べたなあの人達の話/短編
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『You are only in my fantasy』
*
「じ、じゃあ私はここで」
「えっ?お前んちこの近くじゃないっけ?送るよ。」
「……えー、と。彼、が。迎えに来てるはずなので」
そう、私の脳内の恋人、ハンフリー・ボガートが。茶化すように心のなかで付け加えて、自分を奮い立たせる。初恋のあのひとは「そっか、お前もやるな!お幸せに」と言って笑うので、私も笑う。「先輩もなかなかやりますね」、それから、心にもない一言を。「あなたこそ、お幸せに。」
笑って、くるりと背を向けたあの人の後ろ姿を、例えば見えなくなるまで見送ったりしたら最高にロマンチックなんだけれど。例えば、夕日のなかで後ろ姿がだんだん小さくなっていく。角を曲がる手前には彼女が待っていて、二人は幸せそうに微笑みあう。私はたった一人立ち尽くして、涙を流すこともしないでその光景を見つめる。切ない少女漫画みたいに、最高に乙女チックでセンチメンタルだろう。そうできたら良かったんだけど。
コンビニの軒先に繋がれた犬が吠えるので我に返った。向こうからトラックが数台やって来て、見送るはずのあの人は見えなくなる。頭の中で鳴り響いていた失恋ソングは、バックしますバックします、というトラックの警告音に掻き消された。極めつけに酔っぱらいが目の前でさっき食べたものを戻しはじめて、つまり、状況としては何とも格好のつかない失恋だった。
軽くため息をついてから、頭の中にハンフリー・ボガートを描く。そこの角を曲がったら彼が立っていて、へヴィー級の恋が角砂糖と一緒に見事にとけてしまった私を抱き締めてくれる、
「あの。」
「……?」
歩き出そうとした所で酔っぱらいに声をかけられる。何か、と返事をする前に一言、
「その服、タグついてますよ。」
それだけ言って、また胃の中の物を吐き出す作業に戻る。ハンフリー・ボガートは、彼の喘ぎに掻き消された。ついでに、ロマンチックも、センチメンタルも、乙女チックも、町の喧騒に紛らわされて消えていく。失恋した私を、路傍の吐瀉物にでも例えてみようかと思ったけどやめておいた。タグをヒラヒラさせたままセンチメンタルなんて、失恋が聞いてあきれる。これじゃああんまりだ。
*
中学の頃から好きだった。あの人をずっと目で追っていた。笑うとき見える間抜けな八重歯とか、背が低いのをコンプレックスにしていることとか、世界史と現代文が苦手なこととか、バスケ部だったこととか。彼のことを知る度に近づけているような気がしていた。
好きですなんて言えるわけもなかった私は、気づかれないように目で追うことやら偶然を装ってばったり道ででくわすことやら気づかれないように彼の跡をつけることやら、そんな事ばかりが上手になった。全く誉められたものではない。
食事に行きませんかとか映画に行きませんかとか誘えるわけもなく、ただ彼と過ごす時間を増やしたいがために同じ高校を受験した。落ちた。諦めきれないので予備校は彼と同じところを選んだ。
私が高校三年生の時の出来事である。浪人していた彼が、同じ予備校の女の子と付き合っているのを知った。私と同じ高校の、私と同じ学年の彼女。ちなみに世界史と現代文が学年一位だった。私は二位だった。いつかあの人と勉強できる日を夢見てガリガリガリガリ勉強していたのに二位だった。やっぱり動機が不純だとだめなのだろうか。
で、さっき。久しぶりに会った先輩は、予備校時代からの彼女とゴールインするそうです。おめでたいことだ。本心ではちっともめでたくなんかない。皮肉なことに先輩は、後輩として私を憎からず思ってくれていたようで。頼んでもいないのに結婚式に招待してくれた。丁度お前の家に向かうところだったんだよ、と言われてしまった。本当に、心から仕事帰りで良かった。
