センチメンタルジャーニー
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…あの子が鼻歌を歌っているのが聞こえて目をさます。目の前に何かがちらつくので、とりあえず手を伸ばした。体温の高い手。
「…おはようございます、サンジさん。」
反射的におはよう、とだけ答えて体を起こした。低い天井に、些か小さめのベッド。俺が掴んでいた手をやんわりとどかして、ナマエちゃんは扉の向こうへ行ってしまった。
「紅茶、入れますね。ティーバッグので良ければ。」
ぼんやりとした頭を振ってベッドから降りる。こんなに寝たのは久しぶりだ、なんて考えながら彼女の声がする方へ歩く、
「あー…ナマエちゃんここ、」
「ニューヨーク。の、私の部屋。」
ベッドルームらしき部屋を抜けたところで気がついた。俺はいつのまに着替えたんだろう、確か病院ではクソださいパジャマかなんかを着てたはずなのに。まるでいつぞやにあった出来事の、立場が逆転したみたいな状況だ。そう思ったら笑いが止まらない。
「なぁ、プリンセス。」
「ん?」
「俺は、いつのまに着替えたんだい?」
してやったり、って感じで彼女は笑う。甘い香り。
「サンジさん、職業柄、私はドライバーだけで時計を解体できるの。…見ないで着替えなんて楽勝よ。」
「…ナマエちゅわん、」
まぁ、ちょっと見たけどね。それだけ言ったら抱き締めようとする俺の手をするりと交わして、マグカップを両手に持ったナマエちゃんはベッドルームに戻っていく。…あれ?結局俺は、あの子に好きだって伝えたんだっけ?
*
彼のように美味しくは淹れられないけれど。ベッドルームからサンジさんが抜け出してきた気配がして、内心慌てながら紅茶を注いだ。サンジさんに渡す方のマグカップには、病院でこっそり拝借してきた『素直になるお薬』を数滴。…初めて使うから、加減がわからないけど…とりあえず多めにいれとこうかな…げっ、ちょっと色変わっちゃった。
ばれないようにサンジさんを交わしながらベッドルームへ後戻りして、わくわくしながら紅茶を飲む彼を見つめた。一口、二口、
「…ナマエちゅわん、これ、」
さすがはサイコパス、気づくのが早い。まぁもう手遅れなんだけどね。目を見開いて私を見る彼にににっこり微笑む。してやったり、これでもう、嘘はつけないはず。
「ふふ、引っ掛かったわねサイコパス。『素直になるお薬』ですよ」
「…なるほど…」
*
いつぞやかの仕返しも果たしたら、彼に聞きたいことはただひとつだけ。サンジさんは面白くって仕方がないって風でくつくつと笑って、少し癪に触るけど今さらそんなの構わない。逃げられないように手を掴んで、あの日聞けなかった答えを、
「さて、聞かせてもらうわよ、サイコパス。私の事ちょっとでも、」
「ナマエちゃん。」
聞かせて貰う、はず、なんだけど。言い終わる前に強引に手を引っ張られる。…な、なに、
「ちょっと、話を最後まで、……ッ、」
え、なに、なんで。ちょっと待ってちょっとまって、
そんな言葉を口に出す前に頭を引き寄せられて、無理やり重なった唇はやっぱり煙草の味がした。あのときと同じように好き勝手に動き回る舌のせいで息がうまくできなくなって、混乱した頭で前にもこんなことあったなぁ、なんて考えてセンチメンタルになる。
…なんだっけこれ、…ああ、そうそう、キス。やっぱり、めちゃくちゃ上手いな、いや、そんな問題じゃないんだけど、
舌が絡まって、軽く甘噛みされて。最後にぺろりと唇を舐められる。…ああもう、息が苦しい。力が抜けそうになる体をひんやりした手が支えて、唇のすれすれのところで、掠れた声が囁いた。
「クソ愛してる。」
「……えっ?、」
「…なにその反応、傷つく。まぁ可愛いけど」
「いや、ちょ、」
ちょっと待って、言おうとした言葉は二回目のキスに呑み込まれて、混乱しながら必死で考える。…いや、いいんだけど、確かに私は、好きとか嫌いとか、そういう言葉が聞きたかったんだけど…でも、あれ?これでいいの?顔が一気に熱くなっていくのが分かった。心のなかでどうしてこうなった、とその言葉だけをひたすら繰り返す。
