サンジ/短編
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「大丈夫大丈夫、私、ほら、血の気が多い方だから。」
血がどくどくと流れ出す肩を慌ててハンカチで抑える。ああ、これお気に入りのやつだったのに。久し振りに見る血の色に変な汗が溢れだして、気が動転した頭では痛みだって感じない。我に返った頃にどんどん痛くなる種類の怪我だと思うけど、それならなおさら、今はまだ大丈夫だ。
この船に船医は一人しかいないんだから、私よりも優先すべき怪我人が2人いる筈だ。
「早くゾロとかサンジ君とか見てあげて」
「でも名前、おまえ」
「ゾロなんて私の5倍は大出血だし、サンジ君は骨ばっきばきかもよ。晩御飯食べられなくてもいいの?ほらさっさと行きな」
変なテンションでペラペラと喋りながらチョッパーを追いたてる。なんか腕が痺れてきた。こんなに大出血するのは、小学校の頃に跳び箱から転落したとき以来だ。走っていくチョッパーの後ろ姿を見送る。心配そうに振り返ってくれる彼にやせ我慢でもう一度笑いかけて、さっさとあっち行け頼むから、と内心呟いた。やっと視界から見えなくなったのに安心して座り込む。
ずきんずきんと痛み出す傷口を押さえた。痛い。痛いよー。気休めに独り言を言いながら目を閉じた。血の気が多いから平気なんて大嘘だ。ほんとはめちゃくちゃ痛い、たかだか肩を切られただけなのに。
*
「…名前ちゃんさぁ、なに考えてんの。」
鎮痛剤を打たれてぼんやりした視界に心底呆れた顔のサンジ君が映りこむ。私の、包帯でぐるぐる巻きにされたミイラみたいな肩に手がふれた。
「すげぇ血ぃ出てんのに無駄にやせ我慢して。」
ああ、超怒ってる。こんなときなのに、サンジ君が、私の怪我を心配してくれるのがうれしくて少し笑ってしまう。イライラした口調とは裏腹に、私に触る手はひたすら優しい。でも本当に大した事なかったんだよ、と返したら見も蓋もない言葉が降ってくる。いつもとは少し違う、とげとげしい声。
「馬鹿。まじで馬鹿だろ、プリンセス。何笑ってんだよ。」
鎮痛剤が効いてきて、痛みが消えたら今度はやたらと眠くなってきて。でも眠るのは怖いから、眠らないようにひたすら喋り続ける。体を起こそうとしたらベッドに押し戻される。大人しく寝てなよ。不機嫌な声が言う。
「だってサンジ君が、」
「俺が何なの。」
私のことを心配したりするから。この人は馬鹿だ。今だってどう考えても、私よりも彼の方が重傷。私が大人しく寝てなきゃいけないレベルなら、彼は全治1年半って所だろう。ただ、今はそれを言ったら怒るだろうから、余計な事は言わないで下らない話を。
「なんかお母さんみたいで。」
「は?」
「小さい頃ってさ、風邪ひいたり怪我したりしたらおとなが心配してくれるの、嬉しくなかった?私、病院大好きだったんだ、お母さんが優しくなるから。構ってほしくて仮病使ったりしてさ、」
「…あーもう、ちょっと黙って。」
話してる途中なのに、強引に唇が重なった。抱き締められたら眠気に押し潰されそうになる。ああ、寝ちゃダメだ、
「大人しく寝てろって言ってるだろ。」
怒ってるなぁ、思ったのを最後に意識が途切れた。痛がりの私のために、チョッパーはどれだけ麻酔と鎮痛剤を使ったんだろう。こんなの軽傷なのに、もったいない。足りたのかな、薬は。私はたかだか肩を切られただけなのに、それだけでこんなに痛いんだから、サンジ君やゾロはどれだけ痛いんだろう。かんがえるだけでおぞけだつ。
*
小さい頃の夢を見た。今でもトラウマな、私の人生で初めて歯医者さんに行ったときの夢。泣き叫ぶ私を無理やり押さえつけるナースさん。口がこじ開けられて、物騒な音を立てる機械を持った医者が微笑む。大丈夫大丈夫、ちょっとちくっとするだけだからねー。嘘だ、目が笑ってない。大丈夫よ、ほんとに大した事ないんだから。医者の隣で母も口をそろえて言う。