つまるところ。ここ数年間の私のシンボルだった初恋の君は、あっさりとかっさわれてしまったのでした。いや、さらわれるなんて言い方はおかしいか。私は結局、先輩に何のアプローチもしていない。さらうもなにも彼はそもそもフリーだった。一人、へヴィーなストーカーがついていただけで。
*
「おなかへった、」
いつもの口癖を口走ってしまってから、ああしまったこういうときは悲しみで何も食べられない筈なのに、と思ったけれどもう遅い。タグをヒラヒラさせたままそんなことを呟いてしまっては、もはや自分に酔ってかなしみをごまかすなんてことはできない。徹底的に、呆れるくらいに、格好がつかなくてひたすら間抜けだ。歩きながら溢れ出しそうになる涙は、もはや何が理由なのかわからない。
じゃあこんなのはどうだろう、
ひたすら早足で歩いて、家の玄関に入った瞬間にドアに凭れてぽろぽろと涙を溢す。鞄を抱き締めて体育座りすれば完璧だ。健気で泣けないヒロイン風、
「お帰り。」
「………さ、」
いつか読んだ少女漫画のヒロインと、完璧にシンクロしていたんだけど。角を曲がった瞬間に立っていた彼に、一瞬で現実に引き戻された。街灯にもたれて煙草をふかす彼は悔しいくらいに映画のワンシーンめいている。失恋したわけでもないくせに無駄にロマンチックがはまるその雰囲気は、余計に私を惨めにさせた。
「サンジ君、何やってるの」
「何って、君のこと迎えに来たんだけど。」
「よりによって、何で今日?」
「名前ちゃんが失恋して泣いてる気がして」
「…………」
図星だ。しかし何で分かるんだろう。
「長年鍛えたご近所さんの勘」
「!?な、」
「すぐに顔に出るんだよ君は。クッソ分かりやすい。」
サンジ君は、おかしくって仕方がないって感じでくつくつと笑う。しかも、悲しいことに絵になっている。センチメンタルにもロマンチックにも乙女チックにも見放されたこの町に住んでいる癖に、一々ロマンチックでドラマチックな私のご近所さん。
「晩飯でも一緒に、と思ってさ。」
「…せっかくだけど断る、今は何かを口に入れるなんてとんでもないって気分なの…」
「さっきおなかへったって言ってたの誰だっけ?」
「………」
「今日、名前ちゃんの好きな鮪丼にするつもりなんだけどなァ。」
「………………是非に。慎んで、ご一緒させてください。」
ひたすら格好がつかなくて情けない。サンジ君相手にセンチメンタルを気取ろうとしたって、叶いっこないのだ。鮪丼なんて、センチメンタルの欠片もない。けれども彼の作ってくれる鮪丼は私の大好物で、
つまるところ。ひたすらロマンチックでドラマチックなサンジ君とは対照的に、わたくし苗字名前はひたすら格好がつかない失恋の様相を呈しているのでありました。(あ、何、軍体調になってるんだろ。かっこわる。)
*
「君の瞳にカンパイ。」
「…お味噌汁で?」
「名前ちゃんの好きなカニ出汁のやつなんだけど、いらねぇの?」
「いる、いただきます、ありがとう」
お味噌汁で君の瞳にカンパイされても間抜けなだけな筈なのに、お味噌汁を渡してくれたサンジ君が必用以上に絵になってて呆れてしまう。涙が引っ込んでしまったので、センチメンタルに浸るのも諦めてお味噌汁を啜る。ああもう、おいしいよめちゃくちゃおいしいよ。
「先輩、結婚するんだってさ。」
「へェ。」
キッチンに立つサンジ君の背中に話しかける。出汁のいい香りがして、なに作ってるんだろうなんて気になっている私はやっぱりセンチメンタルからはほど遠い。悲しいことは確かなのに、泣くタイミングを逃してしまった。
「相手、予備校のカナイさんだって。覚えてる?」
「……いや、忘れたな。誰だっけ」
「世界史と現代文が一位だった人。私さぁ、世界史と現文めっちゃ勉強したんだよ。予備校の模試で私文系一位になったら先輩と付き合えるとか馬鹿みたいな願掛けもしたんだよ。」
「うん、知ってる。」
