疫病神と踊る医者
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関わらないようにしよう。部屋の前でも、駅前でも、…もちろん、病院でも。なんたって彼はお医者さんだ。私と関わって医療ミスが多発したりとか 、病院内で事故が起こったりしたら目も当てられない。幸い私はあの病院の医者のルーティーンは完璧に把握しているし、彼は主に夜勤担当らしいから、出掛ける時間を早めればマンション内でも会わずに済む、……筈だったんだけど。
「…またてめぇか、苗字名前。」
「お、……恐れ入ります…。」
かれこれ、今月に入って5回目だ。ちゃんと彼が担当してない時間帯を狙って行ったはずなのに、またしても診察室で私は彼と会話している。
「あの、水曜日はお休みのはずじゃ…」
「担当者が忌引きでな。お前は俺のストーカーでもしてんのか」
いや逆です、あなたの事避けようとして必死なんですけど。頭の中ではそう返したけれど、失礼な気もするから実際に口には出せない。
「…じゃあ何でこうも俺の担当の日ばかり来るんだ?」
「……き、恐縮、です…」
鞄の中からすごい力で這い出ようとする疫病神を押さえつける。会いたくないと思えば思うほど、避けようとすればするほど彼に遭遇してしまうのは、 きっと。
トラファルガーさんは面白そうに目を細めて一言。あァそいつのせいか。
…気まずい。顔に、一気に血が上っていく。
「いっ、いや、あの、決して会いたくないとかいう訳ではなくてですね、あの、ただトラファルガー先生はお医者様であらせられる訳ですから、万に一つの事でもあってはならないと、あの、だから決して避けてるというわけでは、」
「俺はまだ、何も言ってないんだが。」
「…あっ、」
「つまり避けようとすればするほど、こうして鉢合わせる訳だ。」
「いや、そのですね…」
ああ、墓穴を、掘ってしまったな。頭の中で、妙に客観的な事を考えている自分がいた。非常に気まずい雰囲気の中で、彼は淡々とカルテを書いていく。
「で、今日はどうしたんだ。」
「あ、えーと、…火傷を、あの、手のところに…。」
「………お前はなんでそう、目立つ所に傷を作るんだ…」
面倒臭そうにため息をつきながらも、相変わらず優しい手つきで。大きな手が、丁寧に包帯を巻いてくれるのをぼんやりと見ていた。少し柄は悪いけど整った顔立ちに、乱暴な口調とは裏腹に実はいい人だったりして。受付のナースさんが噂にするのも分かる。私だって、この人が嫌いって訳じゃないんだけど。包帯を巻く手を止めないで、私の手を見つめながらトラファルガーさんがぽつりと言った。
「綺麗な手してるのに傷つけちゃ勿体ねぇだろうが。」
「…えっ!?」
「薬出すから、朝晩二回ずつ塗れ。風呂とかで擦るなよ、跡になるから。」
「あ、はい」
綺麗な手、…綺麗な、手。さっき言われたことに頭を一杯にさせている間に、淡々と会話は進んでいく。
「大体がそそっかしいんだよてめぇは、夜中にアイロン掛けなんてするな」
「なっ、何で知って、隣の部屋だからって、」
「……ぎゃああアイロンがぁぁなんて悲鳴が聞こえりゃアホでも分かるだろ」
「……あ、すっ、すみませ、あの、」
「次のかたどうぞー」
強引に会話を打ち切られたので仕方なく診察室を跡にする。くつくつと喉をならして笑う声が聞こえたので横目で見たら、しまりかけの扉の向こうから、トラファルガーさんは面白くって仕方がないって感じの屈託のない表情で笑いながら私を見ていて。なんだか少しだけ嬉しくなって、私も微かに笑いを溢した。
あるきながら彼に言われた言葉を反芻する。綺麗な手、か。言われたことなかったな。あんなに正面から誉められた経験は、正直あまりない。
受付のナースさんはやっぱり彼の事を話題にしていて、診察代1500円を払いながらその噂に聞き耳を立てた。無愛想だけど優しいとか、意外に面倒見がいいとか。
