センチメンタルジャーニー
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「賢明な判断ね。…では、説明を。」
綺麗に微笑みながら、カリファさんはすらすらと言葉を並べていく。目の前に差し出されたのは、普通の万年筆。…あの、これが、何か?
「このペンは発信器よ、『Mr.プリンス』が側に居るときにボタンを押して。」
「…はぁ…」
…ハイテクだな。小さい頃持ってたおもちゃの、スパイ七つ道具みたい。こんな状況なのに、出てきたのはそんなアホみたいな感想だけ。ぼんやりと彼女の言葉を聞き流していく。
「そうしたら私たちは彼と『ランブル』を確保して、貴女をボストンの実家に帰す。安心して、貴女の身の安全は保障するわ。
「ああ、そう、ですか…」
安心、安全、保障。懐かしいフレーズだ。あの飛行機での出来事はつい最近の事なのに、まるで遠い昔のような気がしてしまう。今だって、相変わらず夢をみてたみたいな状況なんだけど。安心、安全、保障。別にこの人の言葉を信じている訳じゃない。任務に巻き込んだ一般人を、スパイだかエージェントだか、そういう種類の人たちが平和的に取り扱うのかどうかはかなり疑わしい。映画とか小説とかの展開で考えれば、口封じに殺されるのがお決まりって所だし。
「ご協力に感謝するわ、ミス・ナマエ・ミョウジ。では、ホテルの近くまでお送します。彼より早く、部屋に戻って。」
ただ、もううんざりってだけ。スパイだのエージェントだの、そんな物騒な騙し合いは小説のなかだけで十分だ。誰でもないただの一般人の私は、もちろんそんなお話に登場する余地なんてない。まぁ機会があったとして、せいぜい通行人A位が関の山だ。カリファさんに見送られて部屋を後にする。去り際に、独り言みたいに彼女が呟いた言葉。
「貴女は夢を見てたの…あとは、気持ちよく目覚めるだけ。」
ほんと、その通りだ。甘い夢を見てただけ。目が覚めてしまえばすべて消えてなくなって、
*
9時30分。部屋においてあったワインを開けて、一人でぼんやりとテーブルの上を眺めた。渡された万年筆は、どこから見てもおもちゃみたいで、どう考えても発信器の類いには見えない。馬鹿みたいな夢みたいな今の状況。こんなところまで現実味がなくて少しおかしい。この間みたいに酔いつぶれないように、慎重にワインをグラスに注ぐ。…9時頃帰って来るって言ったのに、嘘つき。なんて、私に言えた事じゃないか。余計なことを考えてしまわないようにテーブルに突っ伏して、ひたすらサンジさんが帰って来るのを待った。
*
どのくらいたったんだろう。テーブルに突っ伏してそのままうたた寝してしまって。髪の毛を梳く指の感触で目が覚めた。甘くて低い、癖のある声。
「ナマエちゃん、悪い、遅くなっちまって。」
「ああ、サンジ、さん。」
こんな終わりかたって、ない。顔をあげて、彼を見上げたら表情を取り繕うこともできなくて。絞りだした声は泣きそうな調子で。
「…値段は、決まった?」
あなたが嘘だって言ってくれれば、否定してくれれば。そしたらきっと私は信じられるかもしれない。また、根拠もなく、あなたを。そんなセンチメンタルを飲み込んだ私の言葉を否定する代わりに、困ったような顔で私を見て。まいったな、なんて笑う。
「…ごめんなさい嘘ついて、跡、つけたりして。でも、」
あなたも嘘ついたんだからおあいこだよね。茶化そうとしても言葉にできなくて、涙をこらえながらサンジさんを見つめる。彼は喉で笑いながら、グラスにワインを注いで。それから悲しげに微笑んで、
「ニューヨークに乾杯。あの日、はじめて君と、」
「…ぶつかった、のは。偶然だと思いますか、」