「でもいっつもカナイさんに勝てなくてさ、あの二人が付き合っているとか知っちゃった時に限って私の順位一位でさぁ、」
ああ、泣きそうかもしれない。私が勉強しようが逆立ちしようが、今思えば無駄な努力で、馬鹿みたいな無駄な労力で、結局私は中学でも高校でも先輩をこっそりストークしただけだった。カナイさんにとって私なんて恋敵ですらなかった筈だ。話したことも一回くらいしかない。
「私なんて馬に蹴られる価値もないんだよ…」
「馬?」
「人の恋路を邪魔するやつは馬に蹴られて死んじまえって、言うから…」
「…で、馬に蹴られてぇの?」
「…せめて馬に蹴られて死んじまえって思われる程度には、邪魔な存在になりたかったんだー。…ああもう、ほんと、しつこいだけで私、先輩にとっては何の価値もな、」
「はい、名前ちゃん。」
湯気をたてる茶碗蒸しとつやつやなお米の鮪丼。私の言葉を遮ってテーブルの上に置かれたそれらはやっぱりかなりおいしそうで、気をとられた私はまたしても泣くタイミングも、センチメンタルに浸るタイミングも逃してしまった。鮪丼頬張りながらセンチメンタルなんて、格好つかないにもほどがある。頬杖をついて私を見るサンジ君は野良猫にエサをやる聖母さまみたいな表情で。
「うまい?」
「…クソ、うまい。」
「何だそりゃ」
「サンジ君の真似。」
そういえば、前にもこんなことあったなぁ。
「…何か、落ち込んだときいっつもサンジ君の家でマグロ食べてる気がする…」
「そうだっけ?」
「そうだよ。栄高校落ちたときも、先輩がカナイさんと付き合ってるの知っちゃったときも、その後模試で一位とったときも、大学の第一志望落ちたときも、サンジ君の家でマグロ食べたもん。」
「…まぁ、偶然だろ。」
「……偶然だよね。何か毎回、マグロ丼のせいでセンチメンタルに浸るのもバカらしくなるよ。」
偶然なんだろうけど。私が惨めで格好付かない状態の時は、いつだってサンジ君が無駄にロマンチックに迎えに来てくれて、こうやってマグロ丼を作ってくれていたような気がする。おかげでいつだって泣くタイミングを逃してしまう。
「そりゃ良かった。君が、他の男の事でセンチメンタルに浸るのなんてクソ妬けるし。」
この人はこんな気障な台詞だってさらっと言ってのけて、しかもそれが絵になってしまうんだから素敵だ。馬鹿みたいにロマンチックがはまる、私のご近所さん。いつだって格好良くて、女たらしで、気障だけど優しい私の素敵な幼なじみ。
「…サンジ君ってさ、ベタだよね。」
「だって名前ちゃん、ベタなの好きだろ?」
「うん、好きだよ。君の瞳に乾杯とか、サンジ君が言ったら映画みたいだね。あとはお味噌汁でなくてシャンパンかなんかなら完璧だよ」
「……それはそれは」
「思い付いても普通は言えないよ。そんなセリフ、似合うのなんてハンフリー・ボガートとサンジ君くらいだよ」
「それはどうも」
「私だって言えないよ、好きですとすら言えなかったよ。…言っても、何か変わった訳じゃないんだろうけど。」
サンジ君の、煙草の煙をぼんやり眺めた。晩御飯に私を誘っておいて、この人はさっきから何も食べていない。
「てか、サンジ君はご飯、食べないの?」
「俺はいい、何かを口に入れるなんてとんでもないって気分だから」
「…タバコ、すってるじゃん」
「煙草はいいの」
私が言っても格好が付かないセリフ。サンジ君が言ったら突っ込む気になれないくらいに映画じみている。さっきも思ったけど、失恋してないくせに一々ドラマチックだ。私なんて、へヴィー級の恋が見事に角砂糖と一緒に溶けたのにロマンチックに浸ろうとするのを次々と邪魔されている。予定では今ごろは、
「今ごろ、一人でいたら泣きながら髪でも切ってたのに、な。」
「…さっきから何で私の考えてること、わかるの。ちょっと不気味だよサンジ君。」
「何だってわかるさ、君の事なら」
「嘘つき。」
