クランケ
名前変換
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「名前」
「どしたの、ペンギ…あいたっ!」
「お前こそさっきからどうした」
「…いやなんでもない、っ、痛い痛い痛い!」
い、い、痛い。薬指もげる。いやもうもげてたか。
いつも通りのダイニングだ。ベポがいて、ペンギンがいて、シャチがいて、キャプテンが寛いでいる。思わず左手をポケットから出しそうになって思い止まった。指を取られただけなのに、なんだかそれが恥ずかしくて仕方がない。
「そういえばお前、左手どうした。」
「どっ!?どう…、とは?」
「ずっとポケットに入れっぱなし」
「ああえーと、そうねこれは、…さっき火傷しちゃって」
「火傷ぉ?」
キッチンからお茶を持ってきたジャンバールさんに尋ねられて冷や汗をかく。お前相変わらずとっろいなー、シャチが能天気に言う声が恨めしい。事態はとろいとか、そんなのよりも大分複雑だ。少なくとも私にとっては。
「さっきやかんで火傷して、それで、」
しどろもどろになりながら言い訳を考える。背後からキャプテンの押し殺した笑いが聞こえるような気がした。
「それでえーと、傷口が余りに酷くて格好悪いから見られたくなくて、…っ、」
薬指、が、誰かの指先でなぞられる。誰か、なんて言ったって一人しかいないんだけれど。私より体温の高い指先が、つつ、と爪の形をなぞってから私の薬指にそれを絡ませた。なんだこれ妙にいやらしい。
「…普通にホータイ巻きゃいいじゃん」
「わ、私不器用だから上手くまけな…っ、まけないし」
甘噛みみたいな強さでひっかかれる。びくり。その程度の事なのに大袈裟に体が震えた。ここにはないのに感覚だけあるなんてやっぱり妙な気分だ。私の気なんて知るよしもない能天気な顔のクルー達と会話しながら顔が火照ってくる。
「…名前。」
「はいっ!?」
…心臓、とまりそう。
いつも通りの声でも、キャプテンが名前を呼ぶ度にまるで心臓を鷲掴みされてるみたいな気分になる。条件反射で呼吸まで止まりそうになって、これではまるで変な病気みたいだ。喉で笑いながら、キャプテンが私を見る。細められた藍色の瞳。蛇ににらまれた蛙みたいに、目がそらせなくなる私をからかうような声色で一言。
「火傷見てやるから俺の部屋来い。」
「…いっ、いやいやっ、そそそんな滅相もな」
「いいから早く来い。」
「…ッ、は、はい…。」
よかったなー名前。そんな風な周りの能天気な声、とは裏腹に、やっぱり私は生きた心地がしなかった。細くて暖かい、指の感触。掠めるみたいな弱さで関節をなぞられて、指の形を確かめるみたいに撫で上げられた。恥ずかしい。なんでこんな恥ずかしくならなきゃいけないんだろう。顔を火照らせたままで、せめてもの抵抗にポケットの中の左手を思いっきり動かしてみた。ら、キャプテンの笑みが深くなった。ああもう本当に、物騒な目だ。
*
「…あの…」
「………安心しろ、悪いようにはしねぇよ。」
「…いえ、はい、その…」
…正直、指一本くらいなら取られたって生活に支障はないのだ。右手ならともかく、左手の、それも薬指位だったら少し気をつけていればそれですむことだと思う。問題は、なんで私がそんなことをされなくてはいけないのかという所で。
