疫病神と踊る医者
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紙で指の先を切った。タンスの角に小指をぶつけて、目測を見誤って部屋の入口に肩をぶつけた。ハイヒールが道路の排水溝の網目にはまって転んだ。スーパーの入口でドミノ倒しになった自転車の下敷きになった。スーパーに山積みされた在庫の下敷きになった。スーパーの特売に群がろうとする主婦の群れにひかれた。角をまがったら自転車に激突した。満員電車でピンヒールの女性に味の甲を踏まれ続けた。同僚に淹れてもらったコーヒーの湯気で火傷をした。いきなり閉まってきた自動ドアに指を挟まれた。そしてたった今、天から降ってきた金タライが頭に直撃した。
上の方から何やら謝っているのが聞こえて、ああいつもの植木鉢のお宅か、と納得しながら立ち上がった。もう2度と、大きな怪我をしないように細心の注意を払って生活しよう。あの決心から2週間、襲い来る細かすぎる事故をものともしないで、手足を痣やら小さな切り傷やらで一杯にしながらも彼とは会わずに済んでいる。幸い、足の捻挫も松葉杖なしで歩ける程度には回復して、意外な程に私の試みは成功している。
…まぁ、おかげで手も足も傷だらけな訳だけど。
通行人の邪魔にならないように金だらいを道の脇に避けて家へと急ぐ。金曜日の午後11時。私の会社は7時が定時なのに、電車の人身事故やらバスの運休やらで二駅しか離れていないここまで帰るのに四時間もかかってしまった。今週も散々、もとい、いつも通りの一週間だった。
夜中に階段かけあがるな、彼に言われたことを思い出してエレベーターのボタンを押す。ついさっきエレベーターは人を乗せてしまったようで、一階まで降りてくるには大分かかりそうだった。
7階、8階、上がっていく数字を見ながらぼんやりと考えていた。あのときの火傷は、痕もわからない位に綺麗に治った。右足首の捻挫も、その他もろもろの怪我も、……痕が残らないように、治療してくれた、のかな。
…綺麗な手、
正直、かなり嬉しかった。彼が誉めてくれた手は、今は擦り傷やら切り傷やら小さな火傷やらで、お世辞にも綺麗とは言い難い…あ、ささくれできてる。
全力で避けよう。そう決心した癖に、いざ2週間もトラファルガーさんと遭遇しないでいると、今度はそれに違和感を覚えてしまう。病院やら、マンションの入口やら、部屋の前やら。それまでは会わない日はないって位の頻度で遭遇してたんだから、無理はないかもしれない。
会わないように、そう思って行動すればその度に彼と遭遇していた。それを思うと不思議だった。正直、2週間前にこの計画(そんな大層なものじゃないけど)を立てたときもここまで上手くいくなんて思っていなかったのに、
意地悪そうに目を細めるトラファルガーさんの顔が浮かぶ。お前は俺のストーカーでもしてんのか、面白がるような声の調子で言って、意外と可愛らしく笑って。…まぁ、もうストーカーなんて言わせないけど。
『イッカイデス』
機械の無表情な音声で我に返った。閉まろうとする扉に慌てて乗り込む。時刻は午後11時10分。トラファルガーさんは日勤の日だから、今日も遭遇せずに済みそうだ。
*
『ドアガシマリマス、ドアガシマリマス』
痛い。ちょっとまてこれは、これは、あんまりだろう。そう口に出す余裕もなく、私は全力でもがいた。
『ドアガシマリマス、ドアガシマリマス』
閉まらないでお願いだから、まだ私が。
凄い勢いで閉まろうとするドアに挟まれて、身動きがとれなくなってどの位経ったんだろう。全力で押してもびくともしないドアを、それでも一縷の望みをかけて押し退けようとする。
『ドアガシマリマス、ドアガシマリマス、ドアガシマリマス、ドアガ』
押しては押し戻されて、その度にエレベーターの機械音声が狂ったように再生される。ドアが閉まります。まるで、決してお前を通しはしない、誰かにそう言われているような気分だ。
『シマリマス、ドアガシマリマス、ドアガシマリマス、』
もうそろそろ腕が限界だ。このまま朝まで挟まれっぱなしなのだろうか。…いや、それなら、まだいい方だ。
