方舟を作る
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目が覚めましたか。おはようございます。熱は、……下がったようですね。どこか痛いところはありますか? めまいや吐き気は? もし可能なら何か口に入れて……、この場所ですか? 医院の休養室ですよ。かなり消耗されている様子でしたから、お連れしたんです。貴方の部屋は……、あの部屋は、正直、その、【あまり良くない場所】のように思えたので。覚えていらっしゃらない。いえ、無理もないです、何せあの時の貴方は、酷く混乱されていたので。最後のご記憶は、……、ここでカウンセリングを受けた時の事は覚えていらっしゃいますか? なら、その時の出来事から順を追ってご説明しますね。あの日ここで会話をした後、いくつかお薬を処方しました。睡眠導入剤と抗不安薬です。……尤も、抗不安薬の方は、あまり気休めにはならなかったかもしれません。死んだ人間の声が聞こえるというのは、貴方のような方には酷でしょう。薬を飲んだところで、連中の姿が見えなくなるわけではありませんから。それに、奴らは姿が見える人間を見つけると見境なく寄って来るでしょう。職場でも、その事で酷く悩んでいるとお話されていましたよね。
……覚えていらっしゃらないですか? いえそんな。無理もない事です、あんな事があった後ですから、記憶が混濁しているのでしょう。あの日、カウンセリングの中でお話して下さいましたよね。死んだ人間の姿が見える、それも、生きている人間との見分けがつかない位にはっきり見える、と。そのせいで、お仕事でも人間関係でも支障を来たしていると。オフィスにいるだけで息が苦しい、常に誰かに……死人だけでなく同僚や上司にも……見張られている気がすると。あの時の貴方は、かなり思いつめていらっしゃいました。ご家族やご友人が離れていったのも、心無い噂を流されることも、酷く叱責されることも、全て自分が悪いのだから仕方がないと仰っていました。今思えばあの時気付いて差し上げるべきだったのに、……、申し訳ありません。
電話をいただいたのは十八日の深夜です。日付が変わる直前だったでしょうか。あの時の貴方は、酷く動揺されているようでした。取り返しのつかない事をしてしまった、自分のした事をどう償ったら良いのかわからない、そう仰っていました。俺に理解できたのは、とにかく差し迫った状況だということだけでした。それで、貴方のお部屋に伺ったんです。部屋の鍵ですか? 管理会社に開けて貰いました。貴方は部屋の中で倒れていらっしゃいました。発熱して、酷く消耗されていました。それから三日ほど目を覚まさず、……その、通常であれば病院にお連れするべきところなのですが、申し訳ありません。病院には、連中が沢山うろついていますから。あんなに外を恐がっていた貴方を病院にお連れするのは酷だろうと……それで、俺の独断で、此処にお連れしたんです。精神科とはいえ、ここならある程度の設備は整っているので。
そんな、貴方が謝る事など何一つありませんよ。全て俺が勝手にした事です。あんな場所に貴方を一人にしておくことが、どうにも耐え難いんです。……だって、同じ世界を見ている方に、俺は初めてお逢いできたのですから。貴方の苦痛も、恐怖も、俺にだけは理解できます。だからこそ厭だったんです。俺以外の……、貴方の苦しみを理解しようともしないような連中に、貴方を託すことなんかしたくなかった。ここなら守って差し上げられる。そう思ったんです。ねぇ、全部俺が、したくてした事ですよ。ですから貴方は、そんな風にご自分を責める必要などないんです。貴方は何一つだって悪くありません。俺を、……俺や、貴方をそんなにまで追い詰めた連中を、好きなだけ責めて、詰って良いんです。それなのに。……貴方はやはりお優しい方だ、一番お辛いのはご自分なのに、こんな時まで俺の事を気遣ってくださるなんて。
ああ、すみません。少し喋りすぎてしまいましたね。喉、乾きましたよね。どうぞ、冷たい水です。何か口に入れられそうなら、お粥でもご用意しましょうか。ずっと点滴では、体力が落ちてしまいますから。お勤めの会社には俺から連絡を入れておきました。ただでさえストレスでお身体が弱っていらっしゃるんですから、あと一週間はきちんと静養してくださいね。
……、熱が下がったらどうする、とは? 可笑しな事をお聞きになるんですね。俺としてはお仕事は、もう少しお休みしていただきたい所ですが。今の貴方は誰が見ても、健康な状態とは言い難い。無理強いをすることではありませんが、……、ええ、ありがとうございます。それなら少し、長めにお休みを取りましょうか。そうですね、まずは半年。手続きは俺の方で進めておきますから、大丈夫ですよ。今はただ、休むことだけに集中してくださいね。それに、帰りたくないのなら、無理にあの部屋に帰ることはありませんよ。入院という形でここに滞在いただくこともできますし、……この建物、上は住居スペースになっているんです。部屋は余っているので、そこに移って頂いても大丈夫です。あのお部屋は、その、……なんというか、場所が余り良くないです。ほかの場所よりも沢山、死んだ連中が集まっているように見えました。
失礼ですが、あそこはご自分で? ……、そうですか、元々は婚約者の方とお二人住まい、だったんですね。随分と勝手な男ですね、こんなにまで苦しんでいる貴方を、あの部屋に置き去りにするなんて。いけませんよ、そのようにご自分を責めるのは。貴方は何一つ悪くない。貴方の苦しみを理解できない連中などに、お心を砕くべきではありません。醜悪なのは、……罪深いのは、貴方ではない。そうでしょう。貴方を踏みつけにするような人間ばかりに囲まれながら、それでも貴方は献身的に回りに尽くそうとなさっていた。いいえ、これは事実ですよ。貴方はもう少し自分勝手になっても良いくらいです。
