長谷部
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昨日は眠れなかった。そのせいでこんなことになっている。
扉の向こうから楽しげな笑い声の気配。実際聞こえないけど。
防音がしっかりしているのか、部屋の中には二人分の呼吸の音がかすかに聞こえるくらいだ。
窓の外には雅な雅な中庭と露天風呂。
各部屋に中庭と露店風呂付きっていうのが驚きだ。
更に向こうに、かすかに湯けむりが覗く。待望の湯畑。待望の高級旅館。
この日をどれだけ楽しみにしていたことか。
今日のためだけに徹夜で仕事を終わらせて、興奮に任せて『たびのしおり』まで拵えた。
一ヶ月前の事だった。
なんの前触れもなく政府から招待状が届いたのだ。
一定の任期をこなした審神者を対象に、慰安旅行?社員旅行?的なやつが開催されるらしい。
開催時期がよりによって年度末なんだけど、開催場所が『究極のリラクゼーション プルータス特別編集大人のお宿名鑑ベスト50』で第一位になってた、十五年先まで予約が埋まっているという最高級旅館だという事実に比べたらそんなの誤差みたいなものだろう。
審神者というのは職業柄結構制約があって、政府の許可なしに本丸を離れることができない。
せいぜい許されて一泊二日。だけど今回は政府のお墨付きで、温泉地の高級旅館に三泊四日だ。しかもメンバーには仲良しの同僚が揃ってる。めちゃくちゃ可愛くて面白いあの子とか、仕事ができて綺麗でひそかに憧れてるあの人とか、ちょっと抜けてて可愛くてセクシーなあの子とかと、温泉。
卓球して温泉まんじゅう食べて、お土産屋さん冷やかしてダサいペナント買ったり、宿の例のスペースでウノだってトランプだってできるかもしれない。
これが終わればみんなで温泉。
呪文みたいに自分に言い聞かせながら、冗談みたいな量の意味不明な書類(大半が手書き指定の報告書類)を片付けてきた。普段の自分からはありえない位の計画性を発揮できたのも、悪い夢でも見てるんじゃないかってくらいの量の仕事を締め切り前に終わらせられたのも、全ては温泉の為だった。
女子と。女子と温泉に入りたい。それだけがここ最近のわたしの行動原理だった。甘いものをつまみながらひたすら恋愛話をするみたいな、なんていうか、その手の女子っぽいイベントに飢えているのだ。もっと言うと人間の女の子に飢えている。だって本丸は基本的に男の人しかいない。女子風呂で女子トーク。なんて雅。たまには彼氏ののろけ話とかもしてみたい。ほかの子ののろけ話とかも聞いてみたい。つまり女子会だ。ここにきてとうとう、夢に見た女子会が開催されるのだ。
それなのに。
意思に反してゆるゆるとまぶたが落ちてくる。体を動かすのすら億劫だ。
「……長谷部くん」
……せめてその、背中をポンポンしてくるやつ、やめてくれないかな。
遺憾の意、を込めて、辛うじて名前を呼んだ。
「どうしましたか」なんて長谷部くんは笑うけど絶対わざとだ。徹夜明けの私が、こうすると寝落ちするって分かってやってる。
♨
本当は乱ちゃんを連れてくるはずだったのだ。
だって女子会だし。みんなで温泉だし。
だけど、招待状に書かれた「近侍一名同伴の事」の一文を認めるなり、あたりまえみたいに二人分の荷物をまとめだした長谷部くんの笑顔の圧に勝てなかった。乱ちゃん本人にまで「えー?ヤダよ。長谷部さん怒らすとめんどくさいし」とか、あまつさえ「彼氏としっぽり乱れてきなよ。まんざらでもない癖にさ」とか身も蓋もないことを言われたらもう食い下がる気も起きなかった。
乱れるとか乱れないとかはわきに置いておいても、長谷部くんを置いていったら後々が面倒くさいことになるのは確かだった。彼氏と温泉旅行、とかいう字づらにときめかないわけでもなかったし。温泉デートじゃん、みたいなことはちらっと思った。正直結構ときめいたりなんかしちゃったりもした。