『ドアガシマリマスドアガシマリマスドアガシマリマスドアガシマリマス』
まるで想像もできないくらいの勢いで私を挟んでくるドア。間違いなく朝までなんて、もたない。…じゃあもし、このままドアに挟まれて圧死したら、警察は私の死因をなんて片付けるんだろう。事故死?不審死?頓死?…とりあえず事故死かな。ワイドショーが特集するかもしれない。エレベーター会社の怠慢!杜撰な管理体制!なんてキャプションをつけて。
『ドアガシマリマスドアガシマリマスドアガシマリマスドアガ』
「…っ、ぐ…」
苦しくて、割りと切羽詰まったみたいなうめき声がもれる。どちらにしろ馬鹿みたいな死に様だろう。エレベーターの扉に挟まれて圧死なんて、実家の親は情けなくてやってられないだろう。当事者の私だってやってられない。このまま死んだら、化けて出てやる。エレベーターに。このマンションの住人にまことしやかに語られる噂の存在として君臨してやる。毎晩11時10分に、エレベーターに乗り込む者をこうして圧死させて、
『シマリマスドアガシマリマスドアガ』
「う、…うう…」
もう駄目だ、手に力が入らない。こんな状況で、最後の言葉を呟くような気分にもなれない。情けなくて仕方がなくて、ついでに挟まれた体が痛くて、涙がぼろぼろと溢れ出す。まるでコントみたいな状況だ…本当に、こんな姿、とても人に見せられた物じゃない。
『シマリマスドアガシマリマスドアガ』
「……くっ…」
『ドアガ、ヒラキマス』
「ぎゃっ」
いきなり、凄い勢いでドアが開いた。一体何が起こったのか考える前に、体が倒れる、前に、腕を引っ張られる。
「…おい」
呆れたような低い声。振り返らなくてもわかる、この声は。
「お、お久し振りです…」
顔に、一気に血が登っていく。助かってよかった。よかったけど、死なずに済んだのは喜ばしい事なんだけど。
2週間ぶりに会う、彼は笑った。面白くってしかたがないって感じで、あの、屈託のない笑いかたで。
「お前はこんな深夜に何をしてる、苗字名前。」
全くだ。一体私は、こんな深夜に、何を。
恥ずかしさの余りに耳鳴りがした。さっきまで考えていた、ワイドショーとか、化けて出てやるとか、その辺の事まで見透かされたような気になって。よりによってタイミング悪く、いやタイミング良く?正直もう何が何だかわからない。
何を言った物だかわからない私は、いつも通り呟いていた。
「き、…恐縮です、トラファルガーさん…」
上の方から何やら謝っているのが聞こえて、ああいつもの植木鉢のお宅か、と納得しながら立ち上がった。もう2度と、大きな怪我をしないように細心の注意を払って生活しよう。あの決心から2週間、襲い来る細かすぎる事故をものともしないで、手足を痣やら小さな切り傷やらで一杯にしながらも彼とは会わずに済んでいる。幸い、足の捻挫も松葉杖なしで歩ける程度には回復して、意外な程に私の試みは成功している。
…まぁ、おかげで手も足も傷だらけな訳だけど。
通行人の邪魔にならないように金だらいを道の脇に避けて家へと急ぐ。金曜日の午後11時。私の会社は7時が定時なのに、電車の人身事故やらバスの運休やらで二駅しか離れていないここまで帰るのに四時間もかかってしまった。今週も散々、もとい、いつも通りの一週間だった。
夜中に階段かけあがるな、彼に言われたことを思い出してエレベーターのボタンを押す。ついさっきエレベーターは人を乗せてしまったようで、一階まで降りてくるには大分かかりそうだった。
7階、8階、上がっていく数字を見ながらぼんやりと考えていた。あのときの火傷は、痕もわからない位に綺麗に治った。右足首の捻挫も、その他もろもろの怪我も、……痕が残らないように、治療してくれた、のかな。
…綺麗な手、
正直、かなり嬉しかった。彼が誉めてくれた手は、今は擦り傷やら切り傷やら小さな火傷やらで、お世辞にも綺麗とは言い難い…あ、ささくれできてる。
全力で避けよう。そう決心した癖に、いざ2週間もトラファルガーさんと遭遇しないでいると、今度はそれに違和感を覚えてしまう。病院やら、マンションの入口やら、部屋の前やら。それまでは会わない日はないって位の頻度で遭遇してたんだから、無理はないかもしれない。