なんで今更、そんな風に笑うんだろう。今更、ニューヨークに乾杯とか、もう、嫌だ。泣きそう。偶然でも運命でもなかった、ただ利用されただけ。何回だって自分に言い聞かせた。それでも催眠術にかかったみたいに、私の口から溢れるのは馬鹿みたいにセンチメンタルな言葉。
「運命だとか、思ったり、します?」
「…思うよ、」
彼の手が、酷く優しく頬に触れて、すぐに離れた。嘘つき、そう呟くのと同時くらいに涙がぼろぼろこぼれだす。目をそらして、テーブルの上のペンを手に取った。馬鹿みたいにセンチメンタルで甘い、夢を見てただけ。ボタンを押して、情けない声で言葉を繋げる。
「…もう、何を信じたらいいのか分からないの。…ごめんなさい、」
なんで今更、そんな風に優しく笑うんだろう。怒鳴りちらしてやろうと思ってたのに、皮肉でも言ってやろうと思ってたのに。捨て台詞のつもりで呟いた声も震えてて、ほんと馬鹿みたい、
「大人しく『ランブル』を渡して…そうすれば、」
「君はほんと、楽天的だな、プリンセス。」
「…住む世界が違うだけ、」
「はは、確かに。…頼むからさ、そのままずっと変わらねぇで、ナマエちゃん」
爆発音が響いて、部屋の扉が吹き飛ばされた。呆然と固まっていたら体温の低い手に背中を押されて、座りこんだ私を誰かが部屋から引っ張り出す。最後に見たのは、バルコニーから走り出す後ろ姿。物騒な雰囲気の廊下を、拳銃を手にした男の人に引っ張られながら進む。すれ違った男の子が、目を涙でいっぱいにして私に言った。安全に帰れると思う?
*
ぼんやりした感覚のままで車に乗せられて、走り出す車の中でも銃声だけがはっきりと聞こえた。窓ガラス越しに屋根の上を走る人影を目で追う。サーチライト、怒鳴り声。
「貴女はよくやったわ、ミス・ミョウジ。」
車内に美しく響く声。数えきれないくらいの銃声がこだまする。影はは立ち止まって。そのあと力なく倒れてあっけなく川に落ちていった。目が、反らせない。嘘でしょ、殺したりしないって、さっき。指先がどんどん冷たくなっていって、視界がぐらぐらした。…悪い夢を、見てるみたい。うつむいた私を、慰めるみたいに彼女は言う。
「あとは、気持ちよく目覚めるだけよ。」
*
「サンジさんは、」
「遺体はまだ発見されてないわ。でも、時間の問題よ。必ず、捜し出して『ランブル』を回収する。」
空港で交わした会話を最後に、ボストン行きの飛行機に乗り込んだ。サイコパスもスパイも関係ない、安全で安心な普通のフライト。酷く揺れる機体だけがあの日とそっくりだけど、トイレから戻ったら血の池、なんて事態は起こりようもない。このままボストンに到着すれば、いつも通り。
サイコパスもスパイも、きえてなくなる退屈な日常がまってる。無理やり中断された、私の平凡で退屈なセンチメンタルジャーニーの続きが。
*
昨日までの出来事が夢だったと証明してるみたいだ。飛行機は、拍子抜けするくらいあっさりとボストンに到着した。当たり前だけど空港近くのライ麦畑に不時着したりしないで、安全に飛行場に着陸したし、私は薬を飲まされることもなくタクシーで実家に戻った。勿論、運転手は黒スーツの物騒な男ではなかったし(やたらお喋りのおじさんだった)、カーチェイスなんて起こりようもない。
ヨーロッパを旅行していた両親が、連絡が取れないことを心配して警察に捜索願いを出していたけど、それだって私が無事でいるんだから笑い話にしかならない。
先週あったことなんて夢だったと言わんばかりの、いつも通りの日常。
*
「…このアップルパイ、いまいち…」
「え、ナマエ、ハイスクールの頃からここ、お気に入りだったじゃない。」
あの、悪夢みたいな一週間はあっさりと忘れたふりをする。久しぶりにあった友人と、一年ぶりに行った喫茶店で。昔は大好きだったはずのアップルパイ。…おかしいな、ハイスクールの頃は毎日たべたってあきないくらいだったのに。
