センチメンタルジャーニー
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夢なんて目が覚めたら元通り、どうせ消えてなくなってしまう。それが悪夢だろうが何だろうが、目覚めてしまえば一瞬だ。今起こってることだってそう。目が覚めてしまったら元通り、単に悪い夢を見てただけ。物騒で気障で怖がりなサイコパスの事だって、彼に振り回された私の事だって、昨日(もしかして一昨日?)キスした事だって、全部、全部、目が覚めてしまったら、
*
私は、何を考えていたんだろう。ぼんやりとそんなことを思っていた。住む世界が違いすぎるなんて、当たり前すぎる現実を今更噛み締めたりして。…やっぱり、このままずっと一緒に、なんて、夢みたいな冗談だった。俯く私を見て、綺麗に微笑むのはCP9製薬の新薬開発部スパイ対策本部長だとか言う美女。…えーと、確か、名前は、
「ミス・カリファ、もう五分経過しました」
ああ、そう、カリファさん。スパイだとか、エージェントだとか、
「…あら、もうそんな時間なのね。では、どう動くかはあなた次第よ。彼の居場所を教えて家に帰るか、それとも、」
サイコパスだとか。ほんと、夢みたいな馬鹿げた話だ。馬鹿みたいな夢みたいな、現実。昨日までの私だったらこの人の申し出を受けようなんて、そんな考えはちらりとも浮かばなかったはず、だけど。
「ミス・ナマエ・ミョウジ、いい加減目を覚まして。」
私は、何を信じたらよかったんだろう。あのとき、飛行機にのらなかったら?偶然、彼とぶつからなかったら?ボストンで車に乗ってなかったら?最初から思ってたことだ。そう、悪い夢を見てただけ。ぐるぐると頭の中を回る私の思考を先読みするみたいに、カリファさんは言葉を紡いでいく。
「甘い夢を見てただけよ。彼と、幸せになれるとでも?」
*
「そう、…今ついたとこ。」
盗み聞きなんて趣味が悪い。そう思いながらもバルコニーから息を潜める。聞こえてくるのは、サンジさんの声。
「今から?…電話じゃなくて?」
声の感じとか、話してる雰囲気とかから、なんとなくわかった。女の人、かな。まぁ、私には関係ないんだけど。…関係、なくなるんだけど。自分に言い聞かせてもじくじくと増していく不愉快な感覚は止めようがない。
「あァ、了解…いつも通りスパイダーズカフェに7時な。」
いつも通り、か。…恋人、いるんじゃん。そりゃあ私なんかには手をださないわけだ。ダンゴマンの言葉が頭をよぎる。この間連れてた派手な女…別に、期待してた訳じゃない。サンジさんが私の事ちょっとでも好きだとか、そんなのは、単なる酔っ払いのハイテンションな戯言だ。
「…俺も早く会いてぇよ、シンドリーちゃん」
目が覚めたら、私には一生縁がないってくらいに豪華なベッドでねていた。スイートルーム。それも、飛びっきり豪華な、映画か小説の中でしかお目にかかれないような高級ホテルの。バルコニーに立って、こんな時なのに浮き足だった気分で町並みに見とれて。そんな時に限って隣の部屋から聞こえてきた会話。…スパイの癖に、ちょっとうかつ過ぎじゃない?盗み聞きしてた自分の事を棚にあげて、バルコニーの柵に寄りかかる…あ、ヤバい、目があった、
「ナマエちゃん、目ェ覚めたんだ、」
「あ、うん。おはようございます。サイコパスさん。」
心臓がどくんどくん嫌な音をたてながら鼓動を打った。不愉快な感覚。なんか知らないけど、ちょっと泣きそう。そんな諸々の事を知らんぷりして、作り笑顔でサンジさん、いや違ったサイコパス、と、会話をする。
「あー、俺、今から出掛けるから。危ねぇから部屋から出ないで待ってて」
「…いいですよ、どうせ行くところもないし。」
「9時頃には帰ってくるから…夕飯でも一緒に」
「そうですね、じゃあ、9時に。」
いつもみたいに甘くて低い声。軽く笑ってから、じゃあ行ってくるから、なんて言って。別に、期待なんかしてなかった。自分に一生懸命言い聞かせる。住む世界だって違う、期待なんか最初からしてなかったし、サンジさんが、私の事ちょっとでも好きだとか、そんなの、
*
何してるんだろう、私。自分で自分の行動が信じられない。見失わない程度の距離を保ちながらサンジさんの後ろを着いていく。今から彼が誰に会いに行くのかなんて、確かめてどうするんだろう。いつも通りスパイダーズカフェに7時。この間つれていた派手な女。だからそれが、なんだって言うの?もう、関係ない事じゃん、私には。頭の中をぐるぐると回る真っ当な意見とは裏腹に、足は止まらないで迷わず彼に着いていく。スパイダーズカフェ…あ、あの店、
