長谷部
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「ところで主、血を浴び血を流し続けるのが俺の業だと認識しているのですがいかがでしょう」
「いかがでしょうって」
「この件についてご意見を是非」
スパーーン!いい音とともに勢いよく開いた襖が、反動でちょっとだけ戻る。その向こうから覗く、これでもかってくらい圧の強い笑顔。私の彼氏の長谷部くんだ。なぜかカソックの上着を脱いで、白いシャツの襟元に、どこで見つけてきたのか、これ見よがしに黒いリボンタイなんか結んでる。
「その格好どうしたの」と聞けば、「特に理由はありませんが主に喜んでいただけるような気がしたので」と淀みない返事が帰ってきた。「お好きでしょう?」と言わんばかりの自信満々の表情。期待した視線を向けられてしまうと、理由もないのに胸が痛い。なにも言えないでいたら手を取られて、なぜか腰のあたりを掴まされた。服の上でもわかる、筋肉質で骨ばった感触。「どうです?」なんて、そんなこと言われてもなぁ。「どうです?俺で十分では?」なんて、そんな甘ったるい声で聞かれてもなぁ。「ダメですか、俺では」なんて、そんな捨て犬みたいな顔されてもなぁ。
拗ねたって可愛い顔したって逆に悲しい顔したって、それは聞けないお願いだ。だってこれはお仕事なので。給料分は働かないといけないって、あの三日月宗近さんだって言ってたでしょう、長谷部くん。だからダメなもんはダメだし無理なもんは無理なんだよ、長谷部くん。そんな顔したって私はこれっぽっちだって絆されない(嘘だ。ちょっとだけ、ほんのちょっとくらいはほだされかけたけど)。とにかく、長谷部くんの主張を聞き入れるわけにはいかないのだ。
▽
私の彼氏の、長谷部くんがおかしい。具体的にいうと十分くらい前からおかしい。おやつを持ってきてくれた長谷部くんの事を構ってあげないで、私がパソコンの画面ばっかり見てたから。そして、「なにをご覧になっているんです」と聞いてくるその声に、「いやぁなんか新しい刀剣が来るから顕現しろって連絡きたから、それで」とかって、素直に本当の事を答えてしまったから。顔なんか見なくたってわかった。長谷部くんの纏う空気が、ひんやりしたものに変わるのが。「新しい刀、ですか」……まずいな、と、思った時にはもう遅い。冷静さを装った抑揚のない声。これも顔を見なくたってわかってしまう、きっと『面白くない』って表情をしてるんだろう。
予想をつけてから見上げてみた。にっこりと綺麗な、この上なく完璧な笑顔。それなのに何だろう、圧が強い。「へぇ、そいつが新しい刀というわけですか」ふぅん。へぇ。そうですか、主はこういう男がお好みですか。いつも通り優しげな口調は、隠しようがないくらいに嫌味っぽい。それには返事をしないまま、受け取ったお茶を、無言ですすった。ふと、何気ない口調で長谷部くんが「急用を思い出したので少々失礼いたしますね」とか言い出すので、その背中を見送ったのが多分五分前。なぜか襟元にリボンタイを装備した長谷部くんが、おかしな事を言いながら勢いよく襖を開けて登場したのが三分前。とにかくずっと、長谷部くんは様子がおかしい。ここ十分くらい、ずっと。
「……長谷部くん」
「はい」
膝立ちになった長谷部くんの腰に、手を当てている。長谷部くんの手は私の手を掴んで、さらにぎゅうぎゅうに腰に押し付けてくる。筋肉質なおなかと、固い腰骨。側から見たら意味のわからない光景だろう、おかしな体制のままおかしな押し問答を続ける私たちは、どっからどう見ても弁解しようがないくらい、様子がおかしい。
「とりあえず落ち着こうよ、一旦」
「俺は十分落ち着いてます」
「そうかな?」
「そうです、勿論。ええ、嫉妬など全くしていません。当然の事ですが」
「絶対嘘だ」
「本当です。当たり前でしょう、貴女の一番は俺なので」
「…………うん、まあ、そうなんだけどさぁ」
「違いましたか?」
「いや、違わなく、なく、ないけど」
「そうですよね?ありがとうございます。俺も好きです愛してます」