会わないように、そう思って行動すればその度に彼と遭遇していた。それを思うと不思議だった。正直、2週間前にこの計画(そんな大層なものじゃないけど)を立てたときもここまで上手くいくなんて思っていなかったのに、
意地悪そうに目を細めるトラファルガーさんの顔が浮かぶ。お前は俺のストーカーでもしてんのか、面白がるような声の調子で言って、意外と可愛らしく笑って。…まぁ、もうストーカーなんて言わせないけど。
『イッカイデス』
機械の無表情な音声で我に返った。閉まろうとする扉に慌てて乗り込む。時刻は午後11時10分。トラファルガーさんは日勤の日だから、今日も遭遇せずに済みそうだ。
*
『ドアガシマリマス、ドアガシマリマス』
痛い。ちょっとまてこれは、これは、あんまりだろう。そう口に出す余裕もなく、私は全力でもがいた。
『ドアガシマリマス、ドアガシマリマス』
閉まらないでお願いだから、まだ私が。
凄い勢いで閉まろうとするドアに挟まれて、身動きがとれなくなってどの位経ったんだろう。全力で押してもびくともしないドアを、それでも一縷の望みをかけて押し退けようとする。
『ドアガシマリマス、ドアガシマリマス、ドアガシマリマス、ドアガ』
押しては押し戻されて、その度にエレベーターの機械音声が狂ったように再生される。ドアが閉まります。まるで、決してお前を通しはしない、誰かにそう言われているような気分だ。
『シマリマス、ドアガシマリマス、ドアガシマリマス、』
もうそろそろ腕が限界だ。このまま朝まで挟まれっぱなしなのだろうか。…いや、それなら、まだいい方だ。
『ドアガシマリマスドアガシマリマスドアガシマリマスドアガシマリマス』
まるで想像もできないくらいの勢いで私を挟んでくるドア。間違いなく朝までなんて、もたない。…じゃあもし、このままドアに挟まれて圧死したら、警察は私の死因をなんて片付けるんだろう。事故死?不審死?頓死?…とりあえず事故死かな。ワイドショーが特集するかもしれない。エレベーター会社の怠慢!杜撰な管理体制!なんてキャプションをつけて。
『ドアガシマリマスドアガシマリマスドアガシマリマスドアガ』
「…っ、ぐ…」
苦しくて、割りと切羽詰まったみたいなうめき声がもれる。どちらにしろ馬鹿みたいな死に様だろう。エレベーターの扉に挟まれて圧死なんて、実家の親は情けなくてやってられないだろう。当事者の私だってやってられない。このまま死んだら、化けて出てやる。エレベーターに。このマンションの住人にまことしやかに語られる噂の存在として君臨してやる。毎晩11時10分に、エレベーターに乗り込む者をこうして圧死させて、
『シマリマスドアガシマリマスドアガ』
「う、…うう…」
もう駄目だ、手に力が入らない。こんな状況で、最後の言葉を呟くような気分にもなれない。情けなくて仕方がなくて、ついでに挟まれた体が痛くて、涙がぼろぼろと溢れ出す。まるでコントみたいな状況だ…本当に、こんな姿、とても人に見せられた物じゃない。
『シマリマスドアガシマリマスドアガ』
「……くっ…」
『ドアガ、ヒラキマス』
「ぎゃっ」
いきなり、凄い勢いでドアが開いた。一体何が起こったのか考える前に、体が倒れる、前に、腕を引っ張られる。
「…おい」
呆れたような低い声。振り返らなくてもわかる、この声は。
「お、お久し振りです…」
顔に、一気に血が登っていく。助かってよかった。よかったけど、死なずに済んだのは喜ばしい事なんだけど。
2週間ぶりに会う、彼は笑った。面白くってしかたがないって感じで、あの、屈託のない笑いかたで。
「お前はこんな深夜に何をしてる、苗字名前。」
全くだ。一体私は、こんな深夜に、何を。
恥ずかしさの余りに耳鳴りがした。さっきまで考えていた、ワイドショーとか、化けて出てやるとか、その辺の事まで見透かされたような気になって。よりによってタイミング悪く、いやタイミング良く?正直もう何が何だかわからない。
何を言った物だかわからない私は、いつも通り呟いていた。
「き、…恐縮です、トラファルガーさん…」