ロー/短編
名前変換
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例えば、
高い高い吊り橋(それもぐらぐら揺れる)の上、または胆試しの道中、あるいは絶叫マシンのなか、エトセトラエトセトラ。本人たちが恐怖を感じるような場所ならどこだっていい。要は、恐怖心を恋愛感情と錯覚できるような、二人きりの空間が望ましいわけで。
…だとしたら今のこの状況は、件の理論を実践するのにはうってつけなんじゃないだろうか。容赦なく左右に揺れるゴンドラのなかで、ふとそんなことを思い付いた。地上遥か100m、見下ろせば人が、米粒よりも小さく見える。…これは、落ちたら、死ぬんだろうな。なんて冷や汗をかきながら生唾を飲み込んだ、私の事なんか知るよしもなくゴンドラは揺れる。
その度に感じる無重力をどうにか軽減させようと、私はなりふり構わず手すりにしがみついていた。細いスチール製の棒は、命綱にするには些か頼りなさすぎる。しかも、安っぽい作り付けのベンチにはシートベルトすらついていないのだから意味がわからない。
密室、容赦なく揺れる室内。それから、
「…イイ顔。」
誰にともなく、うっとりと呟かれた声に体が震える。無様な姿勢で急上昇急降下に耐える私の向かいで、我らがキャプテン、トラファルガー・ローが愉しそうに笑った。圧し殺したみたいな笑い声が鼓膜を擽る。普段だったら私だって、それなりにときめいたりどきどきしたりするのかもしれない。ただ、今だけは話が違う。こっちは割と本気で、生命の危険を感じているのだ。ときめきとかどきどきとか、あまつさえ吊り橋効果とか、そんな悠長な事を言っている場合ではない。
キャプテンはと言えば、そんな風な私を眺めてイイ顔だとか何だとか言いながら喜んでいるわけで。つまり、彼にとってはこんなアトラクションは、子供だましのうちにも入らないって事なんだろう。それにしても、恐怖にひきつる恋人(先日勢い余って告白して両思いになったのは、夢なんかじゃないはずだ。多分、おそらく、きっと…夢じゃない、よね?自分の記憶が不安になってきた。私の妄想とかだったらどうしよう。)を前にして、言うに事欠いて『イイ顔』なんておかしい。いやがる私を騙くらかして無理矢理観覧車にのせたりして、本当にこの人は私の事が好きなんだろうか、
「俺はお前のその、死にそうな面が一番好きだ…名前。」
「……えーと…ありがとうございます……」
…好きだ、と言われているのに驚くほど嬉しくないのは何でなんだろう。
反射的にお礼を言ってしまった私を見て、彼は満足げに目を細める。ソファでするみたいに形よく足を組んで、くすくすと愉しそうに笑って。…本当に、ここが船のなかとかだったらよかったのに。ロマンチックに口説かれたところで、揺れまくる観覧車のゴンドラの中じゃときめく余裕なんてあり得ない。一瞬だけそんな考えに逃避したあと、みるみる高くなっていく風景とアナウンスに現実に引き戻された。
『…マモナク、チョウジョウフキンニトウタツイタシマス』
…確か、地上150m。世界最大級の観覧車、夜は目一杯の電飾にライトアップされて、カップルに大人気。真夏と真冬の二回、クリスマスと七夕には詰めかけたカップルで4時間待ちで、えーと、それから、なんだっけ。安っぽい旅行雑誌に載ってるみたいな、どうでもいい情報が頭をぐるぐるとまわる。私の引き攣った顔がよっぽどお気に召したのか、心底嬉しそうに笑うキャプテンの言うことには。
「…意外だな。てめぇはこういう、ベタでオーソドックスなのが好みかと思ってたが」
「…一体なんの話ですかキャプテン…」
言葉を返してから、後悔してももう遅い。キャプテン、と口に出した瞬間に、彼の笑みが深くなる。キャプテンのこと絶対にキャプテンって呼ぶなよ、なんてシャチに忠告されたのはついこの間の事で、言われた当初はなんの事だか見当もつかなかったわけだけれど、
「…『キャプテン』?」
「…あ、いや、ちょ、違、ごめんなさ、間違えましたあのおねが、こっち来ないで、…!」
…最近うっすらわかってきた。彼のなかには多分、私がキャプテンと呼ぶ度に1ペナルティ、みたいな、うまく言えないけどとにかくそんなようなとても勝手なマイルールがあるみたいだ。非常に残念なことにキャプテンは、人の嫌がる顔だとか嫌がる声だとかを鑑賞して喜ぶと言う、ちょっと変態みたいな性癖がある。そんなことはどうでもいい、いや、よくないかな。つまり問題は、この拷問部屋みたいな観覧車が、私を痛め付けるのにはうってつけだって事な訳で。