何だこの会話。冷静な思考はすぐにどっかに飛んで行った。というのも、だって、長谷部くんがこんなに可愛くて格好いいので。
好きです、と囁かれた言葉にうなずいてみせれば、それだけでどろんどろんに甘ったるい瞳が笑ってくれる。抱き寄せられて(私は相変わらず長谷部くんの腰を掴んでるので何とも変な感じだ)から、おでこにキスが降って来るので目を閉じた。そしたら唇にも口付けをもらえる。頰に、まぶたに、耳たぶに。柔らかい唇の感触と、壊れ物みたいに私に触れる手のひら。好きだよ、と今度は私から言ってみれば、「俺はその何倍も、貴女を愛しておりますよ」なんてとろけそうな声が返って来る。さっきまでの冷ややかさが嘘みたいな、上機嫌な声色。長谷部くんの髪の毛をくしゃくしゃに触って、その感触を確かめた。くすくすと柔らかい笑い声に、首筋をくすぐる吐息。
ちょろいな、なんて。
内心そんな事を考えながら甘えてみせたのはきっとバレてた。このまま話題をそらしてしまおうと思ったのもバレバレだったのかもしれない。ふと、長谷部くんはため息をついた。それから、わざとらしいくらいに嘆かわしそうに、「俺はこんなに愛してるのに」なんて付け加える。
「困ったものですね。俺の主人ときたら、すぐに別の刀にかまけては夢中になってしまうんだから」
「ええー……すっごい言い方するね?」
「だってそうでしょう、折角二人きりなのに、恋人を放って『新しい刀剣』とやらに夢中になったりして」
あからさまなくらいに拗ねた声。「ごめんって」と謝ってみたけど返事はなくて、代わりにグリグリと肩口におでこを押し付けられる。前髪が肌を掠る感触がくすぐったい。思わず笑い声を零せば、「笑い事ではないです」とさらに拗ねられてしまう。可愛い。「ごめんって許して、もうよそ見するのやめるからさぁ」長谷部くんの襟足を触ったりなんかしながらもう一度謝ってみたけど、やっぱりそれにも返事はない。代わりに「好きです」なんて脈絡もない言葉をぶつけられるから笑ってしまう。
「……、ご安心ください」
「うん?何が?」
「ご安心ください。貴女がそいつにかまけている間も、浮気などせずお待ちしておりますから。当然です、少なくとも俺は『貞節』という言葉の意味くらいは存じ上げておりますので」
「……や、別に新しい刀を顕現させるのは、仕事であって浮気じゃないし」
「存じておりますよ。ですから申し上げているのです、『くれぐれもご安心ください』と」
「やきもちの焼き方が面倒臭い」
「その面倒臭い男を選んだのは貴女でしょう」
「ああいえばこう言うね?」
「ありがとうございます」
「褒めてないよ」
「貴女にいわれるのなら、俺は何だって嬉しいんですよ」
無限に面倒くさい方向に転がりだした会話は、もはや止め時がわからない。さっきまで眺めていたタブレットは放り出して、ぐしゃぐしゃと髪の毛を撫で回してみた。「構って欲しいならそう言えばいいじゃん」と笑えば、「そうやって甘えて見せればいいと思ってるんでしょう、俺の気も知らないで」なんて声はやっぱり拗ねている。子供か。笑ってしまえば「俺は真剣なのに」となじられて、やっぱり会話は泥沼化していくのに、それはそれで悪くない気がしてるからもうだめだ。やめられない止まらない。だって、私の長谷部くんがこんなに可愛い。
「長谷部くん」
「…………何です」
「新しい子、ほしいなぁ」
「俺がいるのに?」
「それとこれとは別、お仕事だから」
「ははは、仕事熱心な妻を持って俺は果報者ですね?」
「妻」
「? 、何か問題が?」
「問題って、言うかさあ」
「はい」
「いつのまに結婚したの、私たち」
「だって、 実質結婚しているようなものでしょう。形式はどうあれ、遅かれ早かれいずれ夫婦になるんですから」
「でもまだ結婚式もあげてない」
「では、フィアンセとでもお呼びしましょうか」
「それもなんか、どうかと思う」
