クランケ
名前変換
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ちょ、なんですかなんなんですか、お茶が熱すぎたんですかそれともお茶と一緒に出した饅頭がお気に召さなかったんですか、申し訳ありませんキャプテン、誠心誠意お詫びいたしますのでどうかそれだけはご勘弁ください、…ほんとごめ、ごんなさい、やだ、こなっこないでくださいお願いします…こわっ、こわひっ…ひっ…ひぎゃああああ!
*
キャプテンが凄く怖い笑顔で近付いてきたので、思い付く限りの全てについて謝りながら、途中からは恥じらいも何もかもをかなぐり捨てて悲鳴を上げながらとにかく後退りをした。目があった瞬間にバラバラにされるんじゃないかってくらいの迫力でキャプテンが薄く口を開いて、まるで今にも笑い出しそうな機嫌のいい声が言った、
「…『Room』」
ぼわっ、世界が薄い膜に包まれたみたいになって、余りの事態に私は腰を抜かす。
「ひっ、すみませんすみませんすみませ…あ、あああ、…っ」
終わったな。終わりだ。バラバラにされたら確実に気が狂う自信がある。がくがくと震えながら、薄く笑うキャプテンを見上げていた。脳裏には、いままでの人生の思い出が走馬灯のように走っていた。
初めて自転車に乗った日のこと、初恋の彼、テストで零点を取ったときのこと、運命の赤い糸を本気で探し回ったあの日のこと、好きな人が既婚者だと知ってしまったあの日のこと、そんなこんな。
ろくな思い出がない。中々バラバラにされる兆候のない状態で、震え上がりながらも脳内で少しましな思い出を探した。精々思い付くのは、つい最近並んで買った苺大福がクルーに好評だった事くらいだ。もしかしたら、今日出したのがあの苺大福じゃないからキャプテンはご立腹なされたのだろうか。
…こんな事考えたって、結局は現実逃避だ。くつくつくつ、彼が微かに笑うのを聞いた。恐怖で呼吸すらままならない私の喉からは、ひゅーひゅー、なんて無様な音が出るだけだ。
「…『シャンブルズ』」
「ひっ!…うわっ、ああああ!」
ひゅん。
音を立てて指先が飛んだ。ひゅんひゅんひゅん、右手から次々と指がバラバラになっていく。痛みはないのが逆に不気味だった。私の体はどうされてしまうのか、それだけを考えながらひたすら悲鳴を上げて、
*
「あああああ、…あ、…れ?」
正直、気絶するかと思った。自分の指がバラバラになって宙を舞う光景なんて、恐怖体験以外の何物でもない。喉を嗄らして悲鳴を上げ続ける私を見下ろすキャプテンも怖いくらいに無表情で、ああもう私は死ぬんだと思った、のだけれど。
「……あ、え?…ん?」
どうやらまだ生きているらしい。頭も足も腕もくっついたまま。唯一無くなっているのは、
「え、あの、…キャプテン、」
「………。」
「わ、私の指なんてどうするんです、か?」
「…さァな。そんなこと自分で考えろ。」
くつくつくつ。
おもしろくって仕方がないって感じで彼が笑う。私の左手からもぎ取った薬指がキャプテンの指に弄ばれていた。…体から切り離されても感覚があるなんておかしな話だ。さっきまでの恐怖も忘れて、ポカンとそんな光景を見つめていた、ら、
「……っ、あああ、あの、」
ちゅっ、
なんて可愛らしい音を立ててキスをした。誰が?キャプテンが。誰に?私の、左手の薬指に。文章にしてみると非常にロマンチックなのに、実際の状況を見ると非常に異常だ。
「……『die so verheerend gluhn in meiner Brust.Nur Eine kann mir helfen,jene Eine die mir das suse Gift gab,dran ich kranke.』」
「…へっ!?」
「意味が分かったら返してやる。…それまで宜しくな、名前。」
目を細めて耳許で囁いた。飛びっきりの甘い声で。…誰が?キャプテンが。何を?…分からない。何か呪文みたいな、一体何語なんだそれは。混乱した脳みそには彼の行動の、何一つ理解できなかった。
相変わらず腰が抜けたままの私を後に、それだけ言った後キャプテンは出ていってしまった。コツリコツリ、硬質な足音を聞きながらぼんやりしていると、入れ替わりに入ってきたシャチがぎょっとしたみたいな顔をする。
「名前お前何やってんだよ、こんなとこで。」
お前何やってんだよこんなとこで。
こんなとこで。
こんなとこで。
言われた内容を何回か反芻して、漸くここがどこだったのかを思い出した。さっきまでと何の代わりもない、昼下がりの午後の書庫だ。
「…おい…名前…?」
名前、私の名前だ。シャチが私の名前を呼んでその事を確認したら、今更心臓がどくどくと音をたて始める。名前、さっきのキャプテンの声が耳の奥で甦ってくる。名前、名前、名前、名前。シャチが呼ぶのとも他のクルーに呼ばれるのとも違う感覚だった。甘い甘い声。唆すみたいな、甘やかすみたいな、とにかくそんな危うい調子の声だった。だからそれが何なんだろう。何でそんな声で、名前を呼ばれなくてはいけないんだろう。
「キ…キャプテン、が。」
「キャプテンがなんだよ、つーかお前ちょっと邪魔」
「……私の名前、呼んだ。」
「はぁ?いつもの事じゃん。」