…笑った顔も意外と可愛かった。なんて内心で付け足した。私だって、トラファルガーさんの事が嫌いって訳じゃないんだけど。
それでも、もう彼とは会わないように気を付けよう、なんて心に誓いながら病院を後にした。なんたって彼はお医者さんだ。私の不幸体質で、何かあってからでは遅いのだ。
*
紙にかき出しながら、つらつらと考える。
彼の担当の曜日は、月、木、金曜日。土曜日と火曜日は夜勤で、水曜日と日曜日がお休みだ。
因みに月、木、金は午前中が外来の診察担当。ということは、私があの病院に行けるのは土曜日と火曜日。さすがに夜勤を担当する日は、日中の外来に顔を出さないはず。……ここまで考えて馬鹿らしくなってきた。何で私はこんなにも医者のルーティーンに詳しいんだろう。あ、すごい頻度で通ってるからだった。
疫病神が不思議そうな顔で紙を覗き込んでいる。さっき紙の先で切ってしまった指先に絆創膏を貼りながらふと気づいた。そうだ、そもそも怪我しなかったらいいんだ。なるべく怪我しないように細心の注意を払いながら生活して、どうしても怪我したときは隣町の病院に。
…なんで、こんなに簡単な事に気づかなかったんだろう。自分でも不思議だ。
大きな怪我をしないようにすればそれで済む話だった。わざわざ病院に行くの前提に事を進める必要もない。怪我さえしなければトラファルガーさんとは会わずに済むんだ。
そもそもが私はそそっかしかったんだ、今日彼に言われたとおりだ。
階段ではなくてエレベーター。夜中にアイロン掛けなんてしない。カップラーメンも夜中には食べない。転ぶと危ないから基本徒歩で、電信柱にぶつかると危ないから二度と自転車にはのらないで、あとは、えーと、…まぁ、つまりは色々気を付けよう。そうすれば、
ふと、今日巻いてもらった包帯が目に入った。この間電信柱にぶつかって三針縫う怪我をしたときも、その前の、走っていて転んで左足を捻挫したときも、今回の捻挫だってそうだった。トラファルガーさんは呆れながらも、壊れ物にさわるみたいに丁寧な手つきで治療してくれて、
…今日も、全然痛くなかったな。たぶんあの人は、今まで会った中で一番優しいお医者さんだ。まぁ、顔はちょっと怖いけど。…笑った顔も意外に可愛いし。
怪我しないってことは、つまりもう彼に会わないって事で、いや、それでいいんだけど。そうするために今、小一時間も私はない頭を絞って考えてたんだけど。
疫病神が、のそのそと可愛らしい動きで私の肩に這い上がってくる。無意識に疫病神をなで回しながら、呟いた。
「…しょうがないでしょ、見えちゃうんだから…」
…私だって、あの人が嫌いって訳じゃないんだけど。どっちかっていうと苦手な部類ではあるけど、ここ1ヶ月ちょい鉢合わせ続けて、トラファルガーさんは無愛想で柄が悪いだけの不良外科医じゃないことだって解ってきた。
左手に目を落とせば、くっきりと残ったアイロンの跡を綺麗に覆い隠すように、巻かれた包帯。今日言われた言葉を反芻すると、少しだけ頬が緩む。
…綺麗な手、か。何でいきなりあんなこと言ったんだろう。言っても私の事はそそっかしいだの騒がしいだのめたくそに言う癖に。…ああでも、口では辛辣な事言いながらなんだかんだ面倒見はいいんだよね、ちょっと他には居ないくらいに。怖い顔だけどまあまあ、かなり、整った顔立ちではあるしなあ。
…受付のナースさんが噂にするのも無理ない。
正直、名残惜しくなくもない、というか少しだけ名残惜しいけれど。
それでも、遭遇しないに越したことはない。
今までみたいにタンスの角で足をぶつけるとか、改札で理由もなく引っ掛かるとか、仕事で原因不明の小さなトラブルが続出するとか、その程度の不幸でも病院で起きたら目も当てられない大惨事に繋がる。なんか最近ついてないんだよねー、じゃあ済まされない事態になるかもしれない。
なんたって彼はお医者さんだ。私の不幸体質で、何かあってからでは遅い。