長谷部くんはくすくすと笑う。楽し気に目を細めて。……ああ、きれいだなあ。その瞳に見とれちゃったりなんかもしながら、結論の出ない会話を続けている。もう一度「新しい子、ほしいなぁ」と聞いてみればすげなく却下された。それでも「可愛い『フィアンセ』のおねだりじゃん、聞いてくんないの長谷部くん」とかからかってみたら、それはそれでまんざらでもなかったみたいだ。「フィアンセ」と甘ったるく繰り返してから、頬が赤くなるのをごまかすみたいに、長谷部くんは顔をそらした。口元を隠すのは照れてる時だけなんだということくらい、とっくのとおにばれてるっていうのに。そこから、数十秒の沈黙。咳払いののち、いかにも『葛藤してます』みたいな声色で「……嫌です」と返される。もうひと押し。
「ねぇ、長谷部くん」
「嫌です」
「まだなにも言ってない」
「『新しい子』とやらの話でしょう。貴女にはもう俺がいるのに、これ以上なにが必要だと言うんです」
「だって新しい子がきたらさあ、長谷部くんが焼き餅焼いてくれるでしょ?」
茶色とも灰色ともいえない、綺麗な色の髪の毛。水色と紫色の中間みたいな瞳が私を睨みつける(全然怖くない)。わざとみたいに眉間にシワを寄せた顔が、誤魔化しようがないくらいに赤い。「長谷部くんの、焼き餅焼きのところも、私好きだなぁ」なんて言ってみれば、「そうやって甘えて見せたってだめです、いい気にならないでください」とか手厳しいことを言われてしまった。だけど、それだって悪くはないのだ。こういうときの長谷部くんは、いつもの何倍もかわいいので。いかにも『余裕しゃくしゃくですが何か』みたいな普段の表情とは打って変わって、あまりにダイナミックな拗ね方をするから笑ってしまう(そして、笑った結果さらに拗ねられて面倒くさいことになる)。
「上司からも言われてるんだよねぇ、新しい子連れてこられたら、一週間くらいおやすみとってもいいよって」なんてとっておきの情報を教えてあげたら、ぴくりと長谷部くんの身体が震えた。「だから、ほしいんだよねぇ。新しい子」性懲りもなく呟いてみた声には、今度は返事がなかった。だけどもう時間の問題だ。その証拠に、長谷部くんはもの言いたげにそわそわと唇を引き結ぶ。するすると首筋を撫でてみたら、「うう」とか「ぐう」とかうめき声だけが帰って来た。きっとぐるぐる葛藤してるんだろう、絶望と期待をごちゃ混ぜにしたみたいな表情が面白かった。
「おやすみ取れたらさあ」
「…………、だめですその手にはのりません」
「そっかあ残念だなあ私は行きたかったのになあ。一週間くらいおやすみとって、南の島とか、温泉とか、長谷部くんと一緒に」
「…………、おんせん」
「そう、おんせん」
「みなみの、しま」
「そう、みなみのしま」
「二人きりで、ですが」
「そうだよ、お休み取って二人で、ずーっと遠くの南の島か、温泉」
私の彼氏の長谷部くんが、焼き餅焼きで面倒臭くてこんなにも可愛い。
「温泉、二人で、うんと遠くの、南の島」真剣極まりない声でつぶやいた長谷部くんが、ゆっくりと目を閉じて、深呼吸する。次に目を開けた時には、さっきまでの一連の会話なんてまるでなかったみたいな顔で、「そういう事ならすぐに済ませましょう、俺に一週間ください。ご所望の『新人』とやらを連れて帰ってまいりますから」とか言い放つのでめちゃくちゃ笑った。それから、「約束ですよ、主。これが終わったら、俺と旅行に行ってくださいね」と念を押されるのに頷いた。まさか本当に一週間で任務を終わらせて、件の新刀剣男士さんを連れてくるなんて思いもよらなかったんだけど。
「約束ですよ、主」と微笑む長谷部くんの笑顔はやっぱり圧が強くて、気おされて頷いたら、「楽しみです。出立は明後日の早朝で宜しいですね?そうと決まれば行き先を探しましょう、温泉にしましょうか南の島にしましょうか、いっそのこと無人島などいかがでしょうか僭越ながらいい場所をいくつか知っています」と畳みかけられて、気が付いたら『無人島六泊七日ツアー(温泉付き)』プランが着々と組み立てられていく。こういうところ抜け目がないというか油断ならないというか、可愛くみえてもやっぱり長谷部くんは長谷部くんなのである。
それでも、「楽しみですね?」と私に微笑みかける顔は、この上なく甘ったるくて優しくて幸せで、だから、結局文句を言う気も失せてしまう。