それが、違うんですよシャチさん。いつもの事じゃないんです。言いたいけど上手く説明がつかないのでやめておいた。今ここにはない薬指が、誰かの指になぞられる感覚に背筋が粟立つ。涙目になった私をシャチが怪訝な顔で見て、
「…なぁ、ほんとどしたの。」
…答えられない。キャプテンは普段、気紛れにクルーをバラバラにしたりしている。その事を考えたら、指をとられるなんて大したことのない出来事の筈なんだけど。
「な、何でも、ない。」
私にとってはそれがまるで、心臓が取られてしまったみたいな大事件に感じられた。どくんどくんどくん、不整脈にになるんじゃないかって位に動く心臓を押さえながら、座り込んだままさっき言われた言葉を思い出そうとする。 ディ、ディゾ…何だっけ。意味が分かったら返してやる。と言うことは、意味が分からなかったらずっとこのままなんだろうか。……まるで生きた心地がしない。
「ペンギン、頼んでおいた本は。」
「はい、ここに。」
「ベポ、膝枕。」
「アイアイ!」
「シャチ、毛布。」
「了解っす」
…いつもの光景だ。キャプテンがあれこれと注文をつけて、皆が慣れた調子でそれに答えていく。ベポの膝に頭を乗せたキャプテンはまるで母親に甘える子供みたいで、さっきまでの物騒な雰囲気なんて微塵も感じられない。ごろんと横になった状態で本のページをパラパラと捲る。なに読んでるんだろう、そんなことを考えながらなるべく気配を殺して、お茶の入ったマグカップを置いた。
ことり。
思いの外大きな音が響いて、一瞬ひやりとしたけど本に夢中のキャプテンはそれには気付かなかったみたいだ。よかった。なぜかがっかりしたような安心したような複雑な気分になって、それでも足音を立てないようにしながら彼に背を向けた、その時。
「…名前。」
「ひ、ひゃい!!」
ああ、かんだ。アホみたいにかんだ。
思い出したみたいに声を掛けられて全身の血が逆流した、みたいな気分になった。何を言われるんだろう、びくびくとぎこちない仕草で振り向いてみたら、彼は私なんかに目もくれないで、そっけない調子で一言。
「…苺大福。」
「かっ、…買ってきます。」
…いつもの調子だ。まるで、さっきまでの出来事が夢だったんじゃないかってくらいにいつもの調子だ。
逆流してきた血液も凄い勢いで元通り流れ出す。息を吸ってはいて瞬きをしたら、本当にさっき薬指を取られたのは夢なんじゃないかって気分になってきた。
ポケットの中で、左手を握りしめる。開く。握りしめる。開く。握りしめる。やっぱり感覚はある。ますますさっきのが夢だったみたいだ。薬指を取られるなんて、私のよく分からない白昼夢だったのかもしれない。そう思って、今度は全ての指をバラバラに動かしてみる。親指、人差し指、中指、薬指、
…こつん。
薬指、を、ぐにぐにと動かしてみる。と、まるでガラスみたいなひんやりした物の感触がした。
こつん。こつん。こつん。…ころころころ。
…でも、でもひょっとしたらひょっとして、夢なんじゃないのかな。祈るみたいな気持ちで必死で指を動かしていたら、背後で何かが転げ落ちるみたいな音がした。
「キャプテンー、これなにー?」
「さァな。」
ぐにぐに、ぐにぐにぐに。
コツンコツン、コツンコツンコツン。
全身の血が逆流した。今度は気分じゃなくて、本当に。さっきにも増してぎこちない動きで振り返って目に入ってきたのは、小さなガラス瓶をつまみ上げるキャプテンと、そのなかで暴れまわる私の。
どくんどくんどくん、
何かの病気みたいに心臓が暴れだす。
どうすることもできないで私は相変わらず、ポケットの中で手を握ったり開いたりしていた。キャプテンが私を見上げる。目が合った。さっきみたいな物騒な目だ。唆すみたいな甘やかすみたいな、危うい調子の声が言う。
「何してる。さっさと持ってこい…『名前』。」
足が勝手に走り出した。シツレイシマス、辛うじてそれだけ言って部屋を出た後、その場にずるずると座り込む。心臓は、いつまでたっても落ち着かない。なんでどうして。頭のなかに浮かんでくる言葉だって、まるで意味のない物ばかりだ。
…夢じゃなかった。
取られたのは指一本なのに、まるで心臓でも取られたみたいにぞくぞくする。キャプテンは何を考えてあんなことをしたんだろう。頭を抱えた瞬間に、薬指が引っ掛かれた、感触が、した。
「いっ、」
びくりと体が震える。扉の向こうから、いつも通りの声が聞こえた。
「早く行け。」
はい、はいはいはい、今すぐに!
反射的に返事をしてからやっぱり頭を抱えたいような気分で走る。あの、物騒なキャプテンに奪われてしまったのだ。薬指一本でも生きた心地がしない。意味が分からなかったらずっとこのままなんだろうか。恐怖心とよく分からない感情で呼吸ができなくなる。泣きそうな目で甲板に出た私を見てペンギンが一言。
「一体どうした、名前」
薬指を取られた。指一本、たったの一本だ。何も生死に関わる訳じゃない。自分に言い聞かせても、やっぱりそれは大変な出来事のように気がして仕方ない。ペンギンにだって本当の事を言えるはずがなく、頭の中だけですがるような声で言う。
…えらいことに、なってしまった。
動悸がおさまらないんです
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