「なぁ、名前。俺は、お前の、何だ?」
「…こっ、恋人、です…」
「ああそうだその通りだ。…で、その恋人相手に言うに事欠いて『こないで』か?」
「すみませ、あのキャプテン、お言葉ですが片方に重心が傾くと揺れがですね」
「…『キャプテン』ねぇ…」
ガタンガタンガタンガタン。
上下に揺れまくるゴンドラに、愉しそうに笑顔でこちらに向かってくるキャプテン、じゃ、なかった、ローさん。別に名前を知らないとか呼びたくないとか言うわけではなくて、単なる癖と言うか、長年キャプテンとお呼びしていたものを中々すぐに言い換えられないと言うか、
喉元でこんがらがった言葉は半分も口に出せない。ガタガタぐらぐら、壊れるんじゃないかってくらいの音を立ててゴンドラが揺れて、座席から投げ出されそうになったところをものの見事にキヤッチされて、それから。
がたっ。ガタンガタンガタン。ガコン。ジーーー。
…私が、目を瞑ったのと、同じくらいのタイミングだった。一際大きな音が響いたと思ったら、いきなりすべての動きが停止した。何の?…観覧車の。
『お客様にお詫び申し上げます、只今システムの異常のために安全装置が作動いたしております。大変申し訳ございませんが、復旧まで今しばらくお待ちくださいませ』
…嘘でしょ、なんて口走る前に、妙にのどかな調子でアナウンスが飛んでもないことを告げた。中途半端な傾斜でとまったゴンドラ。運の悪いことにここは、地上150mの頂上部分だ。
「…もうやだ降りたい、」
「まァ、出来ない事もないが本当に降りたいのか?」
「いやあの言葉のあや、で……、…!」
独り言を言ったつもりが、驚くほど近くから声が返ってきて心臓がとまりそうになる。ふわりと、消毒液の匂いがした、ような、気がした。つまり今私は、彼に、抱き締められてるみたいな体勢なんじゃないか、なんて、事態を把握したらすごい勢いで顔が熱くなっていく。くすくすくす、愉しそうな笑い声が耳を擽って長い指が頭の後ろに回されて、
「…名前」
低くて掠れてて、飛びっきりの甘い声、が、名前を呼ぶのを聞いた。「漸く二人っきりだな」、なんて今の状況じゃあ丸っきりずれてておかしな台詞のはず、なんだけど、
「いやあの、あのねキャプ、ローさん、その台詞はちょっとずれてると言うかあの」
「ずれてる?どこが?」
「ど、こが、と言われましてもあのね何て言うか、」
おかしい。地上遥か150m、世界最大級の観覧車。真冬と真夏のイルミネーションがカップルに大好評で、それから、えーと、あとなんだっけ。とにかく、こんな風にときめいたりどきどきしたりとか、そんな余裕は私にはなかったはずなんだけど。これが吊り橋効果って奴なんだろうか。考えてみても、血が昇った頭では答えなんか思い付かない。どうしようどうしよう、なんて、キョロキョロと視線をさ迷わせて隣のゴンドラを視界にとらえる。…げっ、あのカップル、キスしてる。
「ほらな、俺は何も間違っちゃねぇだろ。」
得意気な笑顔で(ああもう、こんなときばっかり可愛くて本当に嫌になる)囁かれたのが最後だった。やんわりと手で視界を塞がれて、言おうとした言葉はキスに飲み込まれた。…ここが、地上150mに宙吊りされたガラス張りの箱だなんて事は、本当に頭から飛ばされてしまった。彼が、満足げに笑う。「…愛してるぜ、俺の名前」
…私も、大好きです。なんて。呆然と言葉を返しながら思い出した。そういえば、『頂上でキスしたカップルは幸せになれる』なんてなジンクスがあったんだっけ。成る程確かに『ベタでオーソドックス』だ。おまけに、なんてロマンチック。そんなことを考えて密かにときめいてしまったことは、出来れば内緒にしておきたい。…でないと、なんだか私まで変態みたいな気がしてしまうから。
吊り橋効果の理論と実践
…つまり。恐怖心だとか吊り橋効果だとか、そんなことは全く問題じゃなかった。場所がどうであれ彼を相手にすると、条件反射みたいにおかしな具合にときめいてしまう私が悪いって、事なのかもしれない。全く、揃いも揃って変態みたいで嫌になる。
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