それで今朝出かけるとき、スーツでもいつもの神父さんみたいな服でもなく、若干ラフ目な服装の長谷部くんを前に、テンションが上がってしまったのも事実だ。「本物のデートじゃん!」とか訳の分からない言葉を口走って長谷部くんに笑われた。徹夜明けのテンションだと自制が効かないので仕方ない。駅弁を食べて観光して、早々とお土産も買ったし軽率に写真も撮りまくった。普通に彼氏と温泉来てるんだっけ、みたいな錯覚すら起こしそうになって、確かにその瞬間は女子会、の三文字も半ば忘れかけていた。
そうやってハイなテンションのまんまで宿について、荷物を下ろしたまでは良かった。だけどだだっ広い部屋の奥の間に、なぜか既に布団が敷かれていたので。それを見て、考えるより先に反射で寝転がってしまったのがいけなかった。
「わあ、お布団ふかふかだあ」「そうですねふかふかですね、良かったですね」とか呑気に話してるうちにどうしようもなく眠くなってきてしまって、眠くなりながらふとこの後のことを思い出して、それで今。これはまずい。非常にまずい。
♨
無理矢理体を起こそうとしたら、当たり前みたいに引き戻されて状況は悪化する。絶妙な力加減で拘束されて、力を抜いてしまえばふかふかのお布団に体温が馴染んでいくのが心地良い。
「別に構わないでしょう、どの道早く到着しすぎましたから」
「そうだけどここで寝たらもう起きられない気がする」
「ご友人が到着される時間まで、まだ二時間もありますが」
「…………」
「会食の予定までは更に一時間ありますね」
「長谷部くんは寝てていよ、私は起きてる」
中途半端にもがく。
もがきながら時間を確認する。午後三時半。
「明確にお約束をされているわけでは、ないのでしたね?」という長谷部くんの言葉には頷かない。『現地で会おうね』位の約束しかしてないのは事実だけど、それは予定されてる会食とか、温泉とかで当たり前に顔を合わせると思ってたからであって。「しかし、会食自体は自由参加。部屋で食事を取ることだって可能だったはずです」……その言葉にも頷かない。断固として、私はここで眠るわけにはいかないから。
「だからさあ言ったじゃん、女子会なんだって。女子会ってわかる?男子は来ちゃいけないやつ」
「はあ。『女子会』をご所望なら俺が女の体になってしまえば済む話では?」
「うっそ、そんなことできるの!?」
「もちろん。お望みなら今すぐにでも『女子会』ができます。よかったですね?」
「いや、すごいけどそういう問題じゃないから」
「ではどういった問題で?」
「よその本丸の話とか聞いてみたいじゃん。よその本丸の長谷部くんの話とか」
「『よその本丸の長谷部くん』の事など、大方想像がつきます。教えて差し上げましょうか」
「嘘だ」
「本当です。主が本丸を離れるというのでなんとしても阻止しようとしたが叶わないようなので不承不承付いてきた、といったところでしょう」
「ちがうそうじゃない、なんか違う」
「違いますか?それでは、自分の元を離れて徹夜で『女子会』などに参加しようとしているつれない主人にひそかに胸を痛めているとか」
「それ絶対自分の話だよね?」
「本来なら、一秒でもお傍を離れたくないというのに」
「完全に自分の話じゃん!」
「いいえまさか。しかし、『よその本丸の長谷部くん』も恐らく胸を痛めている事でしょうね。女子会だろうがウノだろうがトランプだろうが卓球だろうが、どうして俺が相手ではいけないのかと」
わかってない。長谷部くんは全然わかってない。
だけどここで堂々巡りの押し問答を続ける気にはなれなかった。口喧嘩をすると大抵負ける。
だからとりあえず、「……逃げないからさ。とりあえずいったん離して」なんて言ってみた。だけど「だめです」と、歌い出しそうな位ごきげんな声ですげなく却下されてしまう。冗談じゃない。そう思うのに、一定のリズムで背中を叩かれるうちにどんどん決意は鈍っていく。
どうしようもなくまぶたが重たかった。ここにきて徹夜明けの眠気が一気に襲ってくる。午前中は楽しくてマヒしてたのに、気が緩んだのが駄目なんだろう。体が暖かくて、息を吸えば長谷部くんの香り。迫力ないだろうけどそれでも睨みつけたら、つむじにキスが降ってくる。反射でにやけそうになる顔を必死で引き締める(多分ばれてる)。こういうのでちょっと嬉しい感じになっちゃうあたり、本当に私はちょろいからいけない。
