君はかわいいエトランゼ
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…いつも通りなんて、意識した時点でもういつも通りになんてなれやしない。
酔ったみたいで、なんて名前ちゃんが能天気に笑った瞬間に、押さえつけようとしていたやましいあれやそれやが暴れだす。無意識に差し出してしまった手を彼女の指先に捕まえられて、動揺したのを悟られないように平静を装って笑ってみた。
生ぬるい空気が妙に心地よくて、息を吸い込んだらくらりと脳みそが揺れる。確実に酔いが回った頭はまともに働いてくれそうもない。ここは店の外で、しかも夜で、その上、俺はべろんべろんに酔ってるわけで。何もかも『いつも』とは違う状況な癖に、そのなかで笑う彼女だけがいつも通りだ。
毎週火曜日、午後一時。店の中でするみたいに曖昧な視線を俺に向けて、居心地悪そうに名前ちゃんが微笑む。恐がりの癖に、肝心な所でこの子は変に無防備なんだから厄介だ。今の状況だって俺の状態だって知らないで、いつも通りなんて長閑な事を考えてるのかもしれない。頼りない足取りの名前ちゃんの手を引きながら歩幅を縮めて気付かれないようにため息を吐いた。駅まで、あと5分の距離。
理性も何もかもかなぐり捨てたみたいな酔っぱらいの歓声を背景に、また性懲りもなく話題を探す。いつも通り。いつも通りだ。ここが店だろうがどこだろうが、彼女にとっちゃ何の変わりもねぇ状況のはずだ。例えそれが大通りから外れた人気のない路地で、カップルがいちゃつくのにはおあつらえ向きみたいな場所だったとしても。
「さ、…サンジ、さん」
名前ちゃんの声で我に返って、うっかりかち合ってしまった視線を反らそうとして息を呑む。泣き出すコンマ二秒前みたいな目が俺を捉えて、彼女の唇がなまえを象る。…誰の?勿論、俺の。なんでよりによってこのタイミングで名前なんか呼ぶんだ馬鹿。馬鹿。クッソ可愛い。頭の中で叫んでから馬鹿の部分だけ打ち消した。あーあ馬鹿馬鹿しい。内心でそうやって騒ぎながら表情には出さないように諸々の葛藤を何とか押さえ込む。
「…うん、何?」
「…えーとその、…た、食べたくありませんか?チーズケーキ」
「…え、」
勿論そんな俺の事情なんて知ったこっちゃない名前ちゃんがそのあとに続けた言葉は、何となく予想していた話題とは大分ずれていて。生真面目な調子でとんでもないことをつらつらと口走っていく。
「あ、…えー、と。その、違うんですあの、名残惜しい…ってわけではないんですけども、まだ駅にはつきたくないというかその、せっかくばったり会えたことですし記念といってはなんですが、…あの、」
ぐらり。必死で押さえつけていた脳みそが一気に善からぬ方向へ傾いていく、音が、聞こえたような気がした。何かを言う余裕なんか完璧になくしかけている俺を追い詰めるみたいに、彼女の手に力が込められる。
「じ、実はですねあの、そこの喫茶店は非常にチーズケーキがおいしいと評判のお店らしくて、えーとその、一度行きたいと思っていたというか、」
「………」
「あ、いや、あの、もう遅いですしご無理は重々承知の上で、さ、サンジさんさえよければ、食べたいなぁとか……できれば一緒に」
「………」
「……ほ、ほら、春だし、お花見日和だし……さ、幸い、月も綺麗な事だし」
あーあ、また話が妙な方向へ転がっていってる。頭の片隅で、誰かが妙に冷静に感想を呟いていた。冷静じゃない大部分の脳みそを駆使して言うべき言葉を考える。まずい。これはまずい。
「………」
「…あ、…あの、…」
深夜。人通りの少ない裏路地。いい感じに酔いの回った頭と、危機感の足りないクッソ可愛い彼女。
さっきから凄い勢いでやましい方へと傾き続ける頭では、理性なんてどこまで保てるのか怪しいところだ。そんな状態の俺の事なんか知らないで、名前ちゃんはつらつらと言葉を並べていく。それから、視線をそらして一言。
「…駄目、ですよね…」
…駄目じゃない。駄目ではねえんだがなんというかその、色々まずいというか限界というかああいや、全くやましい意味はないんだけど、
とか、なんとか。まるでどっかの誰かさんみたいな煮え切らない調子で、ぐずぐずと巡らせた思考は勿論口になんて出せない。言葉を返そうとして息を吸い込んだ、音が、やけに耳に響いた。「…すみません、帰ります」そう言って俯いた彼女の、離れていこうとする手を反射で捕まえてから少しだけ後悔する。ああ馬鹿、馬鹿野郎。
「あー、俺も、思ってた。もう少し君と居たいってさ、」
そうやって葛藤しながら、口は勝手に動いてペラペラと喋りだす。その間も名前ちゃんが怯えたみたいな、でも期待したみたいな目で俺を見たりするから、
…だからつまり、『いつも通り』なんて意識した時点でもう不可能だ。その上俺は酔ってて、彼女は危機感が足りなくて、その上今は漫画かドラマみたいなベタな状況なわけで。
まずいだとか理性がどうだとか、さっきまでさんざん悩まされていた事柄に蓋をして、逆ギレしたみたいに考えていた。…いっそもう、どうにでもなればいい。