キャプテンが言った言葉の意味が理解できれば返してもらえる、らしいけど、今となっては何一つ思い出せない。ちんぷんかんぷんの外国語で何やら早口に囁かれたって事くらいだ。
「あの、キャプテ」
「…『キャプテン』?」
掌の中で私の指を弄びながら、細められた瞳でにたりと笑う。低く押し殺した声が、熱に浮かされたみたいな危うい調子で言葉を紡ぐ。ごくり、自分が唾を飲み込む音がやけに大きく聞こえた、ような、気がする。
「『キャプテン』、確かに俺はお前のキャプテンだよなぁ、名前」
「…っ、は、はい。」
どくんどくんどくん、
心臓が狂ったように暴れていた。怖い、何かキャプテンが怖い。たちまち脳みそが痺れたみたいになって、そのくらいの事しか考えられなくなった。私は一体、何をしでかしたんだろう。部屋の入り口で立ちっぱなしの私から目をそらさないで彼は話す。あのこえだ。甘やかすみたいな、唆すみたいな、低くてとびきり甘いあの声、
「名前、名前、名前。俺はお前の『キャプテン』だ、じゃあお前は俺の何だと思う?…なぁ、『名前』。」
「……えっ、あの、」
がぶり。手から切り離された薬指を、目の前の彼が口に含んだ。ちりちりと痛い感覚。切り離されてるのにやっぱり不思議だ。
「…な、何なんでしょう?」
引きつった笑い顔をぶらさげて何とかそう返した。くすくすくす、彼は口許を押さえて可愛らしく笑うので、本格的に訳がわからなくなった私がもう一度キャプテン、と口に出した瞬間に鋭い痛みが走った。がり、なんて音も聞こえた気がする。血が流れ出して、それを柔らかい舌が舐めとっていく、感覚。
「…薬指は心臓と繋がっていると信じられていたらしい」
「…へ?」
「だから薬指に指環を嵌める。心臓に枷をするようにだ」
「……あのぅ、」
痛い。齧られてできた傷口を柔らかい舌が抉る。キャプテンは私の指をいじくるのを止めてくれない。詞を朗読する時みたいに、歌うような調子の声。恐怖心で何も言えなくて、私はただそれを眺めているだけだ。心臓に枷、だなんて不穏な単語は、聞かなかった事にしたい。一般人なら絵空事で済むそんな妄想も、彼なら形にできてしまうのだ。
「なぁそろそろ分かったろ?お前は、俺の、何だ?」
「……い、いやその」
なにがだよ全く分かんないよ、全然、丸っきり分かんないよ。頭の中だけでそう叫んだ。実際にはそんなこと口に出せるわけがない。オマエハオレノナンダトオモウ、まるでさっき聞いた外国語みたいに聞こえたその言葉の意味を理解しかかったときには、彼は私を置いてけぼりにして部屋をでる所だった。
「名前。分からねぇなら本当に心臓を切り取ってやろうか?」
独り言みたいにそんな言葉を残してキャプテンが部屋を出た、直後にずるずるとその場に座り込んでしまった。…心臓、痛い。
訳がわからないまま、心臓だけが狂ったように暴れていた。じゃあ顔が熱いのは何でだろう。理解できない行動が、少しだけ嬉しいような気がしてしまうのは。恐怖心と好奇心と、あとは何が原因なんだろう。膝に顔を埋めた瞬間に、薬指に暖かい何かが触れたのを感じて息が止まりそうになる。
きっとこれはキャプテンの指先だ。
ぼんやりとそんなことを考えた。頭の中ではキャプテンの言葉だけがぐるぐると回る。お前は俺の何だと思う。
…私は、彼の、一体何なんだろう?
*
Q.私ってキャプテンにとって何なのでしょう?