……アラームつけよ。二時間経ったら起きればいいや。
そう思って携帯に手を伸ばせば、それよりも早く長谷部くんに取り上げられてしまう。「ねえ、主」長谷部くんがくすくすと笑いをこぼす。あるじ、おれのあるじ。静まり返った部屋の中で、まるで内緒話をするみたいなひそやかな声。
「教えていただきたいことがあるのです」
「……答えたら携帯返してくれるの」
「ええ、もちろん」
「……ほんとにい?」
「俺の質問に、答えていただけるなら」
「えー……何が聞きたいの」
「単純です。貴女にとって、俺は何なのかを教えてください」
「なにって」
「ねえ、俺の主。俺は、貴女の、何ですか?」
もう嫌な予感しかしない。
さりげなく体を離そうと試みてみたものの、あっさり見破られて卑怯なくらいの力で抱きしめられる。「いけませんよ、きちんと俺に教えていただけるまでは」耳をくすぐる息は、とびきり甘ったるい。耳たぶに絡む呼吸の音に軽く動揺する。こういうときの長谷部くんを相手に返答を間違えると、ろくなことにならないのを身をもって知ってる。ひそかに緊張しながら「え、か、彼氏、かなあ?」とか答えてみる。声が完膚なきまでに上ずってて情けない。
「彼氏。そうですね、俺は貴女の恋人です」
「うん、まあ、そうだね?」
「はい。二人っきりですね」
「はあ」
「こうしてゆっくりできるのは、随分と久しぶりではないですか」
「いや昨日も一緒にいたよね」
「久しぶりですよ。考えてもみてください。一切の邪魔が入らない状況で二人っきりになれたのはどのくらい前でしょうか」
笑顔の圧がすごい。
「み、三日前くらい、かな?」気圧されながらも答えれば、「正確には九十時間五十分三秒前です」なんて付け加えられる。タイマーでもセットしてたの長谷部くん。ツッコミを入れる間もなくおでこにキスが落とされた。目をつむったらまぶたにも。それから、軽く笑いをこぼす気配。にい、と弓なりに歪められた瞳の色がありありと浮かぶ。卑怯だ。こういう甘ったるい雰囲気に持っていけば、私がほだされることをわかってやってる。
「お分りいただけてよかったです。こうして二人で過ごせること自体、実に久しぶりというわけですが」
「……」
「書類の整理に出陣、それから年度末の諸々の調整と、実によく働いたものだと我ながら思います」
「……ごめんって。今度なんかお礼するからさあ」
「いいえ。それもこれも、こうして恋人と二人で過ごすためだったと思えば安いものです。しかし、『お礼』をいただけるというのならささやかなお願いがあるのですが」
「…………」
「このまま眠ってしまってはなぜいけないのですか。例えば恋人と、思い切り怠惰にいちゃつきながら過ごしたとしても罰は当たらないかと」
勝ち誇ったみたいな声が憎たらしい。逃がさないと言わんばかりの腕の強さも、ゆるゆると髪の毛をなぞる指の温度も。だめ押しみたいに布団を被せられて、見上げた先で長谷部くんがわらう。この上なく嬉しそうに、「勝った」と言わんばかりの表情で。
「恋人の『お願い』を聞いていただけますね?」
頷いたりなんかしない。だけど大抵、無言は肯定として受け取られることも知っている。諦めて長谷部くんの背中に手を回す。微かに風の音と、いつもとは違う天井。真新しい畳の香りに、近くにはとびきり愛しい体温。いつもとは違う、セーター越しの温度がやけに新鮮だった。ああ、温泉饅頭たべたいな。もごもごと呟けば、「あとで一緒に買いに出ましょう」と返される。
女子会、できるんだろうか。ていうかここから三日間、この部屋から出れるのかな。残念なはずなのに、とりあえず長谷部くんと二人っきりだという事実でほんのり嬉しくなっちゃっている自分に嫌気がさす。次に会ったときに謝り倒そう。思う端から眠気に流されて、もう自分の輪郭も曖昧な気分だった。
