長谷部
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初めてのキスは卒業式の桜の木の下と決めていたのだ。
春先の風がまだ肌寒い3月末、咲き始めの桜の香りに浮足立った気持ちになるんだろう。
別れを惜しむ同級生の声を遠くに聞きながらするキスの味はさぞかし甘酸っぱい味がするはずで、だからこれは全くの予定外だった。
無理やり口づけて2秒。
背伸びした足がしびれて、真冬の風に指がかじかむ。
試験前の緊張に浮足立つ声は存外近くに迫っていて、血の味がするのは唇を切ったかららしい。
視界いっぱいに先生の顔のアップ。
止めていた息を吸い込んだ。紫色とも灰色ともつかない青みがかった瞳が、見開かれていて綺麗だった。だめだ限界だ、バランスを崩す直前で後ずさりをして、そのまま踵を返して駆け出していった私はどんなふうだっただろう。やらかした、しくじった、このあと私は一体どんな顔をすればいい。異様な興奮と後悔の念に脳内は乗っ取られて、試験監督が「はじめ」と言う声に言われるがままに試験用紙を開いた。緊張はしていた。けれどそれは試験に対してではなかった。それで、訳の解らぬまま試験が終わり教室から追い出され、戻るに戻れない私はだだっ広いキャンパスを半泣きでウロウロしている、今。
後悔とやけっぱちと興奮と、物凄い後悔と。思考はすごい勢いで行ったり来たりする。
両手で握りしめた携帯がまるで爆弾みたいに震える。手は冷たいのに頭だけが死ぬほど熱い。息を吸ってはいた、ら、また携帯が震えた。画面いっぱいに出た着信の表示。長谷部国重というその字面を見た途端に奇声を上げて携帯を落として慌てて拾おうとした、所、で、「それで?お前はこんな所で一体何をしてる」と、背後から聞き慣れた声がしたので振り返るに振り返れない。
「先生、」
「試験はどうだったんだ」
「試験、試験は、ええと物理と数学はまぁまぁいけた、と、思います」
「と言う事は現文が駄目だったんだな」
「駄目っていうかあんま覚えていないっていうか」
意地でも振り返らない。何があってもだ。断固たる意思と共に目線を真下に落とした。背中にジリジリと視線を感じる多分気のせいだけど。ふ、と先生のため息が空気を揺らした気がするのも多分気のせいで、目の前に影がかかった気がするのも多分気のせいで、
「多分八割方いけたと思うんですけど英語はリスニングが駄目でした、全然聞き取れなかった」
頭を撫ぜる指の感触なんかも多分気のせいなのだ。全部気のせいだ私の頭の中だけで思いつめてるだけで。だからやめてほしい。ただの子供扱いだってことくらいわかってるしわきまえてる。それなのに頭を撫でてくれるのが長谷部先生の綺麗な指だって、その事を思うだけでばかみたいに嬉しくなっちゃうあたり私はやっぱりいやになるくらい子供だ。
「リスニングは二割程度だから大した問題じゃないだろ、気にするな」
「………」
「お前なら受かるさ。なんたってお前は俺の、」
俺の自慢の生徒なんだから。
そういうふうに言われるたびに嬉しさと悔しさと期待と失望が入り混じってぐちゃぐちゃだ。「生徒、じゃ、ない」本当は先生だってわかってたんでしょわかってて知らないふりしてる、そういうのってずるくないですか私だけ期待して馬鹿みたいにから回っちゃって、だって本当は生徒なんかじゃなくてもっと別の物になりたいのに。ぐるぐると言葉はこんがらがって喉に絡まる。
「生徒じゃない、だって試験はもうこれが最後だから」かろうじてそれだけ言葉に出したら、ぽんぽんと一定のリズムで頭をなぜる手が止まった。「………なるほど」、冷静な調子で吐き出されたのは先生の口癖だ。
困ったときとか驚いたとき長谷部先生は決まってそう言って少し考え込む。形のいい眉を潜めてゆっくり瞬きして、少しだけ顎に指を当てて。見なくたって簡単に想像がついてちょっとだけ笑いそうになった。こんな時なのに。
「これが最後だから、どっちにしろもう会えない私が生徒じゃないから」
「それが、こんな所で座り込んでる事の理由か?」
「だって帰ったらもう会えなくなっちゃう」
「だからってこんな所で座っててどうする」
手癖みたいに髪の毛を梳く指先がくすぐったい。