「嘘じゃねぇよ。世界史と現文に時間割きすぎたせいで科学と数学で学年びりになったのだって、帰りに毎回センパイの後ろつけてたのだって、深夜にお百度詣りしようとしてやめたのだって知ってる。」
「!?、なんでお百度詣りの事を!?」
「深夜にレディが出歩いちゃ危ねぇだろ」
「えーと、答になってないよ…」
「あの神社、縁結びじゃなくて子育て地蔵だぜ」
「……うん、知ってるよ…だからやめたんだもん。やめてよかったよ完璧に不審者だもん。」
「まぁ、それは否めねぇが。不審な君もミステリアスでかわいかった」
「…どこが?」
サンジ君は、私の素敵なご近所さんだ。私がセンチメンタルに浸ろうとする度に悪気なく邪魔してくる素敵な幼なじみ。煙草をふかすのだって絵になってて、くやしい。サンジ君といなかったら。今ごろは私は泣きながら風呂場で髪でも切ってたのに。きっと失敗して格好悪いことになるんだろうけど。ちくしょう。
「…サンジ君、髪きって。」
「……いや何で、よりによって俺が、」
「サンジ君が邪魔してくるんじゃん、責任とって私の髪切って下さい」
「嫌だね」
「何でよ、面倒くさいから?」
「君の、長い髪が好きだから。ラプンツェルみたいでさ」
「………王子さま、いないのに?」
「いるんだけどな、ここに。」
「…え…?ゼフおじさん…?確かにめちゃくちゃご飯美味しいけど、あの人王子さまっていうよりは魔法使いのほうじゃないの?あれ、そう言えば今日おじさんは?」
「……ジジイは老人会の慰安旅行で温泉。」
「じゃあやっぱここには王子さまいないんじゃん」
「………」
*
「ごちそうさまでした。」
失恋したら髪を切るとか、そんなベタな。それでもこれはきっと、いい区切りには違いない。初恋にけりをつけるとか、笑っておめでとうをいえるようにとか。由はなんだっていいんだけど、失恋したら髪を切るものだと思う。
髪を切ったらある程度失恋としては格好もつくような気がするし、週末なのにあまりここに長居するのも悪いし、とにかく帰って髪切って泣いて寝よう。
「えーと、じゃあ私、帰るね。マグロ丼すっごく美味しかっ、…?」
そんなことを思いながら立ち上がった、ら、何故か腕を捕まれた。意外とつかむ力が強くて、痛いなぁとか思いながらサンジ君を見る。
「…えーと、どうか、した?あ、服にタグ付いてるのは知ってるよ。」
「……帰んないでよ。」
「えっ?いや、流石に帰るよ長居するのも悪いし。」
「帰ってどうすんの、名前ちゃん」
「帰って、…?いやあの、普通に、寝る、と思う。」
彼らしからぬ不機嫌な表情に面食らってしまった。そういえば、なんだかさっきから少しだけ不機嫌な雰囲気だった気がしないでもない。
「あの、サンジ君、」
「どうせ君は泣くんだろ。」
「えっ?」
「帰って一人で風呂入って一人で髪の毛切って一人で勝手にセンチメンタルに浸って泣くんだろ、名前ちゃん。」
「えっ、……えーと、」
「言ってるじゃねぇか、君が他の男のせいでセンチメンタルに浸るのなんてクッソ妬けるって。」
「…言ってたね、さっき。」
言ってたけど、それがどうしたんだろう。この人は一体、何にそんなに怒ってるんだろう。私が口を開く前に、やっぱりかなり不機嫌な感じの声で彼は言う。
「…あーもう。ほんと君は、クッソ鈍いよな」
「え、ごめん、」
「何がだよ」
「わからない、けど、ごめん。」
「…うん。もういいわかった。俺が悪いよ。悪かったよ。」
「…いやいやいや多分私が悪いんだよごめん、大体サンジ君が怒ってるときは私が悪いじゃん」
「…俺が悪いよ。クッソ鈍い名前ちゃんに期待した俺が悪かったよ。一から分かりやすく言ってやるからよく聞きな。」
「…………サンジ君わけわかんない」
「いいから聞けって、…つまり、君がセンチメンタルに浸るのなんて腹が立つから俺が髪切ってやるって言ってんの。」
「……」
「で、髪切ってやるから帰るなって言ってんの。」