嘘だ、絶対嘘。本当に大丈夫なんだったら、わざわざ大丈夫なんて繰り返し言うわけがない、大丈夫なんて言われるのは大丈夫じゃない時だけ。
物騒な音を立てながら機械が近づいてくる。待って、嫌だ、恐い恐い恐い恐い。
私の胸中なんか知らずに、能天気に母が言った。たかだかこの程度で大袈裟ねぇ。がりがりがり。物騒な音が響く。待って、恐い、痛い、ほんとお願い、
*
「嫌だ待ってぇぇ…」
自分の寝言で目が覚めた。ああ、夢で、よかった。汗だくの体を起こして、部屋を見回す。暗くて誰もいない部屋。慌てて駆け出して、ドアを開けた所でチョッパーにぶつかった。
「何してるんだ名前!安静にしてないと傷口ひらくぞ!」
可愛らしい声。よかった、チョッパーは居た。扉の向こうでロビンとナミが話しているのも聞こえてきて、涙が出そうなくらいに安心したらこんどは傷口が痛くて仕方がないことに気づいてしまった。鎮痛剤が切れてきたらしい。また、ずきんずきん痛み出す肩を無視して、私は無理やりわらう。
「大丈夫大丈夫、やっぱり大した事ないみたい。ほんと、たかだかこの程度で大袈裟だよチョッパー。」
嘘だ。正直、めちゃくちゃ痛い。今まで怪我した中で一番といっていいくらいに。それでも自分に言い聞かせるように何回でも言う。大丈夫大丈夫。いつだってそうだ。大丈夫なんて、大した事ないなんて、本当に平気だったらわざわざ言わない。たかだか切り傷、この程度だってこんなに痛いのに、だったら尚更、あの人たちが大丈夫な訳がない。
*
ずきんずきんと熱を持った肩を押さえながらキッチンの扉を開けた。
「…名前ちゃん。」
よかった、いた。それだけで安堵して座り込んでしまいそうになる。本当はいつだって、頭の中は恐怖心で一杯だ。
例えば、私のみていない内に、サンジ君がここからいなくなってしまったら?
考えただけで気が狂いそうになる。まだ怒ってるらしいサンジ君は眉をひそめて私を見るけど、私はそれだけでも嬉しくて笑ってしまう。
*
羊を数えても眠れないときは、ホットミルクを飲む。それでも眠れないときは、おまじないを唱える。お月様お月様ルナロッサ。
これで大丈夫、お月様がよくないものからこどもを守ってくれる。
いつだったか夜中にあの子が口走った言葉。あのとき名前ちゃんは、一体何に怯えていたんだろう。
*
「だから大人しく寝てろって、」
「…えーと、ゾロじゃあるまいし寝ててなおるもんでもないんじゃないかなぁと…」
毒が塗ってあったらしい。あのまま放っておいたらやばかったかも、チョッパーが心底焦った顔で言っていたのを思い出す。名前ちゃんは何でもないみたいな顔で笑って、俺はそれを見ている内にじわりじわり恐くなってくる。痛がりの怖がりの癖に、こういう時だけ無理して笑ったりして。中途半端に気丈な彼女はいつだって楽天的で平和ボケだ。自分が死ぬかもしれないなんて、考えてもみないんだろう。普段は無茶なんてしない癖にこういう時に限って大丈夫だと言い張ったりして、こういう時に限って俺は名前ちゃんの側に居てやれなくて。
「怪我人が何しに来たの、名前ちゃん」
「ちょ、辛辣…サンジ君だって怪我人の癖に…、」
俺が怪我人かどうかなんて今はどうだっていいだろう。押し殺そうとしても恐怖感は拭いきれなくて、苛ついて吐き捨てた言葉だって結局は八つ当たりだ。タバコに火をつけて深く吸い込む俺を見て、彼女は目を細めて心底嬉しそうに笑う。柔らかい声。
「…ごめん、邪魔して。あの、眠れないからしばらくここに居させて、」
まただ。また、彼女は何かに怯えてる。微かに震える指先を捕まえた。いつもよりも体温の低い指先。このまま消えてしまったっておかしくないんじゃないかとぼんやり思った。俺の気も知らないで名前ちゃんはぽつりと呟いた。暖かいね。
*
「サンジ君、痛くないの?」
「…君に心配されたかねぇな、プリンセス。」
「その言葉そっくりそのまま返す。私だったらそんなの、絶対痛いよ」
