きみなしじゃいられない
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がりっ、
「…固いわ。」
さっき焼き上がったばかりのクッキーをかじって、ナミが顔をしかめた。焼きたてのクッキーが固いなんて、そんな馬鹿な。そうぼやきながらつられて私もクッキーをかじる。
…がりっ、がりがりがり、…ぱきん。
……本当だ、凄く固い。何回か歯を立てて漸く削れるくらいの固さだ。何でこんなに固いんだろう。クッキーの破片で口のなかを傷つけてしまった。涙目になりながら、
「…まぁ、草加煎餅か八ツ橋だと思えば何とか…」
なんて無理矢理にフォローしてみる。かれこれ五回目の失敗作だ。最初は黒こげ、二回目は見る影もなくひび割れていて三回目は何故か焼いてる途中でバターの油分が分離した。四回目は妙に膨らんだパサパサの物体が出来上がって、そして何とか見られる形になった五回目は凶器のような固さだった。
もう、いっそクッキーを作ったんだと思わなければいい。八ツ橋を作ったんだと思えば、そうすれば。ぶつぶつと自己暗示をかけながら八ツ橋を袋詰めしていたら、背後でナミが大袈裟にため息をついた。
「…ハート型の八ツ橋?」
「………」
「手作りのお菓子なんて、完璧にサンジ君の領分じゃない。やめたら?無理するの。」
「…だって、私いっつも作って貰ってばっかだから…」
「だから何よ。作らせときゃ良いじゃない、サンジ君だって好きでやってんのよ」
「…違うよ、私が幼馴染みだからだよ…」
あの人がついていてくれないだけで、何でこうもうまく行かなくなるんだろう。私だって、丸っきり料理がダメって訳ではないのに。殺人的な固さの、シナモンクッキーもどきの八ツ橋をかじる。サンジ君の作ったやつとは大違いだ。…食べたいなぁ、サンジ君のクッキー。思った瞬間に少しだけ涙が出てきて、誤魔化すために手元の八ツ橋に歯を立てた。煉瓦でもかじってるみたいな固さに情けなくなる。
「手作りクッキーで仲直りってねぇ、名前、少女漫画じゃないんだから」
「……良いじゃん別に。何か切っ掛けがなきゃタイミングが掴めないんだもん…。」
「第一ね、あんた悪くないわよ。話聞く限りじゃ完璧にサンジ君が悪いわ。」
……サンジ君悪くないよ。
上の空で返しながらもう何回目か分からないため息をつく。先週の土曜日、サンジ君と喧嘩をしてしまった。喧嘩と言っても、単に私が彼の言葉に変な反応をしてしまったってだけなんだけど。あれから顔を合わせるのも怖くって、家に帰りたくないと泣きついたらナミが家に泊めてくれることになった。対価は、一晩500円の宿泊費とナミからの根掘り葉掘りの質問に答えることだ。最近面白いことなかったから楽しみだわ、なんて彼女は野次馬みたいな事をいっているけれど結局それは私の相談に乗ってくれるという意味で。
…サンジ君といいナミといい、何で私の回りのひとはこんなに優しいんだろう、そう思ったら色々な意味で泣けてくる。そんな優しい幼馴染み相手に、私は何て態度を取ってしまったんだろう。
「…サンジ君悪くないよ。」
「いや、あいつが悪いわよ。『世界で一番』なんて、付き合い始めたばっかの可愛い彼女に言っていい台詞じゃないわ」
「………………だって私とサンジ君、別に付き合ってないもん」
「はぁ!?」
あの人が、馬鹿らしくなるくらいに格好よくて気障でロマンチックでドラマチックな私の幼なじみが、実は私の事をずっと好きだったと判明したのは半年前の事だ。ナミに言わせれば半年前のあの出来事は告白で、私はそれにOKを出した事になり、つまり、私と彼は恋人同士という関係になったと言っていい状況らしかった。
でも実際は、あれから私とサンジ君の関係に、なんらかの変化が起きたとも思えない。いつも通り休日には一緒に、彼が作った物凄くおいしいご飯を食べてテレビを見て、何なら最近買ってきたアクションゲームをプレイして(サンジ君は何故か格闘ゲームだけがド下手なので、私はあの人に勝ちっぱなしで愉快だ)、サンジ君が作ってくれた殺人的においしいおやつを食べて帰る。