「………」
「わかったら返事しなさい。」
「……は、はい…。」
…あなたの言うことの意味は、正直よくわかりません。思ったけど何だか怖いので従うことにした。さっきまで私の髪切るのなんて嫌だって言ってた癖に、何なんだろう一体。
*
シャキンシャキンシャキン、途切れがちなリズムで鋏の音が響くのを、ぼんやりと聞いていた。相変わらずサンジ君はムスっとしていて、何で怒ってるのかはよくわからないので非常に気まずい。
「あ、えーと、」
「……」
「そっ、そういえば、り、リカさんだっけ?彼女、げんき?」
「……」
「綺麗だよねあの人、サンジ君と並んだらあれだ、映画みたいって言うか」
「…別れた。言ってなかったっけ?」
シャキン、シャキン、シャキン。手は止めないで話を続ける。…そうか、だからこんな不機嫌なのか。同じタイミングでご近所さん二人揃って失恋なんて、確かに惨めにもなるかもしれない。
「…そうなんだ、……あれだ、えーと、元気だしなよ。」
「……」
「あの人超かわいかったけど、サンジ君もてもてだからすぐ彼女できるって、」
「……」
「確かに、忘れらんないかもしれないけどさ、……仕方ないよ振られちゃったもんは。」
「………」
「……私も、忘れられそうにないけどさ、」
「…あの子、君の事、俺の本命の彼女だと思ってたんだ」
「えっ!?」
「で、否定しなかったら振られちまった」
「…そりゃそうだそれは振られるよ…」
じ、自業自得じゃないですかサンジさん。何かもう訳がわからない。自業自得で振られておいて、何をそんなにへこんでるんだろう。
「リカちゃん、可愛かったよ確かに。胸もでかかったし。割りとタイプだったし。」
「………うん…」
「でも俺は君の方が可愛いしタイプだし忘れらんねぇと思う」
「…いいよ、今、そういうの。どうせ私、馬の骨以下だもん」
「……」
「忘れらんないよね、携帯のアドレスとか消せないよね…」
「………センパイのアドレスなんか知らねぇくせに。」
「流石に知ってるよ、そこは頑張って聞いたんだよ。」
なんかあの歌みたいだ。消せないアドレスのMのページを指で辿ってるだけ、とかなんとか。あなたの肩の向こうに見えた景色さえも覚えてるとかなんとか。
「でも二人乗りしたことはねえだろ」
「……あるもん、一回だけ。てかサンジ君さぁ、さっきから私の思考読むのやめてよ…」
「……名前ちゃん。」
シャキン。
ぱたりと手を止めたサンジ君は、藪から棒にとんでもないことを言い出した。
「二人乗りしよう、今から。」
「…何で?」
「むしろこっちが何で?だよ。まじで何で解んねぇの」
「……ごめん、とりあえず私がわるいのはわかるんだけど、それ以外はさっぱり…」
「だろうな。一回しか言わねぇからよく聞きな名前ちゃん。」
何なのこの人喧嘩売ってるのかなぐさめようとしてくれてるのかどっちなの。ぽかんとした間抜け面をぶら下げたまま、鏡越しにサンジ君を見る。鏡の中の私は明らかに髪の毛切りすぎで妙なのに、鋏を手にするサンジ君はやっぱり絵になってて格好良くて嫌になる。
「あのさ、」
「ちょいまちサンジ君。これは切りすぎ、」
「伸ばせば良いだろ、つーか人のはなしはちゃんと聞きなさい」
「…はい。ごめんなさい。何ですか」
「俺は、リカちゃんよりも君の方が可愛いしタイプだし忘れらんねぇと思う。」
「それさっきも聞いた、」
「君は、こんな妙な髪型でもクッソ可愛いし、俺には馬の骨どころかプリンセスだよ」
「えーと、ありがと、う?」
「ありがとうじゃねぇよ、馬鹿か君は。いくらなんでも鈍すぎ、名前ちゃん。」
「………サンジ君わけわかんない」
「いい加減分かろうな。つまり君が弱ってるときに慰めて付け入ろうとしてんだよ、俺は。」
「…今度、奢るよ。焼き肉でも。」
「だからちげぇよ、そうじゃねぇだろ。」
「…お寿司のほうがいい?」
「もういい、ちょっと黙って。」