ねぇ、俺にだけは、そんな風に取り繕って下さらなくても良いんですよ。してほしい事があれば何でもお申しつけ下さい。決して拒むことはありませんから。……、手をつなぐだけで、良いんですか? はは、これはまた。随分と可愛らしいお願いをいただいてしまいました。ええ、良いですよ。貴方が寂しくなくなるまでしばらくの間、このままでいましょうね。
……覚えていらっしゃらないですか? いえそんな。無理もない事です、あんな事があった後ですから、記憶が混濁しているのでしょう。あの日、カウンセリングの中でお話して下さいましたよね。死んだ人間の姿が見える、それも、生きている人間との見分けがつかない位にはっきり見える、と。そのせいで、お仕事でも人間関係でも支障を来たしていると。オフィスにいるだけで息が苦しい、常に誰かに……死人だけでなく同僚や上司にも……見張られている気がすると。あの時の貴方は、かなり思いつめていらっしゃいました。ご家族やご友人が離れていったのも、心無い噂を流されることも、酷く叱責されることも、全て自分が悪いのだから仕方がないと仰っていました。今思えばあの時気付いて差し上げるべきだったのに、……、申し訳ありません。
電話をいただいたのは十八日の深夜です。日付が変わる直前だったでしょうか。あの時の貴方は、酷く動揺されているようでした。取り返しのつかない事をしてしまった、自分のした事をどう償ったら良いのかわからない、そう仰っていました。俺に理解できたのは、とにかく差し迫った状況だということだけでした。それで、貴方のお部屋に伺ったんです。部屋の鍵ですか? 管理会社に開けて貰いました。貴方は部屋の中で倒れていらっしゃいました。発熱して、酷く消耗されていました。それから三日ほど目を覚まさず、……その、通常であれば病院にお連れするべきところなのですが、申し訳ありません。病院には、連中が沢山うろついていますから。あんなに外を恐がっていた貴方を病院にお連れするのは酷だろうと……それで、俺の独断で、此処にお連れしたんです。精神科とはいえ、ここならある程度の設備は整っているので。
そんな、貴方が謝る事など何一つありませんよ。全て俺が勝手にした事です。あんな場所に貴方を一人にしておくことが、どうにも耐え難いんです。……だって、同じ世界を見ている方に、俺は初めてお逢いできたのですから。貴方の苦痛も、恐怖も、俺にだけは理解できます。だからこそ厭だったんです。俺以外の……、貴方の苦しみを理解しようともしないような連中に、貴方を託すことなんかしたくなかった。ここなら守って差し上げられる。そう思ったんです。ねぇ、全部俺が、したくてした事ですよ。ですから貴方は、そんな風にご自分を責める必要などないんです。貴方は何一つだって悪くありません。俺を、……俺や、貴方をそんなにまで追い詰めた連中を、好きなだけ責めて、詰って良いんです。それなのに。……貴方はやはりお優しい方だ、一番お辛いのはご自分なのに、こんな時まで俺の事を気遣ってくださるなんて。
ああ、すみません。少し喋りすぎてしまいましたね。喉、乾きましたよね。どうぞ、冷たい水です。何か口に入れられそうなら、お粥でもご用意しましょうか。ずっと点滴では、体力が落ちてしまいますから。お勤めの会社には俺から連絡を入れておきました。ただでさえストレスでお身体が弱っていらっしゃるんですから、あと一週間はきちんと静養してくださいね。
……、熱が下がったらどうする、とは? 可笑しな事をお聞きになるんですね。俺としてはお仕事は、もう少しお休みしていただきたい所ですが。今の貴方は誰が見ても、健康な状態とは言い難い。無理強いをすることではありませんが、……、ええ、ありがとうございます。それなら少し、長めにお休みを取りましょうか。そうですね、まずは半年。手続きは俺の方で進めておきますから、大丈夫ですよ。今はただ、休むことだけに集中してくださいね。それに、帰りたくないのなら、無理にあの部屋に帰ることはありませんよ。入院という形でここに滞在いただくこともできますし、……この建物、上は住居スペースになっているんです。部屋は余っているので、そこに移って頂いても大丈夫です。あのお部屋は、その、……なんというか、場所が余り良くないです。ほかの場所よりも沢山、死んだ連中が集まっているように見えました。
失礼ですが、あそこはご自分で? ……、そうですか、元々は婚約者の方とお二人住まい、だったんですね。随分と勝手な男ですね、こんなにまで苦しんでいる貴方を、あの部屋に置き去りにするなんて。いけませんよ、そのようにご自分を責めるのは。貴方は何一つ悪くない。貴方の苦しみを理解できない連中などに、お心を砕くべきではありません。醜悪なのは、……罪深いのは、貴方ではない。そうでしょう。貴方を踏みつけにするような人間ばかりに囲まれながら、それでも貴方は献身的に回りに尽くそうとなさっていた。いいえ、これは事実ですよ。貴方はもう少し自分勝手になっても良いくらいです。
ねぇ、俺にだけは、そんな風に取り繕って下さらなくても良いんですよ。してほしい事があれば何でもお申しつけ下さい。決して拒むことはありませんから。……、手をつなぐだけで、良いんですか? はは、これはまた。随分と可愛らしいお願いをいただいてしまいました。ええ、良いですよ。貴方が寂しくなくなるまでしばらくの間、このままでいましょうね。