こうして改めて考えてみると、私はサンジ君に色々と貰いっぱなしだ。めちゃくちゃにおいしいご飯やらお菓子やら。至れり尽くせりのこの環境は、今までの私が当然みたいにして享受していたこの環境は、全て『幼馴染み』だったからこそ与えられていたものだった。
『幼馴染み』が『恋人未満の女の子』となってしまえばそりゃあ、順位がつけられる立場になってしまうのは当たり前で。だからあの時は、私が笑って流すべきだった。
サンジ君は、それはそれはモテる。超格好いいし頭も悪くないし、確かに凄く気障だけどそれすらもゆるせてしまうなにかが、あの人にはある。たまに女の子からビンタ食らったりしてたけど、それすらも様になってしまうのだ。気障でドラマチックで、間抜けな所すら格好いい、私の幼馴染み。いや、もしかしたら元・幼馴染み?今の私は一体、サンジ君の何なんだろう。少なくとも、『幼馴染み』なんて絶対的なポストにふんぞり返っていられるような状況ではないのだろうけど、
「…あんたが言う程、格好良くないわよ。サンジ君は。」
「…活躍良いよ、常に二番手がいるくらいに活躍いいんだよ…」
「だから、どう考えても冗談でしょうが、それは。あんたが鈍感なのが気にくわなかっただけよ」
「………違ったら?いい加減私が鬱陶しくなってきたって、意味だったら?」
「…無いわね。あんたがサンジ君を鬱陶しくなるならまだわかるけど。」
「………なんで、私が、サンジ君を?」
「鬱陶しくならないわけ?端から見てても過保護すぎだし、あんたが絡むといつもの三倍くらいうざくなるじゃない」
「そうだっけ?あの人、女の子なら誰に対しても過保護でうざいよ」
「…………」
…あんたがそんなんじゃ、流石にサンジ君が可哀想かもしれないわよ。
呆れたみたいなナミの声がそんな言葉を紡いで、そうだね、なんて脱け殻みたいな声で返しながら私はまだサンジ君の事を考えていた。
…今頃、どこで何をしてるんだろう。この八ツ橋を渡して謝ったら、何事もなかったみたいに幼馴染みとして接してもらえるんだろうか。
そんなことをセンチメンタルに考える私は、ちょっと少女漫画の読みすぎだと思う。恋人が駄目なら、また幼馴染みに戻ればいい。そんなモノローグが入る少女漫画をこの間読んだばかりだっけ。…少女漫画のヒロインに重ね合わせるには、私なんかじゃ格好はつかないけど。
サンジ君が可哀想かもしれない。確かにその通りだった。今までずっと、サンジ君の気持ちなんか気にしないで当然みたいに私は彼の側にいたのだ。ずっと他の人を好きだった癖して、今は二番目がいるのが嫌だなんて、それは流石に勝手すぎる。
▽
サンジ君に染み付いた煙草の香りが恋しくて、代わりにシナモンを思いっきり吸い込んだら涙で視界が滲んだ。…サンジ君、今頃、何してるかな。思った瞬間に、携帯電話が鳴った。誰からの電話かなんて、ディスプレイを見なくても分かる。無機質な何回もコール音が鳴り響いて、それでも電話に出ようとしない私に、ナミが大袈裟にため息をつく。
「……あんたねぇ、仲直りもなにも、会話しなきゃ始まらないのよ」
「わ、分かってるよ。分かってるけどさ、……心の準備が」
「あんたの心の準備には、一体何日かかるわけ?」
「…だ、だから今作戦を練って、」
「気づいてる?それ、先週の土曜の五時からずっと言ってるわよ。」
「わか、分かってるよ、…分かってるけどさぁぁ」
「『けど』?『けど』、何だってのよ」
「…サンジ君だって、きっと呆れてるよ。鬱陶しくなったんだよ。…も、もしかしたら今頃二番目の彼女と、」
「……」
二番目がいたって良いじゃない。とりあえずあなたが一番なんだから。
先週のテレビ番組に出ていたあの司会者に相談したら、こんなことを言われるのかもしれない。
大体ねぇ、あなた勝手すぎるよ。今まで散々、彼のこと振り回してきたんでしょ?これくらいの苦しみは当然なんじゃないの?
