きみなしじゃいられない
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『ひとつ言わせて、君なしじゃ居られない!』
*
土曜日の午後1時。
いつも通り始まったクッソ退屈なバラエティー番組を飽きもせず眺める名前ちゃんを眺めていた。本人いわく無様なショートカット(中途半端に伸びた髪が、こけしみたいで嫌だとか)になっても相変わらず、口のはしにほんのすこしだけパスタソースがくっついてるのすらも間抜けで可愛い。だから俺は、そんな下らないテレビなんかよりも目の前の彼女に夢中だったのだ。本当に、まさかあんなことになるなんておもいもよらなかった。
発端は、そう、テレビの中のクッソ忌々しい司会者の一言だった。思い出すのも鬱陶しい、脂ぎった顔にちょび髭をぶら下げたそいつが、磨りガラスの向こうのお悩み相談者に向けてもっともらしく言いやがったんだ。
『だいたいねぇ、男が世界で一番、なんて言うときには大抵二番目がいるんだよあんた』
確か、夫の浮気に悩んでるとか言う中年女性Mさん(主婦)に対しての回答だったと思う。どっちにしろ俺にはどうだっていい話だった。名前ちゃんが、
「みのさんはこんな事言ってるけど、そういう物なの?」
なんて話を振ってくるまでは。無難に答えときゃ良かったんだ。他のやつの事は知らねぇけど、俺は二番目なんて作ったことねぇな、とか。それから口の端に着いたソースを拭ってやって、キスなりなんなりすれば良かったんだ。まぁ今思えば、の話なんだけど。実際あの子とキスしたことなんて1回しかない。寝てる隙にこっそりした事なら18回くらいあるけど、それは回数にいれちゃいけない気がする。幼馴染みでいた期間が長すぎて、手を出すタイミングを完璧に逃してしまっている。実際、そろそろ理性も限界なんだけど…ってまぁそれはいい。
話を『世界で一番』の件に戻そう。
あのときの俺は、完璧にどうかしてた。パンドラの箱を開けた、昔話の登場人物よりもどうかしてた。クッソ鈍くて可愛い俺の幼馴染みが、例えば嫉妬したらどんな風だろう、なんて、確かそんな下らない事を閃いてしまったのだ。恋人同士のお戯れってやつだ、なんてなアホのようなことも考えていた。馬鹿だ。ああ、クソ、俺の大馬鹿野郎。
で、そんなクッソ下らねぇ事を考えた大馬鹿野郎(俺)はよりによって、彼女の言葉にこう返した。
「あァ、割りと当たってるかもな。」
それからへぇーだとかふーんだとか、やっぱりクッソ可愛らしい相づちを打った名前ちゃんに微笑みかけて、
「今のを踏まえて。名前ちゃん、好きだよ。『世界で一番』。」
「………」
俺の、予想では。
可愛らしく焼きもちとか焼いてる名前ちゃんを抱き締めて、ネタばらしをして、それからキスするなりいちゃつくなり、まぁ何ならその先まで、とかそんな予定だったんだ。実際ここまで上手いこと事は運ばねぇにしろ、まさかこんな大事になるとは思わなかった。
あのとき。20秒位間があいて、それでも名前ちゃんからは何も返ってこなくて。食い物に夢中で気づかなかったのかなんて思いながらあの子の方を見たら、よりによって。
「…そっ、そう、だよね、私さんじくんの幼馴染みだもんね…。」
彼女は目に涙を溜めて、泣き出しそうな顔で無理矢理に笑っていた。えっ?まさかそんな、本気にした?とか、俺がそんなことを言う暇もないくらいに素早く、名前ちゃんは残りのパスタを平らげて早足で出ていってしまった。ご馳走さま、とか、やっぱり泣き出しそうな声でそんな言葉だけを残して。
何を置いても直ぐに追いかけるべきだった。嘘に決まってるだろ。でもあんなこと言うなんて完璧に俺が悪いよどうかしてた。ごめん、許して、俺の可愛いプリンセス。
そんな風に平身低頭謝って許してもらってそれから慰めて、あの子の好物のおはぎでも作ってやって一緒に食べて仲直り。あのとき直ぐに名前ちゃんを追いかけてれば、事態をそんな風に収拾するのだって簡単な筈だった。
それだって今思えば、って話だ。実際の俺は、一人残されたリビングで呆然と、彼女の出ていってしまった扉を眺めていた。帰ってきたジジイにけりを食らわされて我に返るまで、ショックでまともに物を考えられなかった。俺はその時まで、名前ちゃんの泣き顔なんて見たこともなかったんだ。あんな風に正面から、泣きそうな顔を向けられたのなんて初めてだった。泣いてる名前ちゃんを慰めたことなんて数え切れないくらいにあるが、俺があの子を泣かせたことなんて一回もなかった。つまり、そう、一大事だ。
