べたなあの人達の話/短編
名前変換
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「あー、お前ほんとだめ。使えねぇよ。」
すみません、辛うじてそれだけを繰り返す。言い訳は聞きたくねぇから、と吐き捨てるように言われた上司の言葉に涙をこらえながらなんとか頭を下げた。使えねぇ使えねぇ、言われた言葉が頭のなかでひたすら繰り返されて、目の前の事務作業にすら集中できなくなる。…あーあ、駄目だなぁ、私。
自分で自虐的に考えた、そんな言葉にすら落ち込んでしまう。つまるところ私は、徹底的に打たれ弱いのだ。どんどん落ち込んでいく思考のままでなんとか時間をやり過ごして足を引きずって退社した月曜日の、午後6時。
帰り道を歩きながら、勝手に溢れてくる涙をぬぐう。駄目だなぁ私、なんて呟いてみた声すら涙声で嫌になる。仕事で上司に怒られたくらいで泣くなんて、情けない。打たれ弱い。そもそもあんな、簡単なクレーム処理がなんでできないんだろう。息を吸ってはいて、なんとか涙を落ち着かせようと試みる。いつも歩いてる道ですら、なんだか妙に心細く感じた。駄目だなぁ私、こんな言葉が頭のなかで止まらなくて、努力も虚しくあとからあとから涙が止まらなくなる。あーあ、
「………おかえり。」
「……ただ、いま。」
駄目だなぁ。いいかけながら角を曲がったところに立っていたのは、ドラマチックでロマンチックな私の幼馴染みだった。それはまるでいつかのデジャブみたいな光景で、いいかけていた言葉も行き場を失ってしまった。サンジ君、無意識に口に出した、彼の名前の響きに安心してやっぱり涙は止まらなくなった。サンジ君、もう一度名前を呼んでみたら、彼は少しだけ目を細めて笑う。涙をぬぐってくれる指先に染み付いた、煙草の香りが妙に恋しかった。「迎えに来たんだ。名前ちゃんが泣いてる気がしたから。」なんて、やっぱりいつかのデジャブみたいだ。
*
安心感と甘ったるい感傷的な気持ちがない混ぜになって、こどもみたいに泣きわめいてしまいたくなる。私の手を引いて前を歩く、彼の背中が妙に大きく感じられて。嗚咽が漏れるのを誤魔化すみたいに息を止めたら代わりにくしゃみが飛び出した。くすくすくす、笑いながらマフラーを巻き付けられてさらに情けない気持ちで頭の中がぱんぱんになる。
「…ごめんね、ごめんなさい」
ああ違う、ありがとうって言おうとしたのに。口からでるのはまるで情けない言葉ばかりで、決まり悪くてしかたがない。ピタリと歩くのを止めたサンジ君にぶつかってしまって、また謝りそうになるのを呑み込んだ。ごめんね、
「名前ちゃん、」
「…ごめん…」
「ん、何が?」
「……マフラー。」
「うん、クッソ可愛いよ。似合ってる。」
「…なんか会話噛み合ってないけど…」
「噛み合ってるさ。俺が君に勝手にマフラー巻き付けて満足してるだけだろ」
「………」
…絶対違うよ。私が風邪引きそうだと思ったからでしょ。反射的に考えてしまったけれど、また謝ってしまいそうになるから言わないでおいた。
「名前ちゃん。」
「…なに?」
「好きだよ」
「私、まるでダメなのに?」
「まるでダメなのに、さ。」
「打たれ弱くてすぐ泣いて使えないのに?」
「うん。まじで可愛すぎ。死ぬほど愛してる。」
「…なにそれ……。」
簡単なことすら失敗して怒られて、自分が悪いのに泣きたくなるんだよ。使えないのにやたらとネガティブで、今だって失敗を引きずって泣いてるんだよ。まるでなってなくて、情けなくて、だめだよ、