A.「んー、オモチャ!」
「モルモットだろ」
「実験体じゃね?」
「…………スケープゴート……」
…スケープゴートは、あんたらにとっての私でしょうが、ジャンバールさん。
ともあれ、キャプテンにとっての私は?と聞けば、返ってくる答えはそんな物だ。私は、キャプテンの実験台だ。いままでバラバラにされたことはなかったけれど、怪しげな薬だのよく分からない機械だの、キャプテンが新しい何かを開発した時には、大抵私が実験体にされる。イライラしてるときに真っ先に当たられるのも、退屈しのぎの悪戯をしかけられるのもいつも私だ。キャプテンにとってのモルモット、皆にとってのスケープゴート。私のアイデンティティーって、一体…。
左手はポケットに突っ込んだまま、右手で頭を抱えた。シャチにお前なんでまだ左手出さねぇんだよ、と突っ込まれたけれど聞こえない振りをした。熱い緑茶の入った湯呑みを置いて、ペンギンが面白そうに笑う。
「でもお前はキャプテンに気に入られてるよ、名前。八つ当たりとは言うが、本当にイライラしてる時のキャプテンはあんな物じゃない」
「…そうなの?」
「そうだぜ!俺らに比べたら、お前がされてるのなんて甘噛みみたいなモンだよ」
あああ羨ましい!とシャチが言うので本当に羨ましいと思うの?と念を押してみた。全然。と返された。…そんなもんだ。
「でも、名前は本当にキャプテンのおきにいりなんだよ」
「ええー、…本当に?」
「だってキャプテン、名前が買ってきたお菓子なら何でもたべるもん」
「…一回、甘納豆買ってきたら食べてくれなかったよ…」
「甘納豆はしかたないよ、キャプテンねちゃねちゃしたの嫌いだもん」
…私は、甘納豆の、あのねちゃねちゃが好きなんだけどなぁ。だから大丈夫だよー、なんて妙に間延びした声で言うベポを抱きしめたら、ジャンバールさんがやっぱり少しだけ楽しそうに笑う。
「どちらにせよ、お前はロー船長のお気に入りだよ。気付いてないのなんてお前だけだ。」
「…何を根拠に…」
「お前をからかってる時の船長は、本当に楽しそうだ。」
「………そう。」
モルモット、実験台、おもちゃ。
その答えで全部説明がついてしまうのだ。キャプテンにとっての私は、気紛れにちょっかいを与えるだけの恰好の標的で、今回指をとられたのだってそれで説明がついてしまうのだ。
今ここにはない、左手の薬指を動かしてみる。しばらく動かし続けていたら、私より体温の高いキャプテンの指に押さえつけられた。うるさい静かにしろ、そう言われたみたいな気分になって、こんな異常な状況が何故か照れ臭い。彼は今どんな気分で、私の指に構っているんだろう?
ペンギンが入れてくれたお茶を一口だけ飲んだ。そう言えば、キャプテンが温いだの熱いだのと文句をつけるのは、私がお茶を入れた時だけだ。実験台、おもちゃモルモット。皆の言う通り、どんな形であれ私が彼のお気に入りな事は確かなのかもしれない。これが答えだ。私にとってのあの人は『キャプテン』で、あの人にとっての私は。
薬指は捕まえられたまま、しばらくキャプテンはそれを離す気はないようだ。私は火照った顔もそのままに、テーブルに突っ伏してポケットの中でひたすら薬指を動かしてみる。
『名前』
さっきのキャプテンの声を思い出しただけで呼吸が止まりそうな気分になる。きっとそれは恐怖心のせいだ。心臓がうるさいのもそう、物凄く怖かったから。じゃあ、なんでこんなに体が熱いんだろう。モルモット、実験台、おもちゃ。結構な事だ。私をからかってキャプテンが楽しいなら、それはそれでいいじゃないか。そう本当に思うのに、じゃあ何で私はちょっと泣きそうなんだろう。私は一体、それの何が不満なんだろう?