「俺はいいんだよ、慣れてるから」
「じゃあ私もいいんだよ、慣れてるから」
「…いい加減にしねぇと怒るよ」
「だってサンジ君、骨折れたとか普通に言うんだもん。ポッキーじゃあるまいしさ、骨って普通に暮らしてたらそうそう折れるもんじゃないよ。」
ふらふらと歩く体を無理やり抱き上げてソファーに座らせれば、何を思ったんだか見当違いな事を口走る。普通も何も、海賊なんかやってたらこの程度の怪我は日常茶飯事だろうが。
「あなたは大丈夫だとか言うけど、ほんとに大丈夫なんだったらわざわざそんな事、言わないでしょ?だからほんとは大丈夫なんじゃないかと思って、」
俺に、ぐったりと体を預けて気だるそうに話す。いつも通り生真面目な口調の声。大丈夫大丈夫、彼女がそう繰り返したのを思い出した。やっぱり大丈夫じゃないじゃないか、言おうとした瞬間に見透かすみたいに俺をみる。
「私じゃなくて、サンジ君が、だよ。痛いでしょ?私の心配なんてしてる場合じゃないでしょ?」
痛いって、言ってよ。何かにおびえたまま、俺の気も知らないで名前ちゃんは笑った。
*
寝て起きたら全て消えてなくなるんじゃないかと思うことがある。そう、今みたいな時に。サンジ君の手を握りしめたら妙に温かく感じて、それで少しは安心するけどそれでも眠れるわけがない。私を心配する彼の方が重傷なんだからお笑いみたいだ。じわりじわり滲み出す恐怖心を押さえ込んだ。人の気も知らないで、サンジ君はもう眠りな、なんて言って私を抱き締める。煙草の香り。
「何でだろ、なんか眠くなくて」
「嘘つけ、チョッパーに薬、もらってるだろ」
「…あ、えっと、健康志向だから薬とかは飲まないで治そうかと…」
「…なに言ってんの、名前ちゃん」
呆れたように溜め息をついて、何がそんなに恐いの、なんて。口に出したらいよいよ現実になってしまう気がするから絶対に言いたくない。下がってくるまぶたを無理やり開いて言い張る。いやほんと眠れなくって、
「いいから眠りな、大丈夫だから。」
嘘だ、大丈夫なんて、ほんとに大丈夫なんだったらわざわざそんな事言うわけがない。
*
微かに寝息をたて始めた名前ちゃんを抱き締めて目を閉じた。眠るのが恐い、独り言みたいに呟いた彼女の言葉を頭のなかで反芻する。今、眠ったらみんな消えてなくなっちゃうかもしれない。泣きそうな顔をしてそんな事を口走った名前ちゃんは強情に言い張った。大丈夫なんて、ほんとに大丈夫なら言うわけない。だからそれ、君には言われたくねぇんだけど。
痛いって言ってよ、俺の気も知らないで彼女は笑った。自分が死にかけてるくせしてサンジ君がいなくなるかもしれなくて恐いんだよ、なんて。この子はきっと、いなくなるのは自分の方かもしれないなんて考えもしないんだろう。甘い香りを吸い込んで、腕の中の生温い体温を確かめる。
例えば名前ちゃんが、
いなくなってしまったら?
考えただけで気が狂いそうだ。頭を渦巻く恐怖心はしばらく薄れてくれそうもない。 眠るのが恐い、目が覚めたら君が消えてなくなってしまいそうだから。そう言ったらやっぱり君は笑うんだろうか?いつもみたいに柔らかい声で、目を細めて。
シャングリ・ラで彼女は笑う
いつだったか、彼女が言っていた。眠れない夜のおまじない。唱えた所でそんなの気休めで、結局この焦燥感を和らげてくれるのは腕の中の温もりだけだ。唇にキスを落とせば甘い香りがして、きつく抱き締めて名前ちゃんの体温を確かめて。確かめれば確かめるほど足りなくなっていって、ああ、やっぱり気が狂いそうだ。
「…さんじくん、」
名前ちゃんが身じろぎして、小さな声で俺を呼んだ。ぼんやりと開いた瞳に情けない顔をした自分が映りこんでいた。珍しくキスをねだる彼女は、うわ言みたいに何回も囁いた。お願い、確かめさせて、もっともっと。
いくら確かめたってきっと消えることなんかない不安。きっとこの子も俺も、二人して同じものに怯えてるんだ。