私の彼氏の長谷部くんの様子がおかしい。かわいくて面倒くさくて油断ならなくて。だから結局、それにほだされてしまう私が、一番の問題なわけだけど。
「いかがでしょうって」
「この件についてご意見を是非」
スパーーン!いい音とともに勢いよく開いた襖が、反動でちょっとだけ戻る。その向こうから覗く、これでもかってくらい圧の強い笑顔。私の彼氏の長谷部くんだ。なぜかカソックの上着を脱いで、白いシャツの襟元に、どこで見つけてきたのか、これ見よがしに黒いリボンタイなんか結んでる。
「その格好どうしたの」と聞けば、「特に理由はありませんが主に喜んでいただけるような気がしたので」と淀みない返事が帰ってきた。「お好きでしょう?」と言わんばかりの自信満々の表情。期待した視線を向けられてしまうと、理由もないのに胸が痛い。なにも言えないでいたら手を取られて、なぜか腰のあたりを掴まされた。服の上でもわかる、筋肉質で骨ばった感触。「どうです?」なんて、そんなこと言われてもなぁ。「どうです?俺で十分では?」なんて、そんな甘ったるい声で聞かれてもなぁ。「ダメですか、俺では」なんて、そんな捨て犬みたいな顔されてもなぁ。
拗ねたって可愛い顔したって逆に悲しい顔したって、それは聞けないお願いだ。だってこれはお仕事なので。給料分は働かないといけないって、あの三日月宗近さんだって言ってたでしょう、長谷部くん。だからダメなもんはダメだし無理なもんは無理なんだよ、長谷部くん。そんな顔したって私はこれっぽっちだって絆されない(嘘だ。ちょっとだけ、ほんのちょっとくらいはほだされかけたけど)。とにかく、長谷部くんの主張を聞き入れるわけにはいかないのだ。
▽
私の彼氏の、長谷部くんがおかしい。具体的にいうと十分くらい前からおかしい。おやつを持ってきてくれた長谷部くんの事を構ってあげないで、私がパソコンの画面ばっかり見てたから。そして、「なにをご覧になっているんです」と聞いてくるその声に、「いやぁなんか新しい刀剣が来るから顕現しろって連絡きたから、それで」とかって、素直に本当の事を答えてしまったから。顔なんか見なくたってわかった。長谷部くんの纏う空気が、ひんやりしたものに変わるのが。「新しい刀、ですか」……まずいな、と、思った時にはもう遅い。冷静さを装った抑揚のない声。これも顔を見なくたってわかってしまう、きっと『面白くない』って表情をしてるんだろう。
予想をつけてから見上げてみた。にっこりと綺麗な、この上なく完璧な笑顔。それなのに何だろう、圧が強い。「へぇ、そいつが新しい刀というわけですか」ふぅん。へぇ。そうですか、主はこういう男がお好みですか。いつも通り優しげな口調は、隠しようがないくらいに嫌味っぽい。それには返事をしないまま、受け取ったお茶を、無言ですすった。ふと、何気ない口調で長谷部くんが「急用を思い出したので少々失礼いたしますね」とか言い出すので、その背中を見送ったのが多分五分前。なぜか襟元にリボンタイを装備した長谷部くんが、おかしな事を言いながら勢いよく襖を開けて登場したのが三分前。とにかくずっと、長谷部くんは様子がおかしい。ここ十分くらい、ずっと。
「……長谷部くん」
「はい」
膝立ちになった長谷部くんの腰に、手を当てている。長谷部くんの手は私の手を掴んで、さらにぎゅうぎゅうに腰に押し付けてくる。筋肉質なおなかと、固い腰骨。側から見たら意味のわからない光景だろう、おかしな体制のままおかしな押し問答を続ける私たちは、どっからどう見ても弁解しようがないくらい、様子がおかしい。
「とりあえず落ち着こうよ、一旦」
「俺は十分落ち着いてます」
「そうかな?」
「そうです、勿論。ええ、嫉妬など全くしていません。当然の事ですが」
「絶対嘘だ」
「本当です。当たり前でしょう、貴女の一番は俺なので」
「…………うん、まあ、そうなんだけどさぁ」
「違いましたか?」
「いや、違わなく、なく、ないけど」
「そうですよね?ありがとうございます。俺も好きです愛してます」
何だこの会話。冷静な思考はすぐにどっかに飛んで行った。というのも、だって、長谷部くんがこんなに可愛くて格好いいので。