店の外の街灯の陰に隠れて様子を伺う。小さい頃によく読んだ三流探偵小説みたいだ。店から出てきたのは…綺麗な、ブロンドの女の人。運悪く、いや、運良く窓際の席に座ってくれたから、二人の会話が上手いこと聞き取れる。…よりによって、英語だし。スペイン語だったらよかったのに。
「久しぶりね、…『Mr.プリンス』」
「あァ、相変わらず綺麗で安心したよ、シンドリーちゅわん」
『こないだ連れてた派手な女』ってこの人かな。この人は派手な女なんて、チープなイメージじゃないけど。綺麗な金髪に、ぱっちりした大きな目。控えめに言って超綺麗って所だ。…二人して並んでると、別世界って感じ…。気を紛らわせるためにそんなことを考えながら、見つからないように街灯から顔を覗かせて。その間も二人の会話は進んでいく。
「…そう、私は相変わらずだけど…あなたは、少し変わったみたい。…一緒にいる彼女はどなた?」
「あー、あの子は、」
「あなたにしちゃ地味だけど…かわいい子ね、恋人?」
…地味だけど、なんてよけいなお世話。それでも、並んでれば恋人に見えなくもないのかな、なんて少しだけ浮上した気分は、会話が進むにつれて冷静さを取り戻していく。
「あの子は…なり行きでしょうがねぇから連れてきただけ。」
「…そう、」
「俺とは何の関係もないただの一般人。」
「それは、残念ね。」
俺とは、何の、関係もない。しようがないから連れてきただけの。
…そうだと思った。そんなの知ってたし、期待なんか別にしてない。してなかったけど、
やっぱりどうでもいいんじゃない。だったら、なんであの時、
…あ、やばい、何か泣きそう。街頭に寄りかかって、ジャケットの裾で目尻にうかんできた涙を拭った。煙草の香り。もういいや、帰ろう。帰ったら、お風呂にでも入って、それから、サンジさんが帰ってきたらいつも通り。
そう思ってるのに、凍りついたみたいに足がそこから動かない。耳に流れ込んでくる二人の会話。誰でもない、ただの一般人。その通りじゃん、いまさらそんなことにショック受けたりとか、
なんでいまさらそんな、わかりきったこと。
*
「で、こんなこと話す為にわざわざ俺を呼び つけた訳じゃねぇんだろ?」
「…せっかち。」
ああもう、早く帰らなきゃ。これ以上ここにいても仕方がない。ぼんやり考えながら、目の前の光景を眺める。くつくつと笑う声。彼女の耳元に唇を寄せて 、
「俺の勝手だろ、ジャブラ。さっさと言えよ 、幾らで買い取る?」
え?…ジャブラ?
…ジャブラって、あれ?ないだローマで私を 拉致監禁した彼じゃないっけ?ナマズみたいな髭の。何で今、この状況でジャブラなんて単語がでてくるんだ?
予想してたのとは全く違う方向に進んでいく会話 。言葉の意味を反芻しても、やっぱり状況が掴めない。幾らで、買い取る?あれ?どういうこと… ?
混乱しながらも様子を探る。目を凝らして窓際の二人を眺めて。今気がついたけど、彼女の耳元に小さな機械がついていた。えーと、トランシーバーかな、あれ。さっきの言葉の意味を掴むために、必死で頭を回転させる。……もしかして今の、あれに向かって話してた?ジャブラさんと?なんで?あの美女、恋人じゃないの?そもそもサンジさんは、一体、何の話をしてるの?
彼は、さっき彼女と会話していたのと同じトーンで言葉を続ける。…えらいところに出くわしてしまった、なんて、混乱する頭の片隅で、冷静な部分が他人事みたいに呟いた。
「『ランブル』もデータも俺が持ってる。開発者も一緒だ。上乗せ分は幾ら払うんだ?」
*
今聞いてしまった会話を、どう考えたらいいんだろう。サンジさんは、薬を回収する、としか教えてくれなかった。あとは、開発者を送り届ける、私が知ってるのはそれだけだ。…薬を回収して、そのあとはどうするつもりなんだろう。考えたってわかるわけがない。私には、『ランブル』の事だって、それを取り巻く状況だって、何一つ知らないんだから。
混乱した考えをもて余しながら、とぼとぼと来た道を引き返した。頭の中で、さっき聞いてしまった会話が何回でも繰り返される。思い出すのは、ボストンで私を車に連れ込んだ怪しい黒づくめの言葉。
『この男は異常者です。我が社の機密情報を 盗み出し、国に売りつけようとしている』
…私は、何を信じたらよかったんだろう。例えば、あの日、彼らの車に大人しく乗っていたら?本当の事を言ってたのが、彼らの方だったら?
サンジさんは何者なんだろう?何で、私は巻き込まれたんだろう?彼の雇い主は?目的は?