「少ししたら、一緒に温泉に浸かりましょうね」とか、まぶたを閉じる寸前に聞いた気がする言葉は、幻聴だってことにしておく。
扉の向こうから楽しげな笑い声の気配。実際聞こえないけど。
防音がしっかりしているのか、部屋の中には二人分の呼吸の音がかすかに聞こえるくらいだ。
窓の外には雅な雅な中庭と露天風呂。
各部屋に中庭と露店風呂付きっていうのが驚きだ。
更に向こうに、かすかに湯けむりが覗く。待望の湯畑。待望の高級旅館。
この日をどれだけ楽しみにしていたことか。
今日のためだけに徹夜で仕事を終わらせて、興奮に任せて『たびのしおり』まで拵えた。
一ヶ月前の事だった。
なんの前触れもなく政府から招待状が届いたのだ。
一定の任期をこなした審神者を対象に、慰安旅行?社員旅行?的なやつが開催されるらしい。
開催時期がよりによって年度末なんだけど、開催場所が『究極のリラクゼーション プルータス特別編集大人のお宿名鑑ベスト50』で第一位になってた、十五年先まで予約が埋まっているという最高級旅館だという事実に比べたらそんなの誤差みたいなものだろう。
審神者というのは職業柄結構制約があって、政府の許可なしに本丸を離れることができない。
せいぜい許されて一泊二日。だけど今回は政府のお墨付きで、温泉地の高級旅館に三泊四日だ。しかもメンバーには仲良しの同僚が揃ってる。めちゃくちゃ可愛くて面白いあの子とか、仕事ができて綺麗でひそかに憧れてるあの人とか、ちょっと抜けてて可愛くてセクシーなあの子とかと、温泉。
卓球して温泉まんじゅう食べて、お土産屋さん冷やかしてダサいペナント買ったり、宿の例のスペースでウノだってトランプだってできるかもしれない。
これが終わればみんなで温泉。
呪文みたいに自分に言い聞かせながら、冗談みたいな量の意味不明な書類(大半が手書き指定の報告書類)を片付けてきた。普段の自分からはありえない位の計画性を発揮できたのも、悪い夢でも見てるんじゃないかってくらいの量の仕事を締め切り前に終わらせられたのも、全ては温泉の為だった。
女子と。女子と温泉に入りたい。それだけがここ最近のわたしの行動原理だった。甘いものをつまみながらひたすら恋愛話をするみたいな、なんていうか、その手の女子っぽいイベントに飢えているのだ。もっと言うと人間の女の子に飢えている。だって本丸は基本的に男の人しかいない。女子風呂で女子トーク。なんて雅。たまには彼氏ののろけ話とかもしてみたい。ほかの子ののろけ話とかも聞いてみたい。つまり女子会だ。ここにきてとうとう、夢に見た女子会が開催されるのだ。
それなのに。
意思に反してゆるゆるとまぶたが落ちてくる。体を動かすのすら億劫だ。
「……長谷部くん」
……せめてその、背中をポンポンしてくるやつ、やめてくれないかな。
遺憾の意、を込めて、辛うじて名前を呼んだ。
「どうしましたか」なんて長谷部くんは笑うけど絶対わざとだ。徹夜明けの私が、こうすると寝落ちするって分かってやってる。
♨
本当は乱ちゃんを連れてくるはずだったのだ。
だって女子会だし。みんなで温泉だし。
だけど、招待状に書かれた「近侍一名同伴の事」の一文を認めるなり、あたりまえみたいに二人分の荷物をまとめだした長谷部くんの笑顔の圧に勝てなかった。乱ちゃん本人にまで「えー?ヤダよ。長谷部さん怒らすとめんどくさいし」とか、あまつさえ「彼氏としっぽり乱れてきなよ。まんざらでもない癖にさ」とか身も蓋もないことを言われたらもう食い下がる気も起きなかった。
乱れるとか乱れないとかはわきに置いておいても、長谷部くんを置いていったら後々が面倒くさいことになるのは確かだった。彼氏と温泉旅行、とかいう字づらにときめかないわけでもなかったし。温泉デートじゃん、みたいなことはちらっと思った。正直結構ときめいたりなんかしちゃったりもした。