よりによって俺は、クッソ下らない、本当に話にもならないくらいに下らねぇ思い付きで彼女を泣かせた。他と比べようもないくらいに、文字通り世界で一番といっていいくらいに大切な女の子を、俺が。よりによって、この俺が。
…事態の重さに気づいて、今更慌てた所でもう遅い。日曜日は休日出勤だとかで名前ちゃんに会うタイミングを逃して、あれから一週間。未だに彼女とはぱったりと連絡がとれない。俺は謝るタイミングを逃したままだ。何もかも後の祭り。先週の今ごろの俺を殴り倒してやりたい。喧嘩に手を使わないのがうちの家訓ではあるが、それを踏まえた上であの浮かれポンチにボディブローをくらわせてやりたい。ついでに鼻フックも。浮かれポンチだ。完璧に浮かれてた。漸くあの子と恋人といってもいい関係になれたってんで、脳味噌に花が咲いてたんだ。ああ、クソ、俺の馬鹿野郎。
▽
「…で、サンジ君?」
「………」
そうやって頭を抱える俺に、ウソップがため息をつく。「なんで、相変わらず俺は、お前のオトメントークに付き合わされてるんですかね?」なんて、いつも通りの長っ鼻の言葉にすらへこんでしまう。オトメンだ。完璧にオトメンだ。あの子の好物のシナモンクッキーなんて作ってみた所で、渡すタイミングなんてありはしない。あのときの名前ちゃんの泣きそうな笑顔がちらつく度に、鉛を飲み込んだみたいに気分が重くなる。ああもう、このいかれポンチ、大馬鹿野郎。
相変わらずこの喫茶店には、べったべたなあの失恋ソングが流れている。胸の切り抜きは君の形さ、とか言うやつ。前来た時と今じゃ、全く状況なんか違うけど。胸の切り抜きは君の形さ、何て言ってる場合じゃない。ああでも、会えないんじゃどうしようもないだろ。ため息をつく気もおきなくて、力なくテーブルに突っ伏した。
「…あァ。俺なんか、眉毛巻きすぎて死ねばいい…」
「…いや、大丈夫だって、あいつお前の事大好きじゃねぇか、謝れば許してくれるって」
「…………謝ろうにも、そもそも名前ちゃんが家に帰って来ねぇんだ…。」
「お、おお……それはあれだ、あのなサンジ」
「うっせぇよ長っ鼻、いいんだよ気休めは…。」
「あー……ああ、気休めっつーかな…、」
「今頃、もしかしたら他の野郎の所に、いや、あの子に限ってそりゃあ無ぇだろうがでも万が一、万が一ってことが」
「いや、…あのなぁ」
「…そうだ、そもそもあんな可愛い子他の野郎が放っとかねぇんだよ。今までは俺が付いてたから良かったもののもしかしたら」
「あのー、…サンジくーん?」
「ああでも、それもこれも俺が悪いんだ、俺があの子を泣かしたのが悪いんだ、クッソ最悪だ俺の馬鹿野郎、」
「サンジ、お前なぁ」
「ああもう、…俺の馬鹿野郎」
「…まぁ、涙拭けよ。」
「うるせぇ、泣いてねぇよ」
テーブルに突っ伏したままでいたら、慰めるみたいに頭に手を置かれた。野郎の手に慰められたってちっとも嬉しかねぇ、なんて、思っていたら。
「…大丈夫だろ、あいつ、お前が思ってるほどモテねぇよ。」
「あァ?俺の名前ちゅわんがモテねぇだと?てめぇオロされてぇのかこの野郎。」
「いだっ!」
よりによって、俺の可愛い可愛い幼馴染みに対して失礼極まりない発言をしたウソップを締め上げる。
モテないわけが無いだろうが、だから心配なんだよ。サダコ並みに可愛い俺のプリンセスが、モテないわけがねぇだろうが。…あぁ、今頃、何してるんだろうな、俺のサダコ。最近は、暗いテレビ画面を見るたびに泣きたくなるんだ。名前ちゃんが、サダコみたいにテレビから出てきて俺の首を締め上げてくれたらいいのにってさ、
「…サンジ、お前にとっての名前って、一体なんなんだよ……」
…なんなんだよって、そんなの決まってるだろ。世界で一番大切な、それはそれは大切なプリンセスだよ。
そんなふうに答えながら、店内にかかるBGMにセンチメンタルになる。くるーきっとくるー、ってサビの、例のサダコが出てくる映画の主題歌だ。俺の可愛い可愛いサダコは、今頃どこで何をしてるんだろう。煙草の煙を吐き出しながら、ひたすらそんなことを考えた。
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