そんなの、今更すぎる疑問だ。今までだってずっと頭に残っていた疑問。彼に聞いたって絶対に答えを教えてくれなかった疑問。結局、私はサンジさんの事なんて何も知らないんだ。
のろのろと歩いて、角を曲がる。私に向かってライトを照らしたのは、あの日と同じ種類の黒塗りの高級車。運転席に座っているのは、あの日、暴走する車から飛び降りていった男の人。…ほんと、タイミング良すぎて笑っちゃう。
*
「CP9製薬スパイ対策本部長、カリファ・スパンダインと申します。」
「…ああ、そうですか…」
スパイだとか、エージェントだとか。現実味が無さすぎて。車に乗せられて、連れていかれたどこかの事務所。目の前で非現実的極まりない役職名を言って名刺をさしだした女の人に、乾いた笑いを漏らした。怪訝な顔で私を見る彼女に、ごめんなさいもうなにを信じたらいいかわからなくって、なんて。呟いた声まで茫然とした調子で、ああもう、おかしい。馬鹿みたい。
「…混乱するのも無理はないわ。貴方はこの一週間、組織を抜けた元エージェントに、嘘ばかり聞かされていたんだもの。」
「はは、そう、ですか。」
スパイだとか、エージェントだとか、サイコパスだとか。ほんと、現実味なさすぎ。まるで馬鹿げた夢でも見てるみたい。
*
画面に写し出されたのは、あの日のニューヨーク空港のロビーだ。サンジさんと私がぶつかったときの映像。
『うわっ、すみません、』
『いや、こっちこそ悪い、怪我はないかい?』
画面の中に、散乱する荷物を拾い上げる様子が大写しになる。サンジさんの手が、私のスーツケースのポケットになにかを入れた。
『すみませ、あ、さっきの、』
『悪い、なんか君とよくぶつかるな、』
二回目。散乱する荷物をかき集める私を手伝うふりをしながら、スーツケースのポケットから何かを取り出す。
どういう事なんだろう?疑問を口にする前に、カリファさんはすらすらと謎解きみたいに言葉を並べていく。
「あの日、彼は貴女のスーツケースに、『ランブル』のデータメモリーを隠したの。空港のチェックをすり抜けるためにね。そして今、『Mr.プリンス』はそのデータも、薬も、開発者も、他国の製薬会社に売り渡そうとしている。」
嘘、そんなはずない。反射的に思ってしまったけれど、勿論、根拠なんてない。私が今まで信じていた色々なことは、さっき聞いてしまった会話と、今目の前でロボットじみた調子で話す女の人にあっさりと崩されてしまった。
「彼は、今まで一つだって、根拠のあることを言ったかしら?」
昨日までの私だったら、どうしてたんだろう。住む世界なんて違う筈の、物騒でこわがりで気障なサイコパス。きっと、この人の言っている事は嘘だなんて、何の根拠もなく信じられたかな、
「私と彼、どちらが本当の事を言っているか。よく考えて。」
全部偶然だと思ってた。…あの日、9月20日。偶然ぶつかっんだと思ってた。不運で、もしかしたら幸せな偶然。ずっと一緒にいられない事くらい分かっていたけど、それでも、あの人と居ると何だって大丈夫なような不思議な気分で、それが心地よくって。
「利用されたのよ、貴女。」
偶然でもなんでもない。ただ利用されただけ。
混乱していても、泣きそうになっていても、カリファさんの醒めた調子の声ははっきりと耳に届いた。指先が冷たいな、なんてぼんやり思った。こんな時なのにひんやりしたサンジさんの手の温度を思い出したりして。
「スパイは嘘を吐くのが仕事よ。愛情なんて捨てるように訓練されてるの…彼と、幸せになれるとでも?」
うける。まるで映画の台詞みたい。
無理矢理茶化すような事を考えながら涙が出ないように俯いたら、代わりに微かに笑い声がこぼれて、自分でもびっくりした。昨日までの私だったら、きっとこんなの嘘だって、
利用されただけ。甘い夢を見てただけ。今言われた言葉が、頭の中で繰り返される。
何がこんなに悲しいんだろう。甘い夢を見てただけ。当たり前の事じゃない、サイコパスだって、信用なんてできないって、そんなのちょっと考えたらすぐに分かることなのに。もう何を信じたらいいのか、分からない。それでも鬱陶しいくらいに頭の中でちらつくのは、彼の。ひんやりした体温、煙草と男物のコロンの香り、蜘蛛に怯えてるなっさけない顔、
困ったみたいに私を見て、笑って、
それから、甘くて低い、癖のある声で。
『ナマエちゃん、』
ああもう、全部嘘だ。本当は全部嘘だった。期待してなかったなんて、住む世界が違うから諦めるなんて、ずっと一緒にいられないって納得した振りも。全部嘘で。
本当は今聞かされたことだって、さっき聞いてしまった会話だって、信じたくなんかなかった、そんなの馬鹿みたいだ。センチメンタルすぎ、なに考えてたんだろう。
涙を流す代わりにもう一回微かに笑い声を立てて、目の前で綺麗に微笑む彼女を見つめる。ほんと馬鹿みたいだ、最初から現実味のない状況だったのに。全くうんざりする。利用されただけの状況に未だに一人でセンチメンタルになってる自分にも、彼にも、今目の前で微笑む彼女にも。
「分かりました…、私は、何をすれば?」
利用したいなら利用したらいい。ただやけっぱちなだけの気分で口に出した声の調子がやけに冷静で。カリファさんの微笑みが更に深くなったのをぼんやりと眺めた。
「そう、目を覚まして。甘い夢をみてただけよ。」