笑いが混じった声に腹が立ったけど意地でも顔を上げたくない。それを見透かすみたいに声が降ってくる。
「ほら、苗字」
「やだ」
「まだ何も言ってないだろう」
「絶対嫌だ断る」
「苗字」
「断る」
意地の張り合いだいや、一方的に意地を張ってるのは私だけなんだろうけど。悔しい。それではぐらかされてるうちに振られることもないからこれっきりになるんだどうせ。先生はくすくすと可愛らしく笑うのでそれにも苛ついた。ちくしょう馬鹿にしてるな、たかが1つや2つの年の差なのに。思ったところ、で、ふわりと何かが首に巻きつけられる。なんだこれマフラー?なんとなくそれで気がそれたところにいきなり
「いいからほら。顔を上げてくれ、名前 」
なんて言われたから、えっ今、先生なんて言ったもしかして私の名前呼んだ?とかなんとか最初に思ったのはその辺りで、その次に思ったのは、えっと、なんか、柔らかいなって至極単純な感想だったんだけどそれはなぜかって言うと
「………ああもう、お前は本当に可愛いな。嫌になるくらいに」
なぜかって言うと唇の端っこに唇が、唇って誰のってここには一人しかいないんじゃないの、じゃあもしかしてこれってキスってやつなんじゃないのと思う間もなくもう一度唇が重なったのでつまり今私はひどく混乱している。「血が出てるな、」と、すれすれのところで囁かれた息に一気に顔が熱くなる。硬い指先が私の唇をなぞって、そういえばさっき切ったんだった、なんて思い出したりなんかした。「先生」口走った言葉に長谷部先生が目を細めるのを、見た。
「『先生』?」
「えっ、長谷部先生、えっ今何して」
「なんだ。もう拗ねるのはやめたのか、可愛かったのに」
「いや、え、先生今私に」
顔が熱い。「……しかしまあ、随分と倒錯的だな。恋人の事を『先生』なんて」とかなんとか耳元で甘ったるい声がするのでくらくらしてきて気がついたら抱きしめられてるみたいな体制で、
それで私が「せ、先生って、私のこと好きだったんですか嘘でしょ」って聞いたら当たり前みたいにキョトンとした顔で「?ああ、気づいてなかったのか?」とか返されて、だからこれはつまり、完全の想定外だった(ちなみに試験は受かってた)。
春先の風がまだ肌寒い3月末、咲き始めの桜の香りに浮足立った気持ちになるんだろう。
別れを惜しむ同級生の声を遠くに聞きながらするキスの味はさぞかし甘酸っぱい味がするはずで、だからこれは全くの予定外だった。
無理やり口づけて2秒。
背伸びした足がしびれて、真冬の風に指がかじかむ。
試験前の緊張に浮足立つ声は存外近くに迫っていて、血の味がするのは唇を切ったかららしい。
視界いっぱいに先生の顔のアップ。
止めていた息を吸い込んだ。紫色とも灰色ともつかない青みがかった瞳が、見開かれていて綺麗だった。だめだ限界だ、バランスを崩す直前で後ずさりをして、そのまま踵を返して駆け出していった私はどんなふうだっただろう。やらかした、しくじった、このあと私は一体どんな顔をすればいい。異様な興奮と後悔の念に脳内は乗っ取られて、試験監督が「はじめ」と言う声に言われるがままに試験用紙を開いた。緊張はしていた。けれどそれは試験に対してではなかった。それで、訳の解らぬまま試験が終わり教室から追い出され、戻るに戻れない私はだだっ広いキャンパスを半泣きでウロウロしている、今。
後悔とやけっぱちと興奮と、物凄い後悔と。思考はすごい勢いで行ったり来たりする。
両手で握りしめた携帯がまるで爆弾みたいに震える。手は冷たいのに頭だけが死ぬほど熱い。息を吸ってはいた、ら、また携帯が震えた。画面いっぱいに出た着信の表示。長谷部国重というその字面を見た途端に奇声を上げて携帯を落として慌てて拾おうとした、所、で、「それで?お前はこんな所で一体何をしてる」と、背後から聞き慣れた声がしたので振り返るに振り返れない。
「先生、」
「試験はどうだったんだ」
「試験、試験は、ええと物理と数学はまぁまぁいけた、と、思います」
「と言う事は現文が駄目だったんだな」
「駄目っていうかあんま覚えていないっていうか」