「ああもうまじで可愛すぎ。」
「いやちょっと待って、」
「嫌だね。」
「なっ、嫌だねって、だからなんでそんないきなり」
どうしてこうなった。体を離そうと動く前に手が背中に回されて、慌てる私を見て彼は嬉しそうに柔らかく笑う。うわ、なんかかわいい、…って、今そんな場合じゃない。違うのだ。順番が、色々違いすぎてついていけない。
「なんでって、自白剤なんて飲ませておいて良く言うよ。」
「あっ、ああなるほど、わかったごめんね、私が悪かったから、」
「悪くねぇって、君の事襲える言い訳になるし」
「…うわ最低」
「そりゃどうも」
…確かに、自白剤の効果ありだ。にっこりと微笑みながら最低な事を口走ったサンジさんをぼんやり見つめた。煙草の香り。何回だって思い浮かべたあの低くて甘い癖のある声が、熱に浮かされたみたいな調子で囁く。好きだよ、
「あれから、さ。ずっと君の事が頭から離れねぇんだ。…笑った顔とか、香りとか声とか、思い出す度に気が狂いそうで、」
やばい。これはまずい。ちょっと待て。どうしようどうしてこうなった、あ、自白材のせいか。そうだとしても順番違いすぎ、さすがはサイコパス。頭の中の冷静な部分が呟いて、その間も喋り続ける彼が少し不機嫌そうに言った。
「こんな時になに考えんの、プリンセス。」
「いや何って」
「…こっちは君の事でいっぱいいっぱいなのにさ、」
きつく抱き締められればやっぱり煙草の香りがして、逃げようともがいたらさらにきつく抱き締められる。あ、やばいやばいやばい逃げられない、自白剤なんて使わなきゃ良かった。顔を真っ赤にしながら後悔する私に、かすれて物騒な声が降ってくる。
「…キスだけじゃ、足りるわけがねぇんだ。」
「あ、あの、サンジさ、」
「俺の事狂わせた責任、取ってくれよ。ナマエちゃん。」
「いやね、落ちついて、ちょっと待っ、…」
「だから待たねぇって」
止めようと伸ばした手は宙を舞った。愛してる愛してる愛してる、際限なく囁く彼のせいでどんどん心臓の音が大きくなっていって、私のセンチメンタルで見え透いた企みなんてどこかへ飛んでいってしまった。…それでもこの人が居てくれるならなんだっていいや、なんて。やっぱり私は甘ったるい事を考えて、サンジさんの香りを深く吸い込む。
「ナマエちゃん、好きだよ、クソ大好き、愛してる、」
…そういえば、私は彼に好きだって伝えたんだっけ?
*
「…ちゃん、」
「……」
「…ナマエちゃん起きて、」
ひんやりした手が体を揺さぶる、のを、無視して布団に潜り込んだ。今、何時なんだろう。ちらりとそんな疑問が頭をよぎったけれど、眠気に押し流されてそれすらどうでも良くなる。
「…うるさいな、もう…」
「ちょ、辛辣…」
仕方ねぇなぁ、困ったみたいに彼が呟いて無理やり布団が剥がされる。…じろりと睨み付ける私の事なんか気にしないで、サンジさんはにっこりと微笑む。おはよう、俺の眠り姫。相変わらず気障ったらしいことを言うのを無視して、枕元の時計で時刻を確認した。…午前、6時。なんかおかしいと思った、いくらなんでも早すぎる。ベッドに戻ろうとしたら押し止められて、
「なんなんですかこんな早くから、まだ寝れるじゃない、」
「いや、うん、…昨日無理させちまったし、寝かしてやりてぇのは山々なんだけどさ、」
…なんか、恥ずかしい事言われたけど気にしないでおこう。仕方なくベッドから降りようとしたら問答無用で抱き上げられる。
「ちょっ、だからお姫様だっこは恥ずかしいから止めてってば」
「あー、…ごめん。ちょっとまずいことになったんだ、早めにずらからねぇと」
サンジさんが走り出したのと同時くらいに、ふっ飛んだ。何が?窓ガラスが。寝起きで混乱した頭は、修理代いくらになるのかな、とかずれたことを考えていて。普通だったら、悪い夢でも見てるみたい、なんて言うべき状況だ。でも、こんな状況にはもう慣れっこだから悲鳴も出ない。
「…あのカーテン、お気に入りだったのに…」
「…やっぱずれてんなぁ…」
…だって、どこからつっこんでいいんだか分からないんだもん。
*