こんな風にも言われるのかもしれない。頭の中でぐるぐると、よりによってみのさんの顔が回り出す。ごめんなさい、すみませんでした。無意識に呟いてしまった言葉は、みのさんへの物なんだかサンジ君への物なんだかよく分からない。最終的に有名なおばさん占い師までが登場して、あなた地獄に堕ちるわよ。なんて宣告した所でドアが開いた。
「あっきれた。まだやってたの?」
「の、ノジコさぁん……」
テーブルの上の八ツ橋を一口かじって、彼女は顔をしかめる。ナニコレ、煉瓦?なんて言葉が胸に痛い。…やっぱり焼き直そう。サンジ君に謝るのは明日に延期しよう。いやいっそ、私がまともなクッキーを作れるようになるまで無期限に延期するか。
またしてもそうやって、逃げる口実を考え出す自分に嫌気がさす。袋詰めの八ツ橋をゴミ箱に放り出そうとした私は、ノジコさんの次の言葉に完璧に思考停止状態になってしまった。
「…そういえば、あんたの幼馴染みくん、見たわよ。」
「えっ?」
「いつもの喫茶店でさ。すっごい可愛い、モデルみたいな女の子連れてた。」
「………!」
「まぁ、そんなこったろうと思ったけどね。首輪つけとかないとすぐ浮気するわよ、彼。」
「……そっ、…」
それ本当、ですか。
八ツ橋を握りしめた指先が、一気に冷たくなるのをひしひしと感じていた。口から出た声まで震えていて、格好悪いことこの上ない。頭の中では、みのさんと例の占い師が声を揃えていた。あーあー、言わんこっちゃない。でもねぇ、あんたが悪いわよぉ。
多分情けない顔で、目には涙なんか浮かべてるのかもしれない。ノジコさんが、愉快そうに笑う。
「クッキー焼き直してる時間なんてないんじゃない?彼、あの子とどっかに行っちゃうかもよ。」
ま、今から頑張って追っかけるなら分からないだろうけどね?
彼女の言葉に、弾かれたみたいに立ち上がった。ごめんねナミ、ちょっと出掛けてくる。悲壮な声でそれだけ言えば、いってら、なんてやっぱり楽しそうな声が返ってくる。どうしよう、どうしよう、どうしよう、
それだけしか考えられなくなって、足をもつれさせながら何とか靴を履いて表に飛び出した。
*
「…ねぇ、ノジコ。」
「ん?」
「今の嘘でしょ。」
「喫茶店にあの子がいたのは本当よ。あまりにも情けないから可哀想になったわ」
…さすが、私の姉だ。名前の残していったクッキー(殺人的な固さだ)をかじりながら、笑いが溢れ出すのが堪えられない。やりすぎたかしらね、なんて言葉にいーのよこれで。とだけ返してからウソップに電話を掛けた。
「あ?ウソップ?サンジ君、そこにいる?…あ、そ。あいつら今喧嘩してるの、知ってるわよね?」
「名前ね、今あたしんちにいるの。サンジ君に迎えに来いって伝えてくれる?あ、あと、お礼は三割増しでって。」
あんたもべたねぇ。
ノジコの言葉には、今度はひらひらと手を振るだけで返してやった。私のベタなんて、サンジ君と名前に比べたらアホらしくなるくらいの物だ。…ほんと、こんな古典的なすれ違いばっか繰り返して、あいつら恥ずかしくないのかしら。