好きです、と囁かれた言葉にうなずいてみせれば、それだけでどろんどろんに甘ったるい瞳が笑ってくれる。抱き寄せられて(私は相変わらず長谷部くんの腰を掴んでるので何とも変な感じだ)から、おでこにキスが降って来るので目を閉じた。そしたら唇にも口付けをもらえる。頰に、まぶたに、耳たぶに。柔らかい唇の感触と、壊れ物みたいに私に触れる手のひら。好きだよ、と今度は私から言ってみれば、「俺はその何倍も、貴女を愛しておりますよ」なんてとろけそうな声が返って来る。さっきまでの冷ややかさが嘘みたいな、上機嫌な声色。長谷部くんの髪の毛をくしゃくしゃに触って、その感触を確かめた。くすくすと柔らかい笑い声に、首筋をくすぐる吐息。
ちょろいな、なんて。
内心そんな事を考えながら甘えてみせたのはきっとバレてた。このまま話題をそらしてしまおうと思ったのもバレバレだったのかもしれない。ふと、長谷部くんはため息をついた。それから、わざとらしいくらいに嘆かわしそうに、「俺はこんなに愛してるのに」なんて付け加える。
「困ったものですね。俺の主人ときたら、すぐに別の刀にかまけては夢中になってしまうんだから」
「ええー……すっごい言い方するね?」
「だってそうでしょう、折角二人きりなのに、恋人を放って『新しい刀剣』とやらに夢中になったりして」
あからさまなくらいに拗ねた声。「ごめんって」と謝ってみたけど返事はなくて、代わりにグリグリと肩口におでこを押し付けられる。前髪が肌を掠る感触がくすぐったい。思わず笑い声を零せば、「笑い事ではないです」とさらに拗ねられてしまう。可愛い。「ごめんって許して、もうよそ見するのやめるからさぁ」長谷部くんの襟足を触ったりなんかしながらもう一度謝ってみたけど、やっぱりそれにも返事はない。代わりに「好きです」なんて脈絡もない言葉をぶつけられるから笑ってしまう。
「……、ご安心ください」
「うん?何が?」
「ご安心ください。貴女がそいつにかまけている間も、浮気などせずお待ちしておりますから。当然です、少なくとも俺は『貞節』という言葉の意味くらいは存じ上げておりますので」
「……や、別に新しい刀を顕現させるのは、仕事であって浮気じゃないし」
「存じておりますよ。ですから申し上げているのです、『くれぐれもご安心ください』と」
「やきもちの焼き方が面倒臭い」
「その面倒臭い男を選んだのは貴女でしょう」
「ああいえばこう言うね?」
「ありがとうございます」
「褒めてないよ」
「貴女にいわれるのなら、俺は何だって嬉しいんですよ」
無限に面倒くさい方向に転がりだした会話は、もはや止め時がわからない。さっきまで眺めていたタブレットは放り出して、ぐしゃぐしゃと髪の毛を撫で回してみた。「構って欲しいならそう言えばいいじゃん」と笑えば、「そうやって甘えて見せればいいと思ってるんでしょう、俺の気も知らないで」なんて声はやっぱり拗ねている。子供か。笑ってしまえば「俺は真剣なのに」となじられて、やっぱり会話は泥沼化していくのに、それはそれで悪くない気がしてるからもうだめだ。やめられない止まらない。だって、私の長谷部くんがこんなに可愛い。
「長谷部くん」
「…………何です」
「新しい子、ほしいなぁ」
「俺がいるのに?」
「それとこれとは別、お仕事だから」
「ははは、仕事熱心な妻を持って俺は果報者ですね?」
「妻」
「? 、何か問題が?」
「問題って、言うかさあ」
「はい」
「いつのまに結婚したの、私たち」
「だって、 実質結婚しているようなものでしょう。形式はどうあれ、遅かれ早かれいずれ夫婦になるんですから」
「でもまだ結婚式もあげてない」
「では、フィアンセとでもお呼びしましょうか」
「それもなんか、どうかと思う」
長谷部くんはくすくすと笑う。楽し気に目を細めて。……ああ、きれいだなあ。その瞳に見とれちゃったりなんかもしながら、結論の出ない会話を続けている。もう一度「新しい子、ほしいなぁ」と聞いてみればすげなく却下された。それでも「可愛い『フィアンセ』のおねだりじゃん、聞いてくんないの長谷部くん」とかからかってみたら、それはそれでまんざらでもなかったみたいだ。「フィアンセ」と甘ったるく繰り返してから、頬が赤くなるのをごまかすみたいに、長谷部くんは顔をそらした。口元を隠すのは照れてる時だけなんだということくらい、とっくのとおにばれてるっていうのに。そこから、数十秒の沈黙。咳払いののち、いかにも『葛藤してます』みたいな声色で「……嫌です」と返される。もうひと押し。