銃声に、怒号に、硝煙の匂い。さっきまで私のアパートを取り囲んでいた男たちは、あっさりと彼に全滅させられてしまった。最後に残った一人にも軽やかに蹴りを食らわせて、サンジさんは笑う。
「つーわけで、お手をどうぞ、プリンセス。」
「…やだって言ったら?」
「えっ!?」
「あははうける、なっさけない顔」
銃弾だの、スパイだの、エージェントだの。あからさまにショックって顔で私を見るサイコパスはやっぱり可愛くて、こんな状況なのに笑ってしまう。
「ナマエちゅわん、まじで傷つくからさぁ」
「だって、まだちゃんと聞いてない。」
「…ナマエちゃん、」
「ねぇ、サンジさん。私の事ちょっとでも、好き?」
悪夢みたいに始まった、私のセンチメンタルジャーニー。きっと今だって状況は変わってなくて、死屍累々って感じの血の池はまるで悪い夢でも見てるみたいな光景だ。
銃弾だの、スパイだの、エージェントだの。冒険なんてあり得ない、危ない橋なんて絶対渡ったりしない。平凡で退屈な私の日常に、それはぽっかりと口を開けていて、
サンジさんはいつもみたいに気障ったらしい仕草で私の手を取って口付ける。あれから何回も思い浮かべたあの声が囁く。甘くてひくい、少し癖のある声、
「…好きだよ、まじで大好き、クソ愛してる。だから頼むよ、ナマエちゃん」
あのときと似たような状況だった。あの日、私が乗り込んだ、あの飛行機のなかでの悪夢と同じ。ひとつだけ違うのは、私がひどくロマンチックな思いに駈られてるってとこだけで、そう、例えば。
「俺に、さらわれてくれる?」
この人と一緒なら、きっと私はどこへでも行ける、なんて。
銃声と血の池から始まった私の悪夢は、きっとこれからも続くんだろう。でも、彼とならそんな悪夢も悪くないなんて、今さらそんな分かりきったことを私は考えていて。
「…ふふ、いいですよ。どこへなりとさらっていって?」
「仰せのままに、プリンセス。」
…気障。思ったけど口には出さないでおいた。触れるだけのキスが降ってきて、そのまま抱き上げられたら煙草の香りがして。結局、夢だろうが現実だろうが構わない。絶対に壊れることなんてないと思っていた、私の退屈な日常ですらあんなにあっさりと壊れてしまったんだから。何が夢で何が現実かなんて、考えるのすらばからしい。
誰かが笑っている、と思ったらそれは自分の声だった。サンジさんの首に手を回して、大好きですよ、そう呟いてみたら、やべぇ泣きそう、なんて思いの外可愛らしい答えが返ってきて。
「…ふふっ、なっさけない、サイコパスの癖に。」
「ナマエちゅわん、辛辣…」
気障で物騒で、そのくせ意外と打たれ弱い、私の愛しいサイコパス。無理やり唇にキスしてみたら煙草の味がして、それはきっと夢なんかじゃなくて、
息を吸ってついでに吐いて、それから独り言みたいに呟いた。
ほらね、運命だって言ったでしょ?
*
平凡な癖に俺を狂わせる、厄介な彼女。住む世界が違うとか、二度と会えないとか、そんな下らない何もかもをあっさりと覆してナマエちゃんは笑う。
「どこへなりと、さらっていって?」
仰せのままに、なんて返事をして抱き上げたらやっぱり甘い香りがして、頭の芯が痺れたみたいになって。気が狂いそうだ、ぼんやりと思った。平凡で、ずれてて、厄介な彼女。柔らかい声が特別な何かみたいに俺の名前を呼んで、それを聞きながら相変わらず馬鹿みたいにセンチメンタルなことを考える。
きっと出会ったあの日から、俺はこの子に狂わされてて。これからもきっとそれは続いてくんだろう。朝から晩までずっと彼女の甘い香りに囚われたまま、そんなのも悪くはないなんて、やっぱり馬鹿みたいに甘ったるいセンチメンタルをもて余して。これが運命だとか必然だとか、今なら、そんな陳腐な言葉だって結構本気で信じられるんだ。そんなことを言ったらきっとナマエちゃんは気障だって笑うんだろうから、この考えを言葉にする代わりに赤い唇にキスをした。
朝から晩まで君に夢中
これからも続く、馬鹿げた夢みたいに現実味のない、甘ったるくてロマンチックなセンチメンタルジャーニー。
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