それで今朝出かけるとき、スーツでもいつもの神父さんみたいな服でもなく、若干ラフ目な服装の長谷部くんを前に、テンションが上がってしまったのも事実だ。「本物のデートじゃん!」とか訳の分からない言葉を口走って長谷部くんに笑われた。徹夜明けのテンションだと自制が効かないので仕方ない。駅弁を食べて観光して、早々とお土産も買ったし軽率に写真も撮りまくった。普通に彼氏と温泉来てるんだっけ、みたいな錯覚すら起こしそうになって、確かにその瞬間は女子会、の三文字も半ば忘れかけていた。
そうやってハイなテンションのまんまで宿について、荷物を下ろしたまでは良かった。だけどだだっ広い部屋の奥の間に、なぜか既に布団が敷かれていたので。それを見て、考えるより先に反射で寝転がってしまったのがいけなかった。
「わあ、お布団ふかふかだあ」「そうですねふかふかですね、良かったですね」とか呑気に話してるうちにどうしようもなく眠くなってきてしまって、眠くなりながらふとこの後のことを思い出して、それで今。これはまずい。非常にまずい。
♨
無理矢理体を起こそうとしたら、当たり前みたいに引き戻されて状況は悪化する。絶妙な力加減で拘束されて、力を抜いてしまえばふかふかのお布団に体温が馴染んでいくのが心地良い。
「別に構わないでしょう、どの道早く到着しすぎましたから」
「そうだけどここで寝たらもう起きられない気がする」
「ご友人が到着される時間まで、まだ二時間もありますが」
「…………」
「会食の予定までは更に一時間ありますね」
「長谷部くんは寝てていよ、私は起きてる」
中途半端にもがく。
もがきながら時間を確認する。午後三時半。
「明確にお約束をされているわけでは、ないのでしたね?」という長谷部くんの言葉には頷かない。『現地で会おうね』位の約束しかしてないのは事実だけど、それは予定されてる会食とか、温泉とかで当たり前に顔を合わせると思ってたからであって。「しかし、会食自体は自由参加。部屋で食事を取ることだって可能だったはずです」……その言葉にも頷かない。断固として、私はここで眠るわけにはいかないから。
「だからさあ言ったじゃん、女子会なんだって。女子会ってわかる?男子は来ちゃいけないやつ」
「はあ。『女子会』をご所望なら俺が女の体になってしまえば済む話では?」
「うっそ、そんなことできるの!?」
「もちろん。お望みなら今すぐにでも『女子会』ができます。よかったですね?」
「いや、すごいけどそういう問題じゃないから」
「ではどういった問題で?」
「よその本丸の話とか聞いてみたいじゃん。よその本丸の長谷部くんの話とか」
「『よその本丸の長谷部くん』の事など、大方想像がつきます。教えて差し上げましょうか」
「嘘だ」
「本当です。主が本丸を離れるというのでなんとしても阻止しようとしたが叶わないようなので不承不承付いてきた、といったところでしょう」
「ちがうそうじゃない、なんか違う」
「違いますか?それでは、自分の元を離れて徹夜で『女子会』などに参加しようとしているつれない主人にひそかに胸を痛めているとか」
「それ絶対自分の話だよね?」
「本来なら、一秒でもお傍を離れたくないというのに」
「完全に自分の話じゃん!」
「いいえまさか。しかし、『よその本丸の長谷部くん』も恐らく胸を痛めている事でしょうね。女子会だろうがウノだろうがトランプだろうが卓球だろうが、どうして俺が相手ではいけないのかと」
わかってない。長谷部くんは全然わかってない。
だけどここで堂々巡りの押し問答を続ける気にはなれなかった。口喧嘩をすると大抵負ける。
だからとりあえず、「……逃げないからさ。とりあえずいったん離して」なんて言ってみた。だけど「だめです」と、歌い出しそうな位ごきげんな声ですげなく却下されてしまう。冗談じゃない。そう思うのに、一定のリズムで背中を叩かれるうちにどんどん決意は鈍っていく。
どうしようもなくまぶたが重たかった。ここにきて徹夜明けの眠気が一気に襲ってくる。午前中は楽しくてマヒしてたのに、気が緩んだのが駄目なんだろう。体が暖かくて、息を吸えば長谷部くんの香り。迫力ないだろうけどそれでも睨みつけたら、つむじにキスが降ってくる。反射でにやけそうになる顔を必死で引き締める(多分ばれてる)。こういうのでちょっと嬉しい感じになっちゃうあたり、本当に私はちょろいからいけない。
