと、冷製スープが入っていた。テーブルの上には、焼きたての匂いがする美味しそうなクロワッサン。
……………こんなのって、もう、笑うしかない。
*
大丈夫。いつもの1日が始まるだけだ。今日はサロンを予約して、結婚式のためのドレスを買いにいって。ドレス、ちょっと奮発してジバンシィのにしようかな。うん、そうしよう。気晴らしに。
朝食(あんな美味しいオムレツは、初めて食べた。こんな時なのに、うっかり感動してしまった)を食べ終わった私は、自分に言い聞かせながら玄関に向かう。
大丈夫、大丈夫、大丈夫………
「………」
玄関のドアには、ハート型の付箋。
"何も話さないでね、プリンセス。良い1日を。追伸、くれぐれも車には乗らないで"
………きっと、大丈夫。
いつもの1日が始まるだけだ。少しだけメランコリックでセンチメンタルな、私のボストンでの1日が。
今更センチメンタルジャーニーなんて、そんな感傷は頭から吹っ飛んでいた。それでも、昨日まで浸っていたセンチメンタルに縋って何とか自分を宥める。
ちょっと狙われるけど、なんて、そんなのはきっとサイコパスが口走った戯言だ。
*
うん、悪くない。
試着室の扉を開けて、鏡の前で一回転した。
『不思議の国のアリス』みたいな色のドレスだ。シンプルだけどシルエットが可愛いし、合わせた黒のハイヒールもなかなか、かもしれない。まぁ、ちょっと歩きづらいけど。
お似合いですよぉー、なんてほめちぎってくれる店員さんを交わしながら、ついでにドレスに合うバッグも探す。
「財布が入る大きさのクラッチバッグがいいんですけど、」
「それならこちらに沢山ございますよ、ほんとにそのドレスすっごくお似合いで、」
普通だ!全く普通。どこからどう見ても普通のセールストーク。
普通。ノーマル。日常、の、店員と客の会話。それだけの事が、涙が出そうなくらい嬉しかった。
うん、やっぱり昨日から今朝にかけての不可解な出来事は、美味しかった朝ご飯を除いてはなかった事にしよう。
そう思った矢先のことだった。
「お客様、車のランプが、」
「あぁ、これ脱いでからでいいですか?」
「いえ、警察の方がすぐにでもお話を聞きたいと」
「…警察………?」
『車』なんてもちろん、この時点で何だか悪い予感はしてた。まぁそれもどこかの得体の知れないサイコパス男が、車に乗ったら殺される、なんて気味悪い予言を残したからで。大丈夫、私の退屈な日常はそんな予言に狂わされたりはしない。
それは根拠のない自信だった。私は店員に言われるままに、まんまと『自称警察』に会いに行った。
ああ、車にさえのっていなければ!……いや、車に乗らなくても後々にはさらに厄介な事になっていたような気は、するんだけど…
*
「この男をご存知で、」
「知りません!そ、そんな人全然知りません!」
しまった。あまりの事態に緊張して先走った事を言ってしまった。写真に目もくれずに『知りません』なんて、心当たりがあるって主張してるような物じゃないか。
私の隣に座る髭面の男は、表情を変えずに写真を私に渡す。声のトーンも変えずに、もう一度。
「ご存知なんですね?」
口元だけ釣り上げるあからさまな作り笑い。私を安心させるつもりでやったんなら逆効果、目が笑ってないからすごく怖い。予想通り手渡された写真の中では、昨日出会った金髪男が退屈そうに写り込んでいた。忘れる訳ない。あの妙ちきりんなぐるぐる眉毛。
「し、知りません」
「空港で、あなたがこの男と話しているのが防犯カメラに映っていました。」
「あれはただぶつかっただけで、」
「…話したんですね?飛行機に乗ってからは?彼から一体何を聞かされたんです?」
「あの、ちょっと、いきなり何なんですか?」
連れ込まれたのは黒塗りの高級車。私を取り囲む黒ずくめの男達は、表情も変えずに一方的に私を問い詰める。
「彼は我が社の元エージェントです。通称『Mr.プリンス』、識別名称は『サンジ』。」
「ふーん、『サンジ』ね……名字は?」
「ありません。エージェントとはそういうものです。」
へーぇ、映画みたい…。こんな時なのにそんな感想しか言えない。車は渋滞をうまいこと避けてすいすい進む。
「この男は異常者です。我が社の機密情報を盗み出し、国に売りつけようとしている」
「あなたにも危険が及ぶ可能性があります。ミス・ミョウジ、事態が収拾するまで、あなたを安心で安全な場所に。」
…異常者…。確かに、昨日の彼(どうやら、名前はサンジさん)のサイコパスっぷりはすごかったけど、正直あんたらも似たようなもんだよ…。
私の非難めいた視線は彼らを素通りする。黒塗りの高級車に、黒いスーツ、サングラスの男達なんてどう考えても怪しい。問答無用で私を車に押し込んだ手際を見ても、一般人じゃないことは明らかだ。だけど何より問題なのは、
「私を…、何ですって?」
「安全な場所です。大丈夫、私達が保障します。」
「安心…」
「そう、安心で安全です。何も心配はいりませんよ」
「………あ、そう、ですか……」
『安心・安全・保障』なんて、サイコパス男サンジさんが予言した不吉なキーワードが出揃っている。
怪しいのは彼もこの人達も同じだから、逃げ出すべきか残るべきか悩むのが筋、なんだけど…
「…あの、何で私に、銃を…」
「身の安全は保障いたします。が、妙な行動は慎んでいただきたく」
「…あのね、こんなに取り囲まれて、一体私に何ができると思ってるの?」
これじゃ、逃げようにも逃げられない。
どうやら私は、このまま『安全で安全』な場所に連れて行かれるらしい。男を横目で見る。彼は、また目の笑ってない作り笑いを返してくれる。
はは、もう、ほんとに、笑うしかない。
血の池、飛行機、サイコパス、黒塗りの高級車、そして今私に突きつけられている拳銃。
……昨日からの悪夢は、まだ醒めてなかったみたいだ。