泣きながら嗚咽混じりの涙声だから、後半はほとんど声にならなかったような気がする。道のど真ん中で泣いて、本当に駄目だなぁ私。涙をぬぐってくれる手が優しいのもいたたまれなくて、涙は止まりそうもない。
まるでなってなくて、情けなくて、だめだよ。
だめ押しみたいに呟いた私を見下ろして、目を細めてサンジ君が笑うのを見た。ひんやりした手が少しだけ強引に私を抱き締めて閉じ込めた。いいこいいこ、なんてちょっとからかうみたいな調子の声が降ってきて、軽く背中を叩かれる。目を閉じようが息を止めようが涙は止まらなくて、吸い込んだ煙草の香りにめまいがした。
「まるで駄目で、打たれ弱くて泣き虫で可愛い俺の名前ちゃん。」
「…だから、なにそれ。…意味わかんないよ…。」
「どっちにしろ愛してるって意味。」
「……まるで情けないのに?」
「情けない君も可愛いよ、俺のサダコ。」
…サダコってなんだサダコって。
怪訝な顔をしてるんだろう、私を見てサンジ君が笑う。ありがとう私も好き。さっきと同じでまるで情けない声で言ってみたら触れるだけのキスが降ってくる。しつこくぼろぼろと零れる涙をぐしゃぐしゃと拭ってみたら、痕になるから止めな、なんて指を捕まれた。電灯の無機質な光が、サンジ君の髪の毛に写り混んで綺麗だな、なんてぼんやりと思う。滲んだ視界のなかで、彼のたってる場所だけがぼんやりと明るくて暖かい。そんな事を考える私は相変わらず馬鹿馬鹿しいくらいにセンチメンタルだ。
「サンジくん、すき」
「知ってる」
帰ろう、と手を引かれてのろのろと歩く。息を吐いたら白くなってて、それを追って空を見上げたら満月が綺麗だった。指先に力を込めてみたら、更に強くにぎりかえされる。「サンジ君どうしよう、私涙とまらないよ。」聞こえないくらいに小さい私の声に振り向いて彼は笑った。「駄目だなぁ、名前ちゃん。」
駄目だなぁ私、とか、お前ほんとだめ。とか。あんなに辛かった言葉なのに、この人に言われるとなんでこんなに安心するんだろう。魔法みたいだ、なんてことは恥ずかしいから流石に言わない事にする。サンジ君は笑いながらひどく優しいやり方でもう一回涙を拭ってくれて、それから、
「…サンジくん、気障。」
「…好きだろ、こういうベタなの。」
一瞬だけ触れた、柔らかい感触。涙の痕に、口付けられた部分を押さえてから今更顔が熱くなってきた。愉快そうに笑いながらまた頬にキスを落とされて、
Fly me to the moon.
(You're all I long for,all I worship and adore.)
「…名前ちゃん顔真っ赤」
「………誰のせいだと…」
気がついたら涙は止まっていた。代わりと言うのもおかしいけど、今度は顔が熱くてしかたがない。恥ずかしくて仕方なくて、繋がれた手を振りほどこうとしたら卑怯なくらい全力で押さえつけられた。サンジ君のばか。言ってみたら軽くいなされて少しだけ悔しくなる。
「サンジ君の馬鹿。気障。」
「はいはい」
「女たらし、ぐるぐる眉毛。」
「…いや、それは意外と傷つく、」
「変顔名人。」
「!?なっ、…名前ちゅあん酷ぇ」
「あははやばい、その顔やばいすごい面白い、」
「…………変顔名人って名前ちゃんさぁ、」
「サンジ君、すき。」
「………じゃあ俺は愛してる、」
いつもみたいに気障なことを言って、唇が重なる寸前の絶妙なタイミングでお腹がなった。…そういえば、お昼ご飯食べてなかったなぁ。ぼやく私を、恨みがましい視線が見つめる。そんな事は気にしないで、わざとらしく言ってみた。「あー、お腹減ったなぁ、」
「……晩飯何食いたいの、名前ちゃん。」
落胆を隠そうともしないで聞かれた声。サンジ君大好き。なんて恥ずかしい事を言う代わりに答える。「…マグロ丼!」