ふわり。煙草の香りがした。なんか唇に柔らかい物が触れて、それからすぐに離れた。
「君が他の男のせいでセンチメンタルに浸るのなんてクッソ妬けるし腹が立つからこうやってずっと邪魔してきたわけ。」
「……」
「頼むから今、自分が何されたかよく考えてくれ。ついでに今俺が言ったのもどういう意味かよく考えてくれ。」
「………」
「念のため言っとくけど、俺は君の事慰める気なんかちっともねぇ、むしろやっと失恋してくれたのが嬉しい」
「……」
へヴィー級の恋が見事に角砂糖と一緒に溶けた。大事件だ。ここ数年間の私のシンボルが、遠くに行ってしまうのだ。ずっとあの人をみてきた、追ってきた時間が、全部水の泡になってしまうのに。
なのに私は今一瞬にして、へヴィー級の恋なんかどうでもよくなってしまった。へヴィー級の恋なんかよりもずっと大変な事件が、今ここで起こっているような気がする。
「あのー、サンジ君。」
「……」
呆然としている私に、問答無用でマフラーを巻き付けてくるサンジ君、は、少しだけ顔が赤い、ような、気がする。それすら絵になってて格好いい。相手が私じゃなかったら、まるで映画のワンシーンみたいだ。
「ねぇ、サンジ君。」
「……」
無言で私の手を引っ張って、外に連れ出す。玄関の鍵をかける彼の傍らで空を見上げた。もうすぐ、夜明けかな。
「サンジ君ってば、」
「……」
「…なんかさっきから、私、あなたに口説かれてるみたいだよ」
「……クソ当然だろ、さっきどころかずっと俺は君の事口説いてたんだから」
「そしたらサンジ君、まるで私のこと好きみたいじゃん」
「好きみたい、じゃなくて好きなんだよ。やっと気づいた?」
映画みたいなセリフ。相手が私じゃなかったら、本当に映画のワンシーンみたいだ。私を後ろにのせて、サンジ君は軽々と自転車のペダルを漕ぐ。ああでも、無様なショートカットの私はみようによっては月島雫に見えるかもしれない。
「……さ、」
「また、髪伸ばしてよ。」
「え、髪?」
「ラプンツェルみたいにさ。」
「……サンジ君、あの、」
「今度は、俺のために。」
「………きざだ…。」
「君にだけは言われたかねぇな。」
「…私、きざじゃないもん。」
「よく言うよ、あんだけベッタベタな事言っておいてさ。」
「……」
「で、返事は?」
「…伸びたら、またあなたが切ってくれるの?」
「喜んで。俺のラプンツェル。」
街を見下ろす坂のてっぺんだった。馬鹿みたいにロマンチックの似合う、ドラマチックで格好いい私の幼なじみは、やっぱり気障な仕草でわたしの手をとる。
へヴィー級の恋が角砂糖と一緒に溶けたのに。見事に、ハートブレイキングの筈なのに。
いつも一緒にいたかったとか、隣で笑ってたかったとか。じゃあ何で、私はあの人に近づくことすら躊躇ったんだろう。思い返してみれば、私がセンチメンタルに浸れたのは、いつだってサンジ君が、そこにいてくれたからだった。
センチメンタルにもロマンチックにも見放されたこの町で、不似合いにもドラマチックに笑う、私の素敵な幼なじみ。朝焼けは笑っちゃうくらいにこの人によく似合っていて、私はまた性懲りもなく乙女チックな事をかんがえてしまった。
「サンジ君、」
「ん?」
「まるで、青いとりみたい。幸せは意外と近くに潜伏してるんだね。」
「……やっぱりベッタベタじゃねぇか、プリンセス。」
彼と、センチメンタルのはなし
「サンジ君にプリンセスって言われたのはじめて」
「そりゃ、他の奴に片想いしてる君にプリンセスなんて言いたくねぇだろ」
「なんで?」
「できれば君の王子様は俺でありたいから」
「…ベッタベタじゃないですか、せいじ君」
「せいじ君?」
「耳をすませば、の。私、あなたの月島雫になれるかな」
「……(この子、こんな事言ってて恥ずかしくねぇのかな)」
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