「ねぇ、長谷部くん」
「嫌です」
「まだなにも言ってない」
「『新しい子』とやらの話でしょう。貴女にはもう俺がいるのに、これ以上なにが必要だと言うんです」
「だって新しい子がきたらさあ、長谷部くんが焼き餅焼いてくれるでしょ?」
茶色とも灰色ともいえない、綺麗な色の髪の毛。水色と紫色の中間みたいな瞳が私を睨みつける(全然怖くない)。わざとみたいに眉間にシワを寄せた顔が、誤魔化しようがないくらいに赤い。「長谷部くんの、焼き餅焼きのところも、私好きだなぁ」なんて言ってみれば、「そうやって甘えて見せたってだめです、いい気にならないでください」とか手厳しいことを言われてしまった。だけど、それだって悪くはないのだ。こういうときの長谷部くんは、いつもの何倍もかわいいので。いかにも『余裕しゃくしゃくですが何か』みたいな普段の表情とは打って変わって、あまりにダイナミックな拗ね方をするから笑ってしまう(そして、笑った結果さらに拗ねられて面倒くさいことになる)。
「上司からも言われてるんだよねぇ、新しい子連れてこられたら、一週間くらいおやすみとってもいいよって」なんてとっておきの情報を教えてあげたら、ぴくりと長谷部くんの身体が震えた。「だから、ほしいんだよねぇ。新しい子」性懲りもなく呟いてみた声には、今度は返事がなかった。だけどもう時間の問題だ。その証拠に、長谷部くんはもの言いたげにそわそわと唇を引き結ぶ。するすると首筋を撫でてみたら、「うう」とか「ぐう」とかうめき声だけが帰って来た。きっとぐるぐる葛藤してるんだろう、絶望と期待をごちゃ混ぜにしたみたいな表情が面白かった。
「おやすみ取れたらさあ」
「…………、だめですその手にはのりません」
「そっかあ残念だなあ私は行きたかったのになあ。一週間くらいおやすみとって、南の島とか、温泉とか、長谷部くんと一緒に」
「…………、おんせん」
「そう、おんせん」
「みなみの、しま」
「そう、みなみのしま」
「二人きりで、ですが」
「そうだよ、お休み取って二人で、ずーっと遠くの南の島か、温泉」
私の彼氏の長谷部くんが、焼き餅焼きで面倒臭くてこんなにも可愛い。
「温泉、二人で、うんと遠くの、南の島」真剣極まりない声でつぶやいた長谷部くんが、ゆっくりと目を閉じて、深呼吸する。次に目を開けた時には、さっきまでの一連の会話なんてまるでなかったみたいな顔で、「そういう事ならすぐに済ませましょう、俺に一週間ください。ご所望の『新人』とやらを連れて帰ってまいりますから」とか言い放つのでめちゃくちゃ笑った。それから、「約束ですよ、主。これが終わったら、俺と旅行に行ってくださいね」と念を押されるのに頷いた。まさか本当に一週間で任務を終わらせて、件の新刀剣男士さんを連れてくるなんて思いもよらなかったんだけど。
「約束ですよ、主」と微笑む長谷部くんの笑顔はやっぱり圧が強くて、気おされて頷いたら、「楽しみです。出立は明後日の早朝で宜しいですね?そうと決まれば行き先を探しましょう、温泉にしましょうか南の島にしましょうか、いっそのこと無人島などいかがでしょうか僭越ながらいい場所をいくつか知っています」と畳みかけられて、気が付いたら『無人島六泊七日ツアー(温泉付き)』プランが着々と組み立てられていく。こういうところ抜け目がないというか油断ならないというか、可愛くみえてもやっぱり長谷部くんは長谷部くんなのである。
それでも、「楽しみですね?」と私に微笑みかける顔は、この上なく甘ったるくて優しくて幸せで、だから、結局文句を言う気も失せてしまう。
私の彼氏の長谷部くんの様子がおかしい。かわいくて面倒くさくて油断ならなくて。だから結局、それにほだされてしまう私が、一番の問題なわけだけど。