意地でも振り返らない。何があってもだ。断固たる意思と共に目線を真下に落とした。背中にジリジリと視線を感じる多分気のせいだけど。ふ、と先生のため息が空気を揺らした気がするのも多分気のせいで、目の前に影がかかった気がするのも多分気のせいで、
「多分八割方いけたと思うんですけど英語はリスニングが駄目でした、全然聞き取れなかった」
頭を撫ぜる指の感触なんかも多分気のせいなのだ。全部気のせいだ私の頭の中だけで思いつめてるだけで。だからやめてほしい。ただの子供扱いだってことくらいわかってるしわきまえてる。それなのに頭を撫でてくれるのが長谷部先生の綺麗な指だって、その事を思うだけでばかみたいに嬉しくなっちゃうあたり私はやっぱりいやになるくらい子供だ。
「リスニングは二割程度だから大した問題じゃないだろ、気にするな」
「………」
「お前なら受かるさ。なんたってお前は俺の、」
俺の自慢の生徒なんだから。
そういうふうに言われるたびに嬉しさと悔しさと期待と失望が入り混じってぐちゃぐちゃだ。「生徒、じゃ、ない」本当は先生だってわかってたんでしょわかってて知らないふりしてる、そういうのってずるくないですか私だけ期待して馬鹿みたいにから回っちゃって、だって本当は生徒なんかじゃなくてもっと別の物になりたいのに。ぐるぐると言葉はこんがらがって喉に絡まる。
「生徒じゃない、だって試験はもうこれが最後だから」かろうじてそれだけ言葉に出したら、ぽんぽんと一定のリズムで頭をなぜる手が止まった。「………なるほど」、冷静な調子で吐き出されたのは先生の口癖だ。
困ったときとか驚いたとき長谷部先生は決まってそう言って少し考え込む。形のいい眉を潜めてゆっくり瞬きして、少しだけ顎に指を当てて。見なくたって簡単に想像がついてちょっとだけ笑いそうになった。こんな時なのに。
「これが最後だから、どっちにしろもう会えない私が生徒じゃないから」
「それが、こんな所で座り込んでる事の理由か?」
「だって帰ったらもう会えなくなっちゃう」
「だからってこんな所で座っててどうする」
手癖みたいに髪の毛を梳く指先がくすぐったい。
笑いが混じった声に腹が立ったけど意地でも顔を上げたくない。それを見透かすみたいに声が降ってくる。
「ほら、苗字」
「やだ」
「まだ何も言ってないだろう」
「絶対嫌だ断る」
「苗字」
「断る」
意地の張り合いだいや、一方的に意地を張ってるのは私だけなんだろうけど。悔しい。それではぐらかされてるうちに振られることもないからこれっきりになるんだどうせ。先生はくすくすと可愛らしく笑うのでそれにも苛ついた。ちくしょう馬鹿にしてるな、たかが1つや2つの年の差なのに。思ったところ、で、ふわりと何かが首に巻きつけられる。なんだこれマフラー?なんとなくそれで気がそれたところにいきなり
「いいからほら。顔を上げてくれ、名前 」
なんて言われたから、えっ今、先生なんて言ったもしかして私の名前呼んだ?とかなんとか最初に思ったのはその辺りで、その次に思ったのは、えっと、なんか、柔らかいなって至極単純な感想だったんだけどそれはなぜかって言うと
「………ああもう、お前は本当に可愛いな。嫌になるくらいに」
なぜかって言うと唇の端っこに唇が、唇って誰のってここには一人しかいないんじゃないの、じゃあもしかしてこれってキスってやつなんじゃないのと思う間もなくもう一度唇が重なったのでつまり今私はひどく混乱している。「血が出てるな、」と、すれすれのところで囁かれた息に一気に顔が熱くなる。硬い指先が私の唇をなぞって、そういえばさっき切ったんだった、なんて思い出したりなんかした。「先生」口走った言葉に長谷部先生が目を細めるのを、見た。
「『先生』?」
「えっ、長谷部先生、えっ今何して」
「なんだ。もう拗ねるのはやめたのか、可愛かったのに」
「いや、え、先生今私に」
顔が熱い。「……しかしまあ、随分と倒錯的だな。恋人の事を『先生』なんて」とかなんとか耳元で甘ったるい声がするのでくらくらしてきて気がついたら抱きしめられてるみたいな体制で、
それで私が「せ、先生って、私のこと好きだったんですか嘘でしょ」って聞いたら当たり前みたいにキョトンとした顔で「?ああ、気づいてなかったのか?」とか返されて、だからこれはつまり、完全の想定外だった(ちなみに試験は受かってた)。