湯呑みを覗きこんだら、相変わらず情けない顔の私が映りこんでいた。…あ、茶柱立ってる。
*
「あっつ!」
…指一本ないくらいで、生活に支障はないのだ。そんなことを一瞬でも考えた私は甘かった。左手の指一本ないだけでも、大分感覚が狂う。床に溢れたお湯を、何とも間抜けな気分で拭った。誰もいないからって左手でヤカンを掴んだ瞬間に、さっきの言い訳が現実の事になってしまった。手の甲がひりひりと傷みだすのに、薬指だけ熱くないのが本当に妙だ。まぁ、切り離されているから熱くないのは当たり前なんだけれど。
…あーあ、久し振りに派手にやったなぁ。そそっかしい質ではあるんだけど、最近は怪我なんてしなくなってたんだけどな、
「…おい。」
「っは、…はい!?」
他人事みたいに、そんなことを考えていたら。いきなり後ろから、例のあの人の声がした。幻聴かもしれない。気配なんて全く感じなかったし。よく分からない気持ちで泣きたくなりながら振り返る、前に、ぎりぎりぎり、なんて音がするくらいに薬指をつねられる。
「いた、いたいいたいキャプテンいたい」
「見せろ」
「は?ちょ、いたいまじで痛い」
気配なんて全く感じなかった。いきなりすぎる、なんでどうして。流石キャプテン、神出鬼没だ。ぎりぎりと感じる薬指の傷みに涙目になりながら左手を差し出せば、キャプテンはため息をついて、面倒臭そうな声を出す。
「何でお前は、そうそそっかしいんだ」
「……いや、あのねキャプテン、そういう問題じゃ…そういう問題なんですか?」
何なんですかさっきから。正直怖いんですけど。そんなことは勿論言えるわけがなく、キャプテンの左手が私の右手を掴むのにも抵抗なんてしなかった。問答無用で引っ張られてソファまで連れていかれる。
「何で指一本ない状態でヤカンなんか持つんだ、アホかお前は、」
「そんな、指がないのはキャプテンが取ったからで」
「うるさい黙れそそっかしいんだからもうお前は何もするな」
「…り、理不尽」
「あ?」
唸るみたいな不機嫌な声を出しながらも、包帯を巻いてくれる手は酷く優しい。何なんですかいきなり、漸くそれだけ尋ねてみたら、薬指が妙な動きだった、とだけ返された。妙な動きだったってなんだそりゃ、
包帯を巻き終わったと思ったらすぐに左手は放り投げられて、呆気にとられる私なんか置き去りにした彼は怠そうな動きでキッチンに向かう。ヤカンに水を注ぐ。お茶の葉をティーポットにいれて、マグカップを用意して、
ーーートン。
テーブルに、マグカップがおかれる音で我に返った。入れたての紅茶が注がれた、私のマグカップ。この間停泊した島でみつけた、ギンガムチェック地にハートのマークまでついた、とびっきりラブリーな私のマグカップだ。お前趣味悪いな、確かシャチにはそう笑われたっけ…じゃ、なくて。
「あの、…これは?」
「…指がない状態でヤカンなんか持つな、そもそもがそそっかしいんだからもう金輪際二度と何もするな、茶が飲みたいんなら俺に言え」
「……いや、そんな言うんなら指、返してくださいよ、…キャプテン。」
「…『キャプテン』?」
「あ、いたいいたいやめてちょっと、もげるもげちゃう」
「元々もげてるだろうが」
本当に、全く、意味が分からない。私はこの人にとってのおもちゃ、実験体、モルモット。な、筈だったんだけど。だったら何で、キャプテンと呼ぶ度にこんな風に指をつねられなきゃいけないんだろう。あのとき、キャプテンは何を言ったんだろう。あの言葉の意味が分からない限り、私の薬指は帰ってこないらしい。…でもなんで?
私の事を混乱させた挙げ句に、目の前の彼は相変わらず物騒な声で私の名前を呼ぶ。
「…まさか、本当に心臓切り取られるまで解らねぇ訳じゃないだろうな?名前。」
心臓、切り取られたって分からないです、多分。言葉は喉元まで出かかったけれど、物騒な笑みの彼の前でそんなことは言えるわけもない。くるくるくる、私の薬指は、彼の長い指に弄ばれていて、それを見るだけで息が上手くできない自分に訳がわからなくなる。
名前、さっきとは打って変わってご機嫌な声にまた私は顔を熱くして、
…呼吸が上手くできないんです
あたまのなかで、知らない誰かに助けを求めた。薬指が心臓と繋がっている、そんな迷信だって今なら信じられるような気分だった。…まるで、悪い病気にかかったみたいだ。あたまの中の知らない誰かは、他人事みたいな調子でそう呟いた。