「…んー、何かこってりしすぎ、もっとリンゴは酸っぱい方がおいしい。クリームだってもっと甘さ控えめにして、代わりにアイスが載ってて、」
「…それもはや、別の店のメニューでしょ…」
「あと、パイ生地がもっとサクサクしてて、バターの香りで、シナモン、………」
「シナモンが?」
「あ、………ごめん、なんでもなかった。やっぱここのアップルパイ、おいしい。」
一瞬ぼんやりしていたらしい、私を親友が怪訝な顔で見つめた。…だめだな、忘れなきゃいけないのに。夢を見てただけなのに。今でも鮮明に思い出してしまう。この店のより、もっともっと美味しいアップルパイを、私は知ってる。思わず会話も忘れて夢中になってしまうくらい、そう、あのときのローマの、
「…ナマエ、やっぱ変よ、あなた。」
「そう?」
「ねぇ、先週ついたんでしょ?なんですぐに連絡くれなかったの?」
「…うん。」
「しかもあなたのお父様から電話があって、行方不明だなんて言われるし、」
「ああ、そうだったの?」
「そうだったの、って…あなたこの一週間、どこいってたのよ?」
この一週間。あれはたった一週間前のことなのに、ずいぶん昔のような気がする。それぐらい非現実的だった、私とサイコパスの一週間。食べる気になれないアップルパイを、フォークで崩しながら上の空で会話する。…ほんとのこといってみたら、どうなるかな。
「あのね、ニューヨーク空港で、」
「空港で?」
「気障ったらしいお兄さんとぶつかってね、」
「で、その人といちゃついてたわけ?」
「んーん、その人サイコパスの諜報部員で、飛行機の乗客を私以外全員殺しちゃったの」
「…は?」
「パイロットも死んじゃったから飛行機は墜落して、私はお兄さんに拉致されてローマからスペインまで旅行して、昨日帰ってきた」
「…ふざけないで真面目に答えなさい。」
あ、やっぱり信じてもらえない。自分で言ってる癖に私だってとても本当とは思えないんだから当たり前か。サイコパスやらスパイやらの存在はいよいよ曖昧になってきて、やっぱりここは私の平凡で退屈な日常だ、なんて実感したら涙が出そうになる。
「ごめん、ほんとはね、」
何回だって思い出しては反芻して、その度にセンチメンタルな気分になる。今だってカフェのまどから、彼と同じ色の金髪を目で追っている。…死んじゃったのかな。私の、せいで。あの人の言う通り私が楽天的すぎたんだ。あのときカリファさんの申し出を蹴っていたら、きっと彼は、
「…ほんとは、どうしたの?ナマエ、大丈夫?」
「あ、うん、」
やばい、またぼーっとしてた。心配そうな顔の親友は、私の頬に軽く触れた。暖かい手。どこかの誰かさんとは大違いだ。でも、彼もこんな風に優しく私に触れて、抱き締められたら煙草の香りがして、
だめだな、なんで、忘れられないんだろう。思い出してしまったら堰を切ったみたいに涙が溢れだしてしまう。
「…、ナマエ…」
『ナマエちゃん』
耳の奥で彼の声が再生されて、涙を拭ってくれる彼女の手にまたセンチメンタルになったりして。
「ほんとはね、失恋したの、」
「…そう…」
「住む世界が違ったから、彼、いなくなっちゃって。」
「…辛かったね、無理に聞いてごめん。」
「いやむしろ私がごめん。結婚式の前日にこんな話、」
彼にとっては当たり前だったんだろう。住む世界が違うことも、ずっと一緒にいられないことも。私だけ、諦めたふりをしながら一人で期待してた。甘い夢を、見てただけなのに。アップルパイを少しだけ口に運ぶ。…やっぱり、リンゴが甘ったるすぎて美味しくない。
夢みたいな馬鹿げた一週間だった。人に言ったって信じてもらえない非現実的な事ばかりの一週間。悪い夢を見たあとは、もう一眠りして。あとは気持ちよく目覚めるだけ、
なのになんで未だに、私は悪夢を忘れられないんだろう。