……アラームつけよ。二時間経ったら起きればいいや。
そう思って携帯に手を伸ばせば、それよりも早く長谷部くんに取り上げられてしまう。「ねえ、主」長谷部くんがくすくすと笑いをこぼす。あるじ、おれのあるじ。静まり返った部屋の中で、まるで内緒話をするみたいなひそやかな声。
「教えていただきたいことがあるのです」
「……答えたら携帯返してくれるの」
「ええ、もちろん」
「……ほんとにい?」
「俺の質問に、答えていただけるなら」
「えー……何が聞きたいの」
「単純です。貴女にとって、俺は何なのかを教えてください」
「なにって」
「ねえ、俺の主。俺は、貴女の、何ですか?」
もう嫌な予感しかしない。
さりげなく体を離そうと試みてみたものの、あっさり見破られて卑怯なくらいの力で抱きしめられる。「いけませんよ、きちんと俺に教えていただけるまでは」耳をくすぐる息は、とびきり甘ったるい。耳たぶに絡む呼吸の音に軽く動揺する。こういうときの長谷部くんを相手に返答を間違えると、ろくなことにならないのを身をもって知ってる。ひそかに緊張しながら「え、か、彼氏、かなあ?」とか答えてみる。声が完膚なきまでに上ずってて情けない。
「彼氏。そうですね、俺は貴女の恋人です」
「うん、まあ、そうだね?」
「はい。二人っきりですね」
「はあ」
「こうしてゆっくりできるのは、随分と久しぶりではないですか」
「いや昨日も一緒にいたよね」
「久しぶりですよ。考えてもみてください。一切の邪魔が入らない状況で二人っきりになれたのはどのくらい前でしょうか」
笑顔の圧がすごい。
「み、三日前くらい、かな?」気圧されながらも答えれば、「正確には九十時間五十分三秒前です」なんて付け加えられる。タイマーでもセットしてたの長谷部くん。ツッコミを入れる間もなくおでこにキスが落とされた。目をつむったらまぶたにも。それから、軽く笑いをこぼす気配。にい、と弓なりに歪められた瞳の色がありありと浮かぶ。卑怯だ。こういう甘ったるい雰囲気に持っていけば、私がほだされることをわかってやってる。
「お分りいただけてよかったです。こうして二人で過ごせること自体、実に久しぶりというわけですが」
「……」
「書類の整理に出陣、それから年度末の諸々の調整と、実によく働いたものだと我ながら思います」
「……ごめんって。今度なんかお礼するからさあ」
「いいえ。それもこれも、こうして恋人と二人で過ごすためだったと思えば安いものです。しかし、『お礼』をいただけるというのならささやかなお願いがあるのですが」
「…………」
「このまま眠ってしまってはなぜいけないのですか。例えば恋人と、思い切り怠惰にいちゃつきながら過ごしたとしても罰は当たらないかと」
勝ち誇ったみたいな声が憎たらしい。逃がさないと言わんばかりの腕の強さも、ゆるゆると髪の毛をなぞる指の温度も。だめ押しみたいに布団を被せられて、見上げた先で長谷部くんがわらう。この上なく嬉しそうに、「勝った」と言わんばかりの表情で。
「恋人の『お願い』を聞いていただけますね?」
頷いたりなんかしない。だけど大抵、無言は肯定として受け取られることも知っている。諦めて長谷部くんの背中に手を回す。微かに風の音と、いつもとは違う天井。真新しい畳の香りに、近くにはとびきり愛しい体温。いつもとは違う、セーター越しの温度がやけに新鮮だった。ああ、温泉饅頭たべたいな。もごもごと呟けば、「あとで一緒に買いに出ましょう」と返される。
女子会、できるんだろうか。ていうかここから三日間、この部屋から出れるのかな。残念なはずなのに、とりあえず長谷部くんと二人っきりだという事実でほんのり嬉しくなっちゃっている自分に嫌気がさす。次に会ったときに謝り倒そう。思う端から眠気に流されて、もう自分の輪郭も曖昧な気分だった。
「少ししたら、一緒に温泉に浸かりましょうね」とか、まぶたを閉じる寸前に聞いた気がする言葉は、幻聴だってことにしておく。