君はかわいいエトランゼ
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…もう桜も咲いたと言うのに。
金曜日の、午後11時。会社の上司の絡み酒にしつこく付き合わされて、げんなりしてきた頭で私は相変わらず考えていた。サンジさん、今頃なにしてるんだろう、とかなんとか。
もう冬なんてとっくに過ぎて、桜だって咲き始めたって言うのに。私の鞄のなかには、あのときうっかり(あくまでうっかりだ、わざとじゃない)(あれ、私は誰に言い訳してるんだ?)もって帰ってきてしまったサンジさんのマフラーが入っている。
私の事を思い出してくれればいい。
そんな風な浅い意図はあっさり裏切られて、この間の事なんてまるでなかったことにされたみたいにいつも通りの関係が続いていた。毎週火曜日に店に行って食事をして、少しだけ会話をして。一度言い出す機会を逃してしまえば、マフラーを返すタイミングなんてすっかりうしなってしまった。多分彼の方は、マフラーの事なんてすっかり忘れてるはずだ。私はと言うと、なんだかマフラーを返してしまったらあの関係が終わってしまうような、よくわからない気分になってきたのだけれど。
「…くん、名前くん、聞いてるのかね、名前くん」
「あっ、…ああ、はい。すみませんぼおっとしてました。早く所長になりたいって話ですよね?」
…そんなことを、考えていたら。我に返った瞬間に、目の前に上司の顔がアップになっていて少しだけうんざりする。早く所長になりたいとか、なるべく早く所長になれたらいいとか、私はいつになったら所長になれるのかとか。もうかれこれ三時間近く、彼の愚痴に付き合わされているのだ。…鬱陶しいなぁ、そんなんだから陰で悪口言われるんだよ…。延々と続く愚痴を聞き流しながら、唐揚げを一口齧って、まだ私は彼のことを考えていた。サンジさんの唐揚げは、きっと物凄く美味しいんだろうなぁ、とかなんとか。
…こんな風に、何かにつけてサンジさんを思い出す自分の事も、正直鬱陶しいのだけれど。何かと理由をつけてあの人に会いに行くことだってできるのに、私がそれをしないのは結局、口に出すのもばかばかしい位の下らない嫉妬なんだと思う。火曜日の、午後1時。なぜかあの時間帯だけはあのお店は空いていて、だからつまり、あの時間帯だけは私がサンジさんを独占できるわけで。
…彼は、女のひとになら誰にでも優しいのだ。
そんなことくらい解ってる、のに、私は本当にそれを理解してしまいたくない、のかもしれない。例えば、あの人にとっては私だってただの不特定多数その3とかで、別に特別でも何でもないって事だとか、彼が興味を持ってくれたのだって単に私が普段あまり接しないタイプだったからなんだろうって事とか。
好きだとか嫌いだとか以前の問題だ。こんなことをぐだぐだと考えていていいほど、私と彼の間に何かがあるわけなんてないんだから。
酔いが回るのに比例して落ち込んでいく思考は、堂々巡りで似たようなことをひたすらループする。好きだとか嫌いだとか、そんなことを言えるほどの何かがあるわけない、し、これから先そんな関係に進展できるような望みもない。私とサンジさんの関係なんて、いざとなったらあっさり終わってしまうようなあっけない物なんだ。私が貸した本だって、彼のあのマフラーだって何の保証にもなりはしない。私が店に通えなくなったらそれでお終いだ。
そんな風に、のんきな私は酔いつぶれた上司に絡まれながら、無意味にセンチメンタルになっていた。いつも通りの金曜日の深夜、の、筈だった。歩くのも厄介なくらいにぐでんぐでんに酔った上司をなんとかタクシーに押し込んだのだって、いつもと同じ金曜日の出来事、の、筈だったのに。
「…あー、………名前ちゃん」
「て、……さ、サンジ、さん、」
…金曜日、午後12時、居酒屋の前。みるみる酔いが醒めていく脳みそはやっぱりまともに働かない。よりによってなんで今、このタイミングで。ひたすらそんな情けない疑問を繰返しながら、とりあえず愛想笑いをする。偶然ですね、無意味に口にした声はやっぱりぎこちない調子で、なのに目の前の彼はそれに答えて笑う。酔ってるせいか、いつもよりも少しだけ無防備な雰囲気に妙にどきりとした。ああもう馬鹿みたいだ、落ち着け私。自分で自分を励ましながらなんとか会話を繋いで、当たり障りのない言葉を残して逃げようと、じゃなかった帰ろうとした、ら。
「…あっ、あの、……サンジさん……? 」
捕まれた。何を?…手首を。誰に?………誰にって決まってるじゃないここには二人しかいないんだから。
少しだけ強引に、力を込められていく感覚。捕まれた手首をどうすることもできないまま、何となく気圧されて彼を見つめる。なんだこれどうしていきなり、なんでこうなった、なんて、混乱は数秒後くらいにやって来た。その間も視線は反らせない。彼の目のなかで、私が酷く情けないかおをしているのがわかった。
声は喉に張り付いたまま、遠くの方でクラクションがなるのをぼんやりと聞いていた。何の前触れもなく手首を離されて、さっきまでの物騒な雰囲気なんてなかったことみたいにいつも通りのサンジさんの声が言う。
「えーと、送るよ。駅まで」
「え、…あ、はい。ありがとう、ございます?」
相変わらず頭は混乱したまま、マフラーが入ったままの鞄の紐を、無意識に握りしめていた。例えば今の状況とか、さっきの事とか、なんて事ないって解ってるくせにどこかで期待してたりして。いつか本屋で会った時のことを思い出した私は、性懲りもなくセンチメンタルに考えてしまった。
…時間が止まればいいのに、なんちゃって。